サッカーと英語教育の交差点(2)

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はじめに

先日書いた以下の記事の続編です。サッカーに全く興味がないという方もいらっしゃるかもしれませんが,そういう方もぜひ「急に脱線しますね」のセクションだけでも読んでいただけると嬉しいです。

サッカーと英語教育の交差点(1)

下記の本も読み終わったので,本の中で英語教育と結びつけて考えられるなと思ったところを引用しながら記事にしたいと思います。

前回書いたことをざっくり振り返ると,要するにサッカーというスポーツの競技力を向上させることと,言語能力を向上させることの間には共通点がたくさんあるんじゃないかということですね。そして,そのキーワードは「複雑系」です。これまでも,言語能力の発達を複雑系で捉えることだったり,あるいは特にTask-based Language Teachingの文脈で身体技能の発達を例にとって言語能力の発達を捉えるみたいなことは「話の種として」出されることはあったように思います。

私が記憶している中だと,浦野先生が自転車に乗る話の例を出したり,松村さんがジムでゴルフのトレーニングをする子供の話をだしたりという感じです。この戦術的ピリオダイゼーションの本は,そういった例をもう一つ上のレベルに引き上げてくれると思っています。なぜなら,サッカーという複雑なシステムを捉える目を持ちながら,それを具体的にどうやってトレーニングに落とし込むのかという視点もあるからです。もちろん,サッカーの練習のことを学んだって,と思われるかもしれませんが,サッカーという複雑なゲームをどうやって要素還元主義に陥らずにトレーニングに落とし込むのかという「考え方」それ自体は,言語能力という複雑なものをどうやって要素還元主義に陥らずに指導できるか,ということを考えるヒントを与えてくれると思うからです。

よって,サッカーに興味がある言語教育関係者はとにかく上記の本を読んでみることをおすすめします。途中の具体的なトレーニング例は,何を意識しているのかさえ理解すればあとはさっと流し読みする程度でいいと思います。

急に脱線しますね

長々となってしまうかもしれないので,先に結論言っておきますが,私は戦術的ピリオダイゼーションのような考え方でサッカーの練習を考えるのと非常に似た思想がTask-based Language Teachingであると思っています。また,タスクとはなにか,とかタスクの定義,と言われるようなものがなぜ大事であるのかというのは,タスクでなくてはいけないから,とかそういうことじゃなくて,その定義を満たすような活動(サッカーでいえば練習)を設計することによって,実際の言語使用場面(サッカーでいえば実際の試合)を意識したトレーニングをすることができるからです。よって,「これってタスクですか?」「それはタスクではありません」みたいなやりとりが不毛なのはその部分の共通理解が不足しているからだと思っています。つまり,実際に私達が言語を使用する時の状況に近づけるように言語活動を設定しようと思ったときに,その指針としてタスクの定義というものが有益であるということです。

実はまさにこのことをテーマにした共著の論文を昔書いたことがあります。

福田純也・田村祐・栗田朱莉(2017)「中学校教科書における口頭コミュニケーションを志向した活動の分析―第二言語習得研究におけるタスク基準からの逸脱に焦点をあてて―」JALT Journal, 36, 165182.

この論文は無料で読めるし日本語で書いてあるのに(だから?)ほとんど引用されることがないのが悲しいですが,タスクの定義( e.g., 意味中心,ギャップがある,リソースの指定がない,結果としての成果がある)というものを使ってコミュニケーション活動を良くするにはどうしたらいいかを研究の知見を借りて考えてみましたというような論文です。別に目新しいこと言ってるわけでもなんでもないんですが,タスクの定義というものがなぜ実践的に価値があるのかについて述べた論考です。

「サッカーはサッカーでしかうまくならない」

さて,ここからが本題です。

前回の記事でもこのことが書いてある一節を紹介したのですが,もう少し具体的なことが書いてある箇所を引用します。

例えばハードな筋力トレーニングをこなしたにもかかわらず、実際のゲームやトレーニングでのデュエル(1対1の競り合い)に勝てないという現象はよく見られる。だが、実際にプレー中に起きる「ぶつかり合い」を分析してみると、そこにはあまりにも複雑なプロセスが関連していることがわかるはずだ。相手がどの方向からどのような状態で自分に向かってくるのかを認知すること、その場面における最適なプレー方向やプレー方法を選択するための意思決定をすること、相手をブロックしながらもボールのコントロールを失わないための身体のコントロールを維持することなどを一瞬のうちに同時並行で行うことが求められる。しかも、このような複合的な動作は90分の間休むことなく続き、しかも自分の他にも味方の10人、相手の11人も同様の意思決定を行い続けている。このように考えると、単純な筋力トレーニングだけで試合におけるデュエルの勝率を改善するのは不可能とは言わないが、効率が悪いのは間違いない。

山口遼. 「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編 (Japanese Edition) (Kindle Locations 151-160). Kindle Edition.

「筋力トレーニング」の部分を何かしらの下位技能のトレーニング(発音練習とか単語を書いて覚えるとか)に置き換えて考えれば,言語能力を高めるトレーニングと実際の言語使用の間のズレの話でも同じことだと思います。つまり,実際に言語使用する際には(単一の技能だけに限らずどの技能でもまたは技能統合が要求される場合でも),非常に複雑な意思決定が瞬時に求められますよね。もちろんサッカーの試合のように90分みたいな時間それが続くことはあまりないにせよ(ただ,極端な話10秒以内で完結する場合もあれば,仕事で英語を使うみたいな場面なら90分どころか1日中というケースだってありうる)。だからこそ,教室の中でどれだけリアリティを意識させながらトレーニングするかというのが重要になってくるわけです。前述のように,そのヒントとしてタスクの定義はヒントになりそうだよねということです。

トレーニングを要素や局面ごとに分割し、例えばパスだけ、シュートだけ、1対1だけ、というような環境との相互作用が存在しないトレーニングを行うと、実際の試合で経験するリアリティが欠けた状態になってしまう。ゆえに、戦術的ピリオダイゼーションでは、サッカーを構成する要素が包括的に含まれていることが推奨されている。

山口遼. 「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編 (Japanese Edition) (Kindle Locations 354-357). Kindle Edition.

「包括的に含まれている」という部分と,「環境との相互作用」が大事だと思います。つまり,サッカーというのはその試合を構成する要素や技能に分解して練習し,それを向上させてもチーム全体のシステムの向上にはつながるわけではない,とか,個々人の能力の向上がチーム全体のシステムの向上につながるわけではない,といえそうです。

ただし,それってじゃあひたすら試合と同じ11対11の試合をやるしかないってこと?って話になりますよね。著者の主張は(もちろん私の主張も)そういうことではありません。

システムの中にあるサブシステムに着目し,そのサブシステムを対象としたトレーニングを行うことが推奨されています。

戦術的ピリオダイゼーションで推奨されるトレーニングは、「試合で起こる状況や構造を再現し、パフォーマンスを様々な階層間で最適化していくこと」と言い換えることができる。

山口遼. 「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編 (Japanese Edition) (Kindle Locations 384-386). Kindle Edition.

例えばサッカーでは,自陣からパスをつないで相手の守備をくぐり抜けて前進していくことをビルドアップと言ったりします。そこで,ディフェンスの選手がどうやって相手のプレッシャーを回避して中盤の選手や前線の選手にボールを届けるのか,という部分のトレーニングをするとします。これがサッカーというゲームの中のある種のサブシステムといえます。そして,そのサブシステムの中でもさらに,例えばDFラインのサイドの選手にボールが入ったときに守備的な中盤の選手(ボランチといわれる役割の選手)がどうやってサポートに入るのかといったもっと小さなサブシステムにフォーカスして,このサブシステムがどうなれば上位のシステムや全体のシステムが向上するのかを考えるということです。

言語使用をシステムだと考えるのであれば,じゃあその時のサブシステムとは何になるか,というのは考えてみる価値のある問いではないかと思いました。また,そのときに,どのような規模のサブシステムを取り出したときにも共通する構造(この本ではサッカーでいうそれは「ボール」,「目的地」,「スペース」,「切り替え」などだと言われています)を見つけることができれば,それを含んだトレーニングを考えればよいことになります。この点は私の中でも答えはまだ出ていませんが,実践編としてトレーニングメニュー実例集というのが第4章にあります。ここでゲームモデルをどうやってトレーニングメニューに落とし込んでいるのかを読み解くことで,その考え方を概念的に言語指導にも応用できないかを考えることはできるかもしれないと思っています。

おわりに

本当は,このあとのセクションで上掲書のもう一つの肝であるゲームモデルとプレー原則という話も英語教育に引きつけて語ることができそうだなと思ったのですが,複雑系の話に出てくる概念やサッカーの説明が思いのほか長くなってしまい,1つの記事にまとめると10,000字を超えてしまいそうでした。そこで,とりあえず第2弾の記事はここで一旦おしまいということにして,第3弾でゲームモデルとプレー原則の話をメインとした記事を公開しようと思います。前述のとおり,上掲書には実践的な部分も含まれていて,具体的なトレーニング方法についても豊富に紹介されています。この第4章の考察も第3弾かまたはその次の記事として書けるかなと思います。そして,第5章ではゲームモデルを持たないのに優れたシステムとして機能しているように見えるチームの例としてスペインのレアル・マドリーが紹介されています。このレアル・マドリーはどういう仕組みでうまくいっているのかについての分析も非常に興味深く,レアル・マドリー的なアプローチも言語教育の視点で考えることができると思いました。このこともまたブログに書こうと思います。というわけで,2本で終わるつもりがなんだかこのブログ始まって以来の大型連載みたいになってきました(笑)

少し前まではブログ書くこと全然ないなと思っていたわけですが,やっぱりインプットをすれば何かを書きたくなるもので,インプットが足りていなかったのかなと今は思っています(インプットしていなかったわけではまったくないんですけどね)。夏休みで時間に余裕がありますし,専門の本も,そうでない本も,もっと読む夏休みにしたいなと思います(もちろんそれ以外にもやることはあるしやってるんですが)。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

サッカーと英語教育の交差点(2)」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: サッカーと英語教育の交差点(3) | 英語教育0.2

  2. ピンバック: [読書感想] ナーゲルスマン流52の原則 ① | 英語教育0.2

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