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業務量が多くて自分自身の求める授業ができないので教員辞めたいですというご相談

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。今回は,質問というより相談という感じですね。

質問

4月から高校の教員になりました。もう辞めたくなるくらい業務量が多いです。自分自身の求める授業が校務分掌、クラブ活動、事務作業によってできていないです。もう辞めたいです。。。

回答

まずは,4月から教員になることができたこと,おめでとうございます。「自分自身の求める授業」をお持ちだというところから,きっと教員になりたいと思ってなられたのだろうと推察します。最初は何もかもが初めてのことだらけなので,力の入れどころ,抜きどころ,もわからないのでアップアップになっちゃいますよね。

理想も大事だけど続けられることのほうが大事

理想を追い求めることは重要だとは思いますが,持続可能性の方がもっと大事だと私は思っています。授業準備の時間が少ないということはそれはそれで学校教員の労働問題として大事なことではあります。そうではあっても授業以外の仕事も教員の仕事ではありますよね。授業以外の時間を効率化して授業準備にあてる時間を最大化することを考えると同時に,自分のQOLを維持しながらどういった授業が可能だろうかと考えることも大事になってくるのではないでしょうか。

自分をすり減らして数年間だけ理想の授業をやってやめてしまうよりも,自分の環境の中でできることを退職まで数十年続けるほうが,結果的にはより多くの生徒にポジティブなインパクトを与えることができると思います(もちろん,自分の授業が必ずポジティブなインパクトを与えるとは限らないわけですけど)。

こだわるポイントを絞る

質問者の方がどのような環境で働かれているのか等はわからないので具体的なことをアドバイスしたりはできませんが,目の前の生徒に向きあうことだけはやめないとか,何かこれだけは…という部分を自分の中で決めてみてはいかがでしょうか。授業でも,例えば何か一つここだけはこだわってやろう,と決めてみるとか。全部が全部完璧に,というのはなかなか難しいですし,仮に他の業務に忙殺されていなかったとしても,理想の授業ができるとも限りません。また,理想の授業というのも経験を重ねるうちに変化していくものだと思いますし。

自分に課すハードルが高すぎることが自分を苦しめてしまうということもあると思うので,それを下げてあげることで楽になる部分もきっとあります。それは自分を甘やかすこととは違うことです。これは個人によって考え方も違ってくるのでそれが正しいとかではなく私はこうしているっていうことなんですが,先のこととか大きいこととか,そういうのではなく,目の前の,小さなことをクリアしていくことを意識してみてはいかがでしょうか。「理想の授業」がどんなものかはわからないですけど,きっといろんなことがその中には詰まっていると思います。それを一旦バラバラにしてあげて,その小さなことを意識してみるというんでしょうかね。そういうのを続けていく中で,自分のパフォーマンスもあがっていくし,自分自身も成長できると考えています。

そんな要素還元主義的な考えで授業が成り立つわけないと思っていらっしゃるとしたら,うーんまあそういうこともあるだろうけどね〜って感じなんですけど。仮に真の現実が要素還元できないような複雑なものであったとしても,人間が理解して,そして生きやすいように要素に分けてあげることは全然アリだと私は思っています。

周りに頼る

これは私自身も超絶苦手なことなので,誰かに言えるようなことでもないのですけどね。力を抜いて周りにも頼りながらやってみてはどうでしょうか。学校は組織ですから,授業も,校務分掌も,クラブ活動も,事務作業も,周りとつながりながらやっていくとバランスが取れるんじゃないでしょうか。それができたらわざわざ匿名で私のところに質問を送ったりしないとは思いますけど。同じ学校の中で悩みを共有できる人がいなかったとしても,一歩外に出れば,それこそSNSでもいいですし,学会とか研究会みたいなものでもいいですし,学校の外に出ればいろんなところで自分を支えてくれる小さなコミュニティに出会うことができると思います。その一つの手段として私に質問を送っていただけたのなら,それはとてもありがたいことです。もしまた何かあったら質問していただければと思います。

おわりに

質問者の方と同じようなことを感じている人も他にもいるかもしれないなと思うので,そういう人たちにも届いてほしいなと思います。

なにをゆう

たむらゆう。

おしまい。

大学教員だと仕事とプライベートな時間との分けかたが難しそうな印象がありますが…

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画。質問は以下です。

大学教員だと仕事とプライベートな時間との分けかたが難しそうな印象がありますが、授業準備、研究、趣味、家族など、職場以外での時間の割り振りはどうされていますか?

回答

まず質問を読んで最初に思ったことは,何を聞かれているんだろう??です。仕事とプライベートの時間の使い分けを聞かれているのだと前半部分を読んで思ったのですが,後半部分は「授業準備、研究、趣味、家族など、職場以外での時間の割り振り」です。「授業準備,研究,趣味,家族など」の「など」は授業準備と研究と趣味と家族が等位接続されているという理解で間違ってないですよね?そして,それが「職場以外での時間」の例として挙げられているということですよね?授業準備も研究も職場以外でやるってこと???と。あるいは,「授業準備,研究,趣味,家族など職場以外の時間」,ということで読点の位置が不自然に入ってしまったのでしょうか?だとしても,趣味も職場以外の時間ですしね…。「授業準備や研究と,趣味や家族などの職場以外の時間」と書かれていたら,すんなり理解できるのですが。こういうところで引っかかるのって私だけなんでしょうか…。

さて,前置きが長くなってしまいましたが仕事とプライベートの時間の使い分け,ということだという前提での回答です。大学教員といっても勤め先の大学によって,また学部によっても全然働き方が違うと思いますので,あくまで私のケース,ということで以下お読みください。

プライベートの時間

私は就職して1年目は仕事とプライベートの境目とかなかったです。土日も仕事するのが普通で,プライベートよりもとにかく仕事仕事って感じでしたね。というか,授業準備とか,学内の様々な仕組みに慣れるのに精一杯でした。2019年度からは,ガンバ大阪のサポーターデビューをして,サッカー観戦という趣味を作ることによって,強制的に仕事をシャットアウトするようにしました。そうでもしないと常に仕事のことを考えてしまうし,それは健全ではないとわかっていたので。

その後,2020年度はコロナになって,在宅ワークの時間の時間が圧倒的に増えましたよね。おそらく多くの人にとってそうだったのだと思います。それ以降は,また仕事とプライベートの垣根がなくなったってしまった感じがします。1年前に引っ越してリビングに仕事スペースがある今の環境だと余計にそう思いますね。私は結構環境を変えることで自分のマインドを切り替える性格なので,2020年度の完全オンライン授業の時期などは,通勤時間がかかったとしても研究室に行ってそこからオンライン授業をしたり他の仕事をしたりしていました。

大学院生のときも,アメリカにいたときは結構自宅でやってたような気もしますが,それは勉強机を部屋に置いていたからです。名古屋に住んだ4年間のうちのほとんどはローテーブルしか置いていなかったので,家で作業した時間はほとんどなかったですね。大学受験のときも,わざわざ1時間くらいかけて河合塾の自習室に通っていたと思います。

研究の時間

あとは,研究とかプロダクティブな仕事をどういう時間でやるのか,これは研究者で悩んでいない人はいないのではと思います。結局,時間に余裕ががあるときにやる,とか,そういうのは絶対にうまくいかないっていうのは人の話や本を読んでも,自分の経験としても理解できています。時間に余裕があるときってほとんどないからですし,その時点ですでに後回しになってしまってるんですよね。

やっぱり,時間を決めてやるしかないですよね。幸い,平日のうちの1日は研究日として授業や会議のない日があるので,その日に研究をする,という人が多いのではと思います(大学教員で研究日の設定がないのだとしたら,そういう場所をいい職場だと思うことは絶対にないので研究日がある環境に移ったほうが絶対にいいと思います)。ただ,その日に溜まった家事をやったりとか,そういう風になってしまうこともありますよね…。

私は2023年度からは自分の研究日に非常勤に行くことになったので,研究日を活かす,というのとは別の方法が必要になります。実際に年度がスタートして,生活のリズムがつかめないと,どういう時間の使い方がいいのかわかりませんよねおそらく。手探りでやっていくしかないのかなと思っています。というか,5年間同じ職場に努めていても研究日が変わったり担当の科目が変わったり,時間割も変わったり,所属している委員会も変わったりと色々な変化が毎年あったので,正直に言って未だに固定された自分のやり方みたいなのは見つけられていないかもしれません。おそらくですが,そういった変化に影響されないような方法を見つけないといけないのだろうなと思い始めています(気づくのが遅い)。

そんな中でも,私が割と気に入っているというか,自分にとってあっているかなと思っているのは,授業の前の時間を使う,です。これも1限の授業が多くあると,かなり早起きしなければいけないので朝にそこまで強くはない私はなかなか難しかったのですが,例えば,2限から授業の日は1限の時間を研究に使う,というような感じです。私は基本的に授業の日は授業開始時刻の1時間前に職場に着くのを目安にしています。関西大学は1限が9時からなので,8時くらいにオフィスに着くイメージです。よって,2限の日に8時に研究室に着けば,2時間は集中して作業ができます。これが,例えば,1, 2限は授業で午後が丸々空いている,みたいな日だと,午前で結構疲れ切ってしまって午後に頭を使う仕事がなかなか捗らないんですよね。また,2, 4限とか1, 4, 5限のようにのように空いたコマがあるときも,その空いたコマに研究のことを考えるというのは私はあまりうまくできません。

来年度は,久しぶりに午前に授業がない曜日,つまり自分の授業がすべて午後にある曜日があるので,午前を研究に活用するようなスケジュールを組めるといいのかなと思っています。あとは,念願の自分の書斎(1.5畳)を手に入れることができるので,家にいても「仕事モード」に切り替えやすくもなるのかなと思っています。

「割り振り」という観点

最後にですが,時間をどう作るかではなく,「割り振り」つまり配分という観点で考えてみます。着任してから3年間は,授業準備にものすごく時間をかけていたと思います。最初の1, 2年はたとえ同じ授業であったとしてもまだまだ1年目でそこまで授業のスタイルが確立できていたわけではありませんでしたので,2年間終わってようやくこれである程度授業準備が楽になるかなと思っていました。そこにコロナがやってきて,今までやってきたこととはまったく違う授業をしなければならなくなりました。2021年度もまだまだコロナ前と同じように授業はできていませんでした。今年度になってようやくほとんどコロナ前変わらない授業ができているかなと感じ始めています。ただ,来年度からは非常勤含めて新しい授業(すべて語学以外の授業)が5つあるので,また授業準備に多くの時間が必要になる時期になるだろうなと思います。

あとは,質問者様のあげてくださったものの中には入っていませんが,委員会業務も地味に大変ですね。大学教員の仕事には所属組織の運営というものもありますから,外からは見えにくいですが色々仕事があります。また,私のこれまで経験してきた業務は仕事の波があることが多く,ある特定の時期に多くの仕事をこなす必要が出てくることが多かったので,その時期は本当に大変な思いをしました。そして,今年度からは所属組織のみならず学会運営の仕事(LET関西支部の事務局の仕事)も入ってきててんやわんやです。

体感ではここまでで40~50%くらいですかねぇ。あとは研究,趣味,家族が10~20%ずつくらいっていう感じかもしれないです。ただ,数ヶ月前に同棲をし始めて,二人の時間は増えたと思います。もちろん忙しさの波があるので難しいこともありますが,できるだけ二人で料理をして食事をする時間を作ることを意識しています。義務感というよりも,その時間が幸せなので,その時間を大事にしたいという気持ちです。あとは,今はJリーグがオフシーズンなので,サッカーに費やす時間が減っているというのもあるかもしれません。

研究の時間もっと増やしたいよなぁという気持ちはあります。ただし,私より遥かに多くの仕事をこなしていて,なおかつ研究もやっていて,という私より年上の先生方も見ています。そうすると,自分の頑張りは足りないなと思うこともあります。1年前くらいは,そのことに対して,つまり,周りと比べて自分に対してネガティブな思考に陥ってしまっていました。カウンセリングに通い続けて,そういう思考からは少し解放されたんじゃないかなと思います。自分は自分のペースで成長はしていっているはずだし,目の前に立ち現れる壁を少しずつ乗り越えていくことだけに集中して,それを繰り返していけばいい,と今は思っています。

具体的な目標とか,数字とか,そういうのはあえて設定せずに,とにかくやり続けること,やめないこと,そういうのを色んなところで設定しています。運動もそうですね。何キロ痩せるとか,体脂肪率をどれくらい落とすとか,週何回運動するとか,どれくらいの強度の運動ができるようになるとか,そういうことを考えるのはやめました。運動をやめない,運動を続けること,それだけです。そうやってしている方が,結局は自分は長く続けることができるなと思うので,研究についてもそうなんじゃないかなとなんとなく思っているという感じですね。

おわりに

なんだが質問に答えるうちに内省がどんどん活性化されて色々と書いてしまいました。私に質問されたい方はお気軽にどうぞ。質問への回答で,さらに気になることがでてきたら「関連する質問を送る」ということもできます。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

修士課程を卒業して、博士課程や研究者へのあこがれがありましたが、結婚・育児・家事などにかまけて…

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画第3段。

いただいた質問は以下です。

修士課程を卒業して、博士課程や研究者へのあこがれがありましたが、結婚・育児・家事などにかまけて、単なる非常勤講師としてもう何年も過ぎてしまいました。非常勤は不安定で、いつ契約が切られるかもわかりませんので、社会保険に入れる安定した仕事につきたいです。今となっては学会で研究発表する気力もありません。人生どうすればよいのでしょうか。

回答

まずはじめに何点かお断りさせてください。私は質問者様の背景について,上の質問で書かれていること以上のことは想像でお答えるすることしかできません。また,想像でお答えしますので質問者様の実際の状況や心情に沿った回答にならないかもしれません。そうした前提の上で,書かれていることのみを元に,私なりに精一杯質問に対する私の考えを述べさせていただきます。さらに,無料での匿名のご質問に対する回答ですので,質問者様の人生について私は一切の責任も持つことはできません。「お前が言うな」ですとか,「お前にそんなこと言われたくない」と思われてしまうかもしれないことを百も承知で,ただし私は全力で以下の文章を書きました。

私の個人的なこと

私と質問者様の共通点として「アカデミアという業界にいる」ということはおそらく間違いないのではと思います。ただし,分野が同じかどうかということはわかりかねます。したがって,私がいる分野で私が見ている景色,を前提に書かせていただきます。

私は生存バイアスの塊といいますか,本当に今のキャリアを私が歩めているのは本当に私の実力であるとか言うことではまったくなく,本当に運とめぐり合わせでここまで来たと思っています。そのような私が,不安定な非常勤の立場の方になにかアドバイスを差し上げること自体がとても心苦しいといいますか,どれだけ質問者様の気持ちを慮ろうとしても不可能であると思います。ただ,私と質問者様で抱えている悩みが全く異なることは,偶然でしかなかったということは思っています。

ライフプラン

質問者様の「結婚・育児・家事などに」というお言葉から,おそらくですが現在もパートナーの方がいらっしゃって,その方と家庭を作られているのではないかと想像します(そうではないということでしたら申し訳ありません)。そうしますと,「非常勤は不安定」といったときの「不安定」さはパートナーの方がどのようなお仕事をされているのかということにも依存してくることかと思います。質問者様のジェンダーも質問の内容のみから推測することはできませんが,ジェンダーの規範(男が稼いで等)はいったん置いておいて,パートナーの方と力を合わせてどのように生きていくのが良い選択なのかということをお考えになるのが良いのではないでしょうか。

もちろんいわゆる二馬力で世帯年収を高くするのが質問者様にとってもパートナーの方にとってもリスクを軽減する道だとは思います。しかしながら,パートナーの方がメインの稼ぎ手を担って,質問者様はパートタイムで働きながら家庭の負担を軽減するという道もあるのではないかと思います。そのことによって,自分が思い描いていたような専任職への道が絶たれてしまったとしても,それは質問者様が何を人生の最優先事項と考えていらっしゃるかという問題でしょう。

あこがれについて考える

「博士課程や研究者へのあこがれ」ということを考えたときに,研究の道に進むということに対してご自身がどの程度のあこがれを抱いていたのか,そして,なぜあこがれを抱いたのかについてもう一度考えてみてはいかがでしょうか。

先日,私がよく見ているインターネット番組で,サッカー元日本代表の内田篤人さんはこんなことをおっしゃっていました。

もしサッカー選手になりたければ、夢を叶えるためにサッカーを続けていく。でも、苦しいな、嫌だけど練習に行こうかなと思っていたら、多分その夢は違うと思う。僕はサッカー選手になれたのは、なろうと思ってサッカーを始めたけど、ずっとなろうと思ってサッカーをやっていたわけではない。楽しくて楽しくて朝も早く起きて、みんなとやって行った結果、プロになれた。努力しよう、何かを頑張ろうと思わなくていい。普通に生活してサッカーにのめり込んだ方がいい。そしたら結果的になれましたというのが理想的だと思う

子どもたちの“夢”に対する質問に内田氏が伝えた言葉とは。「僕はずっとなろうと思ってサッカーをやっていたわけではない」 | 内田篤人のFOOTBALL TIME

「今となっては学会で研究発表する気力もありません。」という質問者様のお言葉から察するに,研究活動が楽しいものではなく,つらいものだとお感じになっていらっしゃるのではと推察します。研究が楽しいと思ってやっている研究者の方が100%だとは私は思いませんし,私自身も研究に臨むにあたっての苦しみというのは常に味わっています。しかし,それでも今の仕事を私が続けていけるのは,そこに人生をかけられるくらいには研究が辛くないということなのだと思います。

もしも,研究の道にいくのがつらいとお感じになっているのであれば,なにか別の道を探されるのも一つの選択肢としてありえるのではないかと思います。博士号を取得して研究者になることだけが人生の幸せでもありませんし,ご自身がどうありたいのか,自分にとって何が幸せなのかということが最も重要なことであると思います。それがもし「博士号を取得して研究者になること」であれば,一念発起してそこに邁進するべきでしょう。その選択を取れないとお考えであれば,なにか別の道がきっと質問者様には合っているのだと思います。

私は結婚をしていない独身ですので(バツイチ子なしです),育児や家事などに割かなければいけないリソースは,ご結婚されていて家事・育児をされている方に比べれば相当少ないはずです。だからこそやっていけていると思うところもあります。正直に申し上げますと,家事・育児をやりながら研究もバリバリやられている方ははっきり言って超人です。真似などできません。私はそう思うからこそ,ご結婚されて,育児や家事などに取り組まれている質問者様のことを尊敬しています。私のような者よりもよほど社会に貢献していらっしゃいます。そのことを誇っていいと思うのです。

その上で,ご自身にとって,「安定した仕事」に何を求めているのか,それは自分の夢ややりたいことなのか,お金なのか,そうしたことを考えることで,この先の人生どうすればよいのかということについて,何かしらのヒントが得られるのではないかと思います。

おわりに

正直に申し上げまして,今回いただいた質問はこれまで頂いた質問の中でも最も回答するのが困難でした。質問者様の切実さは十分に伝わっていますが,私が果たして回答者でいいのか,私が回答することがなにか質問者様のプラスになるのか,という不安が拭えません。私が上に書いた回答は,また何年後かに同じ質問に答えるとしたら変わっている可能性も十分にあります。ただ,今の私が無い知恵を絞って考えた,私なりの精一杯の回答です。質問者様が今後幸せな人生を送られることを切に願います。

以上です。

私に質問されたい方は質問お待ちしています。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

2022-08-10追記

アカデミアの道を目指して,そして方向転換された方としてとても参考になる記事を書いてらっしゃる方がいるのでご参考まで。

文系博士課程修了後の一般企業への転職活動記録

教師になって一年目です。自分のやりたいことやビジョンがなく、先輩に怒られてしまいました…

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画第2段。

いただいた質問は以下です。

教師になって一年目です。自分のやりたいことやビジョンがなく、先輩に怒られてしまいました。Tam先生は自分のやりたいことや、こうしたいと言う思いはいつ頃から持つようになりましたか?

回答

1年目ってとにかく目の前のことをこなすのに必死でやりたいこととか先のこと(ビジョン)とか考える余裕もないですよね。その先輩の先生にはぜひそういう質問者さんのような1年目の教員がやりたいことやビジョンを見つけられるようなサポートをしてほしいなと思います。

やりたいこととかこうしたいとか,そういうのは学部時代からわりとある方だったかもしれません。教科教育法の授業でいわゆる達人の授業みたいなビデオとか見るのがあって,「こんな風に授業できるようになりたいなぁ」みたいな漠然とした憧れというか。あとは本の影響も大きいと思います。例えば私が学部の頃とかだと,田尻先生(なんといま同僚なんですが)の本とか読んで「うおおおお」ってなったり。

その後大学院に進学して,私は英語教授法の修士課程だったので,授業の構想とか実践みたいなことを考える機会がたくさんありました。大学附属の語学学校で教えている先生の授業観察もたくさんありましたし,学生同士での模擬授業もたくさんあったので,そういう経験をしている中でも自分がこうありたい,こういうことができるようになりたいという思いは常に持っていたかもしれません。

日本に帰ってきて中学校で働いていたときは,同僚の先生(教科問わず)の授業をフラフラと見に行って(空きコマの時間とかにもっと他の先生の授業見に行ったほうがいいよと言われていたのでたまに行ってました),発問の仕方とか,授業のテンポの作り方とか,ああこんな風にできたらなぁと思うこともありました。正直自分の中から何かが湧き出てくるというよりは,本を読んだり授業を見たり,自分で日々の授業を振り返ったりするなかで,「こんな風にやりたい」みたいなのが出てきて,そこに向かって試行錯誤する中で自分の個性が活かされる形のmy wayが見つかっていくのではないかなと思います。

教師としてということもそうですが,人間としてどういう人でありたいのか,自分がどういう人生を生きたいのか,っていう問いはめちゃくちゃ重要だと思います。私がこの前豊中市の教員研修に市民枠で参加したときにガンバ大阪OBで元サッカー日本代表の加地さんも同じことおっしゃっていました。子どもにどうなってほしいかじゃなくて,自分が先生としてどうありたいか,それだけを考えて,そのために必要なことをやっていけばきっと子どもたちもついてくると思いますと。子どもたちにどうなってほしいかを考えると,それって自分の外に結果を求めることになるんですよね。でも本来自分の外のことは自分にはどうすることもできないことだし,そこで自分が思うようにいかなかったときに原因を誰かに求めてしまうことにも繋がります(私はこんなに頑張ってるのに子どもがついてこないとか)。自分のことは自分で変えられますから(まあそれだって難しいんですけど)。もちろん,その「どうありたいか」が独りよがりで子どものことを全く考えていないようなものだと良くないと思いますが,教員をやっている方はやっぱり子どもと関わる中でなにかポジティブな働きかけをしたいと思っている方だと思います。したがって,そういう方であれば,「自分がどうありたいか」という問いを立てて,それを突き詰めていくことは子どもたちにとってもポジティブに働くだろうなというのは想像できます。

まずは身近にいる先生のことをよく観察してみると,自分のなりたい姿も見つかるかもしれませんね。ちなみに,これもサッカー選手の言葉ですが,ウッチーこと鹿島アントラーズからドイツのシャルケに移籍して活躍した内田篤人選手は「こうなりたい」じゃなくて「こうはなりたくない」で自分の軸を決めているというようなことを著書の中に書かれていました。「教員1年目の新人に,ビジョンがないからといって怒るような先輩教員にはなりたくない」っていう感じですかね。まあ私はその文脈というか背景がわからないので,怒った先輩教員の方の話を聞いたら「そりゃ怒りたくもなりますね」って思うのかもしれませんが。

おわりに

というわけで,私に質問されたい方は質問お待ちしています。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

今の仕事をしていなかったら何をしますか?今の仕事の魅力は何ですか?

割と長く文章書けそうな質問をQuerie.meでもらったのでブログ記事書いちゃいます。

タイトルの通り,

今の仕事をしていなかったら何をしますか?今の仕事の魅力は何ですか?

というもの。一つずつ答えていきます。

今の仕事をしていなかったら?

まず,そもそも私は小学生の時から学校教員志望でした。24歳で教員採用試験を受ける時まで,本気で学校英語教員になろうと思っていました。それが,まあ教員採用試験に落ちたので,研究の道に進んだのです。私の分野では博士号取得後は大学教員のポストに就くというのが王道ルートというか,それ以外の選択肢はほとんどないので大学教員の就職を目指して,関西大学外国語学部に着任することになりました。

大学教員に実際になってみて思うのは,まあ世の中には他にも色々な仕事があるだろうけれども,今の待遇で自分の能力が発揮できそうな仕事で,ワーク・ライフ・バランスもある,そういう仕事ってなかなかないだろうなと思います。そう考えると,今の仕事してなかったら死んでるかもしれないですね。

もしも,一日中ひたすらRでデータ処理とかデータ分析とかしていれば良い裁量労働制の仕事で今と同じ給料もらえるのなら転職してもいいです。

今の仕事の魅力はなんですか?

仕事というと「大学教員」というカテゴリになるかと思いますが,正直言って大学ごとに環境は全然違いますし,もっといえば同じ大学でも学部が違えば風土も全然違います。よって,仕事の魅力を語ろうと思うと今の職場の魅力を語ることに必然的になってしまいますね。

待遇とワーク・ライフ・バランス

そういうことを断った上で魅力を考えてみます。まずは上にも書きましたが,待遇が良いのとワーク・ライフ・バランスがあるというのは魅力だと思います。就職したのが30歳で貯金も微々たるもの&数百万の借金抱えてるところからスタートなので,それなりに待遇良くないとやっていけないというのはありますが,それでも全国に数ある大学の中で待遇はいいほうだと思います。それは魅力的ですね。待遇がいいと労働時間が長いというのもセットでついてきそうですが,裁量労働制なのでそこは自分次第でコントロールできます。勤務時間に自由が効くというのは非常に魅力的ですよね。水曜日や金曜日にサッカーの試合を見に行ける,これは誰もが得られる環境ではないと思います。

人間関係

私が自分の中で仕事に関して一つの軸として持っていることがあって,どっかで誰かが言ってた話(たぶん津田大介さんがどこかで話してた)なんですが,仕事を続けるか辞めるかの選択をするときには次の3つのうち2つが満たされていれば続ける,1つしか満たされていないなら辞める,というものです。

  1. お金
  2. 人間関係
  3. 自分のやりたいことができる

上述のように,お金はクリアしています。では2番目の人間関係はどうかというと,これも非常に恵まれていると断言していいです。就職して5年目ですが,同僚の先生には感謝してもしきれないですね。特に,この人のためなら頑張りたいと思える人たちがたくさんいること,悩みを相談できる人たちがいること,は本当に大きいです。

色々ストレスが溜まる仕事はやってきますが,それは別に人間関係が悪いから発生する仕事では全くありません。むしろ人間関係が良いからこそストレスが溜まる仕事も乗り越えられると思っています。ただ,私はあんまりコミュニケーションを積極的に取りに行くタイプでもないので,お昼ごはんを一緒に食べに行くとか,帰り道一緒に帰るとかはほとんどありません。学内で会ってもそんなに長く立ち話をしたりもしないし,「あ,こんにちは」とか「お疲れ様です」だけのこともよくあります。でもそれは同僚の先生が好きじゃないとか大切に思っていないとかそういうことではなく,そういうのがすこぶる苦手というだけです。

2018, 2019年度は毎学期終わりにお疲れ会みたいな飲み会をしていましたが,2020年度になってそういう大人数で集まる機会はなくなってしまったのが残念です。最近は少人数での飲み会はしていて,そうやって誘われて飲みに行っていろいろな話をできるのは恵まれているなと思います。特に,私は大阪に昔からの友人がいないので,職場の人達との人間関係が悪かったら本当に人付き合いゼロですからね。別に一人でいるのは好きだから楽でいいんですけど。

ちなみに,事務の方々もみなさん良い方ばかりで,気持ちよく仕事をできています。そういうところの「同僚」というか「人間関係」もいいですね。

自分のやりたいことができる

これは,まあ満たされていると言っていいのかなと思います。もちろん,専門科目を持ちたいけどこれまで持たせてもらっていないことは,自分がやりたいことができていないということではあります。ただ,一生そうじゃないのがわかっていて,いずれそういう科目を担当することになるという道筋が見えていることでそこまで不満を持つことにはなりません。

英語を教えることだってそれなりに好きなことだからこういう仕事をやっているわけですしね。自分が担当したくない授業をやらされたり,研究の時間も取れないほどのコマ数を担当させられることもありません。

学内業務についても,ある程度仕事を任せてもらえること,自分の意見を反映させる機会が確保されていることは,働く上でとても大事なことだと思います。全部指示されるまま,思っていることは言えない,というわけではなく,年齢とかキャリアに関係なく思ったことは会議で発言できますし,疑問に思ったことはすぐに聞けるという環境です。

もっとトップダウンな大学の話とかを聞いたことがあるので,大学教員一人ひとりの意見を尊重する職場の雰囲気は居心地がいいです。ただ,それが故に会議が長くなることがしばしば発生するんですが。とはいえ,会議は短いほうがいいというコンセンサスを持っている人はいますので,サクサク会議を進めようとしてもらえるのはありがたいです。そういう人たちのおかげで私は教授会のあとにサッカーを見に行くことができます。まあ,私は幸い夜までかかる会議にはまだ参加していないので不満に思っていないだけかもしれませんけど。

研究支援も手厚く(自分は感じています),個人研究費も使いやすく額もそれなりにありますし,科研費に応募しようと思えば特に若手教員は添削サービスや講習会みたいなものを無料で受けられますし,むしろ大学的にも科研費獲得を支援するサービスを教員に積極的に使ってもらうことを推奨しています。私も今もらっている科研費を取るまでは随分サポートしていただきました。また,学内研究費もいくつかあって,2年目に若手研究者育成経費というのに応募して採用されました。最初の年にスタートアップ支援に通らず,次の年の若手研究も落ちた私としては学内研究費で研究資金を得ることができたのは非常に助かりました。

実験をメインにやる私としては謝金の支払いがめんどくさいことだけが唯一改善してもらいたいなと思うところで,いつもストレスが溜まりますが,まあそれくらいですよね。できるだけ大学教員側の手間がかからないような仕組みづくりをしようというのは私が着任して以降も見られてますので,仕事をしやすくしよう,という風土があるのは感じられます。

個室が与えられる

最後にこれ。個人研究室というものがあって,そこが仕事場です。つまり,自分ひとりだけの空間があって,そこで自分のしたいように仕事ができる。これは超絶魅力的だと思います。普通の職場ではかなりの役職にならないと個室が与えられることってないんじゃないでしょうか。私の部屋がどんな感じかは私のウェブサイトのトップページに写真があるので御覧ください。

私は多分大学教員の中でもかなり自分の研究室が好きな方で,一日のほとんどの時間をそこで過ごしていて,家は帰って寝るだけという日が多いです。長いときだと7時-23時とかで職場にいることもあります。でも別にそのうちの2時間を昼寝とかしてたっていいわけですしね。個室があるからこそ研究室で筋トレができますし,冷蔵庫も電子レンジも置いているので食事も容易にとれますし,なんでもできます。シャワールームがついてたらと思ったことあるのは私だけではないでしょう(笑)

誰にも邪魔されない自分だけの,自分が一番快適に過ごせる空間がある。しかもそこをいつでも使える(別に終電なくなろうが徹夜しようが誰かになにか迷惑をかけたりはしない)というのは今の仕事の大きな魅力の一つでしょうし,それに憧れるという人も結構いるんじゃないでしょうか。

おわりに

というわけで,Querie.meで質問されたので,ブログ記事にしちゃいました。私に質問されたい方は質問お待ちしています。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

「本当の〆切」

なんとなくふと思い立ったのでちょっと書いておく。お仕事のこと。〆切とか。長いので読まないことをおすすめする。
大学院生(学生)が仕事とか抜かすなとおっしゃる方もいるかもしれない。それは理解した上で書いているのでご了承いただきたい。
一応私達(私の周りの人と私の事)は日々の業務(トド,あるいはTo doといってもいい)をこなすことを勝手に仕事と呼んでいる。研究室に行くことを出勤と呼ぶ。もちろん出勤簿があるわけもないし勤務時間を管理されているわけではない(ただしRAやTAなど賃金の発生する仕事はもちろん出勤簿もあるし勤務時間も管理されている)。賃金の発生しない業務を仕事と呼ぶなということであればルーティーンワークとでも呼べばよいのだろうか。それはともかく。

どんな仕事をやっていても,〆切というのは必ずあるだろう。それこそ学校生活でも〆切は山ほどある。例えば小学校でも各教科の提出物や,保護者と学校のやりとりの書類の提出の〆切があるだろう。

私達大学院生も〆切というのはある。私達の生活の上で大事なものの〆切といえば,例えば学会発表の申込みと,論文の投稿が大きなものかと思う。他にも研究助成金や奨学金への応募や,非常勤があれば授業準備や成績処理などの仕事がある。今回は特に学会発表や論文投稿の話。

大学院生の仕事の多くは,この学会発表と論文投稿になると考えている。というか研究とはなにかを考えた時,その成果を発表して,そしてそれが認められて初めて研究の意義が出てくる。だから学会に赴いて発表をするし論文を書いて投稿するのだろう。もちろん,業績づくりという意味もある。大学などをはじめとした研究機関への就職を考える場合,研究業績は欠かせない。もちろん教育歴も大事な要素であるが,研究業績で足切りされる場合も多いと聞く。特に私の分野(外国語教育学とか広く言えば応用言語学とか)は文系の中でもそういう志向が強いのではないかと思う(あくまで印象)。共同研究も含めて年に10件近く発表などというのは私の周りでは普通に行われているし,論文の投稿も複数回するのが普通である。というか今しかそういうことができないのでそうするということもあるかもしれない。少し話がずれた。とにかく,学会発表や論文投稿は私達の大事な仕事なのである。それは研究者の大事な仕事とも言えるだろう。ただし,大学教員になると研究する時間はフルタイムの大学院生と比べて圧倒的に減る。
そんな大事な仕事だからこそ,必死にやるわけである。本来であれば〆切間際に焦ってやることがないように計画的に進めるべきではあるが,どうしてもそうはならないことがある。〆切との戦いがある。

しかしながら,「オトナ」の世界には,「本当の〆切」なるものが存在するらしい。私は聞いたことしかないのでよく知らないが,聞くところによると,公になっている〆切を過ぎても「なんとかなる」場合が存在するらしいのである。守らなくてもいい〆切。しかしどうしてその公にはなっていない本当の〆切なるものの存在が流布しているのだろうか。そんなものは本当に存在するのだろうか。

ここからはほとんど私の想像で書く。

私達は,学会発表や論文投稿が主な仕事だと先ほど書いた。しかし,大学の先生方は他にもたくさんの「書き物」,「作文」と呼ばれるお仕事があったりするそうだ。詳しくは知らない。どうもそういったお仕事に「本当の〆切」なるものがあるようだ(他にもあるかもしれない。私の想像による)。

少し考えてみた。その「本当の〆切」が使えるのは,提出先の人が知り合いの同業者の場合なのではないだろうか。だからこそ,「ちょっとくらい遅れても許してもらえるだろう」と考えるのではないだろうか。そしてそう考える本人も,きっと別の仕事で「本当の〆切」の存在を知っているのかもしれない。そうやって,色んな所がそういう仕組みで動いているのかもしれない。確かに,〆切は余裕を持って設定しておくものであろう。全体の仕事に支障をきたさないように,万が一なにかあったときのために,安全策として早めに〆切が設定されると考えるのは自然なことである。

ここからは自分へのブーメランも含む。

その「本当の〆切」をアテにして仕事をするのはどうなのだろうということを考えた。「本当の〆切」があることによって,「どうにかなる」ということはあっていいだろうとは思う。

頑張ったけどもどうしても間に合わずにダメ元覚悟で土下座して出して受け取ってもらえた→次からはちゃんと〆切守ってよね→ありがとうございます!

みたいなのならなんかいいような気もしてくる。そんなことを言っても実際にこの遅れた人が「本当に頑張ったけどダメだったのか」「もともと遅れてもいいやと思ってやっていたのか」はわからないのだけれども。いやそうだとしてもだ。私は,個人的に,最初から〆切を守ろうとしない「ああ,あれは遅れても大丈夫(だろう)」みたいなのは好きではない。遅れて大丈夫かどうかは遅れる人が決めることではなく遅れたものを受け取る側が決めることだからだ。

もっとひどいのは,そうやって,自分がなにかをするときに遅れることは棚に上げて,「あれがまだ来ない」「あそこは仕事が遅い」とか人の仕事にケチをつけだす場合である。

これも程度問題なのかもしれないが。

権威主義的になるつもりもないし,年齢や役職で人を判断して,そこに媚びへつらうような生き方は私も好きではない。生きていくためにはそういうことも必要であるというのは認める。人間関係は大事であるしそれがこの先大事だとも思う。

ただし私は「本当の〆切」なるものの存在を見込んで仕事をしようとは思わないし,そこに関わる人達をみて仕事の質を変えるようなことはしたいとは思わない。少なくとも今は。何事にも100%で臨めない場合もある。自分の限られたリソースを振り分けてなんとか乗り越えなければいけないときに,そういう手段を取らざるをえない場合もあるかもしれない。私はまだない。それは業績がたりないからだと,もっと発表してもっと論文を書けと言われればなにも言い返せない。ただしそれは「本当の〆切」なるものを見込んで仕事をすることを正当化はしない。それを当てにしないとできない量の仕事ならば単純に減らせばいい。

大学院生は忙しいという。確かに忙しいとは思う。しかし先程も述べたように大学教員の先生方よりフルタイム院生の方が時間的余裕は絶対に多い。拘束時間も短い。守るべき家族がいるわけでもない(いる人もいるだろうが)。「本当の〆切」なるものの中で仕事を動かしている人たちとは条件が違うのだ。立場も違う。必要なときは立場が違えど物申すこともあるだろうし,研究の場では年齢や役職に関係なく対等に戦うべきであろう。しかし,「本当の〆切」なるもので世の中が動いていることを知り,そうやって仕事をする人たちを間近に見て,そしてその話が聞ける,ということと,私達が同様に「本当の〆切」なるものを見込んで仕事をするというのは違う。その「本当の〆切」なるもののが非常に特殊な条件(交互作用といってもいい)で効果を発揮することは想像に難くない。だれでもいつでもどんなときでも使えるものとはとうてい思えない。それに,単純に失礼であろう。取引先(という言葉が適切かはわからないが)の人たちの仕事をなめていると思われても仕方がないのではないか。どのような学会であれ,どのような学術誌であれ,そこに投稿する(発表を申し込む)ということは私達のためにプラスになる可能性があるからそうしているはずだ。国際誌,全国誌,地方学会の紀要,学内紀要,のようにランク付けがなされていたり,IFや知名度で泊がついたりつかなかったりすることもある。そうであっても,発表ができれば,論文が掲載されれば,私達は喜んでCVに1行書き足すであろう。だからこそ,「受け入れていただく」側の謙虚さはいつでも忘れずにいたいのだ。強気に出るのならば,〆切を守った上で,研究の内容で勝負しようじゃないか。そこで戦おうではないか。

長くなった。ここに書いたことは私の想像に基づく。想像に基づいて正論(ぽいこと)を書いた。糞真面目に正論と理想論語ってるだけじゃ生きていけないのはわかっている。こんなことを書いておいて10年後(いや半年後かもしれない)に「あそこは遅れても大丈夫」と言っているかもしれない。それはわからない。ただしここに自分が書いたことは忘れずにいたい。大学院生としてどうとか,研究者としてどうとか,そういうこと以前に,仕事をする人間として,〆切を守る。守ろうとする。そういう「オトナ」になりたいと私は思う。そうして初めて,誰かに〆切を守ってもらえると思うから。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。