「英語教育の今―理論と実践の統合」第7章の記述の誤りを指摘する

週末だけ実家に戻り,ようやく私も例の本を手にとった。全国英語教育学会から先日発行された「全国英語教育学会第40回研究大会紀要特別誌 英語教育の今―理論と実践の統合」という雑誌(というより本?)である。自分の専門に関わるところで気になる記述があったので,ここでいくつか指摘をしたい。無論,この書物自体にケチをつけるつもりは毛頭ないのだが,間違った記述が正しいものだとして広く普及することは避けるべきであるという認識のもと,筆をとった次第。具体的には第7章の2.3の「気づき」の箇所について。以下,pp.184-185にある記述の間違いを指摘しながら,第二言語習得研究でいわれるところのnoticingという概念について説明していく。もちろん,私の理解が間違いであるということも十分に考えられるので,その際にはコメント欄にてご指摘願いたい。

この節の著者は,まず気づき(noticing)や気づき仮説(the Noticing Hypothesis)の定義の確認として,Schmidt (1990)で言及されているconsciousnessの3分類に言及している。ここで,「Schmidt (1990)は,意識を3つのレベルに分けている」という記述がある。これが,この部分の記述の根幹にかかわる決定的な間違いである。Schmidt (1990)では,確かにconsciousnessをawareness, intention, knowledgeという3つにわけて論じているが,これは意識の「レベル」の話では全くない。consciousnessという語を使って議論する場合には,それをawareness (意識),intention(意図),knowledge(知識)の3つの意味で使い分けなければならず,どの意味でconsciousnessを使っているのかを明確にすべきであるという指摘である。つまり,consciousnessという語が包括しうる概念の整理といったところであろう。
よって,このあとの議論において,consciousness as awareness, consciousness as intention, consciousness as knowledgeを意識のレベルとして議論をすることは間違いである。これらはconsciousnessの機能であるというほうが適切だろう。図7.2も完全にconsciousnessの議論を誤って解釈しており,Schmidtをはじめ,第二言語習得研究において気づきや意識といった問題をこのような図で捉えている研究者はいないのではないだろうか。ちなみに,この7.2の図の引用元は未出版の博士論文である。
awarenessのレベルが3つに分けられるというのは,Schmidt(1990)でも言及されていることであり,この記述は正しい。perception(知覚)は常にconsciuosnessを伴うわけではなく,サブリミナルであることもあるというのがSchmidtの主張だ。

次に,Schmidt(1990)を批判的に取り上げた論文として知られる,Tomlin and Villa(1994)に関する記述が見られる。Tomlin and Villa(1994)は,attention(注意)という概念からこの問題に取り組んでいる。この論文の主張の根幹は,attentionの構成要素としてalertness, orientation, detectionという3つを取り上げている点である。さらに,彼らの主張によると,alertness,orientation,detectionのいずれもawarenessがなくとも起こりうるとしている点である。Tomlin and Villa (1994)の重要な指摘は,言語習得にとって必要になるのはdetectionであるが,それはawarenessを必要としないという点である。つまりdetectionにはawarenessが伴うこともあるが,awarenessは言語習得に必須ではないということだ。

著者はここで,Schmidtのいうperceptionと,Tomlin & Villa のいうdetectionは「同義であると考えて問題ない」と述べている。しかしながら,これは大問題である。noticingについて語るとき,絶対にしてはならない誤りをおかしている。つまり,attentionとawarenessという2つの概念をごちゃ混ぜにしているのである。これはSchmidtの提唱したnoticingという概念や,認知科学ではあまり用いられないconsciousnessという言葉を用いたSchmidtが招いたことであるのかもしれないが,attentionは人間のもつ認知資源の方向性(意味に向けるか形式に向けるかなど)のことであり,awarenessはその意識の程度の話である。例えば,同じように言語の形式的側面に注意を向けていても,その際の意識レベルはSchmidtの分類に則るならばperception, noticing, understandingというものが有り得るということである。noticingを測定したという研究でも,実際に測っているのはnoticing as attentionか,noticing as awarenessかのどちらかであろう。

オンラインの測定法に限っていえば,前者の注意の程度(あるいは量)を測る方法として,(a)読解中に下線を引かせる(Izumi & Bigelow, 1999; Izumi, Bigelow, Fujiwara, and Fearnow, 1999; Uggen, 2012),(b)ノートを取らせる(Hanaoka, 2007; Izumi, 2002)(c)視線計測装置(Godfroid, Boers, and Housen, 2013; Godfroid and Uggen, 2013; Winke, 2013; Smith, 2012)などの手法が用いられている。これらの手法だけでは,学習者の注意を分析することはできるが,意識の程度を観察することはできない。一方で,例えば学習者のタスク遂行中の思考を実際に声に出してもらい,それを録音して書き起こして分析するような思考発話法(think-aloud protocol)という手法がある。この手法は,学習者の意識のレベルを測るものとして用いられる。言語形式に関するエピソードがあるかないか,あるいはあったとしてそれがnoticingレベルなのかunderstandingレベルなのかといったように学習者の意識レベルを切り分けていくのである(e.g., Hama and Leow, 2010; Leow, 1997, 2000; Rosa and Leow, 2004; Rosa and O’Neill, 1999)。

このように,attentionとawarenessというのは密接に関連してはいても研究するときには慎重に分けて考えなくてはいけないものなのである。そうであるのにもかかわらず,awarenessとして議論しているSchmidtのperceptionを,attentionで議論しているTomlin & Villaのdetectionと同義と考えるのは,「問題ない」どころか大問題なのである。

p.185の最終段落においては,実践的な活動における気づきに関する記述があり,ここで2種類の気づき「穴への気づき(noticing a hole)」と,「形式への気づき(noticing a form)」の関係が述べられている。自分の伝えたい意味内容を自分のもつ言語知識によって表現できないというnoticing a holeが起こったあとに,その穴を埋めるためのインプットが与えられるとnoticing a formが起こるということのようである。しかしながら,この記述はいわゆるアウトプットが気づきを促進するかを測定する研究(e.g., Izumi and Bigelow, 2000; Izumi et al,1999; Uggen, 2012)でよく見られる気づきの発生に関するものである。よって,noticing a holeがなければnoticing a formが発生することはないともとれるこの記述は誤りであろう。インプット中の言語形式への気づきは,どのような状況においても起こりうるものである(例えばインプットに含まれる未学習の語彙や文法項目への気づきなど)。教師側の働きかけとしては,上記のようなアウトプット→noticing a hole→インプット→noticing a formの指導は一例にすぎないということは最後に指摘しておきたい。

以上,「全国英語教育学会第40回研究大会紀要特別誌 英語教育の今ー理論と実践の統合」の第7章2.3の「気づき」に関する論考の間違いを指摘した。具体的には,(1)consciousnessの機能をawarenessのレベルとして捉えること,(2)attentionとawarenessを混同すること,(3)noticing a formはどのような状況においても発生すること,の3点について指摘した。このあたりの議論はややこしく,見開き1ページで説明するのは非常に困難であったであろうことは想像に難くない。しかしながら,間違った認識に基づく議論が広まることは,学問の発展を妨げるものであることは間違いないだろう。最後にもう一度述べておくが,私はこの書籍が刊行されたことを英語教育研究に携わる者として非常に喜んでいる。また,この書籍を執筆された先生方,刊行に携わった先生方への尊敬の念もやまない。この気持ちは,本記事で指摘した箇所を担当された先生に対しても同様である。私の批判は書かれた内容に対するものであり,いかなる人物への批判でもないことは最後に申し添えておきたい。

最後に本記事で引用した文献を以下に記す。

なにをゆう たむらゆう

おしまい

参考文献

Godfroid , A. , Boers , F. , & Housen , A . (2013). An eye for words: Gauging the role of
attention in incidental L2 vocabulary acquisition by means of eye tracking . Studies in
Second Language Acquisition, 35, 483 – 517

Godfroid , A. , & Uggen , M. S . ( 2013 ). Attention to irregular verbs by beginning learners
of German: An eye-movement study . Studies in Second Language Acquisition , 35 , 291 – 322 .

Hama , M. , & Leow , R. P . ( 2010 ). Learning without awareness revisited: Extending Williams
(2005) . Studies in Second Language Acquisition , 32 , 465 – 491 .

Hanaoka , O . ( 2007 ). Output, noticing, and learning: An investigation into the role of spontaneous attention to form in a four-stage writing task . Language Teaching Research ,
11 , 459 – 479 .

Izumi , S . ( 2002 ). Output, input enhancement, and the Noticing Hypothesis: An experimental study on ESL relativization . Studies in Second Language Acquisition , 24 , 541 – 577 .

Izumi , S. , & Bigelow , M . ( 2000 ). Does output promote noticing in second language acquisition? TESOL Quarterly , 34 , 239 – 278 .

Izumi , S. , Bigelow , M. , Fujiwara , M. , & Fearnow , S . ( 1999 ). Testing the output hypothesis:
Effects of output on noticing and second language acquisition . Studies in Second Language Acquisition , 21 , 421 – 452 .

Leow , R. P . ( 1997 ). Attention, awareness, and foreign language behavior . Language Learning47 , 467 – 505 .

Leow , R. P . ( 2000 ). A study of the role of awareness in foreign language behavior: Aware
versus unaware learners . Studies in Second Language Acquisition , 22 , 557 – 584 .

Rosa , E. , & Leow , R. P . ( 2004 ). Awareness, different learning conditions, and L2 development . Applied Psycholinguistics , 25 , 269 – 292 .

Rosa , E. , & O’Neill , M. D . ( 1999 ). Explicitness, intake, and the issue of awareness: Another
piece to the puzzle . Studies in Second Language Acquisition , 21 , 511 – 556 .

Schmidt , R. W . ( 1990 ). The role of consciousness in second language learning . Applied
Linguistics , 11 , 129 – 158 .

Smith , B . ( 2012 ). Eye tracking as a measure of noticing: A study of explicit recasts in
SCMC . Language Learning & Technology , 16 , 53 – 81 .

Tomlin , R. S. , & Villa , V . ( 1994 ). Attention in cognitive science and second language acquisition. Studies in Second Language Acquisition , 16 , 183 – 203 .

Uggen , M. S . ( 2012 ). Reinvestigating the noticing function of output . Language Learning ,
62 , 506 – 640 .

Winke , P. M . ( 2013 ). The effects of input enhancement on grammar learning and comprehension: A modifi ed replication of Lee (2007) with eye-movement data . Studies in Second Language Acquisition , 35 , pp. 323 – 352 .

平均と標準偏差,範囲を指定した乱数発生方法

論文に出てる記述統計からシュミレーションをしてみようと思った。いろいろググってみたのだけれど,なかなかうまい方法がなかったのでメモ。

Rでは,様々な分布に従う乱数を発生させることができる。一番有名なのはrnormというやつ。正規分布に従う乱数を発生させる。平均と標準偏差を指定して,こんなかんじで。

>dat <-rnorm(100, mean=50, sd=5) #平均値が50で標準偏差が5の乱数を100個

> dat
[1] 47.49772 48.21094 56.25741 49.96995 44.78259 48.71722 50.17432 55.17608
[9] 44.92424 46.83734 48.06748 53.36903 46.53421 50.15734 40.72731 48.05790
[17] 55.66313 53.06009 50.12512 46.79404 54.13993 45.70641 45.05168 51.28307
[25] 50.83705 48.71708 48.01274 49.00765 56.62082 49.58216 52.19713 63.85808
[33] 48.90386 56.36748 48.44979 53.96921 43.93527 50.40558 46.51421 48.81157
[41] 39.57205 51.43287 50.73080 52.36210 44.21936 59.07660 52.05478 54.53502
[49] 52.26897 54.84681 45.80431 53.86563 53.97093 55.28294 55.68036 57.21981
[57] 48.21196 42.46615 44.65935 46.11213 52.64849 47.62270 46.36596 52.57540
[65] 47.27981 63.84164 52.44592 43.90385 50.75210 51.00874 57.80445 50.17152
[73] 47.95725 50.36983 46.72289 47.57410 44.48939 53.98110 59.12215 47.21243
[81] 42.14203 40.78201 50.64352 48.90662 53.63576 55.65404 46.23628 48.17049
[89] 51.76097 52.69611 49.41447 53.25395 52.08408 41.06224 53.22397 41.33806
[97] 58.23008 44.21629 53.06959 53.20374

ただしこのやり方では,SDが大きくなると負の数値が出てしまったりする。また,例えばテストの点数とかの乱数を作りたい場合,100より上もいらないのに100を超える数値も出る。

> dat1 <- rnorm(100, mean=60, sd=30)
> dat1
[1] 44.494760 89.170093 27.292283 66.450161 62.407602 66.882294
[7] 61.546427 67.186071 49.042632 63.244362 84.543721 60.576172
[13] 51.848288 83.655269 41.251925 116.468853 64.299882 88.146247
[19] 18.110042 47.436176 56.263604 96.849951 89.739825 23.088249
[25] 34.150477 2.516926 4.948293 56.340174 25.665198 95.580383
[31] 83.448675 113.616310 -3.453262 108.500719 56.467913 100.086726
[37] 66.637288 43.201111 59.247994 45.427133 39.968471 37.975361
[43] 16.056423 22.321241 29.502743 39.415555 68.695397 94.841580
[49] 49.784221 82.842063 53.112870 7.554488 34.891446 38.734127
[55] 105.762073 39.075296 89.386547 56.279559 28.455354 84.684350
[61] 84.719927 86.950250 72.399872 48.875458 73.908410 41.047765
[67] 38.112460 38.006715 25.781026 64.453294 63.488881 62.025456
[73] 88.706781 53.570347 71.571211 37.240862 32.510384 20.557917
[79] 48.065483 94.325533 94.798381 64.708053 108.530045 26.543721
[85] 58.603449 52.491463 85.727697 106.653768 47.484039 102.625380
[91] 49.518054 36.609159 27.157635 59.725756 39.526326 82.433037
[97] 90.007551 97.304846 29.513355 80.113184

これと同じようなことは,Excelを使うと次のような式でできる。

=NORMINV(RAND(),60, 30)

ただしこれでも先ほどのように負の値と100位上の値ができてしまう。うーむ。数学的なことがわからないので困った。Excelを使う場合,ある程度の数値ならばここに書いてあるような方法を使ってできるみたい。

http://www016.upp.so-net.ne.jp/sige-lab/before2002/1995make_rand.pdf

ただしこのやり方もSDが広すぎると対応できない。と,ぐぐっていたらこんなのをみつけた。

R言語について。正規分布に従う疑似乱数を発生させる「rnorm()」関数で、正の値だ… http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1177484151?fr=pc_tw_share_q #

ここで回答者さんが平均値を指定して,負の値を出さないようにする乱数発生のRスクリプトを書いてくださっている。引用します。

>zz<-rnorm(10000,mean=3.34)

>while(any(zf<-zz<0)){#ひたすら粘る(お勧めできない)#
>zz<-rnorm(10000,mean=3.34)}

>abs(zz)#原点で折り返す#

>zz[zz>=0]#負値は省く#

>(zz>0)*zz#0に圧縮#

>ifelse(zz<0,3.34,zz)*zz#平均を強制#

>while(any(zf<-zz<0)){#正値で上書き#
zz[zf]<-rnorm(sum(zf),mean=3.34)}

これのrnormの引数でSDも指定してやればいいのではないか,と。

>zz<-rnorm(100,mean=60. sd=30)

>while(any(zf<-zz<0)){#ひたすら粘る(お勧めできない)#
zz<-rnorm(100,mean=60, sd=30)}

>abs(zz)#原点で折り返す#

>zz[zz>=0]#負値は省く#

>(zz>0)*zz#0に圧縮#

>ifelse(zz<0,60,zz)*zz#平均を強制#

>while(any(zf<-zz<0)){#正値で上書き#
zz[zf]<-rnorm(sum(zf),mean=60, sd=30)}

ただしこれだけでは100以上の値が含まれるので,

>ifelse(zz>100, 60, zz)

として0以下の値の処理と同じように平均に置き換えてあげる。シュミレーションした平均値と標準偏差を出すと,こんな感じ。

> mean(zz)
[1] 65.13294
> sd(zz)
[1] 29.33622

平均が5点ほど上にずれたけどsdはまあまあ。このやり方は,範囲の外を取る値を平均値で置き換えるやり方だけれど,それらの値を境界の0と100で置き換えるということもありなんじゃないだろうか。やってみる。

> zz<-rnorm(100,mean=60,sd=30)

while(any(zf<-zz<0)){#ひたすら粘る(お勧めできない)#
zz<-rnorm(100,mean=60, sd=30)}

abs(zz)#原点で折り返す#

zz[zz>=0]#負値は省く#

(zz>0)*zz#0に圧縮#

ifelse(zz<0,0,zz)*zz#負の値を0に置き換え#

while(any(zf<-zz<0)){#正値で上書き#
zz[zf]<-rnorm(sum(zf),mean=60,sd=30)}

ifelse(zz>100, 100, zz) #100以上の値を100に置き換え#

> mean(zz)
[1] 60.1755
> sd(zz)
[1] 27.46259

標準偏差は少し小さくなったが平均はさきほどよりも近くなった。もともとこういうやり方では最初に指定したものとぴったり一致することはないにせよ,このやり方だとまあまあの精度でシュミレーションができそう。ただまあサンプルサイズがこれより少なくなると推定の精度は下がる。逆に増やせば上がる。

最後に。ここまでやってきたやり方は勝手に標本分布を正規分布と仮定してやっているのでその点は注意が必要。t検定なんかやってるんだったらまあ正規性を仮定してのことなので良いけれど,ポアソン分布とかカイ二乗分布とかだったらこのやりかたはできない。そういう分布では平均と標準偏差の意味するものが違ってくる。そういう場合も分布のパラメータがわかればシュミレーションはできるのかな。またなにか機会があったらそっちでも遊んでみよう。

そんな感じで昨日の基礎研ではシュミレーションしたデータを使って,論文のRQに答える検定を自分で考えてやってみるということをやろうとしたのでした。バタバタと準備したのでなんかつまらなくなってしまったけれど。もうちょっとちゃんと準備してやればもっと勉強にもなったよなと思うので,また基礎研で僕の番が回ってきたら同じようなことにチャレンジしてみたい。今度は,テキストファイルのデータをExcelにまとめてそれをRでもlangtestでもSPSSでなんでもいいから使って結果を解釈するところまで。

なんかあの準備不足で色々あたふたする感じが僕の普段の授業がどうなっているかを表している気がしないでもなかったり…(遠い目

というわけで,そうちゃんと戯れてこようと思います(じゅるり

なにをゆう たむらゆう

おしまい

 

“研究室リテラシー”

本格的にこの業界でやっていくにあたってとても大事だと思ったのでメモ代わりに。スライド13枚目の「学生は兵隊ではない」に笑った。”研究室リテラシー”と書いてあるけれど、社会人のリテラシーというくらいいろんな人に当てはまることだと思う。時々読み返して自分の生活を振り返る機会を持ちたい。

今学期に授業で読む予定の文献

やらなければいけないことを放置してメモ。

今学期は自分の研究科とお隣の研究科で第二言語習得という名のつく授業を2つ履修する予定です。そのうちの1つで教科書として使用されるのがこれ。

Second Language Acquisition: An Introductory Course Susan M. Gass 

定番ということですが僕はまだ読んだことがないので。これをテキストにして毎週1チャプターずつ進むようです。

もう一つの授業は特にテキストの指定はなくブックチャプターやら学術論文やらを読んでいくもの。以下読む予定の文献を羅列します。

  • Ortega, L. (2009). Understanding second language acquisition. London: Hodder Education. (pp.1-11)
  • Doughty, C. J., & Long, M. H. (2003).  The Scope of Inquiry and Goals of SLA. In Doughty, C. J., & Long, M. H. (Eds.). The Handbook of Second Language Acquisition, Malden, MA. Blackwell. (pp.3-16)
  • Krashen, S. (1982). Principles and Practice in Second Language Acquisition. London. Pergamon. (pp.9-37)
  • Ellis, R. (2008). The Study of Second Language Acquisition (2nd ed.). Oxford: Oxford University Press. (pp.417-434)とCh.13
  • Sonbul, S., & Schmitt, N. (2013). Explicit and implicit lexical knowledge: Acquisition of collocations under different input conditions. Language Learning,63(1), 121-159.
  • Jarvis, S., & Pavlenko, A. (2008). Crosslinguistic Influence in Language and Cognition. New York and London: Routledge.
  • Jeon, E. H., & Yamashita, J. (2014). L2 Reading Comprehension and Its Correlates: A Meta‐Analysis. Language Learning64(1), 160-212.
  • Wolter, B., & Gyllstad, H. (2013). Frequency of input and L2 collocational processing. Studies in Second Language Acquisition35(03), 451-482.
  • Godfroid, A., Boers, F., & Housen, A. (2013). AN EYE FOR WORDS. Studies in Second Language Acquisition35(03), 483-517.
  • Baba, K., & Nitta, R. (2014). Phase Transitions in Development of Writing Fluency From a Complex Dynamic Systems Perspective. Language Learning64(1), 1-35.
  • Sparks, R. L., & Patton, J. (2013). Relationship of L1 Skills and L2 Aptitude to L2 Anxiety on the Foreign Language Classroom Anxiety Scale. Language Learning63(4), 870-895.
  • Lim, J. H., & Christianson, K. (2013). Integrating meaning and structure in L1–L2 and L2–L1 translations. Second Language Research29(3), 233-256.
  • Bell, N., Skalicky, S., & Salsbury, T. (2014). Multicompetence in L2 Language Play: A Longitudinal Case Study. Language Learning64(1), 72-102

一応こんな感じです。後半の論文はレビューできたら…でき…たら…

なにをゆう たむらゆう

おしまい

2013年の振り返り

どうもみなさんこんにちは。久しぶりの更新です。本当は書きたいネタが2本ほどあって下書き状態になっているのですが、忙殺されてアップに至らずさらにブログの記事よりまず書かなくちゃいけないもんあんだろうっていう後ろめたさがあって置いておいたらまあそのままっていう。こういうところで書いている以上誰かに見られるという前提でやっているわけですが、自分のライフログ的な意味もあるだろうということでつらつらと。

僕にとっての2013年は、何年後かに振り返ってもきっと重要な意味をもっているだろうなと思うような年でした。やはり一番大きかったのは、日本に帰ってきたことです。実は、新しくこちらのブログにうつったのは日本に帰ってきて夏くらいからなんです。考えてみると、2013年の半分はアメリカで過ごしたのでした。日本に帰ってきてからの日々が濃密すぎて、半年しか経っていないのにすっかり日本に慣れてしまいました。

アメリカでの最後の半年間を振り返ってみると、思い出すことは修論のことしかありません。本格的に動き出したのが本当に年明けくらいで、そこから実験を組んで、データを取って、分析して、論文にまとめる。卒論を書かなかった僕にとってはどれも初めての作業で、手探り状態でした。つねに「これでいいのかな?」という不安を抱えながらの毎日で、修論の出来は決して良いものとは言えませんでしたが、それでもあそこで僕ができることは全てやったという気持ちで提出しました。先生とはいろいろとやりあったし、納得いかないこともたくさんありました。それも今となっては良い経験でした。そして、この経験がなければ、もう一度研究に没頭したいと思うこともなかったように思います。

日本に帰ってきてからの半年間は、大きなことが2つありました。1つは教員採用試験です。もう1つは臨時的任用教員として、中学校で勤務を始めたことです。

1つ目。教員採用試験は、帰国して2週間後に1次試験を受けるという状態で、なかなか対策もできないままに、そして「教員になりたいという気持ちはあるのに身が入らない」というもやもやした気持ちを抱えながらでした。結果として、1次試験は無事に通過したのですが、2次の面接試験で不合格となってしまいました。「ダメ元」で受けたつもりが、1次試験を通過してしまったことで変な期待をもってしまい、2次試験に落ちたときは本当に落ち込みました。臨任として働き始めて1ヶ月半ほどのときの発表で、日頃の業務に支障をきたさないように必死でした。ずっとずっと憧れてきた教壇に立ったはいいものの、なかなか思うようにいかずに苦しむ毎日のなかで自信も失っていました。そこにきての「不合格」という通知。泣きましたね。泣きながら帰って、頂いたDMだったりメールだったりを見てまた泣き。あんなに泣いたのはいつぶりだろうというくらい泣きました。僕は、今年教採に受からなければ学校教員になるのはあきらめると決めていました。そうは言いつつも、土日は疲れ果てて研究の方にはまったく時間を割けずにずるずるとここまできてしまったという感じです。

2つ目。今の仕事について。夏休みあたりに某市に産休代替教員として採用していただけることになり、中学校で働き出しました。非常勤ではなくフルタイムで、授業は週に20コマ教えることになりました。実習以外での経験もなく、しかも2学期から入るという難しい状況でした。しかし、それを言い訳にはしたくないと思い、とにかく必死に毎日の授業をこなしていきました。授業の記録などはこのブログでも何回か綴っていますので、授業タグのついている記事をお読みいただければと思います。前任の先生との比較をされるのがすごくつらくて、自分の不甲斐なさを毎時間感じながら、それでもまた授業をしなくてはいけない毎日。いやーつらかった。いや、まだ終わってはいないのですが。英語を教えるっていう以前に、「教育者」には自分はなれないなぁという思いが強いです。とくに中学校では、授業の時間が一番長いにも関わらず、それ以外のものがしめるウェイトがかなり大きいんですね。ほんと「人を育てる」というところ。そのためにいろんな取り組みがなされるわけですし、生徒指導や生活指導や教育相談なんかの重要性も僕が思っていた以上に高かったです。そういうのが好きな先生もいるのでしょうが、僕はなんかあれもだめこれもだめとか縛り付けたり、それ意味あるの?って思うようなことをやらせる「学校」っていうシステムに自分が適応できないと思ってしまったんです。あれこれ大人の理屈を子どもに押し付けて型にはめるようなのが、どうしても自分にはできないなと。そういうことやらないと収集付かないことになるっていうのもわかるんですが…とにかく教員ていう仕事に関してネガティブな気持ちしか持てなくなってしまいました。

そして、僕は博士後期課程への出願を決めました。落ちたらこれまた4月からどうするかを考えなくてはならないわけですが、とりあえず今は名古屋大学大学院への進学を目指して、研究計画sy(ry

はいやりますやります

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

iPadを使って英作文を「発表」させる

いやはや先日のブログ企画の記事を書いて以来の更新になりますね。日々感じたことなんかはツイッターに流しているっていうのと、ゆっくりパソコンの前に座ってブログを書く時間がないというのがあってなかなか更新できませんでした。あいかわらず日々授業には悪戦苦闘しています。そんななかで、先日の記事の最後にもお伝えしたようにビデオ授業研では大変貴重なご意見をたくさんいただき、自分の授業の改善点がたくさん見つかりました。本当に勉強になりました。
さて、今日はITCを使った授業のお話。別に画期的な方法を思いつきました!とかではなくて、同じようなことやっている人もいるかと思いますがこんなことやっています程度の話です。まあICTって実は使うのが難しくて、「あったらいいけどなくても同じことができる」レベルの話だと正直使いづらいんですよね。なので、どうしたらその特性を活かして授業ができるかなというのはよく考えます。僕がいつも教室に持ち込むICT機器としては、テレビ、iPad、iPhone、それからBluetoothスピーカーです。教科書の音源なんかも全部iPhoneにいれて、スピーカーに飛ばしています。これは結構やっている人も多いかと思いますが、教室の前にいなくても音源を操作できるのがいいです。iPadはHDMIケーブルでテレビにつないでいます。Keynoteを使うときにはiPhoneのKeynote Remoteというアプリを使ってiPadのスライドを操作するのですが、Bluetoothでつなぐと接続が不安定で認識されたりされなかったりして、一回接続が途切れるともう一度再登録してやらないといけないのでそれがめんどくさいなとは思っています。また、iPhoneからBluetoothにつなぐ機器が2つっていうのもたまにあれれとかなったりします。こういう設定とか準備に貴重な授業の時間を割きたくはないんですよね。だったらそういうの使わないほうがいいわけですし。それでその準備をしっかりしておくためにも僕はいつも教室にはできるだけ早く行くようにしていて、授業が続くときは前の授業終わったらそのまま次の教室に移動するようにしました。音楽を流してテレビとかをセッティングして、Today’s Menuと本日の目標を黒板の両端に書くところまでやって授業のチャイムが鳴るのを待っていたいんですよね。このくらいの余裕を確保するのは特に1時間目とかは掃除のあとで難しいのですが…
それで、最近僕がiPadを使ってやりだしたのは、英作文の添削です。僕はよく文法の定着活動として、文法項目を明示しないライティングをやらせるのですが(定着と明示しないというのは一見矛盾しているようですが)、それをiPadのカメラで撮って、テレビに映して全員で見ながらその場で赤を入れるということをやっています。そのためにこの前スタイラスペンも書いました。もちろんこれは生徒に黒板に書いてもらってそれを添削していくのとやっていることは同じですが、前に書いてもらうことって時間もかかるし、ハードルの高い作業なので、一部の英語が得意な子にしかやってもらえない可能性が高いんです。特に僕はまだ授業の雰囲気作りで発言しやすい雰囲気を造っているような段階ですし。その場でちょっとカメラで何人かの生徒のを撮ってテレビに映して添削していくと、それを見ただけでは本人とよくてその周りの数人以外は誰の書いたものかはわからないので、文を書いた本人が「直されている」という感覚があるだけで、それはクラスでは共有しづらくなると思うんです。そうすればできてるのに自信がないという子も自分の書いたものを「発表」できる。もちろん「この字はきっと○○だー」とか「字きれいだから女子だな」とか言ってる生徒がいるわけですが「誰が書いたかじゃなくて何が書いてあるかが大事」といつも言っています(現実には実は誰が書いたかの方が大事なことも多いっていうのはツイッターでもよく思うことなのですが)。こうやって犯しやすい間違いとか、よくできているところ、あるいはある程度長めの課題だと文の構成なんかも共有した上で、少し手直しする時間を取ってから回収して、僕が個別にまた見て返すようにしています。

それで、PDFだとGoodReaderを使えば手書き文字を入れることは簡単なのですが(GoodReader最近よく落ちますけど)、写真に手書き文字いれられるアプリでなかなかいいのがなくて、iPadに入れてあったNotebook+というので写真を貼り付けてやるということをやってたのですが、僕の持っている第二世代のiPadのカメラは画質が悪いのにさらにこのアプリで表示して拡大すると画質が落ちてすっごく見づらかったんです。で、いいのないかなあとぐぐったらSkitchというのを見つけました。もともと、iPadに手書きで入力するという使い方をしたことがなかったのでそれに使えるアプリを全然知らなかったんですが、これって結構有名なやつですかね…?Evenoteが出しているアプリのようです。これを使えばまあ手書きはとりあえずOKそう。他にもいろいろ記号とか入れられるみたいだけどそっちはちょっと今のところうまい使い方は思い浮かばないかなあ。
授業中に全員で共有するような時間がなかったときは、回収してスキャンして、次の授業でそれを提示しながら添削しています。こういうときにScanSnapがあればな…とまたScanSnap欲しい熱が再燃しています。授業で使用するプリント類もなるべくスキャンして提示しながら進めていきたいですし。教科書も裁断して全部PDFにしたいです(まあ僕の立場じゃたぶん無理でしょうけど)。まあ僕がこういうことをできる(考える)のも、フロアに3台テレビがあるっていう環境があるからなんだよなとは思います。ICTに関してはいろいろめんどくさいことが多い環境ではありますが、機器がかなり自由に使えるというのは恵まれていることですもんね。

同じようなことはテレビやスクリーンと書画カメラがあればできますが、「デジタル」で添削することの良さはそこでもう一度自分で書き直しができるっていうことだと僕は思っています。書画カメラで生徒のプリントを映しながら実際に添削するのを見せることもできますが、その場合その生徒の手元にはもう赤が入っているものが戻ってきてしまうし、なにより添削を見ながら自分で手直しすることができないんですよね。その点でiPadは便利だなと思います。一方的に提示するだけじゃない、そんなICTの使い方をこれからも考えて実践していきたいです。

さて、来週には期末テストがあるので、時間に余裕のあるこの土日で作ってしまいたいと思います。それでは。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

「なんで英語なんか勉強するの?」と訊かれたら

anfieldroad先生の

『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!企画第5回

に参加しています。

というわけでこの企画はいつも楽しみにしていて自分も記事を書いていますので、今回も(この企画であとだしは結構ずるいので、他の人のはちらっと読みましたがそれはできるだけ読まなかったことにして書きます)。

既にたくさんの方がこの企画にブログ記事を寄せていらっしゃいます。そのリンクのまとめは随時こちらにアップされるということです。

タイトルにもあるとおり今回のテーマは

生徒に、「なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?」と訊かれたら、なんと答えますか?

というものです。

このブログに初めてお越しになる方もいらっしゃると思いますので簡単に自己紹介させていただきますと、僕はいま某市の中学校で臨時的任用教員として勤務しています。その前は今年の6月までアメリカの大学院にいました。なので教員歴はまだ2ヶ月です。

さてそんな僕がこの質問にどう答えるかということですが、実はこれにかなり似た内容の記事を以前のブログに書いていました。

Task 1 & 2

上記リンクのTask 2が、「なんで英語なんか~」の答えかと思います。それで、中学校ならこういうかなあということでこんなことが書いてあります。

「義務教育だからやってください卒業したら英語が必要ない道を自分の好きなように選んでいただいて構いませんから。」

この記事を書いたのは今年の4月で、これを書いたことは覚えていましたがどんなこと書いたかは正直忘れていたんですね。それで、このブログ企画用に文章を書くにあたって読み返してみてびっくり!僕がこの前教室でした話とまったく一緒!w

僕はちょうど一ヶ月前くらいにこんな記事を書いていて、ちょうどこの記事のクラスで、なんで英語を勉強するのかっていうのを話した時がありました。コメントで、なんで英語やらなきゃいけないのという質問があったからです。

そのときに話したことはまさに上記のような話で、「そもそも勉強したことが役に立つかどうかなんて勉強しているときにはわからないものだし、14歳の時点でその選択ができるわけないんですね。だから全国の中学生はまったく同じ内容と量の勉強を全員がやるわけですよね。中学校でやる勉強は本当に自分のベースになるものだから、それもできてないうちにその先には進めないし、どんなことやるにしても基礎練はあるじゃないそれと一緒だし基礎練はたいてい楽しくないでしょ」という話をしました。続けて「ただし中学校を卒業したら、その先の人生の選択は自分でしていいんです。本当に本当に英語なんか絶対にやりたくないと、そういうことでしたら、英語を勉強しなくてもいい道を選んでください。」と言いました。

正直これを言うのは英語教師としては不合格だろうと(まあだから教採もダメだったんだろう←自虐)と思います。ただし授業中の様々な活動やテストを使って「できるじゃん!」「少し頑張ってみようかな」とちょっとでも思わせるようにやっているつもりですし、残りの限られた時間の中でこれからもそうやってencourageしていこうと思っています。

全体に話すときにはやはりある程度話を抽象化する必要もあるしそうなると制度的なものを持ち出すんですけどまあ個別に対応するとしたらもっとその原因にあたるものを突き詰めていって対応するのかなとは思います。

これは僕の恩師の高校の先生がおっしゃっていたことばなんですが、僕が中学校の先は自分で決めていいんだよっていうのはこれの3つ目のことを意識してのことです。高校に進学する生徒がほとんどだとしても、高校も普通科だけではないですし、高校に進学しないということだって尊重されるべきだと思うんです。僕の中学の同級生だって高校に進学しないという道を選択した人と、僕みたいに親に養ってもらいながら好きなことばっかりをやってもう20の半ばまで来た人と、もう10年も前からずっと働いている人と、どっちが「えらい」とか「成功」とか「幸せ」とかそんなことは比べられませんし比べる必要もないと思うんです。

で、その中で英語を勉強するよりも大事なことがあるならそれを一生懸命頑張ればいいじゃないと思うんですよ。

勉強しろとは僕も毎日言ってるんですがそれはこっちで「ちょっと頑張ったことで自分が伸びたことがわかるように準備して待ってるから」なんですよね。そこに乗ってほしいだけなんです。

なので、「英語は勉強しなくてもいいよ」と言っても生徒が英語を勉強するっていうのが究極的な理想ですかね。「できた」→「楽しい」→「もっと頑張ろう」っていうこのスパイラルに引っ張っていければそんな英語はなんで勉強するのなんて小難しい話とかいらないんですよ。

なので一応の答えとしてはさっき書いたとおりで、それよりも大事なのはできるとか楽しいとか思わせて頑張らせるということですかねえ。

あ、そういえば

なんか僕の授業をメッタ斬りにするイベントが来週末に開催されるようです。みなさまぜひぜひ僕をいじめに来てください。

[SETC&ASTEK][サークル] 2013年11月例会のご案内

それでは。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

2次対策の面接練習で気づいたこと

今日は先日勉強合宿に指導員として参加させていただいた高校の校長先生に、教員採用試験の2次の面接練習をしていただきました。1次をまさか通過するとは思ってもみなかったので、面接のことはなにも考えていませんでしたし、正直ぶっつけ本番でも自分ならなんとかなるだろうと思っていました。しかしいざ校長先生に様々な質問をぶつけられると、全然答えられないし、「こういうことまで言及できた方がいいね」というアドバイスを受けるたびに「ああ、なるほど!」と膝をうつようなことばかりでした。その中で、一つだけすごくショックな場面がありました。盲点といいますか。「教員の研修についてはどう思われますか?」と聞かれて、「教員として向上心を持って知識・技術は磨き続けるべきだと思います」と答えたんです。そのあと校長先生はこうおっしゃいました。
学校は組織なんだから。自分の授業だけよくなったってしょうがないんだよ。学校全体のレベルがあがらないといけない。大事なのは、教科としてどうやってレベルアップをはかるのかということ。
ハッとしたんですね。僕は、自分のことしか全く考えてなかったんです。自分がどうやったらうまく授業を展開できるのか。自分が英語教育研究の発展に寄与するためにはどうしたらいいのか。自分が自分がって。それで、そこから「日本の英語教育がどうあるべきか」なんてことを考えていたわけです。CELESやJASELEに行っていろんな先生に会って、僕もこういう人たちと一緒に日本の英語教育の発展に少しでも貢献したいとか思い上がってたわけです。中学で勤務するにせよ高校になるにせよ、自分が所属する組織の単位はその学校なんですよね(もちろん僕の場合はまだ組織の一員になっているわけではないですが)。そのことを差し置いて、やれ自分の授業はどうしようとかそれをどうやって学会とかでシェアできるようにすればいいんだろうとか、自分が学校という組織の一員であるという認識が決定的に欠けていたことに気づいたんです。ああだから自分はダメなのかと思いました。本当にすごく恥ずかしくなりました。自分が一緒に働く英語教員の同僚の存在を無視してるとかあり得ないですよね。そんなやつが学校教員なんてなれるはずがないと思いました。その他の質問でもいたるところで、この「学校という組織の一員として働く」という考え方がないと思いました。たぶん僕のTwitterでのつぶやきなんか校長先生に見られたら「生意気」の一言で一刀両断だったと思います。それだけ、「生意気だなと思われるような発言は極力避けて謙虚に」ということを念を押されました。もうぐっさぐっさきましたよね。
「面接なんて嘘ハッタリかましてもいい。それはあくまでテクニックであって、自分の信念は前面に出してはいけない」と言われました。わかってはいたんですが、僕はそもそも自分の信念を貫くとかいうほど自分の意見を持っていないんだなとも思いました。それだけ圧倒的に思考力が足りないしそれを言語化する能力も低い。そのことを痛感した1時間でした。きっと校長先生は「田村はちょっと2次厳しいだろうな」という印象を抱かれたと思います。それくらいひどかった。本当に。でもこれだけ自分が足りないところを目の当たりにする経験というのはなかなかないので(留学で経験したこととはちょっと違う)、すごく勉強になりましたし、せっかくご指導をいただいたからには「落ちてもいいや」なんて気持ちでは臨めなくなりました。週末はKATEに参加してきますが、あと1週間、単元指導計画の作成も含めてしっかりと準備をして2次試験に臨もうと思いました。
なにをゆう たむらゆう
おしまい。