「仕事に慣れる」日は一生来ないっぽい

はじめに

就職して2年目に,下記の記事を書きました。

「2年目のが忙しい」説

就職して1年目が一番忙しいのか,2年目の方が忙しいのか,みたいな話です。当時の自分の感覚としては,2年目のほうが慣れてくるので忙しいと感じる度合いが低くなるという結論でした。

さて,そこから3年ほどが経ち,今は5年目です。そして,表題のようなことを考えた,というのが今回の記事の内容です。

1つ慣れたらまた新しい仕事が増える

これはここ数年感じていることなのですが,ある年に新しく仕事を覚えて,それがその次の年度も継続することがわかっていると,「だいたい仕事はわかってきたから,来年度は少し余裕ができそうだな。」と思ったりしてきます。しかし,そう思っているとその次の年度に新しく別の仕事をやることになる,みたいなことがほぼ確実に発生している感覚があります。少し余裕ができそうだな…なんて思っていたら何か頼まれる,その繰り返しです。

考えてみればそれは当たり前の話で,同じことの繰り返しでは成長もありません。また,年を重ねればそれだけ任される仕事も増えてくるのは当然のことです。しかしなぜか,私は年を重ねるごとに仕事に慣れてくるので時間的・精神的余裕が出てくると思い込んでいました。しかし,そんなことは一生ないなということに比較的最近気づきました。

任される->任せてもいいと思ってもらっている

仕事って,増えないほうがありがたいじゃないですか。誰だって,同じ給料なのであれば仕事の時間は短いほうがいいと思うでしょう。そう思わない仕事大好き人間もいるでしょうけれども,私はやらなくていいならやりたくはないよねっていう気持ちのほうが強いです。

しかしながら,ポジティブに物事を捉えれば,仕事を頼まれるのはその仕事ができると思ってもらっているからで,それはすなわち自分自身の評価であると考えることもできます。この人に頼んでも碌なことにならなそうだとか,この人じゃ回せなさそうだと思うような人には仕事を頼まないでしょう。そういう印象のようなものは,自分が今までやってきたことの蓄積に対する評価です。自分が直接関わりのある人であれば,その人との関係性とかも判断材料になるでしょう。直接関わりがなかったとしても,自分が関わりのある人が自分に対してポジティブな印象を持っていたとすれば,それが「評判」となって別の人に伝わっていくことはありえます。

「圧倒的成長」とかは言わないけど

私の抱えている仕事は,同僚の私よりも忙しい他の多くの先生方の数分の一ですので,別に私は忙しいとかなんとか言いません。そして,「えーうそん」と思うような依頼があったときに,「これは大変かもしれないけれど,圧倒的成長だ!」みたいなことを言ったりもしません。ただ,そういう時期もあるし,それが自分の学びや成長につながると思えることであれば頑張ろうという気持ちでいます。

幸いというか,私は割りと自分が関わりのある方々に対してのloyalityが高いという自負があります。したがって,そういう関係のところから来るお仕事であれば,「この人のためなら頑張ろう」という気持ちになります。そして,そういう関係ってとても大事だよなと思うわけです。私はまだまだ各所にお仕事を頼むような上の立場ではありませんけれども,そういう立場になったら,私自身がそうやって「この人のためなら頑張ろう」と思ってもらえるような,そういう人間でありたいなと思います。

余裕が出てきたら研究しようは無理

結局はここにつながりますね。来年度はもう少し余裕ができそうだからもっと研究を…とか思っても,絶対何か新しく仕事が増える。よって,余裕ができそうな来年度なんて一生来ないわけです。だからこそ,強制的に研究の時間を確保する工夫が求められるんですよね。一周回ってここに戻ってきたように思います。

要するに,自分が意識的にコントロールしないといけないことであって,偶発的な要因とか自分がコントロールできない要因の影響が絶対にあるので,そういうことの影響を受けないような態勢でいないと容易に仕事に忙殺されてしまうということですね。

おわりに

なぜこういう記事を書こうと思ったかというと,2021年の後半から2022年の前半は自分のこれまでの人生の中でもすごく大変な時期を過ごして,そこから戻ってきてはいるのですが,2023年は今から自分でも少し不安があるくらい忙しくなりそうだからです。様々な変化がドッとやってきそうなので,そこに対して今から心の準備をしておかないといけないなということを思っていたときに,今回の記事に書いたようなことを考えたのでした。

ということで,ひと月ぶりのブログ更新でした。秋学期も頑張ります。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

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