カテゴリー別アーカイブ: Querie.me

国際誌に通せるよう今からできることはあるんでしょうか

はじめに

Querie.meでいただいた質問に答えるブログ記事です。

質問

国際誌を主戦場にしている人たちを見ると、やっぱり国際誌にバンバン出している人たちの研究室出身なので、そういうところでちゃんと国際誌に通すような教育を受けておきたかったと思います。今からできることはあるんでしょうか。

回答

それは国際誌を主戦場にして国際誌にバンバン出している人に質問すべきことでは…というのが最初に思ったことです。この記事を読んだ色んな人が,自分の経験をこの質問者の方の目に触れるところで共有してもらえたら嬉しいです(JSLARFの方々の方を見ながら

私の大学院生時代

私は名古屋大学大学院国際開発研究科というところで博士号を取りました。私が在籍していた当時は,全然国際誌にトライしてる院生とかいなかったですし,なんなら指導教官から国際誌に通す教育とかは受けていませんでした。博士後期課程(D)の院生は基本的に独立した研究者として見られていて,学会発表とか論文投稿とかは,いちいち報告したり指導を受けたりもせずに院生同士で勝手にやっていました。

私は,1学年上に現在学習院大の福田先生がいらっしゃって,彼がトライ&エラーで国際誌投稿を色々やってる経験を間近で見て,自分も見よう見まねでやってみていました。それでも,私は,大学院生の時に国際誌に通すことはできなかったです。firstで投稿したのはたしか3回(3誌)で,3回目の投稿で何ラウンドか査読のやりとりを経て,就職してから採択が決まったって感じでした。

なので,やっぱり国際誌に投稿する経験をしてる人と話すことがとても有効なのではないかと思いますね。教育受けるとかももちろんあると思いますけど,それは学生のときにしかできないと思うので。私がD生だった時には,現在立教大学にいらっしゃる中田達也先生とたまに2人でご飯に行く機会が何回かあって,その時にいろんな投稿の経験を聞いた記憶がありますね。それから,2017年に,近畿大でやってたKELES&LET関西の大会のときに,「英語論文を書いて国際ジャーナルに掲載させるためのストラテジー」という水本篤先生と斎藤一弥先生のWSがあったのも記憶に残っています。

国際誌のハードルは高くない

まあでも,国際誌とか国内誌とかっていうのは、届けたい読者層の違いだけだと私は思っています。私個人の経験でも,国内誌でリジェクトされた論文が国際誌に採択されたことが2回ありました。なので,普通に英語の論文の形になってるものを投稿すれば,採択される可能性は十分にあるでしょう。「国際誌」といってもピンキリですし。今は雑誌の数も増えてますから,選択肢も多いでしょうしね。もちろん,領域によってはscope的に選択肢がかなり限られるということもあるでしょうけど。

一度国際誌に載ってくると,国際誌の査読者としての経験を積むことをできるようになってくる(査読の依頼がくるようになる)ので,そうすると,そこでまた投稿されてくる論文のクオリティだとか,あるいは査読でどんなやり取りがなされるのかというインプットを得ることもできます。ジャーナルによっては査読コメントが公開されているものもありますね(例:International Journal of Applied Linguistics)。そうやって,learning by doingでどんどん知識とスキルを積み上げていくものなのかなというのが私の個人的な感覚です。まあこれも自分がそうやってやってきたからっていうバイアスがかなり入ったものだとは思いますけれども。

結局はやり続けること

最終的には,どれだけ時間かかっても載るまでやり続けるだけですね。不採択になった経験は表に基本的に出てこないですから,採択されてすごいってのだけが見えてきますけど,通してる人はそれと同じ分だけ不採択の経験もあると私は思ってます。書いてる本数も違えば投稿してる回数も違うっていう。

これはよく私が引き合いに出すんですが,Fukuta, Nishimura, and Tamura (2023)という論文は,最終的にJournal of Second Language Studiesに採択されるまでに,8回リジェクトされてます。そして,最初のジャーナルに投稿してから最終的に採択されるまで,約4年4ヶ月かかりました。

Fukuta, J., Nishimura, Y., & Tamura. Y. (2023). Pitfalls of production data analysis for investigating L2 cognitive mechanism: An ontological realism perspective. Journal of Second Language Studies, 6, 95–118. https://doi.org/10.1075/jsls.21013.fuk

まあその何度もリジェクトされるような理由もあるほど「過激」なことを書いていたからっていうのがあるんですが,それでも,心折れそうになりますよね。第一著者の福田先生に,「この論文は絶対に世に出す価値があるからやり続けよう」と言い続けて,採択までたどり着きました。この経験を,いつだったか私のD生時代の指導教官の先生にお話したことがあったんですね。それで,「あの話を聞いたときに,福田くんと田村くんは絶対に(研究者として)やっていけると思いました」と言われて,それがすごく嬉しかったことを覚えています。私は博論の研究(の一部)を出版するにも最長8年とかかかってますからね。(cf. 名詞の数の処理に関する実験の論文が出ました)。まあこれは単に論文として仕上げられていなかっただけですけど。

ということで,書いて投稿する,採択されるまで出し続ける,これしかないです。

おわりに

頑張ってください。私の経験でよければ,質問があったらお答えするのでまた聞いてください。応援してます。

私に質問したい方は下記URLからどうぞ。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

別業種の求人サイトを見てしまうという質問

はじめに

Quería.meでいただいた質問への回答シリーズです。

質問

先生と(広くみれば)同じ分野の者です。ここ最近の学界のいざこざと,派閥的な雰囲気に嫌気がさしてしまったことと,自分自身の研究がうまく進まない(←自分の能力の低さと,ある種の研究上の疎外感ゆえ)ことの双方が重なりあい,研究することを面白いと思えなくなってしまいました。すでにポストは得ているので,大学運営や教育上は一定程度貢献していますが,どうも自分が今後研究をすることを生業にしていくことはよくないのではという考えを持っています。そのため,まったく別業種の求人サイトをみて休日を過ごす日々が続いています。何か答えが欲しいわけではありませんが,聞いてほしいという気持ちです。

回答

質問(?)ありがとうございます。

広く見たら同じ分野とのことですが,「学界のいざこざ」というのは私は全然認知していないので,少なくとも自分が同分野だと思ってリスト化している人たち,よりはもっと広そうです。私が所属している学会も派閥的雰囲気をあんまり感じたことがない……のは私がどこかの派閥に属しているのか……。その辺,私は事情がわからないですし,詳細に書いたら身バレの可能性もあってぼかしてらっしゃるのかなと思うので,「研究が面白くない」の話について考えたことを以下に書いてみますね。

「研究上の疎外感」について

まず,質問にある「研究上の疎外感」というのがちょっと気になりました。これが具体的に何を指しているのかわからないのですが,自分の研究が評価されていないとか,自分と関心を共有する人が周りにいないとか,あるいは最初に書かれていた派閥的な雰囲気の中で疎外感を感じるとか,そういうこともあるのかなと想像しました。

私自身,自分の研究が国内外ですごく評価されている,みたいな感覚は全然ないです。もちろん,そもそも幅広くインパクトが与えられるような研究をやっていないという自覚もあります。でも,だからといって「受ける」研究を狙いにいくべきだともあんまり思っていなくて,自分が大事だと思うこと,自分が追いかけたいと思うことを淡々と研究していくしかないかなと思っています。研究の価値って,イマココで周りからどう評価されているかだけで決まるものでもないと思うので。

研究って,学会みたいな集まってワイワイって雰囲気がある一方で,どうしても孤独な営みの部分もあると思うんですよね。最終的には自分で考えて,自分で手を動かすしかないというか,自分との戦いというか。ただ,そういう研究そのものに伴う孤独と,特定の研究コミュニティの中で感じる疎外感は,ちょっと別の話かもしれません。

もし後者が大きいのであれば,「今いる研究コミュニティが嫌になった」ということと,「研究そのものが嫌になった」ということは,分けて考えてみてもいいのかなとは思いました。どういうコミュニティに属しておられるのかわからないので簡単には言えませんが,国内でも少し違うところに行けば違う人たちがいるでしょうし,国外まで広げれば研究コミュニティなんてものすごくたくさんあります。いろんなところで発表したり論文を書いたりしていると,「ああ,誰かは読んでくれてるんだな」と思うこともあるし,数は少なくても自分と関心の近い人が見つかることもあるんじゃないかなと思います。

研究がうまく進まないことと,能力のこと

研究がうまく進まないことも,まあ長い研究者人生のどっかのタイミングにはあるよなと個人的には思っていますし,なんなら今までの人生で,「うまく進んでる」って思ったこと,私は一度もないですね,たぶん。何をもって「うまく進んでる」と捉えるかは人によって違うと思うので,質問者様がどう思われているかわかりませんし,私との比較とかしても意味ないような気もしますけど。

そもそもうまくいくもんじゃぁないと思いながらやっているっていうことと,人の成果や進捗と比べないっていうこと,これをこの5年くらいで努力して身につけてきたので,それが大きいかもしれません。でも,心のどっかでは比べちゃいますよ。その気持ち完全に消せるようになったというより,抱えてコントロールできるようになったという方が近いかもしれません。

「自分の能力の低さ」とも書かれていますが,能力不足って,研究者とか大学教員に限らず,誰しもどこかで感じながら生きているんじゃないかなと思うんですよね。少なくとも私は,自分がインパクトの大きな研究ができる能力があるとも思っていないし,成果をバンバン出せるとも思っていません。だからといって,その自己評価についてずっと考えて下を向いていても仕方がないので,私はとにかく地道に自分のできることをやり続けるしかない,というところに落ち着きました。亀の歩みでもいいからやめないこと,それだけできてりゃいいやって思いながらやっています。

研究を「生業」にするということ

面白いから研究をやっている側面ももちろんあるとは思いますけど,仕事として,研究者として,研究しないといけないからやっているって側面もありますね。私は純粋な知的好奇心だけでずっと研究をドライブできるわけではないです。

もちろん,研究していない(ように外から見えるような)大学教員もいると思いますし,そういう人だっていろんな葛藤や事情がある中でそういうふうになっているんじゃないかなと個人的には思います。そして,大学教員が純粋な研究職ではない以上,大学運営も教育も大事な「生業」です。質問者様は,大学運営や教育上は一定程度貢献していると書かれているわけですし。

私はそれでも,自分自身については,なんていうか,研究(というよりはパブリケーションと言ったほうが適切かもしれないです)がゼロみたいなのは,そりゃ違うだろうという矜持みたいなものを持っているので研究を続けています。でも,これはあくまで自分自身のこだわりです。そのこだわりで他の大学教員を判断したりはしません。人それぞれ事情がありますし,いつ自分が研究できなくなるかだってわかりませんので。

別業種の求人サイトを見るということ

あとは,「まったく別業種の求人サイトをみて休日を過ごす日々が続いています」というところは,率直にちょっとすごいなと思いました。もちろん,実際に転職したいというより,今の状況がしんどくて現実逃避的に見ている部分もあるのかもしれません。でも,私だったら「別の仕事をする自分」という可能性を少しも考えていなければ,たぶん求人サイトを開くところまでいかないと思うんですよね。

私は今のワークライフバランスと待遇(具体的には年収)を維持したまま別業種に転職してやっていけるともあまり思っていないですし,研究や教育という仕事自体は好きです。また,これまで大学教員として積み上げてきたものを捨てるコストも大きいし,そもそも別業種で自分に何ができるのかもよくわかりません。なので,今のところ別業種の求人を見ようとすら思わないです。

逆に,今と同じくらいの働き方と待遇で,「これ面白そうだな」「自分の能力を発揮できそうだな」と思える仕事があったら,私は全然そっちに行く可能性もあると思います。大学教員を辞めて別の仕事をすること自体をネガティブなことだとも思っていません。やってみて,やっぱり違ったなと思ったら,また大学で働くことを目指すことだってできるでしょうし(あるいは転職した先の業種の他社とか)。

なので,質問者様が別業種の求人を見ていることについて,「そんなこと考えずに研究を続けましょう」とは私は全然思わないです。

おわりに

なんかまとまりのない話になりましたが,「何か答えが欲しいわけではない」とのことなので,私なりに質問を読んで考えたことを書いてみました。少なくとも,こういうことを考えながら大学教員をやっている人間も一人います,ということで。

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https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

スケジュール管理(タスク管理)はどのようにされていますか?

はじめに

querie.meでいただいた質問への回答です。質問は以下です。

質問

日々、多くのタスクを抱えている中で、スケジュール管理(タスク管理)はどのようにされていますか?

回答

スケジュールとタスクは分けてますね。スケジュールはGoogleカレンダー使ってます。タスクはMicrosoftのTo doです。Microsoftもoutlookにカレンダーあると思いますが使い慣れてるのがGoogleカレンダーなのでそれを使ってます。年度初めにもらう保育園の予定表をAIでCSVでカレンダーに取り込めるようにしてもらって取り込んだりしてます。毎月のお弁当日は前日にリマインド仕込んだり。

会議とか、イレギュラーな土日の仕事などは妻とも共有してますね。家族の予定調整との兼ね合いがあるので。

タスク管理は、フォルダごとに、授業のこと、学内の仕事、非常勤の仕事、学会の仕事、それ以外の学外の仕事みたいな感じで分けるのと、研究はプロジェクトごとに分けてます。その中にやらないといけないことと締切日、リマインダーなどを登録していくかんじです。メールの返信とかも忘れがちなので、スマホでoutlookでメール開いて、2タップくらいでcreate a taskという選択肢が出るのでそれでとにかくタスク管理アプリに流しこんで、いつまでに返すとかをその場でパッと入力します。フォームへの回答が必要とか、書類の提出が必要とかも、依頼はメールなので,そのメールをタスク管理の方に移す感じです。もっと簡単にスライドしてフラグ立てらこともできるのですが、そうするといろんな仕事のメールが一つの場所にまとまっちゃうんですよね。私はフォルダ分けをかますことで、仕事の内容に関する記憶を整理してる感覚があって、その方が一つひとつのメールを返すハードルが下がるように思うのでそうしてます。

Macを開いてるときには常にTo do起動しています。plannedを見れば、直近のことだけでなく、ある程度先のことも含めてどれくらいのやらないといけないことがあるかの見通しもわかるので気に入ってますし、今日やるぞと決めたことはMy Dayのマークつけておけば、締切がその日のタスクと一緒にまとまります。明日やるぞというものはリマインドを次の日にすればいいですしね。

なんかTo Doアプリの使い方みたいになっちゃいますけど,私の中で必要なのは,

  • 期限日の設定ができること
  • サブタスクの設定ができること(授業Aの準備というタスクの中に,小テスト作成,パワポ作成,座席表作成みたいな細かいタスクを入れられること)
  • カテゴリごとにリスト化できること
  • その日だけじゃなく,先のTo Doも一覧で見れること
  • メールへの返信をメールアプリからそのままTo Doリストに流し込めること

なのかなと思います。私はもともとWunderlistというアプリを使っていました(https://tam07pb915.com/2020/02/13/wunderlist-shut-down/ )。そこからMicrosoftTo Doに移行したので,慣れでこれを使っています。もしかしたらもっといいものもあるかもしれません。

おわりに

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

A winding path constructed from stacked books running through a lush forest landscape at sunrise.

先行研究を読む段階がありますが、その位置づけについて疑問を抱いています

はじめに

querie.meでいただいた質問への回答です。質問は以下です。

質問

M2の学生です。論文を書く際には、先行研究を読む段階がありますが、その位置づけについて疑問を抱いています。私自身は、関連する先行研究を幅広くレビューし、その流れの中から研究設問や予測(やりたいこと?)を形成していくものだと考えていました。しかし、指導教員からは、「まず自分なりの予測や見通しがあり、それが研究設問として成立するように文献を探してストーリーを組み立てていくものだ」と指導を受けています。一方で、その進め方では、自分の仮説に都合のよい文献だけを選択してしまい、先行研究のレビューが恣意的になってしまうのではないかという疑問を拭えません。例えば、既に十分に行われてきた研究を再生産するだけとか、先行研究で指摘されていることを繰り返すだけになるなど。先生の先行研究のレビューについてのお考えをお聞かせいただければ幸いです。

回答

質問ありがとうございます。最近質問来ないなと思っていたので,シンプルに嬉しいです。

分野が違うとまた研究の進め方に対する考え方も違うかもしれないですし,同じ分野でも考え方も違うかもしれないので,あくまで私の考え方では,ということを最初にお断りして書きますね。

基本的に質問者の方と同じような考えを持っています。「自分なりの予測や見通し」はどこから出てくるのか?と考えると,それがなんとなくの自分の直感じゃなくて,先行研究の結果とか,あるいは何らかの理論や仮説から導出されるはずなんですよね。なんとなく私はこうだと思うんですけど,では研究になりませんから。となると,やっぱり,まずは文献を読むのが最初に来るべきでしょう。実際に今いる学部とMのゼミ生を指導する際にも,文献を読むところからスタートしてもらってます。もちろん,「どこから読み始めるか」を決めるのは自分の興味や関心がないとどこから手を付けていいのかわからないということになるので,興味や関心が不要だとも思っていません。

例えば,今のB4のゼミ生は,「集合名詞」に関心を持っています。なんで集合名詞なの?というと,それが数の一致の揺らぎと関係しているからなんですね。The government is/are…みたいな。そこからスタートすると,集合名詞に限らず,数の一致という現象を扱った研究論文を読むことになりますし,それらがどういう理論的基盤で行われているのか,みたいな論文も読みますし,数の一致という現象の記述的な言語学の論文を読むことにもなりますよね。こうやってどんどん論文を読んでいくなかで,今までどういうことがやられていて,やられていないのか,ということを考えていきます。

でも,ただ,「先行研究でやられていないから」は研究の動機としては弱いです。これはたぶん過去にブログで書いたこともあると思うんですが,「やる価値がないから先行研究でやられていない」という可能性もあるからです。つまり,先行研究でやられていない,というだけではなくて,そのやられていないことをやることにどのような価値があるのか,ということを論じることができなければ,それを研究課題にすることはできないんですよね。で,それはどっから出てくるのか?っていうと,自分の予測とか見通しとかじゃなくて,研究領域がどこを目指しているのかという理解と,その営みのどこに貢献しうるのかという理解,これが必要ですよね?その理解は何から生まれるの?って考えたらそれはやっぱり先行研究を読むこと,そしてそれを体系的に整理できること,だと思います。そのために先行研究のレビューをする,というように私は考えているし,実際にそう指導しているつもりです。

おわりに

M2ということは,修論に本腰入れて書き始めるような段階なのかなと思います。頑張ってください。また悩んだことがあれば相談お待ちしています。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

書き出しをどう書くか

はじめに

querie.meでいただいた質問への回答です。質問は以下です。

質問

論文やレポートを書く際に、いつもイントロの書き出しや、各セクション(特にイントロと先行研究)の書き出しを考えるのに非常に苦労します。アウトラインを作ってあっても、どうしても最初の1文~5文ぐらいが書けないと、どうしても前に進めません。逆に、一度書き出してしまえば、スラスラと書くことができます。そのため、どうしても書き出しが締め切り直前となってしまい、「どうにでもなれ!」という感じで一夜漬けのような感じで書き上げてしまいます。そして、修正する段階でも、各論文やレポート、セクションの書き出し”以外”のところだけ修正し、書き出しはどうにもなりません。。。書くのは嫌いではなく、むしろ好きです。ですが、いつも書き出しに苦労してしまいます。一晩で変わるものではないと思いますが、アドバイスや心構えみたいなものがあれば、教えてください🙇🙇

回答

質問ありがとうございます。アウトラインを作ってから書き始めているということ,素晴らしいです。アウトラインを考えることで,論文の各部分の間の一貫性を俯瞰することができるので,とても良いと思います。

結論から言うと,私の答えは次の2つです。

  • 最初の1〜5文はオリジナリティ勝負ではなく「型」で書く
  • 書き出しから書かない(RQから逆算して後ろから作る)

この2点を押さえるだけで,「アウトラインはあるのに最初の数文だけ書けない」という悩みはかなり軽くなるはずです。以下,順に説明します。

最初の1〜5文は「型」で書く

学術論文のイントロの冒頭(いわゆる漏斗の一番上)には,分野や雑誌ごとにある程度の定石があります。アウトラインがあっても筆が止まるときは,「背景」といった抽象的な見出しを,自分の言葉でゼロから文章化しようとして止まっていることが多いです。

そこでおすすめなのが,「メタ的に分析する」という読み方を,論文全体ではなく「イントロの最初の1パラグラフ」に限定してやることです。自分が好きな論文,書き方がうまいな,読みやすいな,という論文を3〜5本用意して,イントロの最初の1パラグラフだけを横並びにして眺めます。

ポイントは「何が書いてあるか」ではなく,「その数文が何をしているか」です。たとえば,

  • 1文目は何を主語にして,どのような時制で書かれているか
  • 2〜3文目で,そこからどのように焦点を一段階絞っているか
  • どのタイミングで「未解決の問題(ギャップ)」が導入されるか

こういう観点で見ていくと,「最初の5文」が果たすべき機能と,具体的な語彙や構文のパターンが見えてきます。見えてきたら,それを真似して,自分の研究のキーワードを当てはめればよい,ということになります。

あとは,ムーブという概念を知るのも大事ですね。アカデミックライティングというのは,文をゼロから自分で生み出すというよりもむしろ,パターンをうまく組み合わせていくということでもあるので(下に書いた文献やウェブサイトをご参照ください)。

書き出しから書かない(RQから逆算して後ろから作る)

次にもう1つ。漏斗の一番上から書こうとすると難しいのは,どの広さから書き始めるかが決まっていないからです。一方で,論文を書き始める時点で,RQと規定の語数は決まっているはずです。となると,RQが漏斗の一番狭い部分ですから,ここから徐々に広げていくほうがスタート地点が固定されていて書きやすいです。

私が意識しているのは,自分のRQと全体の分量から逆算的にスタート地点を決めることです。論文といっても,例えば学位論文と投稿論文で長さが違いますし,投稿論文でも学術誌によって語数の規定が異なります。自分が全体としてどれくらいの分量の論文を書いていて,各セクションに大体どれくらいの語数を割り当てるのかがまずは一つのポイントです。それが決まれば,funnelの広げ方または狭め方が決まるからです。

例えば,私は第二言語習得研究の中でも文法,特に形態素の習得や処理に興味があってそういう論文を書きます。その時,書き出しは「第二言語習得研究とはこういう学問である」にはおそらくならないですよね。せいぜいが,「第二言語の形態素習得研究の主たる関心はXである」とかでしょう。そこからスタートして,なぜXの研究が分野全体にとって重要なのか,Xが関心を集めているのはなぜか,そして自分の研究はそのXの研究の中でどういう位置付けで,その位置付けの研究は分野全体の研究にどういう貢献をもたらすのか,みたいなことを書いていきます。ここにあげたのはあくまで例で,常に全てがいつも盛り込まれるわけでないです。

バックグラウンド(先行研究)で意識していること

「特にイントロと先行研究」のセクションが書きづらいと感じられているとのことなので,バックグラウンドについても少しだけ書きます。

バックグラウンドのセクションは先行研究のレビューなわけですが,私はいつもサブセクションを作るようにしています。サブセクションの分け方をどう決めるかは,先行研究の学術的な概念の紹介と,過去に行われた先行研究でわかっていること,という感じで私は分けることが多いです。

バックグラウンド全体のイントロ的なパラグラフをおくかどうかも,論文の構成と全体の分量とのバランスで決めているかなと思います。

また,「この論文を理解するためには,これとこれとこれについては読者に知っておいてもらわないといけないよね」ということを絞って書くようにしています。投稿論文の査読でも学位論文の審査でも,審査する人が自分の専門と全く同じ研究をしている人であることは稀です。したがって,自分の研究で重要な概念についてはそれがどういうものなのかをわかってもらわなくてはいけません。もちろんイントロでその概念が出てくるのでその時に説明はするわけですが,より詳しい説明はバックグラウンドのところに持ってくることが私は多いです。

論文の別の箇所に似たような内容が書いてあると,「冗長である」という査読コメントをもらうことがある一方で,何回も繰り返し説明しても,「説明がされていない」と書かれることもあるので難しいところではあります。自分が査読者として論文を読むときは,重要なことは繰り返し書いてもらった方が理解がしやすいので,自分もそういう書き方をしているのかなと思います。

参考になるリソース

ここから先は補助的な話です。型のストックを増やす,あるいは言語化するための材料として,次のようなものが役立ちます。

まずは,日本語で書かれたアカデミック・ライティングの教科書を何冊か読んでみることをおすすめします。どんなものがあるのかわからない場合には,学部や大学院のアカデミック・スキル導入系科目で指定されている教科書か,参考図書にあたられると良いでしょう。多くの大学では,レポートの書き方というのは必須のアカデミックスキルとして大学の初年次で配当されていることが多いです。私の所属先である関西大学外国語学部では,「基礎演習」という科目がそれにあたります。

私の手元にある書籍だと,

あとは,最近だと生成AIを利用して論文を執筆する方法として,水本先生が作成されたページも参考になります。

生成AIを用いた倫理的・効率的な英語論文執筆

さらに,ムーブという概念を使いながら,丁寧に論文執筆の過程を紐解いているのが,『英語科学論文をどう書くか:新しいスタンダード』です。これがおそらく一番,質問者の方の悩みにダイレクトに効く処方箋になると思います。英語で論文を書いていなくても,ロジックは同じなので参考になると思います。

上記書籍にも多くの表現が収録されていますが,私はライティングの授業で必ず,Academic PhrasebankというWebサイトを紹介しています。このサイトにも,論文の様々な場面で有用な表現がまとめられていて,かなり便利です。

おわりに

こういう質問に対して,適切な文献を案内するだけではなく,自分がどのように書いているのか(書いてきたのか)を経験とともに伝えることができるよう,論文を書き続けなければいけないという気持ちになりました。

私に質問したい方は下記URLからどうぞ。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

読書会の中身/形式ってどのようなものなのでしょうか

はじめに

querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。

質問

(自分一人だと読めない本があるため,自分だと選ばない本を読んでみたいため)学術書の読書会に参加してみたい,ゆくゆくは開催してみたいと思います。一概には言えないとは思いますが,読書会の中身/形式ってどのようなものなのでしょうか。Tamさんが参加された或いは開催されたものはどのような流れでしょうか。あるいは開催されるとしたらどのような流れで行われますか?

回答

経験談

最初に私が読書会と呼ばれるものに参加したのは,院生時代のSkype読書会かもしれません。最初にやったSkype読書会は,私がアメリカにいるときで,学部時代にお世話になっていた先生に誘われて,Rod EllisのLanguage Teaching Research and Language Pedagogyを読む読書会だったと思うのですが,私だけひとりアメリカからSkypeで参加していました。たしか単発で私は一度だけ参加したとおもいます。

その後,私が名古屋大学大学院で博士後期課程をやっているときにも日本と世界をつないだ読書会をやっていました。あれは定期的にやっていましたね。当時は,非対面の集まりそれ自体が珍しい時代でしたので(10年前くらい),その珍しさで,大修館書店の『英語教育』に遠隔地をつなぐSkype読書会というようなタイトルで短い記事を寄稿したくらいです。

その読書会は,毎回報告の担当になる人が決まっていて, その報告者の人が資料を準備してレビューを行い,その都度質問を挟んでいったり,あるいは後の方でまとまってディスカッションをしたり,という形でやっていたのではないかと記憶しています。もうあれも私がD2かD3くらいのときじゃないかと思うので,10年近く前ですね。信じられない豪華メンバーだったと思います。このときは,本というよりも論文のレビューも結構やっていたと思います。

あとは,発表者のいないパターンの読書会もありましたね。福田さんが呼びかけて,LangackerのCognitive Grammarを読むことになりました。あれはまじで1人では到底読めない重厚さと難解さでした。そのときは,日時とその回に何ページから何ページを扱うのかを決めて集まり,個々にわからなかったことや重要だと思ったことについて自由にコメントし合ってディスカッションするという形式だったと思います。司会的なものを設けたりもしていなかったですねおそらく。主催者の福田さんが回す役を担っていたところはあるとは思いますが。

Cognitive Grammarを読み終わった流れで,たしかGoldberg本の訳書を読み,その後に読書会に参加していたメンバーの一部で用法基盤モデルをベースにした実証研究の論文もいくつか読んで,そこから着想を得て研究プロジェクトというかたちになり,2023年度にEuroSLAで発表した研究(現在投稿中)につながりました(Goldbergの本と論文は読んだ順番が逆かもしれないです)。

発表者がいるかいないか

発表者がいるパターンといないパターン,どっちにもメリットとデメリットがありますよね。発表者がいるパターンだと,自分が発表ではない回に参加者それぞれがどれだけエンゲージメントを高められるかというのが重要になります。変な話,自分が発表ではない回に,一部の参加者が「聞くだけ」でも別にそこまで問題になったりはしません(もちろん,読書会に参加している人数にはよりますが)。

一方で,発表者がいないパターンの読書会だと,自分から積極的にディスカッションに貢献しようという気持ちが全員になければそもそも成り立ちません。その意味で,事前に読むという段階でのエンゲージメントもそれなりにないとそもそも発言することすらできないでしょうし,誰かの言ったことに対して誰も反応しなければ会そのものが成り立たないという時点で,そのメンバー間の関係性みたいなものも結構重要になるでしょう。全然見ず知らずの人達と,自由にディスカッションをする,というのは,トピックがなんであれそんなに簡単なものではないでしょうから。

自分が開催するってことが今後あるのかどうかわからないですが,その時のメンバーとか,目的に合わせて形態は決めることになるのかなと思います。

おわりに

最近は,なかなか時間がなくて読書会に参加する時間もとれないスケジュール感なんですが,読書会があるから読む・読める本っていうのは絶対にあると思うので,参加したいですね…。子どもがもう少し大きくなって保育時間が伸びたらそういうこともできるのかなぁ…。

私に質問したい方は下記URLからどうぞ。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

研究者になれる人とそうでない人の違いは、個人の資質によるか指導教員の指導力によるか、どちらだと思いますか?

はじめに

querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。

質問

研究者になれる人とそうでない人の違いはは(※原文ママ)、個人の資質によるか指導教員の指導力によるか、どちらだと思いますか?どちらとは言いきれいないのは承知ですが、任意の教員が着任した途端に、学会で名前を見るようになるのを見たり、特定の研究室から大量に研究者が出ているのを見ると,教える側の要素が大きのかなと思うところもあります。研究指導する側になって、よくわからなくなってます😢

回答

「研究者」の定義について

「大学教員になる」というのと「研究者になる」は個人的には分けたいな〜と思っちゃうところはありますね。学生の時は頑張っていても,大学教員になったら研究活動が滞ってしまう人だっていますしね。

指導教員側の要因:個人の力量 vs 環境

あとは教える側の要因というのは,その教員個人の力量だけではなくて,それ以外の環境要因との掛け算なのかなと思うところもあります。その環境でどうやったら学生のパフォーマンスを最大化できるのか,みたいな。例えば,教員の研究費だけに依存せず,学内的な院生への支援(ソフト面もハード面も)が充実しているということであったり,共同研究の機会が豊富にあるのかどうか(学内外のネットワークだったり,異分野交流であったり)とか,どれだけ研究に時間を割くことができるか(授業負担や学内業務負担がどれだけあるのか)みたいなのも,もちろん教員個人の力量もあるとは思いますが,やはりその組織がどういう仕組みで動いているのかに依存するでしょう。

組織・「ブランド力」の影響

あとは,一度「あのゼミからは優秀な人材が輩出される」となったら,そこにもっともっと優秀な人が集まりやすくなるという効果もあると思います。また,なんだかんだで組織の力というか所属している大学ってのは大きいでしょう。やっぱりうちの分野(どこの分野とは言わない)(注)なら特定の国立大(旧帝大)や私立大の出身者がある種の「派閥」的強さを見せている側面があるように思います。

研究テーマ,分野特性の影響,個人的な問題意識

研究テーマの要因もあるでしょう。どの分野の方からの質問かはわかりませんが,私の分野(どこの分野とは言わない)だと,ある要因と要因の関係性を調べるアプローチで無限に研究を量産している人たちがいて,まあそれが世の中の潮流でもあるようだしトップ誌に載るし引用もたくさんされるし,みたいな。いや,論文載るのはすごいんですよ。テーマもそんなにポンポン思いつかないですし普通は。でも,この分野(どこの分野とは言わない)は既存の枠組みの微調整や概念の再定義によって研究を展開しやすい分野特性があって,それって最強なんですよね。概念間の関係性を統計的に検証するアプローチで,比較的安定して研究成果を生み出せる仕組みになっているので。

これは何も自分を除く他者に向けているわけではありません。私も,院生時代の多くの研究が「明示的・暗示的知識」というパラダイムに乗っかったものでした。当時は測定法の議論が隆盛していたこともありましたし,ある文法項目に対して,明示的・暗示的知識を測っていると考えられる測定具のテストを二つ実施して(あるいは同じテストに対して違う条件を課して),違いが見られたり見られなかったりしたら,それを議論することで論文1本になったんですよね。私が初めて採択された筆頭著者の論文がまさにそれでした。

Tamura, Y. & Kusanagi, K. (2015a). Asymmetrical representation in Japanese EFL learners’ implicit and explicit knowledge about the countability of common/material nouns. Annual Review of English Language Education in Japan, 26, 253–268. https://doi.org/10.20581/arele.26.0_253

今見たらなんかもう目も当てられないようなひどい論文で読み返すことも憚られます。こういうアプローチをするにせよ,もう少しフレームワークは今なら工夫するだろうなと思います。ただ,私はそういうアプローチで研究を量産できるような人間ではないですし,こうしたアプローチで研究(者)を量産するのが本当にいいことなのかな,とよく思っています。こういう意見も,結局はパブリケーションが強い人からしたら,私のような考えが同じ土俵に乗ってこなかったら相手をする理由もないでしょうから,難しいなぁとずっと思っています。

『第二言語研究の思考法』はそういう気持ちもあって携わった本ですが,特に話題にもされていない(という認識でいます)し,その提案について批判も特にもらってないと思うので,既存の研究パラダイムへの根本的な問いかけは議論されにくい傾向があるのだなと感じます。それでも,今後も細々と,この問題提起について継続的に発信し続けていくのが自分の人生なんだろうなと思います。今年度採択された科研費の研究も,そういう路線です。

なんか脱線しましたね。

最後に,これも言っておかないといけないなと思ったことですが,生存バイアスもあるんだと思います。結局生き残るのはなんだかんだ優秀な人なわけで,その陰で数多の優秀な人にカテゴライズされずに去っていった人だっているんじゃないのかなという気もしています。

おわりに

久しぶりに,面白い質問だなぁ,ブログ記事にしたいなと思わされる質問でした。ありがとうございました。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

注:寺沢さん話法

論文を読むときは、全文読まないのが普通なのでしょうか

querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。

質問

論文を読むときは、全文読まないのが普通なのでしょうか。よくネットなどで論文の読み方を検索すると、効率的な読み方として、①結論を読んで主張が何かを探す、②イントロを読んで論文の問いを探す、ここからは必要に応じて③研究の方法や結果などのデータを扱っているところを見て批判的に検討する、という紹介がなされています。もし、何か論文を読む際に実践されていることがあれば、教えてもらえませんか。

回答

端的にいえば,「目的によるのでは?」ですね。あとは,どれくらいの時間がかけられるかも重要です。

拾い読みのケース

私自身が論文を読む際に実践していることについてお答えすると,「なんの目的のためにその論文を読むか」に大きく依存するのかなと思います。

実証研究の論文で,とりあえず「何をやって何がわかったのか」という核心部分を素早く把握したいのであれば,おっしゃるように,それが書いてある場所を拾い読みすることになるでしょう。私の場合は,まずアブストラクト(要旨)を読みます。そして,「これはもう少し詳しく読んだ方が良さそうだ」と感じたら,多くの場合、結論部分よりもディスカッションの最初のパラグラフを読むことが多いです。なぜなら,ディスカッションの冒頭部分で,著者が研究の目的を改めて述べ,どのような結果が得られたのかを要約してくれていることが多いからです。これは,私自身が論文を書く際にも,読者に分かりやすく伝えるために意識している構成でもあります。

自分があまり馴染みのない研究領域でどんなことがこれまでされているのかをまとめたいとか,そういった目的の場合も,拾い読み的なことをするでしょう。「ざっと領域全体の傾向やこれまでに何が分かっていて何がわかっていないのかをまとめたい」という場合には,論文を通読する必要はないからです。もちろん,時間がたくさんあれば全文読めるでしょうけれど。

全文を読むケース

一方で,そういった「つまみ食い」的な読み方とは異なり、自分の研究テーマ(または今書いている論文)に非常に近い論文を読む場合は,もっと丹念な作業になります。その論文がどのようにして研究課題を導き出しているのかというロジック,採用されている研究方法の妥当性,そして得られた結果の解釈など,細部にわたってじっくりと読み解いていきます。もちろん,全文読むケースでもとりあえずは拾い読みをしたうえで,「これは読んだほうが良さげだ」という判断をするので,拾い読みでふるいにかけられたものを精読するって感じでしょうか。

優れた論文には,やはり一本筋の通ったストーリーがあります。ですので,そういった論文を読む際には,できるだけ頭から順を追って読み進め,そのストーリーを追体験するように意識しているかもしれません。「拾い読み」だけを繰り返していると,確かに情報は効率よく集められるかもしれませんが,いざ自分が論文を書く側になったとき,果たしてストーリー性のある,説得力のある論文が書けるのだろうか,と思ってしまいますね。論文の構成力やロジックの組み立て方というのは,やはり質の高い論文を通読する経験を通じてこそ身についていく部分が大きいのではないでしょうか。

実証研究ではない論文はどうするの?

また,ご質問で触れられていた「結論→イントロ→必要に応じて詳細」という読み方は,主に実証研究の論文には有効な手法だと思います。しかし,例えば特定のテーマに関する既存の研究を幅広くまとめたレビュー論文や,理論的な考察が中心となる論文などには,そのままでは適用しにくいケースもあるでしょう。そういうタイプの論文のときには,別の読み方が必要になると思いますし,レビュー論文こそストーリーが大事なので,小説をつまみ食いしないのと同じように最初から最後まで読むのではないかなと思います。

おわりに

結局のところ,論文の読み方は「目的」と「投入できる時間」の2つの要因で決まるものだと思います。まず要旨(と私の場合だとディスカッションの冒頭)を読み,短い時間でざっくり「何をやって何がわかったか」を把握します。その中で,読む価値が高いと判断した論文は精読しています。精読時には序論から順に論理展開を追い,方法の妥当性だったり結果の解釈だったりを検討します。メモはZoteroなどの文献管理ソフト上でハイライトしたりメモつけたりその訳をしたりとか色々したうえで,自分が研究目的で使っているObsidianに残しています。ローカルにメモを残さないと不安なので(cf. 過去記事)。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

家族との時間(夫としての時間、父としての時間)、授業準備、研究とをどのようにバランスを取られているのか

querie.meでいただいた質問です。ずばりタイトルの通りの質問です。

回答

まず,同じような質問に過去に答えたことがあります。

ということで,過去の記事読んでくださいで終わってもいいのですが,子どもができたというのはとても大きな変化だったので,そのことについて書こうかなと思います。

私は何も考えなければ仕事に全振りする性格なので,意識的に仕事を諦めることにしています。例えば,毎晩子どもを寝かしつけたらそこからは全部自分の時間にして仕事をすることもできなくはないと思います。でもそれは本当にその日の夜に絶対にやらなければいけないというときだけにしています。それ以外は,妻と二人でお酒を飲みながら,子どものことやその他他愛もない話をする時間にしています。妻と家飲みしているときが一番日常って感じなんですが,それが一番幸せだなって思いますね。そういう時間は大事にしています。妻の誕生日には子どもを預けて二人だけで食事をするというのも,子連れで食事にいくのが大変なうちはやろうかなと思っています。やっぱり,子どもができても夫婦ふたりだけの時間は大切なので。

父としての時間は,昨年度の秋学期に復帰してからの学期中はなかなか難しかったです。仕事のブランクもあるし,初担当の講義科目も複数あったしで準備が大変でした。そういうなかでも,仕事に行く時間をできるだけ遅くしてなるべく家で子どもと一緒にいるようにはしていました。また,休みの日であれば妻が友人と出かける際には私がワンオペを積極的に引き受けるということもやっています。子連れ同士で出かけるほうがいいということもあるようで,その回数自体はあまり多くないのですが。

家族との時間という意味では,夕食時以降はできるだけ仕事をしない,土日も仕事はしない,ということを意識しています。スマホでちゃちゃっとメール返したりとかくらいはしても,パソコンに向かってなにかやる,というのは,「やりたいなぁ」くらいならやらないって感じです。「まじで今やらないとやばい」というものなら,妻に断って仕事させてもらっています。

これから子どもが保育園に行って,そこから学校に通うようになったら,家族以外の人たちと過ごす時間のほうが長いくらいにだんだんなっていきますよねたぶん。そうなったらもっと,夕食後の時間や土日は大事な家族との時間になるのだと思います。そういう意味では土日に入る仕事(学会仕事とか)は極力避けたいですよね。アドミン仕事は仕方ないっていうのもあるのでやりますけど。あと泊まりの出張もできれば行きたくないというのが本音です。今後,学会は全部近畿圏でやってほしい(ただし運営はしたくない)みたいなめちゃくちゃワガママな気持ちですね…。家族で出張行けば解決だと思った人は,0-1歳児の旅行どれだけ大変か知らないな?って感じですね。あと,現地で学会行ったとして旅行先で妻にワンオペさせるってことでしょ?無理だろって私は思っちゃいますわ。

おわりに

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

サマリーライティングの授業

querie.meでいただいた質問です。

質問

英語の授業について、相談させてください。TOEFLなどで英語のリーディングをした後にサマリーを書くといった問題があるなかで、サマリーライティングの授業を実践したいと考えています。一方で、自分がどのような形でサマリーライティングをしているのかについての、メタ的な視点が足りず、どのように指導したらよいのかわかりません。そこで、二つ伺いたいと思います。
①サマリーライティングをpost reading活動として設定する場合の授業手順について
②サマリーライティングの仕方やその指導法について解説している本など
自分のなかでもうまく構成がまとまっておらず、すみません。指導するのは、高校生から大学1・2年生ぐらいのところで、90分授業です。

回答

お返事遅くなりました。指導対象が高校生から大学1,2年ということは,高専の方ですか…?(質問者を特定しにいくスタイル

冗談はさておき,以下,私の回答です。

①TOEFLと最初に書かれているのでテスト対策の授業になるんでしょうか。そうだとしたらガッツリテスト対策だと言ってやるかなと思いますが,そうでなかったら,「なんのために要約するのか」「要約は誰が読むのか」というところを明確にして授業するかなと思います。例えば,自分のリサーチのために読んだ文章を自分があとでレポートを書くために要約しておくのと,他者のために自分の読んだ文章を要約して伝えるのでは要約のベースは同じでもまとめ方とかは変わってくると思うので。ライティングは、読み手の設定を意識したいです。

②研究室にある本をいくつか見てみましたが,サマリーにフォーカスした本はありませんでした。すみません。ただ,要約という行為の参考になるのは、もしかすると日本語のアカデミックスキルを扱った本かもしれないなとなんとなく思いました。私はそういう授業を担当したけ経験があるのですが,日本語だろうが英語だろうが、要約という行為は同じだと思うので,自分がサマリーライティングをやるならそういう教材を参考にするかなと思います。手元にあるものだと『知のナビゲーター』とか『知のステップ』とかでしょうか。

あとは,こういうときこそ,Google Scholar等でサマリーライティングについて調べると多くの実践報告の蓄積があるのではないかとおもったので,大学や学会の紀要に掲載されている実践報告を読むとなにか指導のヒントが得られるのではないかなと思いました。

おわりに

質問来てほしいなとか思いつつ学期始まるとなかなかブログ記事を書くにいたらず遅くなってしまいすみませんでした。

質問したい方はどうぞ。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。