研究計画の立案てセンスなの?

querie.meでいただいた質問への回答シリーズです。

質問

一貫性博士課程の学生です。一応、入試をパスして博士課程に進学できたのですが、研究計画を立案して、文書としてまとめるというフェーズがとてつもなく苦手です。研究自体は好きですが、それを論文にする前に見通して計画を立てるということが得意ではなく、課程の他の授業でプロジェクトを立案して何かするという授業では、いつも〆切間際になってやっつけで乗り越えるということを繰り返しています。指導教員との関係性は悪くないですが、この点については「センス」といったような言葉で返されてしまうので困っています。たしかにセンスなのかもしれませんが… どうすれば現状を打破できるか、Tam先生のお考えを聞かせていただけたら嬉しいです。

https://querie.me/answer/9cKtrIviBAJmEoMHQ9RZ

回答

いやセンスではないだろう,というのが個人的な感想ですね。締め切り間際に…のところは,その前段の話に限ってのことなのか,あるいは基本的には締切間際にならないとこなせない性格なのか,みたいなところは分けて考えたいところですよね。もしも,研究計画を立てるということに限って締切に追われないとできないのであれば,おそらくですが,その全体の作業を分解してスモールステップにできていないからこそ,全体の作業量の見積もりができなくて後回しになってしまうのかなと思ったりします。私も,作業の見通しがすぐに立てられないお仕事は結構すぐに取り組むのが苦手な性格なので,そのあたりは結構共感できます。

それから,博士課程の何年生の方かは書いていないのでわからないのですが,もしもD1やD2の方であれば,そんなに焦る必要もないのかなと思ったりもします。というのは,私は世界的にも非常に珍しい全寮制の大学院に通っていました。そこでは,毎日のようにクマみたいな見た目の先輩から,「おい,なんか研究のネタ思いついたか」と言われる生活を送っていました。ブログでも過去に書いたことあると思うのですが,D1のときの私はそんなにネタも思いつかず,毎日ハゲそうになるくらい頭を掻きむしっては悩んでいました。今はなにか論文を読んだり,学生の素朴な疑問を受けたりしたらそこから研究のアイデアが浮かぶようになりましたが,そういうのができるようになったのはD2以降かなと個人的には思います。もちろん,Mの時代からそういうことができる人たちもいますし,周りにそういう人ばかりだったら自分がそれに比べて劣っていると思ってしまうかもしれませんが。

私は自分が研究者として優れているなどと思ったことは一度も,一ミリもないですが,そんな私でも全寮制大学院での修行のおかげで,D2のときに応募したDC2に採用されてD3-D4は特別研究員制度の恩恵を受けて研究ができていましたし,運良く就職できて今こうやって質問に答えるようなことをするようになりました。生存バイアスはバリバリあるんですけども。Anyway, どうすれば現状を打破できるのかっていう質問なので,学園祭で月曜に授業がないから土曜日から調子に乗っている状態で質問にお答えします。

まずは,研究計画を立てることが苦手というのはアイデアが思いつかないのか,思いついたアイデアを検証可能な問いにできないのか,それを実験デザインに落とし込むのが苦手なのか(実験研究者の思考なので,ここは別のアプローチの方は別の話になるので参考にならずです),とか,研究計画を立てる段階でもいくつかステップがありますよね。そのどこに(あるいは複数個所に)苦手意識があるから取り組めないのか,まずはその把握からなのではと思います。とりあえず,ステップごとに書いてみます。

アイデアが出てこない

単純にインプット不足しかないと思います。読んでないのにアイデアは出てこないです。読んでも読んでも…という感覚があるなら,読んだものを繋げる接着剤になる理論や仮説,モデルに対する理解が不足してる可能性がありますね。前もブログのどこかに書いた記憶があるのですが,やっぱり実証的な論文ばかり読んでいても全体像が掴めなかったりするので,big pictureを示している総説的な論文を読んだり,あるいは自分が「理解できている」と思っていても,その領域のまだ読んでいない入門書・概論書を読むのも非常に有効だと思います。私の研究分野である第二言語習得は,それこそめちゃくちゃこのたぐいの本があるんですよね。それらの一冊だけでは私は全然足りないなと思っていて,やっぱり違う人が書けば切り口も違うので,内容的に重なる部分があっても見方が変わって,自分の知識が重層的になっていった感覚があります。正攻法とか王道というわけではなく,あくまで私の感覚です(私宛に質問いただいていて私の感覚を述べ手はいけないということでもないと思うので)。

問いにできない

思いついたアイデアを問いに落とし込むっていう作業は,個人的にはそのアイデアをどういう要因を扱うことによって検証できそうかっていうところに落とし込むことができそうかが鍵なのかなと思います。これができるためには,まずその領域の研究でどういう要因が扱われているのかを知っていることが重要ですよね。知らなかったらそれこそ文献調査です。こういう問いを調べようと思ったら,こういう方法が先行研究なら使われているのだなとか。自分の調べたいことドンピシャの研究が見つからなくて,「かすってる」研究が複数見つかるのであれば,そのギャップはまさにその研究の価値かもしれないですしね。もちろん,先行研究がないことがそのまま価値につながるわけではないということは重要なのですが(これは自分も過去に出版した論文で一度も使っていない論法というわけではないとは思うのですが,今となっては使いたくないです)。これは私のゼミ生や,進学希望の方にもお伝えしているのですが,「XXXXという先行研究がない」ことは,「その研究をやる価値がない」という可能性もあるわけなんですよね。となると,先行研究がないということとは別の軸で,その研究の必要性を訴えることが求められるわけです。それができれば,「ドンピシャ」がないことはむしろ自分の研究の重要性が高まることになると思います。こういうのは,生成AIで調べるのも向いているかなと思いますね。最終的に論文は自分で読むにしても。

実験デザインに落とし込むのが苦手

これは私が実験研究をしている研究者だからそういう発想になっているのであって,そうではない研究をされているのであればおそらく的外れなので読み飛ばしてください。

問いにできたら実験デザインに落とし込むのはそんなに難しくないのかなとは思いますが,この部分ではおそらく方法論の知識がある程度必要になってくるのかもしれません。「問いにできない」の説と関係すると思うのですが,何か調べたいことがあっても,その問いを実際に調べようと思うと,そのままでは調べられないこともありえます。その際に大事なのは,先行研究でどういう方法論(課題)が使われているのか,ということなんですよね。私がぱっと思いつく自分の研究に関係する手法で言えば,文法性判断課題なのか,自己ペース読み課題なのか,自由発話課題なのか,語彙性判断課題なのか,プライミング課題なのか,とかそういう話です。自分でゼロから新しい課題を構築するのは相当にハードルが高い(その手法が自分の調べたいことを調べられているのかというところを担保しないといけない)ので,既存の研究が使っている手法を使う(または流用する)ことになると思います。

課題だけではなくて,その課題で何を調べるか,という事象の話も関係しますよね。例えばですが,私にとって初めての国際誌掲載論文は,先行研究の扱っていた事象をそっくり借りてきています。

Tamura, Y., Fukuta, J., Nishimura, Y., Harada, Y., Hara, K., & Kato, D. (2019). Japanese EFL learners’ sentence processing of conceptual plurality: An analysis focusing on reciprocal verbs. Applied Psycholinguistics, 41, 59–91. https://doi.org/10.1017/S0142716418000450

やっていることはシンプルな自己ペース読み課題で,扱っている現象はガーデンパスです。つまり,最初の解析が間違っているとわかると,再解析のために読み時間が長くなる,という話ですね。ガーデンパス文の処理,というのはよくやられる手法であるわけですが,この研究では,概念的複数性の解釈というのをターゲットにしました。数(number)というのは私の研究の関心の非常に大きな部分を占めているものなのですが,それが関わる話ですね。これは確かD2くらいのときに計画をしだして,当時の大学院の後輩といっしょにやった研究です。

これは結構研究者によって判断が分かれるところなのかもしれないのですが,私は研究のキャリアが浅いうちは,まずは既存の研究の「真似事」から始めてみたほうがいいと思っています。もう少しかっこいい言い方をすると,「追試」ですね。「追試」というのは一応ちゃんとした定義のあるものだし,それが近年確立されてきていますが,「追試」の概念を拡張していったらどんな新しい研究でも追試みたいなもんだと私は思っています(私の領域だからかもですけど)。

そのために必要なことは,「寄せる」ことだと思うんですよね。つまり,自分がもともと持っていた問いを,先行研究の蓄積の上に「乗せられる」ようにすること。そういう経験を重ねていくことで,自分の研究がどんどん形作られていくのではないかなと思います。

最後に

センスじゃないのではと最初に書いた話に戻りますね。これは語感かもしれないんですが,私の中では,センスというのは努力して身につけることができないもともと備わっているその人の才能みたいな意味だと思っているんですよね。実際に,人よりそこまで努力せずに多くの人よりも何かがうまくできてしまうっていう人はいますから。でも,研究計画の立案をセンスだと言ってしまうと,それって伸びしろを否定していることになってしまわないのかなと思ってしまうんです。私は,自分がセンスがあってここまで研究をやってこれているという感覚がないです。それこそ,私が全寮制の大学院でお世話になったクマみたいな人とか,あるいは小人みたいな人とかは,私から見たら「センス」なんですよね。でも,彼らが自分がセンスを持っているかと聞かれたら,おそらくそうではないと答えるだろうなという気もします。彼らも,ものすごい努力をしたからこそ「センス」と言われるようなものを得たのだという。まあ,努力できることも「センス」理論を持ち出したらおしまいなんですけどね。

ちょっと話がそれましたが,「センス」って言われたらどうしようもないじゃん,みたいな感覚が質問者の方にはあるんじゃないかなと思うのです。だからこそ,どうしたらいいのだろうと思って私に質問してくださったのかなと。私は,「センス」が決定打になる領域ってめちゃくちゃ上澄みの話だと思うんですよね。私みたいな平々凡々の研究者レベルであれば,センスは関係ないと思います。質問者の方がどこを目指しているかわからないですけれど,博士後期課程に進んで,アカデミアでこれから生きていくという決意があるのであれば,センス(もあるかもしれないけれども)それだけではなくて,研究の勘所を抑えることで現状は打破できるのかなと思います。センスとかいう言葉使ってる時点で指導放棄じゃねーのかとは言いません。

おわりに

なんかここまで書いて,もしかして,「文章にまとめることが苦手」っていうのが一番のボトルネック?って考えたりもしたのですが,もうお酒が足りなくてこれ以上の文章を書くことが困難なのでお許しください。頑張ってください。

私に質問したい方は下記URLからどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

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