タグ別アーカイブ: 教師

非常勤の話

はじめに

3年目に入った関学と追手門の非常勤,教えてる内容は基本的に同じなので,自分の中であんまり変化がないように感じることがたびたびありました。それが理由で,そろそろ辞めどきかなと思うことが何回かありました。ところが,続けていると毎年毎年新しい学びが自分にもありますし,やっぱり教えてる学生さんが違えば交互作用があって受け止め方だったり,思考の発展していく方向性だったりも違うのでそれが面白いなと思って続けてるところがあるんですよね,というお話。

第二言語習得の授業

追手門の第二言語習得は,フルオンデマンド開講ですので,これまでに一度も学生さんたちに会ったことはありませんし,読むための資料教材ベースで授業を作っています。それでも,学生さんたちも必死に理解しようとしてくれていて,自分のことと引きつけながら色んな内容を咀嚼してくれています。第二言語習得研究の面白さだったり,研究という営みそれ自体に対する理解だったりが伝わっているのが毎回のリアクション・ペーパーから伝わってきます。そらを全部読んで、毎回60ほどのリアクション・ペーパーに全て返事を書いています。フルオンデマンドな分,インタラクティブな要素を唯一もてるのがそこなので。学生さんに刺激をもらって,こちらも毎週頑張ろうと思えています。

もちろん,フルオンデマンドなので,「全然資料を読まずに生成AIにキーワードだけ伝えて文章作ったでしょ」と思ってしまうような,資料に全く関係ないことを書いている人もいます。それ自体は,どういう授業をやっても一定数出てきてしまうものだと思うので諦めているところはあります。

英語科教育法の授業

関学の英語科教育法の非常勤も,当たり前ですが,学生が変われば反応も違うし,どこが「刺さるか」みたいなのも年によって違います。例えば最初の頃は,主にピアフィードバックに対して,「生徒の能力の差があったらうまくいかない」,「できない子は何もフィードバックできなくて,できる子が損する」,みたいな意見が結構あって,そこをときほぐすようにしていました。その次は,「入試があるから」,という入試要因に強く反応する学生が多くいました。そこで,「でも実際には4大進学率自体がそもそも高校生の半分ほどで,さらに大学進学者の中でもいわゆる受験勉強が必要な一般受験が必要な割合はこのくらいで、最近は流れ的に年内入試の割合も増える方向に(主に大学側の都合で)シフトしているよ?それでも入試のために授業はあるべき?」みたいな話をしたり。

この春学期に教えている学生たちは,実践に対する関心が高くて,学習者の立場ではなく,教師の立場でTBLTを体験したいという声が出たので, これまでやったことのなかった模擬授業的なことを取り入れたりもしました。本来は,私の受け持つ科目は理論重視のはずで,実践は他の授業でカバーされていると聞いていたんですけどね。

教師役が学生だと,学習者の立場でタスクをやる学生たちも,タスクそのものに熱中するのはもちろんのこと、同じ学生の立場でありながらも教師役をやる学生たちのパフォーマンスを見ていますし,実際に教師役をやったら気づけたということにもたくさん思考がふくらんでいるように思います。

初めての取り組みだったので,改善のしようはあると思うのですが,今後も継続的にやろうかなという気持ちではいます。実際に教師役を授業の一部でも体験してもらうと,こちら側としても,普段の授業ではみえないような教師としての適性を感じることもあります。

また,実際に教えてみたら自分には無理だと思ったという感想もありました。そういう感想は少し残念ですが,なんていうか,「TBLTは難しい。無理だ」っていう気持ちも理解できます。それはある意味では真理というか,実際に学習者に即興を求めるのであるからこそ,教師の側も即興の能力を求められることは間違いないと思います。ただ,だからTBLT「の方が」難しいみたいに思われてしまうと自分の意図とは違う方に行っているなという気はします。そもそも,授業をやることそれ自体がそんな簡単なはずはないですしね。机間巡視してる中でどうやってフィードバック出すか,どこは説明してどこは説明せずにいくか,早くタスクが終わった学習者を退屈させないためにどうするか,沈黙が続いてるペアにはどんな介入をするか,とかそういうのはTBLT関係なく,英語の授業を成り立たせるために必要なことですからね。方法論に全く関係なく。「そうだとしたら,そもそも英語教師は私には無理だ、こんなことはできない」と思われてしまってもちょっと違うという気もしています。

「英語教師は簡難しくないよ。誰だってなれるよ」なんてことは言いたくないです。専門職ですし,自分の職業にプライドも持ってほしい。でも,なんていうか最初から完璧に何もかもこなせないとやってはいけない仕事でもないわけですよね。むしろ,そういう仕組みにもそもそもなっていないわけですし。私が彼ら・彼女らが教師になってからその成長をサポートできるわけではないので(求められたらそりゃ全力でしますけども),大丈夫だ頑張れっていうのも無責任なんですけどね。

おわりに

最後に脱線しましたけど,今やっている非常勤の授業も,毎授業自分にとって新しい発見があるし,毎学期,その時の受講生にプラスになるような内容を提供できている部分もあるかな思うことができている,というポジティブなお話でした。もちろん,今に満足せずにもっといい授業にしていくための営みは止めることなく続けていきます。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

業務量が多くて自分自身の求める授業ができないので教員辞めたいですというご相談

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。今回は,質問というより相談という感じですね。

質問

4月から高校の教員になりました。もう辞めたくなるくらい業務量が多いです。自分自身の求める授業が校務分掌、クラブ活動、事務作業によってできていないです。もう辞めたいです。。。

回答

まずは,4月から教員になることができたこと,おめでとうございます。「自分自身の求める授業」をお持ちだというところから,きっと教員になりたいと思ってなられたのだろうと推察します。最初は何もかもが初めてのことだらけなので,力の入れどころ,抜きどころ,もわからないのでアップアップになっちゃいますよね。

理想も大事だけど続けられることのほうが大事

理想を追い求めることは重要だとは思いますが,持続可能性の方がもっと大事だと私は思っています。授業準備の時間が少ないということはそれはそれで学校教員の労働問題として大事なことではあります。そうではあっても授業以外の仕事も教員の仕事ではありますよね。授業以外の時間を効率化して授業準備にあてる時間を最大化することを考えると同時に,自分のQOLを維持しながらどういった授業が可能だろうかと考えることも大事になってくるのではないでしょうか。

自分をすり減らして数年間だけ理想の授業をやってやめてしまうよりも,自分の環境の中でできることを退職まで数十年続けるほうが,結果的にはより多くの生徒にポジティブなインパクトを与えることができると思います(もちろん,自分の授業が必ずポジティブなインパクトを与えるとは限らないわけですけど)。

こだわるポイントを絞る

質問者の方がどのような環境で働かれているのか等はわからないので具体的なことをアドバイスしたりはできませんが,目の前の生徒に向きあうことだけはやめないとか,何かこれだけは…という部分を自分の中で決めてみてはいかがでしょうか。授業でも,例えば何か一つここだけはこだわってやろう,と決めてみるとか。全部が全部完璧に,というのはなかなか難しいですし,仮に他の業務に忙殺されていなかったとしても,理想の授業ができるとも限りません。また,理想の授業というのも経験を重ねるうちに変化していくものだと思いますし。

自分に課すハードルが高すぎることが自分を苦しめてしまうということもあると思うので,それを下げてあげることで楽になる部分もきっとあります。それは自分を甘やかすこととは違うことです。これは個人によって考え方も違ってくるのでそれが正しいとかではなく私はこうしているっていうことなんですが,先のこととか大きいこととか,そういうのではなく,目の前の,小さなことをクリアしていくことを意識してみてはいかがでしょうか。「理想の授業」がどんなものかはわからないですけど,きっといろんなことがその中には詰まっていると思います。それを一旦バラバラにしてあげて,その小さなことを意識してみるというんでしょうかね。そういうのを続けていく中で,自分のパフォーマンスもあがっていくし,自分自身も成長できると考えています。

そんな要素還元主義的な考えで授業が成り立つわけないと思っていらっしゃるとしたら,うーんまあそういうこともあるだろうけどね〜って感じなんですけど。仮に真の現実が要素還元できないような複雑なものであったとしても,人間が理解して,そして生きやすいように要素に分けてあげることは全然アリだと私は思っています。

周りに頼る

これは私自身も超絶苦手なことなので,誰かに言えるようなことでもないのですけどね。力を抜いて周りにも頼りながらやってみてはどうでしょうか。学校は組織ですから,授業も,校務分掌も,クラブ活動も,事務作業も,周りとつながりながらやっていくとバランスが取れるんじゃないでしょうか。それができたらわざわざ匿名で私のところに質問を送ったりしないとは思いますけど。同じ学校の中で悩みを共有できる人がいなかったとしても,一歩外に出れば,それこそSNSでもいいですし,学会とか研究会みたいなものでもいいですし,学校の外に出ればいろんなところで自分を支えてくれる小さなコミュニティに出会うことができると思います。その一つの手段として私に質問を送っていただけたのなら,それはとてもありがたいことです。もしまた何かあったら質問していただければと思います。

おわりに

質問者の方と同じようなことを感じている人も他にもいるかもしれないなと思うので,そういう人たちにも届いてほしいなと思います。

なにをゆう

たむらゆう。

おしまい。

教師になって一年目です。自分のやりたいことやビジョンがなく、先輩に怒られてしまいました…

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画第2段。

いただいた質問は以下です。

教師になって一年目です。自分のやりたいことやビジョンがなく、先輩に怒られてしまいました。Tam先生は自分のやりたいことや、こうしたいと言う思いはいつ頃から持つようになりましたか?

回答

1年目ってとにかく目の前のことをこなすのに必死でやりたいこととか先のこと(ビジョン)とか考える余裕もないですよね。その先輩の先生にはぜひそういう質問者さんのような1年目の教員がやりたいことやビジョンを見つけられるようなサポートをしてほしいなと思います。

やりたいこととかこうしたいとか,そういうのは学部時代からわりとある方だったかもしれません。教科教育法の授業でいわゆる達人の授業みたいなビデオとか見るのがあって,「こんな風に授業できるようになりたいなぁ」みたいな漠然とした憧れというか。あとは本の影響も大きいと思います。例えば私が学部の頃とかだと,田尻先生(なんといま同僚なんですが)の本とか読んで「うおおおお」ってなったり。

その後大学院に進学して,私は英語教授法の修士課程だったので,授業の構想とか実践みたいなことを考える機会がたくさんありました。大学附属の語学学校で教えている先生の授業観察もたくさんありましたし,学生同士での模擬授業もたくさんあったので,そういう経験をしている中でも自分がこうありたい,こういうことができるようになりたいという思いは常に持っていたかもしれません。

日本に帰ってきて中学校で働いていたときは,同僚の先生(教科問わず)の授業をフラフラと見に行って(空きコマの時間とかにもっと他の先生の授業見に行ったほうがいいよと言われていたのでたまに行ってました),発問の仕方とか,授業のテンポの作り方とか,ああこんな風にできたらなぁと思うこともありました。正直自分の中から何かが湧き出てくるというよりは,本を読んだり授業を見たり,自分で日々の授業を振り返ったりするなかで,「こんな風にやりたい」みたいなのが出てきて,そこに向かって試行錯誤する中で自分の個性が活かされる形のmy wayが見つかっていくのではないかなと思います。

教師としてということもそうですが,人間としてどういう人でありたいのか,自分がどういう人生を生きたいのか,っていう問いはめちゃくちゃ重要だと思います。私がこの前豊中市の教員研修に市民枠で参加したときにガンバ大阪OBで元サッカー日本代表の加地さんも同じことおっしゃっていました。子どもにどうなってほしいかじゃなくて,自分が先生としてどうありたいか,それだけを考えて,そのために必要なことをやっていけばきっと子どもたちもついてくると思いますと。子どもたちにどうなってほしいかを考えると,それって自分の外に結果を求めることになるんですよね。でも本来自分の外のことは自分にはどうすることもできないことだし,そこで自分が思うようにいかなかったときに原因を誰かに求めてしまうことにも繋がります(私はこんなに頑張ってるのに子どもがついてこないとか)。自分のことは自分で変えられますから(まあそれだって難しいんですけど)。もちろん,その「どうありたいか」が独りよがりで子どものことを全く考えていないようなものだと良くないと思いますが,教員をやっている方はやっぱり子どもと関わる中でなにかポジティブな働きかけをしたいと思っている方だと思います。したがって,そういう方であれば,「自分がどうありたいか」という問いを立てて,それを突き詰めていくことは子どもたちにとってもポジティブに働くだろうなというのは想像できます。

まずは身近にいる先生のことをよく観察してみると,自分のなりたい姿も見つかるかもしれませんね。ちなみに,これもサッカー選手の言葉ですが,ウッチーこと鹿島アントラーズからドイツのシャルケに移籍して活躍した内田篤人選手は「こうなりたい」じゃなくて「こうはなりたくない」で自分の軸を決めているというようなことを著書の中に書かれていました。「教員1年目の新人に,ビジョンがないからといって怒るような先輩教員にはなりたくない」っていう感じですかね。まあ私はその文脈というか背景がわからないので,怒った先輩教員の方の話を聞いたら「そりゃ怒りたくもなりますね」って思うのかもしれませんが。

おわりに

というわけで,私に質問されたい方は質問お待ちしています。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

Task-basedなレッスンにおける教員が与えるインプット

以前,タスク教材集が出ましたという記事を書きました。これに関連する話です。

この本では,タスクそのものをタイプ別に掲載してあります。一応そのままでも授業に使えるように,デフォルトの「レシピ」的なものは書いてあります。ただし,これを使って例えば大学の90分の授業を「真面目に」成立させようと思うと,タスクの前の活動(pre-task)とあとの活動(post-task),タスクの繰り返し(task repetition)等も考えないといけないのでひと手間かかります。今年は自分が担当する授業のうちの1つでこの本に掲載されているタスクでシラバスを作ってやろうと思っています。というわけで,掲載されているタスクをレッスンプラン的なものに落とし込むようなことをやっています。

そこで,私としては最も重要視したいと思っているのが「まずはインプットから」という大原則。学習者同士のやりとりがメインだとしたら,その前にインプットをたくさん与えたいわけです(もちろんメインがinput-taskでもその前にinputがほしい)。その際に重要になるのが,教師自身がinput providerになれるかどうかということだなと感じています。教員が教室内で話す(または書く)英語が,挨拶,”Open your textbook…”みたいな指示英語,repeat after meのモデルというだけではなく,いわゆるインプットの素材として,学習者が聞いたり読んだりする意味のあるものであることが非常に重要ではないかと思っています。そして,既製の音源ではなく教師がやれば,活動の幅がぐっと広がる上に,学習者のレベルに合わせてインプットを調整することもできるわけです。授業をやっていく上でこのことの利点を活かさない手はありません。学習者に描写させるのであれば,教師自身がまず描写してみせる,というように。これって言ってることは簡単なんですが,実際にはそれなりにchallengingであり,教員のスキル(英語そのもののスキルと指導のスキル)が要求されます。そこに自信がないのであれば,自分が達成する自信がないと思うような課題を学習者に与える教員てどうなの?ってなりますよね。そこはプライドを持って教員もトライしたいところです。ただ,そういう意味でいうと,task-basedなレッスンをやるのは敷居が高いと敬遠されてしまうのも理解できるかもしれないと思ったりしてしまいました。

英語の先生になると信じて疑わなかった学部生の自分に要求できるかというと,正直難しいなと思ってしまったことも事実です。学部3年で教育実習に行ったとき,英語で授業することに非常に苦労をして自分の英語力に絶望し(もともと英語が得意だと思っていたからこそ英語教員を目指そうと思ったのに),このままじゃ自分に自信がないからと教員採用試験を受けずに学部を卒業してから北米の大学院に行って英語教授法の修士号を取り,中学校で臨時任用教員として10ヶ月勤務し,そこからさらに博士課程に進学し,非常勤講師として専門学校や大学で英語を教えました。今の職場に来て今年で4年目です。それでも,まだまだ学習者にとってベストなインプットを与えられるような授業ができているかと問われると,まだまだ改善すべき点は多いなと毎週感じます。

実際に授業をやってみたリフレクションなんかの記事も今年度は更新していけたらいいなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。