月別アーカイブ: 2013年3月

実習終わりました

どうもみなさんこんにちは。しばらく実習のことについてのブログを書けていなかったのですが、火曜日に最後の授業を終えて、今日ポートフォリオを提出して実習を終えました。これで僕は全てのコースを終えたので、あとは修論の提出のみということになりました。残り日数は少ないですが、他になにも心配することがなくなったので集中して取り組みたいと思います。

さて、実習のことについてブログは書いていなかったのですが、毎授業ごとにreflectionは書いていました。それらのreflection paperとlesson planの他にresumeとかが入ってるportfolioのリンクを貼っておきます(※123ページありますのでご注意を)。resumeに僕の今住んでる住所と電話番号が書いてあるので、それは黒塗りしておきました。

https://drive.google.com/file/d/0BzA9X1kZX185UVJvZWRoVS1tZXM/view?usp=sharing&resourcekey=0-pjcFqBTQnkuCJwmFUdot0g

portfolioがどんな構成になっているのか目次だけ紹介しておくと、

  • Introduction
  • Resume
  • Philosophy of Teaching Second Languages
  • Description of Teaching Site
  • Goals for This Practicum
  • Personal Needs Assessments
  • Personal Goals and Objectives
  • Reflections on Observations
  • Lesson Plans
  • Reflection on Teaching

という感じになってます。これは一応先生のrubricに沿ってこういう構成になってまして、何をportfolioに含めるかも僕が決めたわけじゃないということころがちょっとトリッキーです。各lesson planの後に、その授業で使った教材のDropboxのリンクを貼り付けています。また、全部読むのだるいしって言う方がほとんどだと思いますので、目次というものを作ってみました。初めてやったのでなんか試行錯誤しながら初めてWordが俺の言うこと聞かないとはこういうことかとか思ったりしましたが、目次をクリックしていただくとその章にジャンプするようになってます。このportfolioには僕が授業でなにやったか、その授業やってなにがうまくいって何がうまくいかなかったのか、なんでうまくいかなかったのかといったことが書かれていまして、lesson planとその授業のreflectionを読んでいただくとそれがわかるかと思います。

そんなわけで、まあ色々あったんですがやっとこさ終わりました。実習が始まった頃は、終わるときの自分が想像できませんでしたし、日々の授業も本当に手探りでした。カリキュラムがないので、自分で生徒さん達が今必要としていることはなんなのかというのを毎回の授業の中で探して、あるいは提出してもらったワークシートの丸付けをする中で見つけて、それを授業に取り入れながら、また自分が大切だと思うことも織り込みつつやって来ました。なので、毎回毎回授業を考えるのに本当に苦労しましたしかなり時間がかかりました。授業の時間は一回に3時間ですが、実際にその中でやる活動というのは1つかあるいは2つほどだったのですが、それでも正直指導案を書くのが本当につらいなと思うほどでした。

一番最後の授業では、最後にも関わらず新しいことにチャレンジしてみたりもしました。詳しくはportfolioの中のreflectionを読んでもらえばと思うのですが、カレンダーを見て、ひとりずつ僕と話をしてappointmentを取付けるというtaskでした。モデルを示したり、こういうphraseやsentenceを使おうという指導を一切せずに、今ある自分のもてる全てを使ってとにかくtaskを遂行するというのを目標にしました。もちろん僕は一話し相手に徹して、コミュニケーションを断絶させないような支援以外、つまり教員的目線での支援は一切しませんでした。それをPCのボイスレコーダーで録音し、あとでみんなで聞きながらフィードバックをしていくという授業でした。実はその前の週の授業で、Can I make an appointment?という文をターゲットとして扱っていました。また、授業のイントロでそのセンテンスをもう一度復習はしたのですが、結果的にそれを会話中で使った人は一人もいませんでした。もちろん僕が担当しているのは本当に下のクラスで、センテンスレベルで産出出来る人が数名いるかくらいであとは単語をどうにかつなぎあわせてコミュニケーションするという感じです。ですがそれでも、「アポをとる」というのは彼らにとってできなくてはいけないtaskです。なのでその彼らが必要としているtaskにまず挑戦させて、自分の現在のレベルと目標の差を確認してから、じゃあそこを埋めるためにはどういうことが必要なのか、例えばまずは曜日を先に、曜日が決まったら時間を決めて、ということや、”appointment”という単語だけや”I have appointment.”と言うと、特に後者はミスコミュニケーションが起きやすいこと、そこでCan I make an appointment? まずこれを最初に言おうという流れでもっていきました。

そのあとのフォローアップ、口頭練習と、同じタスクにもう一度チャレンジさせるという段階まではいかなかったのですが、担当の先生にその部分は後日やっていただくようにお願いしました。

導入→練習→活動

という流れを僕の中では初めて無視した授業でした。

task→支援→task

といった感じでしょうか。録音した会話を聞きながらフィードバックを行う中で、「あーそうか!!」とか「そうだった!!」みたいなのが見られたので、ある程度は狙った通りの「気づき」を引き出せたのかなとは思いますが、問題はこれで気づけなかったところをどうやって埋めていくのかというところ。松井先生がおっしゃっていたことですね。

全体を通しての感想は、本当にこれはここにいるからできた体験なんだなということです。自分が初めてアメリカに来た時や、TEFLのプログラムを始めたときには、英語がほとんどわからない喋れないという人たちに自分が英語を教えることになるだなんて思っていませんでしたから。「英語を教える」ということに関して、僕が実習をやった場所が必ずしも良い環境だったとは思いません。カリキュラムもありませんし、評価もありません。学校に来て勉強する生徒よりもはるかに勉強以外に割かざるをえないリソースの方が大きい人たちでした。衣食住に困っていないというまず生活の根本のところに不安を抱えている人たちですから、それは当然理解出来ます。そのような中でも、とにかく少しでもいいから英語力を伸ばしたいと頑張ってやってきました。僕がやってきた授業は日本に帰って教員になったときに直接的に役に立つものだとは言えないのですが、それでも、初学者中の初学者に英語だけで英語の授業をやったということは、日本の中学生や高校生にもやれと言われれば英語で授業ができるということかもしれません。もちろん僕はこの実習の中でも母語でコミュニケーションが取れればどんなに楽だろうとかどんなに時間が短縮できるだろうと思う場面に何回もぶち当たりましたし、日本で教えるときには日本語は大いに授業に活用して行きたいと思っています。それは指示面やクラスマネジメントでもそうですし、日英の比較対象の視点という意味でもあります。

もちろん課題もありました。portfolioのchapter 5と6あたりで触れられていますが、日々の授業の中で生徒のニーズに合わせた授業を臨機応変に展開しつつ、一つ一つの授業を有機的に関連付けることです。これは教科書があり、指導要領があり、といった日本の中高ではあまり心配する必要がないのかもしれませんが(教科書や指導要領に縛られるという別の問題はありますが)、自分で授業を考えつつやっていくなかで、あっちにいったりこっちにいったり一貫性を失ってたと反省しています。また、授業の一部を生徒とのインタラクションで組み立てようとしたときに、どうやって自分が考えているストーリラインに(自然に)の生徒たちを乗せていくのかという難しさも感じました。授業は指導案をのとおりには進みませんし、生徒とのインタラクションは予想はできても完璧な準備はできません。いつでも予想外の反応や答えが返ってきます。それにうまく対処しつつ、「なんで?」「どうして?」といったモヤモヤをできるだけゼロに近い状態にして授業を進められるかが難しいなと感じました。とっさにいい例文やコンテクストが思い浮かばなかったり、シンプルな英語で文法を説明したりというのに苦労しました。これは自分の英語力の問題でもあると思います。

こういった課題をどうやって克服していくかが、教師の卵としての僕の次のステップなんだと思います。

そんなわけで、修論頑張ります。

P.S. 僕が7回目(最終回の前)にやった授業を先生が見に来る予定だったのですが、日程の変更によってそれができなくなってしまったために、ビデオカメラで撮影してそれをYouTubeにアップしました。公開にするのはちょっとよくないと思うので、リンクをシェアした方だけが見れる限定公開の設定にしてあります。もし興味がおありの方がいらっしゃいましたらリンクをシェアさせていただきますのでTwitter等でご連絡ください。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

2013-03-26 14.44.21

「大学受験資格にTOEFL」だそうで

Twitterを離れてから2週間以上が経ったんですが、まあFacebookはちょこちょこ見てたりして、タイトルのニュースを目にしたのでありゃまあと。

 

大学受験資格にTOEFL 国内全大学対象 自民教育再生本部、1次報告へ

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130321/edc13032101310000-n1.htm

僕も実はこっちに来た頃とか、あるいは学部の4年次あたりではとりあえず入試TOEFLにしとけばいいんじゃんみたいなそういう荒っぽいこと言ってたのですが、まあそういう問題ではないんですよねということはTwitterで勉強しましたいやこれは本当に。試しにTwitterで「自民党 TOEFL」で検索してみるとこんな感じ→https://twitter.com/search/realtime?q=%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%E3%80%80TOEFL&src=typd

Togetterのまとめはあるかなと検索してみると一件だけヒット。あまり閲覧数は多くないですね。

自民党の入学資格にTOEFL推進への各種コメント

そんでまあ同じ日本人の留学生の方がこのニュースの記事をシェアなさっていて、しかも割りと前向きなコメントだったのでちょいちょい待ってくださいと思って

日本の大学生にですら難易度の高いTOEFLでどの程度を求めるのかは気になります。そもそもTOEFLで日本の大学生活に必要な能力を図っているかという点も。TOEFL導入すれば万事解決みたいなTOEFL信仰の人多すぎですね。

僕はそもそも「日本全体」に求める英語力のレベルがTOEFLでスコア出せるレベルであるべきかというのも懐疑的ですし、受験に必要となってくれば対策するのは学校教育機関になりますよね。TOEFL(「スピーキング力向上」が目的ならiBTですよね)がそこで対策できるレベルの試験だとは思いませんし、だとしたら生徒は自学で対策するか、TOEFL対策の学校に通うという選択肢を取ることになるでしょう。そういうことが可能なのは、そこに投じることができるリソース(主にお金)がある家庭の生徒だけになります。またTOEFLはそもそも受験にかかる金額がかなり高額ですので、何回も受験というわけにはいきません。多くに開かれているべき受験の機会が制限されてしまうことになりますよね。入試が日本の英語教育に及ぼす影響は多大だとは思いますしそこが変わると日本の英語教育も変わるかもしれませんが、そもそも大学入試というのはその大学が求める生徒を弁別するためのテストであって、それに英語教育を任せるというのもどうかなとは思います。というのは、日本の高校生の半分は大学入試を受けないからです。そういった複雑な要因が絡み合った問題なんですね入試とTOEFLの話は。国は計画だけぶちあげといて教育にはほとんどお金出しませんしね…

ってコメント残したらその方のご友人の方からなんか飛んで来まして

この記事に関しては自分も最初おおってなりましたけど、実際あまり期待はできないですね。。。日本は理由は何であれ、国際化を倦厭して、このご時世いつまで経っても英語教育に力が入りません。小渕さんの英語第二公用語化提唱あたり、英語教育改革が激しく議論されるようになってからもう既に10年以上経っていますが、反対の声も強く、思うようには進んでいません。閉鎖的で既得権益が様々に絡み合う日本では改革は進みづらいですね。東大秋入学の話が出た時も少し期待しましたが、結局教育者の不足や社会制度の問題等で実現困難との見通しのようで、やはりそれが日本かと少しがっかりしました。TOEFLを用いることに関しては、確かに$200の受験料はネックではありますが、かずやさんの言うとおりこれが実現すれば進学先の視野は広がるかもしれません。現行の日本の教育制度は大学受験のための高校、高校受験のための中学といった形であり、大学入試を変えるということは、それに応じて小中高のカリキュラムの変更等につながるでしょう。受験機会の格差は、高校教育がTOEFL出題範囲をカバーする限りさほどではないと思います。現在でも予備校に行ける人と行けない人で格差は十分ありますが、それでもなお、予備校に通っても早慶MARCHに受からない人もいれば、独学で東大に入る人もいます。やはり最終的に問題は教育者不足をどう扱うかと、保守派、反対派をどう退けるか、または妥協させるかという点に帰するのではないでしょうか。

ということなんですが、高校教育でTOEFLの出題範囲をカバーなんてそんなことどうやったら実現できるかもちょっとよくわからないですね。指導者不足というのもそれはそうなのかもしれませんが、学校教育で大学に進学するという目的のTOEFL対策をなんでやることができるのかと思います。しかもそれを元にして義務教育のカリキュラムいじるなんて意味不明すぎます。なんでTOEFLを目指したカリキュラムにしなきゃらないのかもわかりませんし、こういうこという人達がきっとオラオラグローバル思考でこれからの日本を背負おうとかしているんだったらほんと残念すぎてなりませんね。学生が海外に出ると無駄にマッチョなグローバル思考になるだけで本当に危ない気しかしません。

それからこの方は独学でも東大に行ってる人もいるとかおっしゃってますがなんでそんなマイノリティケースを出しただけで格差を是認できるのかはちょっとよくわからないですね。TOEFLの受験は万人に開かれてるとはとても言い難いのが現状ですしそれが日本の全大学受験生が必須になるような規模で実施できるようになるまでどんくらいかかるのかと思いますしね。たぶん、「リソースのない」っていうことに対する想像力が働かないんでしょうね。残念です。
進学先の視野がどうたらなんていうのはまさに、「学校で英語ができるようにならないことで将来ががが」論で、それこそ、現在でも、別にTOEFLが受験に必須にならなくったって海外の大学に進学するような生徒「も」いるでしょう。そうやってなんでもかんでも海外の方がいい(というかTOEFLのこと言ってるのだから英語圏の大学がいい)というような英語圏ワッショイ信仰は本当にやめたほうがいいですね。ほんとこれだから(ry
というわけでストレス発散したので勉強に戻ります。
では。
アメリカ New Hampshireより。
おしまい。

メタ言語能力の有無で文法の習得図るん?

どうもみなさんこんにちは。暖かくなってきて春らしい陽気だなと思ってたらまさかのsnow storm発動です。今朝も実習がある予定だったのですが、明日に振り替えということになりました。さてさて今回は授業で先生と話した話。僕は今curriculum developmentの授業を取っているのですがもうほんと先生が適当すぎて話にならなくて発狂しそうです。正直言って1番学びのない授業です。1ヶ月授業キャンセルして振替もなしとかちょっとよくわからないですね。それでまあ昨日先生と話したことについてです。

先生がモデルに示した受動態のユニットプランに、受動態の機能、それがなぜ使われるのか、どういった場面で使用されるのかを理解するというのがobjectivesに書いてあったんですね。
Students will be able to show why the passive voice is used:
  1. when the agent is unknown or important
  2. when we want to avoid mentinoing the agent
(以下略
 
と言った感じで。もちろん、文法項目の機能的側面は重要ですし指導されるべきだと思うんです。そこは同意です。でもそれを理解しているということと、それをL2である英語で説明できるかどうかには産出のスキルが要求されるので、理解したかどうかをL2で説明できるかどうかで測定するのってどうなのっていうかそれを目標に設定するのってどういうことなのって思ったんです。最終目標はその文法項目、ここでいえば受動態が適切に使えるかどうか、理解できるかどうか、が目標なのであって、文法知識をL2で説明できるかどうかはまた違う話なんじゃないのと思ったわけです。それでこの先生のよくわからないところは、機能を重要だと言うわりには能動態と受動態の書き換えをやらせてるってことなんですよね。まあ書き換えそれ自体はbe動詞+過去分詞っていう構造を覚える練習としてはアリなのかもしれませんけど。目標にも、
The student will know
  1. A sentence in the passive voice has a corresponding sentence in the active voice.
とかあったりして。
そういうことを、質問として先生にぶつけてみたんですね。そしたら、
「私は英語で説明できるなければいけないと思っているし、私の経験では、文法知識を言語化できる生徒の方がその文法項目の使用においても熟達度が高い。大事なのはmasterしてるかどうかでしょ?」みたいなことを言われたので、「masterってどういう意味で使ってるんですか?」って聞いたら、「orallyにミスせず使えること」と言われたので、「じゃあなんで口頭産出できるかどうかをテストしないで文法知識をL2で言語化することで見てるんですか?それができれば口頭産出でも誤りなく使えるんですか?例えばライティングで使えるようになったかをみたいなら受動態を実際に使わせて文章書かせて適切に使えてるかどうか見ればいいだけですよね?」と言ったところ、また「私は文法知識が身についているかをarticulateできることを生徒に求めるしそれができる生徒の方がよくできる」みたいな同じようなことを言われました。ほんとよくわかりません。
そのあとに、先生が、文法はword/phraseレベル→sentenceレベル→discourseレベルの順で指導していくそういうプランになっているべきとおっしゃったので、「僕たちは関係詞節のユニットプランを考えてるんですが、関係詞節を扱うときにおけるword/phraseレベルって例えばどういうことですか?」と聞いたところ、「例えばfill-in-the-blank exerciseで適切に関係代名詞を挿入できるかどうか」とのお答えをいただいたので、「でもそれって文を提示しているのだからsentenceレベルですよね?dependent clauseはそもそもそれだけでは成り立たないのだから文の中での働きを示さないことには意味ないですよね?」と聞きました。すると、「それでもまず、who, that, whichなどを提示して、whoは人に、thatとwhichはモノに使うと教えてから文を提示する」と言われたんです。「でも、whoもthatもwhichも、例えばwhoなどは疑問詞としての使用には生徒は慣れてるはずですよね?そこでいきなり文を提示せずにrelative pronounはこれですとかこれは人にとか説明されても、文を提示されるまではなんの話か意味わからないんじゃないですか?」と言いました。すると、「別に一つの授業でword/phraseレベル→sentenceレベルを扱うこともあり得る」とかなんとかいやまあ質問の答えになってないというか。そのあとに、例えば関係代名詞の使い分けを指導する場面では、whoが含まれる例文を幾つかと、whichが使用されている例文を幾つか提示して、それをグループ分けさせたり、また分けて提示して規則性を見つけ出させるような指導法は考えられないですか?」と聞いたところ、「私の生徒はルールをまず与えないとそのやり方でやってもなにも答えられないし、私はまあそれは使いません。まああなたたちの想定している生徒は優秀でなんでもできるのかもしれないけれど。」みたいなことを言われてもうなんなのって思いました。好きなようにやっていいとか言うわりには自分の中に答えがあって、しかもそれが自分が指導している現場ではこうだからというだけの理由っていう1番最悪なタイプ。今までずっとこの先生は本当にきらいだと思っていましたけど今回の件でより一層嫌いになりました。
このやりとりはほんと録音しておけばよかったなと思うくらいです。今まで不満がすごい溜まっててそれをうわーっとぶつけた格好になったわけですが。とりあえず書いてすっきりしたのでこのへんで。失礼しました。
では。
アメリカ New Hampshireより。
おしまい

「気づき」

どうもお久しぶりです。なんだか気づいたら3月になっていて、気づいたら3月11日になっていて、日本の方を向いて黙祷して、色々なことが頭を巡りました。今日はそのことについては書きませんが、いつか時間ができたら文章にしておきたいとは思っています(時間は作るものっていうツッコミありがとうございますgkbr

さて題名に「気づき」とだけ記したんですが、なぜブログ書く気になったかというと「気づき」(この括弧付きというところがミソかもしれませんが)ということについての記述があるブログの連続投稿を見たからです。こちら。

英語の学び方再考(6)学習は「気づき」に始まる

英語の学び方再考(7)様々なレベルの「気づき」

英語の学び方再考(8)使徒パウロの気づき

英語の学び方再考(9)直観による「気づき」

英語の学び方再考(11)直感と分析

英語の学び方再考(11)「気づき」に気づく

(11)が2つありますけど1つめは(10)の間違いだそうです。まあそんなことはどうでもよくて、このブログ記事の連投はまだ完結してないんですが、一言でいうとちょっとなに言いたいのかよくわからないという感じですね(※ケンカは売っていません)。タイトルからもわかるように、「英語の学び方再考」ということを綴っていて、(6)で「気づき」という言葉がでてきたのでそこからのリンクしか貼っていませんがその前にも話しはあります。僕は言語習得におけるnoticingというものに興味があって、その関係でこの記事にふと目がとまったわけですね。まあそれがこの括弧付きの「気づき」と同じ意味なのかはわかりませんが。読んでみると(6)の記事では「気づき」の訳をawarenessとしています。noticingという言葉は使われていません。というかSLA研究においても、The Noticing Hypothesisというのはすごい有名でSchmidt (1990)とかGoogle Scholarで検索すると2427本とか引用されてるんですけれど(ググるとPDF落っこちてます)でも実際noticingってなんなのよとかそのnoticingの定義が曖昧すぎるんだっていう批判とかは結構色々あって、さらに、そのnoticingってのが「言語習得に必須」なのか「習得を促進する」のかっていうのもあって、はたまた「何に」気づくのかっていうのとかわーわーしてる界隈のところではあるんですよね。そういえば某ふくたさんもnoticingという言葉はあまり使いたくないとおっしゃってました。ということでconscious awarenessとかが使われるんですかね。language awarenessなんて言葉もあったりしてややこしいですね。とどめはconsciousness-raisingですもんね。何が違うの?って思ってググったら日本語の文献がヒットしたりして→「Consciousness Raising とLanguage Awareness――その定義と言語教育における意義――」僕が図書館から借りてるこの本も、Language Awarenessってなんやねんとか定義甘すぎやろみたいなところを掘ってあったりしております。でもどっちかっていうとCRの方がより言語習得におけるプロセスの部分に焦点があって、LAはもっと広義に使われているようです。

それで脱線したんですけど、「気づき」とか「直感」とかそういうのが大事なんだということをおっしゃっていらっしゃるようで、

しかし「アウェアネス」という概念は、もっと学習の基本的な概念に関わる重要なキーワードであると筆者は認識しています。そのことを筆者はカレブ・ガテーニョ(Caleb Gattegno 1911-88)のセミナーに参加して知りました彼は1980年代に毎年来日してセミナーを開催していましたがあるとき講義の中でこう言いました。「教育可能なものは、アウェアネスだけである。」(What is educable is only awareness.)と。この言葉を聞いて大きな衝撃を受けたことを、今でもはっきりと覚えています。

という一節が(6)にあったりして、教育可能なものがawarenessってすごいなとか個人的には思っちゃうわけなんですよね。「気づき」って観察するのが難しいわけじゃないですか。教育の現場でということならなおさらですよね。「気づいた」かどうかどうやって確かめるのかってことなんですよ。どういうことをもって何に「気づいた」と判断するのかもかなり難しいことですよね。それがもしも「無意識」なものなのだとしたら余計に端から見て「気づき」の有無を判断なんかできませんよね。熟年の教師の観察眼によって判断するとか言われたらまあはいそうですかとしか言いようがないわけですけども。

筆者が英語を習い始めたのはちょうど太平洋戦争が始まった時期でしたから英語に初めて接するのは中学校に入った時でした。それまで英語らしい英語を耳にすることもありませんでした。英語のアルファベットの文字は多少知っていて、それは左から右に横書きにされるくらいの知識はあったと思いますしかしそれぞれの文字が、基本的に一つの音を表わしていることは知らなかったので、そのことを知って驚いたことを思い出します。先生はそんなことは当たり前のことと思われていたのでしょう説明もありませんでした。ただ、それぞれの音が日本語の音とどう違うかを熱心に説明し、反復練習をしてくださいました。 (強調は引用者による)

とか書いてあったりして、「基本的に」とかありますがそれって本当に「基本的に」なの?とかそもそも英語って綴り字と発音が一致しないから難しいんじゃないの?とか思ったりもして(※ケンカは売っていません)。だから先生もそんなことは言わなかったのだろうとか思っちゃいますよね。

話しは戻って、僕は、その「気づき」っていうのをもう少し調べてみたいなということがあって、consciousness-raising taskと気づきの関係についてFotos (1993)のreplicationみたいなことを修論でやってみようと思っています。気づきの観察をに関してもしかしたら何か面白いものが見えるんじゃないかなということで。

2013-03-11 20.57.42

そんなわけで僕も何言いたいのかはよくわからないブログになってしまいましたけれどまあそれはいつも通りあいも変わらずということで。ひっそりブログ更新してみました。

ではまた。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。