
さて,恒例の酔っ払ったので過去のことを振り返ってみるブログ記事の更新です。今回は「自律」という部分について,それを自分がどのように身に着けていったのかなというのを考えてみます。
幼少期のサッカーの経験
これはかなり大きいと思います。私は幼稚園の年少から地域のサッカークラブに入っていて,小学校の6年生までそのクラブでサッカーをやっていました。途中,サッカーの練習に行くのが嫌だと思ったこともありましたが,続けてました。このサッカークラブでの経験が大きかったなと思うのは親元を離れて合宿を毎年していた経験だったのではないかなと思います。
毎年夏と春に一泊二日ないしは二泊三日での合宿がありました。おそらく,ほとんどの小学生にとって親元を離れて過ごす機会というのは学校での宿泊行事(移動教室とか修学旅行とか)がメインになると思います。ただし,私は小学校の低学年のときからサッカークラブの行事を通じて宿泊行事に慣れていました。持ち物の準備,部屋で身の回りの整理整頓をすること,規則正しく行動することなどは,きっと幼少期からサッカークラブに所属していたことがきっと大きいんだなと思います。おねしょも割と大きくなってからもしてた記憶がありますが,宿泊行事では絶対しませんでした。
宿泊行事となると,様々な場面でいろいろな管理を求められるようになります。朝何時に起きるかだけではなく,何時に試合があるからそこから逆算してこの時間にはウォーミングアップを済ませておくとか,昼食のあと何時間後に試合だからそれを見据えて食事を摂るとか。もちろん朝早いから寝る時間も考えないといけませんし。「あれがない,これがない」ということがないように,荷物を常に整理整頓して自分が必要となるものがすぐにみつかるようにしたり。そういうことを,個人,そして仲間とともに経験したことは,自分が意識していないレベルで自分のベースになっていると思います。そういう費用を負担してくれた親には感謝しないといけません。
親が離婚したこと
20歳(大学2年次の夏)の時に両親が離婚して母親が出ていきました。この頃から,食事を基本的に自分で作るようになりました。朝は食べないか車での通学途中にコンビニに寄ってサンドイッチを買って運転しながら食べるみたいな感じでした。余裕があれば朝起きて自分でサンドイッチを作っていったりもしていました。もちろん食費は与えられていましたけど,自分の飯は自分で用意する,みたいな環境で過ごしました。そりゃぁ大学生ですから友達と夜ご飯を食べたり,飲み会があったりということも頻繁にはあったわけですけど。どっかで書いた記憶もあるんですが,サークルの友達は一人暮らし組が多かったので,「実家組はいいよなぁ」なんて言われたりして,「いや俺実家だけど帰ってもご飯は自分で作らないとないけどね」って思っていました。大学3-4年生くらいのときは大学近くで家庭教師をやっていました。家庭教師っていうと夜ご飯をごちそうになってみたいなエピソードを聞くこともありましたが,缶コーヒーくらいでしたね(別にそのことは全く不満に思ってもないです)。ただ,サークル終わりに家庭教師をやって21時くらいに帰途についてそこから御飯作るみたいなのは結構しんどかったです。もちろん帰り道に外食して帰るとか弁当買って帰るみたいな選択肢だってあったしたまにはそうしていたわけですけどね。
自分の飯は自分で用意するというのはすなわち食料品の買い出しも自分で考えてしないといけないわけで,帰り道の国道添いにある業務スーパーに寄って保存期間の長い食品を買ったり,西友で安い食料品を見繕って買って帰ったりすることが日常的にありました。そういう経験は,のちにアメリカで自立した生活を送る(もちろんルームメイトはいましたけど親に頼らないで生きる)ことや,その後名古屋で4年間の大学院生生活を過ごす際の基盤になったと思います。
こういう経験は人間として生きていくうえで身についていてよかったなと思います。自分のケツは自分で拭く精神が身についたというか。
What doesn’t kill you makes you stronger
ですね。
なにをゆう たむらゆう。
おしまい。
