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英語嫌いと体育嫌い

はじめに

体育がきらい (ちくまプリマー新書 437)

英語と体育ってなんか似ている部分もあるのではないかと思いながら手にとって読んだ本。そこから色々考えたことを書きます。

英語と体育って似ている

英語指導って,結構体育会系のノリで,とにかく練習あるのみとか,根性とか,忍耐とか,そういうのも実際ある気がしています。そういう側面が言語学習に全くないと否定するつもりはないのですが,そういうのが前景化したときにそれに対して拒否感を覚える人がいることを忘れたくないなと思います。

体を動かすことやスポーツで全員がプロアスリートを目指すわけではないのと同じで,英語だって,みんながそれぞれそれなりのレベルで,でも英語を使うことや英語を学習することにポジティブに向き合って,自分の成長を感じられる,そうであれば良いはずだと思います。

運動は健康との繋がりがあるので,そういう,自分のペースで,自分にあったレベルで,とにかく続けることがいいと言いやすいというのはあるかもしれません。メンタル的にも運動でリフレッシュされる部分はありますしね(このあたりは非専門家なので感覚で言ってますが)。ただ,言語学習ってなかなかそういうのを感じにくい部分はあるかもしれません。運動に比べると。

運動の分野でも,どれくらいハードなトレーニングをやっているかとか何キロ挙げたとか何キロ走ったとか,そういうので競争する人たちはいるでしょう。でも,そういうのにコミットしない人もいるはずです。言語学習は何かみんなが競い合っているような感じがしてしまうんですよね。そこに,体育会系っぽい要素を感じずにはいられません。先日anf先生とお話したときに,「英語マッチョ」という表現がまさに英語と体育会系というものの親和性の高さを表しているよねなんていう話題も出ました。

本を読んで印象的だったこと

私が本を読んで印象的だったのは以下のことです。

  • 好きにならなくていい(体育好きが体育教師になるし体育を好きにさせようとする)
  • 「まずやってごらん」という先生の一言が体育が苦手な人にとってきつい
  • 体育の授業を少中高大と経験しても,大人はお金を払ってジムに通わないと自分の体をコントロールできない(体育の敗北)

どれも,英語との類似点だと思ったからこそ印象に残っています。1つ目は,英語が好きな人が英語教師になるし,英語教師は英語を好きにさせようとする,英語(言語)ってこんなに面白いんだよとアピールしてくる,というように考えると,結構当てはまるよなぁと。他の教科がどうなのかわからないですが。もちろん,そのポジティブさが英語学習に対してポジティブな態度の学習者を増やしている側面は否定できないでしょう。それ自体が悪ではありません。一方で,著者の結論は,好きか嫌いかの二択にしなくていいし,その間にグレーゾーンがあるというものです。つまり,「嫌い」にはなってほしくないけれども,「好きにならなくてもいい」ってことですね。

2つ目は,私も結構こういうスタンスで授業をやってしまっていると思いました。体育というのは,自分の体がみんなの注目を浴びることになるので,とても辛いという話です。とくに,跳び箱やマット運動など,一人ずつやるような種目だとどうしても自分がやっているところを誰かが見ていることになりますよね。そこで,苦手な子に「まずやってごらん」と言うのは体育が苦手な人にとってはとても苦痛だということです。英語でいうと,みんなの前で音読したり,みんなの前で英語で発表したり,意見を述べたり,というのが自分のことば(体の一部といってもいいでしょう)がみんなの注目を浴びるという点で類似性があると思いました。基本はペアワークやグループワークでも,その成果をクラス全体で共有したいですよね。せっかくだからそこも英語でやりたいと思いますが,クラス全員の前で英語を口にする機会,やはり結構ハードルは高いですよね。

よくある,「英語っぽい発音が笑われる」という話や,その逆で「発音に自信がないから恥ずかしい」というのもつながるものがあるかもしれません。まず,どんな言語だろうが,母語話者だろうが第二言語話者だろうが人が喋っているのを笑うなと言う話なんですけども。体育でもそうなんですが,仮に周りがどんなにサポーティブな雰囲気でいてくれたとしても,やっぱり自分自身が自分の体やその動きを「無様」なものだと思ってしまったらみんなに見られたくないと思うのは当然ですよね。

3つ目は,語学教育ビジネスと相似系だなとすぐ思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。小中高(大)と英語を勉強しても,お金を払って英会話学校に通ったりオンライン英会話プログラムに通わないと言語学習ができない,ということですよね。本屋さんに行けば語学関連書籍がたくさんあったり,テスト対策本もたくさんあったりしますよね。書籍があれだけあるのも,売れるから,ですよね。「痩せる」とか「ムキムキになる」とかを煽るのと,「ペラペラ」とか「ネイティブのように」を煽るのは,似ているよなとやはり思ってしまいます。ただし,書籍は基本的に自学なので,ジムに通うこととはまた違うのかなとは思います。

そうは言っても,自律的に言語学習をする術を身に着けさせることなく社会に放り出しているのかもしれない,とは言えると思います。大人がジムに通うことを体育の敗北と呼ぶならば,英語学習についての現状は「英語の敗北」と呼べるのかもしれません。

おわりに

体育も英語も,その教科に対してポジティブなイメージを持っている人が一定数いることは事実でしょう。だからこそ,そのイメージを誰しもが持っていると思い込んでしまいがちです。そこで立ち止まって,英語嫌いや体育嫌いを考えてみることが大事なのだと思います。これって別に一般的に多くのことに当てはまることで,陳腐な言い方をすれば「客観視をする」とも言えるかもしれません。「体育会系っぽい」授業を自分がしていないか,振り返って考えるいい機会になりました。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

[読書感想] ナーゲルスマン流52の原則 ②

はじめに

前回の記事が長くなってしまったので,後半です。

原則37:ダイヤモンドは圧力によって育てられる

ダイヤモンドは圧力によって育てられる。選手が特別なパフォーマンスを引き出すには、特別な重圧が必要だ。特に、過去に多くの成功を収めてきた選手には

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プレッシャーがかかることによってそれがより良いパフォーマンスを引き出す事ができるということですね。多くの成功を収めてきた選手ほどどこかに慢心が生まれるかもしれない,そこの余地をなくすためにも重圧のかかる場面というのは重要ということもあるのかもしれません。私自身は「重圧」というわけではないかもしれませんが,自分が成長できる機会があればトライするということは心がけるようにしています。

原則39:気分屋タイプを受け入れる

すぐにベンチに座って、仲間を応援できる選手もいる。もちろんそれがベストだ。でも、それが苦手な性格の選手もいる。レロイはきっと自分自身に腹が立っていて、その姿を誰にも見せたくなかったんだろう。そういう気持ちを理解してあげるべきだ。監督として問題視していない。イライラしてベンチに座るより、ロッカールームで自分と向き合った方が効果的な時もある」

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途中交代した選手がベンチに座らずロッカールームに戻ってしまった,そのことについてのナーゲルスマンのコメントです。なかなかこんなコメントできるもんじゃないですよね。Jリーグでは元C大阪(現清水)の乾選手が途中交代後に監督との握手を拒否,その後のロッカールームでも素行が悪かった等が原因でクラブから活動停止の処分を受け,結局C大阪を退団するということがありました。実際にどういうことが起こったのかはわかりませんし,この引用部分で紹介されている選手の素行と単純に比較はできません。ただ,選手個人の個性として受け入れるところにナーゲルスマンのすごさがあると思いました。その後にこういう発言も紹介されています。

私はサネのようなタイプが好きなんだよ。人によって意見が分かれるところがあるかもしれない。ただ、それは彼が人が理解できないような発想をするからなんだ

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チームとしての規律はもちろん大事,ただ,多様性のない組織にはもろさもある。きっとそういうことを考えているのでしょう。人とは違う発想ができること,その創造性がもたらす効果をポジティブにとらえてチームマネジメントに組み込む姿勢,そしてそれができる監督としての力量,そこがナーゲルスマンを一流の監督にしている理由なのかもしれません。

原則41:社会問題に対して、自分の立場をしっかり発言する

公的な立場の人間には、社会的な責任が伴う。黙って他の人が答えるのを待つ、というスタンスは取るべきではない。社会問題に対して自分の立場をしっかり持ち、それを表現することが大事だ

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これができる人も多くはないでしょう。とくに,社会問題に対してはなかなか発言がしにくいことは想像に難くありません。しかしながら,監督という仕事には社会問題に対して自分の意見を明確に表現することも含まれると考えていること,そしてそれを実行できる覚悟があることは尊敬に値します。研究者は「公的な立場の人間」とはまた違うかもしれませんが,社会問題に対して自分の立場を明らかにする人はあまり多くありません。私もその一人です。言及する問題にもよりますが,やっぱり発言するまでに要する思考と時間が私にとっては負担が大きいと思うことが一番の理由です。瞬発力がある人なら的確なコメントがすぐに出てくるのでしょうが,私はそういうタイプではないので。言い訳っぽいですが,私はまだナーゲルスマンのようにはなれそうにありません。

原則42:魅力的なサッカーを展開する

もしホームの観戦に45ユーロ払ってシュートがわずか2本で0‐0のドローに終わったら、ファンはどう思うだろう?そんな試合が日常になったら、サッカーに未来はない」

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勝利するだけでは十分ではない,圧倒的に勝つことを是とする姿勢は,現在のJ監督でいうと2連覇中の川崎F鬼木監督が思い浮かびます。毎試合必ず3点取る,ということをよくインタビューでも述べていますし,勝てばいいのではなく観客を魅了する試合を見せた上で勝ちたいという気持ちが試合後のインタビューでもよく伝わります。

2点取られても3点とって勝つという攻撃サッカーで一時代を築いたわがガンバ大阪も,近年は低迷が続いていて得点数も基本はJ1で下位。ナーゲルスマンのように魅力的なサッカーをしたいという願望は監督も選手も持っていることでしょう。しかし現実はなかなかそのようにはいかない。残留争いというのは辛いものですね…

原則43:好きなように生きる

もし仕事上で自分を偽らなければならない日が来たとしたら、もうその仕事をやろうとは思わない。私は他の人が望む人間になるのではなく、自分が望む人間になりたいんだ。自分の考えを口にできなければ、もはやそれは自分ではない

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これは仕事を今後続けていく上で指針にしたい言葉だなと思いましたね。なんとなく,この引用を読んでも「そうは言ってもね…」という人もきっとたくさんいるのではないかと思います。自分がそう思わないということ,少なくとも今は自分の考えを口にできるということ,どちらも良かったなと思います。

原則44:間違ったら、潔くミスを認める

私は自分の意見をはっきり言うタイプだ。同時に、もし自分がミスをしたら謝る人間でもある。

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これ,教師という役割を演じているときは特に難しいなと思います。やっぱり,教師は正しくないといけない,間違ってはいけないということを児童・生徒・学生も思っているでしょうからね。同じことが,「知らないことは知らないと言える」ということにも当てはまると思っています。教師はなんでも知っていると思われていて,そして知らないということは学ぶ側からの信頼が低下する要因になりうると思ってしまいがちです。実際そういうこともあるでしょう。ただ,私は間違ったら潔くミスを認める教師,そして知らないことは知らないから調べると言える教師であり続けたいなと思います。

原則51:オートマティズムの罠にはまらない

判断が伴わない「自動化」には限界がある

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オートマティズムには他のデメリットもある。選手がその瞬間にふさわしいと判断して行動するのではなく、『練習したからやらなきゃ』という思考停止に陥らせてしまう恐れがある。

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これは言語教育における機械的な練習に対しての批判としても捉えられるかもしれません。よく,考えなくても口をついて出てくるくらいに練習するとか,それが言語能力の基盤になるというようなことを見たり聞いたりします。サッカーと言語使用はまた違うかもしれませんが,言語使用場面でも様々な判断が求められることは普通にあり,その判断力を養うことが重要なのだと思っています。思考停止に陥る可能性についても同様ですね。

学習者に様々な場面で判断が求められる課題を課すこと,そして,その判断の指針を提示すること,これを意識して授業をやっていきたいですね。

COLUMN:名将たちとの縁

すべての局面を包括して考える

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これは,トーマス・トゥヘル(現チェルシー監督)の練習をナーゲルスマンが描写している場面です。シュート練習,パス&コントロール練習といったように個別に取り上げたり,アップ->基礎練習->試合形式の練習のように線形で考えるのではなく,「試合をトレーニングにマッピングする複雑な練習をしていた」とナーゲルスマンは語っています。この考え方を言語教育にも応用できないかなというのが,ちょうど1年前くらいからずっと考えていることです。

おわりに

教師論,授業論,仕事論,そんなレンズを通してこの本を無意識的に自分が読んでいるのだなと思いました。サッカー観戦それ自体はサッカーを純粋に楽しんでいますが,サッカー関係の書籍,特に指導とかが関わってくるものだとやっぱり自分の仕事とかに引きつけて読みがちですね。色々と刺激をもらうことができました。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

[読書感想] ナーゲルスマン流52の原則 ①

はじめに

サッカーファンとして,ナーゲルスマンという人は名前は知っているけどそこまでどういう監督かということは知りませんでした。footballista会員になってからはよく名前を見るようになり,サッカーのトレーニングと語学教育みたいなことを考えることも最近は多いので,それで気になって読んでみたという感じです。

過去のサッカー×語学教育の記事

今ならその内容の一部について解説しているコラム記事がfootballistaで無料(7/24公開なので今月末までと思われます)で読めますので,気になる方はまずそちらをお読みいただけるといいのではと思います。

サッカーファン視点というわけではありませんが,色々なるほどなと思うところがいくつかあったので当該部分を引用しながらちょっとした読書感想記事を書いておきます。気になった部分はやっぱりサッカーの部分よりも「第2章 指導・人生の原則」のほうが多かったので,そちらが多めの読書感想です。

原則4:シュタイル・クラッチュで奇襲する

「例外のない規則はない」(Keine Regel ohne Ausnahmen)

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「シュタイル・クラッチュ」はいわゆるポスト役の選手が後ろの味方にダイレクトで落とすポストプレーですが,その際に角度をつけること(つまり真正面ではなく,斜め方向に落とすこと)をナーゲルスマンは求めているようです。この前までの部分で,ナーゲルスマンはダイレクトプレーよりも2タッチのプレーを好むという原則が紹介されています。なぜなら,ダイレクトプレーでは正確性に劣るからです。一度ボールを止めてから蹴るほうが正確にキックできるので,基本的には2タッチプレーというのが「規則」というわけです。ただし,「例外」としてシュタイル・クラッチュというダイレクトプレーも使うということです。言語(使用)も規則と例外が混在するものです。ただ,学習者は規則の方に縛られがちで例外に対しての寛容度があまり高くないというのが個人的な印象です。規則の提示やその発見は意識しつつ,例外との付き合い方とでもいうようなものをどうやって授業で扱っていくのかというのは教師としては悩ましいところです。

COLUMN:「個人主義者」:「チームプレーヤー」の公式

ピッチ上の安定性がとても大事だ。だから7人の『チームプレーヤー』と3人の『個人主義者』を先発に選ぶ

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これはチームマネジメントというかそういう点でなるほどなーと思いました。ちなみに,このあとの場面で,チーム戦術の練度があがってきたら徐々に個人主義者の割合を増やしていくというようなことも書いてあります。ここでもあくまで7:3は「原則」であるが,それだけに縛られるわけではないということですね。ガンバ大阪では誰が個人主義者で誰がチームプレイヤーなのかなというのももちろん考えましたし,自分が所属する学部や学会の運営組織など,色んなところでこういう法則を考えたくなりましたが怖くなってやめました。

原則31:戦術は30%、残り70%は人身掌握

結局のところ、100%正確にタスクを実行するものの50%しか気持ちが入っていない選手より、常に正確にタスクを実行できるわけではないが100%気持ちが入っている選手の方が試合ではるかに効果的なんだ」

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この部分を読んだときに真っ先に思い浮かんだガンバ大阪の選手が倉田秋選手ですね。彼はここ数年パフォーマンスが落ちていて,サポーターの間でももう放出したほうがいいなんて言われることもしばしばあります。しかしながら,彼は今シーズンのキャプテンですし,怪我で離脱しているとき以外はほぼ必ず試合に出ます。そして,試合に出ればやっぱり彼はサポーターが見ていて「気持ちが入っている」と思わせるプレーが印象に残ります。思わず拍手を送りたくなるような,頑張れと応援したくなるようなプレーを見せる。そういう選手なのです。もちろん,無鉄砲にプレスにいくことで空いたスペースを使われるなんてこともあるのでただがむしゃらにボールを追いかければよいということではないんですが。ただ,倉田選手が使われるのはこういうところかもしれないですね。ちなみに,見ていて「気持ちが入っている」といつも思うガンバ大阪の選手でいうと福田湧矢選手もその一人かなと思います。

この原則では,ナーゲルスマンが選手とよくコミュニケーションを取るという話が出てきて,それがすなわちマネージメントにおいては7割は人心掌握だということなのですが,まさに今のガンバ大阪の片野坂監督もそうなのかなと思うところは多いです。もちろん,戦術家として知られているわけですが,選手たちのコメントからは,また,ガンバ大阪への移籍を決断する選手のコメントからも片野坂監督が優秀なモチベーターであることは明らかです。きっと,人心掌握というところも大事にしているのでしょう。私は相変わらず下っ端も下っ端ですが,自分が全体をマネージメントする立場にたったときのことを想像すると人心掌握って難しいなと。そういうコミュニケーションが苦手なので。

原則34:特別と普通の違いはわずかなエクストラ

「普通と特別の違いは、わずかなエクストラ」(The difference between ordinary and extraordinary is that little extra)

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このセリフは,アメフトのヘッドコーチ,ジミー・ジョンソンの名言で,それを会見でナーゲルスマンが引用したことがあるということで紹介されています。ナーゲルスマンはアメフトのファンで,アメフトからの影響も受けているらしいです。

天才というか,スターというか,そういう人,すごいなこの人って思うような人たちと自分のような凡人の差って,本当にその”little extra”だよなぁと思いました。けど,その”little extra”が少しのように見えて,その少しを実現できるかどうかっていうのは本当に自分自身だけの力ではなかなか難しいんですよね。私の場合,周りから受ける影響でその”little extra”を頑張ろうと思うことが多いです。

教員としても,向上心をもって勉学に励む学生にそんな”little extra”を頑張ろうと思えるような働きかけができるようになりたいなと思っています。

原則35:罰則で組織をハッピーにする

さまざまな罰を書いたルーレットを回し、違反した選手がダーツを投げて刺さった箇所の罰を実行するというものだ。

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私たちは新しいやり方を考案した。まずクラブに携わる全スタッフに、金額に応じて欲しい物をメモに書いてもらう。ルール違反をした選手は箱の中からメモを引き、そこに書かれている物を対象の従業員にプレゼントするんだ。最近は、クラブに出入りしている清掃業者のスタッフが旅行チケットをゲットして喜んでいたよ。一体感を強める効果があると確信している」唯一の例外は監督だ。ルール違反をした時ではなく、試合に勝利した時に箱から1枚引かなければならないのである。これもチームの雰囲気を明るくするのに一役買う。

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このアイデアはなるほどなと思いました。もしも学級担任を持つようなそういう学校教員の仕事をしていたら,自分のクラスで似たようなルールを導入していたかもしれません。もしかしたらすでに実践されている方もいるかもしれませんね。遅刻をしたとき,提出物を忘れたとき,物を壊してしまったときなどにダーツを投げるとか,くじ引きをするとか。ちなみに,ダーツには「バツなし」というのも含まれていると書いてありました。また,どんな組織でもこういうことをするのではなく,RBライプツィヒではこういう取り組みをしていたけれどもバイエルンの監督になってからはよくあるような「XをしたらY円罰金」のような「ペナルティカタログ」を作るやり方にしていたようです。チームの雰囲気・風土に合わせて柔軟にやり方を選択できるというのも,ここまで見てきた臨機応変さと通底するものがあります。

おわりに

ちょっと長くなってきたので,ここで一旦この記事は終わりにして,続きは別の記事で書こうと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

サッカーと英語教育の交差点(3)

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はじめに

第二弾で書いていた記事が結構長くなってしまったので,後半部分を切り出して第三弾の記事として別に公開することにしました。これまでに書いてきた記事は以下の2本です。

サッカーと英語教育の交差点(1)

サッカーと英語教育の交差点(2)

本記事でも引き続きこの本の内容についてです。

ゲームモデルとプレー原則という考え方

書いてあったことの理解を確認する意味も含めてちょっと長いですが説明

この本でもう一つ特徴的なのは,ゲームモデルとプレー原則という概念です。ゲームモデルとは簡単にいうと,試合でどういうサッカーをやるか,です。そして,それを表現するために,主原則,(=目的),準原則(=自己組織化の手段),準々原則のように階層的に原則を作ります。サッカーという競技は攻守が激しく入れ替わるスポーツですが,その中でも「4局面」という形で以下のように場面を分ける考え方が主流です。

  • 攻撃時
  • 守備時
  • 攻撃から守備への切り替え
  • 守備から攻撃への切り替え

しかしながら,「攻撃時」=「ボール保持」としたら,攻撃時というのも相手がハイプレスに来たときにどうやってプレスを回避するか,そしてどうやってボールを前進させ(ビルドアップして)敵陣に侵入するか,敵陣に入ったらどうやって相手の守備組織を崩してゴールを奪いに行くかといったさらに細かい局面があります。よって,その局面ごとに原則を決めることになります。ゲームモデルが必要な理由として著者は以下のように述べています。

なぜゲームモデルが必要かと言えば、複雑系であるサッカーチームをマネジメントする上でメリットがあるからだ。理由は主に3つある。

①自己組織化を促し、創発現象の恩恵を得る

②システムのレジリエンスの向上

③システム全体の目的/目標の共有による全体最適化

いずれもシステム思考に基づいた概念であり、システムを上手く機能させるためのツールとしてゲームモデルというフォーマットが考案された。

山口遼. 「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編 (Japanese Edition) (Kindle Locations 509-515). Kindle Edition.

自己組織化とは,複雑系において組織的にすることを目的として外からなんらかの手が加えられることなく,自律的にシステム化することです。前回の記事の中で引用したイワシのトルネードでは,イワシの一匹一匹はああいったトルネードを形成して大きな塊をなし,天敵である大きな魚から身を守るわけですが,イワシがそういう目的を理解しているわけではありません(あくまで動き方のいくつかのシンプルな原則を守っているだけ)。サッカーでも同じように,プレー原則を意識したプレーをさせることで,サブシステムの自己組織化を促して,個人の能力の足し算以上のものを引き出そうということです。

レジリエンスはシステムの変動が起こったときにそれを元に戻そうという回復力と言われます。サッカーでいえば,相手の攻撃によってポジションバランスが崩されたときに,それを元に戻そうとすることが例として挙げられています。自分たちの状況が悪くなったときに,それを立て直そうとする力とも言えるでしょう。これを可能にするのは,個々人が共有された原則にしたがって行動することに他なりません。たとえば相手のカウンター攻撃を受ける可能性がある際にはまずゴールに最も直結する可能性の高いピッチ中央部分を埋める動きを取ることが原則の一つとしてあったとします。仮に自分の持ち場が右サイドだったとして,中央部分が手薄になってしまっているのに自分の持ち場に戻ることを優先して攻守の切り替えで右サイドに戻ってしまえば,がら空きの中央を突破されてしまうことになります。これでは失点のリスクが高く不安定です。よって,こうした場面でもシステムを安定的に維持するためにはプレー原則が重要になるというわけです。

ちなみに,①と②を達成するために大事なのは,「局所的でシンプルなルールである」ことだと著者は述べています。複雑すぎれば一瞬の判断に適応することができませんし,特定の局面における原則でなければ試合中のどのタイミングでその原則を適用すればいいのかの判断もできません。よって,様々な場面に適応できるくらいの局所性(上述のプレス回避とかビルドアップとか)で,なおかつシンプルなルールでないと,逆に頭でっかちになってしまい良いプレーが生まれないことになってしまいます。

最後の全体最適化は,チームが目指すべき方向を「全体で」共有しておかないと組織がうまく回らないということとともに,うまくいってないときに原則という立ち返る場所があるとも言えます。一番上位の主原則が変わればサッカーは(システムは)まったく違ったものになりますから,システムがうまくいっていないときにそこに介入する手段として,プレー原則をもっておくことが有効であるということになります。

言語教育にも有用な概念では

さて,このあたりは複雑系の込み入った話が多いので少し説明が長くなってしまいました。私は,このプレー原則という考え方は言語教育にも有用な概念ではないかと思いました。つまり,言語使用を局面ごとに切り分け,そのなかで主原則,準原則,準々原則のように階層化した局所的でシンプルなルールを学習者に提示してあげるということです。

おそらく,具体的な教室での指導場面では「こういうことに気をつけよう」みたいなことはよくされていると思います。ただし,私はそれはここでいうプレー原則とは違うかなと思っています。その理由は,そこに体系性と階層性が存在しているかどうかという観点が重要だと思うからです。これは,「Aに気をつけるのとBに気をつけるのは相反するから常にAを気をつけようと言っている。これは一貫しているので問題ない。」みたいなのでは乗り越えることができていない問題です。

コミュニケーション論とかの文献を参照しながら考えていくほうが学術的な議論としては適切かと思いますが,それは別の機会に然るべき論考にまとめるとして,試しにここでは1対1の口頭でのやりとりをするという言語使用場面を考えてみましょう。もちろんこのやりとりがどのような状況で,どのような相手との関係性なのか,みたいないわゆる「設定」もどのようなやりとりを行うのかの重要な要因となります。ただし,ここではそういった状況によらないもう少し上位の観点でやりとりを捉え,どのような状況であっても適用することができるような原則を考えてみます。まず,口頭のやりとりを,自分が話すターン,自分が聞くターン,そしてそのターンの交代が起こる場面,の3つに分けてみます。

自分が話すターン

では,自分が話すターンの主原則とは何になるでしょうか。私は,自分の意図を伝えることが最も重要だと思っていますので,それを主原則にしてもいいのですが,それってサッカーでいう攻撃の主原則を「ゴールを奪う」に設定しているのと同じように感じてしまいます。

もしかすると,サッカーというのがどういうスポーツなのかを理解していない人にこうしたプレー原則のようなものを教えても効果がないのと同じように,1対1のやりとりとはそもそもどういうものなのかをメタ的に考えさせることも必要かもしれないとも思いますが。私達はあまりにも日常的に当然のように言葉を使っていますが,実際にそれがどういう構造なのかであったり,どのように成立しているのかについてはほとんど意識したことがないからです。自分があまり熟達していない言語を使う場合には,第一言語を使う場合よりもそういった部分にある程度意識的になることが必要かもしれません。よって,「自分の意図を伝える」ことの重要性というのは伝えてもいいでしょう。ここでは,その目的(サッカーでいうゴールを奪う)をどう達成するのかについての原則を考えてみます。例えば,「相手が自分の伝えたい内容を理解しているかどうかを意識する」みたいなのは主原則になりそうかなと思いました。授業で1対1のやりとりを学生にさせたりしていると,自分が言ってることを口に出したというだけで満足してしまっている例がしばしば見られます。本来は,それを相手が自分の考えているのと同じように理解してくれて初めて「うまくいった」と言えるだけです。しかしながら,この視点が欠けていることが多いように思います。

自分が聞くターン

前節の相手が「自分の伝えたい内容を理解しているかどうかを意識する」という自分が話すターンにおける主原則(仮)と必然的に関わってくるのが聞くときの主原則です。これはもちろん「相手の言っていることを理解する」と言いたいところですが,これも話すときに考えたのと同じようにサッカーに例えれば「ゴールを奪われない」みたいなのと同じレベルになってしまいます。そこで,「自分が理解していることを相手に示す」とか,「自分が理解できていないときはそのことを相手に伝える」みたいなことを主原則にするのはどうでしょうか。

ターンの交代

ターンの交代は明確な時(例えば疑問文を使えば次はその疑問文を使わなかった人のターンになるというような)もあれば,そうではないときもあります。また,1対1であれば複数人で会話しているときと比較すればターンを渡す,自分からターンを取る,というのも容易です。ただし,特に熟達度にばらつきがあるような場合には,話すのが苦手な側が簡単なレスポンスしかしなかったり,あるいは熟達度の高い側が,沈黙になるなら自分が話したほうがいいと考えたりしてどちらか一方が話し続ける時間が長くなってしまうこともよくあります。とはいえ,「共同的なやりとりを心がける」ことだけを目標として掲げてしまうと,”What do you think?”や”How about you?”だけを使って相手にぶっきらぼうなパスを出すだけになってしまうということもよくあります。そこで,ここでは「共同的なやりとりを心がける」という主原則の下により具体的な準原則を示してあげることも大事かもしれません。例えば,「質問をするなら相手が答えやすい質問の仕方をする」とか。実は,話すターンと聞くターンの原則を意識していると,自然とターン交代も起こるんですけどね。

おわりに

本記事では,サッカーにおけるゲームモデルとプレー原則の考え方を言語指導の場面に置き換えて考えてみるということを試みました。記事中ではわかりやすそうな例として「1対1の口頭のやりとり」について考えましたが,これはリーディングだろうがリスニングだろうが,どのような技能についても考えることが可能だと思います。あとは,はてさて言語使用における「ゲームモデル」をどう言語化するかというところがまだできていないかなと思っています。

ゲームモデルを考える際に重要な点でこの記事でここまで言及しなかったことを最後に書いておこうと思います。本記事ではゲームモデルとプレー原則について,サッカーのピッチ上で起こるプレー面に焦点をあてましたが,上掲書の中ではより外部的な要因(クラブの組織体制,やクラブ・国のサッカー文化,クラブの目標)に加え,選手の質や指導者のビリーフなどの要因の影響も受けてゲームモデルが決定されると書かれています。つまり,脱文脈化してゲームモデルとプレー原則を語ることは実はあまり有益ではないことであるとも言えます。この記事で書いたことも,私が自分が普段教える大学生英語学習者,私が今担当している(またはこれまで担当してきた)授業,私が教える大学の外国語科目のカリキュラム,そしてなによりも指導者としての私個人の信念が入っています。サッカーにおけるクラブ,チームという単位をどこに定めるのかというのが難しいところだとは思いますが,そういった視点も持っておくのは重要でしょう。

次回(いつになるかは不明)はサッカーのトレーニングの考え方を言語指導に応用するということを考えてみたいと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

サッカーと英語教育の交差点(2)

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はじめに

先日書いた以下の記事の続編です。サッカーに全く興味がないという方もいらっしゃるかもしれませんが,そういう方もぜひ「急に脱線しますね」のセクションだけでも読んでいただけると嬉しいです。

サッカーと英語教育の交差点(1)

下記の本も読み終わったので,本の中で英語教育と結びつけて考えられるなと思ったところを引用しながら記事にしたいと思います。

前回書いたことをざっくり振り返ると,要するにサッカーというスポーツの競技力を向上させることと,言語能力を向上させることの間には共通点がたくさんあるんじゃないかということですね。そして,そのキーワードは「複雑系」です。これまでも,言語能力の発達を複雑系で捉えることだったり,あるいは特にTask-based Language Teachingの文脈で身体技能の発達を例にとって言語能力の発達を捉えるみたいなことは「話の種として」出されることはあったように思います。

私が記憶している中だと,浦野先生が自転車に乗る話の例を出したり,松村さんがジムでゴルフのトレーニングをする子供の話をだしたりという感じです。この戦術的ピリオダイゼーションの本は,そういった例をもう一つ上のレベルに引き上げてくれると思っています。なぜなら,サッカーという複雑なシステムを捉える目を持ちながら,それを具体的にどうやってトレーニングに落とし込むのかという視点もあるからです。もちろん,サッカーの練習のことを学んだって,と思われるかもしれませんが,サッカーという複雑なゲームをどうやって要素還元主義に陥らずにトレーニングに落とし込むのかという「考え方」それ自体は,言語能力という複雑なものをどうやって要素還元主義に陥らずに指導できるか,ということを考えるヒントを与えてくれると思うからです。

よって,サッカーに興味がある言語教育関係者はとにかく上記の本を読んでみることをおすすめします。途中の具体的なトレーニング例は,何を意識しているのかさえ理解すればあとはさっと流し読みする程度でいいと思います。

急に脱線しますね

長々となってしまうかもしれないので,先に結論言っておきますが,私は戦術的ピリオダイゼーションのような考え方でサッカーの練習を考えるのと非常に似た思想がTask-based Language Teachingであると思っています。また,タスクとはなにか,とかタスクの定義,と言われるようなものがなぜ大事であるのかというのは,タスクでなくてはいけないから,とかそういうことじゃなくて,その定義を満たすような活動(サッカーでいえば練習)を設計することによって,実際の言語使用場面(サッカーでいえば実際の試合)を意識したトレーニングをすることができるからです。よって,「これってタスクですか?」「それはタスクではありません」みたいなやりとりが不毛なのはその部分の共通理解が不足しているからだと思っています。つまり,実際に私達が言語を使用する時の状況に近づけるように言語活動を設定しようと思ったときに,その指針としてタスクの定義というものが有益であるということです。

実はまさにこのことをテーマにした共著の論文を昔書いたことがあります。

福田純也・田村祐・栗田朱莉(2017)「中学校教科書における口頭コミュニケーションを志向した活動の分析―第二言語習得研究におけるタスク基準からの逸脱に焦点をあてて―」JALT Journal, 36, 165182.

この論文は無料で読めるし日本語で書いてあるのに(だから?)ほとんど引用されることがないのが悲しいですが,タスクの定義( e.g., 意味中心,ギャップがある,リソースの指定がない,結果としての成果がある)というものを使ってコミュニケーション活動を良くするにはどうしたらいいかを研究の知見を借りて考えてみましたというような論文です。別に目新しいこと言ってるわけでもなんでもないんですが,タスクの定義というものがなぜ実践的に価値があるのかについて述べた論考です。

「サッカーはサッカーでしかうまくならない」

さて,ここからが本題です。

前回の記事でもこのことが書いてある一節を紹介したのですが,もう少し具体的なことが書いてある箇所を引用します。

例えばハードな筋力トレーニングをこなしたにもかかわらず、実際のゲームやトレーニングでのデュエル(1対1の競り合い)に勝てないという現象はよく見られる。だが、実際にプレー中に起きる「ぶつかり合い」を分析してみると、そこにはあまりにも複雑なプロセスが関連していることがわかるはずだ。相手がどの方向からどのような状態で自分に向かってくるのかを認知すること、その場面における最適なプレー方向やプレー方法を選択するための意思決定をすること、相手をブロックしながらもボールのコントロールを失わないための身体のコントロールを維持することなどを一瞬のうちに同時並行で行うことが求められる。しかも、このような複合的な動作は90分の間休むことなく続き、しかも自分の他にも味方の10人、相手の11人も同様の意思決定を行い続けている。このように考えると、単純な筋力トレーニングだけで試合におけるデュエルの勝率を改善するのは不可能とは言わないが、効率が悪いのは間違いない。

山口遼. 「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編 (Japanese Edition) (Kindle Locations 151-160). Kindle Edition.

「筋力トレーニング」の部分を何かしらの下位技能のトレーニング(発音練習とか単語を書いて覚えるとか)に置き換えて考えれば,言語能力を高めるトレーニングと実際の言語使用の間のズレの話でも同じことだと思います。つまり,実際に言語使用する際には(単一の技能だけに限らずどの技能でもまたは技能統合が要求される場合でも),非常に複雑な意思決定が瞬時に求められますよね。もちろんサッカーの試合のように90分みたいな時間それが続くことはあまりないにせよ(ただ,極端な話10秒以内で完結する場合もあれば,仕事で英語を使うみたいな場面なら90分どころか1日中というケースだってありうる)。だからこそ,教室の中でどれだけリアリティを意識させながらトレーニングするかというのが重要になってくるわけです。前述のように,そのヒントとしてタスクの定義はヒントになりそうだよねということです。

トレーニングを要素や局面ごとに分割し、例えばパスだけ、シュートだけ、1対1だけ、というような環境との相互作用が存在しないトレーニングを行うと、実際の試合で経験するリアリティが欠けた状態になってしまう。ゆえに、戦術的ピリオダイゼーションでは、サッカーを構成する要素が包括的に含まれていることが推奨されている。

山口遼. 「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編 (Japanese Edition) (Kindle Locations 354-357). Kindle Edition.

「包括的に含まれている」という部分と,「環境との相互作用」が大事だと思います。つまり,サッカーというのはその試合を構成する要素や技能に分解して練習し,それを向上させてもチーム全体のシステムの向上にはつながるわけではない,とか,個々人の能力の向上がチーム全体のシステムの向上につながるわけではない,といえそうです。

ただし,それってじゃあひたすら試合と同じ11対11の試合をやるしかないってこと?って話になりますよね。著者の主張は(もちろん私の主張も)そういうことではありません。

システムの中にあるサブシステムに着目し,そのサブシステムを対象としたトレーニングを行うことが推奨されています。

戦術的ピリオダイゼーションで推奨されるトレーニングは、「試合で起こる状況や構造を再現し、パフォーマンスを様々な階層間で最適化していくこと」と言い換えることができる。

山口遼. 「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編 (Japanese Edition) (Kindle Locations 384-386). Kindle Edition.

例えばサッカーでは,自陣からパスをつないで相手の守備をくぐり抜けて前進していくことをビルドアップと言ったりします。そこで,ディフェンスの選手がどうやって相手のプレッシャーを回避して中盤の選手や前線の選手にボールを届けるのか,という部分のトレーニングをするとします。これがサッカーというゲームの中のある種のサブシステムといえます。そして,そのサブシステムの中でもさらに,例えばDFラインのサイドの選手にボールが入ったときに守備的な中盤の選手(ボランチといわれる役割の選手)がどうやってサポートに入るのかといったもっと小さなサブシステムにフォーカスして,このサブシステムがどうなれば上位のシステムや全体のシステムが向上するのかを考えるということです。

言語使用をシステムだと考えるのであれば,じゃあその時のサブシステムとは何になるか,というのは考えてみる価値のある問いではないかと思いました。また,そのときに,どのような規模のサブシステムを取り出したときにも共通する構造(この本ではサッカーでいうそれは「ボール」,「目的地」,「スペース」,「切り替え」などだと言われています)を見つけることができれば,それを含んだトレーニングを考えればよいことになります。この点は私の中でも答えはまだ出ていませんが,実践編としてトレーニングメニュー実例集というのが第4章にあります。ここでゲームモデルをどうやってトレーニングメニューに落とし込んでいるのかを読み解くことで,その考え方を概念的に言語指導にも応用できないかを考えることはできるかもしれないと思っています。

おわりに

本当は,このあとのセクションで上掲書のもう一つの肝であるゲームモデルとプレー原則という話も英語教育に引きつけて語ることができそうだなと思ったのですが,複雑系の話に出てくる概念やサッカーの説明が思いのほか長くなってしまい,1つの記事にまとめると10,000字を超えてしまいそうでした。そこで,とりあえず第2弾の記事はここで一旦おしまいということにして,第3弾でゲームモデルとプレー原則の話をメインとした記事を公開しようと思います。前述のとおり,上掲書には実践的な部分も含まれていて,具体的なトレーニング方法についても豊富に紹介されています。この第4章の考察も第3弾かまたはその次の記事として書けるかなと思います。そして,第5章ではゲームモデルを持たないのに優れたシステムとして機能しているように見えるチームの例としてスペインのレアル・マドリーが紹介されています。このレアル・マドリーはどういう仕組みでうまくいっているのかについての分析も非常に興味深く,レアル・マドリー的なアプローチも言語教育の視点で考えることができると思いました。このこともまたブログに書こうと思います。というわけで,2本で終わるつもりがなんだかこのブログ始まって以来の大型連載みたいになってきました(笑)

少し前まではブログ書くこと全然ないなと思っていたわけですが,やっぱりインプットをすれば何かを書きたくなるもので,インプットが足りていなかったのかなと今は思っています(インプットしていなかったわけではまったくないんですけどね)。夏休みで時間に余裕がありますし,専門の本も,そうでない本も,もっと読む夏休みにしたいなと思います(もちろんそれ以外にもやることはあるしやってるんですが)。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

サッカーと英語教育の交差点(1)

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はじめに

『2050年W杯 日本代表優勝プラン』という本を読みました。東京五輪で日本の男子サッカーチームは準決勝でスペイン代表に破れ,そして三位決定戦ではメキシコに破れました。金メダルを目標として掲げていましたが,2012年ロンドン五輪の4位をまたしても上回ることができませんでした。地元開催で招集メンバーもベストというアドバンテージを活かせず,メダルにも届かなかったという事実を受け止め,ここから強くなるためにはどうすればいいんだろうと思っていました。そんななかでこの本を見つけたので読み始めたわけです。

また,その流れで別の本も読んでいます。

この2冊の本を読んでいくうちに,いくつか自分の職業的興味である英語教育の部分にも当てはまるなと思うような話がいくつか出てきました。この記事では適宜引用しながらサッカーの話を英語教育の話に置き換えてその「交差点」を描きたいなと思っています(風呂敷広げすぎ)。

応用力と判断力

『2050年W杯 日本代表優勝プラン』の第3章「2050年までの選手育成プラン」の中に以下の記述があります。

林舞輝さんがスキーマセオリーでのシュート練習(常にシチュエーションを変えて行う)の話をしていたけど、あれはホントにその通りだなと思います。特に日本人は「応用力が足りない」とか「臨機応変が苦手」とか「とっさの判断が」とか言われがちなので、なおさら。

川端暁彦,浅野賀一. 2050年W杯 日本代表優勝プラン (Japanese Edition) (Kindle Locations 1627-1629). Kindle Edition.

サッカーというスポーツは11人対11人で行われるスポーツですが,近年では選手の身体能力が飛躍的に向上したことを背景に,プレー中に瞬時の判断が連続的に求められる非常にスピーディな展開が世界の最先端となっています。W杯で優勝することを考えると,そのレベルでのプレーが求められるわけです。ただ,サッカー界では昔から日本人は監督に言われたことはできるが自分たちで判断するのが苦手だと言われ続けていました。

これは英語教育で言われている問題,「学校で英語を学んでも実際に英語を使うことはできない」みたいな話と通底する部分もあるかもしれないなと思いました。おそらくどちらにも共通するのは,実際に力を発揮すべき場面が想定された練習(トレーニング)がされているかという点だと思います。サッカーであれば試合が本番で,そこで最大限のパフォーマンスをするために練習します。言語使用であれば,実際の言語使用場面を想定してトレーニングをしないと,練習のための練習になってしまいますし,練習でやった場面が試合中に現れないとしたら,練習の成果を本番で発揮することができないわけです。サッカーの試合であれ現実の言語使用場面であれ,様々な要素が複雑に絡みあって予測不能な展開が発生するものです。それに対応できるようにするためには,その予測不能な展開が発生する状況を練習の中で意図的に作り出す必要があるわけですよね。この点で,サッカーの試合で求められる「応用力」と,言語使用場面で求められる「応用力」は割と近いものがあるんじゃないかなと思っています。

サッカーでは「止める,蹴る」という言葉が最近バズワードになりつつあって,それはJ1リーグで首位を独走する川崎フロンターレの躍進とも関係が深いです。つまり,「(ボールを)止める,蹴る」という基礎技術の正確性にこだわることがサッカーの質的向上をもたらすということですね。先述のように,現代サッカーはボール保持時の余裕がない状況がどんどん増えていますから,その状況でも正確にボールを扱える技術がレベルがあがればあがるほど重要になります。サッカー初心者でこれがまったくできない人にとっては,この基礎技術だけを取り出して,敵もいない状況で,ひたすら転がってきたボールを足元に止めて,正確なキックで相手にボールを渡す練習をする必要があるでしょう。しかし,実際の試合では自分の体の向きやボールを受ける場所,味方との距離や方向,そして相手の位置も刻々と変化し,その中で正確な技術を出すことが求められるわけです。よって,「止める,蹴る」の技術向上を目指したとしても,少しでも試合で起こりうる「止める,蹴る」の状況の中で練習する必要があるでしょう。これを言語教育にうまく置き換えて練習を考えられるかどうかというのは私が個人的に挑んでみたい課題です。

さて,こうしたサッカーの練習に対する考え方の背景にあるのが,サッカーに関わる要素を分解して取り出して向上させようとしても,それが全体の向上につながるわけではないという考え方です。つまり,要素還元主義を否定し,サッカーを複雑系と捉えなおすということになります。この考え方に基づいているのが,「戦術的ピリオダイゼーション」という概念です。

こうしたことを考えていたら,結局サッカーでも英語教育でも,日本人はだめだみたいな言説の根っこにある問題って共通しているのかもしれないなと思ったわけです。もちろん,学校の教育はプロサッカー選手の育成や日本代表が世界で勝つみたいなことを目指した育成とはぜんぜん違う論理のもとで行われていることです。ただし,サッカーと言語使用というのは,どちらも複雑系であるという点で共通点があると思います。したがって,サッカーのレベル向上を目指す試みの中には,言語使用のレベル向上を目指す営み(としての英語教育)にも示唆があるのではないかと思っています。

指導者としての態度

W杯で優勝するためには,そのための選手を育成する必要があります。書籍紹介でも「30年後の主力選手はまだ生まれていない!」という記述がありますが,『2050年W杯 日本代表優勝プラン』の第4章「2050年までの指導者育成プラン」はそうした選手を育てる指導者についての話です。その中に,長崎総合科学大学附属高等学校の小嶺監督に言及した次のような記述があります。

現代っ子に響く言葉、態度を探している。言われていたのが「最近の子どもは変わってしまったから難しいとか言うけど、それは指導者として言い訳だろう」と。「子どもが変わって指導が響かなくなってるなら、響かせる指導に変えないといけない。それでこそ指導者だ」と言うんですね。あと、「そもそも昔が美化されちゃうだけで、子どもはそんなに変わっていないよ」とも言っていましたが(笑)。(強調は筆者)

川端暁彦,浅野賀一. 2050年W杯 日本代表優勝プラン (Japanese Edition) (Kindle Locations 2537-2541). Kindle Edition.

これは教育という仕事に携わるものとしてぐさっときました。別に教育にかかわらず一般的に,「最近のXXは」(XXには若者,学生,新卒など若年層の集団を表す言葉が色々入ると思います)で始まる否定的な言説はよくあると思います。教育という行為自体が教師-児童・生徒という関係性にの基づいて何らかの知識や技術を身に着け「させる」ことから完全に逃れることができない以上,そこに相手を変えようという暗黙的な気持ちが入り込む余地は大いにあります。そういう状況で自分のやり方がうまくいかなかったときに,ベクトルを自分に向けられるかどうかっていうことですよね。

少し英語教育からは話がずれますが,上記引用のあとには次のような浅野さんの発言があります。

フットボリスタ(筆者注:著者の一人である浅野さんが編集長を務めるサッカー雑誌)でも取り上げたメンタルコーチのメソッドで再三言われたのが「自分でコントロールできないことに意識を割かないこと」。たとえば、そのメンタルコーチによると試合に出られない選手はたいてい「監督が使ってくれない」と言うと。ただ、監督が自分を試合に使ってくれるかどうかは監督が決めることでコントロールできない。そうじゃなくて、自分の成長にフォーカスすべきだ。それは具体的に計測できるものがいい。そうやって自分が成長すれば、結果的に試合にだって出られるようになるかもしれない。(強調は筆者)

川端暁彦,浅野賀一. 2050年W杯 日本代表優勝プラン (Japanese Edition) (Kindle Locations 2545-2549). Kindle Edition.

私は大学教員・研究者という職業柄,上司に「使ってもらう」ような仕事はしてませんが,自分がコントロールできないことに意識を割かない,というのは生きていく上で重要だと思っているので,日々このことを意識しながら生活しています。

そして,このあとにもまた指導者の話に戻ります。

川端:ただ、理屈ではわかっていても実践するのは簡単ではない。特に一度『成功』してしまった人ほど難しいと思う。よく小学生とかで活躍しすぎるとよくないみたいに言うけど、それもこういうところだと思う。努力や工夫ではなく、結果を褒められちゃうだろうし。

浅野:成功したそのやり方が正しいとなっちゃうしね。下手な成功体験は怖い。

川端:よく「正解を教えるんじゃなくて試行錯誤させなさい」というのも、そういうことだと思います。別の機会で壁に当たったとき、新しい道を探そうというマインドを持っていること自体が大事というか。

浅野:特に若いうちはそれだよね。

川端:正解を教えて助けてあげたくなっちゃうのも人情ですけどね(笑)。それで教えて感謝されたことで満足しちゃう指導者は、やっぱり二流なんだと思います。(強調は筆者)

川端暁彦,浅野賀一. 2050年W杯 日本代表優勝プラン (Japanese Edition) (Kindle Locations 2552-2560). Kindle Edition.

私も,正解を教えるのはあまり好きじゃないんですよね。でも,教えられる側(学生側)からしたら,「(周りに間違えたって思われるから)間違えたくないし間違えたら(先生から)怒られるんだから,最初からどうしたらいいか教えてくれたらそのとおりにやりますよ」っていうマインドなんじゃないかなと思っています。大学教員としての私の仕事は,その価値観を揺さぶることだと思っています。間違えたって怒らないしそもそも世の中でぶち当たる問題のほとんどには「これだ」という唯一の正解なんてないものなわけです。そのときに大事なのは,浅野さんの言葉にあるように自分で何が正解か,どうやって解決すべきかを考えようとすることだと思います。言語学習も同じようなもので,なかなか正解を1つに決めるのが難しいですし,要素還元主義的に学習をすることも(そのほうが学習者にとっては馴染みがあるし取り組みやすいものだとしても)推奨しづらいのです。だからこそ,教える側もわかりやすさを求めたり,正解を教えて満足しちゃう方に流れがちです。そこで一度踏ん張って自分にベクトルを向けて,指導者として一流になりたいなと思います。

ひとまずおわりに

少し長くなったので,続きはまた別の記事で書こうと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。