はじめに
アルクさんのWEBマガジンで書いている連載の第2回が公開されました。公開されたのは先月下旬なので,公開されてからこの宣伝記事を公開するまでに約1ヶ月のタイムラグが実はあるのですが,ちょうど秋学期の開始時期と重なってブログ記事を書く時間がとれず,あれよあれよと今になってしまいました。とはいえ,ニュース記事のように旬がすぐに終わるようなものでもありませんので,このブログ記事を読まれた方にはぜひ読んでいただきたいです。
記事はこちら:第2回 TBLTのメリット・デメリット―英語力の向上だけでは見えないもの) ※ログイン・会員登録が必要です
第1回の内容について,私のところには特に何かコメントや感想が届いたりしてるわけではないので,ど,どうなんかな…と思いながら第2回も書きました。でも,考えてみたらこれまで自分が書いたものに対して反応をもらえたことの方が少ないことに気づきました。なので,淡々と,これからも自分が大事だと思っていることを文章にしていこうと思います。
第2回で書いたこと
第1回の記事を紹介するブログ記事では,3回の連載の山場は第2回だと書きました。本当に山場になっているのかどうかは読者の方々の判断を仰ぐとして,私としては自分があまり書いてきてないけれども,これまでにやってきた関西学院大学での英語科教育法の授業だったり,あるいは神戸市外国語大学大学院での集中講義だったりで断片的に話していた私の考えを文章化した,という気持ちです。
具体的には,タイトルにもあるように,単に英語力を伸ばせるかどうかというところだけではなく,そもそもどんな学習観がTBLTの背後にあるのか,という点です。PPPとTBLTとか,まあTBLTに対する批判とかって,英語力伸ばすかどうかって論点とか,実現性の話になってるような気がしていて。でも私にとって重要だと思うことは,どんな言語教育観でそのアプローチが支持されているか,ということなんですよね。「タスク本」(『タスク・ベースの言語指導:TBLTの理解と実践』)でいえば,第3章の教育哲学の部分です。今回の原稿では,想定読者を考えてあまり専門的なところに踏み込まないように意図的にその話を避けたので,そこに踏み込んでぐいっと論じられているわけではないのですけれども。でも,そこまで深く入りこまなくても,TBLTがどういった学習者の成長を目指しているのか,というところや,学習者の「主体性」というのは必ずしも教師にとって心地よいものであるとは限らないよね,みたいなことを書いたつもりです。
これからの予告
第3回は11月に公開予定です。教科書を使いながらタスク・ベースの授業はできないのか?という話題を扱う予定です。それに加えて,第2回の記事の最後に書いたように,「教師個人の力量だけに委ねないためにはどうしたらよいのか」というところにも言及したいと思っています。今の構想の段階でも,3回の連載で収まらないくらいの内容が思い浮かんでいるので,書ききれない部分についてはこのブログで「番外編」を展開するか,あるいはどっかに文章として残しておこうかな,などと思っています。
おわりに
第1回の宣伝記事に書いたことの繰り返しになりますが,どの校種の先生方にも,あるいはどの言語の教育に携わる先生方にも興味を持っていただけると思っています。ぜひ,ご登録いただき,連載をお読みいただければと思います。厳密に言えば「対バン」ではないのですが,今号には,私が若かりし頃からお世話になっている亘理先生の記事も掲載されています。
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なにをゆう たむらゆう。
おしまい。
