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2014年の振り返り

さてさて,今年も気づけばあと2日で終わってしまうようですね。何言ってんだお前と思った方もカレンダー確認してみてくださいね本当ですよ。というわけで,やらなければいけないことは山積みなのですが,備忘録もかねて今年も振り返っておきたいと思います。

2014年の一大イベントといえばなんといっても名古屋に来たことです。1月から3月の間はまだ中学校で臨任していまして,その最終勤務日の夜にはレンタカーに段ボール箱と布団を突っ込んで東名道爆走してましたね。そんなわけで,名古屋で博士後期課程の院生になりました。と同時に,専門学校で非常勤講師としても働き出しました。もう4月から生活がガラッと変わったわけです。私は博士後期課程の学生ですが,M1の学生と一緒に授業に出ていたりもしていました。技術的なことを身につける必要もありましたし,1年弱研究から離れていたことのブランクを埋めるという理由もありました。それと同時に,春は学会の発表申し込みだったり,学振の申請書を書いたり(1次で落ちましたけど)しました。6月はCELESでの発表があり,8月はJASELEでの発表があり,その後には投稿論文の〆切があり,9月にはJABAETでの発表,長野のメソ研に参加,そして静岡の合同ゼミ合宿に基礎研メンバーとして参戦という怒涛の日々でした。10月にはことばの科学会で大阪に行き,そしてまた投稿論文の〆切があり,学会発表の申し込みがあり,11月には研究助成の申請書を提出し,LET中部で発表し,そして今月12月はNagoya.R #12で発表がありました。つい先日はメタ分析の論文輪読会に参加して論文2本をレビューしました。そしてこれからは来月〆切の論文1本,査読が返ってきた修正原稿の〆切2本(1本はほぼ終わり),そしてなんともう今から憂鬱感が半端じゃないんですがD1報告があります。博論…どうしよう…

とまぁとっても充実した1年間だったのではないかと思います。辛い時もたくさんあったけれど,でも本当に名大に来てよかったと思います。一緒に頑張る仲間がいるっていう環境は,何事にも代えがたいですね。とくに,隣の隣の人や隣の隣の隣の人にはとても感謝しています。彼らがいなかったら名大に来ていなかったでしょうから。まぁゆくゆくはみんな別々のところにいってしまうわけで,一緒の空間で過ごす時間は残り少ないんですけどね。それを今から考えるだけでも寂しいですが,それでも頑張っていけるようにならないといけません。自分の色が少しずつ出せるように。二人に少しでも追いつけるように。そして一人でも頑張れるように。来年(度)の目標はとりあえずそこですね。それから,心身ともに健康な1年を過ごすことです。心身ともにとはよくいいますが「心」の部分の健康がとても大事なんだなというのは名古屋に来てから強く感じるようになりました。息抜きやリフレッシュの仕方もちゃんと考えないといけないなと思います。もちろん「身」も大事。今年は持病のヘルニアが悪化することはありませんでしたが,いつ悪くなってもおかしくないので。

というわけで今年もたくさんの方にお世話になりました。皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

 

なにをゆう たむらゆう

おしまい

P.S. メタ分析の読書会で私がレビューした論文のレジュメを置いておきますので興味のある方はどうぞ。一本目はタスクの複雑さに関する認知仮説のメタ分析。二本目はL2研究における効果量の解釈に関するメタ分析です。

Jackson, D. O., & Suethanapornkul, S. (2013). The cognition hypothesis: A synthesis and meta-analysis of research on second language task complexity. Language Learning, 63, 330–367.

Plonsky, L., & Oswald, F. L. (2014). How big is “big”? : Interpreting effect sizes in L2 research. Language Learning, 64, 878-912.

遠くからライフルで撃つか,接近戦でナイフで仕留めるか。

別にゲームの話ではありません。戦争の話でもありません。ただし,私達の日々の仕事は戦闘です。敵は?そうトドです。日々どのようにトドを狩るか。狩っても狩っても湧いてくるトドをどうしたら効率的にたおせるのか。それが人生です。トドの狩り方は人それぞれでしょうから,この狩り方が良いという絶対の方法もないでしょう。遠くからライフルで撃つもよし,放置してたから接近戦になりあえて近くまでおびき寄せてからナイフで仕留めるもよし。要するに,トドに殺られる前にやっつければよいというわけです。

さて,私の狩り方はどうか。振り返ってみました。私は,他の多くの方と同じように〆切がなければなにもしないクズ野郎です。ですから,いつも視界に入っているトドを見て見ぬフリをして,そろそろやばいかもという段階になって必死にナイフで戦ってなんとか一命を取り留めるということをしてきました。そして接近戦闘の次の日は使い物にならずHPの回復に費やすということも多々有りました。しかし,本当はライフルで華麗に狙い撃ちしたいのです。身の危険がより少ない段階でトドを仕留めておきたいのです。口頭発表の申し込みの日にはスライドが完成していて,論文の募集が始まった日に原稿を投稿してしまうそして落ちる,そういう仕事の出来る人になりたいのです。それには,トドを把握すること,どのトドを先に狙い撃つか,計画をしっかり立てることが重要ですよね。当たり前の話です。つまり,トドの管理です。私は今まで,iPhoneのリマインダーやGoogleのカレンダーのTo doリストを使っていました。iPhoneのリマインダーは,そもそもそのリマインダーをいつもチェックするというクセがなく,僕にはあまり合いませんでした。昨年度までは使っていましたが,名古屋に来てからはGoogleカレンダーのTo doリストにしていました。基本的にGoogleカレンダーはいつも見ているので,そこにTo doリストがあればいつもTo doを気にしながら作業ができるからです。ただし,ちょっと物足りなさを感じていたのはカテゴリ分けやサブタスクの設定ができないことでした。プライベートのトドや,仕事のトドがごっちゃになってしまい,さらには「論文投稿」というタスクの下に,「第1稿完了」や「英文校閲に出す」などのサブタスクをつけて,各タスク間の階層関係をつけることもできませんでした。そしてつい最近こんなことを言われました。

うちのゼミはトドの早狩りが売りなのに,お前はいつもギリギリ

……

てへぺろ☆  ★
*   ___ +
★  + /)⌒ ⌒\
+ _ヘ//(●) < ヽ
/ヒノノ _二⊃(_人_)  |
< +  ヽノ ノ
/ ̄\) *    \

というわけで,いよいよ私は接近戦型社畜RA戦士から,遠距離狙撃型社畜RA戦士にならなくてはいけなくなりました。額にもう1つの目がある感じで撃っちゃうよと。1キロ先のトドも撃っちゃうよと。そこでevernoteを漁っていたらこんな記事を見つけました。

米Lifehacker編集部のiPhoneのイチオシToDoアプリは『Wunderlist』

http://www.lifehacker.jp/2011/10/111027iphonewunderlist.html

無料のTo doリストで人気なのはRemember the Milkかもしれません。名前はよく聞いたことがあります。でもWunderlistはデザインもなんかスタイリッシュでかっこいいのでそっちにしました。というかGoogleカレンダーとの連携やウェブ版があって窓機からでも見れるというのもRTMでもできますからね。

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Mac版のホームはこんなかんじです。背景は無料版でも20種類から選ぶことができます。左側でカテゴリ分けをしています。とりあえず今は試しにプライベート,食料品の買い物,仕事,ほしい物リストという感じです。

食料品の買い物というカテゴリを開くと,こんなかんじ。

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一番上の黒っぽいところに新しいのをどんどん書いていきます。肉類というところを開くと,

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こんな感じで何を買うかというのを入力することができるわけですね。ここにサブタスクを突っ込む感じです。順番は後で入れ替え可能です。due dateのところで日付を設定したり,その下でリマインダーの登録も出来ます。Todoリストは名前順で並び替えたり。まぁまだ使い始めたばかりなので,実際の使用感とかはまたレビューしようかなと思います。そういえば,今日の授業でこんなTED動画を扱いました。

Keep your goals to yourself

目標を決めて何かをするときは,それを人には言わないほうがよいそうです。人にいうことで満足感を得てしまい,努力しなくなってしまうとか。こんなところで遠距離狙撃するぞ!なんて言ってる僕はもうだめですね…

なにをゆう たむらゆう

おしまい

「本当の〆切」

なんとなくふと思い立ったのでちょっと書いておく。お仕事のこと。〆切とか。長いので読まないことをおすすめする。
大学院生(学生)が仕事とか抜かすなとおっしゃる方もいるかもしれない。それは理解した上で書いているのでご了承いただきたい。
一応私達(私の周りの人と私の事)は日々の業務(トド,あるいはTo doといってもいい)をこなすことを勝手に仕事と呼んでいる。研究室に行くことを出勤と呼ぶ。もちろん出勤簿があるわけもないし勤務時間を管理されているわけではない(ただしRAやTAなど賃金の発生する仕事はもちろん出勤簿もあるし勤務時間も管理されている)。賃金の発生しない業務を仕事と呼ぶなということであればルーティーンワークとでも呼べばよいのだろうか。それはともかく。

どんな仕事をやっていても,〆切というのは必ずあるだろう。それこそ学校生活でも〆切は山ほどある。例えば小学校でも各教科の提出物や,保護者と学校のやりとりの書類の提出の〆切があるだろう。

私達大学院生も〆切というのはある。私達の生活の上で大事なものの〆切といえば,例えば学会発表の申込みと,論文の投稿が大きなものかと思う。他にも研究助成金や奨学金への応募や,非常勤があれば授業準備や成績処理などの仕事がある。今回は特に学会発表や論文投稿の話。

大学院生の仕事の多くは,この学会発表と論文投稿になると考えている。というか研究とはなにかを考えた時,その成果を発表して,そしてそれが認められて初めて研究の意義が出てくる。だから学会に赴いて発表をするし論文を書いて投稿するのだろう。もちろん,業績づくりという意味もある。大学などをはじめとした研究機関への就職を考える場合,研究業績は欠かせない。もちろん教育歴も大事な要素であるが,研究業績で足切りされる場合も多いと聞く。特に私の分野(外国語教育学とか広く言えば応用言語学とか)は文系の中でもそういう志向が強いのではないかと思う(あくまで印象)。共同研究も含めて年に10件近く発表などというのは私の周りでは普通に行われているし,論文の投稿も複数回するのが普通である。というか今しかそういうことができないのでそうするということもあるかもしれない。少し話がずれた。とにかく,学会発表や論文投稿は私達の大事な仕事なのである。それは研究者の大事な仕事とも言えるだろう。ただし,大学教員になると研究する時間はフルタイムの大学院生と比べて圧倒的に減る。
そんな大事な仕事だからこそ,必死にやるわけである。本来であれば〆切間際に焦ってやることがないように計画的に進めるべきではあるが,どうしてもそうはならないことがある。〆切との戦いがある。

しかしながら,「オトナ」の世界には,「本当の〆切」なるものが存在するらしい。私は聞いたことしかないのでよく知らないが,聞くところによると,公になっている〆切を過ぎても「なんとかなる」場合が存在するらしいのである。守らなくてもいい〆切。しかしどうしてその公にはなっていない本当の〆切なるものの存在が流布しているのだろうか。そんなものは本当に存在するのだろうか。

ここからはほとんど私の想像で書く。

私達は,学会発表や論文投稿が主な仕事だと先ほど書いた。しかし,大学の先生方は他にもたくさんの「書き物」,「作文」と呼ばれるお仕事があったりするそうだ。詳しくは知らない。どうもそういったお仕事に「本当の〆切」なるものがあるようだ(他にもあるかもしれない。私の想像による)。

少し考えてみた。その「本当の〆切」が使えるのは,提出先の人が知り合いの同業者の場合なのではないだろうか。だからこそ,「ちょっとくらい遅れても許してもらえるだろう」と考えるのではないだろうか。そしてそう考える本人も,きっと別の仕事で「本当の〆切」の存在を知っているのかもしれない。そうやって,色んな所がそういう仕組みで動いているのかもしれない。確かに,〆切は余裕を持って設定しておくものであろう。全体の仕事に支障をきたさないように,万が一なにかあったときのために,安全策として早めに〆切が設定されると考えるのは自然なことである。

ここからは自分へのブーメランも含む。

その「本当の〆切」をアテにして仕事をするのはどうなのだろうということを考えた。「本当の〆切」があることによって,「どうにかなる」ということはあっていいだろうとは思う。

頑張ったけどもどうしても間に合わずにダメ元覚悟で土下座して出して受け取ってもらえた→次からはちゃんと〆切守ってよね→ありがとうございます!

みたいなのならなんかいいような気もしてくる。そんなことを言っても実際にこの遅れた人が「本当に頑張ったけどダメだったのか」「もともと遅れてもいいやと思ってやっていたのか」はわからないのだけれども。いやそうだとしてもだ。私は,個人的に,最初から〆切を守ろうとしない「ああ,あれは遅れても大丈夫(だろう)」みたいなのは好きではない。遅れて大丈夫かどうかは遅れる人が決めることではなく遅れたものを受け取る側が決めることだからだ。

もっとひどいのは,そうやって,自分がなにかをするときに遅れることは棚に上げて,「あれがまだ来ない」「あそこは仕事が遅い」とか人の仕事にケチをつけだす場合である。

これも程度問題なのかもしれないが。

権威主義的になるつもりもないし,年齢や役職で人を判断して,そこに媚びへつらうような生き方は私も好きではない。生きていくためにはそういうことも必要であるというのは認める。人間関係は大事であるしそれがこの先大事だとも思う。

ただし私は「本当の〆切」なるものの存在を見込んで仕事をしようとは思わないし,そこに関わる人達をみて仕事の質を変えるようなことはしたいとは思わない。少なくとも今は。何事にも100%で臨めない場合もある。自分の限られたリソースを振り分けてなんとか乗り越えなければいけないときに,そういう手段を取らざるをえない場合もあるかもしれない。私はまだない。それは業績がたりないからだと,もっと発表してもっと論文を書けと言われればなにも言い返せない。ただしそれは「本当の〆切」なるものを見込んで仕事をすることを正当化はしない。それを当てにしないとできない量の仕事ならば単純に減らせばいい。

大学院生は忙しいという。確かに忙しいとは思う。しかし先程も述べたように大学教員の先生方よりフルタイム院生の方が時間的余裕は絶対に多い。拘束時間も短い。守るべき家族がいるわけでもない(いる人もいるだろうが)。「本当の〆切」なるものの中で仕事を動かしている人たちとは条件が違うのだ。立場も違う。必要なときは立場が違えど物申すこともあるだろうし,研究の場では年齢や役職に関係なく対等に戦うべきであろう。しかし,「本当の〆切」なるもので世の中が動いていることを知り,そうやって仕事をする人たちを間近に見て,そしてその話が聞ける,ということと,私達が同様に「本当の〆切」なるものを見込んで仕事をするというのは違う。その「本当の〆切」なるもののが非常に特殊な条件(交互作用といってもいい)で効果を発揮することは想像に難くない。だれでもいつでもどんなときでも使えるものとはとうてい思えない。それに,単純に失礼であろう。取引先(という言葉が適切かはわからないが)の人たちの仕事をなめていると思われても仕方がないのではないか。どのような学会であれ,どのような学術誌であれ,そこに投稿する(発表を申し込む)ということは私達のためにプラスになる可能性があるからそうしているはずだ。国際誌,全国誌,地方学会の紀要,学内紀要,のようにランク付けがなされていたり,IFや知名度で泊がついたりつかなかったりすることもある。そうであっても,発表ができれば,論文が掲載されれば,私達は喜んでCVに1行書き足すであろう。だからこそ,「受け入れていただく」側の謙虚さはいつでも忘れずにいたいのだ。強気に出るのならば,〆切を守った上で,研究の内容で勝負しようじゃないか。そこで戦おうではないか。

長くなった。ここに書いたことは私の想像に基づく。想像に基づいて正論(ぽいこと)を書いた。糞真面目に正論と理想論語ってるだけじゃ生きていけないのはわかっている。こんなことを書いておいて10年後(いや半年後かもしれない)に「あそこは遅れても大丈夫」と言っているかもしれない。それはわからない。ただしここに自分が書いたことは忘れずにいたい。大学院生としてどうとか,研究者としてどうとか,そういうこと以前に,仕事をする人間として,〆切を守る。守ろうとする。そういう「オトナ」になりたいと私は思う。そうして初めて,誰かに〆切を守ってもらえると思うから。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

2013年の振り返り

どうもみなさんこんにちは。久しぶりの更新です。本当は書きたいネタが2本ほどあって下書き状態になっているのですが、忙殺されてアップに至らずさらにブログの記事よりまず書かなくちゃいけないもんあんだろうっていう後ろめたさがあって置いておいたらまあそのままっていう。こういうところで書いている以上誰かに見られるという前提でやっているわけですが、自分のライフログ的な意味もあるだろうということでつらつらと。

僕にとっての2013年は、何年後かに振り返ってもきっと重要な意味をもっているだろうなと思うような年でした。やはり一番大きかったのは、日本に帰ってきたことです。実は、新しくこちらのブログにうつったのは日本に帰ってきて夏くらいからなんです。考えてみると、2013年の半分はアメリカで過ごしたのでした。日本に帰ってきてからの日々が濃密すぎて、半年しか経っていないのにすっかり日本に慣れてしまいました。

アメリカでの最後の半年間を振り返ってみると、思い出すことは修論のことしかありません。本格的に動き出したのが本当に年明けくらいで、そこから実験を組んで、データを取って、分析して、論文にまとめる。卒論を書かなかった僕にとってはどれも初めての作業で、手探り状態でした。つねに「これでいいのかな?」という不安を抱えながらの毎日で、修論の出来は決して良いものとは言えませんでしたが、それでもあそこで僕ができることは全てやったという気持ちで提出しました。先生とはいろいろとやりあったし、納得いかないこともたくさんありました。それも今となっては良い経験でした。そして、この経験がなければ、もう一度研究に没頭したいと思うこともなかったように思います。

日本に帰ってきてからの半年間は、大きなことが2つありました。1つは教員採用試験です。もう1つは臨時的任用教員として、中学校で勤務を始めたことです。

1つ目。教員採用試験は、帰国して2週間後に1次試験を受けるという状態で、なかなか対策もできないままに、そして「教員になりたいという気持ちはあるのに身が入らない」というもやもやした気持ちを抱えながらでした。結果として、1次試験は無事に通過したのですが、2次の面接試験で不合格となってしまいました。「ダメ元」で受けたつもりが、1次試験を通過してしまったことで変な期待をもってしまい、2次試験に落ちたときは本当に落ち込みました。臨任として働き始めて1ヶ月半ほどのときの発表で、日頃の業務に支障をきたさないように必死でした。ずっとずっと憧れてきた教壇に立ったはいいものの、なかなか思うようにいかずに苦しむ毎日のなかで自信も失っていました。そこにきての「不合格」という通知。泣きましたね。泣きながら帰って、頂いたDMだったりメールだったりを見てまた泣き。あんなに泣いたのはいつぶりだろうというくらい泣きました。僕は、今年教採に受からなければ学校教員になるのはあきらめると決めていました。そうは言いつつも、土日は疲れ果てて研究の方にはまったく時間を割けずにずるずるとここまできてしまったという感じです。

2つ目。今の仕事について。夏休みあたりに某市に産休代替教員として採用していただけることになり、中学校で働き出しました。非常勤ではなくフルタイムで、授業は週に20コマ教えることになりました。実習以外での経験もなく、しかも2学期から入るという難しい状況でした。しかし、それを言い訳にはしたくないと思い、とにかく必死に毎日の授業をこなしていきました。授業の記録などはこのブログでも何回か綴っていますので、授業タグのついている記事をお読みいただければと思います。前任の先生との比較をされるのがすごくつらくて、自分の不甲斐なさを毎時間感じながら、それでもまた授業をしなくてはいけない毎日。いやーつらかった。いや、まだ終わってはいないのですが。英語を教えるっていう以前に、「教育者」には自分はなれないなぁという思いが強いです。とくに中学校では、授業の時間が一番長いにも関わらず、それ以外のものがしめるウェイトがかなり大きいんですね。ほんと「人を育てる」というところ。そのためにいろんな取り組みがなされるわけですし、生徒指導や生活指導や教育相談なんかの重要性も僕が思っていた以上に高かったです。そういうのが好きな先生もいるのでしょうが、僕はなんかあれもだめこれもだめとか縛り付けたり、それ意味あるの?って思うようなことをやらせる「学校」っていうシステムに自分が適応できないと思ってしまったんです。あれこれ大人の理屈を子どもに押し付けて型にはめるようなのが、どうしても自分にはできないなと。そういうことやらないと収集付かないことになるっていうのもわかるんですが…とにかく教員ていう仕事に関してネガティブな気持ちしか持てなくなってしまいました。

そして、僕は博士後期課程への出願を決めました。落ちたらこれまた4月からどうするかを考えなくてはならないわけですが、とりあえず今は名古屋大学大学院への進学を目指して、研究計画sy(ry

はいやりますやります

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

先週一週間を振り返ろう

※前半はただの日記です

8/6 LET前日の飲み会 (当たり前ですが)初めてお会いする方がほとんどでしたがとても楽しかったです

8/7 配属先の中学校へ。引き続きとか。その後遅刻してLETのワークショップへ。Excelの関数とかの最初の話ちゃんと聞きたかったなと後悔。効果量についての話は、この話を聞いていたのでJASELEのワークショップの話もすんなり入ってきました。

8/8 7:25羽田発の飛行機で函館へ。前日午前0時を回ってから帰宅し初電の4:59の電車に乗るというタスクを遂行。朝市→赤レンガ倉庫→五稜郭タワー→函館山と1日観光。美味しいものもたくさん食べました。

夜に行った居酒屋さんは根ぼっけを売りにしているこちらのお店↓

http://tabelog.com/hokkaido/A0105/A010501/1004944/

ほっけの刺し身がどうしても食べたいと思っていたので満足でした。値段設定はやや高めだと思いますがコスパはいいと思います。

8/9 函館は大雨。もちろん傘なんて持っていない僕はホテルから目の前の函館駅まで土砂降りの雨に打たれながら走りました。大雨の影響で電車は運休で人が溢れかえっていました。幸い僕は高速バスを予約していたのでセーフ。5時間ほどバスに揺られて札幌入り。

札幌は美人が多い!しかも想像以上に都会!こんなに栄えてるんだなあと。モントリオール、ボストンについで僕の住みたい街ランキングの3位に入りました。しかし3日間いても縦と横がこんがらがって自分がどっちに向かって歩いているのかよくわかりませんでした。前夜祭では集金係ということで社会人基礎力が試されたわけですが2次会は僕も酔ってたのでこうなんかはいすいませんでしたやっぱり早いうちに集めるのが吉なんだなと思いました。

そんなわけで2日間の学会(http://www.heles-web.com/jasele_hokkaido/)が始まったわけなんですが、主に特別講演とシンポジウムを聞いて思ったことを(ここからが本番という意味でのBold)。

白井先生のお話を生で聞くのは初めてのことでしたが、まあ一応言語習得の勉強はしてきたつもりなので内容に特に目新しいことがあるわけではなく、さらに白井先生も「俺はこれが正しいと思っている」というような自分の信念を前面に出すような語りではなかったのが印象的でした(そういう意味ですごいうまいなと思いました)。あくまでも、言語習得研究でわかっていること、まだわかっていないことをしっかりと提示しつつ、これからどうしていくべきなのかというのをわかりやすくまとめられていました。

特別講演での白井先生の話は下記ブログ記事にまとめられているので(ほんとよくこんなことできるなと思いますw)そちらをどうぞ。

外国語学習の科学~SLAの知見をいかに英語教育に活かすか(ピッツバーグ大学・白井恭弘先生特別講演)@全国英語教育学会 – ◯◯な英語教員に、おれはなる!!!! http://bit.ly/15Gvsm1

僕は別に今は教員をやっているわけでもなく、かといって研究者(の卵)としてゴリゴリ研究やってるわけでもないというなんとも宙ぶらりんな立場でこの学会に参加したわけですが、それでもこれから公立の中学校で臨採やることになっているので、そのことを考えながら聞いていたんです。インプットの大事さっていうのはそうなんですよね、でも基本的に中学校って、毎レッスンごとに新しい語彙、新しい文法があって、それを導入して、本文の音読なりやって、まあそのあとにアクティビティ的なものがあるわけなんです。だから、「わかる英語を大量に」っていうのが普段の授業ではなかなか難しい。リスニングとかも、結局選択問題を解くためのリスニングになりがちで(もちろん理解の補助のためにそういう問題があるわけなんですが)、その先がない場合が多いんじゃないかと。

で、実際の教室で、30とか40人の生徒がいる中でSLA研究の知見からわかる正しいことをやればいいんだっていうのもちょっと強引なところはあるわけで、それを「こんな素晴らしい実践やってる先生だっています(だからできる)」とかって成功例だけ見せれられても、「はいはいその先生だから(できることでしょ)」とか「その学校だから(できるだけでしょ)」ってなっちゃうんですよ(たぶん)。「困難校でも素晴らしい実践」とかも、指導法とか技術云々の前によくわかんないけど「その先生がフツーにすごい」みたいなとこあるんじゃないかと思うんです。でそういう「その先生のなにが良い実践を生み出しているのか」がしっかり質的に記述されていくことはすごく大事だと思うんですが、それよりもむしろ「うまくいきませんでした」という事例研究のほうが大事なんじゃないかなと思ったりします。どう考えても成功事例の方が少ないわけですから(もし成功事例が多かったら今こんなことになってないはず)、成功事例の分析って成功した先生とその周りの研究者くらいにしかできないんですよ。例えば書籍やDVDなんかでその成功例がシェアされたとしても、そんなことはずっとずっと前からいろんな先生がやってるはずなのに、それを読んだ先生が自分の実践でもうまくいきました万々歳だったらもっと成功例増えているわけじゃないですかでも現実はそうなってない。本に書いてあるようにやってみたけどできないとかそもそも本に書いてあることをどうやっても自分の現場ではできそうもないってなってるわけじゃないですか。そこで、「なんでできなかったのか」のシェアですよ。「なにがうまくいかなかったのか」は全国の教員がだれでもできる。だから、なんかいろんな勉強会とかもカリスマ教師とか良い実践をやっている先生とかが呼ばれて「私はこうやってうまくやってます」とか言うのじゃなくて、自分の失敗をしっかり考察して、それを持ち寄る会とかにしたほうが有意義なんじゃないのかとか思うんですよ。で、そういうのを引き取って原因を分析したり分類したりする研究者がいて、それをフィードバックして、っていうことができれば。そのためには、例えば授業動画の公開という話がシンポジウムでありましたがそれも1つの方法だと思います。ただ現実問題、広く授業動画をシェアしようとなると生徒の顔が写っていたらダメだという問題があります。そう考えると、だれでもウェブで授業動画を公開できるということでもなく、やはり既存のプラットフォーム以外の形が必要になってくるような気もします。また、ただただ授業動画アップするだけじゃなくて、やっぱりある程度までは自分での考察が必要だと思うんですよ。前の記事にも書きましたが、切り取られた1つの授業だけを見て言えることなんてほとんどないに等しい。そこに考察があれば、見る方もポイントを絞って見れるしアドバイスもできるかもしれない。そういったプラットフォームができたらすごくいいな(誰かはよ

これから自分が本当に授業して、あろうことかこんな経験ゼロの若輩者があろうことが本採用の先生と同じ額の給料までいただいてしまうわけですから、そこをよく考えて自分の仕事を全うしたいと思います。このブログもできる限り授業でやったことうまくいかなかったことを書いていけるといいなと思います。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

P.S. 自分の発表は知り合いの方を含め10人くらいの方に来ていただいてありがとうございました。久しぶりに英語を喋ったのですっごいダメでしたし(発音でaccuracyとfluencyをごまかす芸風です)、発表の内容的にもさしてツッコミがなかったのであまり伝わってなかったんだなということとそれだけ面白くなかったんだなと思いましたすいませんでももし博士にすすむことになったら発表の内容のような問題意識で研究がやっていければなとは思っております。資料はこちらにあります。

NY旅行記-4

はい。これがたぶんラストになると思います。NY旅行記。最終日のことはちょっとTwitterに書いたのでもういいかなとw

 

遅めの高級ランチからの午後

来てしまった。せっかくだし…うまいもん食ってみようと…サーロインステーキ(サイドなし)$○○((((;゚Д゚)))))))

ばちあたりそう
でもすっごく雰囲気はいい。抜群にいい。デートで来たいね…
ちなみに夜もBBQ食いに行くつもりw
Tシャツダメか…ドレスコードありか…と思うほどのシャレ乙感
一人客はほとんどいないかな。ましてアジア人僕のみ。いまなんか変なパンを持ってきてくれたお兄さん日本人ぽかた。最初対応してくれたお兄さんはまじディカプリオイケメンすぎワロスレベル
これね。パンの上にローズマリーがのっててとてもいい香り。おいしい。パン自体は塩気なくて上に塩まぶしてある。一緒に出てきたバターも無塩だった。
 そしてきましたよお肉。
ちょっと焼きすぎじゃ…と思ったが切ってみると絶妙。しかしやや塩気強すぎる気がした。それでも特製のステーキソースつけてもうまし。ケチャップとかBBQソースがベースのような感じだけどもっと上品でいろんなもの混ざってた。…奥の小鍋はほうれん草のクリーム煮?炒めたというよりはペースト上のほうれん草というかんじ。バター効いててこれもうまい。
ステーキうますぎてやべえ…肉肉しくてかみごたえあるのに硬すぎない。これぞステーキ。18ozだっけか?お腹いっぱい。もう夜ご飯いらないというか5年くらいステーキ食わなくていいわ…むしろ一生ステーキ食えませんこれが最後ですって言われても後悔ない。お会計チップ抜き$○○((((;゚Д゚)))))))飲んでもいないのに○○○○円とか有り得ん((((;゚Д゚)))))))ぶっちゃけこのステーキならサラダとか頼んで二人でシェアしてもいいのかも。女の子はまず食いきれないだろう。
店を出て、地下鉄に乗りワールドトレードセンター跡地へ。新しいビルが建設中のようで特になんてこともない(メモリアルパークみたいなのも建設中みたいでした)。そのまま歩いてマンハッタン島最南端へ。自由の女神像を海の向こうに拝む。島行きのフェリーは$17するらしく断念。というか歩くのがもうしんどすぎる。チャッカブーツきつい。ウォール街近くのブロードウェイの歩道にはホームレスみたいな若者がいて、この若さでホームレスとか夢も希望もねえなと思ったけれど考えてみると、まだオキュパイしてるってことか?もう喉は渇いて仕方ないし疲れたしでどうにか休みたくて、スタバ入ろうか迷ったけどダンキンあったのでダンキンでラージアイスコーヒー買って、広場で座ってこれを書いている。夜遅くにお腹は減りそうだが…というか夜はバーでビール飲もうと思ってたけど我慢できずにコーヒーがぶ飲みしてるしな…これ以上歩いていい感じのバーを探す気にもならないし。今日は早めに戻ろうかな(´Д` ) むしろ昼での分も使い果たしたに等しいわw
一人旅が楽なのは、こうやって無駄に歩き回って疲れても気を使う必要がないこと。誰かと一緒だとこんなに疲れるまで歩き回りたくないし、一緒にいる人とそれで喧嘩になっても嫌だ。まあだからこそ用意周到な計画が大事なんだけれど、それはちょっとめんどくさい。気軽にふらっと行って、行き当たりばったりでフラフラする。それがいいのです。というかなんか留学生の変なプライドで、「俺は観光客じゃない」みたいなのあるんですよね。まあ留学生も広義には「お客様」なんですが。でもなんかアメリカ来て観光らしいこと初めてした。てええええええ封鎖されたんだがwwwwwwww 出れないwwwwwwwww
 

おわりに

結局このZuccotti Parkは柵で囲まれてて出入口が一箇所。そこに警備員の人が立ってて一般の人は出入りは自由でした。それでも見計らったように一斉に柵を張り巡らせたのにはびっくりしましたね。上の写真にあるように柵の中からおじさんおばさんが必死に訴えているのを外の若者が熱心に聞いていたり、太鼓たたいたりサックス吹いてるおじさんを観光客が写真を撮っていたりと観光名所化しているような印象も受けました。ランチしたレストランは検索するとメニューが見れて値段がばれちゃうので秘密にしておきます(まじでほんとこんな高い物食ったとか…うわ…なにをすr)。