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Sato, R. (2010). Perspectives Reconsidering the Effectiveness and Suitability of PPP and TBLT in the Japanese EFL Classroom

どうもどうも。かなり前から「お前はこれも読んでないのか」と言われてヒィィすいませんつって読んだ論文がありまして、それでまあまとめブログということで更新させていただこうと思います。

Sato, R. (2010). Reconsidering the Effectiveness and Suitability of PPP and TBLT in the Japanese EFL Classroom. JALT Journal32(2), 189-201.

こちらの論文なんですが、後にこの論文への「反論」があり、その後にその反論に応えるかたちでもう一度著者が再度論点を提示しなおしていたりして、そこまでがひとつになってる感じですね。なので、それはまた別記事でアップして、その後に僕のコメントを添える形にしたいと思っていますので、この記事では僕のコメントは記しません。途中でなんか書き方とか変わってるのは同じ僕が書いてるやつでも違う日に書いているだけですのでご了承を。

イントロ

文科省の学習指導要領では、中学校の英語教育の目的は基本的なコミュニケーション能力の育成となっており、さらに高校においては情報を伝えたり考えや意見を表明するといったコミュニケーション能力の育成を図ることとなっている。文科省は、実際の言語を用い、考えや意見の交換をするように生徒を導く活動に取り組むべきと言っている。CLTからの理論的発展形態であるTBLTの利用は昨今日本の英語教育において注目を集めている。

タスクの定義(Ellis, 2003)

  • ワークプランであること
  • 主に意味に焦点をあてていること
  • 実世界の言語使用のプロセスを含んでいること
  • 4技能のうちのどれもが含まれうること
  • 認知プロセスに働きかけること
  • 明確に定義された、コミュニケーションによって得られる結果があること

PPPモデルでは、特定されたtarget structureの産出による練習が決定的な役割をもっており、教師によるL2の新しい形式と意味の説明から始まる。

Skehan(1998)を引いたPPPのまとめ

  1. ”元にあるルールが理解され内在化される機会を最大限にするために、明示的あるいは暗示的に提示される単一の文法のポイントに焦点をあてる。これは基本的にはdeclarativeな知識の発達を目的としているだろう。”
  2. 練習段階ではおもに正確さに焦点があてられ、生徒は教師の用意周到なコントロールに従う。declarativeな知識を産出可能な知識にするのが目的である。
  3. 教師のコントロールは徐々に弱まっていき、産出段階にはいる。この段階では生徒はコミュニケーション活動を通した目標形式の産出機会を与えられる。”学習者は彼らの表現したい意味内容に基づきより瞬時に言語を産出することが要求される。
PPP反対論者

Skehan(1996):ある特定の言語形式に焦点をあてることが学習と自動化を導くという考えは言語学や心理学の分野ではもはや信頼性をほとんど有していない。
Willis(1996):言語習得はadditiveな流れで起こることはほとんどない。

White(1988):PPPは意味の側面が欠落した方法である

TBLTは文法指導において効果的なのかという疑問

  • TBLTは前もって特定された形式の指導には向いていないかもしれない
  • 試験のためにデザインされていない
  • 日本の教室では日本語が主な指導言語である
  • SLA研究においてこの指導法の効果が完全にテストされていない以上、PPPを教室から完全に排除してしまうことは早熟なのではないか(DeKeyser,1998)
  • 英語に触れる機会が限られており、日常生活において英語でのコミュニケーションの必要性がほとんどないという日本のEFL環境を考慮すると、PPPの効果を考え直し、TBLTと比較することは重要である。

Reconsidering the Suitability of TBLT in the Japanese EFL Classroom

Target Grammatical Structures

日本の中等学校における英語教育では、教師は日本政府によって認可された教科書を使用しなくてはならない。これらの教科書はそれぞれのセクションで目標の文法形式を学習するようになっている。目標の文法構造の習得は線形ではないというWillis(2004)の主張はそうかもしれないが、教科書に収録されている教室環境の活動は生徒が順を追って目標言語を習得することが必要となるように機械的に編集されている。意味やコミュニケーションに焦点がおかれた典型的なタスク活動では、目標形式は必ずしも生徒によって使用されないということがあり得る。実際に目標形式を使用しているかどうか、そしてタスクに対してどのように感じているかの簡単な調査(対象は国立大学で英語教育を専攻する大学生21人)。タスクは高島(2005)からのものを使用。現在完了形の使用を促す目的のタスクであったが、15人の参加者は当該項目を一切使用しなかった。タスクは、タスクを遂行するためにどのような言語を使用するかは学習者が選択することができ、どのような文法項目を用いるかは学習者に自由が与えられているので、教師が想定している目標形式がタスク中に使用されるかどうかはわからないというのはかなり理解できる。英語に触れる機会が英語の授業中しかないという日本人英語学習者にはとっては、授業中で新しい項目を習得するということが決定的である。しかしながらタスクはこの必要性を満たしていないかもしれない。

Ellis(2003):学習者はしばしばコミュニカティブタスクを学習の機会というよりはコミュニケーションの機会としてみている

Willis(1996):TBLTの利点。タスクの役割はスピーキングとライティングそして理解の両方ために、学習者がすでに持っている言語を使わせ、活性化させることを促すこと(p.147)そして学習者に彼らが既に持っている言語を発展させるための動機付けにもなる。

Swain(2005):TBLTは上級学習者に適している。

しかしながら、著者の行った実験では被験者は比較的に上級であると考えられる国立大学の英語専攻の大学生であり、彼らであってもタスクが効果的に機能しなかったということは、中高生にはより効果は薄い可能性があるということを示唆しているのではないか。
Bruton(2005):タスクの適応力はEFL学習者に対しては限られている。

日本人英語学習者にとってタスク型アプローチが適切かどうかに懐疑的である。

高島(2005)では、彼も日本人英語学習者がTBLTの文脈でいうタスク活動では適切に目標語彙や形式を使用できないかもしれないと主張しており、日本の中高生の学習環境により適していると彼が考えるfocused-taskを提案している。

Examinations and Tests

Yashima (2000): 日本人学習者の目標は2つ。1つは入試等の現実的なゴール、もう1つはコミュニケーションのために英語を使うという理想的目標。そして学習者はそれぞれに多かれ少なかれ重きを置いている。

日本人学習者はテスト関連の動機付けのほうが強いようにみえる(Yashima, Zenuck-Nishide, & Shimizu, 2004)。

タスク型指導は入試等を念頭に置いておらず、文法的なエラーやミステイクをおかしたとしても教室外で英語が使えるようになる学習者の育成を目的にデザインされている(Willis and Willis, 2007)

入試以外にも、日本の中等教育では伝統的な手法の期末テストをやっていて、それらはリーディングがメインでたまにリスニングやライティングもあるけどスピーキングはない。よってTBLTとのミスマッチはある。

English Classes Conducted in Japanese

TBLTの教室では教室運営と指導をすべて英語で行うことがベストである。これによってコンテクストを作れるしリスニングにもなる(Willis & Willis, 2007, p.220)

しかしながら、日本の中等教育現場では英語は主な指導言語にはなっていない。文科省の調査では3分の1以下の中学校教員、10%以下の高校教員が英語をおもに使用して授業を行っていた(Kan,2006)。

この問題にまず当たらなければならない。しかしながら、教師が英語の授業中で日本語メインで生徒とのコミュニケーションを図っている以上、生徒は先生に従って(真似して)ペアワークやグループワークで日本語を使うはず。コミュニケーションのための英語授業という状態を作ることがTBLTの前提条件としてあるだろう。教室内で日本語の使用が主であるという現実を直視すると、TBLTの導入は節操ではないだろうか。文科省の目標に逆らうわけではないが。

Reconsidering the Utilization of PPP

Declarative Knowledge and Procedural Knowledge

2種類の知識タイプ
  • declarative knowledge; 宣言的知識。「知っている」ということ
  • procedural knowledge; 暗示的知識。「使える、できる」ということ。”procedural knowledge can only be performed”
インプットの不足している日本では生徒はまず宣言的知識を得たのちに、反復練習や英語に触れることによって、それを手続き的知識に発展させる(Sharwood Smith, 1981)。手続き的知識は自動化された宣言的知識であり(Anderson, 1992)、第二言語習得の最終的なゴールは手続き的知識の獲得であるべき。

Skill Acquisition Theory

第二言語習得はdeclarative formから始まり、数多くの練習によって手続き化される段階を経て知識が自動化される(Anderson, 1993,1995)。

スキル獲得の3段階
  1. cognitive stage;宣言的知識の段階
  2. assoociative stage;手続き化の段階
  3. autonomous stage;自動化の段階
すべての知識が宣言的知識からスタートするわけではないし、手続き的知識の習得(宣言的知識の自動化)は宣言的知識の消失を必ずしも意味しない。しかしながらこの理論の肝は目標行動に取り組むことによって宣言的知識が手続き的知識に発展するという点である。

PPP and Skill Acquisition Theory

SATはPPPの効果を説明しうる。DeKeyser(1998)によると、SATは学習者の明示的文法指導が先に与えられるべきであり、その後に宣言的知識を手続き的知識に発展させる活動や練習が続くべきで、そして手続き化を自動化に高めるためのより自由度の高いコミュニカティブ活動があたえられるべきであるとなっている。この段階はPPPのpresentation・practice・productionという3つの段階と対応する。ちなみに、TBLTではpractice・associativeのステージが完全に却下されてるようにみえると筆者は指摘する。

Yamaoka(2005, 2006);イミテーション、繰り返し、パターンプラクティスは日本のEFL環境において宣言的知識を手続き的知識に発展させるために不可欠である。

Dekeyser(2001);活動は言語が定型句を通して学習されるようなルールベースのモデルのあとに活動が導入されるのが理想的であると結論づけている。なぜならば、明示的指導によって、生徒は新出の構造に気づき、その形式と意味のつながりを処理することができ、そうすることで彼らは最終的にその新出文法を習得することができる。

Suggestion

AndersonのSATにあるように、PPPモデルは日本人英語学習者が限られた時間のなかで効果的効率的にターゲット構造を習得するためには役に立つはずである。

Yamaoka(2005);手続き的知識を発展させる際には伝統的PPPモデルにみられるような単純で機械的な繰り返し練習では意味はなく練習をとおして意味と形式のつながりを経験するべき。むしろ複雑でアクティブなイミテーションや繰り返しが必要。意味と形式のつながりを確立するためには認知的練習が必要。

DeKeyser(1998);機械的ドリルやアウトプットを急がせることは宣言的・手続き的、両知識の発展のためには理想とはほど遠い。活動やプラクティスの前にまずターゲット項目の宣言的説明が必要。コンテクスト内での大量の練習が必要でありそれによって宣言的知識が手続き的知識になる。

Gatbonton and Segalowitz(1988);コミュニカティブ活動は学習者に同じ表現や決まり文句を繰り返し使わせるようなものに工夫されるべきである。

Arevart and Nation(1991);学習者が同じストーリーを数回話し、回を重ねるごとに時間の制限を厳しくするような活動を紹介。同じ語彙項目や決まり文句を何回も使うことになり学習者の習得に効果あり。

同じターゲット項目を繰り返し使わせるようなfocusedな活動が効果的であるかも議論の余地はある。TBLTの観点ではターゲット構造を正確に産出できるかという点にプライオリティをおくのは批判されうる、たぶん。例えばWillis(1996)は生徒はしばしば目標形式を過剰使用し、彼ら自身の伝えたい意味を表現するというよりも構造をうまくコントロールすることを示そうとすると指摘している。単にすでに習ったあるいは内在化された形式を使用するというよりもむしろ新しく文法構造を習うように仕向けるということを考えると、産出段階において自由度の低い活動を使用することは合理的である。入試やテストのために勉強するという環境とTBLTのミスマッチ。産出段階においてもSではなくRLWが重視されたりする。その活動の一例としてディクトグロスがある。

Conclusion

TBLTは注目されているが日本という環境での英語学習には適していないのではないか。日本で行われているPPPモデルの問題はproductionの段階でコミュニケーションを改善させるための十分な時間が取れていないということ。コンテクスト無視した練習段階を重視すぎてもそれは学習にはつながらない。
日本人のスピーキング力がダメなのは過剰に自由度の低いドリルやエクササイズに頼りすぎた指導法にある(Lucas, 1984)
伝統的PPPアプローチの改善が明らかに必要。しかしながら、改善が必要であるにはあるが伝統的PPPがそれでも日本に1番適しているという可能性もある。

TBLTは実際のコミュニケーションのために英語を使うことができるという状況に学習者をおくことによって学習者のモチベーションをあげるしL2の真の流暢さを発達させるのに役立つという面もあるのでTBLTの効果は退けられるべきではない(DeKeyser, 1998)。

最初の段階でPPPを使用すれば、算出段階でtaskが効果的に機能する(折衷案?)

Ellis(2006)も言っているように文法指導のアプローチは一つではない。第二言語・外国語の文法学習・習得は複雑なプロセス。どんなオプションが可能で、それらの理論的根拠はどのようなものなのか、そしてその理論的根拠の問題点とはなにかを認識する必要がある(p.103)

二分法でそれぞれのアプローチを考えるよりも現実に合わせたコンビネーションが大事なんじゃないか。しかしながら特に高校レベルではPPPアプローチの効果があるはず。

Ellis, R. (2009) Task-based language teaching: sorting out the misunderstanding

どうもご無沙汰しております。かねてからTBLTに関しては興味がありまして、そのあたりのことを扱ったペーパー書くのでその周辺的というか大枠というかでTBLT関連の論文を読んでいます。今回はこちら。タイトルにもあるようにTBLT批判への再反論といった内容です。まとめというかメモと訳に近いですので日本語力が問われてヤバイですね

Ellis, R. (2009). Task-based language teaching: sorting out the misunderstandings. International Journal Of Applied Linguistics19(3), 221-246. doi:10.1111/j.1473-4192.2009.00231.x

Introduction

TBLTは様々なSLA関係研究者にとって関心度の高いテーマになっている。また一般教育論や言語教育の経験知からも支持を受けている。
TBLTは、systematicに少しずつ言語を教えるという従来の試みを否定し、言語習得は、言語教育の目標が学習者の持って生まれた言語習得能力が成熟していくことができるようなコンテクストをつくることという原理に基づいているという点で、言語教育の主流の見方に異議を唱えている(p. 222)。
そしてSheen (1999, 2004)やSwan(2005)などからの批判もある。他にもSeedhouse (1999, 2005)は、「タスク」は言語教育プログラムの周辺において妥当な構成概念を成していないという点でTBLTに反論し、Widdowson(2003)はタスクの定義がかなりゆるく、そしてauthenticな言語使用を強調しすぎていると主張している。
また、TBLTは、TBLTの根底にある教育哲学と根本的に異なる哲学を教師が支持しやすく、限られた第二言語能力あるいはテストの波及効果というような実践的な問題に直面しているアジア諸国など、異なる指導環境における実施の実証研究の面でも批判にあっている(e.g., Li 1998, Carless 2004, Butler 2005など)。

 

Task-based language teaching: key percepts

言語教育活動が「タスク」であるために満たされるべき条件
  1. 意味に第一義的フォーカス(意味論的・語用論的側面)
  2. 意見表明や意味伝達など情報をつたえるために必要な’ギャップ’があること。
  3. 活動を遂行するために学習者が自分自身のリソースに依存していること。
  4. 明確に定義された結果があること
上記の定義に従うと、taskとsituational grammar exerciseの違いは、後者は2と3は満たしているが、1は満たされない(学習者が、活動の目的が、メッセージや意味を伝えることではなく正しい言語使用の練習だと思っているため)。また、4も満たされない(活動の結果が正確な言語使用であるため)。1
タスクはまたfocusedとunfocusedに分類できる。後者は学習者に(彼らのもつ)言語一般のコミュニカティブな使用の機会を与えるためにデザインされたもの。前者は、ある特定の言語的特徴(典型的なのは文法構造)を用いてコミュニケーションを図る機会を与えるためにデザインされたもの。しかしながら、focusedタスクも上記の4条件は満たしていなければならない。よって、目標となる言語的特徴は’hidden’されている。つまりは明示的にはその特徴を指示されない。
また、taskとsituational grammar exerciseの違いは’task-based’と’task-supported’言語教育という重要な違いの基礎となる。前者はunfocused taskによって構成されるシラバスが必要で、後者は構造的シラバスを利用し一般的にはPPPを含む。後者も教育的にのぞましくないわけではなく両立させることもできるし安易に後者を切り捨ててはいけない(engagementをinspireしうる)。
‘Input-providing task’ と’output-prompting task’という分け方もある。つまりは4技能をカバーしているしいくつかを統合することも可能。
デザインと教授法という観点。つまり、どのタスクがコースに含まれるべきか、タスクの内容はどんなものか、そして一番決定的なのが、学習を促進するためにどのようにタスクを並べるか。教授法の決定は、タスク型授業をどのように組織するかということ、どのタイプの参加構造を使用するかということに関係している。
タスクの3段階
  • pre-task phase
  • main-task phase (obligatory)
  • post-phase
“[I]t is important to recognize that there is no single way of doing TBLT” (p.224).
TBLTの3アプローチ比較(Table.1)
Long (1985)
Skehan (1998a)
Ellis (2003)
上記3アプローチの比較の際に用いた5つの特徴
  1. 自然な言語使用
  2. 学習者中心
  3. Focus on Form
  4. focused or unfocused
  5. 伝統的アプローチの否定

Misunderstandings about TBLT

TBLTに関する誤解の原因は特に2つ。TBLTに関する理論的根拠の誤った解釈と、TBLT支持者の間にある違いを認めることをしていないこと。以下、著者が列挙するTBLTに関する12の誤解。

 

⒈ タスクの定義が、他の指導法との違いを明確にするほど十分ではない点
 
WIddowson(2003)は、Skehan (1998b)によるタスクの定義を取り上げ、’meaning’、’goal’、’real-world relationship’などの用語の不明瞭さを指摘している。この点に関しては正しい指摘である。しかし、タスクのoutcomeに関しては、タスクがうまく遂行できたとしても、言語使用が最小限であった場合には学習に繋がらないと主張している。しかしながら、これはタスクを定義する目的は学習のoutcomeを具体的に記述することではなく、タスクがどのような教育上の活動なのかを規定することにすぎないという点で論点がずれている。
タスクの定義に関しては問題が多いことが明らかになっている。しかしながら、Skehanの定義よりも正確なものもあり、Widdowsonがタスクの定義づけに関しては’loosely formulated’であるというならば、ひとつの定義を持ち出してそこから一般化するよりもむしろ定義の幅を考慮することは必要条件である。
さらには、Skehanの言及しているタスクの多くは、人々の実際の生活には起こりそうもないとかなり正確な主張をしている。Widdowsonはタスクの定義的特徴を、’authentic’であるべきと想定しているようにみえる。しかし、Bachman(1990)が指摘しているように、situational authenticityとinteractional authenticityという2つのauthenticityを区別することが可能である。Widdowsonは明らかに前者が頭にあるようだが、さらにはタスク型論文はinteractional authenticityが重要であるということを明確にすべきであるというせっかちな読み方が頭にあるようだ。つまり、situational authenticityを満たすようなタスクもあるかもしれない(しかしWiddowsonも指摘しているが教室における必要性を考えるとこおれはおこりそうにない)が、すべてのタスクは前述のような自然に起こる言語使用場面において生じるインタラクションの過程(例えば意味交渉、スキャフォールディング、推測、モニターなど)が起こるようにデザインされている。

 

⒉  タスクは語用論的意味を重視していて意味論的意味を軽視している。

 

伝統的アプローチ(Widdowsonのいうstrctural-oral-situational teaching) は語用論的側面が無視されている。逆にTBLTは語用論的意味を処理することを求めているが、意味論的意味を獲得するのに必要な状況的なヒントを学習者に提供することに失敗している。学習者が語用論・意味論両者をマスターしなければいけないとすると、WiddowsonはTBLTとSOSのコンビネーションが必要であると主張しているようである。これには同意だがエッセイの全体的な方向性は明らかにTBLTに否定的である。
Widdowsonの主張には2つ問題がある。1つはTBLTでは意味論的側面を指導できないという誤解。2つ目はある特定の文法構造を教えるために与えるコンテクストを工夫することによって学習者がそれらの構造を獲得できるようになるという想定が誤っていること。この考えは学習者自身に内在するシラバスやそれを導く形式と機能のマッピングを考慮にいれていない。

 

⒊ タスクから得られるインタラクションはたいてい不十分でL2習得のために適切なコンテクストを構築できない。

 

Seedhouse(1999)は学習者がコンテクストに過剰に頼りすぎることや、彼らのもつ言語資源が限られているために、結果としてタスクのパフォーマンスは”indexicalized and pidginized’’ な言語ばかりになり、このようなインタラクションは習得ではなく化石化を促すだろうと主張している。
確かにインフォメーションギャップタスクがこのようなインタラクションを生み出すことはありうるが、そのことはタスク型の否定を正当化できない。
  1. 学習者が初級者であった場合そのようなインタラクションは彼らのもつ限られた言語資源を活用する能力を発達させ、彼らのstrategic competenceを発達させることを助けるという点で実際有益であるかもしれない。
  2. TBLTで起こるインタラクションの性質は3つの要素による(生徒の熟達度、タスクデザインの特徴、実施方法)。より複雑なタスクにより上級な学習者が取り組むほど、より言語的に豊かなインタラクションが期待できる。特に学習者がpre-taskやオンラインプランニングする機会が与えられていれば。
”One of the aims of TBLT is, in fact, to create contexts in which learners can experience what it means to communicate at different stages of their development — using whatever resources at their disposal. Inevitably, with beginners, the interactions will be limited, but this does not mean that they are of no pedagogic value” (p.230).

 

⒋ タスクのパフォーマンスがどのような言語使用を生むかは予想が不可能なためにタスク型コース内で目標言語が適切にカバーされていることを保障できない。

 

ワークプランとしてのタスクとプロセスとしてのタスクの違いという分け方は不完全である。Skehan(2001)やRobinson(2007)は、言語の正確さ、複雑さ、流暢さに影響を与える特定のデザイン上の特徴を示している。Foster & Skehan(1996)などもplanningのような実施変数がタスクが予測可能な方法で行われるかということに影響を与えるということを明らかにした。Skehanの研究は学習者が言語の様々な側面に優先順位をつけるように導くようなタスクのデザインや実施が可能であることを証明している。focusedタスクによってもある特定の側面を引き出すことは可能(Ellis, 2003;Mackey, 1999)。
また、Seedhouseのタスクがコースデザインに不適切であるという主張は、タスクとはアウトプットを促すものという彼の分析に基づいているが、タスクはインプットを与えるモノとしても機能し、この場合はある特定の要素に注意が向くようにし、実際にそれがタスク活動時に使用されるようにするのはよりいっそう簡単になる。

 

⒌ TBLTは文法シラバスに則っていないので、文法を十分にカバーできる保証がない。

 

この問題を考える際にはまずタスク型「シラバス」とタスク型「指導」を分けることが重要。シラバスの場合でもタスクはfocusedとunfocusedに分けることができ、Sheen(2003)やSwan(2005)が批判しているのは完全にunfocusedタスクのみで構成されるシラバスの場合である。しかしながら、focusedをから成る”grammar-oriented task-based syllabus”というのも可能であるし、focusedとunfocusedのハイブリッド型もありうる。Willis(1996)、Long & Crookes (1993)、Skehan(1998b)などは概して”pure task-based”シラバスを選んでいるが、Ellis(2003)やSamuda &Bygate(2008)などは文法もタスク型シラバスの中に位置づけられるという立場である。

 

⒍ TBLTではタスクのパフォーマンスを阻害しないようにするために形式への注意がcorrective feedbackに限られている

 

FonFはTBLTにおいて文法を扱う主要な方法のうちの一つである。
“[T]he only grammar to be dealt with (in TBLT) is that which causes a problem in communication” (Sheen, 2003).
Longの提案したTBLTの場合はこの批判が的を射ている可能性がある。しかしながら形式への注意を向けさせることはLongの定義によるFonFのみではなく様々な方法が考えられる。また、FonFはコミュニケーションに問題がおきた場合にのみ機能するというのも正しくない。形式への注意はcommunicativelyにもdedacticallyにも生じうる (Ellis et al, 2001)。この例ではコミュニケーションにはまったく問題は起きていないが、教師による教訓的なcorrective feedbackが行われている。このように、むしろ、コミュニケーションに断絶があった場合にのみ形式に注意を向けさせる方が逆に難しのではないか。

 

⒎ post-task段階での文法への注意がconsciousness-raising activitiesに限られており、産出練習活動がない。

 

著者自身がCRタスクを支持しており、そのことが原因でこのような批判があるのだろうという分析。著者は、CRタスクと産出活動を比較し、前者の方が明示的知識に関連しており、暗示的知識と関係がある学習者内シラバスと指導を一致させようとする問題を扱う必要がないという点で、L2習得についてわかっていることと矛盾しないと述べている。また、CRタスクはタスクが満たすべき条件を満たしつつ、
「文法」を話題にして話すことになる点でcommunicativeタスクとしてもいける。
CRタスクはpost-taskの理想ではあるがが唯一の方法ではない。(Ellis, 2003; Willis, 1996参照)

 

⒏ TBLTの理論的根拠は文法指導にはあるが語彙や発音指導は無視されている。

 

FonFの意味するところのformが文法と結びつけて考えられているだけであって、Williams (1999)の研究では学習者のFonFは語彙が最も多かったという報告があり、 Ellis et al (2001)でも、批判されるほど文法に偏ってるわけではなく、文法と同量の語彙へのFonFがあり、その半分ほどの量の発音へのFonFがあった。Loewen (2005)の研究でも43%が語彙、22%が発音、33%が文法という結果だった。このように実証研究からも、TBLTが語彙や発音を無視しているとは言えないことがわかる。

 

⒐ TBLTはアウトプット重視しているために、学習者に十分なインプットに触れさせることができない。

 

Swanはこの点に関して、伝統的・タスク型アプローチにおいて、どのようにして学習者が触れるの量を測定するかということを提案していない。そして、”new language”の意味も不明瞭。
4でも指摘されているが、タスク型とは必ずしもインタラクションと産出活動を含んでいなければならないということはない。様々な研究で、Ellis (2003)で提案したインプット型のタスクの効果が取り上げられている(e.g., Loschky 1994; Ellis, Tanaka, Yamazaki 1994; Ellis and Heimbach 1997)。多読活動もインプット型のタスクだとみることもできるし、多読活動によって付随的な語彙習得がおこるという研究もある(e.g.,  Dupuy & Krashen 1993)。
さらに、人気の伝統的アプローチを用いた教材の研究では、それらの教材のスペースの多くが言語的インプットよりも絵や写真に割かれており、インプットにかけるということが明らかになった(筆者注:Ellis (2002)か?)

 

10. TBLTでは教師の役割はコミュニケーション活動の”manager”や”facilitator”に限られてしまう。

 

この批判の想定は言語教育において、少人数のグループワークは役に立つが、教師中心の活動も、学習者の言語使用を促す雰囲気をつくるという点では使い道があるということがあるかもしれない。また、多くの指導環境では教師が主なインプットのソースである。
しかしながら、完全な教師主導のTBLTもあるし、例えばPrabhu (1987)では、pre-taskを教師が、main-taskを生徒がやるというようにタスクを分けることも提案されている。彼の主張は、教師こそ学習者の中間言語発達に必要な英語の「良いモデル」を保障できる存在であり、学習者間のインタラクションはその中間言語システムの刷新にはつながらず、L2のピジン化や化石化につながるというものである。Prabhuはある種のティーチャートークで、教師が生徒に合わせて語彙選択やスピード等スピーチを調整することはタスクの管理よりも教師の参加が伴っているとしている。
インプット型のタスクでも教師主導であるし、タスク中でのFonFでも教師の役割はある。また、タスクの前後に明示的指導を含めることもTBLTでは可能であるという点も無視されている。
TBLTでは教師は確かに”manager”や”facilitator”といった役割を求められるがそれだけではなくもっと「教師的」な役割も必要とされる。また、他の指導法と同様にTBLTは教師主導でも生徒主導にもなる。

 

11. TBLTは”acquisition-rich”なコンテクストにしか適していない。

 

一般的な見方として初学者には文法指導が必要で、そうでなければコミュニケーションもできず、文法に関する基本的な知識しかない故にコミュニケーション中に形式に注意を向けることもできないというものがある。この見方の帰結として、TBLTは学習者が教室外でも広く目標言語にアクセスできる環境で適しており、そうではない、コミュニケーションのために学習者の文法リソースを発達させるために構造的アプローチが必要となる外国語環境には適していないという考えが生まれる。
著者がいく度となく指摘しているように、TBLTは学習者が初学者の場合は最初から学習者に産出活動を求めるわけではなく、インプット型のTBLTもある。初学者には明らかにリーディングやリスニングのタスクを中心としたアプローチが適している(Ellis, 1999のレビュー参照のこと)
また、L2習得のかなり初期の段階は”agrammatical”でありgrammaticalizationは徐々に起こるものである。
この観点でみると、初学者への文法指導はその目的が学習者の文法規則に関する明示的知識の発達でない限り意味がない。
であるからこそむしろ’acquisition-poor’な環境にこそTBLTは適しているのではないか。2

In situations where learners have access to communicaive contexts outside the classroom, there may be a case for teaching grammar as a way of preventing the stabilization that often occurs in interlanguage development after learners have achieved a basic ability to communicate in everyday situations. In situations where such communicative opportunities are not found (e.g. for learners of English in many European and Asian countries), there is an ovbious need to provide them inside the classroom. TBLT is a means for achieving this (pp. 237-238).

 

12. TBLTの理論的根拠を支持する、あるいはTBLTが伝統的アプローチよりも優れているということを示す実証的な研究結果が不足している。

 

SheenもSwanもPrabhu(1987)やBretta & Davies(1985)の実証研究に言及していない。後者ではTBLTの方が伝統的指導法より優れているという実験結果がでたが、しかし彼らはこの結果に慎重的であり、包括的な指導法の比較の難しさはよく知られているところである。しかしながら他にも小規模の実証研究はある (Ellis et al,1994, Mackey 1999)。
Swan(2005)が指摘したTBLTの理論的根拠となる4つの仮説3、The online hypothesis, The noticing hypothesis, The teachability hypothesisに対しての反論。4
次にTBLTが他の指導法よりも優れているかという点に関しては、SLAの研究で、付随的な学習がタスク遂行の結果起こることなどを明らかにしているが、SheenやSwanを納得させるほど十分な結果が得られているわけではないと認めている。しかしながら、TBLTはSLAのみを理論的根拠としているわけではなく一般教育理論もその理論的根拠としていると主張している。

 

Problems in implementing TBLT

これまでに見てきたWiddowson, Seedhouse, Sheen, SwanのTBLTに対する反論は主にTBLTの理論的根拠や、TBLTを支持する実証研究の不足についてであった。この点については著者の挙げた12の点について反論してきたわけだが、現実には教師がTBLTの実施において実践的な問題に直面していることは事実である。これは真実であり、TBLTが実際の教室でも機能するはずであるとするならばこの問題にも触れておかなくてはいけない。
Carless (2004)では香港の小学校の”target-oriented curriculum”においてのTBLT実践とその問題が報告されている。結論として、教師のタスクがなんであるかという理解が不足しており、その結果として行われるタスクが実際のコミュニケーションというよりもむしろ「練習」になってしまっているということをCarlessは主張しており、タスク実施上の鍵となる問題として、
  1. 生徒の母語の幅広い使用
  2. 生徒に会話させることと授業規律を維持する難しさ
  3. 多くのタスクが生徒にL2を使用させるよりも(絵を描くといったような)非言語的活動になってしまっている。
の3点を指摘。
McDonough & Chaikimotongkol (2007)では、タイの大学におけるTBLT実践の報告があり、
  1. 学生の自立度があがった
  2. 教師の間で文法の扱いが不十分ではないかという不安があった(コースが進むにつれて解消されたが)
  3. 学生はこのコースは彼らの現実のアカデミックなニーズには関連していたが、アカデミックな文脈以外のニーズとは関連がなかったと認識していた

という3点がTBLT実施の結果として報告されている。さらに、コース設計者がどのようにこの研究の参加者(教師と学生)の不安に立向かったという点で、

  1. 教師と学生の両者がコースに適応できるように修正することを引き受けたこと
  2. タスク課題の理解のための補助教材の開発などの学生サポート
  3. コース内の活動の数を減らしたこと
の3点を挙げ、結果としてこのタスク型コースは成功したという報告がなされている。そして著者はこの香港の小学校での実践とタイの大学での実践の比較から、TBLT実施の際の問題を解決する原則として、
  1. タスクが学習者のレベルに合わせてあること(学習者の英語力が高くない場合にはアウトプットよりもインプット重視のタスクを先に)
  2. タスクが適切なL2使用を引き出すかを確認するために試験的に実施してみたり、経験的知見に基づいて改良する必要性
  3. TBLTが機能するためには教師のタスクとは何かに対する明確な理解が必要であること
  4. 教師と生徒がタスクを遂行することの目的や理論的根拠に気づいている必要性
  5. タスク型コースで教える教師がタスク教材の開発に関わること
の以上5点を上げている。そして、これはTBLTに限らずどのような指導形態であっても関係していると付け加えている。しかしながら、このようなレベルでは解決できないより構造的な問題が世界中に数多く存在することも事実であり、例えばスキルの向上ではなく知識学習に重点があったり、スキルではなく知識を測定するようなテストがあったりするために、パフォーマンス型のTBLTがそぐわないといったことが実際には有り得る。また、大人数のクラスではTBLTの実施は簡単ではない。このようなTBLT実施の問題点を解決するには教室内に存在する教育哲学などをラディカルに再検討することが必要となる。
 

Conclusion

 
結論部分では今までみてきたTBLTの長所をまとめて(めんどくさいので省略)、前節の最後でも述べたような問題があることは認めている。さらに、TBLTへの別の観点からの批判として、すべての環境に適用できる唯一の言語教育アプローチはないという見方があることにも触れている。Widdowson (1993)の議論を例として挙げ、社会文化的な土壌がTBLTにそぐわないということもありうるし、TBLTが求める教室での実践は西洋の価値観の押し付け、あるいは”cultural imperialism” (Pennycook, 1994)にもなりうるといったsocio-cultural context的観点からの批判についても言及している。TBLTには文化的な障壁があるということは認められなければならないとしたうえで、たとえどんなに心理言語学にTBLTが支持されても、社会・文化的な要素によってTBLTの実施が困難(あるいは不可能)になってしまう場合はあると認めており、このジレンマの解決は容易ではないとして締めくくっている。

 

コメント

注1: しかし著者は後者が教授法上の価値がないと言っているわけではない。

注2:正直ここの論理がよくわからなかった。”there is an obvious need to provide them”のthemがコミュニケーションの機会を示していて、それがTBLTによって与えられるべきであるという主張だとすると、前半部分のESL環境では化石化を防ぐための明示的指導が必要だが、EFL環境ではそうではなくまずコミュニケーションの機会をということなのだろうか?それともそのコミュニケーションの機会と明示的指導のコンビネーションを発動させるためにTBLTでやろうということなのか。Ellis先生は明示的指導も認める立場にあるという理解だったのでよくわからない。

注3:fourと本文中にはかいてあるが、Table4に示されているのは3つで著者の反論も3つの仮説に対して、また、Swan(2005)でも”2.1 Three hypotheses”となっているので著者のミスだと思われる。

注4:ここに関しては、Swanが引用している文献等やその引き方への直接的な反論とはなっておらず、「いや実証研究あるから」という感じで、それぞれの仮説を支持する実証研究を列挙している感じ。Swanも、「仮説は仮説だろ」という感じの否定で、仮説を反証する研究とかをあげてたりするのであまり効果的な反論になっていない気もする。

こんな感じ。長くてすいません。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。