はじめに
福田さんと一緒に書いた明示・暗示的知識について批判的な検討をした論文が,Studies in Second Language Acquisition(SSLA)に掲載されました。
Tamura, Y. & Fukuta, J. (2026). A critical examination of the relationship between explicit and implicit knowledge and language teaching. Studies in Second Language Acquisition. Advance Online Publication https://doi.org/10.1017/S0272263126101946
ざっくりと論文の内容を説明すると
この論文で言いたかったことをものすごく雑に言うと,「明示的知識・暗示的知識って,何かを説明した気になっているけど,実際には説明になっていないのでは?」ということです。さらに,その区別を使うことで,教え方や学習者の理解について何がわかるようになるのか。そこも一度立ち止まって考えたかったんですよね。
授業で教えた文法が,実際の会話ではなかなか出てこないっていうの,言語教師なら誰しもが直面しますよね。こういった現象を説明するために(もちろんそのためだけではないのですけれども),第二言語習得研究では学習者の知識を意識して説明できるような「明示的知識」と,意識せずに使える,母語話者の流暢な言語運用を支えるとされる「暗示的知識」に分けて考えることが広く行われてきました。今回の論文で検討したのは,この区別がそもそも成り立っているのか,という点です。先行研究では,測定の方法にいくつもの問題が積み重なっていました。本来は複数の課題を組み合わせて初めて意味を持つはずの指標が単独で使われていたり,どの課題がどちらの知識を測るのかについて研究者の見解が一致していなかったりします。
さらに,教室場面で使いやすい課題ほど,どちらの知識が使われたのかを切り分けられなくなります。なぜなら,私たちが言語を使う時には,どちらの知識も総動員されるからです。意識的な知識が介入しないと理論的に想定されるような課題をやって暗示的知識を測定しようと思えば,かなり心理言語学的な実験課題をやることになります。でもその課題は,教室の指導の一環としてやるには実際の言語使用からかけ離れてしまうという問題です。
そして,多くの場合,明示的知識や暗示的知識が説明に使われる時には「この生徒は明示的知識はあるが暗示的知識はまだない」という形式になります。
これだと,課題成績の違いから知識の種類を推論したうえで,その種類によって当該のテストの成績の違いを説明していることになり,循環論法になってしまいます。この区別を捨てるべきだとまでは考えていませんが,明示的知識・暗示的知識の話を教室に持ち込むときには,これまで以上に慎重であっていいのではないか?ということで,もしも研究者が明示・暗示という区別を研究で使うのであれば,最低限これだけは守ってくださいねという”Conditional Principles”というものを最後に提案しました(この提案がなにかはぜひ論文をお読みください。オープンアクセスでどなたでもお読みいただけます)。
ちょっとした昔話
明示・暗示についての主に測定の観点からの批判的な検討というのは,2010年代前半頃にメソ研(LET関西支部メソドロジー研究部会)で盛んに議論されていたトピックです。そこから,明示・暗示という知識の二分法を指導法と結びつけることについて,2016年に私自身がこのブログに書いた問題意識(https://tam07pb915.com/2016/08/25/implicit-explicit-instruction/ )をベースに,キソケン世代の田村と福田がたどり着いたアンサーソングがこの論文です。読んでください。どうぞ。
「メソ研はメソドロジーでブーム起こしたけど、キソケン世代は何やってるの???」(大意)
っていう,博士終わる頃だったか関大に就職したころだったかに言われた問い(これを私に伝えてくださった方は覚えていらっしゃらないかもしれませんが,私は当時これを言われたことがまあまあ深く刺さりまして。多分,これ言われた直後に福田さんに「こんなこと言われちゃった。俺はだめだ。」みたいな相談をした気もします)。今回の論文は,自分に課せられたこのデカい問いに対する自分なりのアンサーでもあります。
あと,自分は新谷奈津子にはなれないし,水本篤にもなれないし,浦野研にもなれないし,亘理陽一にもなれないし,草薙にもなれないし、鈴木祐一にもなれないし(敬称略,順番は頭に浮かんだ順です)。俺は田村祐だ。スーパーオリジナル!そんな気持ちもあります(※ハイボール6杯飲んだ時に書いた文章です)。
参考:

ちょっとした出版までの背景
それと,招待論文ではなく,意見論文を通したっていうのも個人的には嬉しいなって思っています。上に書いたとおり,元々は2016年に書いたブログ記事の問題意識があって,どっかで論文にしておかないとな〜と思いつつ,ずっと放置してしまっていたんですよね。それこそ博論の研究をパブリッシュしないといけないなとか,科研の研究のデータを取らないと,とかもありましたし。それでも,明示・暗示に対する問題意識自体はその後も継続して持ち続けていて,でもなかなか論文にするところまでもっていけていない状態でした。数年前には,もう学部の紀要にとにかく出しておくか,というところまでいきました。それ用のメモも残していましたが,それすらできませんでした。
そこから,締切のあるとある国内学会の紀要に出そうと決意して,とりあえずタイムリミットを設けて自分にプレッシャーをかけて投稿しました。ところがどっこい。こういう意見論文って,学会の紀要だとそもそも枠として受け入れられない感じになっているんですよね。実証研究というのがメインだから。実践報告みたいなのはあるけど,データのない論文っていうのは,査読するのも難しいですしね。ということで,まあダメ元で投稿したからそうなるだろうなというのも覚悟はしていたのですが,査読ができないということでデスクリジェクトというクリスマスプレゼントをもらいました。その後すぐに体裁をSSLA仕様に作り直して再投稿しました。
R&Rを2回して,3回目はエディターのチェックのみでアクセプトという流れでした。R1で査読者2人,R2ではR1からの継続1人+新規査読者1人追加で,R2で新しい論点を指摘されて結構がっつり修正もしました。
関連する論文が所収されている書籍もぜひ
10年越しでのパブリッシュ。でも,分野の内側への批判的な論文も出るような流れがある今だからこそ,この問題意識が査読者にも理解されたのかなという気持ちもあります。
ちなみに,「俺はこっちの論文よりブックチャプターの論文のほうが完成度高いと思ってたんだけどな」と福田さんに言われた論文が所収されているのがこちらの書籍。

こちらは,「Psychological approaches to the ‘Dual-System Model’ in SLA」というタイトルで,教育への応用ということだけではなくて,もっと理論的な部分にフォーカスして明示的知識・暗示的知識について批判的に検討しています。以下,こっちのアブストラクトです。
This chapter critically examines the application of dual-system models in Second Language Acquisition (SLA) by drawing parallels with the dual-process framework from cognitive psychology. While the implicit/explicit knowledge distinction has played a key role in SLA theory and practice, recent critiques of dual-system models in psychology — such as logical inconsistencies, oversimplification, and the switch problem — emphasize the need for a deeper reevaluation of SLA’s theoretical underpinnings. By distinguishing between instrumental and substantial views, this study argues that if the goal is to investigate the cognitive mechanisms underlying conscious and unconscious knowledge, the focus should shift from a functional categorization of knowledge (implicit/explicit) to the underlying mechanisms themselves. This approach highlights the limitations of existing models, such as Skill-Acquisition Theory (SAT) in SLA, and advocates for integrating personal and subpersonal levels of explanation to address long-standing questions in SLA. The chapter concludes that a more flexible and context-sensitive integration of dual perspectives is essential for advancing theoretical development and practical applications in SLA research.
認知心理学においても,いわゆる「デュアル・メカニズム」に対する見直し的な動きが起こっていることを援用して,そこでの批判って,SLAの明示・暗示にも当てはまるところ結構あるよね?っていう。
このブックチャプターを書いていたからこそ,今回の論文も書けた,というところはあると思います。実際,SSLA論文でもブックチャプターの論文を引用していますしね。ちなみに,こっちのブックチャプターの原稿に基づいて行ったのが,昨年度のLET全国大会での発表です。この発表に関心を持たれた方は,ぜひ,今回のSSLAの論文も読んでいただきたいなと思います。
おわりに
私の後輩である寺井くんが修論をSSLAに通したとき,まだ博士修了&関大就職直後でトンガリ絶好調だった私は彼に対して,「俺はあんな権威主義の権化みたいなジャーナルには一生出さねーよ」とか言ってたんですよね。嫉妬半分本音半分。あんなデカいこと言っておいて,結局SSLAに出してしまったことを謝ります。ごめん。
ここまで読んだ古参ツイッタラーの皆さんは,田村がTwitterに現れてからの15年のあれやこれやのエピソードと,最強盆栽と英語教育0.2の成長に思いを馳せながらお酒を飲んでくださいな。古参ツイッタラーではないのにここまで読んでくださった方,ありがとうございます。論文読んでいただいて,この問題についてぜひいろんなところで議論してください。
私は久しぶりに,福田さんとZoom飲み会をしたいと思います(いやそんな暇はないかもしれない)。
なにをゆう たむらゆう。
おしまい。
