
はじめに
第二弾で書いていた記事が結構長くなってしまったので,後半部分を切り出して第三弾の記事として別に公開することにしました。これまでに書いてきた記事は以下の2本です。
本記事でも引き続きこの本の内容についてです。
ゲームモデルとプレー原則という考え方
書いてあったことの理解を確認する意味も含めてちょっと長いですが説明
この本でもう一つ特徴的なのは,ゲームモデルとプレー原則という概念です。ゲームモデルとは簡単にいうと,試合でどういうサッカーをやるか,です。そして,それを表現するために,主原則,(=目的),準原則(=自己組織化の手段),準々原則のように階層的に原則を作ります。サッカーという競技は攻守が激しく入れ替わるスポーツですが,その中でも「4局面」という形で以下のように場面を分ける考え方が主流です。
- 攻撃時
- 守備時
- 攻撃から守備への切り替え
- 守備から攻撃への切り替え
しかしながら,「攻撃時」=「ボール保持」としたら,攻撃時というのも相手がハイプレスに来たときにどうやってプレスを回避するか,そしてどうやってボールを前進させ(ビルドアップして)敵陣に侵入するか,敵陣に入ったらどうやって相手の守備組織を崩してゴールを奪いに行くかといったさらに細かい局面があります。よって,その局面ごとに原則を決めることになります。ゲームモデルが必要な理由として著者は以下のように述べています。
なぜゲームモデルが必要かと言えば、複雑系であるサッカーチームをマネジメントする上でメリットがあるからだ。理由は主に3つある。
①自己組織化を促し、創発現象の恩恵を得る
②システムのレジリエンスの向上
③システム全体の目的/目標の共有による全体最適化
いずれもシステム思考に基づいた概念であり、システムを上手く機能させるためのツールとしてゲームモデルというフォーマットが考案された。
山口遼. 「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編 (Japanese Edition) (Kindle Locations 509-515). Kindle Edition.
自己組織化とは,複雑系において組織的にすることを目的として外からなんらかの手が加えられることなく,自律的にシステム化することです。前回の記事の中で引用したイワシのトルネードでは,イワシの一匹一匹はああいったトルネードを形成して大きな塊をなし,天敵である大きな魚から身を守るわけですが,イワシがそういう目的を理解しているわけではありません(あくまで動き方のいくつかのシンプルな原則を守っているだけ)。サッカーでも同じように,プレー原則を意識したプレーをさせることで,サブシステムの自己組織化を促して,個人の能力の足し算以上のものを引き出そうということです。
レジリエンスはシステムの変動が起こったときにそれを元に戻そうという回復力と言われます。サッカーでいえば,相手の攻撃によってポジションバランスが崩されたときに,それを元に戻そうとすることが例として挙げられています。自分たちの状況が悪くなったときに,それを立て直そうとする力とも言えるでしょう。これを可能にするのは,個々人が共有された原則にしたがって行動することに他なりません。たとえば相手のカウンター攻撃を受ける可能性がある際にはまずゴールに最も直結する可能性の高いピッチ中央部分を埋める動きを取ることが原則の一つとしてあったとします。仮に自分の持ち場が右サイドだったとして,中央部分が手薄になってしまっているのに自分の持ち場に戻ることを優先して攻守の切り替えで右サイドに戻ってしまえば,がら空きの中央を突破されてしまうことになります。これでは失点のリスクが高く不安定です。よって,こうした場面でもシステムを安定的に維持するためにはプレー原則が重要になるというわけです。
ちなみに,①と②を達成するために大事なのは,「局所的でシンプルなルールである」ことだと著者は述べています。複雑すぎれば一瞬の判断に適応することができませんし,特定の局面における原則でなければ試合中のどのタイミングでその原則を適用すればいいのかの判断もできません。よって,様々な場面に適応できるくらいの局所性(上述のプレス回避とかビルドアップとか)で,なおかつシンプルなルールでないと,逆に頭でっかちになってしまい良いプレーが生まれないことになってしまいます。
最後の全体最適化は,チームが目指すべき方向を「全体で」共有しておかないと組織がうまく回らないということとともに,うまくいってないときに原則という立ち返る場所があるとも言えます。一番上位の主原則が変わればサッカーは(システムは)まったく違ったものになりますから,システムがうまくいっていないときにそこに介入する手段として,プレー原則をもっておくことが有効であるということになります。
言語教育にも有用な概念では
さて,このあたりは複雑系の込み入った話が多いので少し説明が長くなってしまいました。私は,このプレー原則という考え方は言語教育にも有用な概念ではないかと思いました。つまり,言語使用を局面ごとに切り分け,そのなかで主原則,準原則,準々原則のように階層化した局所的でシンプルなルールを学習者に提示してあげるということです。
おそらく,具体的な教室での指導場面では「こういうことに気をつけよう」みたいなことはよくされていると思います。ただし,私はそれはここでいうプレー原則とは違うかなと思っています。その理由は,そこに体系性と階層性が存在しているかどうかという観点が重要だと思うからです。これは,「Aに気をつけるのとBに気をつけるのは相反するから常にAを気をつけようと言っている。これは一貫しているので問題ない。」みたいなのでは乗り越えることができていない問題です。
コミュニケーション論とかの文献を参照しながら考えていくほうが学術的な議論としては適切かと思いますが,それは別の機会に然るべき論考にまとめるとして,試しにここでは1対1の口頭でのやりとりをするという言語使用場面を考えてみましょう。もちろんこのやりとりがどのような状況で,どのような相手との関係性なのか,みたいないわゆる「設定」もどのようなやりとりを行うのかの重要な要因となります。ただし,ここではそういった状況によらないもう少し上位の観点でやりとりを捉え,どのような状況であっても適用することができるような原則を考えてみます。まず,口頭のやりとりを,自分が話すターン,自分が聞くターン,そしてそのターンの交代が起こる場面,の3つに分けてみます。
自分が話すターン
では,自分が話すターンの主原則とは何になるでしょうか。私は,自分の意図を伝えることが最も重要だと思っていますので,それを主原則にしてもいいのですが,それってサッカーでいう攻撃の主原則を「ゴールを奪う」に設定しているのと同じように感じてしまいます。
もしかすると,サッカーというのがどういうスポーツなのかを理解していない人にこうしたプレー原則のようなものを教えても効果がないのと同じように,1対1のやりとりとはそもそもどういうものなのかをメタ的に考えさせることも必要かもしれないとも思いますが。私達はあまりにも日常的に当然のように言葉を使っていますが,実際にそれがどういう構造なのかであったり,どのように成立しているのかについてはほとんど意識したことがないからです。自分があまり熟達していない言語を使う場合には,第一言語を使う場合よりもそういった部分にある程度意識的になることが必要かもしれません。よって,「自分の意図を伝える」ことの重要性というのは伝えてもいいでしょう。ここでは,その目的(サッカーでいうゴールを奪う)をどう達成するのかについての原則を考えてみます。例えば,「相手が自分の伝えたい内容を理解しているかどうかを意識する」みたいなのは主原則になりそうかなと思いました。授業で1対1のやりとりを学生にさせたりしていると,自分が言ってることを口に出したというだけで満足してしまっている例がしばしば見られます。本来は,それを相手が自分の考えているのと同じように理解してくれて初めて「うまくいった」と言えるだけです。しかしながら,この視点が欠けていることが多いように思います。
自分が聞くターン
前節の相手が「自分の伝えたい内容を理解しているかどうかを意識する」という自分が話すターンにおける主原則(仮)と必然的に関わってくるのが聞くときの主原則です。これはもちろん「相手の言っていることを理解する」と言いたいところですが,これも話すときに考えたのと同じようにサッカーに例えれば「ゴールを奪われない」みたいなのと同じレベルになってしまいます。そこで,「自分が理解していることを相手に示す」とか,「自分が理解できていないときはそのことを相手に伝える」みたいなことを主原則にするのはどうでしょうか。
ターンの交代
ターンの交代は明確な時(例えば疑問文を使えば次はその疑問文を使わなかった人のターンになるというような)もあれば,そうではないときもあります。また,1対1であれば複数人で会話しているときと比較すればターンを渡す,自分からターンを取る,というのも容易です。ただし,特に熟達度にばらつきがあるような場合には,話すのが苦手な側が簡単なレスポンスしかしなかったり,あるいは熟達度の高い側が,沈黙になるなら自分が話したほうがいいと考えたりしてどちらか一方が話し続ける時間が長くなってしまうこともよくあります。とはいえ,「共同的なやりとりを心がける」ことだけを目標として掲げてしまうと,”What do you think?”や”How about you?”だけを使って相手にぶっきらぼうなパスを出すだけになってしまうということもよくあります。そこで,ここでは「共同的なやりとりを心がける」という主原則の下により具体的な準原則を示してあげることも大事かもしれません。例えば,「質問をするなら相手が答えやすい質問の仕方をする」とか。実は,話すターンと聞くターンの原則を意識していると,自然とターン交代も起こるんですけどね。
おわりに
本記事では,サッカーにおけるゲームモデルとプレー原則の考え方を言語指導の場面に置き換えて考えてみるということを試みました。記事中ではわかりやすそうな例として「1対1の口頭のやりとり」について考えましたが,これはリーディングだろうがリスニングだろうが,どのような技能についても考えることが可能だと思います。あとは,はてさて言語使用における「ゲームモデル」をどう言語化するかというところがまだできていないかなと思っています。
ゲームモデルを考える際に重要な点でこの記事でここまで言及しなかったことを最後に書いておこうと思います。本記事ではゲームモデルとプレー原則について,サッカーのピッチ上で起こるプレー面に焦点をあてましたが,上掲書の中ではより外部的な要因(クラブの組織体制,やクラブ・国のサッカー文化,クラブの目標)に加え,選手の質や指導者のビリーフなどの要因の影響も受けてゲームモデルが決定されると書かれています。つまり,脱文脈化してゲームモデルとプレー原則を語ることは実はあまり有益ではないことであるとも言えます。この記事で書いたことも,私が自分が普段教える大学生英語学習者,私が今担当している(またはこれまで担当してきた)授業,私が教える大学の外国語科目のカリキュラム,そしてなによりも指導者としての私個人の信念が入っています。サッカーにおけるクラブ,チームという単位をどこに定めるのかというのが難しいところだとは思いますが,そういった視点も持っておくのは重要でしょう。
次回(いつになるかは不明)はサッカーのトレーニングの考え方を言語指導に応用するということを考えてみたいと思います。
なにをゆう たむらゆう。
おしまい。

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