作成者別アーカイブ: Yu Tamura

不明 のアバター

Yu Tamura について

第二言語習得の研究者。博士(学術)。英語教育のことや統計・データ分析に関わること、趣味のサッカーのことなどについて書いています。

「英語は世界中で話されているから勉強しよう」

どうもどうも。昨日の夜中におそばの記事を書いたばかりなので連投ぽいですが、今日もちょっと書き留めておきたいなと思ったことがあったので。

毎週火曜日は、実習先の授業を見学して、reportとreflectionを書くという課題があります。それを木曜日の授業に持って行ってまあいろいろ先生と話すっていう流れです。今週は、火曜日にStudent Appreciation Dayというのがあるから授業はないんだけどということを言われていて、まあじゃあなんかとりあえず火曜日にも行きますよっていうことで行ってきたんです。それで今日はどんなことがやったのかっていうと、3人の先生に教わっている学生(英語ならstudentでいいのだろうけれど、ほとんどの皆さんは僕より年上なので「生徒」ではないし、かといって「学生」もほんとはなんだかしっくりこないのですが、「学習者」もこの場合は変だと思うので一応「学生」とします)全員が集まって、「よく頑張りましたね。」というcertificateが授与される会でした。100時間以上授業に参加した人は、シルバーの、200時間以上の人はゴールドの☆のシールが貼ってあったりとか、成績優秀者(どうやって成績つけてるのかとかは不明というかそもそも成績なんてつけてないと思うのでアバウトな主観だとは思いますけど)には粗品がもらえたりとかして、各クラスで先生に選ばれた代表者がスピーチするというイベントでした。

僕が毎週入ってるクラスは一番したのクラスなので、スピーチも先生が作った原稿を読み上げるだけでした。それにしても、きっとたくさん練習したのでしょう、ああこんなに読めるんだなと感心しました。クラスの中で特別に英語ができるという人でもなかったので、なおさらでした。

もう一つ上のクラスの代表の人は、準備してたのかしてなかったのか、原稿はなしで2,3文言うだけでした。それでも自分で文を生成してアウトプットしているのでああこの人達の方が英語できるなぁという感じ。

一番驚いたのは、一番上のクラス(といってもintermediateって呼ばれています)の代表の人でした。

まず原稿は一切見ずに、しかも複雑な構造の文(例えば関係代名詞の修飾とか主語に名詞節を使ったり)もすらすらと出てきていてびっくりでした。発音に関してはかなり改善の余地はありましたが、まあでも言っている内容は理解できる程度。その言っている内容がまたしっかりしていて、先生方への感謝であったり、はたまたESLクラスを運営しているsocial serviceへの感謝であったり(事務所の人も見に来てました)、また仲間への激励のメッセージであったりが含まれていて、ああゼロからスタートしてもここまでいけるんだなぁと。

ただ、スピーチの内容で少し気になったことがあって、「ちゃんとクラスに毎日来て、英語を勉強しよう。アメリカではどこに行っても英語を話せなければいけないし、またアメリカ以外でも英語は世界中で話されています。なので英語を勉強することは大事です。」というクラスメイト向けのメッセージがありました。それがなんか引っかかっちゃったんですよね。前半はともかく後半部分。「アメリカにいるから英語を話せなくてはというのは」というのは論理としてわかるのですが、「英語は世界中で話されているから」というのはちょっと気をつけなければいけないポイントだよなと。こういった思想が、果たして授業中に先生から刷り込まれたものなのか、それともどこかで自分でそう考えるようになったのか、あるいはこのスピーチの内容自体先生が考えたものであってその人の考えではないのかとかいろいろ今考えると聞いておけばよかったなと思うことはたくさんあるのですが、それにしても英語学習のモチベーションとして、「世界中で話されている」だとか、「英語が出来れば世界中の人とコミュニケーションがとれる」といったような言説がミスリーディングであるということに英語教員は自覚的でなければならないと思いますし、むしろできれば言わないほうがいいのではないかとすら思えます。こういう言説を素直に信じてしまった英語学習者ってある意味被害者なんじゃないのかなぁって。英語の母国語話者がこういう思想を持っているよりは(それもアレですけど)英語学習者がこういうこと思っている方がたちわるいっていうかなんていうか。

まぁそんなことが気になったわけですが、スピーチ自体は大変立派だったと思いますし、あれを見てあれくらいできるようになりたいと思う人なんかがいればいいなと思います。

あそこで英語を学ぶ人達が、授業に来るとき以外はどんな生活をしているのかはわかりませんが、一応EFLよりはインプットあるとされる環境にいても、100時間や200時間やったところでペラペラになんてならないんですよね。むしろ僕が入ってるクラスでも英語が喋れない人がほとんど。もしかしたら指導があまりうまくいっていないのかもしれませんけど。100時間て、まあ中学の1年間の授業時数よりちょい少ないくらいですよね。もちろん、しっかり母語で教育を受けてきた上で始まる日本の中等英語教育と、リテラシーを身につけさせるところから始まる英語教育では、同じ「初学者」でもスタート地点は全然違うと思いますから、同じ時間数でもどこまでもっていけるかは違うと思います。インターン生ということで時間は限られているわけですが、それでも少しでも英語力を伸ばしてあげられるような授業ができればいいなと思いますね。そんなわけでちょっとよくわからなくなったところでおしまい。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

揚げなすかしわそば

2013-01-13 18.32.15どうもみなさまこんばんは。久しぶりにこれはうまいなぁと思うものを作ったのでシェアしようと思います。

タイトルにあるとおりかしわそばなんですけど、ポイントはそうですそうなんです揚げなすです。

材料(1人前)

  • 蕎麦1束(僕は都合上乾麺使いましたがお好きな物をお好きなだけどうぞ)
  • 鶏もも肉 100g ※適当です
  • ナス 1本(アメリカのナスは、大根くらいの太さできゅうりくらいの長さあるので1/5本くらいでしたが日本のナスなら1本でいいんじゃないかと)
  • 万能ねぎ 少々(写真はこっちで売ってる万能ねぎのようなものです。長ネギでもOK)
  • めんつゆ(お出汁として使うのでまぁあのこだわりある人はこだわりのあるお出汁をお使いください)
  • 干ししいたけ(お出汁に使いましたがなくても全然OK)
  • 油(揚げ用)

作り方

  1. 干ししいたけを戻しておきます(使わない人はスキップ)
  2. お鍋にお湯を沸かします
  3. 別のお鍋あるいはフライパンに揚げ用の油を火にかけます。
  4. 鶏肉は一口大、ナスは縦に8等分、ネギは小口切り(長ネギ使う場合は斜め切りがいいと思います)。
  5. ナスは水に晒してアク抜きして、キッチンペーパーでよく水気を拭きましょう。
  6. 別の小さなお鍋で出汁を沸かし(干ししいたけ使う人は戻し汁を使います)、鶏肉を入れて火を通しておきましょう(長ネギ派の人はここに長ネギも)。
  7. ナスを揚げましょう(温度は適当です。計ってません。でもちょい高め180度でさっとですかね)。ナスが油を吸って柔らかくなったらOKで、揚げすぎだと崩れてしまいます。
  8. 揚がったナスは油を切って、だし汁に投入します。※うちはコンロが4口あるのですが2口コンロの場合は先にナスを揚げてからお出汁を火にかけましょう。
  9. ここまでのどこかのタイミングでお蕎麦を茹でるお湯が湧いてるはずなのでお蕎麦を茹でます。吹きこぼしに注意。
  10. お蕎麦が茹で上がったら湯切りをして器に盛ります。
  11. そこに別に作っておいたお出汁をかけて完成!万ネギ派の人はここでパラパラとネギを散らしましょう!

今は寒いので温かいお蕎麦でしたが、お出汁を濃い目に作っておいて、お蕎麦を洗って氷水でしめて、「つけそば」としてもお召し上がりいただけます。あ!ネギのかわりに三つ葉を使ってもいいかもしれません。柚の皮なんかがあれば細く千切りにして添えてあげると風味もぐっとよくなってよりいっそうおいしくお召し上がりいただけます(たぶん

お出汁は沸騰すると香りが飛ぶからいくないとかそういう細かいことを気にする方はお湯で鶏肉を茹でて、そこにめんつゆを足せばいいかもしれません。まあいずれにせよ灰汁はすくいましょう。揚げ物はめんどくさーいなんて人は、フライパンに1cmくらい油をひいて揚げ焼きっぽくしてもいいかもしれません。大事なのはナスが油を吸ってるってことで、揚げずにナスをそのまま煮てもあまりおいしくないと思います。とにかくポイントは「揚げなす」です。ただのかけそばじゃ味気ないし…なんて時に鶏肉を使ってかしわそば…そこに揚げなすを足すことでそのかしわそばがもっとおいしくなっちゃう的なアレです!鶏肉と揚げなすで油使ってるので(でぶ、蕎麦だけじゃお腹いっぱいにならない男の子にもいけます。天ぷら揚げるよりは簡単でしょ?あとは混ぜご飯のおにぎりでも握って食べさせればいいんです!w

というわけでなんか最後カレシに作る晩御飯みたいな流れになってしまいましたが、寒い冬にあったかいお蕎麦はいかがですか?

ではまた。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

 

 

初めて感じた「褒める」ことの必要性

どうもどうも今週から新学期がスタートし、今期はpracticumとcurriculum developmentの2つを取っています。前回の記事でも触れた通り、実習先は、とあるsocial serviceで移民の方々向けに英語を教えてる先生のところで実習をやることになりました。

火曜日に、実際に授業を見学させてもらいに行ってきたのでそのことを書いておきたいと思います。最初にざっとどんなことを授業中にやっていたのか、その後にタイトルにも絡めたことを書きたいと思います。

教室は結構広くて円卓が6つと前にホワイトボードがあって、英語教材が後ろの棚にどさっと置かれていました。授業は午前9時から12時までの3時間でしたが、とくに9時になったら始めるということもなくて、ぞろぞろと人が集まってきて、その度に先生が僕を紹介してくれて挨拶をし、談笑しながら授業の準備をしてちゃんと始まったのは25分過ぎたあとからでした。レベルはlow beginnerなので、ほぼ英語が喋れないと言ってもいいくらいで、なかにはかなり強いアクセントありながらも結構流暢にしゃべっている人もいました。ほとんどがブータンからの移民で、自国では学校に行ったこともなかったという人や産まれてからずっと難民キャンプで暮らしていたという人も。年齢もかなり幅があって、孫がいるようなおばあちゃんから僕と同い年くらいの若い人までが一緒に英語を勉強するというような環境。名簿には20名ほどの名前がありましたが、誰がいつ来るかは先生にもわからないというほど出席にばらつきがあるそうで、また途中から参加したり途中で授業を抜ける人も多いので臨機応変さが求められそうです。

授業で扱われたのは現在進行相で、まずは導入として様々な動詞をingにすることを”What are you doing?”というようなインタラクションで。これは授業が終わったあとに聞いたことなのですが、前日に既に現在進行相の意味と形式の確認は済ませてあるということでした。なので復習といったかんじ。ですがなかにはこの日が初めてという人もいて、そういった人たちにとっては初めて学習する項目ということになります。

導入のあとはプリントにあるダイアログをペアで読む練習でした。人数の関係で、僕も一緒に混ざってやったのですが、やはり発音がどうしても気になってしまって何回か止めて練習させたりしてみたのですがむずかしいですね。sheの発音が全部seaになってしまっていて、それを矯正することが結局最後までできませんでした。初対面ですし勝手に違うことするのもはばかられたのですが、僕が授業やるときにはどうにかして発音練習を授業に組み込んでいけたらいいなと思っています。

次に、doing the laundryといったフレーズが書いてある紙と写真をバラバラに配って、”Are you doing the laundry?”とか現在進行形を用いて質問をし、自分の持ってるフレーズが表す行為の写真を持っている人を探すというマッチングアクティビティ。日本の中学校や小学校の外国語活動でたまに見られるように、実際に英語を使わないで持ってるモノを見せ合っておしまいみたいな場面が見られました。すべての指導が英語で行われるので、本当にとにかくやってみせることが一番大事なのかなと思いました。いくら丁寧に指示を出したと思っても、すべての指導が英語で行われるわけですから学習者がちゃんと理解してくれていない可能性も大いにあります。とくにこのレベルでは。

そのあとは、主語と動詞(この場合はbe動詞)の一致が問われる作文エクササイズ。主語(例えばTom and his friendとか)と、動詞句(例えばwash the car)があって、

Tom and his friend are washing the car.

という文を作らせるような問題をいくつか。一文ずつ先生が指名して、生徒が一人ずつ前に来て書くという感じ。

僕は、生徒が間違えたときにはなるべく自分で間違えに気づかせる方向に持っていきますが、先生は結構ダイレクトに間違えを指摘する感じでした。

そのあとは、ペアのスペリングアクティビティ。アルファベットが書かれた小さなカードを机に広げ、先生が動詞を言うのでその動詞にingを付加してカードを並べて単語をつくるという。

結構盛り上がってましたが、やっぱり指示がうまく行き届いていなくてなにをやったらいいかわかっていなかったり、動詞だけでいいのに文を作っていたりとかまあそういうコミュニケーションのずれみたいなのはちょくちょく見られました。またペアによってもモチベーションに差があって、難しすぎて逆につまらなそうに見える人もいました。レベル分けされてるとはいえ能力に差はありますから、どうやってペアを組むかという点ももう少し工夫が必要そうです。

そんな感じで残り15分くらいになるとぞろぞろと人が帰りはじめたので、最後は雑談でおしまいって感じでした。

さてさて、タイトルはちょっと煽りすぎっていうか、褒めることが大事ってのを初めて感じたっていうのは言い過ぎかもしれないんですが、僕が何を言いたいかって言いますと、こっちってほんともうとにかく褒めて褒めてとにかくあまり間違いを訂正したりしないで”encourage”するっていうのが結構というか僕が思うに日本よりはるかに重要視されているように思うんですね。まさに某家元が大嫌いそうな、いつもやり玉にあがってる光景がよく見られるんです。今回見た授業もその典型といってもいいのではないかと思いました。僕も一応英語学習者で、いろんな留学生の英語も聞いたことありますが今回の生徒たちの英語を聞き取るのはかなり難しかったです。もちろん発音だけが原因ではないですが。また、発話に含まれる文法的誤りの訂正もほぼなくて、「意味が伝わればOK」という感じでした。正直にいうとそういう考えは僕はあまり好みではなくて、やっぱり間違えは正すべきだと思っています。ですが今回の授業見学で、「ああこの場合はこれが一番なのかもしれない」と思いました。生徒の母国語でコミュニケーションが取れるならまだしも、英語しかコミュニケーションの手段がない上にほとんどコミュニケーションツールとしての英語が身についていない状況で、生徒との信頼関係を築いて授業を成立するためにはとにかくencourageっていう方法もアリなのかなって。言語も文化もまるっきり違うし共有してるものがかなり少ない状況の中で、愛情としての「厳しさ」が通じるかどうかはかなり怪しいですよね。英語を学習する必要性はあれど(アメリカに住んでいるし)、あまり授業に来ない人もいるそうです。ですから動機がそこまであるわけでもない人も中にはいるわけですし。発音に関していえば、native speaker of Englishの先生が理解できるのだからということもあるのかもしれません。もちろんELLの先生というのは耳が慣れているので強いアクセントの英語でも理解できますが、一般のnative speaker of Englishはそうでもないんじゃないかっていうのは考慮する必要がありそうですけど。

これは最近のいわゆる「体罰問題」にも関係あるかもしれませんが、自分が「生徒のために」と思ってやったことや、「とにかく愛情があれば」みたいなのって結構危険ですよね。教育に限らずに愛情を注げば注ぐだけ、情熱があればあるだけうまくいくってことでもありませんし。まあなんていうかこうバランスっていうんですかね、ちゃんとポイントを絞って、今日はここちゃんとしようあとはとりあえず気にしないでおこうみたいな「割り切り」も必要なのかなぁとか。

それに、いろんな背景があって英語を勉強することになってるわけで、歳も僕より上の方もたくさんいらっしゃってみなさん大人という中で、どんな思いで授業に来ているのかというのも可能な限り考えたいなと思います。

最近は自分が「教える」という立場にいなかったこともあって、久しぶりに英語を「教える」ということをしたときに、わからない→わかる、あるいは、できない→できた、というプロセスを目の当たりにしたときの、「そう!それ!そういうこと!」感みたいなこうなんというか、ああこういうのが楽しいなと思って教員になりたいなぁと思ったんだろうなみたいなことを思い出すこともできて、すごく有意義な3時間でした。

こういう経験は絶対に日本ではできないと思いますので、たくさん学びたいと思います。また、こういう環境で教えることや考えたことが、必ずしも日本の英語教育に当てはまるというわけではないということも十分にわかっています。ですので今回書いたことも、これから実際に僕が授業をするにあたってどういうスタンスでやっていったらいいのかということを考えただけでして、日本の英語教育にどうこうとか誰がどうだこうだとかそういうことを言うつもりはありませんので。

そんなわけで、これから時間を見つけて実習に関することもブログに書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

 

振り返り忘れた2012年と先行き不透明な2013年と

どうもみなさまあけましておめでとうございます。もうあれですね前回の日記を書いてから1ヶ月近く経ってますね。なかなかゆっくりとパソコンに向かう暇もなくわちゃわちゃと冬休みを過ごしていたのでした。今日は久しぶりにコーヒーをゆっくり飲みながら一人の時間を満喫しております。

さてさて、もう三が日も終わって1月4日、日本だともう5日になってるわけでしていまさら感満載なんですが、2012年を振り返り忘れたので振り返ろうと思います。

ちょうど1年前の1月から、本格的に大学院の授業を履修し始めて、最初の学期は2つの授業、

  • Strategy and Techniques for Teaching Listening and Speaking
  • Strategy and Techniques for Teaching Grammar

を取りました。その頃は主にある文法項目を取り上げて、その項目を扱った指導案を考え、授業でデモをするというのに力をいれていたと思います。

【授業】助動詞のwillをbeginnerレベルの生徒にどう教える?他

【授業】等位接続詞をintermediateレベルの生徒にどう教える?

【授業】indirect questionsをadvancedレベルの生徒にどう教える?

【授業】gerunds(動名詞)をadvancedレベルの生徒にどう教える?

当時はまだアメブロでブログ書いてたんですが、こんな感じでどんな指導案を考えたのかを、その文法項目の分析とともに書いたこんな記事があります。もちろんlistening系の授業もESLでやりましたし、それをビデオに録画してもらって、Twitterでやりとりさせていただいている先生方に見てもらってfeedbackをもらうなんてこともありました。

この時期には、

http://www.amazon.com/Perspectives-Teaching-Classrooms-Linguistics-Professional/dp/0805839550/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1357321975&sr=1-1&keywords=0805839550

Amazon.com: New Perspectives on Grammar Teaching in Second Language Classrooms (ESL and Applied Linguistics Professional) (ESL & Applied Linguistics Professional Series) (9780805839555): Eli Hinkel, Sandra Fotos: Books via kwout

この本も授業で読んでいて、僕はEllis先生のchapterを担当することになり、まとめをしたんですが、今この本を読み返すといろいろ「わかる」という気がします。1年前にこれを読んだ時よりは自分の視野が広がっているんだなとは思います。

【授業】Ellis, R. (2002).をまとめちゃうぞ☆

春学期はMethodologyとLanguage Acquisition、Assessmentの授業を取っていて、正直この学期が一番しんどかったなと今振り返って思います。Brown先生の本を毎週ヒィヒィ言いながら読んで、Assessmentの授業では毎回もやもやさせられたのを覚えています。

Language Acquisitionの授業で書いた、wanna contractionのpaperも苦労しましたが、今までにあまり取り組んだことのない内容だったので、とても刺激的でした。

【授業】Review of Wanna Contraction (ペーパーの一部コピペ)

夏にはContent-based InstructionとSocio-cultural context of Langage Teachingの授業を取りました。アメリカのESLは基本的にCBIなので、日本での英語教育と比較しながらどんなかたちで学んだことを日本に帰って活かせるかなと考えたり。Socio-cultural contextの方は、社会言語学系のテキストを読んで、言語教育、あるいは教育というものが内包した格差や不平等についての知見を得ることができたと思います。文法指導に興味がある一方で、もう少し視点を変えたところから英語教育を考えるということにも興味があり、むしろ色々な問題を解決するためにはそういうところから切り込んで行くべきなんだろうなとはいつも思います。

夏休みには、一人でNYに行ってきました。片道4時間半のドライブでは腰がぶっ壊れるかと思いましたが、大都会NYCを楽しんできました。

先月終わった秋学期では、Linguistics, teaching pronunciation, CALLの3つの授業を取りました。linguisticsでは、音声学について学び直し、そしてconsciousness-raising taskについてのペーパーを書きました。CALLではGoogleハングアウトを使った講義が毎週あり、今まで触ったことのないソフトウェアなんかにも触る機会があったので、教員になってから、なにかのときにこの経験が生きればいいなと思います。ボスが担当するLinguisticsの授業は、一番きついと評判で、「誰もAとれない」なんて噂も聞きました。お陰様で、僕はギリギリ96.4/100でAもらえたので、安心しました。というか心の底で「よっしゃ!」って言いましたw

GPAも3.847なのでまぁ一応そんな悪くはないでしょと…

そんな感じで、冬休みはスノボーを満喫しておりました。年明けは今年も特に何もなく、元日5時起きで滑りに行きました。

そして、大晦日に実習先に行って来ました。僕は希望を高校で出していたのですが、結局、social serviceで、移民の人たち向けに英語を教えてるところに行く事になりそうです。ボスがメーリスで、「うちのYuにpracticumやらせてください」みたいなのを流してくれていて、それで僕のところに2通メールが来てたので、2人の人とメールしてました。苗字がどちらもKidderで、RebeccaとBeckyでした。姉妹?と思っていて、Beckyさんの方に電話して、「実はもう一人、Rebecca Kidderさんとも連絡を取らせていただいておりまして…」と言ったら、「あら!それも私よ!w」と言われて「えっ(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)」

なんかおかしいなとは思いつつも、BeckyがRebecccaのニックネームだと知らなかったので別人だと思い込んでいたら同じ人が違うメアドでひとつは本名ひとつはニックネームでメールを送ってくれていたのでした。

なんでそんなめんどくさいことすんのよwwwwwwww ていうか僕が律儀に2通に同じ内容で微妙に違う文面で送ったの気づいてそこで教えてくれよwwwwwwww

そんな感じで電話で赤面しましたが、大晦日に直接会って話しをする約束をして行ってきました。まず受付のお姉さんに話して、そしたらそのお姉さんと話していた男の人にいきなり

“Are you nihonjin?”

と聞かれて、まったく予想してない人がnihonjinという単語をいきなり発したためにテンパッてしまい、

「ん?え?」

って困惑してたら、

「ニホンジンデスカ?」

と聞かれてようやく理解するという。いやあ思いがけないところに日本語が話せる人がいるものですね。聞いてみたら1995年くらいまで今はなきSANYOで働いていたとのことでした。名刺もらいました。

そのあとは地下にあるオフィスに案内してもらい、いろんなところでどうもどうもと挨拶して紹介してもらいみたいなことしてましたけど全然名前は覚えられませんでね。というか31日なのにみなさんバリバリ働いていらっしゃったのでびっくりしました。

そんな感じでここはどんなことやってるのかとかどこでどういう人たちに英語教えてるとかテキストはどれを使ってるとかそんな話をしつつ、僕のiPadの待受003

の高校の卒業式の時の写真を見て、「あらそれにはあなたも写っているの?」と聞かれたので、「これです。」とピースしてる自分を指したら、「ああ一番ハンサムなこの子ね!」と言われたので、”You’re kidding.”と返したら、”Yes, I’m KIDDER.”と言われたのでうますぎて爆笑してしまいました。これは2012年でいちばん「こりゃあ一本とられたわ」と思うほどのスマッシュでした。座布団10枚くらいです。

そんな感じで、来週授業を見学させてもらいに行き、いろいろ書類とかを記入してボスと留学生オフィスに提出して、いざ実習先開始ということになりそうです。

ということでそろそろ2013年の目標ということなんですが、もうとりあえず次のステップに進む。って感じですかね。今年で院を卒業しますし(希望的観測)、その後は教員になるために頑張らなければいけません。そこまでしっかり辿り着きたいですね。あとは、日本に帰ったら会いたい人に会いに行くのも目標です。あとは最近疎遠になりがちなTwitterもちゃんと続けていきたいです。自分のペースで。自分のやりたいことと、自分のできることをしっかりと見極めて、一歩ずつ着実に、そうやって過ごしていこうと思います。

そんなわけで本年もよろしくお願いします。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

2013-01-01 23.06.54

 

Consciousness-raising task

どうもお久しぶりです。前回FonFの記事を書いてから3週間くらいでしょうか。なんとかかんとか秋学期に履修していた3つの授業が無事に全て終わり、冬休みに突入です。というわけで、木曜日に終わって金土ととくになにをしたってわけでもなくリラックスして本を読んだりしています。まだ雪があまり降ってないのですが近々初滑りにも行こうと思います。

さて前置きが長くなりましたが今回は記事のタイトルにもあるようにconsciousness-raising taskについて、その中でも特にtaskの主題を「文法問題の解決」に設定しているconsciousness-raising grammar taskというものについて、課題でペーパーを書きました。まあ授業はlinguistiscsという名前がついていたんですがやったことは前半は音声学について、後半はThe Grammar Bookを読みすすめるという感じで特に「言語学」をやったという気はあまりしていないのですが。この課題で求められていたことは文献や教科書のレビューと、そこからある特定の言語的側面に焦点をあてた指導法の検証とその批評?ということでして、僕はとにかくtaskに興味があったのでTBLT関連の文献から入って、また文法指導にも興味があったということもありこのconsciousness-raising taskについて書くことにしました。ペーパーの構成的には、

  1. Introduction
  2. What is task?
    1. Definition of task
    2. Type of Task
    3. What is Good Task
  3. Characteristics of EFL context
  4. Task-based Approach to Grammar Instruction
    1. The effect of Formal Instruction
      1. Explicit and implicit knowledge
  5. Grammar Consciousness-raising Task
    1. Grammar CR tasks in Teaching if Conditionals
  6. Evaluation of CR Grammar Task
  7. Conclusion

となっています。上記の章立てには入ってませんが、グループワークの効果、TBLTが根拠とする仮説、宣言的・手続き的知識の箇所を最終的に提出する際に削りました。なのでリンクは提出して先生からのコメントが入っているものと、削った箇所をそのままにしたもの両方貼っておきます。上が先生からのコメント入り、下が削った箇所が入ってる版です。

https://drive.google.com/file/d/0BzA9X1kZX185OGNneUlMN25nVzA/view?usp=sharing&resourcekey=0-xoODLV-g6Zya693u42auTA

https://drive.google.com/file/d/0BzA9X1kZX185dVRmUHZsaGJrblU/view?usp=sharing&resourcekey=0-AtVWY8Zf_OykkjNA5wnf_g

個人的にはもっといろいろコンパクトにまとめられたらっていうのとif節に関してもっと考察が必要だったなとは思っています。ちなみに、このペーパーをもとに指導案を作ることも課題になっていて、それもリンク貼っておきます。

https://drive.google.com/file/d/0BzA9X1kZX185dVRmUHZsaGJrblU/view?usp=sharing&resourcekey=0-AtVWY8Zf_OykkjNA5wnf_g

一応対象は日本の高校生ってことで作りましたが、時間いっぱいいっぱいかなという気はします。先生からのコメントで、”Does the teacher evaluate their classifications or discuss the reasons for their analysis?”というのがありました。確かにそういう記述はないので書いておくべきでした。やったらやらせっぱなしというのは良くないですしね。ただその後の説明の段階で生徒とのやりとりを含めながら説明をしていくという方法は考えられるかと思います。

そのあとに、対面で日本語を見ながら英語を言うという活動があり、そこに音声指導も入れるようになってるんですが、”What’s the purpose of hte translation exercise? And why do you extend this to include pronunciation?”というコメントがあります。僕としては意味と形式を結びつける自由度の低い活動としてこういうのを入れたつもりで、音声指導の理由はただ単に音声指導が必要だと思ったからいれたんですが、だったらなぜ最初のペアでtaskやってるときには音声指導が入らないのかっていうのもあると思うんですが…

もちろんそれはそのとおりで、自由度の高い活動のときこそ音声指導が必要なのだとは思います。だけどそれが可能なのは練習段階でもそういう指導がしてあるからであると思うのでこの練習段階での音声指導が問題視される理由というのはよくわからないのというか。文法が主眼なのになんで音声指導?みたいな話なのでしょうか。それとも明示的知識を主眼においてるのに音声指導?みたいな話なのでしょうか。うーむ。

そんなわけで早くスノボー行きたいです。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

Focus on Form

兼ねてから感想を書いた記事が眠っていたんですが、最近いろいろ読んだりしていてちょっとこれは書いておきたいと思ったのと、それからお願いされていて「はい」と返事したのになかなかアップできない罪悪感みたいなのもずっと感じていたので、『学習英文法を見直したい』の第7章の松井先生の論考に関してだけ手短に記事を書きます。間違っているところがあればご指摘ください。

松井先生はこの論考で、フォーカス・オン・フォーム(Focus on Form以下FonF)と、「フィーリング」や「イメージ」という2つの文法指導アプローチに対する提言をされています。僕が言及しておきたいのは前者です。松井先生が引用されている和書の文献は残念ながら現在参照できないのですが、どうやらフォーカス・オン・フォームやあるいはそこに関連した「気づき(noticing)」というものが、少し違ったかたちで理解・共有されているのかなという印象を僕は受けました。そしてそれは日本の英語教育が今までどうやってなされてきたのかという点を反映しているようにも思えます。松井先生は、FonFをFocus on Formsの「アンチ・テーゼ」としていますが、この表現はあまり正確ではないと思います。FonFというのは、僕がここ最近書いた記事でとりあげたTask-based Language Teaching(TBLT)の枠組みにおける一つの”methodological principle” (Doughty & Long, 2003)であり、FonFを達成するためには様々なテクニックがあります。そして、このFonFは、FonFsの直接のアンチ・テーゼというよりは、どちらかというと、意味だけでもだめだし形式だけでもだめなんだよという主張でしょう。つまり、FonFsに則った指導法(例えばAudio lingual methodなど)がまずあり、「形式ではなく意味が大事なんだ!」という批判から生まれたfocus on meaning、そして現在は、「いやいや、意味だけじゃダメで、意味中心のやりとりの最中に言語形式に注意が向くことが大事なんだ!」というFonFという概念が主流であるというのが僕の理解です。また、その文脈で登場するnoticingという概念は、なにも「初学者のうちから、実際の英語運用をする中で、『伝達したい意味』と『自分が表現できる形式』とのギャップに気づかせ、そのギャップを教師からの支援で埋め、自分が表現できる形式を整備していくということになるようです。」(p.90) ということだけではありません。この引用部分は、noticingの中の、noticing the gapという概念のことだと思われますが、もともとSchmidt (1990)で提案されたのは、形式に気づいていないインプットはインテイクにはならないのではないか、言語習得には、形式に気づくことが必須なのではないか、という点であり、その主張は、先ほど述べたように、「意味だけではなく形式も」というかたちでその後の理論や研究に取り入れられていき、また一方では言語習得の認知プロセスに関して、Krashenのいうように、「意識的な学習はacquisitionにはならない」という主張に対する反論として様々な文献で引用されてきているように思います。ですので、「『気づき』を得るには実際に運用することです」と言われても…」(p.90)の部分は、どこでそんなことが言われているのか不思議に思いました。引用されている和書でしょうか?

また、FonFのformが無冠詞であるのは「ここの具体例の集合体としての一般論である無冠詞複数形の”forms”との差異化を図った概念なのだろうと理解しています。しかしながら、そこでの『気づき』や『フィードバックの結果成功したアウトプット』の説明で用いられるのは、結局は冠詞の習得だったり、時制の習得だったり…結局”a form”の話に戻っているのではないか」(p.91)という記述があります。前段は同意ですが、僕はこのFonFという概念がFonFsと対比されているのは、シラバスデザインに関してだと思っています。後者は、structural syllabusと対応しており、structural syllabusとは言語形式をひとつずつ導入し、学習者はそれを少しずつ積み上げていきコミュニケーションに使用するという考えが念頭にあります。しかしながら、指導によって文法を身につけさせる(暗示的知識を習得させる)ことができるのは、学習者がその段階に達した場合のみであり、教師の介入によってその順番を変えることができないという考えがあります。しかし、学習者がどこの段階にいるのかを見極めてその段階を狙って指導をするのは不可能です。よって、無冠詞の単数形であるformにすることで形式という概念を抽象化したものがFonFなのではないでしょうか。この問題に関しては暗示的知識ではなく学習者内シラバスの影響を受けない明示的知識を教えることによってこの問題を回避しようという案もあります(Ellis, 2002b, p.163)。日本では、文法シラバスに則って指導が行われているため、TBLTやFonFといった指導法が想定しているものとはそもそも相容れないという可能性があります。それを最先端の言語習得理論だといって日本に取り入れようとするがために、このような「誤解」が生まれてしまうのかもしれません。「文法を教える」という考え方自体がもともとのTBLTでは否定されています。これをなんとかするために、focused taskの一種であるconsciousness raising task (Fotos, 1994 and Fotos & Ellis, 1991)が提案されていたりします。このような指導法では、明示的文法説明の可能性は排除されていません。第6章で亘理先生も触れていますが、明示的な指導が一切ダメというわけではないということです。読んでいて、フォーカス・オン・フォームや気づきといったことを、明示的指導や文法指導と対比させて、前者を批判しているように思いました。それは正しくもあり間違ってもいるというようなことに関して簡単に書かせていただきました。

追記:Ellis2002bは、アメブロに僕が書いたレビュー記事があるのでそちらをご覧いただければと思います。それから、これに若干関連したペーパー書いてまして提出して返却されたらブログにアップしようと思います。もしかしたらこの記事に加筆するかもしれません。

 

Doughty, C. J., & Long, M. H. (2003). Optimal Psycholinguistic Environments for Distance Foreign Language Learning. Language Learning & Technology, 7(3), 50-80.

Ellis, R. (2002). Methodological Options in Grammar Teaching Materials. In E. Hinkel, S. Fotos (Eds.) , New Perspectives on Grammar Teaching in Second Language Classrooms (pp. 155-179). Mahwah, NJ: Erlbaum

Fotos, S., & Ellis, R. (1991). Communicating about grammar: A task-based approach. TESOL Quarterly, 25, 605-628. doi: 10.2307/3587079

Fotos, S. (1994). Integrating grammar instruction and communicative language use through grammar consciousness-raising tasks. TESOL Quarterly, 28, 323-351. doi: 10.2307/3587436

Schmidt, R. W. (1990). The role of consciousness in second language learning. Applied Linguistics, 11(2), 129-158.

Intonation and pitch pattern

発音の授業で、自分の発音の矯正とその指導法みたいなのを学んでいるんですが、その授業中に見たビデオが面白かったので、これもしかしたらYoutubeにアップされてたりしないかなと思って探してたのですが残念ながら見つけられずw

Introduction to The Sound and Style of American English

http://www.3480.net/usa/index.htm

ここにワークシートというか資料みたいなのがあるんですが、やっぱり聞かないとわかんないんですよね。そんでなんか音源が中国のサイトにアップされてたのでまあ興味ある人は聞いてみてください。

http://www.tudou.com/listplay/QWsPFq14xwk/Hxu4mYZbw6I.html

Dr. David Alan Sternていう先生のなんですが、アメリカ発音に近づけるためのコツとして、”Jump up & Step down” というパターンを提唱しています。

発話の直後にピッチが急上昇して、そこから各音節ごと(各語ではなく)にピッチを段々と下げるというパターンを適用することで、より「ネイティブ」な発音に近づくということです。ポイントは、

  • 声の大きさではなくピッチを高くすること
  • ジャンプアップ(急上昇)であってスライドアップ(段々上昇)でない
  • 各語ごとではなく、各音節ごとにピッチを下げる。

の3点で、例えば

http://www.3480.net/usa/Course3_5.htm

THE SOUND AND STYLE OF AMERICAN EINGLISH: INTONATION & SYLLABLE STRESS via kwout

こんな感じ。どこで、ピッチを急上昇させるのかとかいう点については詳述されていて(もちろんコンテクストによるし何を強調したいのかによもるけどまあいくつか一般的ガイドラインはあって、という話ではあります)、例えば代名詞や機能語は基本的にストレスがこないので代名詞の直後、あるいは機能語の前後でピッチが上昇する等。まあ一般に言われてる英語のストレスやイントネーションパターンに加えてというか違う点からアプローチして、この”jump up and step down”のパターン意識してみるとアメリカ英語っぽくなりますよっていう話です。強勢よりもピッチの高低って結構意識しないとなかなかうまくできないし、結構大げさにするくらいでいいといつも先生には指導されているのですが、これもその一環ですかね。先生曰く、「大げさにするくらいでやっていれば普段の発話に自然にそのパターンが生きてくるから」ってことらしいです。

まあ僕は特にインプットもアメリカ英語だしそれに似せるように、それがモデルだと思って発音してるのでアメリカ英語に近い(明らかにイギリス英語ではない)発音してるわけですので、こういう練習は結構ためになったりしますけど、これをじゃあ教えるかっていうと悩みどころです。「ヒント」として使えたらいいなくらいには思いますけどね。

関係無いですけどStern先生の動画をYouTubeより。

[iframe src=”https://www.youtube.com/embed/f9EsyYw5d40″ width=”100%” height=”480″]

では。

アメリカ New Hampshireより

おしまい。

pleaseとpolitenessのお話。

今日の授業で面白かったことを少しメモ。pleaseっていう言葉はよく疑問文の最後あるいは疑問文中の主語の後ろにおかれて、依頼などの際により丁寧さを出すために使われたりしますよね。例えば

Could you tell me how to get to the station please?
Could you please tell me how to get to the station?

こんな感じで。で僕の中ではこういった助動詞が使われている依頼の文や、

Do you mind hitting the light on?

みたいなのだったらpleaseつけるのわかるんですよ。たぶんこの場合は文末しかダメだと思いますけど。でも、今日教科書に出てきた文で、

Do you know where the bank is please?

っていうのがあったんですね。この下線部のところにいろいろ場所を表す名詞句を挿入して使うみたいな。それでまあエクササイズのメインはイントネーションパターンについてだったんですが、僕にとってはこの文にpleaseが付加されてるのにすごい違和感があるんですね。なぜかというと、なんか押し付けがましく感じてしまうからです。もちろんコンテクストにはよりますけど、道でこうやって聞かれたら、話し手は知ってるかどうかが知りたいのではなくて(いやそれはもちろんそうなんですが)、その先のことを知りたいわけじゃないですか。つまり、この文にこめられてる一番大事なメッセージは、「知ってたら教えてほしい」ってことだと思うんですね。そういう点でいうと、tell meを使って「教えてくれませんか?」というよりは「知りませんか?」の方がより婉曲表現な気はします。「教えてくれませんか?」だと、知ってるのが前提で、つまり、質問している相手が「銀行の場所を知っている」と確信して聞いてると考えられますよね。なので「教えてくれるか否か」を聞かれてるわけであって「知らない」は選択肢にないですからね。表面上は。もちろんtell meの場合だって、”Sorry, I don’t know.”という答えは何も問題ないわけですけど。たぶんこれって日本語でも一緒で、というかむしろ日本人なら「すいません銀行どこにあるかわかりますか?」と聞く方が一般的な気がします。「銀行への行き方教えてくれませんか?」と聞くよりも、場所がどこにあるかわかるか聞いた方が丁寧な感じしません?なんとなく。だから、たぶんあまり英語が得意ではない人に、「あなたは銀行へ行こうとして、道に迷いました。通行人の人に助けを求めましょう。さて英語でなんと聞きますか?」みたいな質問出したら結構な割合でDo you know~?が出てくるような気がしますがどうでしょう。それで、Do you know~の場合なんですけど、せっかく「知っていたら教えて欲しい」というメッセージを隠しているのに、pleaseが付加されることによってその隠されたメッセージが前面に出ちゃってるように感じるんです。pleaseをつけることによって丁寧さをあげようとしているにも関わらず、なんかそれが逆効果になってしまっているように僕は逆に感じてしまうんですね。まああくまで個人的な感想なんですけど。でも話を聞くとまあイギリスではこういう感じでいろいろな表現にpleaseをつけることが割とよくあることなんだそうです。イギリス行ったらよく耳にすると。

まあそうなのかあって感じなんですけど、それでもなんだかこの文は変だなあと。

Do you know where the bank is?

よりも、

Do you know where the bank is please?

の方が丁寧さが上であるというのが僕にはどうもしっくりこないなあと思ったのでした。そんな話。

アメリカ  New Hampshireより。

おしまい。

“Point to Point”

どうも。前回のSato (2010)の続きです。前半2つがその2010の論文へのレスポンス、その次がそれらのコメントに対する再反論になってます。その後に一応一連の論文を読んでのコメントを書きます。

 

Sybing, R., Urick, S. T., & Sato, R. (2011). Point to Point: Responses to ‘Reconsidering the Effectiveness and Suitability of PPP and TBLT in the Japanese Classroom’. JALT Journal33(1), 67-76.

 

Sybing, R. (2011) A Response to Criticism of TBLT in Japan’s Language Classrooms

  • PPPモデルのメリットに関しては認める。例えばある程度自由度を制限した状況を与えることで不安を軽減する可能性など。また大学入試や資格試験が重要視される日本という環境でのでは適しているかもしれない。
  • 問題は、SatoがTBLTの反対として直接PPPをおいたこと。つまりPPPとTBLTの二分法という考え方はよくない。そのような分け方は理論面実践面双方でなされていない。そしてそれはSatoのアプローチが新しいということを意味するのだが、それは必ずしも理論的であるとはいえない。
  • PPPは望ましい結果を達成するために修正が必要であると容認しながらも、TBLTは日本というEFL環境には適応されえない融通性のない教授法であると批判しているというのがSatoのロジックの誤りである。
“…his argument affords no simmilar concession to TBLT, which, he implies, forbids at all costs both the treatment of grammar strctures and comunication in the native language” (p.68).

 

  • (TBLTを日本に適用する際の問題点として語られている)L1使用の件に関しては例えばL1の使用を認めるTBLTの実践もある(Carless, 2007;Swain, 2000)。
  • どんな教授法でもその最も純粋な形で語学教室で実践的に実現可能であるという考えが甘い。
  • 実践とは、教授法に関して臨機応変であることと、状況に合わせてあらゆるアプローチを教室での使用に落とし込むということを教育者たちに要求している。
  • まずは日本における言語教育のゴールを決めるべきであって、今の状況に合っているかどうかではなく、なんのために言語教育をするのかという観点を考える必要がある。口頭によるコミュニケーションレベルを挙げるということであれば、コミュニケーション能力をあげるための教授法をどうやって適応させるかを考えなくてはいけない。

 

Urick (2011) On Methodology in Japanese Secondary English Classrooms

 

  • Satoが取り上げた第二言語習得のモデルはその分野で主流ではない。
  • 宣言的あるいは明示的知識は必ずしも言語習得の出発点ではないし、SATを提唱したAnderson自身もその考えを軟化させている。
  • 現在は暗示的学習と暗示的知識が、ほとんどのSLA理論に組み込まれてきている
  • 教育目標の問題について触れているが、どの目標が適切であるかについての明確な青写真を提示することに失敗している。
  • 文科省や中等教育教育者たちがまず英語教育界の目標と目的について広く議論をし、共通の認識を共有することが必要。その上で教授法の問題が話し合われるべきではないのか。

 

Sato, R. (2011). A Reply to Responses to “Reconsidering the Effectiveness and Suitability of PPP and TBLT in the Japanese Classoom”

主張したいのはとにかくPPP修正版推しだということ。

タスクの定義の曖昧性

Matsumura(2009);タスクのコア概念は、意味重視。言語的なものではなくコミュニケーションの結果としての産物があること。実際の世界で用いられるものに似た言語プロセス・認知プロセスを含んだ活動であること

Ellis(2003);focusedタスクは学習者によるある特定の言語表現の使用を引き出すことが目的であるが、それでも一番の焦点は意味にあるべきである。

 

このように定義が複数あるので、どの考えも1人のTBLTの著者に帰することはできない。しかしながら、明示的なform-focusedの指導や集中的なform-focusedの練習はTBLTでは必須であるとは考えられておらず、しばしば退けらていることは明らかである(Ellis, 2003;Nunan, 1989;Skehan, 1996)。

 

明示的知識の重要性

 

  •  TBLTでは軽視されている明示的知識だが、構造に関するそのような知識やイミテーション・繰り返し・パタプラ・ドリル・暗記、つまりpracticeはインプットの不足しているEFL環境では実際不可欠である。
  • ターゲット構造の原理やルールを(明示的にL1で、あるいは暗示的にL2で)の文法指導を与えることによって学習し、それに続く大量の意識的な練習なしに日本の中高生(例えばACTFLでlow levelとされるような)は、コミュニケーションのために英語を使うであろうとは思わない。

 

TBLTの限界

Miyamoto (2009);タスク型シラバスで、高校生に体系的に文法をおしえることは難しい。EFLだしモチベもあれだし。

Miyasako(2010);暗示的学習により過ぎてて日本では機能しない。

Muranoi(2006);修正版PPP(PCPP)の提案。content-orientedアプローチが日本人英語学習者のコミュニケーション能力の発達に効果的。

しかしながら、productionの段階ではオープンあるはクローズドのタスクの使用もありうる。のちに学習者が構造についての暗示的知識を使えることができるようになったあたりまでオープンな産出活動を遅らせたり繰り返したりすることもできる。

 

明示的知識と暗示的知識


  • 確かに自動化のプロセスにおいて宣言的あるいは明示的知識を経ずに手続き的知識が得られる場合もあるだろうが、これは、教師がそのような明示的・宣言的知識を育成する方法で教えることができない、すべきではないということにはならない。
  • 大量のインプットを与えることによって、教師は学習者が暗示的知識を発達させることができるような状況をつくるように努力すべき。このあたりについては詳述すべきだった。しかしながら、暗示的知識や暗示的学習が日本の中等教育レベルの学習者たちへの指導法として取り入れられうるという考えについては疑問。
  • TBLTの一番の欠点は明示的意識的学習を代償として暗示的知識を強調する点。

 

日本におけるTBLTの実践

  • 文法の正確さと同様にコミュニケーション能力も伸びたという研究はある(Fukumoto, 2010;Matsumoto, 2010;Naito, 2009;Okumura, 2009;S. Sato, 2010)。
  • しかしながらほとんどのケースで事前に目標構造が指定されており指導(明示的・暗示的)そのあとに練習が続く形だった。ほかのケースでは、TBLTは補助的な形で取り入れられていた。
  • TBLTのスタイルは少なくとも決定的な概念についてはPPPと共通している。

 

有効なTBLT

  1. 目標文法項目の指導がある(明示的・暗示的、演繹的・帰納的になされる)
  2. 形式に焦点をおいた十分な練習がある
  3. アウトプットの機会がある、あるいは補助的に修正版TBLTを用いている
しかしながら、これらが実際にTBLTと呼ばれうるのかどうかは疑問がある。それは先行研究として挙げた例でも同じ。

 

英語教育の目標

オーラルコミュニケーションのレベルをあげるために障害を乗り越えて英語教育改革するべきというのは同意。中高でこのゴールを現実化させるためには、英語教師の英語力の向上と伝統的文法訳読式からの脱却が必要。

 

結論

日本の中高生に英語の言語構造の明示的知識を教え、大量の練習と、習ったことを使う現実的なコミュニケーションの機会が大事であると再度強調したい。

コメント

 

これまずTBLTっていうもの自体がそのTBLTという枠の中で、支持している言語習得理論や仮説の違いで微妙に言ってることが違うからなかなか難しいですよね。で、この論文の出版の時期とかの関係で無理だったのかもしれませんが、ふと疑問に思ったのは先日僕が取り上げたEllis (2009)が引用されてないってところなんですね(このためにあのブログ記事を先にアップしたというのもあります)。詳しくはあちらの記事を参照していただきたいのですが、あれが2009年で、それまでにもTBLTっていろいろ批判はあるわけですけども、それに丁寧にEllis先生が反論なさってるんですよね。そこでは文法シラバスに関する話や、TBLTが上級者向けであるということに関しても記述はあるんですよね。まあ確かにEllis先生は割りとTBLTを広く捉えていらっしゃって、focused taskの活用や、明示的知識の重要性を主張していると僕は理解しているので、僕も考え方はそっちよりになっているのかもしれませんが。例えばTBLTは必ずしもoutput basedではなくて、input-basedのTBLTも可能であるということはEllis先生がおっしゃっていて、もちろん限られたリソースを用いて(例えそれがhiddenされた文法を使っていなくても)コミュニケーションを成立させることにも意味はあるし、初学者にはinput中心のTBLTもできますよっておっしゃってます。なのでそのへんの検討が必要であると思いますし、もしも日本での実践例が限られてるとしたらそのへんがこれから研究されなければならないのかなと思います。また、元論文のperspectivesの方で上級者と想定される大学生にタスクやらせてみてダメだった(現在完了を使わせたいのに使わなかった)ってことなんですけどまあタスク自体がダメだったかあるいは実施の際の手順がよくなかった(改善できた)とかそういう可能性はないのかなとかちょっと思ったり。例えばpre-task段階でのplanningとか。まあそもそも文法指導って一度やって「はい今日現在完了ねー。はい練習してーはいじゃあタスクで使わせてー。おーよくできてたー。じゃ次不定詞いこー。」とかじゃなくて、一度やったのをまた繰り返して身につけさせるわけであって、タスクの繰り返しとかも選択肢としてありますしね(どっかにそんなことが書いてあったけど忘れました汗)。それから環境面(テストや入試、学習者のモチベーション、日本人英語教師の英語使用割合の低さ)がTBLTとミスマッチであるという点に関しては、じゃあそれ変えればいいんじゃないって単純に思ってしまいました(もちろんそんな簡単に変わるかボケという批判があるのはわかったうえです)。モチベーションの部分はともかく入試とか、あるいは学校の定期テストは教師側が変えられる可能性は大いにありますよね。入試はちょっとまた違う要素が入ってくるとは思いますけど(弁別力とか)。日本人英語教師の英語使用の問題も、英語でやるようにすればいいんじゃない?って思ったり(いや英語は英語でとは言わないですけどさすがに日本語ばっかりっていうのもちょっとそれはどうかなとは思いますのでね)。

perspectivesに対する2つの反論に関しては、例えば「PPPは望ましい結果を達成するために修正が必要であると容認しながらも、TBLTは日本というEFL環境には適応されえない融通性のない教授法であると批判しているというのがSatoのロジックの誤りである。」なんかは確かにと思いました。ただ英語教育のゴールみたいな話になってくるとまたちょっと話しはずれるのかなとか思ったり。その上の方の話と現場での指導うんぬんはもちろんつながっていますし、誰にとっても他人ごとではないのですが「いやそれは俺に言われても」みたいな。いや、ていうよりどんな問題も最終的にやっぱりそこなんだよなって再再再確認くらいしたともいえますけど。あとは、「宣言的ー手続き的」のACTモデルがPPPと合ってるっていう説には、perspectives読んでるときに、「明示ー暗示」の話はなんで出てこないのかなとは少し思ってましたけどちゃんと指摘されてましたね。2つの立場があるのならなんで一つを選択してその枠組で話を進めていって、なぜもう一方ではないのかっていうのをしっかり組み立ててあるとありがたいなと。紙面の都合とかあって深く踏み込めなかったのかもしれませんけど。

そうそうそれで「明示ー暗示」の話になりますが、今ってそこまで強く明示的知識が習得に役立つという立場が否定されてるんでしょうか?TBLTとかFonFの話になると、あまりにもその暗示的指導や暗示的学習の側面が推されすぎて、もちろんそれがTBLTの肝であることには変わりないとしても、先ほども言及したように「いやいや明示的指導もTBLTの中に組み込めますよ、文法指導には必要ですよ」っていう流れになっているんではないでしょうか。これはもしかしたら僕の個人的思想が入り込んでそうやって解釈してしまっているのかもしれませんけど。

「TBLTとかPPPとかラベルはどうでもいいから目の前の生徒を見ればそこに答えはある」とかサムライの方はおっしゃりそうですけれども、実際CLT(の一つのスタイルとしてのPPP)を発展させたものがTBLTであって、共通の概念があるのは当然なんじゃないでしょうかね。最後の方に、「有効なTBLT」という提案があり、これは果たしてTBLTなのかということになってますが、形式に焦点をおいた十分な練習というところがTBLTの理念にはそぐわないのかなとは思いますね。TBLTの中心は「タスク」であってこれが一番大事なわけですけれど、TBLTに向けた批判がなされる場合ってまず指導法としてのTBLTなのか、シラバスデザインとしてのTBLTなのか、あるいは両方なのか、どっちがどうそぐわなくて、じゃあどうすればいいのかっていう順番で考えていきたいですよね。この観点で整理すると、多分今回のTBLT批判は両方の観点で日本の英語教育には合わないんじゃないんでしょうかってことになるかと思います。

最後の結論部分(2011の方)で明示的知識の指導が大事であるというのがあるんですが、これもその前に文法項目の指導は(明示ー暗示、演繹ー帰納」のいずれでもいけるっておっしゃってまして、そうなんですよね、だから明示的知識を教えるために明示的に教える必要はないわけでしてWatari (2012)でも「学習英文法は明示的指導を前提として論じられることが多いように思いますが、明示的に教えるのか暗示的におしえるのかという選択の余地があります。そしてどちらを選ぼうと、学習者の側で学習は明示的にも暗示的にも生じうることに留意すべきです」(『学習英文法を見直したい』 p. 77)という記述があります(ここを今書いてるペーパーで引用したくて英訳探してたのでした)。そして、「形式に焦点をおいた十分な練習」ということなんですが、これは形式と意味をつなげるための練習ってことですよね?DeKeyser(1998)をSato先生は引用されていらっしゃるので間違いないと思いますが、この形式の練習っていうのがAudiolingualism的なmechanical drillsと誤解されてしまう、そしてこのドリルっていうのがformsとmeaningをつなげるためとかいって実際に学習者の頭の中で起こってるのは”forms-forms”じゃないかよっていうのがDeKeyser (1998)のp.53-54あたりで言われてることですよね。なので問題はこのpracticeの段階なのかなあとは思いますね。ちなみにpoint-to-pointの方では引用文献がポスター発表だったり日本の書籍だったりして見られなくてイラッと(´・ω・`) ショボンでした。

ちなみにTBLTに関しては、僕がまとめたやつで申し訳ないんですがこちらの第38回 全国英語教育学会 愛知研究大会(第1日目) ハッシュタグまとめの最後の方に、Ortega先生の講演中の先生方のつぶやきがありますので参考までにどうぞ。

というわけでなんかいろいろ引っ張っておいて大したコメントも出来ずに申し訳ない気持ちはありつつもこのへんでおしまいにしたいと思います。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

Sato, R. (2010). Perspectives Reconsidering the Effectiveness and Suitability of PPP and TBLT in the Japanese EFL Classroom

どうもどうも。かなり前から「お前はこれも読んでないのか」と言われてヒィィすいませんつって読んだ論文がありまして、それでまあまとめブログということで更新させていただこうと思います。

Sato, R. (2010). Reconsidering the Effectiveness and Suitability of PPP and TBLT in the Japanese EFL Classroom. JALT Journal32(2), 189-201.

こちらの論文なんですが、後にこの論文への「反論」があり、その後にその反論に応えるかたちでもう一度著者が再度論点を提示しなおしていたりして、そこまでがひとつになってる感じですね。なので、それはまた別記事でアップして、その後に僕のコメントを添える形にしたいと思っていますので、この記事では僕のコメントは記しません。途中でなんか書き方とか変わってるのは同じ僕が書いてるやつでも違う日に書いているだけですのでご了承を。

イントロ

文科省の学習指導要領では、中学校の英語教育の目的は基本的なコミュニケーション能力の育成となっており、さらに高校においては情報を伝えたり考えや意見を表明するといったコミュニケーション能力の育成を図ることとなっている。文科省は、実際の言語を用い、考えや意見の交換をするように生徒を導く活動に取り組むべきと言っている。CLTからの理論的発展形態であるTBLTの利用は昨今日本の英語教育において注目を集めている。

タスクの定義(Ellis, 2003)

  • ワークプランであること
  • 主に意味に焦点をあてていること
  • 実世界の言語使用のプロセスを含んでいること
  • 4技能のうちのどれもが含まれうること
  • 認知プロセスに働きかけること
  • 明確に定義された、コミュニケーションによって得られる結果があること

PPPモデルでは、特定されたtarget structureの産出による練習が決定的な役割をもっており、教師によるL2の新しい形式と意味の説明から始まる。

Skehan(1998)を引いたPPPのまとめ

  1. ”元にあるルールが理解され内在化される機会を最大限にするために、明示的あるいは暗示的に提示される単一の文法のポイントに焦点をあてる。これは基本的にはdeclarativeな知識の発達を目的としているだろう。”
  2. 練習段階ではおもに正確さに焦点があてられ、生徒は教師の用意周到なコントロールに従う。declarativeな知識を産出可能な知識にするのが目的である。
  3. 教師のコントロールは徐々に弱まっていき、産出段階にはいる。この段階では生徒はコミュニケーション活動を通した目標形式の産出機会を与えられる。”学習者は彼らの表現したい意味内容に基づきより瞬時に言語を産出することが要求される。
PPP反対論者

Skehan(1996):ある特定の言語形式に焦点をあてることが学習と自動化を導くという考えは言語学や心理学の分野ではもはや信頼性をほとんど有していない。
Willis(1996):言語習得はadditiveな流れで起こることはほとんどない。

White(1988):PPPは意味の側面が欠落した方法である

TBLTは文法指導において効果的なのかという疑問

  • TBLTは前もって特定された形式の指導には向いていないかもしれない
  • 試験のためにデザインされていない
  • 日本の教室では日本語が主な指導言語である
  • SLA研究においてこの指導法の効果が完全にテストされていない以上、PPPを教室から完全に排除してしまうことは早熟なのではないか(DeKeyser,1998)
  • 英語に触れる機会が限られており、日常生活において英語でのコミュニケーションの必要性がほとんどないという日本のEFL環境を考慮すると、PPPの効果を考え直し、TBLTと比較することは重要である。

Reconsidering the Suitability of TBLT in the Japanese EFL Classroom

Target Grammatical Structures

日本の中等学校における英語教育では、教師は日本政府によって認可された教科書を使用しなくてはならない。これらの教科書はそれぞれのセクションで目標の文法形式を学習するようになっている。目標の文法構造の習得は線形ではないというWillis(2004)の主張はそうかもしれないが、教科書に収録されている教室環境の活動は生徒が順を追って目標言語を習得することが必要となるように機械的に編集されている。意味やコミュニケーションに焦点がおかれた典型的なタスク活動では、目標形式は必ずしも生徒によって使用されないということがあり得る。実際に目標形式を使用しているかどうか、そしてタスクに対してどのように感じているかの簡単な調査(対象は国立大学で英語教育を専攻する大学生21人)。タスクは高島(2005)からのものを使用。現在完了形の使用を促す目的のタスクであったが、15人の参加者は当該項目を一切使用しなかった。タスクは、タスクを遂行するためにどのような言語を使用するかは学習者が選択することができ、どのような文法項目を用いるかは学習者に自由が与えられているので、教師が想定している目標形式がタスク中に使用されるかどうかはわからないというのはかなり理解できる。英語に触れる機会が英語の授業中しかないという日本人英語学習者にはとっては、授業中で新しい項目を習得するということが決定的である。しかしながらタスクはこの必要性を満たしていないかもしれない。

Ellis(2003):学習者はしばしばコミュニカティブタスクを学習の機会というよりはコミュニケーションの機会としてみている

Willis(1996):TBLTの利点。タスクの役割はスピーキングとライティングそして理解の両方ために、学習者がすでに持っている言語を使わせ、活性化させることを促すこと(p.147)そして学習者に彼らが既に持っている言語を発展させるための動機付けにもなる。

Swain(2005):TBLTは上級学習者に適している。

しかしながら、著者の行った実験では被験者は比較的に上級であると考えられる国立大学の英語専攻の大学生であり、彼らであってもタスクが効果的に機能しなかったということは、中高生にはより効果は薄い可能性があるということを示唆しているのではないか。
Bruton(2005):タスクの適応力はEFL学習者に対しては限られている。

日本人英語学習者にとってタスク型アプローチが適切かどうかに懐疑的である。

高島(2005)では、彼も日本人英語学習者がTBLTの文脈でいうタスク活動では適切に目標語彙や形式を使用できないかもしれないと主張しており、日本の中高生の学習環境により適していると彼が考えるfocused-taskを提案している。

Examinations and Tests

Yashima (2000): 日本人学習者の目標は2つ。1つは入試等の現実的なゴール、もう1つはコミュニケーションのために英語を使うという理想的目標。そして学習者はそれぞれに多かれ少なかれ重きを置いている。

日本人学習者はテスト関連の動機付けのほうが強いようにみえる(Yashima, Zenuck-Nishide, & Shimizu, 2004)。

タスク型指導は入試等を念頭に置いておらず、文法的なエラーやミステイクをおかしたとしても教室外で英語が使えるようになる学習者の育成を目的にデザインされている(Willis and Willis, 2007)

入試以外にも、日本の中等教育では伝統的な手法の期末テストをやっていて、それらはリーディングがメインでたまにリスニングやライティングもあるけどスピーキングはない。よってTBLTとのミスマッチはある。

English Classes Conducted in Japanese

TBLTの教室では教室運営と指導をすべて英語で行うことがベストである。これによってコンテクストを作れるしリスニングにもなる(Willis & Willis, 2007, p.220)

しかしながら、日本の中等教育現場では英語は主な指導言語にはなっていない。文科省の調査では3分の1以下の中学校教員、10%以下の高校教員が英語をおもに使用して授業を行っていた(Kan,2006)。

この問題にまず当たらなければならない。しかしながら、教師が英語の授業中で日本語メインで生徒とのコミュニケーションを図っている以上、生徒は先生に従って(真似して)ペアワークやグループワークで日本語を使うはず。コミュニケーションのための英語授業という状態を作ることがTBLTの前提条件としてあるだろう。教室内で日本語の使用が主であるという現実を直視すると、TBLTの導入は節操ではないだろうか。文科省の目標に逆らうわけではないが。

Reconsidering the Utilization of PPP

Declarative Knowledge and Procedural Knowledge

2種類の知識タイプ
  • declarative knowledge; 宣言的知識。「知っている」ということ
  • procedural knowledge; 暗示的知識。「使える、できる」ということ。”procedural knowledge can only be performed”
インプットの不足している日本では生徒はまず宣言的知識を得たのちに、反復練習や英語に触れることによって、それを手続き的知識に発展させる(Sharwood Smith, 1981)。手続き的知識は自動化された宣言的知識であり(Anderson, 1992)、第二言語習得の最終的なゴールは手続き的知識の獲得であるべき。

Skill Acquisition Theory

第二言語習得はdeclarative formから始まり、数多くの練習によって手続き化される段階を経て知識が自動化される(Anderson, 1993,1995)。

スキル獲得の3段階
  1. cognitive stage;宣言的知識の段階
  2. assoociative stage;手続き化の段階
  3. autonomous stage;自動化の段階
すべての知識が宣言的知識からスタートするわけではないし、手続き的知識の習得(宣言的知識の自動化)は宣言的知識の消失を必ずしも意味しない。しかしながらこの理論の肝は目標行動に取り組むことによって宣言的知識が手続き的知識に発展するという点である。

PPP and Skill Acquisition Theory

SATはPPPの効果を説明しうる。DeKeyser(1998)によると、SATは学習者の明示的文法指導が先に与えられるべきであり、その後に宣言的知識を手続き的知識に発展させる活動や練習が続くべきで、そして手続き化を自動化に高めるためのより自由度の高いコミュニカティブ活動があたえられるべきであるとなっている。この段階はPPPのpresentation・practice・productionという3つの段階と対応する。ちなみに、TBLTではpractice・associativeのステージが完全に却下されてるようにみえると筆者は指摘する。

Yamaoka(2005, 2006);イミテーション、繰り返し、パターンプラクティスは日本のEFL環境において宣言的知識を手続き的知識に発展させるために不可欠である。

Dekeyser(2001);活動は言語が定型句を通して学習されるようなルールベースのモデルのあとに活動が導入されるのが理想的であると結論づけている。なぜならば、明示的指導によって、生徒は新出の構造に気づき、その形式と意味のつながりを処理することができ、そうすることで彼らは最終的にその新出文法を習得することができる。

Suggestion

AndersonのSATにあるように、PPPモデルは日本人英語学習者が限られた時間のなかで効果的効率的にターゲット構造を習得するためには役に立つはずである。

Yamaoka(2005);手続き的知識を発展させる際には伝統的PPPモデルにみられるような単純で機械的な繰り返し練習では意味はなく練習をとおして意味と形式のつながりを経験するべき。むしろ複雑でアクティブなイミテーションや繰り返しが必要。意味と形式のつながりを確立するためには認知的練習が必要。

DeKeyser(1998);機械的ドリルやアウトプットを急がせることは宣言的・手続き的、両知識の発展のためには理想とはほど遠い。活動やプラクティスの前にまずターゲット項目の宣言的説明が必要。コンテクスト内での大量の練習が必要でありそれによって宣言的知識が手続き的知識になる。

Gatbonton and Segalowitz(1988);コミュニカティブ活動は学習者に同じ表現や決まり文句を繰り返し使わせるようなものに工夫されるべきである。

Arevart and Nation(1991);学習者が同じストーリーを数回話し、回を重ねるごとに時間の制限を厳しくするような活動を紹介。同じ語彙項目や決まり文句を何回も使うことになり学習者の習得に効果あり。

同じターゲット項目を繰り返し使わせるようなfocusedな活動が効果的であるかも議論の余地はある。TBLTの観点ではターゲット構造を正確に産出できるかという点にプライオリティをおくのは批判されうる、たぶん。例えばWillis(1996)は生徒はしばしば目標形式を過剰使用し、彼ら自身の伝えたい意味を表現するというよりも構造をうまくコントロールすることを示そうとすると指摘している。単にすでに習ったあるいは内在化された形式を使用するというよりもむしろ新しく文法構造を習うように仕向けるということを考えると、産出段階において自由度の低い活動を使用することは合理的である。入試やテストのために勉強するという環境とTBLTのミスマッチ。産出段階においてもSではなくRLWが重視されたりする。その活動の一例としてディクトグロスがある。

Conclusion

TBLTは注目されているが日本という環境での英語学習には適していないのではないか。日本で行われているPPPモデルの問題はproductionの段階でコミュニケーションを改善させるための十分な時間が取れていないということ。コンテクスト無視した練習段階を重視すぎてもそれは学習にはつながらない。
日本人のスピーキング力がダメなのは過剰に自由度の低いドリルやエクササイズに頼りすぎた指導法にある(Lucas, 1984)
伝統的PPPアプローチの改善が明らかに必要。しかしながら、改善が必要であるにはあるが伝統的PPPがそれでも日本に1番適しているという可能性もある。

TBLTは実際のコミュニケーションのために英語を使うことができるという状況に学習者をおくことによって学習者のモチベーションをあげるしL2の真の流暢さを発達させるのに役立つという面もあるのでTBLTの効果は退けられるべきではない(DeKeyser, 1998)。

最初の段階でPPPを使用すれば、算出段階でtaskが効果的に機能する(折衷案?)

Ellis(2006)も言っているように文法指導のアプローチは一つではない。第二言語・外国語の文法学習・習得は複雑なプロセス。どんなオプションが可能で、それらの理論的根拠はどのようなものなのか、そしてその理論的根拠の問題点とはなにかを認識する必要がある(p.103)

二分法でそれぞれのアプローチを考えるよりも現実に合わせたコンビネーションが大事なんじゃないか。しかしながら特に高校レベルではPPPアプローチの効果があるはず。