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家族との時間(夫としての時間、父としての時間)、授業準備、研究とをどのようにバランスを取られているのか

querie.meでいただいた質問です。ずばりタイトルの通りの質問です。

回答

まず,同じような質問に過去に答えたことがあります。

ということで,過去の記事読んでくださいで終わってもいいのですが,子どもができたというのはとても大きな変化だったので,そのことについて書こうかなと思います。

私は何も考えなければ仕事に全振りする性格なので,意識的に仕事を諦めることにしています。例えば,毎晩子どもを寝かしつけたらそこからは全部自分の時間にして仕事をすることもできなくはないと思います。でもそれは本当にその日の夜に絶対にやらなければいけないというときだけにしています。それ以外は,妻と二人でお酒を飲みながら,子どものことやその他他愛もない話をする時間にしています。妻と家飲みしているときが一番日常って感じなんですが,それが一番幸せだなって思いますね。そういう時間は大事にしています。妻の誕生日には子どもを預けて二人だけで食事をするというのも,子連れで食事にいくのが大変なうちはやろうかなと思っています。やっぱり,子どもができても夫婦ふたりだけの時間は大切なので。

父としての時間は,昨年度の秋学期に復帰してからの学期中はなかなか難しかったです。仕事のブランクもあるし,初担当の講義科目も複数あったしで準備が大変でした。そういうなかでも,仕事に行く時間をできるだけ遅くしてなるべく家で子どもと一緒にいるようにはしていました。また,休みの日であれば妻が友人と出かける際には私がワンオペを積極的に引き受けるということもやっています。子連れ同士で出かけるほうがいいということもあるようで,その回数自体はあまり多くないのですが。

家族との時間という意味では,夕食時以降はできるだけ仕事をしない,土日も仕事はしない,ということを意識しています。スマホでちゃちゃっとメール返したりとかくらいはしても,パソコンに向かってなにかやる,というのは,「やりたいなぁ」くらいならやらないって感じです。「まじで今やらないとやばい」というものなら,妻に断って仕事させてもらっています。

これから子どもが保育園に行って,そこから学校に通うようになったら,家族以外の人たちと過ごす時間のほうが長いくらいにだんだんなっていきますよねたぶん。そうなったらもっと,夕食後の時間や土日は大事な家族との時間になるのだと思います。そういう意味では土日に入る仕事(学会仕事とか)は極力避けたいですよね。アドミン仕事は仕方ないっていうのもあるのでやりますけど。あと泊まりの出張もできれば行きたくないというのが本音です。今後,学会は全部近畿圏でやってほしい(ただし運営はしたくない)みたいなめちゃくちゃワガママな気持ちですね…。家族で出張行けば解決だと思った人は,0-1歳児の旅行どれだけ大変か知らないな?って感じですね。あと,現地で学会行ったとして旅行先で妻にワンオペさせるってことでしょ?無理だろって私は思っちゃいますわ。

おわりに

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

2021シーズンに観戦したG大阪の試合

2021シーズンに観戦したG大阪の試合をまとめる完全自分用のメモ記事です。過去の記事↓

2020シーズンに観戦したG大阪の試合

2019シーズンに観戦したG大阪の試合

リーグ戦

  1. 4/7 vs. 福岡(Home)△ 0-0
  2. 4/18 vs. 清水(Home)△ 0-0
  3. 7/21 vs. 神戸(Home)● 1-2
  4. 7/24 vs. 鹿島(Home)● 0-1
  5. 7/27 vs. 大分(Home)○ 2-1
  6. 8/6 vs. 横浜F(Home)● 2-3
  7. 8/21 vs. FC東京(Home)△ 0-0
  8. 8/28 vs. C大阪(Home)● 0-1
  9. 9/12 vs. 仙台(Home)● 2-3
  10. 9/26 vs. 柏(Home)○ 2-1
  11. 10/2 vs. 札幌(Home)● 1-5
  12. 10/23 vs. 鳥栖(Home)○ 1-0
  13. 11/20 vs. 名古屋(Home)●1-3
  14. 12/4 vs. 湘南(Home)△ 0-0

カップ戦

  1. 6/16 vs. 関学大 ○3-1(天皇杯2回戦)
  2. 8/18 vs. 松本 ○ 2-0(天皇杯3回戦)
  3. 9/5 vs. C大阪 ● 0-4(ルヴァンカップ準々決勝第2戦)
  4. 9/22 vs. 湘南 ○ 4-1(天皇杯ラウンド16)
  5. 10/27 vs. 浦和 ● 0-2(天皇杯準々決勝)

今年もアウェイ戦は一試合も行かず。合計で19試合でした。2019シーズンはホームとアウェイ合わせて17試合,2020シーズンはホームだけで14試合だったので,ファンクラブ入会以降では最多となりました。2021シーズンも年間チケットは発売されなかったので,毎試合チケットを購入して,有観客試合はカップ戦含めて全試合観戦することができました。来シーズンからは年間チケットが復活するので,毎試合チケットの発売日を気にする必要がないのはありがたいなと思っています。

つらかったシーズン

昨年度はリーグ戦で2位となり,元日は天皇杯決勝で川崎に0-1で惜敗でシーズンが終わりました。ACL出場権も獲得して補強も積極的に行い,2021シーズンこそはタイトル奪還ということでスタート。リーグ開幕前のゼロックス・スーパーカップでは新システムの4-3-3で川崎相手に破れはしたものの好ゲームを披露して,開幕に向けて期待感をもたせてくれました。開幕戦はアウェイでの神戸戦で0-1で負けてしまいました。しかし,その後チーム内で新型コロナウィルスのクラスターが発生してチームの活動が停止。4/3のアウェイ広島戦まで1ヶ月近く試合ができませんでした。ホームでの開幕は4/7の福岡戦となりましたが,これはスコアレスドロー。そこからは緊急事態宣言によるリモートマッチが続き,なんとパナソニックスタジアム吹田でガンバ大阪の勝利を目の前で見ることができたのは6/16の天皇杯2回戦の関学大戦でした。実に開幕戦から4ヶ月弱。そこからはセントラル開催のACLに入り,夜中まで起きていてACLの試合をDAZNで見る日々が続きました。残念ながら予選リーグ敗退となってしまい,けが人も続出。そして,リーグ戦にいたってはACLから帰国後の7/27大分戦でホーム戦初勝利となりました。

この試合は,0-1とリードされる展開から後半終盤に追いつき,後半ロスタイムにエース宇佐美選手の劇的決勝弾で勝利。宇佐美選手は試合後涙を流すという今シーズンのハイライトにもなったゲームだったのではないかと思います。

決勝ゴールは5:59あたりからです

印象に残っていること

現地で見ていた劇的勝利ですので,上の大分戦の宇佐美選手のゴールが最も記憶に残っている試合だと思います。それ以外だと,10/23の鳥栖戦での電光石火のカウンター攻撃でしょうか。

CK後の高速カウンターは,ロシアW杯の「ロストフの悲劇」を彷彿とさせました

若手の活躍

生で観戦していたわけではありませんが,関学大から特別指定選手として加入してプレーしていた山見選手の2つの決勝ゴール(8/13清水戦と9/1C大阪戦)はガンバの未来を明るく照らしてくれたような気がします。

実際,6/16の天皇杯で関学大チームで出場していた山見選手を見て,これはプロでもやっていけるというプレーを見せてくれていました。出場時間は短い試合が多く,1試合を通して,またはシーズンを通して安定したパフォーマンスを見せてくれるかどうかというところは今後に期待したいところかなと思いました。来季は正式にガンバの一員なので,もっとパナスタでプレーを見せてほしいですね。

昨シーズンブレイクした山本選手は,今シーズンはスタメンに定着しきれない時期もありました。不用意なボールロストや球際で劣勢になる部分が散見されたのが原因かなと思いますが,ボールロストについてはチームのビルドアップによる部分が多く,彼がリスクを負って相手を剥がせないとボールを運べない(つまり失敗したらピンチになる)状況だったからだと思っています。そこで相手を剥がして前向ける技術は彼にはあるので,それが成功すればチャンスになるのですが,そこだけに頼ると狙われてしまいますよね。

連戦が続いたこともあり,関大出身の左SBである黒川選手はリーグ戦,カップ戦ともに出場時間を大きく増やしました。ただ,藤春選手が復帰して以降はコンディション不良もあって試合に絡むことが少なくなってしまったのが残念でした。ビルドアップ時にボールを持って運べる貴重なSBですが,攻撃時のクロスの精度等が課題かなと思います(ガンバはSBの選手のアシストがリーグ戦では今シーズンはゼロなので,黒川選手だけではないと思いますが)。

他には,アンダー世代の日本代表にも入ってる中村仁朗選手にも期待しています。

新クラブコンセプト

ガンバ大阪は30周年を迎えて新しいクラブのコンセプトを打ち出しました。

ロゴ,エンブレムを刷新して,サッカーファンだけでなく,より広い層に愛されるクラブを目指していることが伺えます。これはかなり大きな変化で,グッズもより普段遣いを意識したスタイリッシュなものがいくつか発売されています。私もいくつか注文したので,今から届くのが楽しみですね。

最後に

シーズンも終わり,選手の退団・加入の報道が出てくる時期になりました。私としては,小野選手の退団が残念でした。ガンバ大阪には少ない気持ちを全面に出して戦う選手で,ファンの心を掴んでいたと思います。怪我が多くなかなか試合に貢献できていなかったことが原因なのかもしれませんが,それでも小野選手のプレーにはいつも心を動かされました。ガンバに来てくれてありがとうございました。

2021シーズンは,リーグ戦の有観客試合でのホーム戦勝利がなんと3試合がなかったことに加え,得点数もリーグワースト3位の33点。2022シーズンは,もっと多くのゴール,そして勝利を期待したいと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

「自律」の基盤的な部分

Photo by Sanketh Rao on Pexels.com

さて,恒例の酔っ払ったので過去のことを振り返ってみるブログ記事の更新です。今回は「自律」という部分について,それを自分がどのように身に着けていったのかなというのを考えてみます。

幼少期のサッカーの経験

これはかなり大きいと思います。私は幼稚園の年少から地域のサッカークラブに入っていて,小学校の6年生までそのクラブでサッカーをやっていました。途中,サッカーの練習に行くのが嫌だと思ったこともありましたが,続けてました。このサッカークラブでの経験が大きかったなと思うのは親元を離れて合宿を毎年していた経験だったのではないかなと思います。

毎年夏と春に一泊二日ないしは二泊三日での合宿がありました。おそらく,ほとんどの小学生にとって親元を離れて過ごす機会というのは学校での宿泊行事(移動教室とか修学旅行とか)がメインになると思います。ただし,私は小学校の低学年のときからサッカークラブの行事を通じて宿泊行事に慣れていました。持ち物の準備,部屋で身の回りの整理整頓をすること,規則正しく行動することなどは,きっと幼少期からサッカークラブに所属していたことがきっと大きいんだなと思います。おねしょも割と大きくなってからもしてた記憶がありますが,宿泊行事では絶対しませんでした。

宿泊行事となると,様々な場面でいろいろな管理を求められるようになります。朝何時に起きるかだけではなく,何時に試合があるからそこから逆算してこの時間にはウォーミングアップを済ませておくとか,昼食のあと何時間後に試合だからそれを見据えて食事を摂るとか。もちろん朝早いから寝る時間も考えないといけませんし。「あれがない,これがない」ということがないように,荷物を常に整理整頓して自分が必要となるものがすぐにみつかるようにしたり。そういうことを,個人,そして仲間とともに経験したことは,自分が意識していないレベルで自分のベースになっていると思います。そういう費用を負担してくれた親には感謝しないといけません。

親が離婚したこと

20歳(大学2年次の夏)の時に両親が離婚して母親が出ていきました。この頃から,食事を基本的に自分で作るようになりました。朝は食べないか車での通学途中にコンビニに寄ってサンドイッチを買って運転しながら食べるみたいな感じでした。余裕があれば朝起きて自分でサンドイッチを作っていったりもしていました。もちろん食費は与えられていましたけど,自分の飯は自分で用意する,みたいな環境で過ごしました。そりゃぁ大学生ですから友達と夜ご飯を食べたり,飲み会があったりということも頻繁にはあったわけですけど。どっかで書いた記憶もあるんですが,サークルの友達は一人暮らし組が多かったので,「実家組はいいよなぁ」なんて言われたりして,「いや俺実家だけど帰ってもご飯は自分で作らないとないけどね」って思っていました。大学3-4年生くらいのときは大学近くで家庭教師をやっていました。家庭教師っていうと夜ご飯をごちそうになってみたいなエピソードを聞くこともありましたが,缶コーヒーくらいでしたね(別にそのことは全く不満に思ってもないです)。ただ,サークル終わりに家庭教師をやって21時くらいに帰途についてそこから御飯作るみたいなのは結構しんどかったです。もちろん帰り道に外食して帰るとか弁当買って帰るみたいな選択肢だってあったしたまにはそうしていたわけですけどね。

自分の飯は自分で用意するというのはすなわち食料品の買い出しも自分で考えてしないといけないわけで,帰り道の国道添いにある業務スーパーに寄って保存期間の長い食品を買ったり,西友で安い食料品を見繕って買って帰ったりすることが日常的にありました。そういう経験は,のちにアメリカで自立した生活を送る(もちろんルームメイトはいましたけど親に頼らないで生きる)ことや,その後名古屋で4年間の大学院生生活を過ごす際の基盤になったと思います。

こういう経験は人間として生きていくうえで身についていてよかったなと思います。自分のケツは自分で拭く精神が身についたというか。

What doesn’t kill you makes you stronger

ですね。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

人と話すこと

Photo by Jopwell on Pexels.com

いつからだろう。人と話すのが苦手だなと感じるようになったのは。昔から人見知りだったのは間違いない。初めて会う人と上手に話をするのは苦手だった。でも,家族と過ごしているときはいつでもずっと自分が喋っていて,そういう意味では「おしゃべり」というラベリングをされて育ってきたと思う。「5分黙ってたらお小遣いあげるから」とか母親に言われて。もちろん黙ってられなかったわけだけど。

学校生活でも,誰かと喋らずにはいられなかった思い出がある。中学の時も,高校の時も,授業中に隣や後ろのクラスメイトと(それが男子でも女子でも)ずっと喋っていてよく注意されていたような気がする。それに,先生の発問に対しても自分が当てられてないのに答えをいうこともあったらしい。久しぶりにログインしたmixiで友達からの紹介メッセージが並ぶページを見ていたら,高校3年生のときのクラスメイトが英語の授業のときにいつも私が答えを言ってしまうことが嫌だったというようなことを書いていた。全然覚えてないけど,そういうことがあっても不思議ではない。

大学に入ってからも,授業中はいつも喋っていたし,1年次のとある授業のとき,温厚で優しい先生(3, 4年次はその先生のゼミにも出ていたし,卒業してからも定期的に食事を行くほど仲良かった)に教室から出ていけと言われたのも今でも覚えている。

でもいつからか,喋らなくなっていったと思う。おそらく私が大学を卒業して以降に私と知り合った人は,私のことを「おしゃべり」と思ったりすることなんてないだろうと思う。いつからか,自分が話すことがつまらなくて価値のないことのように思えてきた。面白い話,価値のある話ができないなら,その話を聞かなくてはいけない相手に迷惑なので話さないほうがましだと思うようになった(それはきっと,自分が面白い話や価値のある話以外は聞く価値がないと心のどこかで思っているのかもしれないと疑っている)。

特に,”How was your day?”みたいな感じで聞かれるのがおそろしく苦手なのだ。なんのへんてつもない日常なのだから,取り立てて会話の話題になるようなものでもないし,それをそのまま話しても何も面白くない。仮に自分が話し相手として聞いたら「へえ〜」としか言いようがないことしかないような毎日だからだ。2011年にTwitterを初めてからは,しょっちゅうツイートしてた。面白くもない話を延々と。それに,毎日の出来事についてもツイートしてた。誰も興味ないのに。それがTwitterだから良かった。自分も若かったので周りなんか気にしてなかった。まあそういう使い方が本来の”tweet”であるべきなのだ。今でもそれなりにツイートする数は多いほうだと思うけれど,昔に比べたらずいぶん減ったと思うし,ツイートしようと思ってやめるということも増えてきたように思う。それでも,人と話すよりはツイートするほうがよっぽど楽なのだ。なぜなら相手からの反応がなくて当然だから。

皮肉なことに,そういう人間が人前で話すことを仕事にしているわけだ(しかもコミュニケーションを重視した授業とかやっちゃってる)。授業中も,あまり自分が話す時間が長くなると苦痛だと感じる事が多い。それでも,そうではない場面(日常生活における会話)よりはさほど話すことに苦痛を感じないのは,きっとそこに権威性が存在しているからだと思う。教員は話すのが当然で,学生はその話を聞くのが当然であるというような。でも本音で言えばそういう権力関係がある状態で話すのは本当に辛い。常に,自分の話を苦痛に思いながら聞いている学生に申し訳ないなと思ってしまうからだ。そうやって話す側と聞く側のパワーバランスがはっきりしている場面で話すのは(そうじゃない場面の会話のほうがむしろ少ないのが普通かもしれないが),メンタルのリソースを著しく奪う。研究発表もそうだし,経験は数えることしかないがセミナーだったりワークショップだったりの講師となるとその傾向がより強くなる。

昔は『スラムダンク』のフクちゃんのように,「もっとホメてくれ」と思っていた。自分という存在が他者からの承認をうけるべきだと思っていた時代があった。ところがいつしか,ゲーム・オブ・スローンズでいう”no one”のほうが心地よく感じるようになった(そこに作中で描かれるような信仰はないにせよ)。自分のアイデンティティを真っ白なものとして生きるほうが楽に感じるのだ。そこには背負うべきものが何もないから。だからこそ,その道を捨てて私はアリア・スタークだと言って自分のアリア・スタークとしての役割(責任)を全うした(自分が自分であることを引き受けた)アリアは尊いのだ(もしゲーム・オブ・スローンズをご覧になっておらず,なおかつ観ようとしている人がいたとしたら唐突のネタバレになってしまうことを大変申し訳なく思う)。

自分が何者でもないと思うことはそう簡単なことではないと思う。誰だって,自分は人から承認されるべきなにかを持っていて,それがこの社会に何かしらの意味を与えていて,それが自分が生きることを肯定する材料になっていると思いたいものだと思う。だって,この世の中でそういう人たちが称賛を受けている,そういう世の中で生きているのだから。だがしかし,本来はそんなことはどうだっていいのだ。世の中の役に立つとか立たないとか,「生産性」があるとかないとか,そんなことに関係なく人は生きる権利があり,人権をもっているのだ。そうやって自分以外の他者をリスペクトすることはできるのに,自分を肯定できないことのジレンマにきっと今陥っているのだと思う。

人と話すことに戻ろう。私はもともと,どちらかというと年上の人といるほうが気が楽なタイプだ。家族の中でも自分が一番下で(2歳年上の姉がいる),昔から年上の人と過ごす機会のほうが年下の人と過ごす機会よりも多い中でずっときたこともあるかもしれない(近所に年上の人が多くいたのと,家族ぐるみの付き合いがあったのが姉と同い年の家族だった)。高校,大学と,上下関係がより強調されるような環境で自分が上になったとき,あまり年下とうまく人間関係を築くことができなかったし(高校にいたっては年下とほとんど接点がないといっていい),苦手だからそういうのを避けてきたと思う。大学のときはそれでも何人か仲良しな後輩もいたかもしれない(専修の中では何人か思い浮かぶ。どちらかというとサークルの後輩は親しみやすい子が多くて自分も楽しかった記憶が多い)。大学院でも,先輩とうまくやるより後輩とうまくやるほうが難しいと思っていたし,結局あまりうまくやれなかったと今でも思っている(自分の先輩が偉大すぎたという言い訳くらいしてもいいはずだ)。

本当はつまらない話をしたっていいし,面白くなくたっていいし,たわいもない話こそが人間が本当に必要としてる会話なんだと思う。そのはずなのに,たわいもない話をするのが苦手なのだ。きっと昔は,人がどう思ってるかなんて何も考えずにしゃべることができたし,周りも聞いてくれたから自分が喋りたいように喋っていただけなんだと今になっては思う。その結果として,話を聞く側に対する想像力がほとんど育たなかったのだ。だからこそ,自分の話を相手が聞いた時にどう思うかがわからなくて,問題が起こることが増えた(問題が顕在化することが増えたという方が適切かもしれない)。オトナになると(本来オトナコドモ関係ないんだが),自分が喋りたいことだけ喋っていればいいようでもなくなってくるから難しい。そのことが,自分がなにかを話したところで相手は「へえ〜」しか言うことないよねで片付けてしまうような思考回路になってしまっている要因かもしれない。

とはいえ,「くだらないことだって話していい」は世の中でそこまで受け入れられてないのかもしれないと思ったりもする。だからこそ,お金を払ってどんな話(それでも許容範囲はあるだろうが,他の場所よりは許容範囲がおそらく広いと思われる)でも聞いてくれる場所に足繁く通うオトナがいるんだろうと思う(典型的な例がキャバクラ)。きっとそういう人は,聞いてもらえる感覚がない(不特定多数に発信する)ようなツイートでは満たされることはないのだろうなと思う。別に軽蔑ではなくて,むしろ気持ちはよくわかるなと思う。おそらく20代前半くらいの若者だったときは,お金を払うなら性的サービスが受けられるところにいくでしょって思ったと思う(そういう経験は人生で大学生のときの1度きりしかかないが)。むしろ,性的サービスですら,お金を払わなくても女性を口説けば事足りるのにって思っていたと思う。

私は88年生まれの33歳だが,今同じことは思わない。それは金銭感覚が学生のそれとは違うというのも大きいだろう。時間的コストをお金で買えるという考えになったといってもいいかもしれない。しかしながら,それと同時にあのときはなぜそんなエネルギーがあったのだろうとも思ったりする。若いってすごい。純粋なスポーツテストで測定されるような「体力」ではないようなエネルギーがあった。今はない。だから,自分よりひと回りも(場合によってはふた回りも)年上の人がギラギラしてるのをたまに見かけたりすると,最近はすごいなと思うようになった。その年でもそんなエネルギーあるなんてすごいですねって。リスペクト。それこそが「生きるチカラ」なんじゃないかと思わざるを得ない。

私にはそういう「生きるチカラ」なるものが欠けていると思う。それに加えて,自分という人間の人生について,それが自分だけのものであるという妄想も抱かないようになった。むしろ全くの逆で,自分の人生は他者の存在なしにはありえないものだと思うようになった。自分が生きているのは自分の意志ではないとすら思うくらいだ。自分の意志だけで生きていけるほど強くない。少なくとも自分はそんな超人的な精神力を持ち合わせていない。自分が死んだら困る人がいる(悲しむかどうかではなく困るかどうか)だろうなと思うから,まあそれなら生きてるほうが世の中のためかと思う。

こんな話も,誰か人にするもんじゃないからここに書いている。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

自分の生い立ち

NHKテキストから出てるブルデューのディスタンクシオンの解説を読んだ。100分de名著シリーズ。こういう社会学の話を読むと,やっぱり自分という存在がどう作られたのかを振り返ることになる。

自分が若い時はそういう社会学的視点というか,メタ的な視点がないので,自分が育った環境についてあまり考えたことがなかったし,自分が環境の影響を受けているという視点を持ってなかった。でも,自分のハビトゥスはこうやって作られていったのだなと思う要因はたくさんある。

正直,小さい時は自分の家系のこともよくわからなかった。母方は祖母も祖父も学校の先生で,祖母が家庭科,祖父は社会科の先生だったと思う。祖父が先生だったのはよく知っていて,それは家に写真が飾られてあったりしたからだ。また,母の姉にあたる叔母も音楽の先生だった。はなれにピアノが置いてあったし,それはいつしか客間に置かれるようになって,それでたまに練習していた従妹は幼稚園の先生になった。

叔母の子どもである従兄姉とは歳が8つ?とかは離れていたけど昔からよく一緒に遊んだり旅行に行ったりしていた思い出もある。2人とも勉強がよくできて,埼玉県の進学校を出ていて,従兄の方は都内の国公立大学に進学して修士課程まで出ていたんじゃなかったかなと思う。理系だったので,大学に進学することが決まった時に入学に際してどんなパソコンを買ったらいいか相談に乗ってもらったのを今でも覚えている。

とまあ自分が教職を志すというか,少なくとも勉学に取り組む事に何らかの価値を置いて生きてきたのは,自分の選択ではなく,母方の親戚の影響が大きいのかもしれない。

最近までそうやって思っていたのだが,実は父方の,というか,父の影響も大きいということに最近になって気づいた。父方は商売人の家系で(といっても祖母の父だか祖父だかが東京に出てきて始めたくらいでそれより前のことはよく知らない),祖父母が始めたお店を父が継いで,街の小さな食堂をやっていた。お新香とお味噌汁とご飯に焼き魚とか,あるいはフライ,生姜焼きとか何かのメインのおかずが,キャベ千とからしの効いたマカロニサラダの載った皿に載って出てくるような。短冊に書かれたメニューがずらっと壁に貼ってあって,ホッピーのポスターやビールのポスターが貼ってあるような。ガラスケースの冷蔵庫には瓶のコーラやオレンジジュースが入っていて,たまに遊びに行ったら飲んでいた。厨房の裏には地下への急な階段があって,そこを下るとホシザキの冷凍庫があったと思う。

昼は定食屋で,夜は飲み屋のようにもなっていたので,父の帰りはいつも23時くらいだったと思う。自分が起きてる時に帰ってきたら,今日は暇だったのかなと心配したような気がする。昼の営業が終わってから夜の営業が始まるまでは父は家に帰ってきていて,多摩川にウォーキングしに行ったり,家で自重トレーニングをしたり,ダイニングテーブルで本や新聞を読んでたりしていたと思う。

そういう父の姿を見ていると,自宅でヨガをしたり筋トレしたり,神崎川沿いに走りに行く今の自分とダブる。でもそれだけではない。父は飲食店を営んでいたが,だからといって決して勉強することの価値を低くみるようなことはなかった。むしろ,そのことの価値を家族の中で最も高く見積もっていたのではないかと今になっては思う。驚くべきなのは,それでも私が父親に勉強をしろと言われた記憶がないからだ。

新聞を読めとは言われたことはあるような気がするし,新聞の切り抜きが自分の勉強机の上に定期的に置いてあったり,なんなら新聞の切り抜きをノートに貼り付けたものを渡されたこともあったかもしれない。でも,勉強しろとか,いい学校に行けとか,学歴が大事だなんて言われたことがなかったと思う。むしろそういうことを言うのは母親のイメージで,父親はあまり口うるさいタイプではなかった。そうやってバランスを取っていたのかもしれない。

でも背中を見せるではないけれど,行動としてそれを示してくれていたようにも思う。思い返してみれば,小学校の低学年の頃から,よく図書館に行っていた記憶もある。手提げ袋をもって,姉と一緒に図書館に行っていた。家でダラダラしていると,図書館にでも行ってきたらと母親に言われたような記憶もある。姉は昔から読書が好きで,私がまだ読むのが難しいような本を読んでは面白いと言っていて自分も負けじと挑戦するのだが難しくて内容がわからなかったみたいなこともあった気がする。

小学校の高学年の時だったか,姉の部屋にあった『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズの小説を興味本位で読んだら,刺激が強すぎて頭が沸騰して眠れなくなったような記憶もある。そのまま自分の部屋の机の上に置いておいたら何も言わずに姉が没収していたと思う。

中学校と高校はとにかくバスケに明け暮れていて,自分から進んで本を読むなんてことはまったくといっていいほどしていなかったように思う。でも,それはとにかく自分の最優先がバスケがうまくなることだったからひたすら部活に精を出していたから本なんぞ読んでる暇がないというだけで,本なんか読んだってしょうがないということではなかったと思う。

話を戻そう。父は私が大学生の頃だったか,いきなりタイ語を勉強し始めた。もともと若い時にアメリカに語学留学した経験があって,多少は英語ができるのだが,それにしたって新しい言語,それも書記体系の全く異なるタイ語の勉強をするなんて。へー趣味ができてよかったねなんて思っていたが,そこから地道に勉強を重ね,現地の長期滞在も何度もするうちに「タイの看板はほぼ全部読めるようになった」と豪語するまでになった。すごすぎる。

私がアメリカに留学していた頃は東南アジアのバックパック旅行にハマっていて,アメリカで住んでたアパートに綺麗な写真と汚い字の絵葉書が定期的に届いていた。「今は〇〇にいて,□□から△△を経由して今度は◇◇に行きます」とか聞いたこともない地名が列挙されていて,Googleマップでいちいち調べていたような気がする。当時にもTwitterで,父が冒険家のような人生を生きてることを呟いていた気がする。

還暦を超えた今では体力的にしんどくなったことと,祖母の面倒を見ないといけないということで海外にはしばらく行ってないと思うが,それでもあくなき探究心というか,自分が知らない世界を見たい,もっといろんなことを知りたいという欲が滲み出ている人生を送っているように感じられるのは息子としても嬉しい。自分が育ってきた間,きっといろんなことを我慢して仕事して自分の好きなこともなかなかできなかったであろうから,こうして私も,そして姉も一人前のおとなとして生きている今は(自分の母親の心配をしないといけないというのはあるだろうけど)それでも自分の好きなような生きていって欲しいなと思う。

そういう父親の生き様みたいなものが,私の人生に与えた影響は無限大だろうし,母親とその親戚も含めて,私のハビトゥスをそこに感じずにはいられない。

教職を志したことについては,もちろん自分が受けた学校教育の影響もあるのは間違いない。小学校の高学年で自分のクラスの担任になった先生のインパクトはすごかった。なんでもできる,なんでも知ってる。話も面白いし,本当に好きな先生だった。こんな人になりたい,学校の先生になりたいと思ったのはそこからだと思う。現に,数年前に小学校の同窓会で集まった時,自分の思っていた以上に先生をやってる人が多くて驚いた。一般的にどれくらいなのかとかわからないし,地域的なものとかいろんな要因はあるだろうけれど,やっぱりあの先生(ともうひとクラスの先生もいい先生だったし人気だった)の影響はあったんじゃないだろうか。

中学校では,中三の時にお世話になった先生達のことをよく覚えている。私の通っていた中学校は,当時は市内ではまあ割と有名な荒れた学校だったので,いわゆる不良な生徒も多かったし,「ヤバい」奴も結構いた。中三になった時,学年団の先生が主任以外全員入れ替わるという前代未聞の配置換えで,他校から指導力のある先生が何人も来た。私は学級委員長をしていて,そのやんちゃな学年をまとめる役割を仰せつかっていたのだけれど,不良ともまあまあ仲が良かったので,立場上難しいこともあった。トイレでタバコを吸うことを注意しないといけないけれど,なかなか難しいだったりとか。

ある日,何かの時に教室に置いてあった自分のカバンがなくなり,担任の先生と探したらトイレの小便器の中に置いてあったというようなこともあった。あれ地味に結構きつかったな。でも,なんて言われたかは覚えてないけどその先生のことは信頼していて,味方でいてくれているのがわかったから乗り越えられたんだと思う。サバサバしてる人だったけど,めちゃくちゃ感謝してるからその先生の影響もある。

修学旅行の時も,持ってきてはいけない携帯持ってきてる奴がいるとか,自由行動で酒飲んでる奴がいるとかいうのがあって,そういうのも正義感で先生に報告してたらハブられるみたいな感じになった。まあ当然と言えば当然なんだが,友達として仲良くすることと,誰かがルールを破ることに対する責任感みたいなのが自分の中でぐっちゃぐちゃになって,夜に先生たちの部屋に呼び出されてもう辛いですって先生たちの前で号泣したの今でも覚えてる。主任の先生は英語科の先生で,その人が唯一一年生の時から見てくれてる先生だった。いわゆるオーラルイントロダクションをしてPPP型の授業をするいい先生で,新聞の見出しを解説するコーナーだったり,映画を見せてフレーズを解説するコーナーとかがあって授業も工夫されてる方だった。「一人で抱え込まなくていいんだぞ」ってその先生に言われてさらに涙が止まらなくなった。

中学を卒業して,高校に行って,3年の時だったかに中学校の進路イベントみたいなのに先輩として呼ばれて話すことになって久しぶりにお世話になった先生達に会ったのも嬉しかった。中3の時の担任の先生と,あともう一人キャラがめちゃくちゃ濃かった女性の体育の先生。修学旅行の実行委員会とかでお世話になった気がする。「次に田村に会う時は教採の面接練習かな?」みたいなこと言われた気がするんだけど,結局大学4年の時には教採は受けず,アメリカから帰ってきて受けた教採では面接練習もしてもらわずに2次で撃沈しちゃいました。もし練習してもらえてたら教採に受かって,今とは全く違う人生を歩んでいたかもしれない。

中学校の時のその修学旅行の実行委員会で,今でも覚えてる学びがあって,そういう先生や学校で過ごせて幸せだったなと今だから思うできごとがあった。ある時,修学旅行先の京都でのルール作りみたいなことをしていたときのこと。修学旅行中の班別自由行動では,昼食時をのぞいて,いわゆる食べ歩きみたいなことは禁止というのが基本線でした。お菓子を持っていくことも確かできなかったんじゃないかなと思う。そこで私は,京都でしか食べられないものもあるはずだし,そういうものを味わうことだって修学旅行の趣旨に反していないはずだから,節度を守っていれば昼食時以外にも例えば抹茶ソフトクリームとか食べたっていいんじゃないですかと言った。聞く人が聞いたら「昔からそういう性格なんだね」とか言われそうな発言だなと今は思う。そこで,その私の担任だった先生と,前述の女性の体育の先生に言われたのが,「自由には責任が伴うんだよ」ということだった。これを教わったことはその後の私の人生にものすごい影響を与えたと思うし,学校の生徒指導のほとんどの問題(は言い過ぎかもしれないが)ってこの一言に集約されるんじゃないかなと今は思う。当時の私にもビビッと響いて,何でもかんでもあれがいいこれがいいあーしたいこーしたいじゃだめで,自由を求めることはその結果生じたことに自分が責任を負うことなんだと学んだわけだ。まあ結果として,今考えたらこのことを重く受け止めすぎたからこそ,自由度をあげたことに対して生じた問題の責任を強く感じすぎて号泣するハメになったんだろうと思うのだが。

推敲せずに飲みながらiPhoneでダラダラ書き殴ったらまあまあな長さになったので,とりあえずここでやめて人知れず夜中に公開します。あとで読み直して消すかもしれないし,続きを加筆するかもしれないですけど。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。


2021.02.12 追記

途中から文体が「です・ます」になっていたり,主語に僕と私が混ざっていたり,「、」と「,」が混ざっていたりしたので直しました。

2020シーズンに観戦したG大阪の試合

2020シーズンに観戦したG大阪の試合をまとめる完全自分用のメモ記事です。昨年度の記事↓

2019シーズンに観戦したG大阪の試合

リーグ戦

  1. 7/18 vs大分 (Home) ○2-1
  2. 7/22 vs広島 (Home) ○1-0
  3. 8/1 vs川崎F (Home) ●0-1
  4. 8/19 vs浦和 (Home) ●1-3
  5. 8/29 vsFC東京 (Home) ●1-3
  6. 9/13 vs湘南 (Home) ●0-1
  7. 9/23 vs名古屋 (Home) ○2-1
  8. 10/3 vs鹿島 (Home) ○2-0
  9. 10/14 vs横浜FM (Home) △1-1
  10. 10/24 vs柏 (Home) ○2-1
  11. 10/31 vs札幌 (Home) ○2-1
  12. 11/11 vs神戸 (Home) ○1-0
  13. 11/14 vs仙台 (Home) ●0-4
  14. 11/29 vs鳥栖 (Home) △1-1

今年はアウェイは一度も行きませんでした。Jリーグ再開後はそもそもアウェイ観戦不可能でしたが,アウェイ席が設けられるようになってからも行きませんでした。よって観に行った試合はすべてホーム戦でしたが,ホーム戦は最終節の清水戦以外有観客試合はすべて観に行ったことになります。来年度もガンバ大阪の年間チケットは販売されないことが決まっているので,2020シーズン同様に毎回チケットを買って観戦することになりそうです。

スタジアムは人が集まる場所ですが,観客が入れるようになってしばらくは2席ずつ間隔が空いていたのでかなりスペースに余裕があり,むしろ大学の授業の方がよほど密な空間だよなと思っていました。スタジアムは外ですしね。今は1席ずつ空いていますが,それでもこれまで前後左右に人がいたことを思えばそこまで密ではないですね。声を出しての応援もまだできませんし。

カップ戦

上記14試合以外にも,YBCルヴァンカップのグループステージ柏戦と,つい先日行われた天皇杯準決勝徳島戦も行きました。柏戦はリーグ戦開幕前で,2019シーズンのホーム開幕戦でした。この試合は妻と一緒に見に行きましたが,得点王になったオルンガ選手に決められて0-1の敗戦でした。結局今年のルヴァンカップはグループステージ敗退となってしまいました。

一方で,今年は優勝チームと2位チームに天皇杯の出場権が与えられるというレギュレーションとなりました。リーグ戦を2位で終えたガンバ大阪は準決勝から出場し,J2の1位で準々決勝を勝ち上がった徳島ヴォルティスと対戦しました。

徳島にボールを握られる展開でしたが,決定機をしっかり決めきって2-0の勝利でした。敵チームながら徳島はビルドアップがとてもうまかったですね。いいチームでした。

福田湧矢選手はホームで初ゴール。彼は今後ガンバの中心になってもらいたい選手です。

天皇杯決勝に勝ち進み,元日に川崎フロンターレと戦うことになりました。今年の川﨑は本当に強くて,ガンバも0-5で敗戦して目の前で優勝を見させられることになりました。簡単ではないですが,そのリベンジとしてなんとか天皇杯優勝をして今シーズンをしめくくってほしいなと思います。

印象に残っていること

2020シーズンは声を出しての応援ができなかったことや,スタジアムが満員でなかったこともあって,2019シーズンのように心に焼き付いたシーンというか劇的…!みたいな試合ってあまりなかったのですが,10/24の柏戦のアデミウソン選手の決勝ゴールは興奮しましたね。残念ながら,この試合の次の日に酒気帯び運転と事故を起こしてしまい,つい先日契約解除となってしまいましたが…。

また,今年も若手の成長が著しく,大卒ルーキーの山本悠樹選手は特にこの1年で飛躍的に伸びたなと感じます。開幕前から注目されていましたが,序盤戦は途中交代で出場してもなかなかいいパフォーマンスを見せていませんでした。ところが,先発に抜擢されたアウェイ仙台戦で初スタメン初ゴールを記録し,この試合以降ガンバ大阪に欠かせない選手になりました。

山本悠樹選手のゴールシーンは1分10秒あたりから

今シーズンスタメンに定着したのは山本選手くらいですが(高尾選手,福田選手は2019シーズンもスタメンで出てたので),シーズン後半からはレギュラークラスの選手(井手口選手,宇佐美選手,小野瀬選手)の故障もあって,奥野選手,唐山選手,川﨑選手,塚元選手なんかもベンチ入りしたりスタメンを飾る試合もありました。あとは,飛び級でU23チームで試合に出ていた中村仁朗選手も最終節で途中出場していいプレーしてましたね。彼は2003年生まれの17歳ですが,J1でも活躍できる逸材なんじゃないかと思いました。来シーズンが楽しみですね。

関西大学に勤務している私としては,関大卒のサイドバックである黒川選手の活躍を期待していましたが,残念ながら今シーズンはほとんどトップチームに絡めませんでした。特別指定選手として2019シーズンのルヴァンカップグループステージの試合に出場していたのを見たときにめちゃくちゃうまいなと思ったのですが…。2021シーズンの奮起を期待したいです。

というわけで,今日はガンバ大阪のお話でした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

祝100,000PV

気づいたらこのブログのpage viewが100,000を超えていました。2013年にこのブログを始めてから,100,000というのは1つ目標にしていた数字だったので嬉しいです。このブログをどんな形であれ読んでくださっている方々に感謝するとともに,これからも頑張ろうと思います。

私のブログ名は英語教育0.2で,「本家」英語教育2.0の1/10程度の認知度&影響力しかないんですが,細々とでもブログ記事を書き続けていてよかったなと思います。正直言って,ブログのアクセス数は年々伸び続けているわけではありませんので,そもそもブログというメディアの位置づけも5年前とは変わってきて,プラットフォームも移り変わっているのだなという気はします。でも個人的にはこのブログに愛着があって,そこに自分の考えを定期的に投稿していくことも自分のライフスタイルの一部になりつつあるので,簡単にやめたりはしづらいです。

ブログを書くことは自分のためにやっているところもありますが,だったらパーソナルな日記帳でいいわけで,やっぱりインターネット上で公開するということは人に見られたいと思ってやっているわけです。その意味では,訪問者数とかPVとかいうのは気にしたりしますよね。まだまだたくさんの人に読まれるようなクオリティの文章が書けるようにはなっていないので,私自身の文章力を磨くことも沢山の人に読まれるようになるためには必要だと感じています。

この機会に,私のブログ名等について簡単に。「英語教育0.2」は,英語教育2.0という先駆的ブログタイトルをもじっています。捉えようによっては揶揄しているように思われてしまうかもしれませんが,そういう意図はありません。2.0というのはweb 2.0からきていると思いますが,0.2ってもはやweb 1.0より時代遅れじゃないかと。そういうことです。単に時代遅れとか昔に戻すとかそういうことじゃなく,私はまだまだweb1.0にも遠く力及ばない未熟な存在であるという意味があります。というのはあとづけで,単にブログ名をTwitterで募ったときに出てきた候補の一つが英語教育0.2で,なんか面白い名前だからそれにしたというだけです。ちなみに,”Tamn it!”はもちろん”Damn it!”をもじっていますが,”Tamn it!”自体には特に意味はありません。ブログ名の候補に”Tamn it!”があったけど,ブログ名にするのはちょっとなと思ったのでサブタイトル的なところにつけているだけです。”なにをゆう たむらゆう”も同様で,ブログ名にするのはちょっと違うけど,なんかいつも使う締めの言葉としてちょっといいかなと思ったので,毎回記事の最後につけています。匿名でやっているブログではないので,名前を覚えてもらうのにもいいかなというのもありますしね。

というわけで,死ぬ前に1,000,000PV目指して今後も頑張りたいと思います。よろしくお願いします。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

2019シーズンに観戦したG大阪の試合

いよいよ2020年シーズンのJリーグの日程が発表になりました(ガンバ大阪の試合日程)。

開幕戦はアウェイで横浜Fマリノスですね。昨年はホームでマリノスと対戦して,逆転負けしたのは今でも覚えています。Googleカレンダーに予定を入れながら,学会の日程とかぶっていたら落ち込むみたいなことを休憩がてらにしているのですが,自分が毎年どれくらい試合を観に行っているかを記録しておこうと思い,ここに2019シーズンに観戦した試合をまとめておきます。完全に自分用のメモですw

  1. 2/23 vs横浜FM (Home) ●2-3
  2. 3/30 vs神戸 (Home) ●3-4
  3. 4/14 vs浦和 (Home) ●0-1
  4. 4/28 vs仙台 (Away) ●1-2
  5. 5/4 vsFC東京 (Home) △1-1
  6. 5/11 vs鳥栖 (Away) ●1-3
  7. 5/18 vsC大阪 (Home) ○1-0
  8. 5/25 vs札幌 (Away) △0-0
  9. 7/13 vs清水 (Home) ○1-0
  10. 7/20 vs名古屋 (Away) △2-2
  11. 8/2 vs神戸 (Away) △2-2
  12. 8/31 vs横浜FM (Away) ●1-3
  13. 9/14 vs鳥栖 (Home) ○1-0
  14. 10/4 vs札幌 (Home) ○5-0
  15. 10/19 vs川崎 (Home) △2-2
  16. 11/23 vs仙台 (Home) ○2-0
  17. 11/30 vs松本 (Home) ○4-1

ホームとアウェイ合わせて17試合ですね。開幕してから観に行った4試合は全敗で,むしろ観に行ってない試合は勝っていたみたいなところがありましたw そしてその後初めてのアウェイ遠征で仙台に行って負けるという。なんと,2019年は仙台,鳥栖,札幌,名古屋,神戸,横浜と6試合のアウェイゲームを観戦し,一度も勝てなかったという非常に悔しいシーズンでもありました。JALのステータス獲得のために仙台,鳥栖,札幌という遠方への日帰り遠征もしましたが,地方の美味しいものを堪能することでなんとか敗戦の悔しさを紛らわしたという感じもあります。今年は近場のアウェイゲーム以外は行かない予定ですw

この17試合以外にも,YBCルヴァンカップも行きました。年間チケット会員は,グループステージのホームゲームも観戦できるので,グループステージの3試合を観ました。また,グループステージを突破してプレーオフステージ,プライムステージ準々決勝,準決勝まで勝ち上がったので,それもホーム戦はすべて観に行きました。

  1. 3/13 vs松本 ○2-1
  2. 4/24 vs磐田 ○4-1
  3. 5/8 vs清水 ○3-1
  4. 6/26 vs長崎 ●0-2
  5. 9/4 vsFC東京 ○1-0
  6. 10/9 vs札幌 ○2-1

ルヴァンカップは決勝まで行ってほしかったのですが,準決勝の第2戦に敗れてしまい,残念ながら準決勝敗退でした。ただ,決勝にあがった札幌が川崎Fと歴史的名勝負を繰り広げました。あれは本当に感動的な試合だったなと思います。当時の様子を振り返る選手たちや監督,審判のインタビューとともに構成された下記の動画は非常に見応えがありました。

ちょっと長いですが,サッカーファンの方は一見の価値ありです。

あと観に行った試合は,7月3日に行われた天皇杯2回戦のカマタマーレ讃岐戦でした。これは7-1と力の差を見せつけて圧勝したのですが,つぎの3回戦で法政大学にジャイアントキリングをされてしまったんですよね。この試合は見に行けなかったんですが,7月から8月はチームとしてもほとんど勝てていなかったので,この結果になってしまったのかなと。

年間チケット保有者として初めて過ごした1年間でしたが,リーグ戦17試合,天皇杯とルヴァンカップで合計7試合の計24試合をスタジアムで現地観戦したということだったようです。

この1年間で記憶に残っているのは海外移籍した中村敬斗選手と食野亮太郎選手の2人の活躍ですね。特に,アウェイ鳥栖戦で決めた食野選手のスーパーゴールは鮮明に焼き付いています。

負け試合だったのが残念でしたね。食野選手はルヴァンカップでは活躍していましたが,リーグ戦ではあそこから試合に絡むようになった気がします。

試合全体でいうと,C大阪とのダービーマッチだったり,雨の中の清水戦の矢島選手の決勝ゴールだったりが印象に残っていますが,個人的にものすごいこみ上げるものがあったというか泣きそうになったのは9/14鳥栖戦ですね。

なかなか結果を出せていなかった渡邉千真選手が後半に出てきて値千金の決勝弾をヘディングで叩き込むという胸アツ展開でした。ちょうどゴール裏で観ていたのもありましたし,ものすごい盛り上がったのを覚えています。

さて,あと1ヶ月ほどでJリーグも開幕ですが,待ちきれなくて振り返り記事を書いてみました。今後は試合の感想なんかも毎回書いてみましょうかね。2019年と同じペースで試合を観に行ったとすると,その毎試合について感想を記事にしたら年間の投稿数が2倍近くになる計算ですが。

というわけで,今日はガンバ大阪のお話でした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ヤットさんコーナー

研究室の一角に,遠藤選手のコーナーを作りました。昔から個人的に好きな選手で,ガンバ大阪のなかでもプレーを見るのをいつも楽しみにしている選手です。色紙のサインはファンクラブの来場ポイントで交換したもので、ポストカードと缶バッジはルクアのポップアップストアのイベントでもらったものです。飾ってあるキャップはストアで購入した物です。いつも試合を観に行く時に来てるユニホームも研究室には飾ってあります。

隣のユニホームは2018年シーズンのガンバEXPOの日に配られた記念ユニホームです。

今年はゴール裏の年間チケットを購入したので,今からJリーグの開幕が待ち遠しいです。今年は誰のユニホームを買おうかも悩みますね。

というわけで久しぶりにゆるい投稿でした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

所属が変わりました

新年度になりました。4月1日が日曜日でしたので,2日が辞令交付式でしたが,4月1日付で関西大学外国語学部に助教として着任しました。

2月の終わり頃からすでに大阪市内に引っ越しは済ませていましたので,新居も片付けが終わっていて,研究室の引っ越しも終えました。

初日からマンモス私大(と言っていいですよね?)の学生の多さと活気に圧倒されました。私は地方国立出身なので(埼玉は地方かわかりませんけども),自分の学部時代を思い返しながら雰囲気が随分違うなぁと感じました。

木曜から始まる授業も楽しみです。

今後ともよろしくお願いいたします。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。