手元に蓄積されることと共有されることのバランス

はじめに

ひと月前くらいからぼんやり考えていて,ブログにまとめようと思っていてなかなか時間が取れなかったことを書きます。

教科書に何かを書き込めるということは,書き込んだことがいつも学習者の手元にあり,それがいつでもその学習者自身にとって閲覧可能な状態であるということです。その一方で,その状態ではクラスメイトと学習の過程や成果を共有することは難しくなります。そんなジレンマの話。ちなみに,語学授業のことを念頭に置いています。

教科書(または配布資料)への書き込み

語学の教科書には,なにかと空欄があって,そこを埋めることが学習となることがよくあります。数学なんかだと問題自体は教科書にあって,その計算の過程なんかはノートに書いていくみたいなことが多いような自分の小中高の記憶がありますが(大学はどうなんでしょう?),語学の教科書はノートというものを学習者が教科書とセットで使うということがたぶんあんまり想定されていないですよね。中高の英語の教科書はいわゆる「本文」の扱いが大きいからか,大学で使われるような教科書よりも書き込みが求められる部分が少ないようなイメージもあります。とはいえ,教科書に書き込む(それが穴埋めだったり選択肢を選ぶものだったりあるいは短文回答だったりする)ことは語学の授業では日常的に観察される光景だと思われます。

教科書に書き込まれた答えを共有するのは口頭で周りの人と話し合ったり,あるいは教員が学習者を指名して発言することで行われることが多いと思います。その「共有」という営みは,教室の授業の時間の中で行われ,(真面目にメモを取ったりしていない限り)その場で流れていってしまうことになります(そして多くの場合,間違っていたら直す程度で他の人のコメントなりをメモする学習者はかなり少ないと想定されます)。多肢選択の答え合わせ程度であれば,それでも特に問題はないと思いますが,答えが一つに定まらないような問いに答えるようなケースであれば,できるだけその共有がどこかに「ストック」されているほうがいいなと思うことがよくあります。

一方で,教科書をベースにしていても,いわゆる「ワークシート」と呼ばれるような配布物を授業中に配布して,そこに何かを書き込ませる形で授業を進めていく先生も多くいらっしゃると思います。教科書をより発展させたスピーキングやライティングの活動だったり,あるいは教科書とはまったく独立したものをワークシートとして提供したりするケースです。この場合も学習者はそのワークシートに何かしらを書き込み,上で述べたのと同じような共有の過程が授業の中で行われるでしょう。

いずれの場合においても,ペアワークやグループワークを通じてクラスメイトとの意見の交換が求められ,それをメモするスペースが確保されているような場合にはクラスメイトの意見と自分の意見が同じ場所に「保存」されることになります。そうでなければ,先述のように共有のプロセス自体は授業中に行われていてもその共有物自体はそこで流れていってしまうでしょう。

LMSやクラウドサービス等を通じての共有

コロナ禍で「オンライン授業」が全国的に広がったことを背景に,学習者が学習に取り組んだその成果物が教科書に書き込まれたままでは以前のように教室内での共有が難しくなりました。そこで,それを補完する目的でLearning Management System(LMS)やDropboxやGoogle Drive等のクラウドサービスを通じて成果物の教員-学習者間,そして学習者同士の間で共有されるようなケースもでてきたと思います。こうしたオンライン上での共有サービス利用のメリットは,(その仕組み構築のやり方によっては)共有されたものが「流れていってしまう」ことを防ぎ,「ストック」されていくことです。

私の勤務先の大学では,2020年度の秋学期,そして一部オンライン授業もありましたが2021年度も基本的には対面授業が行われました。オンライン授業で得られたそうしたLMSやクラウドサービス等を対面授業でも継続して活用し,対面授業の中でも共有のプロセスが流れていってしまわないようにされた先生方もいらっしゃったのではないでしょうか。

このとき,例えばこれまでであれば教科書に書き込んでいたようなものをLMS上に移植することで,各学習者の答えが教室内だけではなくオンライン上で共有され,そしてそれがいつでも学習者にとってアクセス可能な状態にできるというメリットが生まれます。こうした方法を利用することによって,正答・誤答があるような問題であれば,その場で誤りの傾向に対してフィードバックができるというメリットも生まれます。

オンライン上での共有の問題

ところが,いつでも学習者にとって利用可能であるということはメリットである一方で,デメリットもあります。なぜなら,そこ(オンライン上の共有された場所)にアクセスしない限りは利用可能性がないという点です。もちろん,LMS上にログインしてその授業のページを開いて教材をクリックするとか,あるいは教員から送られてきたリンクをクリックすることのハードルがそこまで高いとは言いません。そうは言っても,手元にある教科書を開いて閲覧することに比べると圧倒的にオンライン上へのアクセスを手間だと思う学習者は多いでしょう。そうなると,自分の学習のために共有されたものが教員側の想定のように活用される可能性は,そうした活動を教員側が用意して導かない限りは限りなく低くなってしまうでしょう。

さらに,多くの場合こうした共有物はオンライン上で別々の場所に保存されることがほとんどだと思います。どうやって頑張って工夫をしたとしても,実在物として教科書1冊のなかにまとめられている,あるいはワークシートがファイルにまとめられているというような一覧性を確保することは難しいでしょう。ここに,共有を重視することによってもたらされる弊害が見えてきます。

蓄積と共有のバランス

例えば,過去記事で紹介した『Getting Things Done [Book 1] Tasks for Connecting the Classroom with the Real World』(GTD)のUnit6 “Daily scenes”では,最後の活動で自分の学校の中のある場所を描写するライティングの課題が設けられています。この描写課題は教科書に書き込むスペースが設けられていますので,授業内で他の学習者の書いたものを読む機会を与えたりしない限りは共有ができません。じゃあ,ということで,これは教科書に書かせずにLMS上でタイプして提出させる宿題にすることにしたとします。こうすることで,例えば下の画像のような形で他のクラスメイトの書いたものを一覧で見ることができるようになります。

私の担当した授業の一つで課題として出したエッセイ課題の学生のプロダクトの一部(学生からの見え方)

このような共有の形をとることで,クラスメイトの書いたものと自分の書いたものを様々な観点から比較することができます。特に,ライティングのクラスでは(ちなみに上の画像はライティングのクラスではないです),クラスメイトのプロダクトが閲覧可能な状態であることが自身の学習に役に立ったというコメントを多くもらいました。先ほど例にあげた”Daily scenes”のユニットの最後の課題であれば,読んだ上でどの場所についての描写なのかについて答えさせるリーディングの活動につなげることもできます。

一方で,オンライン上で共有させることで教科書自体にはプロダクトが残りません。もちろん,教科書に書いたものを写真にとってその画像ファイルを提出させるという手段はありますが,やはり画像ファイルはテキストよりも一覧性が落ちます(一つ一つファイルを開いて閲覧しなくてはいけないため)。教科書に学習の成果が蓄積されていくことと,その成果をどのような形で共有し,それによってさらなる学習を生み出していくのか,そのバランスというか良い方法を探っていくというのが,2022年度に意識しようかなと思うところです。結局の所,共有についてもただ共有という状態を作るのではなく,そこから学習を生み出す仕掛けを教員側が用意する必要があるだろうなということは感じています。来年度は新しく担当する科目もあるので,そういった仕掛けをどう組み込んでいくのか,この春休みに少し考えてみようと思っています。

おわりに

この記事では,教科書に書き込むことのメリットとデメリットについて,プロダクトの共有と学習成果の蓄積という観点から考えてみました。教科書を作るという経験をしなければ,そしてコロナ禍が続いてオンライン授業が緊急避難的なものではなくalternativeとして機能するレベルにならなければこうしたことにも考えが及ばなかったかもしれないと思います。2021年は,授業のことについて書こうと思っていたのですが,結果としてほとんど授業に関する記事がアップできない年となってしまいました。2022年は少しはそういう記事も書けたらなと思います(控えめ)。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

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