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名古屋大、文学部と工学部を再編 17年度から

おやおや。もうニュースになっていたのか。記事のタイトルは学部の話だけど,文系の研究科の再編の話もある。研究科がなくなるとは聞いていたけど,研究科がなくなるというよりは僕らの専攻(国際コミュニケーション専攻)が国際開発研究科から切り離されるということなんですね。もともと色々あって今の形になった(国際言語文化研究科と別れた)とは聞いていたけど,それもまた戻ることになるって感じなのかしら。

情報源: 名古屋大、文学部と工学部を再編 17年度から:社会:中日新聞(CHUNICHI Web)


 

ちなみに,名大の発表した資料はこちら(リンク先直PDF)。今まで独立研究科だったから,学部からそのまま上がってくるということはなかったわけだけど,人文学研究科になると,学部からあがってくるというケースが出てくるのかな。それはそれで楽しみ。私は予定では,平成29年度の1年間しかいないと思うけれど,今後のことも考えるといいことなのかな。PDF資料の10ページ目,「特色②言語学分野の結集」のところに,「国内外でニーズの高い言語学・応用言語学分野の人材育成」というのがある。そうなればいいけれど。

スライド13枚目の図を見ると,国際コミュニケーション専攻の中で,言語系のコースは「文芸言語学コース」に統合されるということかな。

まだ文部科学省と協議中とのことで,正式な決定ではないみたいだけど,ほぼ決まりであったとしても微細な修正なんだろう。

なんにせよ,今よりも研究の環境がよくなることを願うばかり(今でも充分良い環境だけど)。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

「落ちたら国際誌」

タイトルの意味は,まずは国内のいわゆる「全国誌」といわれるもの(e.g., 全国英語教育学会のARELE, 外国語教育メディア学会の機関誌)に出して,もしリジェクトされたら国際誌に出すというもの。

この志向がいいのか悪いのかはよくわからないが,ARELEに落ちた論文をLanguage Teaching Researchに載せた先輩がいるとこういう考え方になるのかな。

論文の内容によっては国際誌—といっても幅広いが—の方がマッチするというケースもあるように思う。特に私の(メインの)研究なんかは,国内誌で大きいところに出すのを躊躇するような内容だったりする。心理言語学系のジャーナルは国際誌だと結構あるので。国際誌はコワイから出さないということもあるのかもしれないが,落ちたら落ちたで別のところに出せば良いし,選択肢は1つだけじゃあない。そして,なにより分野が近い人に査読してもらえることの方を重視する。リジェクトされて元気が出るような研究者は—よっぽどのMっ気がない限りは—いないと思うし,誰だってそのときはへこむだろう。しかしながら,論文をpublishし続けている人は,その裏でリジェクトだってもらっていると思う。それでも出し続ける強さがないと—そしてそれは研究者として大事な素質だと思う—,コンスタントに論文を書くのは無理だろう。その点で,「落ちたら国際誌」の志向は相当強い。ただの若気の至りかもしれないが。

この勢いが,あと30年続くかどうか(40あたりで歳下に尻を叩かれたり論文を全然書いてないけど査読するようなオトナになりたくない)。問題はそこ。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

別れの季節

僕が追いかけた先輩が2人,名古屋を去ることになりました。もちろんとても前向きに。

「なんで名大にしたの?」

「なんで山下先生ゼミに入ったの?」

僕が名古屋に来てからよく聞かれる質問でした。この2つの質問の答えは,

「草薙・福田という2人がいたからです」

と言っても過言ではないでしょう。それがなかったら名古屋にも来ていないだろうし,博士後期課程に進学しようとは思わなかったいうのは事実だと思います。

今になってそんなこと言ってるようじゃダメだという自覚はあります。それでも,2人になんとかして追いつきたいと思って,頑張ってきた(つもりの)2年間でした。結局,2年間では2人の背中も見えませんでした。

なんとか引っ張られてここまではやってこれたものの,これから自分がそうやって引っ張っていけるのかどうかは自信がありません。特に,最近では色々な場面で自分自身の力不足を痛感させられることが少なくありません。本当に死ぬ気で頑張らないと,この先屍になるかもしれません。名大の1つの時代が終わったって言われないように(それはまぎれもない事実だとしても),もっともっと頑張らないといけないなという責任感みたいなものを勝手に感じていますし,そうでなくてもこのままではまずいという危機感がとてもあります。

一年のうちの8割くらいを毎日2人と一緒に過ごして,「名大は全寮制」というのもあながち嘘ではないほどの濃密な2年間でした。

そんな2人と同じ研究室で,たまにくだらない話もしつつガリガリ研究するということが,この先はもうないのだと思うと,正直寂しいです(泣いてない)。この先の付き合いはこれまでもずっと続くにしても。

それぞれに違う場所に行く側も,仲間に囲まれた環境ではない場所に行くのは寂しいという気持ちがあると思います(ちょっとでもあってくれなきゃ困る)。でも,2人のいないところで研究する残された僕も,同じくらい寂しいです。

草薙さんにはたくさんのことを教わりました。共著の論文もいくつか出版することができました。彼が修了する年に,彼が追いかけ続けた明示的・暗示的知識に関わる研究の論文を書きました。彼がたどり着いた1つの結論に関わる論文を,彼がこだわり続けた全国英語教育学会の紀要に載せることができたのは嬉しいですし,ホッとしています。

逆に心残りなのは,僕が名古屋に来てからの2年間では,「田村・福田」という順番で,論文を1本も出せなかったことです(口頭発表はありますが)。同じ名古屋大学という所属の間に,そういう論文を書けなかったのは本当に自分の力不足でした。そういう意味では,もう少し時間はかかるかもしれませんが,今投稿中の共著論文は何が何でも今出しているところに載せたいですし,いま執筆中の論文もあきらめずにやり続けたいです。それが僕にできるせめてものことかなと思います。

こんなことを言っていると,名大は大丈夫かと2人とも心配すると思います。もう言いません。

心置きなく新天地で活躍してもらうためにも

Everything is gonna be ok. Trust me.

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

モニタの縦横変換

今までスクエア型のモニタを使っていたのだけれど,縦置きできるモニタを譲ってもらった。今まで使っていたスクエア型のモニタも貰い物だったけれど,それは後輩に譲った。本当はモニタを2台デスクに置きたかったが,スペースの都合上ちょっと無理そうなので。

そこで,縦置きのモニタを繋いだら横表示にしかならず,コントロールパネルからデスクトップのカスタマイズ->ディスプレイ->画面の解像度と進んでも向きを変更するメニューが表示されなかった。そのメニューが表示されないと縦横の変換はできないみたいだったが,少し調べたらドライバーを更新したらできそうだったのでやってみたらできた。ちなみに,ドライバはNVDIA GeForce GT 330Mというやつ。

まず画面の解像度の画面にある詳細設定をクリック。

 

画面の解像度

するとドライバの情報が表示されるので,プロパティをクリック。

ディスプレイのプロパティ

ドライバのタブをクリック。

ドライバのプロパティ

これでドライバーの更新をして,完了したら再起動。

ドライバータブを開く

そうすると,向きを変えるメニューが現れる。更新する前の画像をキャプチャし忘れたので前後の比較ができないけど,これでなんとかなった。以上,ただのメモでした。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

Yu Tamura

2016年2月11日

Yu Tamura のアバター

昨日今日と風邪でダウンしていましたが(体調不良でダウンしたのは数年ぶり),明日2月12日金曜日より通常営業に戻ります。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

2015年の振り返り

気づいたらクリスマスも終わってどうやら2015年も残すところあと数日で終わってしまうようですね。ということで,今年も1年を振り返ってみたいと思います(2014年の振り返りはこちら)。

2015年は,自分の書いた論文が初めて出版された年でした。投稿したのは2014年中だったものが多いですが,出版されたのは2015年なので,私の研究者人生も2015年からスタートしたようなものです。

1月はD1報告の準備を泣きそうになりながらやっていました。博士後期課程に入学したときとは全く違うテーマに変えたので,論文を何十本も読みながら計画を練り直したのを覚えています。そのテーマで博士論文を書くことに決めたので,そういう意味でも2015年はターニングポイントだなと思っています。2月には基礎研の年次例会があったり,3月はあっという間にすぎていきました(たぶん)。

今年度はD2になり,先輩におんぶにだっこだった昨年度よりも自分で研究をガンガン進めていく立場にならないといけないと思い,後輩と一緒に研究プロジェクトをいくつかやりました。それらを中部地区英語教育学会(和歌山),言語科学会(大分),全国英語教育学会(熊本)で発表しました。今年は色々なところに出向いて学会発表をし,美味しいものをたくさん食べられたのもいい思い出です。来年は東京の学会が多いのが少し残念ではありますが…(実家に滞在すればよいので滞在費とか削減できるのは良いですけど)。

夏がすぎると論文執筆の時期…のはずだったのですが,全然筆が進まず,スケジュール管理と目標設定を意識的にやりながらなんとか論文を進めていたのが9-11月あたりでしょうか。

7月には母方の祖父が亡くなりました。祖父は長野県で教員をやっていたので,僕が教師を目指していたことをとても喜んでいました。教員をやっている姿を見せられなかったことが今でも残念ですが,僕は僕なりに一生懸命頑張って,この道で生きていこうと思います。

そういえば,基礎研の部会長にもなりました。会の運営は色々大変なこともありますが,川口くんと協力しながらなんとかやっています。彼は本当に優秀で,一緒に仕事するのがとても楽ですね。僕がわりと好き勝手にやれているのも,彼がいるからだと思います。感謝しています。今後も会が続いていくように,色々考えて動いていきたいと思います。

 

昨年の今ごろも博論やりたくないとうだうだ言っていましたが,今年も同じで1月のゼミ発表と2月のD2報告が今は嫌で嫌で仕方ありません…(準備は全然進んでいませんヒィィ

そういえばツイッターも事実上やめました。アカウントは消してませんが(理由はこちら)。今はFacebookはたまに覗いていますけどね。自分のことをウェブ上に発信するのはブログでやっていこうと思います。色々ありましたが,私は元気にやっています。

というわけで,2015年も健康上特に大きな問題もなく過ごすことができました(初めて虫歯の治療したというのはありましたが)。2016年も,健康に過ごせるよう,たまには息抜きをして,自分のできる範囲で自分のできることをコツコツやっていこうと思います。

それではみなさま,良いお年を。

 

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

特急しなの

部屋からの夜景

貸し切りのお風呂

前菜。奥から時計回りで手長海老と桜海老真薯,百合大根干し柿巻,鰊青唐醤油漬け,白子豆腐,紫芋チーズ

目鯛,マグロ,大岩魚のお造り

投汁蕎麦

茶碗蒸し

釜飯

玄米饅頭

林檎グラタン

地ビール

ワイン豚のワインしゃぷしゃぷ

東寺揚げ,養老揚げ,獅子唐

松本城

別アングルからの松本城

IMG_4318

時計博物館

IMG_4319

ローリング・ボール・クロック。球がジグザクに左右に動きながら時を刻むという。この技術にはびっくり。

 

Yu Tamura

2015年10月29日

Yu Tamura のアバター

緊急事態で11月1日(日)から東京に戻ります。10日(火)の夜に名古屋に戻ってきます。メール対応等々はできます。ご迷惑をおかけします。

Dear My Sister

私が高校に入学した時,入学祝いとして姉にもらったBURBERRYの財布。当時は高校生のくせにBURBERRYなんて生意気だったような気もしますが,BURBERRYが似合うような男になれということで(それもどうかというのはある),10年以上ずっと使い続けてきました。小銭入れの部分の布はやぶれ,縫ってある布はほつれ,皮はつるんつるんになっていました。でも,自分で今まで財布を買ったことがなくて,いまいち踏ん切りがつかずにずっと愛用していたのですが,さすがにボロボロになってちょっとみすぼらしい感じすらするので,思い切って新しい財布を買いました。最近嬉しいお知らせをいただいた(自分のことで)があったので,自分へのご褒美という意味も込めて。

今までありがとう。

KATHARINE HAMMNETT

KATHARINE HAMMNETTくんこれからよろしく