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不明 のアバター

Yu Tamura について

第二言語習得の研究者。博士(学術)。英語教育のことや統計・データ分析に関わること、趣味のサッカーのことなどについて書いています。

僕が言いたかったこと

どうもみなさんこんばんは。

どうやら僕がRSSとばして見てるブログにコメントつけてTwitterに流したらそっからちょっと盛り上がって、そのことで件のブログの方がdisられたから反論する。という以下のような記事をお書きになっていました。

ツイッターでディスられていたので反論

一応僕が火付け役でこういうことになってしまったので反論への反論ということで書いておきたいと思います。僕が最初にTwitterにながしたブログ記事はこちら。

音読・暗唱至上主義はやめよう

とりあえず僕のツイートだけ直接引用しときますが、それ以外のつぶやきはまとめを作ったのでそちらを御覧ください。以下僕がこれから述べることは僕自身の見解であり、ワタリ先生やウラノ先生にはそれぞれこの反論記事に対して仰りたいことがある(あるいは逆に何も言うつもりはない)ということがあると思いますので、そこはご了承いただきたいと思います。

僕が最初のツイートで言いたかったのは、音読や暗唱の至上主義(音読できることや暗唱できることを最終のゴールとすること)はともかく、低熟達度話者や初学者はどうしても機械的な練習や、closedなoutput活動の割合が多くなってしまうのはやむをえないし、その割合が熟達度があがるごとに減っていけばいいしそうあるべきだという程度の意味です。

2つ目に関しては、「よくわからない日本語(おそらくジャーゴン)」ということで、たぶん「ジャスティス大会」というのが意味わからなかったところであろうと思いますのでその補足をさせてください。

僕が言ったのは科学的であることを厳密に追求しすぎるといえることって結構限られていて(推測統計を用いて結果を一般化するデザインであってもその母集団というのが英語学習者全体になることはほぼないわけで)、そんでそういう科学的な側面に慎重になった上で英語教育に何か言おうとすると何も言ってないに等しいような抽象的なレベルの話になってしまいがちであるということ。そこからもう少し下に降りていったときには研究者の中でも微妙にスタンスが違ったり支持するモデルが違ったりして、「科学的知見」の中であってもコンセンサスってないんじゃないのかな。それぞれが自分の正しさを主張しあっている段階なのではないのかな。それほどにまだまだわかってないことってたくさんあるんじゃないのかなという意味です。

それで、まあそのあとの、なんでNationなのよとか科学的ってなによあたりの話に関しては、少し稚拙だったと思っています。

すいません

こちらの勘違いでしたね。

あと僕は「理論を勉強している中高の先生たちを上から目線で馬鹿」にしたことはありません。むしろ尊敬します。中高の先生の激務をこなしつつ理論を勉強するということはそう簡単ではないと思うからです。「自身の体験を唯一の根拠にしている」という人は僕もいつもそれはちょっとなあと思っているので、そのへんは共感します。また、

ここで私が「科学的」の反対として想定しているのが「唯一のソースは自身の体験」である某カリスマ教師のことです。そしてそれは現場で働いている、私の知る限り多くの教員も同様です。私の言う「研究に裏付けられた科学的知見を利用したほうがいい」というのは、理論とは無数の体験の集積なので、理論を学ぶことでもう少しソースの量を増やしませんか、少なくともソース1よりソース100のほうが説得力あるでしょ

というのも前段は同意です。後段の、「理論とは無数の体験の集積」というのは違うと思います。100人の先生の体験を聞いてもそれが科学的知見にはならないと思うからです。複数の事象を説明することができて文脈によらない普遍的で応用可能な原理が理論だと思います。ただし、教育の分野では科学的であることへの反発みたいなのもあって、他の物理や生物のような分野で守られるべき科学性とか実証性みたいなものが、そのまま応用できる、同じ枠組みで研究ができるというわけではないというのが難しいところなんですよね。そういう意味で、SLAみたいな分野っていうのはつらいところがあって、なんでもかんでもlanguage teachingのすべての現場に結果を直接還元できるものじゃない場合も多々あるわけなんですね。そのうえで、「あきらかにこれは今までの研究の成果から判断すると間違っているだろう」というような指導法なりカリキュラムなりを指摘したり、助言をするのが広い意味での言語教育研究者の使命なんだと思います。教室内で発生する様々な要素の影響が言語習得には関係しているとかんがえられるわけですが、それを一番わかっているのは教室で実際に教えている先生方なわけです。ですから、例えば研究授業なんかで大学の先生が見に来てそのあとご助言をみたいなことも結構あると思うんですがああいうのも結構難しいと思うんですね。大学の先生だって、自分の信念はあると思います。ただ自分の信念だけをもって「こうしたほうがいい」あるいは「これはだめ」ということは到底「科学的知見」に基づいたアドバイスではないですよね。そして、そこに保守的になりすぎると、結局学校の先生方が求めているようなレベルでの話にならなかったりして、「結局それを授業にどう取り入れたら」とかそういうことになってしまうわけで、そこが大学教員の先生方が感じるジレンマなのではないかと思っています。

で、Paul Nationへの反論というわけではないのですが、ネットで無料で手に入ったThe Four Strandsという論文を読んだのでそのことを少し。

この論文の中で、Outputをさせることが言語習得に有用であるという文脈で、Izumi (2002)という論文が引用されています。この論文は、Inputとoutputのグループで、どちらのトリートメントがよりnoticingを引き出せたかというのを調べた実証研究です。

僕もこの「気づき」というのに興味があり修論もそれに関するものでした。この先研究を続けることになるとすればこの問題に突っ込みたいと思っているんですが、この気づき関連の研究って、ほとんどが、「どうしたら気づきをより引き出せるか」ということに関する研究で(Izumi先生の一連の研究もそう)、「気づきが増えると言語習得が促進されるのか」ということを研究したものって実は限られているんですね。さらに、この「気づき」っていうものがなんなのかということと、その操作化も難しくて(何に気づかなければならないのか、気づいたかどうかをどう測定するか)「気付きが増えると言語習得が促進される」というのは、「形式に対する注意の量が多い学習者のほうが言語習得が促進された」あるいは「意識的注意のレベルが高いほうが言語習得が促進された」のようなかたちに読み替えられている場合が多いです(cf.Leow, 1997, 1998, 2000; Rosa & Leow, 2004; Rosa & O’Neil, 1999)。そして、このような実証研究で「気づきが大事!」となっていても、学習者の熟達度、EFL or ESL環境(この二分もざっくりしすぎだということは亘理先生がこの前おっしゃってましたが)、ターゲット項目が限られている(Leowの研究はスペイン語の屈折なので英語の習得研究ではないです)という点には注意する必要がありますし、英語のどの項目(form)に対して気づきが習得を促進するのかしないのか(項目間の差があるか)、あるいはSchmidt (1993)で取り上げられているようなpragmaticsも気づきがいるのかということもまだわかっていません。また基本的にこの気づき仮説は文法習得の話なので、語彙の習得ともまた話しは違いますし、文法の中でも形態素レベルの話と統語レベルの話も分けて考える必要があります。

なので、「言語習得には気づきが大事だ!」という前提が、実は結構妥当性はありそうなのですが科学的にはまだ論拠が弱いといえるのではないかと僕は思っています(だからこそそこを研究したいと思っているわけで)。Focus on Formに関しても同じようなことが言えると思っています。

とはいえ、やっぱりこの話は「科学的」にどこまで厳密であるかということの話に尽きるような気はします。学術雑誌や専門書に載っていたら全部科学的だとか研究者が言っていることは科学的だとかそういうことでもないですし、じゃあ科学的に厳密な研究が現場への示唆を示せないとしたらなんの意味もないじゃないかという話になってきます。実際の教室環境での実証研究にも倫理的な問題がはらんでいたりとなかなか難しい面もあって、どうしても厳密な意味で科学的で様々な環境での個別事象を説明する理論を提唱するのは難しいです。それが、「絶対的な教育法はない」ということにもつながってきますし、その中でも教員は決断を下さねばならず、というくだりは共感します。繰り返しになりますが、そのギャップが少しでも埋まるように英語教育研究というものが発展していけばいいなと思っていますし、この先どのようなキャリアを歩むにせよそこに貢献していきたいと思っています。以上です。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

Reference

Izumi, S. (2002). Output, input enhancement, and the noticing hypothesis.Studies in Second Language Acquisition24(4), 541-577.

Leow, R. P. (1997). Attention, awareness, and foreign language behavior. Language Learning47(3), 467-505.

Leow, R. P. (1998). Toward operationalizing the process of attention in SLA: Evidence for Tomlin and Villa’s (1994) fine-grained analysis of attention. Applied Psycholinguistics19, 133-160.

Leow, R. P. (2000). A study of the role of awareness in foreign language behavior. Studies in Second Language Acquisition22(04), 557-584.

Rosa, E. M., & Leow, R. P. (2004). Awareness, different learning conditions, and second
language development. Applied Psycholinguistics, 25(2), 269.
Rosa, E., & O’Neill, M. D. (1999). Explicitness, intake, and the issue of awareness. Studies in
second language acquisition, 21(04), 511-556.

 

Prince (2013) まとめ

こんばんは。誰得ブログ記事の更新です。こちらの論文のまとめ。

Prince, P. (2013). Listening, remembering, writing: Exploring the dictogloss task. Language Teaching Research.

http://ltr.sagepub.com/content/early/2013/07/05/1362168813494123.abstract

フランスの大学のリスニングコースにおいて文法項目の指導ではなくリスニング力の向上を目的としたディクトグロスの活用法を探索的に調査した論文
  • Introduction
フランスの大学での2年間のリスニングコースの担当としてどうやってそのコース設計をしていこうかというところが出発点。最初にとられた2つの策は

(1)multiple choiceやlistening grid(リスニングして表を埋める形式の課題)を採用しないようにしたこと
(2)トップダウン・ボトムアップの両方の処理を含む多様なリスニング課題を用いるようにしたこと
前者の理由としては試験中にカンニング行為てきなものが発生しやすく大人数クラスではそれを監視しづらいということと、選択肢を読んだりそれぞれを比較したりするという行為によって学習者のリスニングのプロセスに影響が出てしまうため。代わりに理解したことを書き取らせるような方法を採用。2点目に関しては、それぞれの処理方法はクリアカットではないもののインプットの処理中は両方を用いて意味理解をするために、トップダウンとボトムアップの処理をさせる課題をさせる必要があると考えたため。
本研究ではとくにディクトグロスという活動が学生のリスニング力に与える影響について扱っている。理論的背景としてはディクトグロスが学習者の口語のL2インプットの知覚的処理を促進するという提案に基づいている(Wilson, 2003)。実践のレベルではリスニング指導は過剰にトップダウン処理をさせるような活動に偏っていたが近年はそうではなく学習者のボトムアップの処理に注目が集まっている(Field, 2008)。ディクトグロスはこの学習者の処理過程の観察に適した活動なのではないか。リスニング指導は、しばしばリスニング力を評価しているだけであってリスニングを指導していないことが多い(筆者注:例えばリスニングさせてcomprehension questionをさせるような場合はリスニングできたかどうかを評価しているにすぎず、学習者のリスニングの処理はみれていないという指摘だと思う)。というわけで、どれだけ聞き取れたかを測定するのではなくもっとリスニングにおいて学習者の理解度をあげるためにはどのような支援が必要なのかということが問題。ディクトグロスをリスニング指導に取り入れる場合にもう一点注意しなくてはいけないのは、リスニングとライティングを同時に行うということによる認知負荷の問題である。
  • ディクトグロスとはなにか
(省略)
  • リスニング理解における記憶
(省略)←ここもwwwwwwww
  • 方法
質的・量的の両データともに2ヶ月間に渡って収集されたが期間は別。対象はフランスの大学で応用外国語?(applied foreign languages)を専攻する2回生。リスニングのクラスの他にも文法や翻訳、音声学、文化なども学んだりする課程らしい。
参加者は量的データ52名、質的データ55名。期間が長かったため欠席や授業をdrop outした学生もおり、12回の授業のうち2回以上欠席していない学生のみ量的データの分析対象となった(n=30;M=11F=19で平均年齢20.2)。英語学習歴は平均で9年間。一応1年次の試験はパスしているがそれでも学生のレベルに差は多少あってCEFRでいうとB1からC1+くらい。
用いられたタスクは3種類でセンテンスレベルに特化したもの。初回の授業でこれはディクテーションではないので必要なときは自分の言葉を使ってよいという説明をいれていてボトムアップとトップダウンという2種類の処理プロセスに関しても”the need for constant interaction between perceived phonological input and the top-down demands of plausibility or meaningfulness”を強調しつつ説明し、コースを通してこのことはリスニングのキーとして指導された。
タスクのタイプ
(1)ひとつの意味ユニットに対して1つのキーワードをメモさせる
意味ユニットごとにポーズを置くように工夫。文は2回読まれるが、書いていいのは1語のみで、2回目に新しく書き加えるのはだめ(ただし書いた1語を書き換えるのはあり)。キーワードを書かせたあとにペアで比較してそれらをもとに全文の再構成をさせる。2、7、11週目に学生の書いた文を回収。オンラインの意味処理中に書かせたということではないので産出された文は比較的長めで平均24.7語(意味ユニットでは4つ)。スコアリングは”intelligible”なユニットの数で行われた。完璧にintelligibleなものは1で部分的にintelligibleなものは0.5、スペリングミスや統語のエラーはカウントされず。
(2)リスニングの回数が一度だけ(書き取りありorなしで)
リスニングの機会が複数回あると、学習者はまず一回目で最初から一語ずつ書いていって二回目で書き取れなかった部分を書き足すというようなストラテジーをとったりするので、学習者がその文の意味自体ではなく語にフォーカスするのを防ぐためにリスニング回数を一度に制限。3,7,11週目に学生の書いた文を回収。平均語数は16.6語。スコアリングは正しく書かれた語と音節の数。元の文と意味的に一致していれば正しい語としてカウントされた。(1)同様スペリングと形態統語エラーはカウントされず
(3)未知語を聞いた時の対応をどうするか(意味を推測して自分の知ってる言葉で置き換えさせるトレーニング)
未知語に遭遇したときの方略としては、(a)スルーする、(b)聞こえたとおりに文字に書き起こしてみる(a phonological strategy)、(c)文の意味から未知語の意味を推測し自分の知っている言葉で置き換える(a semantic strategy)というような方法が考えられるが後者のほうがベターで、学習者にトップダウン処理で意味を補わせるトレーニングをさせることで文の再構成が可能になる。というわけで、この活動では未知語をなるべく知ってる語で置き換えるように指導。3,6,10週目に産出された文を回収。2文の中で、出現頻度の低い語を片方の文では後ろの方に、もう一方の文では前方に配置するように工夫。学生にはこの低出現頻度語の位置は前もって知らせた。文の平均語数は15.2語。スコアリングは低頻出語を置き換えた語のcontextual plausibilityで判断(上記2つのタスクと同様に1、0.5、0のスケールで)。
以上の3つのすべてのタスクで課題文は録音されたものではなくその場で読み上げられた。よってそのスピードは多少差はあるが学期末の試験のスピードに限りなく近い95wpsであった。このスピードは通常のスピーチに比べればかなりゆっくりであり、またかなり明瞭に発話するように注意した。
  • 結果
主に産出された文とタスク後の学生とのディスカッションから。
タスク(1)でのintelligible unitは2週目から11週目で2.7から3.8に上昇。
例えば、
When the engineer tried to borrow some money / to start up his own business / he had to ask some old friends from school / because the banks refused.(スラッシュは意味ユニットの区切りを表す)
という文では1ユニットに1語しか書けないので、わずか4語から全体の文の再構成するということになる。この場合書き取った1語がワーキングメモリーに保存された2番目、3番目の語あるいは学習者自身が保持していた語を思い出すキューになる。上記の文の最初のユニットではengineerと書いた学生が34%、borrowと書いた学生が54%で残りの学生はmoneyと書いていた。スペリングがわからないあるいはその語自体を認識していなかったという理由でengineerを書くことを避けた学生もいた。engineerと書いた学生の方がより文の再構成に成功しており、うち74%の学生は続く動詞のborrowを覚えていて、残りの学生はtried to borrowをneededやwantedに書き換えていた。ここで問題になるのは主語と動詞のどちらを書くほうがいいのかということだが学生の感想では一概にどちらとはいえず、両者の意味と関係性による。またコロケーションも重要な要素であり、例えばborrowと書いてmoneyを思い出すほうがmoneyを書いてborrowを思い出すより簡単だという声も。
結論として、学生は意味ユニットの記憶を強めるための意識的な方略としてチャンキングを認識した。
タスク(2)では書かれた語数は平均で10%、音節数は14%上昇。このタスクは、初めはどのような方略がよいのかという指示は一切なしでやった。文を最後まで聞いてから書き始めた学生のほうがそうでない学生より全体の文の再構成がよくできていた。またそのような学習者は不必要な語を削除していた(たとえばHe said he hopedにおけるsaid heなど)。文の読み上げられるとすぐに書き始めた学生は途中で抜け落ちていた。しかしながらすべての学生が「最後まで聞いてから書く」という方略に肯定的というわけではなく、そうすることによって文の始めの方を覚えることができないという意見もあった。どのくらいのアイテムを保持できるのか、そのアイテムを構成するものはなにかというはなしで、関連性のない2語よりは関連性のある2語の方がセットで記憶しやすい。またitems数が同じの場合は語数が少ないほうが覚えやすい。
タスク(3)では平均のplausibility scoreは文の始めの語で0.56から0.74に、文の終わりの語では0.68から0.84に。ほとんど全ての学生が未知語に遭遇したあとにその後の部分に集中するのが難しいとコメント。というわけで、そういうときでもインプットにしっかりと注意を向けさせるためにこの活動はいい。未知語でも、それが意味的なものだけでなくもっと統語的処理に関わってくることもあった。例えば分詞構文における文頭の過去分詞など。それを主語だと解釈したために文の理解が困難になってしまったケースが多かった。しかし、2文目を聞くことにより文脈が補完されて1文目の理解が促進されたということもあり、単文に集中するのではなくテキスト全体(この場合は2文全体)をしっかり捉えるということの必要性が示唆された。
質的データ。リスニングのコースに関する学生の反応と、リスニングスキル一般に対する学生の態度について自由記述の質問紙調査。ディクトグロスに焦点をあてた質問は
  1. Has the framework adopted in the course (i.e. stressing the interaction between bottom-up and top-down processes) been useful to you; why or why not?
  2. Has the emphasis on chunking been useful to you; why or why not?
一つ目の質問に関しては、このようなボトムアップとかトップダウンとかを意識したことがなかったという学生が多数で、この質問に答えた34名のうち21名が”useful”と答えており、うち15名は特に文脈や全体の意味に注意を払うことが自分が理解できた語から文を解釈することに役立ったという点に言及していた。
他方、この実験で用いられたリスニング方略が役に立たなかったと回答した13名のうち、その主な理由としては学習者自身のリスニングの仕方を変えるにはいたらなかったというものである。また、教わったことは今まで自分がやってきたやり方と同じでそのことには気づいていなかった(そしてそれは有効ではないと思っている)。という意見もあった。このような回答からは、リスニングのフレームワークに関しては意識的な気づきは必要でないのかもしれないともいえる(教えてなくても自然にやっている例もあったということ)。未知語に遭遇した時にトップダウンの知識を用いるという方法をどのような場合にあるいはどのくらいの頻度でやるのかという問題は結構難しくて学習者の確信度に関係があるはず。また聞いた音をもとに語を書くというのは自然な作業ではあるものの、それを修正したくないという気持ち(自分の言葉で置き換えるのではなく音に依存してしまう傾向)が困難度をあげているということもある。”deep sea fishing”を”dipsy fishing”としてしまったという場合には母音の知覚という問題が絡んでいる。
二つ目の質問にたいしての33の回答のうち25名がチャンキングが有効であると回答。数名の学生がチャンキングは有効ではあるが実際に適用するのが難しいと考えていた。チャンキングをうまく使いこなすために重要なのはキーワードの見極め。キーワードがうまく拾えなかったらそこから再構成するのが難しくなってしまう。チャンキングが有効と認識しているにもかかわらず、文が長すぎた場合にはチャンキングでうまく対応できないという学生もいた。この問題はワーキングメモリーのキャパシティと関連しているだろうがより直接的には熟達度と関係している。つまりは熟達度によって「長すぎる」と感じる長さが違ってくる。高熟達度の学習者は無意識的に文を処理可能な長さのチャンクごとに処理しているが低熟達度の学習者はこれができず結果的に音声のみでは理解できず文字を読まないと理解ができないというような具合に。
  • ディスカッション
ワーキングメモリーの容量という問題以外にリスニングにおいて学習者が抱える困難点。
  1. インプットの区切りを間違える(illustratesがin the streetsになってしまうなど)
  2. インプットに対応する語彙を探す際に、L2学習者は出現頻度の高いものを思いつきやすい傾向にある(それがインプットとはかけ離れている可能性)
上記のようなsegmentationとlexical mismatchという2つの問題は、ワーキングメモリーにインプットを記憶する困難さによって悪化する。
実験の結果は語や意味のユニットを書き取ることや未知語の処理に関して学習者の能力が向上したことから好意的に解釈できる。またリスニングのプロセスを処理可能な構成要素ごとに分けることにも学生は前向きで学生の自信も学期がすすむごとに上昇していった。よってディクテーションを用いたリスニング力向上の試みは効果があったと考えられる。
  • Limitations
グループがひとつしかなかったので実験で用いられた教材がカウンターバランスされていなかったという可能性。こういう場合にはスコアリングに最低でも2人は必要だった
学生のワーキングメモリー容量のアセスメントがなかったために、実験の結果みられた変化がワーキングメモリー容量があがったことによるものなのかが不明。でもパフォーマンスの向上を見ているのであってなにが原因であるかということが実験の主旨ではないのでそんなに問題でもない。
一番の問題は与えられたインプットのスピードと内容がauthenticではなかったということ。ディクトグロスによるリスニング力の向上がauthenticなinputの処理の際にも有効であるかどうかということや、この実験で用いられたリスニング方略がどの程度他の状況にも転移するかということをみるのもおもしろいだろう。この実験で行われた用にゆっくりはっきり発話されるということはかなりレアなので学習者のよりauthenticな口語の英語の理解度が必ずしもあがったとは言えない。が、それでもとりあえずこの研究で用いられたディクトグロスを利用したリスニング活動は少なくとも学習者にリスニングの処理を意識的に行わせ、その処理がどのような要素で構成されているかというのを理解させる機会は与えている。
  • 結論
リスニングのコース全体としては、本実験で紹介したディクトグロス以外にもauthenticな教材を用いたリスニング活動も行われた。その前段階として、ディクトグロスを取り入れたリスニングは学習者のよりよりリスニング理解への足がかりとなった(以下略

 

というわけで(以下感想)ディクトグロスというのは文法指導の1つのテクニックとして使われる(フォーカス・オン・フォームという言葉が伴うことも)わけですが、それをリスニング力向上のために取り入れてみましたという実践報告っぽい感じですかね。冒頭の方でディクトグロスはボトムアップうんぬんみたいなことが書いてあったんですが結局やらせていることってトップダウンでキーワード類推とか未知語類推みたいなことだったんじゃないかなという気がしないでもないんですが。オンライン処理中に未知語に遭遇した時に既知の語にどうやってアクセスしてんだろうとかリスニング中に文脈から未知語類推するのがどれだけ簡単or困難なんだろうとかそういうことが気になったんですが。語彙のサイズによるんじゃなないかと思うんですけどね。リスニングっていうのはあまり専門じゃないのであれなんですがまあ先生もトップダウンとボトムダウンてのがあってだなごにょごにょとか言うよりは(それもそれで効果あるとは思うけれどそんなこと言われてもへー。で終わるケースの方が多い気がする)、こうやって実際にいくつかのディクトグロスベースのリスニング活動させて自分がどうやってインプット処理しているのかっていうのを意識的に体験させるのはいいかもしれませんね。これは特に統計検定かけてるわけでもないので結果の一般化はできないわけですが研究の可能性としてこういうのどうかなっていうアイデアとしてはいいんじゃないでしょうか。

 

そんなところですかね。

 

なにをゆう たむらゆう

 

おしまい。

2013年度東京都教採1次受けてきました

どうもみなさんこんばんは。今日7月14日は東京都の教員採用試験の1次試験の日でした。東京都は一般教養がないので、教職教養、専門教養、小論文の3つの試験でした。僕は中高英語の一般選抜の枠で受けたので専門は英語でした。2週間寝っころがって暗記本眺めてただけの勉強じゃやっぱり教職教養は全然わかりませんでした(なめすぎだろ)。専門の英語はどれくらいできてればいいのかわからないんですが、思ってたよりは簡単だったのであれ平均が結構高そうで山がだいぶ右の方にずれてるんじゃないかとおもうんですが。もしあのテストで人数で足きりするんだとしたら弁別能力的にどうなんだろうという気ががが。小論文は2つある問題のうち一つを選ぶもの。Aは課題解決に必要な思考力、判断力、表現力に関して。Bは児童生徒同士の相互理解や学びあいについて。僕は前者を選んで自分の専門の英語にからめてタスクの話や発見型学習なんかのことを書いたんですが、よく考えたら学習指導要領や、都あるいは国の政策に関しては一切触れなかったのでダメですね。

対策期間が短かったことは言い訳にしたくないのですが今回はダメ元で受けたので、頭を切り替えて勉強合宿の授業案を練ったり来月の北海道での発表に向けて準備をしていきたいと思います。また、いくつか私立の非常勤の募集に応募しようと思っているので履歴書の作成などもしないといけません。特に指定がない場合は英語のレジュメベースにちょっといじるくらいでいいかなとか思っています。フォーマットある場合は従いますが自筆で出せっていうところはめんどくさいのでいいやと思っています(へたれ

あとは博士後期の試験のためにちょっとガサゴソしたりして研究計画も考えたりしないといけないですよねああそうだその前に秋田のメソ研があるんでしたどうしよう((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

ハァ…

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

今さら中部地区英語教育学会の感想とか

なにかブログの記事がないのもつまらないので、なにか書いておこうと思います。

もう1周間前のことになってしまうんですが、中部地区英語教育学会富山大会に参加して来ました。参加したTwittererの方々のつぶやきまとめはこちら→第43回中部地区英語教育学会富山大会つぶやきまとめ

僕としてはこの学会に参加するために日本に帰ってきたと言っても過言ではないくらいに楽しみにしておりました(主にオフ会的な意味で

参加して、「自分はここまでは勉強してるんだな。でもこのさきの話を理解するのが難しいな」といった感じで自分を客観的に見つめることができたように思います。まあ修士号持っているんだからというのはあるんですが、セミナーや課題別研究プロジェクトなんかでの研究法の話にはついていけるくらいの知識はあるなとは思いました。一方で、自由研究発表なんかを聞いていると、そこで建設的な意見や質問を出すほどには自分の勉強量は足りないのだなとも感じました。へー、ああ面白いなこれって思っても、その先の、何が足りないとかもっとどうしたらよくなるとかそういうことにまでは考えが至らないといいますか。言語化することができていないということもあるのかもしれませんが。こういうのももしかしたら「学会慣れ」みたいなところもあるのかもしれません。いろんな発表を聞いて質疑応答を聞いているうちに学習するといいますか。

あと学会に参加して思ったことは、ああ自分てわかりやすい性格だな、言い方を変えると流されやすいんだなと思ったことでした。アメリカで修論をやると決めていろいろやってたとき、先生やクラスメイトに、「卒業したらPh.D?」とか「YuはPh.Dにいったほうがいいんじゃないのか?」って結構言われてたんです。でもそれは、誰もacademicなresearchに明るい人がいなかったから、そうやって言われるんだなと思っていましたし、僕には研究のセンスとか「覚悟」とかないなと思っていました。帰ったらとりあえず教員採用試験を受けて、まあ受からないだろうからとりあえず非常勤でもやってまた来年チャレンジしようくらいに思ってたんですね。

それなのに。今ああやっぱり博士後期に行きたいなとか思っちゃってるんですよあれどうした自分て。でもなんでかっていうのはわかってて、ある人に熱弁されたからなんですね。熱弁って僕が勝手にそう思ってるだけで向こうからしたらちょっとこう若いやつを遊んでやったくらいの感じかもしれなくて僕はもしかしてこれ今騙されてるんじゃねえかって5割くらいは疑ってたりするんですが。それでもこうなんかそこにつながるような伏線っていうのはあって、それがシンポジウムなんですよね。どうだったかっていうのはまあつぶやきまくったのでそれは置いといて、「つまらん」って思ったんですよ。と同時に、「ああこういう話を中高の先生とかって好きなんだろうな」とも思ったんです。そしたら急に、「あれ、自分ってそっちがわに行っちゃう感じ?」みたいなこと考えちゃって。そんな単純な話じゃないんですよ中高の英語教員と大学教員という風に分けることもできないですしその枠組を実践―研究みたいにあてはめるのも違うとは思ってるんです。どこにいったって自分のやりたいことだけをやるわけにはいかないですし納得いかないことを飲み込んでいくことができなきゃこの先やってけないっていうのもわかってるんですが、なんか「あれ?」って。

また別の所では、「いつかもう一度大学院に行きたいな」と思っていたということもあります。修士は取ったけれど、「一応」勉強はしたんだけれど、でも僕は圧倒的に「基礎」がなってないなと思ったんです。知識的にもスキル的にもなんか中途半端っていうか、自信を持って「最終学歴は修士です」って言えないなって。むしろ「こんなんで修士とか言っちゃっていいんだろうか」って思ってるくらいです。前にもどっかで書いたような気もするんですが、ずっとこうやってああ俺は全然なにもわかってないしなにもできないとか死ぬまで言ってそうな気もするんですが、それでも「ああ、頑張ったな」っていうのが今までないってなんかいやなんですね。それが博士後期いったから得られるわけではまったくないですし、むしろガチで「研究」を志すのだとしたらもう学生だからとかは言ってられないのが博士後期だと思ってるんです。じゃあそのレベルに自分があるかっていうとまあないですよね。でもそこで戦おうっていう同世代の人たちを見てるわけでして。とかって考えるとああもしかしたら「若手の中高英語教員」っていうロールモデル見てないからなのかもしれませんね。「うわあこの人すごいなあ。こんな人になりたいなあ」って思えるような人を見たら「僕も同じ所でその人と一緒に頑張りたい」みたいなことを思えるのかもしれません。そういう人が中高教員にいないと言っているのではありません。すごい先生はたくさんいらっしゃいます。ただTwitterでは圧倒的に接している方々が研究界隈の方が多いのでどうしてもそっちのインプットが多いですし(リアル<<<<<<Twitterあるいはネット)、それで自分も無意識にそっちの先生方を追いかけているのかもしれません。自分でもちょっとよくわかってません。もう少しは迷います。家族にも相談しないといけないことですし。

ではこのへんで。

なにをゆう タムラゆう

おしまい。

最後の日ー2年間の留学を終えて

明日の午後1時発の便で日本に帰ることになりました。丸2年間アメリカの北東部の誰も知らないような街でつらいことやつらいことやつらいことなんかを乗り越えてつらくてつらくてつらい思いをたくさんしました。本当に、「ああ留学って楽しいな。来てよかったな」と思ったことを今思い返してひとつもあげられないくらいネガティブな思いしかありません。特に最後の方は、修論に悩まされ、納得がいかず、自分の不勉強さや要領の悪さに嫌気がさす毎日でした。

アメリカに留学を決めた理由を思い返してみると、「このままでは教師になれない・なりたくない」という思いが一番強かったのかもしれないと思います。それはある意味逃げでもあったと思います。自分に自信は持てないという思いを抱えてはいても(自分は完璧ではないと思っていても)教採に受かって教員をやっている同期はたくさんいたからです。それでも、僕はやはり英語力の面でも、英語教育に関わる知識の面でもまだまだ修行が足りないと思いました。アメリカに留学して、修士号を取れば、その思いも拭えると思っていました。当初の予定より3ヶ月滞在歴を伸ばして修論を出した今思うことは、2年前とまったく同じ。「ああなんて英語ができないんだろう。ああなんて自分はなにも知らないんだろう」ということです。そうやって考えると、もしかして自分はこの2年間でなにも成長していないんじゃないかと思わされます。けれど、そうではないと思っています。2年前言いたくても言えなかったことは今なら言えるし、2年前には考えたこともなかったことも今なら知っていると思います。ただ、もっともっと広がる果てしない世界が見えるようになっただけなんだと思います。英語のほうでも学問の方でも。やればやるほどにきりがないものが見えてきて、そのたびにああ自分はなんてダメなんだと思ってしまうんだと思います。だからこそ、日本に帰っても絶対勉強し続けたいと思いますし、修論でうまくいかなかったことをいつかもう一度研究してみたいと思います。そうやって、学問の面で刺激を受けることができたのは、Twitterの影響の方が実は大きかったりしています。Twitterがなければ修論も学会発表もなかったと思います。Twitterでお世話になった方々にはこの場を借りて御礼を言いたいです。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。特に英語教育クラスタのみなさまとは、同じ英語教育の分野で、僕も何か少しでも貢献できるように、自分ができることをしっかりとやっていきたいと思います。
というわけで、明日米国東部標準時午後1時発の便で日本に帰ります。
では。これが最後の
アメリカ New Hampshireより。
おしまい。

洋風かけうどん

洋風うどん 2013-6-14 洋風うどん,Dinner,Noodles

どうもみなさんお久しぶりでございます。昨日思いつきで作ったらすごいおいしいものが出来上がったので忘れないうちにメモ代わりとして記事に残しておきたいと思います。iPadのカメラで撮ったのでちょっと画質が悪いんですが、おうどんです。考えてみると「料理」っていうカテゴリーで書いた記事全部麺類w まあ麺類って簡単ですからねw

材料(1人前)

  • うどん一束(僕は乾麺のを使いましたが生麺でも冷凍でも)
  • プチトマト4-5個
  • 長ネギ2-3センチ
  • にんにく一欠片
  • 鷹の爪少々
  • 白身魚一切れ
  • オリーブオイル大さじ3
  • めんつゆ(市販のもの持ってなかったので顆粒のかつおだしとこんぶだしに醤油を足して作りましたが市販のものでOK)
  • 塩少々
  • こしょう少々

作り方

  1. ニンニクをみじん切り、長ネギも縦に十字に切れ目を入れてみじん切りにします。鷹の爪は砕いてあるものならそのままで、そうでなければ種をとって細かく輪切りでいいかと思います。
  2. 小さめのフライパンにオリーブオイル、ニンニク、鷹の爪をいれて弱火にかけます。
  3. 大きめのお鍋にたっぷりお湯を沸かしておきましょう。
  4. ニンニクの香りがたってきたら、プチトマトを投入して中火にします。プチトマトを転がしながら柔らかくなるまで火にかけます。
  5. 白身魚は、塩とこしょうをしてキッチンペーパーで水気を取りましょう(魚は塩こしょうすると水がでます)。
  6. 別のフライパンで揚げ油を火にかけます。
  7. トマトがやわらかくなったら形が残る程度につぶして、みじん切りの長ネギを投入してさらに炒めます。
  8. 水気をしっかり切った白身魚に、片栗粉をまぶして、揚げましょう(多分180度とか)。
  9. お湯が沸いたらうどんを茹でます。乾麺のうどんは10分くらいだったのですが、冷凍や生麺はもう少し短いと思いますので、白身魚の揚げ上がるタイミングとうどんの茹で上がりのタイミングを見計らって茹で始めてください。
  10. 別途かけつゆ用のお湯を沸かして温かいかけつゆを作ります(冷たいぶっかけうどんがいい方は冷たいお水でかけつゆを用意しましょう)。
  11. 白身魚はこんがりきつね色になったら油からあげて油を切りましょう。
  12. このタイミングでうどんも茹で上がっているとベスト。茹で上がったうどんを水気を切ってお皿に盛ります(冷たいおうどんの場合は洗って氷水でしめてから)。
  13. うどんの上に揚げたての白身魚を載せて、そのうえにプチトマトを盛りつけて、最後にかけつゆをかければ完成です。
  14. 最後に乾燥パセリをパラパラっとすると見た目もよくなります。

つゆは和風なのに、白身魚フライとオリーブオイルで炒めたプチトマトで洋風っぽくなります。白身魚ない場合は鶏肉や豚肉でも応用可能だと思いますが、ただ少し食べづらいかもしれませんね。白身魚だとつゆがしみてほぐれやすくなると箸でも食べやすいので。あるいは魚なしでプチトマトのオリーブオイル炒めを普通のうどんにプラスするだけでもまあそれっぽくはなるかもです。試してはいないですが、たぶんこれはお蕎麦ではやらないほうがいいかもしれません。そばは洋風アレンジ結構難しいです。逆にうどんは、カルボナーラうどんとか明太うどんとかあったりしてパスタの代わりとしてうどんを使うのは割りといけます。今回はめんつゆ自体は普通のうどんと変わらないので、そこまで「洋風」というわけではないですが、普通のうどんは食べ飽きたっていうときのちょっとしたアレンジとして使えると思います。

というわけで、Tamu’s キッチンをお送りしました☆

ではまた。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

【R初心者メモ】箱ヒゲ図にbeeswarmを重ねる。

どうもどうも。昨日めっちゃ格闘したので(たぶん初心者すぎて)メモ書きとしてここにやり方を残しておこうと思います。

僕は修論のサンプルが少ないので、ハコを2グループ分つくって

>Lesson <-c(16, 55, 63, 73)

>Task <-c(59, 60, 60, 90)

みたいにしてデータを入れたあとに、

>boxplot(Lesson, Task)

で箱ヒゲ図を書くやり方でやってたんですね。

boxplot_blog

 

そのあとに、さっきの箱ヒゲ図の要領にadd=TRUEを加えて図を重ねようとしたわけです。

>install.packages(“beeswarm”)

>library(beeswarm)
>beeswarm(Lesson,Task, add=TRUE)

>

beeswarm(Lesson,Task,add=TRUE)
以下にエラー match.arg(method) : ‘arg’ must be NULL or a character vector

とこうなってしまうんですね。

http://www.cbs.dtu.dk/~eklund/beeswarm/

こういうとことか見てみても、あとは日本語のサイト

http://sssslide.com/www.slideshare.net/langstat/let-chubu-2013

http://cis-jp.blogspot.com/2012/08/blog-post_3858.html

とか見てみても、データを2つ入れたいときにはどうしたらいいのか書いてなくてorz というより僕は多分Rの基礎のところがいまいちまだよくわかってないからこういうことでつまってしまったんだと思っているんですが、それでもなんとか自力で重ねた図を書くことができました。以下その方法。

まず、エクセルでさっきのデータをシートに打ち込んでCSVで保存。excel_sheet_blog

>data <-read.csv(“blogsample.csv”)

>data

 

でRにCSVを読み込んで確認。すると、こんな感じで、さっきはLessonとTaskという2つのハコに入ってたデータがdataというハコに一緒に入った形になります。

blog_R

 

このdataで箱ヒゲ図を書きます。

>boxplot(data)

ハコヒゲ

そして最後に、

>beeswarm(data,add=TRUE)

でビースウォームを重ねると、

ビースウォーム

サンプル少ないのでものっそい醜いですけどこんな感じになりますw

昨日やってたときは、箱ヒゲ図を書いたときのラベル名とビースウォームを出したときのラベル名がかぶって表示されてしまうというちょっとトリッキーなトラブルが発生して、

ということをやったんですけど、今日は読み込んだCSVでboxplot()とbeeswarm()でなんの問題もなく完成したという。昨日のあの苦労はなんだったんだろう(遠い目

そんなわけでシコシコと作業しております。あと3週間…

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

時間を尋ねるのは”Do you have the time?”か?

どうもみなさんこんにちは。被ブロック数がどんどん増えている田村です。先日、というかそれこそ昨日とか一昨日くらいのはなしで、Twitterでしばしば見かける「ネイティブはこういう言い方しない」言説をまた発見して(というかRTがTLに流れてきて)、それに反応して公式RT+エアリプ話法を使ったらどうやらRTされた人のツイートを見に来るタイプの方だったようで、やんややんや言われて誤解されてしまいにはブロックされるという事になってしまいました。

https://twitter.com/gaby6100/status/335355878083555329

Twitter / gaby6100: こないだ英語学校の日本人生徒が「what time is i … via kwout

ツイートの埋め込みコードが取れなかったのですがとりあえず貼り付け。僕はおおまかに言えば「日本人英語学習者の知ってる(使う)英語は実はネイティブは言わないんだ。ネイティブはこう言う」系の言説にこれもカテゴライズされると思ってます。

【疑問】”What’s your name?”は失礼か

っていうのを旧ブログに書いたこともありました。What’s your name?とかHow are you?を「これは言わない」と言うよりはDo you have the time?のこの件はそこまでひどくはないと思いますが、僕は自分だけの経験とか自分が今まで聞いたことがないっていうのを「一般的に」とかって広げるのってどうなのかなってちょっと思っています。その一般ってなんなのよってなりますし(この方は「(私の周りでは)一般的にという意味」と付け加えてくださりましたが)。言語教育者であるならば、”register”っていうものをもう少し考慮してもいいのではないでしょうか?言ってることは的外れではないですけどこういう↓「煽り」も僕は嫌いです。

使うと恥ずかしいフレーズ集|英会話、英語のエブリデイイングリッシュ(EE) 

“What time is it now?”は、英語として(文脈から切り取られた文の文法性判断という点では)間違った文ではないです。なにがおかしいかというのは、つまりこの文が、「時間を知りたくて時間を尋ねるときの質問としては不自然に聞こえる(けれど時間を知りたいんだなということは多分理解してもらえる)」ということです。

今日クラスメイト(アメリカ人)とカフェでこの話をして、”What time is it now?”を使うであろう具体的シチュエーションとして彼が挙げたのは以下の2つの場合。

  1. 一度時刻を尋ねて、その後少ししてからもう一度同じ人に時刻を尋ねるとき
  2. 話し相手と自分の間に時差があるとき(例えば日本とアメリカで電話してたとしたら、”What time is it now?”とnowを入れても不自然ではない)。

上記の場合は、「時刻を尋ねる」というものの中でもかなり限定されたシチュエーションになりますよね。そういうときは、nowがあってもいいということでしょう。逆に日本語では「今何時(ですか)?」が普通で、今(now)をなくして「何時(ですか)?」という場合は、「何の時刻を尋ねているのか?」という情報が不足していて聞かれた方は「今(ですか)?」と聞き返すことになるかもしれません。だからこそ”What time is it now?”とnow(今)を入れてしまうのかもしれません。しかしながら、そこに明らかに文脈があれば、「何時(ですか)?」だって間違いではありませんよね?例えば、

友達:明日の夜大宮で飲むけど来る?

僕:何時?

友達:19時に豆の木集合で!

僕:おっけー。

という会話での「何時?」はどうでしょう?僕は一応日本語母語話者としてacceptableでgrammaticalだと思います。他には、「何時集合?」「何時から?」「何時にどこ?」とかだともっと自分が求めている情報を限定するような聞き方になるのだと思います。

というわけで、話をもとに戻すと「ことば」っていうのはそれが日本語であれ英語であれ文脈が伴っているわけであって言い方が違うということは意味が違う、つまりは使われる文脈が違うということなわけです。そこへの言及なしに、「一般的にはこう言う」だとか、「ネイティブはこういう言い方はしない」というのは言語を教える者としての責任が果たせていないのではないかと思います(別に件の方は英語を教えているわけではないそうですが、英語話者ではありそうですしそういうバックグラウンドをもとに英語学習者の間違いを正すのであればこれは考えていただきたい問題であります)。ただし気をつけたいのはそれが学習者に過度の負担を与えるものではいけないということです。例えば、

【連載】jさんのおもしろ英語塾 (7) What time is it? だけが時間の尋ね方じゃない | ライフ | マイナビニュース

この記事中ではDo you have the time?の他にも様々な表現が紹介されています。ここまで細かく状況に応じて使い分けることができる(すべき)学習者はかなり上級であると思います。自分の表現の幅を広げたい人には有効かもしれませんが。

英語は世界で話されている系の言説やグローバルがどうのとかっていう話、つまり非英語母語話者間のコミュニケーションを考慮に入れた時に、”What time is it?”以外の表現をどこまで知っているべきなのかということもまた考えなければいけない問題です。そういった場合には、「通りやすい表現を選ぶ」という作業も必要だと思うからです。”Do you have the time?”は相手が時計を持っているかわからないときや道端で見知らぬ人に話しかけるときに使われる丁寧な表現だと言われますが、”Do you have the time?”がそのような場合に使われる時間を尋ねる表現であると知らない人には、「the timeってなんの時間なんだ?」と思われてしまうかもしれません。ではそのような人は英語の学習が至らないダメな人なのでしょうか?そんなことは絶対にないはずです。また、「普段あまり英語に触れる機会がない日本人が、英語で”Do you have the time?”と聞かれて答えられませんでした」みたいな話がもしあったとしたらそれが日本人の英語力不足だとか言う話になってしまうのかもしれませんが、”What time is it?”と言われたら時間が相手に伝えられて(言い方はともかく)、日本語が使えず英語でコミュニケーション取らざるを得ない相手に自分が時間を知りたいときに”What time is it?”って使えて時間を教えてもらえたのであればそれはそれでいいのではないかと思ってしまいます。誤解を招くといけないので一言断っておきますと、僕は「英語はコミュニケーションの道具なんだから伝われば文法や発音が間違っていてもいいのだ」という言説には賛成していません。語順を始めとする勘所はしっかりと抑えておかないとまずいですし、単語をただ羅列するだけのコミュニケーションと、”What time is it?” ”What time is it now?”  “Do you have the time?”の違いと言ったregisterの問題が生じるコミュニケーションはレベルが違います。後者がどうでもいいと言っているわけではなく、優先順位としてなんとか単語をひねり出すことしかできないレベルの学習者(前者のレベル)に対して、registerを要求するのはちょっと違うんじゃないのかなというところです。

話が長くなりましたがこの件に関して色々と考えていたらこんなことになってしまいました。ちなみに今日のカフェでの話のオチは、「”Do you have the time?”はformalすぎじゃないの?」ってクラスメイトが言ったあとに、カフェのお姉さんに聞いてみて、「いやー私は言わないわ。丁寧に言うならDo you know what time it is?でいいんじゃないの?」っていう話をして、次にお姉さんが来た時に「出身はどちらなんですか?」ってクラスメイトが聞いたら「私、実はドイツ人なのよ。アクセント隠してるの」って言われたことでしたw 英語母語話者だと思って聞いたのにwwww 見た目からも話し方からも全然わからなかったので二人で笑いましたw

そんな日曜日。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

学生から「社会人」になるときSNSをどうしようね

[徒然] 担任のセンセイのブログを見つけてしまった生徒さんたちへ

というanfieldroad先生のブログ記事を読みました。僕はTwitterでもこのブログでも実名顔出しして色々好き勝手なことを言っているわけですが、そうかそういうことも考えなきゃいけないんだなあと。これは学校の先生ということに限らずに会社で働いている人でも自分の身元を明かすということは色々とリスクがあったりトラブルのもとになったりするかもしれないですよね。まあ僕はやっぱりなんだかんだで教員志望ですし、自分が教壇に立つ日(立たなければいけない日、あるいは覚悟を決めなければいけない日と言ってもいいのかもしれません)が近づいてきているので、そういうときに自分が今やってるTwitterやこのブログをどうするかというのは少し悩みどころです。教員になってからブログを始められた先生方とはちょっと違って、僕の場合、あるいは僕と同年代くらいの人たちっていうのは、自分が学生時代からSNSというものに慣れ親しんで来た世代ですので、学生から「社会人」(この言葉は好きじゃないのでカッコつきで)になるときに、今まで使っていたSNS、あるいはブログをどうしていくのかという問題があるんじゃないかと思います。

FBは自分の投稿が見れる人が限定できるので、友達だけが見れる投稿とそうでない投稿のように分けて使ったりできると思いますし、Twitterはカギをかけちゃえばいいって感じでしょうか。まあでも忙しすぎてTwitterやってる暇なんかないんでしょうね(はいはいどうせ僕はry)、英語教育クラスタの方々も、大学の後輩なんかも軒並みTL出現率ががくっと下がっているような印象があります。だからといって僕はつぶやきの多さ=暇してるとは思ってません。ただただ学校の先生はずっとPCとにらめっこしてるわけじゃないだけだよなっていう。あとはまあ学生のうちよりはつぶやく内容にもかなり気を使わなければいけないんでしょうし。そうなると自然につぶやきも減っていくんでしょう。僕もいずれはそうせざるを得なくなるのかもしれません。

でも、Twitterにカギをかけるというのは僕はどうしてもしたくないんですよねなんか。カギとかないからTwitterをTwitterとして使えるといいますか。あとは裏と表を使い分けるなんていうのもどうも僕はそんなに器用じゃないしとか思っちゃいます。

さらにはブログも難しいところです。ブログを始めたもともとのきっかけは、留学日記みたいなことをやろうと思ってなんですが、でも実際僕がブログを書くときって結構留学とかあんま関係ないことだったりするんですよねw 授業のこととかは関係あるかもしれませんが、記事のカテゴリーで見てみると圧倒的に英語教育関係のことが多いですし、そっち方面に向かって書いているという意識は自分の中でもあります。なので、僕が今まで書いてきたことも、これから先に何らかのかたちでつながっていくでしょうし、僕の思考の変遷のようなものが1つのブログにまとまっていてほしいなという思いもあります(とかいって一回アメブロから引越ししてるんですけどw)。そろそろ日本に帰るのでブログ名変えたりちょっと工夫はしないとなとは思っています。今まで書いた記事を多分固定ページかなんかに移して新しくここでまたブログを書いていくようなことになるんですかね多分。とちょっと脱線しましたが話を戻すと、学生と教員というのは立場が真逆になるわけで、そこには新しいスタートをきるというような感覚があるわけなんですけれどもしかし自分という一個人としては一個の連続体であって自分は自分であるというなにかこう自分のアイデンティティ的なものはつながってるわけですよね学生だろうが教員だろうが。それは「いつまでも学生気分で(ry」とかそういうこととはまた違う話なんですよね。もうすぐこっちきて2年になるわけですが、その間のTwitterのつぶやきやブログの記事は絶対教員になっても僕のベースでありつづけると思うわけなんです。それをこうなんか切り離して新しくTwitterやブログをやるっていうのがなんだかなあと思っちゃうんですよね…

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

 

#つらい

指導教官の先生からメールが来ました。”Research Problems”という題名で。

ショックだったので内容をコピペ(名前はイニシャルだけにしてあります)

  I am sorry this research project has had so many problems. I don’t know if you have heard anything yet from S or from J, but it is difficult to force others to participate in your research. I am sorry that I am not a linguistic expert for you. Perhaps it would be better if D takes over for me as your thesis advisor this term since he may be more of a linguistic grammar expert. I should have advised you not to do this project as it is because there were so many other people you needed to depend on for their classes, their students, the students allowing you access and so forth. I thought I had gently pointed that out to you, but you were convinced it could work and I hesitated to dampen your enthusiasm. My mistake. Also, the course was not properly set up when it was handed to me and therefore it was difficult to find out who else could be assisting you with this. D did not set up any kind of system for other faculty members who could be counted on to help you with your projecty. You and I met almost weekly for many weeks, but I guess that was not sufficient for you nor apparently was it helpful in any way. I am sorry and will speak to D about perhaps taking over from this point on so you can get more of a linguistic expert to advise you and guide you. I am very knowledgeable about doing research and working on research, but since linguistics is not my speciality nor was it my focus, then once the topic of your research was presented to me, I should have handed it over to someone else. I’m sorry I was such a disappointment to you. I could tell from the angry and frustrated tone of some of your more recent email messages, that it was not a good “fit” for me to advise you. I will speak to D and then you may find more satisfaction with him as your advisor.

 

訳そうかと思ったんですがちょっとそんな元気もなくてすいません。お腹痛いので少し休んで18時からサッカーあるようなのでそこで気持ちをリフレッシュできたらなと思っております。

では。

アメリカ New Hampshireより。

つらい。

04/24/13 追記:僕のこのメールに対する返信の内容も以下にコピペしておきます

Hello, R,

To be honest, I am really upset about what you said. I don’t think my research has problem and it forced many people to get involved. If you say so, I would  like you to tell me how classroom oriented language teaching research could possibly be done. The problem derived from two things: one is the course itself and two is the fact that D, who proposed this thesis option, is away.
I have never done language teaching research and never even written thesis. I knew that I really needed somebody who is experienced in research in second language acquisition, language teaching and learning, applied linguistics or whatever it is called.  But, there was no choice. At first I heard that thesis option would be available, I was really excited that I would be able to do what I had wanted to do. Although I was worried about trying a new thing which even you did not know well, and I realized that no professor in TEFL program could supervise me since I never met professors who research, I thought it would not matter if I worked hard, and I still do think so. The only reason why I have been wanting to do the research as it is is that you said it would be wonderful and encouraged me. Besides, the guideline or syllabus of EFL 580 obviously requires the students taking the course to do empirical study, and I thought SNHU would be a good place to do empirical research, since many ESL students study here. That’s why I decided to extend my staying in the US, paying $4000 for only doing thesis, which is not easy to pay.
Nevertheless,  I have wondered why I needed to pay that huge amount of money just for having a meeting with you once a week. I have questioned myself: “Is this worthwhile paying $4000?”
You did help me a lot. I would not be here without your help. I agree that the thesis option has to be revised or it may be impossible to be done since all professors, both full-time and part-time, are professional language teachers but not researchers. Being able to teach English well does not necessarily mean that the person can teach graduate course or supervise research stuff, and the fact that the program puts emphasis on practice rather than theory and training language teacher instead of researcher cannot be an excuse. I sincerely believe that the program, at least thesis program, must be changed. I understand that you tried to do your best in order to do  what was expected of you even though you might realize thesis options had so many problems. I wish I could ask for refund if the research is impossible. I am a victim.
Anyway, I am not disappointed with you and I am not going to blame on you since I did not expect too much on you. The only thing I need now is getting the experiment done. That’s it. If the experiment is completed, I could finish writing up thesis as quickly as possible. If classroom study is impossible, I will change my research design and ask my friends to participate in my study. I really need to talk to D. How can I reach him? I sent him an email but got a reply automatically saying that he is now in sabbatical.

Sincerely yours,

Yu Tamura

 

04/25/2013 追記:上記の僕のメールに対する指導教官の先生の返信も追記しておきます。一応やりとりに関してはこのあと僕が色々言いすぎてすいませんでしたって言ってとりあえず今後どうするかっていう話になりました。

Yu,
Thank you for your message. First of all, I completely understand your frustration, but you are not correct to say you had never met a professor here in our program who is experienced in research. There are a few of us, me included who is experienced in research in language learning and language learning acquisition so I don’t know where you are getting your information. That is not true. I am not just a professional language teacher. I have a doctorate; I did years of research for my dissertation. No, it was not in applied linguistics. No, I was not familair with Foto’s study. That does not mean I have never done any research and no one else has. I could be offended by your statements, but I understand you are very upset.
Secondly, your research study is not impossible. I did not say that nor did I imply that and I am not suggesting you give up. I’m sorry if that is what you thought. Of course not. It is just very frustrating to continue to have to nudge the instructors to get back to you, respond to you, and so forth. That is not your fault. Please do not abandon your research. I will reach out again to S and to J so you can do the study. Yes, I was very excited for you and for your research. I said it and I will say it again. No, I was not familiar with Foto’s study. Just because I was not familiar with your study does not mean I had never done research or don’t know about anything but teaching. You can be angry with me and disappointed with me, but you need not make false statements against me. I understand, you’re angry. I am frustrated as well that this course was put into place without considering many factors, but that does not mean it is a waste of tiem and money.
Let us deal with the here and now. I will arrange for you to have the GLS students be in the study. I will insist that the GLS teachers get involved and get you the students you need. I am not giving up on you even though you seem to have decided I don’t know anything and cannot help you. That is not true. We will continue for now. As for D, I cannot understand how he will not respond to your email message. I can only guess what you wrote and what negative things you said about me and the course, but I cannot do anything about that. We must go from here. I will help you get the study going and then turn you over to D if that is what you wish. I will get back to you later today with which GLS class you can do the study with. Again, I apologize for not being the expert you would have wanted for this research.