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Yu Tamura について

第二言語習得の研究者。博士(学術)。英語教育のことや統計・データ分析に関わること、趣味のサッカーのことなどについて書いています。

ボストンキャリアフォーラムに行ってきますた

メモ

日英バイリンガル留学生の集うボストンキャリアフォーラムなう。一応チノパンにシャツ着てネクタイしてベストのセーター着て入れたけどスーツじゃないやついねえw 日本人以外にも留学生がいたり。ぐろーばる人材の卵がたくさんいます(棒
歩きながらレッツノートいじってるノマドの卵もいました(棒 知ってる企業もあれば聞いたことのなような企業もあり。日本語で説明会やってるところもあれば英語でやってるところもあり。日本人じゃない人(英語喋ってるけど国籍はわからん)がブースの前に立ってるところもあったし。来たはいいけどやっぱりこういう雰囲気は苦手というか、やっぱ興味ないからつまらない。話し聞いてみようかなという気にもならないほど僕はチャレンジ精神というか好奇心とかないなと思ったり。スライドぐちゃぐちゃしててなにこれみたいなのも散見されるしどう見ても日本人同士なのになぜかぎこちない英語で喋ってたりと。

いやーでもこういう人たちがこれからの日本を支えるぐろーばる人材として期待されてる人たちなんだろうし、僕が教師になったとして、将来的にはこういうところにくるような子たちにも英語教えることになるんだろうなとか思うわけで。例え僕がそういうことを目指していなくても、国や世間的にはこうやって留学して、「世界をまたにかけて」仕事するぐろーばる人材育成のための「学校英語教育」という位置づけなのだろうし、そこに携わろうとしている以上、僕が教育に携わった結果として、僕がなんか違和感のようなものを覚えるようなこういう所にくるような子たちが増えていくのかもしれない。というかむしろそういう子たちを応援するような立場にあるはずなのに、僕がこのイベントに感じてる違和感や、「ぐろーばる」という標語に感じる嫌悪感はいったいどこからきてるのだろう。

僕は英語を教えたいと思うし、だから英語教師になろうと思っている。どのような英語学習が効果があるのか、どのような指導が効果があるのか、また英語教育に関わる諸問題についてを日々勉強しているわけでして。「日本人が英語ができない」というのが学校英語教育のせいになっている現状がどうしても納得がいかなくて、それをどうにかしたいと、そういう仕事に従事したいと強く思いながらここ数年は生きてきて、でも例えば日本人が英語が得意になったとして、それで「日英バイリンガル留学生」と言われるような学生が増えたとする。それは僕の夢なんだろうか。

追記:いや絶対そんなことはないと思う。そりゃきっと英語教師になって、英語を使う仕事についていたり海外に留学しますなんて教え子がでたらそれは嬉しいものなんだろう。でもそのために英語を教えるわけじゃないような気がしている。学校教育が軽視しがちと言われるいわゆる「できる子たち」のことをどうでもいいと思っているわけではないのだけれど、どっちかっていうと英語マジ無理っすみたいな層に働きかけたいという気持ちの方が強いのかなあと思ったり。英語教育の目的なんて偉い人が考えればいいんじゃないのっていう意見をちらっとみかけて、うーんでもそれはなんだか違うようなって思ってしまったんですよね。教師の志望動機は「英語教えたいから」でいいじゃないかと思ってるんですが、じゃあなんで英語を教えるんだろう。教えるからには「英語が少しでもできるようになる」ことを目指して日々指導にあたるんでしょうけれども、じゃあその結果として生徒が英語ができるようになったことによって世の中がどうなるんだろうとかそういうことも考えたんです。いや考えてもわからないんですけど。でも、「学生や生徒が英語ができるようになってほしい」しそのためにいろんなことを勉強していくわけですけどじゃあその先は?ってなると、今の僕には具体的なことが思い浮かばないんですよね。皆様はどうお考えなのかも気になります。

ボストンキャリアフォーラム行ったときに、暇だったから思ったことつらつら書いてて、そのことにちょっと追記しました。肝心のボスキャリどうだったんだっていう感想は特に無いですね。ああ日本人留学生ってこんなにいるんだなあってくらいでした。

そんな感じ。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

Ellis, R. (2009) Task-based language teaching: sorting out the misunderstanding

どうもご無沙汰しております。かねてからTBLTに関しては興味がありまして、そのあたりのことを扱ったペーパー書くのでその周辺的というか大枠というかでTBLT関連の論文を読んでいます。今回はこちら。タイトルにもあるようにTBLT批判への再反論といった内容です。まとめというかメモと訳に近いですので日本語力が問われてヤバイですね

Ellis, R. (2009). Task-based language teaching: sorting out the misunderstandings. International Journal Of Applied Linguistics19(3), 221-246. doi:10.1111/j.1473-4192.2009.00231.x

Introduction

TBLTは様々なSLA関係研究者にとって関心度の高いテーマになっている。また一般教育論や言語教育の経験知からも支持を受けている。
TBLTは、systematicに少しずつ言語を教えるという従来の試みを否定し、言語習得は、言語教育の目標が学習者の持って生まれた言語習得能力が成熟していくことができるようなコンテクストをつくることという原理に基づいているという点で、言語教育の主流の見方に異議を唱えている(p. 222)。
そしてSheen (1999, 2004)やSwan(2005)などからの批判もある。他にもSeedhouse (1999, 2005)は、「タスク」は言語教育プログラムの周辺において妥当な構成概念を成していないという点でTBLTに反論し、Widdowson(2003)はタスクの定義がかなりゆるく、そしてauthenticな言語使用を強調しすぎていると主張している。
また、TBLTは、TBLTの根底にある教育哲学と根本的に異なる哲学を教師が支持しやすく、限られた第二言語能力あるいはテストの波及効果というような実践的な問題に直面しているアジア諸国など、異なる指導環境における実施の実証研究の面でも批判にあっている(e.g., Li 1998, Carless 2004, Butler 2005など)。

 

Task-based language teaching: key percepts

言語教育活動が「タスク」であるために満たされるべき条件
  1. 意味に第一義的フォーカス(意味論的・語用論的側面)
  2. 意見表明や意味伝達など情報をつたえるために必要な’ギャップ’があること。
  3. 活動を遂行するために学習者が自分自身のリソースに依存していること。
  4. 明確に定義された結果があること
上記の定義に従うと、taskとsituational grammar exerciseの違いは、後者は2と3は満たしているが、1は満たされない(学習者が、活動の目的が、メッセージや意味を伝えることではなく正しい言語使用の練習だと思っているため)。また、4も満たされない(活動の結果が正確な言語使用であるため)。1
タスクはまたfocusedとunfocusedに分類できる。後者は学習者に(彼らのもつ)言語一般のコミュニカティブな使用の機会を与えるためにデザインされたもの。前者は、ある特定の言語的特徴(典型的なのは文法構造)を用いてコミュニケーションを図る機会を与えるためにデザインされたもの。しかしながら、focusedタスクも上記の4条件は満たしていなければならない。よって、目標となる言語的特徴は’hidden’されている。つまりは明示的にはその特徴を指示されない。
また、taskとsituational grammar exerciseの違いは’task-based’と’task-supported’言語教育という重要な違いの基礎となる。前者はunfocused taskによって構成されるシラバスが必要で、後者は構造的シラバスを利用し一般的にはPPPを含む。後者も教育的にのぞましくないわけではなく両立させることもできるし安易に後者を切り捨ててはいけない(engagementをinspireしうる)。
‘Input-providing task’ と’output-prompting task’という分け方もある。つまりは4技能をカバーしているしいくつかを統合することも可能。
デザインと教授法という観点。つまり、どのタスクがコースに含まれるべきか、タスクの内容はどんなものか、そして一番決定的なのが、学習を促進するためにどのようにタスクを並べるか。教授法の決定は、タスク型授業をどのように組織するかということ、どのタイプの参加構造を使用するかということに関係している。
タスクの3段階
  • pre-task phase
  • main-task phase (obligatory)
  • post-phase
“[I]t is important to recognize that there is no single way of doing TBLT” (p.224).
TBLTの3アプローチ比較(Table.1)
Long (1985)
Skehan (1998a)
Ellis (2003)
上記3アプローチの比較の際に用いた5つの特徴
  1. 自然な言語使用
  2. 学習者中心
  3. Focus on Form
  4. focused or unfocused
  5. 伝統的アプローチの否定

Misunderstandings about TBLT

TBLTに関する誤解の原因は特に2つ。TBLTに関する理論的根拠の誤った解釈と、TBLT支持者の間にある違いを認めることをしていないこと。以下、著者が列挙するTBLTに関する12の誤解。

 

⒈ タスクの定義が、他の指導法との違いを明確にするほど十分ではない点
 
WIddowson(2003)は、Skehan (1998b)によるタスクの定義を取り上げ、’meaning’、’goal’、’real-world relationship’などの用語の不明瞭さを指摘している。この点に関しては正しい指摘である。しかし、タスクのoutcomeに関しては、タスクがうまく遂行できたとしても、言語使用が最小限であった場合には学習に繋がらないと主張している。しかしながら、これはタスクを定義する目的は学習のoutcomeを具体的に記述することではなく、タスクがどのような教育上の活動なのかを規定することにすぎないという点で論点がずれている。
タスクの定義に関しては問題が多いことが明らかになっている。しかしながら、Skehanの定義よりも正確なものもあり、Widdowsonがタスクの定義づけに関しては’loosely formulated’であるというならば、ひとつの定義を持ち出してそこから一般化するよりもむしろ定義の幅を考慮することは必要条件である。
さらには、Skehanの言及しているタスクの多くは、人々の実際の生活には起こりそうもないとかなり正確な主張をしている。Widdowsonはタスクの定義的特徴を、’authentic’であるべきと想定しているようにみえる。しかし、Bachman(1990)が指摘しているように、situational authenticityとinteractional authenticityという2つのauthenticityを区別することが可能である。Widdowsonは明らかに前者が頭にあるようだが、さらにはタスク型論文はinteractional authenticityが重要であるということを明確にすべきであるというせっかちな読み方が頭にあるようだ。つまり、situational authenticityを満たすようなタスクもあるかもしれない(しかしWiddowsonも指摘しているが教室における必要性を考えるとこおれはおこりそうにない)が、すべてのタスクは前述のような自然に起こる言語使用場面において生じるインタラクションの過程(例えば意味交渉、スキャフォールディング、推測、モニターなど)が起こるようにデザインされている。

 

⒉  タスクは語用論的意味を重視していて意味論的意味を軽視している。

 

伝統的アプローチ(Widdowsonのいうstrctural-oral-situational teaching) は語用論的側面が無視されている。逆にTBLTは語用論的意味を処理することを求めているが、意味論的意味を獲得するのに必要な状況的なヒントを学習者に提供することに失敗している。学習者が語用論・意味論両者をマスターしなければいけないとすると、WiddowsonはTBLTとSOSのコンビネーションが必要であると主張しているようである。これには同意だがエッセイの全体的な方向性は明らかにTBLTに否定的である。
Widdowsonの主張には2つ問題がある。1つはTBLTでは意味論的側面を指導できないという誤解。2つ目はある特定の文法構造を教えるために与えるコンテクストを工夫することによって学習者がそれらの構造を獲得できるようになるという想定が誤っていること。この考えは学習者自身に内在するシラバスやそれを導く形式と機能のマッピングを考慮にいれていない。

 

⒊ タスクから得られるインタラクションはたいてい不十分でL2習得のために適切なコンテクストを構築できない。

 

Seedhouse(1999)は学習者がコンテクストに過剰に頼りすぎることや、彼らのもつ言語資源が限られているために、結果としてタスクのパフォーマンスは”indexicalized and pidginized’’ な言語ばかりになり、このようなインタラクションは習得ではなく化石化を促すだろうと主張している。
確かにインフォメーションギャップタスクがこのようなインタラクションを生み出すことはありうるが、そのことはタスク型の否定を正当化できない。
  1. 学習者が初級者であった場合そのようなインタラクションは彼らのもつ限られた言語資源を活用する能力を発達させ、彼らのstrategic competenceを発達させることを助けるという点で実際有益であるかもしれない。
  2. TBLTで起こるインタラクションの性質は3つの要素による(生徒の熟達度、タスクデザインの特徴、実施方法)。より複雑なタスクにより上級な学習者が取り組むほど、より言語的に豊かなインタラクションが期待できる。特に学習者がpre-taskやオンラインプランニングする機会が与えられていれば。
”One of the aims of TBLT is, in fact, to create contexts in which learners can experience what it means to communicate at different stages of their development — using whatever resources at their disposal. Inevitably, with beginners, the interactions will be limited, but this does not mean that they are of no pedagogic value” (p.230).

 

⒋ タスクのパフォーマンスがどのような言語使用を生むかは予想が不可能なためにタスク型コース内で目標言語が適切にカバーされていることを保障できない。

 

ワークプランとしてのタスクとプロセスとしてのタスクの違いという分け方は不完全である。Skehan(2001)やRobinson(2007)は、言語の正確さ、複雑さ、流暢さに影響を与える特定のデザイン上の特徴を示している。Foster & Skehan(1996)などもplanningのような実施変数がタスクが予測可能な方法で行われるかということに影響を与えるということを明らかにした。Skehanの研究は学習者が言語の様々な側面に優先順位をつけるように導くようなタスクのデザインや実施が可能であることを証明している。focusedタスクによってもある特定の側面を引き出すことは可能(Ellis, 2003;Mackey, 1999)。
また、Seedhouseのタスクがコースデザインに不適切であるという主張は、タスクとはアウトプットを促すものという彼の分析に基づいているが、タスクはインプットを与えるモノとしても機能し、この場合はある特定の要素に注意が向くようにし、実際にそれがタスク活動時に使用されるようにするのはよりいっそう簡単になる。

 

⒌ TBLTは文法シラバスに則っていないので、文法を十分にカバーできる保証がない。

 

この問題を考える際にはまずタスク型「シラバス」とタスク型「指導」を分けることが重要。シラバスの場合でもタスクはfocusedとunfocusedに分けることができ、Sheen(2003)やSwan(2005)が批判しているのは完全にunfocusedタスクのみで構成されるシラバスの場合である。しかしながら、focusedをから成る”grammar-oriented task-based syllabus”というのも可能であるし、focusedとunfocusedのハイブリッド型もありうる。Willis(1996)、Long & Crookes (1993)、Skehan(1998b)などは概して”pure task-based”シラバスを選んでいるが、Ellis(2003)やSamuda &Bygate(2008)などは文法もタスク型シラバスの中に位置づけられるという立場である。

 

⒍ TBLTではタスクのパフォーマンスを阻害しないようにするために形式への注意がcorrective feedbackに限られている

 

FonFはTBLTにおいて文法を扱う主要な方法のうちの一つである。
“[T]he only grammar to be dealt with (in TBLT) is that which causes a problem in communication” (Sheen, 2003).
Longの提案したTBLTの場合はこの批判が的を射ている可能性がある。しかしながら形式への注意を向けさせることはLongの定義によるFonFのみではなく様々な方法が考えられる。また、FonFはコミュニケーションに問題がおきた場合にのみ機能するというのも正しくない。形式への注意はcommunicativelyにもdedacticallyにも生じうる (Ellis et al, 2001)。この例ではコミュニケーションにはまったく問題は起きていないが、教師による教訓的なcorrective feedbackが行われている。このように、むしろ、コミュニケーションに断絶があった場合にのみ形式に注意を向けさせる方が逆に難しのではないか。

 

⒎ post-task段階での文法への注意がconsciousness-raising activitiesに限られており、産出練習活動がない。

 

著者自身がCRタスクを支持しており、そのことが原因でこのような批判があるのだろうという分析。著者は、CRタスクと産出活動を比較し、前者の方が明示的知識に関連しており、暗示的知識と関係がある学習者内シラバスと指導を一致させようとする問題を扱う必要がないという点で、L2習得についてわかっていることと矛盾しないと述べている。また、CRタスクはタスクが満たすべき条件を満たしつつ、
「文法」を話題にして話すことになる点でcommunicativeタスクとしてもいける。
CRタスクはpost-taskの理想ではあるがが唯一の方法ではない。(Ellis, 2003; Willis, 1996参照)

 

⒏ TBLTの理論的根拠は文法指導にはあるが語彙や発音指導は無視されている。

 

FonFの意味するところのformが文法と結びつけて考えられているだけであって、Williams (1999)の研究では学習者のFonFは語彙が最も多かったという報告があり、 Ellis et al (2001)でも、批判されるほど文法に偏ってるわけではなく、文法と同量の語彙へのFonFがあり、その半分ほどの量の発音へのFonFがあった。Loewen (2005)の研究でも43%が語彙、22%が発音、33%が文法という結果だった。このように実証研究からも、TBLTが語彙や発音を無視しているとは言えないことがわかる。

 

⒐ TBLTはアウトプット重視しているために、学習者に十分なインプットに触れさせることができない。

 

Swanはこの点に関して、伝統的・タスク型アプローチにおいて、どのようにして学習者が触れるの量を測定するかということを提案していない。そして、”new language”の意味も不明瞭。
4でも指摘されているが、タスク型とは必ずしもインタラクションと産出活動を含んでいなければならないということはない。様々な研究で、Ellis (2003)で提案したインプット型のタスクの効果が取り上げられている(e.g., Loschky 1994; Ellis, Tanaka, Yamazaki 1994; Ellis and Heimbach 1997)。多読活動もインプット型のタスクだとみることもできるし、多読活動によって付随的な語彙習得がおこるという研究もある(e.g.,  Dupuy & Krashen 1993)。
さらに、人気の伝統的アプローチを用いた教材の研究では、それらの教材のスペースの多くが言語的インプットよりも絵や写真に割かれており、インプットにかけるということが明らかになった(筆者注:Ellis (2002)か?)

 

10. TBLTでは教師の役割はコミュニケーション活動の”manager”や”facilitator”に限られてしまう。

 

この批判の想定は言語教育において、少人数のグループワークは役に立つが、教師中心の活動も、学習者の言語使用を促す雰囲気をつくるという点では使い道があるということがあるかもしれない。また、多くの指導環境では教師が主なインプットのソースである。
しかしながら、完全な教師主導のTBLTもあるし、例えばPrabhu (1987)では、pre-taskを教師が、main-taskを生徒がやるというようにタスクを分けることも提案されている。彼の主張は、教師こそ学習者の中間言語発達に必要な英語の「良いモデル」を保障できる存在であり、学習者間のインタラクションはその中間言語システムの刷新にはつながらず、L2のピジン化や化石化につながるというものである。Prabhuはある種のティーチャートークで、教師が生徒に合わせて語彙選択やスピード等スピーチを調整することはタスクの管理よりも教師の参加が伴っているとしている。
インプット型のタスクでも教師主導であるし、タスク中でのFonFでも教師の役割はある。また、タスクの前後に明示的指導を含めることもTBLTでは可能であるという点も無視されている。
TBLTでは教師は確かに”manager”や”facilitator”といった役割を求められるがそれだけではなくもっと「教師的」な役割も必要とされる。また、他の指導法と同様にTBLTは教師主導でも生徒主導にもなる。

 

11. TBLTは”acquisition-rich”なコンテクストにしか適していない。

 

一般的な見方として初学者には文法指導が必要で、そうでなければコミュニケーションもできず、文法に関する基本的な知識しかない故にコミュニケーション中に形式に注意を向けることもできないというものがある。この見方の帰結として、TBLTは学習者が教室外でも広く目標言語にアクセスできる環境で適しており、そうではない、コミュニケーションのために学習者の文法リソースを発達させるために構造的アプローチが必要となる外国語環境には適していないという考えが生まれる。
著者がいく度となく指摘しているように、TBLTは学習者が初学者の場合は最初から学習者に産出活動を求めるわけではなく、インプット型のTBLTもある。初学者には明らかにリーディングやリスニングのタスクを中心としたアプローチが適している(Ellis, 1999のレビュー参照のこと)
また、L2習得のかなり初期の段階は”agrammatical”でありgrammaticalizationは徐々に起こるものである。
この観点でみると、初学者への文法指導はその目的が学習者の文法規則に関する明示的知識の発達でない限り意味がない。
であるからこそむしろ’acquisition-poor’な環境にこそTBLTは適しているのではないか。2

In situations where learners have access to communicaive contexts outside the classroom, there may be a case for teaching grammar as a way of preventing the stabilization that often occurs in interlanguage development after learners have achieved a basic ability to communicate in everyday situations. In situations where such communicative opportunities are not found (e.g. for learners of English in many European and Asian countries), there is an ovbious need to provide them inside the classroom. TBLT is a means for achieving this (pp. 237-238).

 

12. TBLTの理論的根拠を支持する、あるいはTBLTが伝統的アプローチよりも優れているということを示す実証的な研究結果が不足している。

 

SheenもSwanもPrabhu(1987)やBretta & Davies(1985)の実証研究に言及していない。後者ではTBLTの方が伝統的指導法より優れているという実験結果がでたが、しかし彼らはこの結果に慎重的であり、包括的な指導法の比較の難しさはよく知られているところである。しかしながら他にも小規模の実証研究はある (Ellis et al,1994, Mackey 1999)。
Swan(2005)が指摘したTBLTの理論的根拠となる4つの仮説3、The online hypothesis, The noticing hypothesis, The teachability hypothesisに対しての反論。4
次にTBLTが他の指導法よりも優れているかという点に関しては、SLAの研究で、付随的な学習がタスク遂行の結果起こることなどを明らかにしているが、SheenやSwanを納得させるほど十分な結果が得られているわけではないと認めている。しかしながら、TBLTはSLAのみを理論的根拠としているわけではなく一般教育理論もその理論的根拠としていると主張している。

 

Problems in implementing TBLT

これまでに見てきたWiddowson, Seedhouse, Sheen, SwanのTBLTに対する反論は主にTBLTの理論的根拠や、TBLTを支持する実証研究の不足についてであった。この点については著者の挙げた12の点について反論してきたわけだが、現実には教師がTBLTの実施において実践的な問題に直面していることは事実である。これは真実であり、TBLTが実際の教室でも機能するはずであるとするならばこの問題にも触れておかなくてはいけない。
Carless (2004)では香港の小学校の”target-oriented curriculum”においてのTBLT実践とその問題が報告されている。結論として、教師のタスクがなんであるかという理解が不足しており、その結果として行われるタスクが実際のコミュニケーションというよりもむしろ「練習」になってしまっているということをCarlessは主張しており、タスク実施上の鍵となる問題として、
  1. 生徒の母語の幅広い使用
  2. 生徒に会話させることと授業規律を維持する難しさ
  3. 多くのタスクが生徒にL2を使用させるよりも(絵を描くといったような)非言語的活動になってしまっている。
の3点を指摘。
McDonough & Chaikimotongkol (2007)では、タイの大学におけるTBLT実践の報告があり、
  1. 学生の自立度があがった
  2. 教師の間で文法の扱いが不十分ではないかという不安があった(コースが進むにつれて解消されたが)
  3. 学生はこのコースは彼らの現実のアカデミックなニーズには関連していたが、アカデミックな文脈以外のニーズとは関連がなかったと認識していた

という3点がTBLT実施の結果として報告されている。さらに、コース設計者がどのようにこの研究の参加者(教師と学生)の不安に立向かったという点で、

  1. 教師と学生の両者がコースに適応できるように修正することを引き受けたこと
  2. タスク課題の理解のための補助教材の開発などの学生サポート
  3. コース内の活動の数を減らしたこと
の3点を挙げ、結果としてこのタスク型コースは成功したという報告がなされている。そして著者はこの香港の小学校での実践とタイの大学での実践の比較から、TBLT実施の際の問題を解決する原則として、
  1. タスクが学習者のレベルに合わせてあること(学習者の英語力が高くない場合にはアウトプットよりもインプット重視のタスクを先に)
  2. タスクが適切なL2使用を引き出すかを確認するために試験的に実施してみたり、経験的知見に基づいて改良する必要性
  3. TBLTが機能するためには教師のタスクとは何かに対する明確な理解が必要であること
  4. 教師と生徒がタスクを遂行することの目的や理論的根拠に気づいている必要性
  5. タスク型コースで教える教師がタスク教材の開発に関わること
の以上5点を上げている。そして、これはTBLTに限らずどのような指導形態であっても関係していると付け加えている。しかしながら、このようなレベルでは解決できないより構造的な問題が世界中に数多く存在することも事実であり、例えばスキルの向上ではなく知識学習に重点があったり、スキルではなく知識を測定するようなテストがあったりするために、パフォーマンス型のTBLTがそぐわないといったことが実際には有り得る。また、大人数のクラスではTBLTの実施は簡単ではない。このようなTBLT実施の問題点を解決するには教室内に存在する教育哲学などをラディカルに再検討することが必要となる。
 

Conclusion

 
結論部分では今までみてきたTBLTの長所をまとめて(めんどくさいので省略)、前節の最後でも述べたような問題があることは認めている。さらに、TBLTへの別の観点からの批判として、すべての環境に適用できる唯一の言語教育アプローチはないという見方があることにも触れている。Widdowson (1993)の議論を例として挙げ、社会文化的な土壌がTBLTにそぐわないということもありうるし、TBLTが求める教室での実践は西洋の価値観の押し付け、あるいは”cultural imperialism” (Pennycook, 1994)にもなりうるといったsocio-cultural context的観点からの批判についても言及している。TBLTには文化的な障壁があるということは認められなければならないとしたうえで、たとえどんなに心理言語学にTBLTが支持されても、社会・文化的な要素によってTBLTの実施が困難(あるいは不可能)になってしまう場合はあると認めており、このジレンマの解決は容易ではないとして締めくくっている。

 

コメント

注1: しかし著者は後者が教授法上の価値がないと言っているわけではない。

注2:正直ここの論理がよくわからなかった。”there is an obvious need to provide them”のthemがコミュニケーションの機会を示していて、それがTBLTによって与えられるべきであるという主張だとすると、前半部分のESL環境では化石化を防ぐための明示的指導が必要だが、EFL環境ではそうではなくまずコミュニケーションの機会をということなのだろうか?それともそのコミュニケーションの機会と明示的指導のコンビネーションを発動させるためにTBLTでやろうということなのか。Ellis先生は明示的指導も認める立場にあるという理解だったのでよくわからない。

注3:fourと本文中にはかいてあるが、Table4に示されているのは3つで著者の反論も3つの仮説に対して、また、Swan(2005)でも”2.1 Three hypotheses”となっているので著者のミスだと思われる。

注4:ここに関しては、Swanが引用している文献等やその引き方への直接的な反論とはなっておらず、「いや実証研究あるから」という感じで、それぞれの仮説を支持する実証研究を列挙している感じ。Swanも、「仮説は仮説だろ」という感じの否定で、仮説を反証する研究とかをあげてたりするのであまり効果的な反論になっていない気もする。

こんな感じ。長くてすいません。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

「英語教育、この一冊」

どうもどうも。今年もこの季節がやってまいりました。anfieldroad先生が半年に1回開催している「『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!企画」の第4回目に参加させていただこうと思います。僕がこの企画を知ったのがちょうど1年前で、僕にとってはこの企画に参加させていただくのは3回目です。

この企画で、初めて僕のブログを訪れる方もいらっしゃるかと思いますので簡単に自己紹介させてください。僕は埼玉大学を2011年3月に卒業し、同年の6月末から北米に留学していて現在は修士課程でTEFLを学んでいます。一応プロフィールページとか作ってあるのでそちらを御覧頂いて、あとはTwitterのつぶやきなんかでどんなやつかはわかっていただけると思うのでこのへんでやめておきます。

さて、今回のテーマは、「英語教育、この一冊」ということでして、実はこの話でTwitter上で盛り上がったときにはちょうど僕もその中にいまして、和書洋書問わずいろいろな書籍の名前があがっていてほしい物リストにどんどん追加した記憶がありますw

僕も一応教育学部の英語科を卒業した身として、それなりに本は買って読んでいましたし、学部生だった当時はいわゆる「カリスマ」と言われるような有名な先生方の著書を読んで感動していました(遠い目

残念ながら、僕がアメリカに来る際にこちらに送った荷物の中で僕が日本で読んでいた英語教育系の和書が全て入っていたダンボールだけ紛失してしまった(UPSの不手際で)ので、それらの本をまたもう一度眺めておすすめすることもできませんし、「一冊」しか挙げられない中でそれらの本を今「この一冊」として紹介するかというとそうとも思いません。こちらに来てから買った読んだ本も、確かにたくさんあるのですが、包括的な英語教育の本として「これだけは読んでおいてほしい」と自信を持ってオススメするような本というとどうもしっくりくるものがありません。日本から取り寄せた「成長する英語教師をめざして」「学習英文法を見直したい」も候補にあがったのですが、今回はちょっと奇をてらうと言いますか、もしかしたら「おまえなめてんのか?」「ふざけてんのか?」と言われるかもしれないものを一冊あげたいと思います。

こちら。

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すいませんすいませんすいません

いや別にあのふざけてるわけではなくて割りと真面目なんです…

「んなものは書籍じゃないしPDFで読めるだろ」云々かんぬんとか「すすめるまでもなく誰でも読んでて当然だろぼけks」とか「一冊じゃなくて二冊じゃねーか」とかもうバシバシ飛んでくると思うのですが…(二冊だけど値段は一冊分以下(ry

でなんでこれを挙げたかと言いますと、ほら、ついこの前も「指導要領を守れないなら学校を去れ」騒動とかあってコワイからちゃんと読んどきましょうね(棒 とかまあそれは冗談で、よく学習指導要領の内容とか、それに従う従わないとか問題になるじゃないですか?そういう議論自体はどんどんしていくべきだと思うんですけど、例えば指導要領なんか見て授業やってる奴はとかあんなものはとか云々かんぬんいろいろサムライの方とかいろいろ言う人多いんですけど、でもだからといってあれは無視していいものでもなくって、批判するにしてもまずは読んでから批判するべきなので、尖った発言する(文科省に反対する側の)偉い人達の言うことに乗っかって「そうだそうだー」とかやらないでまあちゃんと読みましょうよというのが一点目の理由。

二点目は、英語教育のいわゆる「中の人」でしたらすごくわかると思うのですけれど、教育、とりわけ学校英語教育をはじめとする日本の英語教育っていわゆる「外の人」からボッコボコにしてやんよばりに言われたい放題じゃないですか。それもほとんどが自分の経験とかあるいは自分の子どもの経験とかをもとにした的外れの指摘だったりすることがほとんどで、もちろん日本の英語教育が完璧であってなんの問題もなくて現状維持が最適とか言うつもりはないんですけれど「ちょっとそれはちがうよ」ってこと多いじゃないですか。で、僕の個人的な信条としては、それを無視しちゃいけないと思うんです。「はいはい何もわかってない外の人は黙っててね」とか「そういうのかまってる暇ないから」とかやっちゃうともうまた「教師は世間知らず」だの「英語教師は既得権益にすがってる」だのってなって余計に批判されてしまうと思うんです。もちろんこういったことの原因として、事実を正しく伝えきれていなかったり過度に大衆を煽ったりというメディアのせい、とかもじゃもじゃの人のせい、とかネットで影響力があるぐろーばる界隈の人のせいとかもあるとは思います。で、そういう人たちと話をする際にこの学習指導要領って使えるんじゃないのかなって僕は思うんですね。例えば先ほどは挙げませんでしたがよく話題になる「小学校英語」の話とかをする際に、一つの資料として学習指導要領をもとに話したりもできると思うわけですよ。ネットで公開されてますし、例えばここのこのへん読んでみてくださいこうやって書いてありますよね?でもこれにはこういう問題が実はあって今はこうなってて、とかって説明したりとかにも使えるんじゃないのかなって。学習指導要領が合ってるとか間違っているとかの話とは別にして、はっきり言って教育の外の人で真面目に指導要領読む人なんかほとんどいないと思いますから、そしてそれでも学校の教育に(ときには理不尽な)文句つけられたりして、そういう時にこの学習指導要領に書いてあることを批判的に読んで説明する、伝えることって大事なんじゃないかな。そんなことを考えたんです。

最後の三点目は、指導の話です。指導要領に従う従わない、ここがおかしいあそこが変だとは言っても、「じゃあどうするの?どうやって教えるの?」「なに教えるの?なんで教えるの?」という根本的な疑問を解決するときのスタート地点って結構学習指導要領なんじゃないかと思うんです。そういう意味での「指針」としても使えるんじゃないのかなって。もちろん定期的に新しい指導要領が告示・施行されて、その度に「現場」の先生方は振り回されているという事実はあるわけなんですけれどね。そもそも、経験や実践を積み重ねてきたからこそ学習指導要領に批判的になれるのであって、学習指導要領を通過せずにそこにはたどり着けないんじゃないかなと思います。

おまけですけど教員志望の学生であれば教員採用試験においても学習指導要領読んでて損はないわけですしね。

そんなわけでして、あの僕は別に学習指導要領ごり押し的なあれでもなんでもないですけど、以上三点の理由で学習指導要領を「英語教育、この一冊」として取り上げさせていただきました。

今回の企画の趣旨とはずれてしまったとかもしれませんが、たくさんの方に読んでていただく可能性のあるまたとない機会なので、普段僕が思っていることを書かせていただきました。

10月1日が更新基準日だそうですので一番乗り目指して早めの更新です。他にもたくさんの方々がこの企画に参加されることと思いますが、集まった記事は以下のリンクにまとめられるそうです。

http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20121001/p1

それでは皆様よい週末を。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

NY旅行記-4

はい。これがたぶんラストになると思います。NY旅行記。最終日のことはちょっとTwitterに書いたのでもういいかなとw

 

遅めの高級ランチからの午後

来てしまった。せっかくだし…うまいもん食ってみようと…サーロインステーキ(サイドなし)$○○((((;゚Д゚)))))))

ばちあたりそう
でもすっごく雰囲気はいい。抜群にいい。デートで来たいね…
ちなみに夜もBBQ食いに行くつもりw
Tシャツダメか…ドレスコードありか…と思うほどのシャレ乙感
一人客はほとんどいないかな。ましてアジア人僕のみ。いまなんか変なパンを持ってきてくれたお兄さん日本人ぽかた。最初対応してくれたお兄さんはまじディカプリオイケメンすぎワロスレベル
これね。パンの上にローズマリーがのっててとてもいい香り。おいしい。パン自体は塩気なくて上に塩まぶしてある。一緒に出てきたバターも無塩だった。
 そしてきましたよお肉。
ちょっと焼きすぎじゃ…と思ったが切ってみると絶妙。しかしやや塩気強すぎる気がした。それでも特製のステーキソースつけてもうまし。ケチャップとかBBQソースがベースのような感じだけどもっと上品でいろんなもの混ざってた。…奥の小鍋はほうれん草のクリーム煮?炒めたというよりはペースト上のほうれん草というかんじ。バター効いててこれもうまい。
ステーキうますぎてやべえ…肉肉しくてかみごたえあるのに硬すぎない。これぞステーキ。18ozだっけか?お腹いっぱい。もう夜ご飯いらないというか5年くらいステーキ食わなくていいわ…むしろ一生ステーキ食えませんこれが最後ですって言われても後悔ない。お会計チップ抜き$○○((((;゚Д゚)))))))飲んでもいないのに○○○○円とか有り得ん((((;゚Д゚)))))))ぶっちゃけこのステーキならサラダとか頼んで二人でシェアしてもいいのかも。女の子はまず食いきれないだろう。
店を出て、地下鉄に乗りワールドトレードセンター跡地へ。新しいビルが建設中のようで特になんてこともない(メモリアルパークみたいなのも建設中みたいでした)。そのまま歩いてマンハッタン島最南端へ。自由の女神像を海の向こうに拝む。島行きのフェリーは$17するらしく断念。というか歩くのがもうしんどすぎる。チャッカブーツきつい。ウォール街近くのブロードウェイの歩道にはホームレスみたいな若者がいて、この若さでホームレスとか夢も希望もねえなと思ったけれど考えてみると、まだオキュパイしてるってことか?もう喉は渇いて仕方ないし疲れたしでどうにか休みたくて、スタバ入ろうか迷ったけどダンキンあったのでダンキンでラージアイスコーヒー買って、広場で座ってこれを書いている。夜遅くにお腹は減りそうだが…というか夜はバーでビール飲もうと思ってたけど我慢できずにコーヒーがぶ飲みしてるしな…これ以上歩いていい感じのバーを探す気にもならないし。今日は早めに戻ろうかな(´Д` ) むしろ昼での分も使い果たしたに等しいわw
一人旅が楽なのは、こうやって無駄に歩き回って疲れても気を使う必要がないこと。誰かと一緒だとこんなに疲れるまで歩き回りたくないし、一緒にいる人とそれで喧嘩になっても嫌だ。まあだからこそ用意周到な計画が大事なんだけれど、それはちょっとめんどくさい。気軽にふらっと行って、行き当たりばったりでフラフラする。それがいいのです。というかなんか留学生の変なプライドで、「俺は観光客じゃない」みたいなのあるんですよね。まあ留学生も広義には「お客様」なんですが。でもなんかアメリカ来て観光らしいこと初めてした。てええええええ封鎖されたんだがwwwwwwww 出れないwwwwwwwww
 

おわりに

結局このZuccotti Parkは柵で囲まれてて出入口が一箇所。そこに警備員の人が立ってて一般の人は出入りは自由でした。それでも見計らったように一斉に柵を張り巡らせたのにはびっくりしましたね。上の写真にあるように柵の中からおじさんおばさんが必死に訴えているのを外の若者が熱心に聞いていたり、太鼓たたいたりサックス吹いてるおじさんを観光客が写真を撮っていたりと観光名所化しているような印象も受けました。ランチしたレストランは検索するとメニューが見れて値段がばれちゃうので秘密にしておきます(まじでほんとこんな高い物食ったとか…うわ…なにをすr)。

 

NY旅行記-3

NY旅行記第三弾です。メトロポリタン美術館に行ったときに、館内ではバッグは預けてiPadだけは手に持っていけと言われたのでiPadでちょくちょくメモしてたことなので、内容的にはTwitterに流すような内容ですね。

メトロポリタン美術館

学生証見せなくても学生料金で入れるとか…

しかも館内で写真バシャバシャ撮りまくってる人が国籍問わずいすぎてひくんだけど。美術館とか博物館て写真撮るの完全にマナー違反だろ。あまりにもみんな普通にやってるから感覚おかしくなりそう。にしてもすごい。古代エジプト展。壁画とかがやばい。多分絵が綺麗に見えるように手を加えてるんだろうけれど、それにしてもBC2400でこの精度というか緻密さ器用さって信じられないよ。
2階はアジアンギャラリー。9-12世紀あたり中心にインドやバングラデシュの仏像?が展示されてる。これを仏像と読んでいいのかはわからないけれど日本の京都や奈良で見たようなものにかなり似てる気がする。阿修羅像みたいなのもあるし。
パキスタンも仏教なのか。tang dynastyって唐だよね?唐時代の展示物もある。そして、日本のギャラリーも発見。平安時代や鎌倉時代あたりの仏像や掛け軸とかが展示されている。おおお。俵屋宗達氏の屏風絵も。
短歌や俳句も。
ひとはいざ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける 紀貫之
Though people’s feelings may have changed, in this place of my past, the plum blossoms still have the scent of long ago. trans John T. Carpenter
着物や食器もある。
この歌川広重の絵めちゃくちゃ綺麗なんだが。これあれか?花札のモデル?
韓国のギャラリーも少しだけどあるみたい。
しかしこのスケールのでかさはなんなんだ…すごいな…←この辺ではまだ広さに気づいてない
楽器の展示もあるし西洋画もあるし…広すぎてさすがに疲れてきた←だんだん気づいてきた
いやああああまじでか…すごい世界中のあらゆるものがあるな…兜とかもあったしイギリスの金銀食器とかも。美術館なめてた。想像してたのの10倍くらい広い…←最終的にめちゃくちゃ圧倒されてる

感想

振り返ってみると、やはり美術館の広さ。すごいですね。全部しっかりと観るには相当気合入れて半日か1日はかけるくらいじゃないと無理だと思いました。それくらい多岐に渡る展示物がありました。それから日記中にもありますが、写真!ほんとありえないです!展示物に触らないようにと注意する係員さんがたってるんですが写真はほとんどスルーでした。なのでみんなおかまいなしにもうすごいです。そこかしこでシャッター音が鳴り響いてました。これは国関係なしですね。日本人らしき人たちも普通に撮ってました。日本ならもっとこのへんのマナーは徹底されていると思うのですが…(もちろん館内入口に写真お断りと書いてありました)。とにかくすごく残念でなりませんでした。それが美術館の雰囲気を台無しにしてました。ちなみに規範意識高い僕は撮りたいとは思いましたが一枚も撮りませんでしたけど。

そんな感じで少し複雑でした。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

NY旅行記-2

NYに行ってきた日記をコピペしてお送りしているブログ第二弾

 NY2日目―セントラルパークのベンチより

 

9月14日10時25分。メトロポリタン美術館の近くのベンチにて、休憩がてらここまでのことを書いておく。昨夜は暑いし体かゆいしでほとんど眠れず7時くらいから準備開始。evernoteにクリップしておいたレストランのノートがiPadに同期されておらず、とりあえずiPadでWi-Fi使える場所をと思いフロントで聞くとラウンジ(という場所があるのを初めて知ったw)で使えるというのでツイートを少しして、レストラン情報を入れてとりあえずセントラルパークに行ってナチュラルサイエンスヒストリーミュージアム?だっけ?に行こうと計画。電車に乗った。朝の通勤ラッシュ時間帯ど真ん中で、うわこれはやっちまったと思ったけれど、意外に座れないだけで東京に比べたらなんのことはない。終点がタイムズスクエアなんだけれど、なぜか人がたくさん降りたので勘違いしてしまいグランドセントラル駅で降りてしまう。とりあえず地上に出て歩けばなんとかなると思ったので外に出てみる。

横の通りであるStは数字が大きくなるほど北で、縦のAvは数字が大きくなるほど西にいくというのを聞いたのでそれに基づいてなんとなく歩いてたけど最初普通に迷うw しかし当たり前だけど通勤時間帯の街はみんな世話しなく歩いていて、コーヒーショップやデリなどは大繁盛といった感じ。僕も立ち止まって写真とか撮ってる雰囲気ではまったくないので通勤を装ってお気に入りのプレイリストを聞きながら颯爽と歩く(フリ)。さながらニューヨーカーになった気分でめちゃくちゃ気持ち良かった。しかしさすがに疲れてきたしノドも渇いたので、ドヤ顔コーヒー×iPadをあきらめてスタバに立ち寄る。人間の心理とは面白いもので、これだけいろんなお店があると、スタバなんて日本でも2,3回しか入ったことないしアメリカ来てからなんて一度も入ったことなかったのにチェーン店という安心感があるものなんだよね。僕はダンキンでもいつもコーヒーにミルクとヘーゼルナッツがお気に入りなのでそれを注文。スタバ通のような頼み方はできませんw でもやっぱスタバは高いね。ダンキンのスモールくらいかそれより小さいくらいので$2.45だった。ダンキンならこの値段でLはいけるんじゃなかったか?(このあとダンキンの値段見たらスタバと対して変わらなかった。NYCが高いのか?)

というわけでコーヒー片手にひたすら北へ。それにしてもセントラルパークのデカさはすごいね。まあ東京でいうと代々木公園も大きい公園ではあると思うけど。サイエンスヒストリーミュージアムの手前でフランス人と思われる観光客集団に混じってしまうというミスはあったがなんとかついて写真を撮った。しかし今日は閉館なのかまだ開館時間じゃないのか入れなかった。なのでちょうど反対側にあるメトロポリタン美術館に。金曜とはいえ午前中から結構走ったりしてる人の多いこと。なかにはベビーカー押しながら走ってる女の人もいた。近くには体育着みたいなの着た小学生集団がいたり幼稚園児くらいの年齢の子たちが元気に遊んでいる。それにしても本当にいろんな人がいる。今日もあれ日本人かなあと思うような男性とすれ違ったし、すごく流暢に英語を話す東アジア系の(日本人じゃないかもしれない)ビジネスウーマンの人も何人も見た。そういえば昨日書くのを忘れていたけど、NYCにはスタイルのいい人が多い気がする。そんなにみんな太ってない。ボストンとは比べられないけど(ボストンでそこまで注意して人を見たことなかったw)、うちの大学の女の子やマンチェスターで見る人たちに比べたら。綺麗な人もすっごく多くてやばいです。まあ分母が圧倒的に違うし、NYCに美人が統計的に優位に多いと言えるのかはわからないけれど。観光客の欧州人なのかもしれないけれどそうじゃないような綺麗な人もたくさんいた。ヨーロッパだとフランス人が多かったように思う。あとは、たぶんドイツ語、イタリア語、スペイン語なんかが聞こえた。それにしてもなんて優雅な休暇なんだろうかと思う。これから美術館に行ったらご飯を食べて、南の方に行って貿易センタービルとか自由の女神とかを見てこようと思います。とりあえずここまで。

NY旅行記-1

NYに2泊3日で行ってきました。旅中に書いてた日記をコピペして若干加筆して載せます。珍しい常体田村文をお楽しみください。

 

14/9/2012AM12:24なう。ペペローニピザを食べながら、今日一日を振り返っておこう。flushingというまちにあるYMCAまでは車で約4時間ほどだった。ロングアイランド島に入る橋を渡る時にはとても興奮した。宿の周りはチャイナ&コリアタウンという感じで、アメリカにいる気がほとんどしなかった。これはNYの地下鉄に乗ってても思ったことで、英語の母語話者の方が確実にマイノリティだったと思う。英語を喋っている人の方が少なかった。特にFlushingまでいくライン7は。肌の色は関係ないけど、大学以外の街中で、英語以外の言葉を聞く機会ってなかなかないのでそれがやっぱり感じたことの中で大きいかも。これ「も」、アメリカなんだなあと。YMCAの受付のお姉さんに駐車場代ぼられた気がするけど(たしか無料駐車場有りって書いてあったような気がしたけど払ったあとだった)、それ以外は特に人が悪いとか思ったことはなかった。財布はポケットにいれてるけど、ボタンをしてすぐ抜かれないようにはしている。財布出すときは周りを警戒。

アメリカに来て初めて乗った電車はNYの地下鉄。駅に路線図もなくて、運賃表を見て買うのではなく一回$2.5払うかメトロカードにお金を入れて使うシステムのよう。改札が入り口と出口が一緒で全改札から一斉に人が出てくるので(日本の自動改札なら数カ所は切り替わらない場所があるはず)、どっから入ればいいのかわからなくて戸惑ったし、タイムズスクエアに行きたいけどどこで乗りかえればいいのかとかもわからずだったけど、ちょうど終点がタイムズスクエアだったのでなんとか到着。NYに中学時代の同級生の女の子がいて、会う約束をしていたのでその子と会って、ご飯を食べて話しをして、タイムズスクエアからセントラルパークまでふらっと歩いた。タイムズスクエアの中心部は人が本当に多かった。なんかコスチューム着た人やミッキーとかキャラクターの着ぐるみ着た人が歩いてて観光客が写真を撮ってたり。僕の今までのイメージは、写真バシャバシャ撮る、あるいは一眼レフを首からさげてるというのは東アジア人というものがあって、だからなんか自分は写真バシャバシャ撮るのはあまり好きじゃないんだけれど、さすがNYで一眼レフを首からさげてる人も写真撮りまくってる人もたくさん。東アジア人だけなんてことはなかった。NYの街中を歩いててもう一つ今まで体験したことなかったのは、歩いてて日本語がたくさん聞こえてきたこと。ボストンでも日本語が聞こえたら「おっ」ってなるくらいだったけれどそれ以上の頻度。とくに今は夏休みだからか大学生の女の子グループとか結構いた。

僕のNY初日メインイベントは、ミュージカルのライオンキング。高校の時に文化祭でやったのがきっかけで、すごく思い入れのある作品なのでぜひNYで見てみたいと思ったから。勢いでライオンキングのチケットを取って、それでNYに行くことになったから。劇場にもやはり日本人が結構いた。僕は1人だったので、かなり前の10列目くらいのど真ん中にぽっかり一つ空いた席を偶然取れてラッキーでした。オープニングのサークルオブライフは鳥肌が立って震えたし泣いた。劇を見ていて面白いなと思ったのはやはり英語のセリフ。劇をやったこともあってほとんどセリフが一字一句頭に入っているくらいだったので、日本語を頭に浮かべつつああこんな表現使うのかあと思ったり。それから、音声面も気になった。僕は英語のミュージカルは初体験だったのだけれど、メインキャストはほぼみなイギリス発音。幼少時のシンバやナラはアメリカっぽくて、成長するとイギリス発音になってた。やはり権威の象徴?聞き取りづらかったけどハイエナはアメリカっぽかったし、ティモンとプンバが一番アメリカ発音で耳馴染みがいいなと感じた。ラフィキはキャラ独特の発音だったからどちらとは言えないけれど。しかし海外ドラマや映画以上に生の舞台での英語の聞き取りは結構しんどかった。内容やセリフがほとんどわかっていたからあれだったけど、そうじゃなかったらどれだけ内容をおえていたかはあまり自信なし。人間ではない役だし、ザズーやプンバ、ハイエナ達はかなり独特の声色なので難しさをひときわ感じた。2列前の人が劇中を写真で撮ってたので有り得ないと思った。マナー悪すぎ。終演後はスタンディングオベーションだったけど幕が1度上がって降りたらおしまい。四季劇場では何回もあった気がするけど。そして終わったらそっこう出るのがアメリカ。映画もそうだけど終わったあとの余韻にひたったり、映画のエンドロールを最後まで見る人なんていない。終わったあとはショップに寄って夜のタイムズスクエアの写真を何枚か撮って帰路に。地下鉄の終点まで40分ほど。イスがプラスチックなので硬くて痛い。帰り道にピザを買ってさっきたべました。シャワーを浴びたので就寝。

 

とりあえずこんな感じであと2,3ブログを更新しようと思います。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

“The ownership of English”の続き

さて先日の記事の続きで、

•Saito, A., & Hatoss, A. (2011). Does the ownership rest with us? global english and the native speaker ideal among japanese high school students. International Journal of Pedagogies & Learning, 6(2), 108-125.

こちらの論文のまとめしたいと思います。

背景

基本的な立ち位置としては、Matsuda (2003)とほぼ同じで、英語使用の世界的な広まりが学術界では広く議論されているなかで、日本の現状はまだまだその状態にはいたっておらず、巷でよく聞かれる「ネイティブスピーカー信仰」(この言葉が本文の冒頭で出てくる英語表現の適切な訳語ではないと思いますがこの文脈では一番しっくりくると個人的に思っています)のようなものが日本の高校生にも影響があるかというの扱った量的研究。Matsuda (2003)では、その結果の一般化の可能性が非常に限られていたという点を考慮し、より日本の高校生一般に実験結果を反映できるように研究が計画されています。

冒頭部分では、”Native speakership”という言葉が使われていて、日本における「ネイティブ礼讃」みたいなものの例として、英会話学校などの宣伝文句としてよく聞かれる「ネイティブスピーカーの英語」、「本物の英語」そして「ネイティブスピーカーの講師」といった言葉が挙げられています。しかしながらこのような思想は、非英語母語話者の英語やあるいは非英語母語話者そのものに対しての否定的な印象を助長している可能性があると指摘しています。また、外国語として英語を学習する学習者にとっては、英語母語話者の英語を目標にすることで多くの学習者にとってそれが到達不可能で不適切な目標となってしまい、自信を失くしてしまうという原因になるといった点も指摘されています。

リサーチクエスチョンは以下の3点。

  1. Do Japanese high school students’ attitudes differ towards native and non-native varieties of English?
  2. Do their motivation differ in the native speaker context and in the lingua franca context?
  3. Do their (temporary and short) visits to an Anglophone country1 affect their attitudes and motivations?  (p.111)

 さて、実験結果の解析に入る前に、理論的枠組の検証が行われています。まず”language attitudes”について、この研究では、学習者の英語の種類に対する”attitudinal disposition (AD)”と英語学習に対する”motivational dispositions (MD)”から成るものであると定義しています。また、Gardner & Lambert (1972)を引用し、MDを構成する要素をさらに”integrative orientation”と”instrumental orientation”の2つに分けています。前者は、言語学習によって他言語のコミュニティの一員になりたいというような願望のことで、後者は外国語の知識で社会的に認められたり、経済的な利益を得たいというような願望を指します(pp.111-112)。しかしながら、第二言語習得における動機付けは、単純にこの2つの要素で説明されるわけではなく、先行研究から英語母語話者コミュニティの認識が欠けていたとしても言語学習がおこなわれうることや(Warden & Lin, 2000; Yamashita, 2000; Lamb, 2004; Ladegaard & Sachdev, 2006)、「統合的志向性」と「道具的志向性」を完全に区別することは非常に難しいこと(Kimura et al., 2001; Lamb, 2004)などの注意点を挙げています。そこで、この研究では、MDをネイティブスピーカーコンテクストと、リンガフランカコンテクストという2つの指標で調べることにしています。つまり、2志向性×2コンテクストという構成です(質問紙の構成については後述)。

加えて、先行研究では、滞在期間の長さや、ネイティブスピーカーとのコミュニケーション量とlanguage attitudesの関係については一貫した結果が得られていないということは指摘しつつ、海外滞在経験の影響についても本研究における周辺的な対象に設定しています。

参加者

参加者は東日本の地方にある公立と私立の2校から175名の高校生(2年生150名、3年生25名)が選ばれました。この学校の卒業生の過半数が大学に進学しており、生徒たちは入試の重要な科目として英語を学習するように指導されていたようです。Matsuda (2003)の被験者と違い、非日本語話者との接触は最小限で、さらに複言語的背景をもった生徒はいませんでした。Anglophone countryへ行ったことがある生徒は全体の22%で、教科としての英語学習歴は最低で4年。

方法

3つのパート(メイン2パート+補助的質問)からなる質問紙調査。

  1. ADについて。UK, US (inner circle), India, Singapore (outer circle), Japan, China (expanding circle)の6種の英語について、それぞれuncool-cool, unimportant-important, lacking prestige-prestigious, powerless-powerful, unpopular-popular, unfashionable-fashionableの6つの観点で1-5の5件法。これにより、それぞれの種について肯定的・否定的態度であるかを調べます。
  2. MDについて。統合的志向性と道具的志向性のそれぞれについて8項目。”Studying English is important for me to…”のあとにすべての項目がつながるようになっています。例えば”understand cultures of”のような項目があり、そのあとにAnglophone country/non-Anglophone countryの2とおり。つまり、統合的志向性の8つの項目は実質4つの質問で、それがAnglophoneとnon-Anglophoneのペアで聞かれるために合計8項目となっています。道具的志向性についても同様で、4つの質問がAnglophoneとnon-Anglophoneの2パターンあり、合計8項目。MD全体として16項目あり、英語学習の動機づけについて調べています。
  3. 性別、年齢、言語的背景などの情報を得る目的の質問があとに続いています。

手順と結果

えっとSPSSを用いた統計的検定が行われているわけですが、僕の個人的な統計的検定の知識を整理するために少し詳しく(本文では言及されていないことも含めて)書いていこうと思うので、ざっと読み流していただいて結構です。

まず、この研究はあるサンプル(高校生175名)のデータをもとに、日本の高校生という母集団の傾向を予測するものなので、推測統計になります。また、質問紙調査の結果をもとに、その回答傾向から学習者の英語の各種に対する態度や英語学習の動機づけの傾向を仮説に基づき明らかにする目的があり、検証的因子分析という方法が取られてます。サンプル数の明確な規準はないものの、175名という人数は十分であると判断します。ただし、サンプル数が多くなりすぎると統計的優位な差が出やすくなるので注意も必要です。また、5件法は実質的には名義尺度であり、因子分析を行うためには間隔尺度以上を用いる必要があるという要件を満たしていないように思われますが、5件法以上の順序尺度データは間隔尺度とみなしても実質的に結果に大きな影響はでないとされています。

この研究ではTypeⅠのエラー(本当は有意差がないのに有意差があるとしてしまうこと)を最小限にするために有意水準はα=0.01に設定されています(p.113)。次に、データが正規分布になっているかの確認です。歪度(skewness)と尖度(kurtosis)が0の場合が綺麗な正規分布で±2の範囲に収まっていれば、そのデータはおおむね正規分布をなしていると考えられます。Appendix 2の記述統計量を見ると、どの項目もこの規準を満たしていると判断できるので、分析を続けることができそうです。因子の推定には、最尤法(maximum likelihood method)が用いられ、加えてt検定がすべてのリサーチクエスチョンに対して用いられています(p.113)。

 

まず、attitudeの項目において用いられた6つの項目が英語の各6種それぞれにおいて一貫した概念を測定しているか(一次元性)の確認が行われます。相関行列表は載っていませんが、”Inspection of the correlation matrix revealed the presence of all coefficients ranging from 0.345 to 0.861…”(p.114)ということです。さらに、Kaiser-Meyer-Olkinのサンプリング適正規準は0.6で普通(参照:因子分析の適用例)、そしてBartlettの球面性についての検定も”statistical significance”という結果になったようです(p.114)。

続いて、6つの英語の各種類について最尤法による因子の検証が行われています。Table1の因子負荷量を見ると各種ごとに、どの項目も絶対値で0.6を超える大きな負荷が3つ以上あり、Figure1-6のスクリープロットを見ても、2のところで大きく落ち込んでいるので1因子解だと判断できます。2 また、クロンバックアルファは”0.876-0.944″という高い信頼係数が得られたため、これらの質問項目の一次元性が確認され、そしてそのスコアを集計することで、「学習者の各英語の種類に対する肯定的・否定的態度」の検証をすることができそうです。

Table2には質問紙調査から得られた回答を数値化して合計した、各英語の種に対するADの記述統計量が掲載されていています。また、Figure7にはその平均値(mean)の棒グラフがあります。これを見ると、平均値の高い方からUS, UK, Singapore, India, China, Japanという順に並んでいて、どうやらUKとSingaporeの間に大きな差がありそうだという予想ができます。そこで、UK EnglishとSingapore Englishの平均を比べる対応のあるt検定を行なっています。結果はt(162) = 13.18, p <0.01で統計的に有意な差があると結論づけています。さらにUKとUS間、SingaporeとJapanese間でも同様のt検定を行なっており、前者がt(164) = -4.53, p <0.01、後者がt(165) = 3.28, p <0.01とどちらも統計的に有意な差があることがわかりました。

次に動機づけ(MD)の因子分析です。質問紙上では統合的志向性と道具的志向性に分けられていた8×2の計16項目を、それぞれネイティブスピーカーコンテクスト(NS)とリンガフランカコンテクスト(LF)も8×2に組み直して検証的因子分析が行われています。さきほどと同様に、まず相関行列表を見て(載ってません)、相関係数が例外的に1つだけ低い0.286という値を除いて高く(0.341-0.861)、KMOはADの場合と同様に0.6で、Bartlettの球面性についてもクリア。Table3に示されている因子負荷量を見ると、ネイティブ・リンガフランカどちらもすべての項目が想定される1因子に対して0.6以上であり、因子寄与は前者が58.7%で、後者が64.9%でした。またFigure8と9のスクリープロットからも1因子解であると判断でき、さらにクロンバックアルファもNSでは0.810で、LFでは0.903と高い信頼係数が得られました。

よって、MDに対する質問項目の一次元性が確保されていると判断し、これ以降の分析では統合的志向性と道具的志向性というラベルをとり、NSとLFにおける動機付けの比較がされています。先ほどと同じように、質問紙の回答をスコア化して合計したものの記述統計量がTable4に示されています。この両者の平均を比較するためにt検定を行います。結果は、t(164) = 13.76,  p <0.01で、NSにおけるモチベーションのほうが統計的に有意に高いことがわかりました。

最後に、海外の滞在経験が、ADとMDの双方にどう影響があるのかを調べる対応のないt検定を行なっています。まずADについては記述統計量がTable5に示され、Anglophone countryに行った経験のあるグループとないグループでは英語の各種に対しての態度は、統計的に有意な差がないことがわかりました(本文中に数値の記述はなし)、一方で、MDに関してはAnglophone countryに行ったことがあるグループのほうが、無いグループよりもリンガフランカコンテクスト(LF)において統計的に有意な差があることがわかりました。t検定の結果は、t (98) = 3.61,  p <0.01で、効果量は=0.83で、効果量大と判断できます。しかしながら、NS(ネイティブスピーカーコンテクスト)では経験の有無には統計的に有意な差は見られませんでした。

筆者はこの研究における問題点として2点挙げています。1点目は、質問紙調査による回答の引き出し方が直接的な方法であった点。これによって、被験者は自らが普段から意識している考えにもとづいて回答したことになり、例えば録音した音声を聞かせるなどの間接的な方法を使い、被験者の潜在的意識を引き出せば、今回とは違った結果が得られた可能性を指摘しています。2点目は、”Anglophone country”という用語についてです。この用語が英語が話されている国という意味である旨の説明は被験者にされていたものの、用語の定義に被験者間で違いがあった可能性が指摘されています。3

結論と示唆

質問紙調査の分析結果から、以下の3点が明らかになりました。

  1. 日本の高校生は英語母国語話者の英語(UKとUS)を、その他非英語母国語話者の英語に比べてより肯定的な評価をしている。その中でも、USが一番肯定的である一方、日本人の英語(Japanese English)に対してもっとも否定的。
  2. 日本の高校生は、グローバルな英語使用のためよりもむしろ”intra-Anglosphere currency and utility”のために英語を学習している(p.118)。
  3. Anglophone countryでの滞在経験は、リンガフランカコンテクストに対する英語学習の動機付けに効果がある可能性がある。
1に関しては、Matsuda (2003)のケーススタディの結果とも一致しています。2点目も論文のタイトルにあるような”native speaker ideal”を裏付けるような結果となりました。興味深いのは3点目で、Anglophone countryの滞在経験は、ネイティブスピーカーコンテクストではなく逆にリンガフランカコンテクストに対する動機づけを高める効果があることがわかりました。著者は、海外で、非英語母国語話者として英語を使用することで、リンガフランカとしての英語の機能や、彼らの第二言語のアイデンティティへの認識が高まり、それが結果的にリンガフランカコンテクストに対する英語学習の動機づけを促進したのではないかと推測しています。しかしながら、滞在経験の有無だけでは不十分であり、滞在の目的や期間の長さ、その土地の文化や人々との関わりの量などの情報を集めたさらなる実証研究が必要であると述べています。
以上のような結果は、Matsuda (2003)でも指摘された日本の英語教育の問題点を浮かび上がらせています。日本の高校生には、いわゆるグローバルなコミュニケーションのための英語使用という観点が実感として伴っていない、すなわち、「そういう話は言われているのでなんとなくそう思っている」程度の認識しかないという可能性が高いということです。
著者は、”native speaker ideal”がどこからきているのか、という点について、メディアの影響など様々な要因を列挙しつつ、Matsuda (2002)の指摘に同意し、あくまで推測の域をでないと譲歩しつつも教材や教授法が大きな要因になっている可能性を指摘しています。しかしながら、本研究で見られたような高校生の傾向は、高校の英語学習において形成されたというよりも、英語学習の開始時期である中学生の早い段階で形成されたと考えられると著者は付け加えています。そして、最後はこの一文で締めています。

If the pedagogy of this sort is constructed to be desirable in the Japanese EFL context, such intervention should honour the local language environment of the vast majority of learners of English as a foreign language where an exonormative model holds sway at present, reflecting the language globalization process underway (p.119).

注1. Anglophoneとは通常二言語以上が話されている国における英語話者(例えばカナダの英語話者)を指すために使われる言葉ですが、ここではAnglophone countryを、”a region where English is used as the primary language in society” (p.111注)という意味で使っているようです。

注2. 外国語教育研究ハンドブックでは、スクリープロットを見て、「グラフの急勾配になっているところまでの因子数を採用します。」(p.169)という記述があり、紹介されている図12-2では2因子の箇所で固有値が大きく減少し、そこからはなだらかになっています。そして、このグラフから2因子解と決定されているのですが、この論文に掲載されているスクリープロットはすべて図12-2と同じような傾向があるにもかかわらず、1因子解であることの証拠としているのですが、これは著者がすでに1因子解であるという仮説のもとに分析しているからであって、2因子のところで大きく落ち込むスクリープロットは2因子、あるいは1因子の可能性もあるということなんでしょうか?

注3. このAnglophone countryという用語が日本語でどのように提示されたのかについての言及はなく、この用語の定義である”where English is primarily spoken”というのが英語が母国語として用いられている国に限られるのかあるいはいわゆるouter circleの国も含むのか等曖昧な点もあります。

ベーコンとトマトのパスタ―アボカドペースト添え

ちょっと久しぶりにこれはうまいと自分で唸ってしまったほどのパスタを作ったのでレシピをメモしておきます。

材料(1人分)

  • パスタ(乾麺) 好きなだけ(僕は150gくらい)
  • ベーコンスライス 2枚
  • トマト 1個
  • アボカド 1/2個
  • 玉ねぎ 1/4個
  • にんにく 一欠片
  • オリーブオイル
  • クリームチーズ 大さじ2と1/2くらい
  • レモン汁 少々
  • 牛乳 少々
  • 塩 少々
  • 乾燥バジル 少々

作り方

  1. 大きめの鍋にたっぷりお湯を沸かす。
  2. お湯を沸かしている間に材料の下準備。ベーコンは1cm幅に切る。にんにくはみじん切り。玉ねぎは薄くスライス。トマトは下手を取り、横に半分に切ってから種を取り除いたあとにダイスカット。
  3. アボカドは熟れて結構柔らかくなってるものの方が調理しやすいと思いますが、若くて固めなら小さく切ってつぶしましょう。柔らかいものなら、割って種を取り出したらスプーンですくい取れます。アボカドはボールに実を取り出して、クリームチーズと牛乳を加えて混ぜます。レモン汁少々と塩少々を加えてさらに混ぜて、ペースト状になればOKです。
  4. お湯が湧いたらパスタを茹でましょう。塩はたっぷり入れて茹でてください。
  5. フライパンにオリーブオイルをひいて、みじん切りにしたにんにくをいれて弱火にかけます。にんにくは香りが飛びやすいので弱火でゆっくり香りをオリーブオイルに移すようにします。手際の良い人はは、先ににんにくを切っておいて火にかけ、他の野菜を準備しておくのでもいいと思います。
  6. フライパンの温度が上がってきたら中火にしてベーコンをいれて炒めます。そこに玉ねぎとトマトを加えてさっとあおります。
  7. 僕はいつも勘でパスタを茹でていますが、表示の時間より1分半から2分短目でも大丈夫です。特に茹で上がったパスタをフライパンでソースと絡めたりする系のパスタは。そうではなくお皿に盛る場合は、茹で上がり=食べる段階になるので1分短めくらいでしょうか。
  8. 茹で上がったパスタを6のフライパンに加え強火でさっとあおります。茹で汁も少しいれましょう。乾燥バジルをパラパラとふって全体に行き渡らせたら火をとめてお皿に盛り付けます。
  9. 3のアボカドペーストを上に載せて完成。パセリがあればパラパラしてください。

基本的に塩以外に味付けの要素はありませんが、ベーコンを使っているので塩だけでも十分に味がつきます。最初の2口くらいはベーコンとトマトのパスタを楽しみ、そのあとでペーストを混ぜて味の変化を楽しむのがいいかと思います。あえてペースト別添えにしましたが、フライパンの段階で一緒に混ぜてしまってからお皿に持ってもいいかと思います。

では。

アメリカ New Hampshireより

おしまい。


Google マップ × 写真で場所を探す

どうもこんにちは。なんだかWordPressを使うようになってからブログの更新が楽しくなったのかただ単に時間に余裕があるからなのか連日ブログ更新しまくってすいません。

今日は、英語教育とかちょっとむずかしい話から離れた話。週末から夏休みが始まり、9/3はなんとLabor Dayで祝日だったんですね。なぜか午前6時前に目が覚めてしまいそのまま起きたのですが外はどんより曇り空。せっかくどこか行こうにもなにかテンションあがらないという感じだったのですが昼前に雲が晴れておひさまが!これはどっか行くしかないなということでボストンに行ってきました。別になにかしたわけでもなくふらふらっと。それで、僕は前からボストンのダウンタウンのビル群を臨む景色を見たいと思ってたんですね。もちろん車でボストンに向かうときに見れるわけでその光景が首都高4号線を新宿方面に向かって走っているような感覚になって僕はすごく興奮するんですけど、でも例えば、ウィキペディアのボストンのページにあるような

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3

ボストン – Wikipedia via kwout

こんな感じのダウンタウンのビル群の写真を撮りたかったんです。でもこれってダウンタウンからは取れないわけで、これはどこからこの写真を撮ってるんだろう?どこに行けばこういう景色が見られるのかな?とずっと思ってたんですね。Googleマップで見ただけだとわからなくて…

https://maps.google.com/maps?hl=ja

Google マップ via kwout

でも、Googleマップの右上にあるタブを開くと「写真」という選択肢があるんですね(下図参照)

https://maps.google.com/maps?hl=ja

Google マップ via kwout

それをクリックすると…

https://maps.google.com/maps?hl=ja

Google マップ via kwout

どん!こんな風にいろんな写真がその撮影場所とともに地図上にタグづけされるようになってるんです!これは大変便利!(今まで知りませんでした

僕みたいに「あの写真の場所に行ってみたいんだけどなあ…」というような、曖昧な場所はわかるけど具体的な場所がよくわからないというときに、写真を手がかりにして場所を探すことができるわけです。

https://maps.google.com/maps?hl=ja

Google マップ via kwout

そうして探してみると、海×ボストンのダウンタウンという僕が探してたイメージに近い写真がありました。どうやらボストンの中心街からはかなり離れた空港の近くのEast Bostonの海辺の公園に行けばこのような景色が拝めるかもしれないということがわかりました。

お気に入りの音楽を流しながら車を走らせること50分。いよいよボストンに入りました。が…!しかしここからボストンビギナーの僕は道に迷いに迷って空港に入ってしまったりサウスボストンまで行ってしまったりダウンタウンで馬車の後ろについてしまったり1時間以上迷いました!w

そして、なんとかEast Bostonに初上陸したわけですが、あの辺て実はLatino系の人たちが多くて、ボストンの中心街に比べると表現は悪いですがなんか薄汚くてちょっと怖いというか(昼間だったのですが)、そういう独特の雰囲気が漂う住宅街なんですね。それでまあ行けばどっかに駐車場かまあ路駐でもいいしと思ってたのです。しかしアメリカ一般なのかわかりませんが割りと住宅街って街の中心部だと住宅が密集していて駐車場ないんですね。それで、路駐を住民に限って許可しているというところがあるんです(確かイタリア人コミュニティのNorth Endもそうでした)。まあさすがにtowされることはないとは思っても一回やられたら鬼めんどくさいのでビビってまたぐるぐると…

そしたら偶然海沿いの行き止まりに着いたんです。おお!こっから見えるやん!

あれでもなんかちがくね?手前のあたり汚くね?みたいな感じで、そこに恐る恐る車を放置して僕が目的地にしていた公園の方へ歩いてみたんです。するとありました!East Boston Pears Park!

新しくできたのか整備がきちんとされているのかとてもきれいで、子どもが水遊びできるような噴水があったり遊具があったりで家族連れも多く、芝生で寝転がってる人もいればベンチで談笑しているグループがあったり木陰で静かに本を読んでいる人もいたり。

僕もこんなとこでサンドイッチ食べながらコーヒー飲んでドヤ顔でiPadとかいじり倒したいもんだったんですが、iPad持ち出すのはビビってできませんでしたしサンドイッチとコーヒーゲットするほどこのへんの地理にも詳しくありませんでしたorz

というわけで公園の中の一番海に近いところでついに、僕の中での「ザ・ボストン」の景色を見ることができました!

Boston

ちなみにこのビル群のことはBoston skylineと呼ばれているようで、Googleの画像検索でBoston skylineを検索すると、昼夜問わずとても綺麗なBostonの写真がご覧いただけますのでぜひ。僕はデジカメとかデジ一とかそういういいカメラは持っていませんで、写真は僕のビデオカメラで撮ったのであまり綺麗ではないのが残念なんですが、今更デジカメ買うのもあれですしお金もないですしねorz

この景色を見るとボストンは都会っぽいですが、ダウンタウンに行くと建物がすごくオシャレで近代的な都会っぽさはあまり感じさせません。今度ボストンに行ったときはそういう景色を写真に収めてこれればなとおもいます。Charles riverの北側のケンブリッジ(ケンブリッジといえばもちろんイギリスなのですが、New England地方にはイギリスの地名と同じ地名がたくさんあります。僕の住んでるManchesterもそう)にはハーバード大があったり川沿いにはMITがあってそちら側にも一度は行ってみたいところ。ボストンの観光名所的なところとしてはボストン美術館や科学博物館もありますし、実は行ったことないところがたくさんあるのでこの休み中にまたふらっとボストンに行ってみたいと思っています。余談ですが眠すぎてこの公園以外どこも行かずに帰宅して、その後6時間くらい昼寝してしまいました…トホホ

そんなわけで、Googleマップの写真表示機能をうまく使うと、「場所はよくわかってないんだけれど…」という「あなたが見たいあの景色」の場所がとても探しやすくなりますよというお話でした(今思えばGoogle earthとかストリートビューなんかでもそういうことできますよねw)

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。