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Yu Tamura について

第二言語習得の研究者。博士(学術)。英語教育のことや統計・データ分析に関わること、趣味のサッカーのことなどについて書いています。

Scrivenerで相互参照と連番作成

私は,論文執筆にScrivenerという有料のソフトウェアを使っています(Mac版)。バインダー機能とか語数の管理とか,色々便利なことはあるのですが(参考:Scrivener — A perfect program for dissertation writing),今日は論文執筆中にこれできてほしいと思った機能のやり方を覚えたので自分的メモを残しておきます。

私が文法を主に扱う論文を書くことが多いからなのかもしれませんが,例文をたくさん論文の中に挿入するんですね。以下のような感じで。

In (1), the omission of the plural morpheme makes the sentence ungrammatical.

(1) * I should have finished these thing by yesterday.

私の能力不足なのかもしれませんが,例文を後から足したり引いたりとかもしますし,また頭から順番に書いていくというわけでもないので,番号がずれてしまうことがあります。その対処法として,Xとかを使って最初に書くときはすべて番号をXで置き換えて,最終的にScrivenerからWordに原稿を出力してフォーマットなどを調整する際に最初から読み直して番号を振っていくという方法を取っていました。図表番号にも同じようなことをしていて,Table X shows…,as illustrated in Figure X,というように書いておいてからあとで直していました。ただ,この方法だとやっぱり番号がずれたりしてしまうことがあって,自分でも気づかずに査読者に指摘されることもしばしばありました。図表に関しては,Wordでは図表番号の挿入という機能があるので,それを使うようにしています。図表番号の挿入を使っていれば,相互参照の挿入もできるみたいですね。で,例文でもこれを応用したりマクロを使ったりするとそういうことができるようなのです。言語学では例文がたくさん挿入されますから,そういった方たちにとっては死活問題ですよね。

参考

Wordで例文の番号を自動で連番にする

研究者のための Word 利用法 (3)

統語論恐怖症: Wordで連番機能を使う

ただし,これもScrivenerの中でできるならそうしてしまいたいわけです。そこで,「Scrivener 相互参照」でぐぐってみても,外部ファイルの参照みたいな記事はあるのですが,本文中で連番を作成したり相互参照をするよう方法は見つけられず。そこで,「scrivener cross」まで打つと,次に「reference」が出てきます。

参考

Unvexed: Stuff that Works: How to do cross-references in Scrivener

Has anyone figured out a way of cross-referencing examples in the …

A better way to force sequential ordering of numbered items

簡単に言うと<$n>タグを使うと,コンパイルするときに自動で連番作成してくれて,相互参照されるようになっているようです。<$n:ex>,<$n:fig>, <$n:tab>のようにすることで,ex,fig,tabごとに連番を作ってくれるみたいです。さきほどの例でいえば,<$n:ex:first>,<$n:ex:second>のようにしてあげれば,そこに数字が自動的に挿入されるという仕組みです。手でいちいちこのタグを打ち込むのは面倒だと思う方もいるかもしれませんが,私としては結構画期的だと思うので使っていきたいです。

一つ問題は,先ほどのタグは純粋にアラビア数字にしか置換されないということです。つまり,

In <$n:ex:first>, the omission of the plural morpheme makes the sentence ungrammatical.

<$n:ex:first> * I should have finished these thing by yesterday.

のようにscrivener上で書いたものをコンパイルすると,出力は次のようになってしまいます。

 

In 1, the omission of the plural morpheme makes the sentence ungrammatical.

1 * I should have finished these thing by yesterday.

(1)のようにしたいときは,タグをさらに丸括弧で囲んで,(<$n:ex:first>)としなくてはいけません。これはそこまで厄介ではありませんが,少し厄介なのは,同じ番号を繰り返して,(1a), (1b)のようなものを作ることが出来ない点です(注1)。その場合,exの部分を別のキーワードに設定して,(<$n:ex1:first>),(<$n:ex2:first>)のようにすれば,それぞれ初出なら1が出てきますから,そこにaやbを自分で書き足して,(<$n:ex1:first>a),(<$n:ex2:first>b)とすれば,(1a),(1b),のような連番作成はおそらく可能でしょう。これを使うことの問題は,そもそも例文の「グループ」という概念を壊すことになってしまうので,どのキーワードを使えば何の数字が出てくるかを自分で把握しながらタグを使わないといけない点です。これは少しめんどくさそうです。もちろん,アルファベットの見出しを用いないですべて連番にすることはできるといえばできるので,そちらでも良いかもしれません(そもそも私自身数字とアルファベットの使い分けに明確なルールを持っているわけでもないです)。

ということで,この連番作成機能は役に立ちそうなので,メモとして書いておきました。今週指導教官に初稿を提出することになっているので,ラストスパート頑張ります。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

 

追記(注1):今考えれば,同じタグを使って(<$n:ex1:first>a),(<$n:ex1:first>b)とかやればいいだけでした…

CAFの(相関と)発達の順序

いま,とある実践報告論文を書いていて(共著),頭の中がこんがらがってきたので整理するために書いておきます。

CAFの相関と発達順序の話。こういう論文があります。

Koizumi, R., & In’nami, Y. (2014). Modeling complexity, accuracy, and fluency of Japanese learners of English: A structural equation modeling approach. JALT Journal, 36, 25–46.

5つの異なるスピーキングタスクでSyntactic Complexity, Accuracy, Speed Fluency, Repair Fluencyの指標をそれぞれ1つずつで共分散構造分析をしましたよという論文ですざっくりいうと。もともとはSyntactic Complexityだけ2つの指標だったり,CAF因子の上にspeaking proficiencyを置くモデルだったりspeaking proficiencyにすべての指標がloadしているモデルだったりも比較したけどCAF因子仮定したモデルが一番良かったという話ですざっくりいうと。それで,

「CAFはあります!」

「ねーよ」

っていう話は後輩のCAF警察に任せるとして,結果の解釈の話です。4つの因子間の相関をもとに色々議論している箇所があって(How Are CAF Interrelated?の節),流暢に話す(単位時間あたりの発話語数が多い)学習者は修正回数も多く(Repair Fluencyも高い),なおかつ正確さも高くて統語的に複雑な文(AS Unitあたりの節の数が多い文)を産出するそうです。で,その直後に,

Further, the results also indicate that as learners progress from beginning to lower intermediate levels, they develop the ability to produce such speech, thereby gradually improving SC, accuracy, and speed fluency (although not necessarily synchronously).

と書いてあります。熟達度があがると,徐々に複雑さも正確さも発話スピードもあがるよと。うんうん。まぁ相関あるってことはある数値が高くなると他の数値も高くなるということだからそういうことって素直に解釈して…いいのかな?ちなみに,「結果」とは,統語的複雑さと正確さの相関はr = .88,統語的複雑さと発話スピードはr = .63で,正確さと発話スピードの因子間相関はそれほど高くなく,r = .35である,ということを指していると考えられます。その直後,

It is speculated that improvement in fluency may lead to enhanced SC, which may result in heightened accuracy; that is, when learners learn to speak faster, they may gradually come to use a greater number of clauses and longer units (sentences) and subsequently may produce more accurate utterances.

むむむ??

いや,言っていることがもっともらしいので,きっとそうなんだろうなとは思いつつ,この因子間相関から流暢さが先に発達してその後に文が複雑になって最終的には正確さもあがってくるって言えるかなぁって考えてしまいます。いや,きっとそうなんだろうと思いますし,すごくしっくりくる説明なんですよ。ただ,このspeculationと因子間相関の間に見えないギャップみたいなものを感じてしまっていて,そのギャップを自分の中の「そうなんだろうな」っていうやつで勝手に埋めてしまっている感じです。なんなんでしょうねこのもやっと感。

流暢さというのは単位時間あたりの語数なので,統語的複雑さがあがると(節の数が増えると)必然的に語数も増えるという傾向はあるでしょう。ただし,「単位時間あたりの」というのがポイントで,すごーくゆっくり,だけど節の数が多い発話をすることは論理的には可能なんですよね。

1分間で,1文が(話を簡単にするためにAS Unitではなく文にします)5語からなる文(I like soccer very much)みたいなものを5つ発話したとすると,合計は25語で,60で割ると0.416という発話スピード。一方で,1文の中に節が3つあるような文(I think that she likes playing soccer)を2文しか発話できなかったとすると合計は14語で60で割ると0.23…で流暢さは落ちる。一方で,後者の文は1文あたり節が3つで,前者の文は節が1つなので,統語的複雑さは後者のほうが上。という感じ。

ただし,統語的複雑さと発話スピードの相関は.63なので,そういうパターンはほとんどなかったということになります。対象が中高生の初級者だということを考えても,節の埋め込みがそんなに多い文を頭ひねって作り出せるかっていうとそんなに現実的ではない気ももちろんします。

正確さとスピードに相関があまりない(ないわけじゃない)というのはまぁうなずけて,スピードが早くても正確じゃない人もいれば,逆にスピードが遅くても正確というパターンもあるからですよね。ただしスピードが遅ければ遅いほど正確さがあがるという関係が見られるわけでもないので,多少は流暢ならまぁまぁ正確さもあるかもね,くらいの感じなのでしょう。

よくわからなくなってきました。最初に疑問に思っていたのは,流暢さがある程度発達すると複雑さが上がり,そして複雑さがあがってくると正確さもあがるというような発達を仮定したとき,それがデータによって示されるというのはどういうことなのだろうということでした。

多分,

  1. 流暢さの値が高くとも複雑さや正確さの値は高くない(そこに相関がない)という状態があり,
  2. 次に同じ学習者群(または最初の学習者集団よりも熟達度が高い学習者)が時間を経たとき(発達したとき)に,流暢さと複雑さの値には相関があるが,流暢さと正確さに,複雑さと正確さにも相関がないということが観察され,
  3. その後,またそれよりも時間を経たときに,複雑さと正確さの相関が高くなり,流暢さと正確さの相関もちょっと高くなる,ただし正確さと流暢さの間には高い相関はない

みたいなデータが得られたとしたら,「なるほど。流暢さ,複雑さ,正確さ」という順番で発達していくのかなぁ,ということが頭に浮かびます。ただ,横断的でもなく,縦断的でもない1つの集団のデータの因子間相関からはいまいち「発達」ということをストレートに解釈しにくいよなぁと私には思えます(あるいは私の頭が悪いからかもしれません)。

先ほどの因子間相関だと,まずは正確に話そう。正確に話せるようになると,複雑さもあがってくるだろう(正確さと複雑さの相関が高くなる),複雑さがあがると節の数も増えるので流暢さもあがってくるだろう(複雑さと流暢さの相関が高くなる),というところまでは(他のことを色々無視していれば)いけそうな気もしてきます。ただ,最終的には正確さと流暢さの相関がなくなっていくことにならなければいけないので,ある程度複雑さがあがって流暢さもあがると,実は正確さは落ちていくのだーとか言わなくてはいけなくなります。なので,この説明はやや「きれいさ」が落ちるかなとは思います。

やっぱり,語数がのび,節の数が増え,そして正確になる,という仮説のほうが正しそうです。いや,そうなんです,正しそうなんですけど,でも「実際にそういう仕組みになっている」といえるためにはどういうデータが得られないといけないのかな,ということを考えた時,そのときに浮かぶイメージと因子間相関の間のギャップにもやもやしたのでした(たぶん頭が悪い)。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

 

 

Box 50GB終了?

オンラインストレージサービスの1つとして,boxというやつを使っています。もともとはDropboxだけしか使っていなかったのですが,何かのキャンペーンで50GB無料で使えていたので,重宝していました。ところが,昨日いきなり以下のようなメールがきました。

要するに,10GBの容量超えてるからアップグレードしろというもの。無料で使える容量は10GBなので,50GB無料のサービスをやめたってことなんですね。それにしても,そういう連絡もなしでいきなりアップグレードしろっていうのはなんだか親切心にかけるよなぁと思いつつ。Boxに入れていたデータの移行を考えなくてはいけなくなりました。

Dropboxも有料プランではないので容量は7.2GBで,SPECTREを買ってからはOneDriveも使いだしたので,それも使っています。ただ,OneDriveはOffice365のサブスクリプションサービスを利用しないと無料では5GBしか使えません。そろそろその期限が切れますが,かといってじゃあOneDriveの1TB目当てでOffice365更新するかなっていうとそれも迷う所。Dropboxの1TBでもいいのかなぁとか色々迷っていたら,アメリカに留学していたときに在籍していた大学がOffice365 for Educationを契約していることが判明。私がいた頃にはたぶんまだそういうサービスはなかったように記憶していますが,修了してもポータルサイトにはアクセスでき,メールアドレスも生きていました。そしていつの頃からか,ウェブメールがOutlookになり,Officeオンラインが使えるようになり,なんと最新版のOfficeもインストールできるようになっていました。聞いたこともないアプリもたくさん入っているのですが,全然使う気にはなってません(苦笑)。

ということで,ラッキーなところでOneDriveの容量を確保できたのでそちらでしばらくはいいかな?という感じで落ち着きました。いまデータ移行中です。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

 

Visual World Paradigmの分析

だいぶ前に書きかけで放置していた記事の更新です。

7月1日,2日で言語科学会に行ってきました。心理言語系の発表が多く,講演やシンポジウムでの発表も含めて,Visual World Paradigm(以下,VWP)という手法を用いた研究が結構ありました。このVWPは,ざっくりいうと主に音声で言語刺激を与え,それを処理している最中の実験参与者の視線を計測するという手法です。このとき,参与者は主に視覚提示されたいくつかの絵や写真を見ています。そこで,どこをどれくらい見ているか,あるいはどのタイミングでどこに目線がいきやすくなるのかを観察することで,人間の言語処理の仕組みを明らかにしようとするわけです。

で,そこですごく気になったのが分析方法。普通の文処理中の視線計測実験では,文のどこ(どの単語,句)をどれくらい見ているかなどを分析しますが,VWPでは音声データが流れていく時間の経過とともに変化する視線の動きを追っているわけで,時系列データになります。文であれば,画面上に1行で提示できるほどの長さが限界ですので,多くとも10-15語程度,その中で,分析の対象となる区域は2-3程度だと思います(注1 )。

ところが,VWPの人たちってまずこの区切り方がめちゃっくちゃ恣意的だったりします。それでもって,25msとか50msごとにグラフに点を売ったりしているわけです(eg., Ito et al., 2017, BLC)。え?待って?てことは50msごとにモデル作ってそれぞれで「検定」っぽいことしているわけ?LME(GLMM)使ってるからどうのこうのとか言う問題じゃなく,その分析の仕方っておかしくないですか?要するにt検定を数十回繰り返しているのと同じわけで,そんなことしたら第1種の過誤が飛躍的に上昇してしまうはずですよね(注2)?

たまたまBLCで見つけたので他意はまったくないのですが,Ito et al. (2017)ではその部分に対して以下のような記述があります。

This way of analysing the time-course increases the likelihood of Type I errors, but we note that the differences reported below show consistently reliable effects over multiple bins.

確かに論文中の図をみると,条件ごとの傾向がかなりはっきり出ているわけですが,だからといってそんな50msごとに「有意!有意!」みたいなことやるのは正当化されないでしょう。だって,繰り返しが多いので有意水準をめちゃくちゃ保守的にしますなんてことはやってなくて,t値が2超えたら有意ってことでいくんでよろしくとかやってるのですから。

VWPは手法としてはすごく面白いのだけれど,分析の手法が全然追いついていないのではないかというような印象です。このパラダイムで分析をしていくためにはもともとの注視時間のデータを割合にする(つまりある単位で区切ったときに,その単位時間のなかでどの領域をどれほどの割合で注視しているかというデータにしている)ということがおそらく不可欠だからかもしれません。そうではないと,視線計測の時系列データから興味関心のあるデータをうまく取り出すことができないからです。もっといい方法ないのかなと思うのですが…

もし仮に単位時間を恣意的に設定して「観測点」のように捉えることは出発点としてOKだとしても,それはやっぱり時系列データ分析の手法を持ってくるほうがいいように思います。以下の記事のような考え方です。

二つの時系列データの間に「差」があるか判断するには

自分でこの時系列のデータ分析を実装する技術を持ち合わせているわけではないのですが(そもそも視線計測のデータセットを見たことがないのであまりイメージも浮かばない),誤差による上下動があるなかでの特定の条件での「変化点」を検知したり,あるいは区域ごとではなく「全体として」プロセスが異なることを分析するような考え方ができたらいいのではと思います。区域ごとに区切って分析するとはいえ,前の状態の影響を一切受けずに次の状態が決まるわけではなく,前の状態があるから次の状態に移行するわけで。たぶんこれって視線計測装置とか文処理にかぎらず,時系列になっている(観測点が時系列上に複数並ぶ)データに対してはすべて当てはまると思うんですよね。longitudinal studyとかも含めて。

私も結局はエンドユーザーなので,自分がそういうデータセットを前にしたときにうまく分析して解釈できる自信があるというわけではないのですが,なんかもやもやするなぁと思いながらずっと発表を聞いていたのでした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

 

注1. もっと解像度の低い視線計測装置だとヒートマップみたいなもので視覚的にどの辺を多く見ていたかとかやることもあるかと思います。パッセージ読んでるときの視線とか。

注2. これはもちろん自己ペース読み課題の分析にも当てはまるのでブーメランです。

「タスク本」ができるまで

大修館書店から,『タスク・ベースの英語指導ーTBLTの理解と実践』という本が出版されます。この本は,名城大学の松村昌紀先生が編著者で,私も一部の章を執筆させていただきました。

私のところにも,出版よりも一足早く著者見本が送られてきました。実際にこうして製本されたものを手に取ると,いよいよだなという気持ちになります。今日は,「出版記念」(?)ということで,この本に対する思い(出)を綴っておこうと思います。長くなりそうな予感がしていますがお付き合いください。

この本に関わらせていただくことができたのは,色々な縁があったからです。私が名古屋に来て間もないある日,この本の執筆者の1人である福田さんに,「名古屋でやってる研究会があるんだけど興味ない?」と言われました。私は自分が知らない人ばかりの場所に行くのがとても苦手なので,実はその時はあまり参加に前向きではありませんでした。しかし,1回だけでも行ってみようと思い福田さんに連れられて参加しました。実は,その研究会を主催していたのが,タスク本の編著者である名城大学の松村先生だったのです。

もちろん,『タスクを活用した英語授業のデザイン』や『英語教育を知る58の鍵』などの著書で知られる松村先生のお名前は存じ上げていましたが,お会いするのは初めてのことでした。

行ってみるとその研究会はとてもアットホームでありながら,知的にレベルの高い議論が繰り広げられ,大変刺激的な経験をすることができました。松村先生は,初めて参加した私のことも快く迎え入れてくれ,私は今ではその研究会に毎月参加する「常連メンバー」となっています。

私は,松村先生が2012年に出版された前述の『タスクを活用した英語授業のデザイン』を読んでとても感銘を受けた多くの方々のうちの1人です。修士論文の研究もタスクに関するものでしたから,Task-based Language Teaching (TBLT)に関連する書籍や論文も読んでいましたし,松村先生がお持ちの英語教育に対する「思い」や「理念」のようなものに共感することも多かったです。

私が研究会に初めて参加してから1年ほどが経った2015年の4月から,Michael LongのSecond Language Acquisition and Task-Based Language Teachingという本を研究会で読むことになりました。この本が出た,そしてこれを読んだということがなかったら,もしかすると私達の本が出版されることもなかったかもしれません。確か,2015年の秋冬頃に,松村さんが「タスクの本を出そう」というようなことを仰っていて,「その時には福田くんと田村くんもぜひ書いてほしい」ということを仰っていただいたような記憶があります。もちろん,それは研究会の合間の他愛もない会話の一場面で,当時は本当に出版することになるとは,ましてや私も執筆者の1人として名前を連ねることになるとは夢にも思っていませんでした。

そして,2015年末に,浦野先生が「あの夜」と呼ぶ日がやってきます。

私は,松村先生とも浦野先生とも仲良くさせていただいていて,その日も浦野先生が名古屋にいらっしゃるということで,福田さんや数人の先生方と一緒に名古屋でお会いすることになっていました。そこに,松村先生も合流し,「松村先生と浦野先生が同じ宴席にいる」ということをとても新鮮に感じたように記憶しています。そして,浦野先生いわく「『あの夜』に俺が松村さんを(タスク本の出版に向けて)けしかけた」そうです(笑)。そして,2016年1月のセンター試験の頃,松村先生が企画案を作ってくださり,その後タイトルや内容についての交渉があり,2016年の5月頃から執筆をスタートさせたように記憶しています。

私の担当は,TBLTに関する疑問などに答えながらその解決策を提示するという主旨の第4章と,中学校・高等学校での実践に関する第7章でした。特に後者の執筆は大変難航を極め,私が第1稿を著者の方々にお送りしたときには「各章25ページ」という制限を大幅に超えた70ページにもなる原稿でした(笑)。内容的にはゆるやかな縛りしかなく,本当に私の「書きたいこと」,「言いたいこと」を詰め込みすぎてしまったために,「あれも書いておこう」,「これにも言及しておかなくては」とどんどんと原稿が冗長になっていたのでした。松村先生には,文字通り「ざくざくと」私の原稿を「斬って」いただき,最終的にはページ制限をオーバーしつつもなんとかOKサインをもらえたのでした。

松村先生と一緒に仕事をしたことで,「少しでも良いものに仕上げるためなら労力は厭わない」というプロフェッショナリティやプライドを間近に感じることができ,本当に刺激的な1年間だったなと思います。原稿の書き直しは何度もしましたし,校正の段階で松村先生からの手書きのコメントつきの校正紙を見てあまりのコメントの多さにそのままそっと封筒に戻して頭を抱えたこともありました。それはまさに,「査読コメントのファイルを開いてすぐ閉じる」ときのような気持ちでした。そこまでのエネルギーを注いで他人の原稿を読むことは,なかなか真似できることではありません。そんなときでも,「僕は自分の書いた部分はそれ(他の人の書いた文章にコメントしている)以上に書き直しをしているよ」とおっしゃっていただいたり,「僕1人では絶対に書けなかったと思えるような内容だから本当によかった」と励ましていただきました。著者陣の中でも一番未熟な私をそのように厳しくも温かく導いてくださり,本当に感謝の念に堪えません。

執筆する中で私が一番苦しかったのは,「私の原稿は松村先生の本を上回るものになっているのだろうか。新しい視点は提示できているのだろうか。焼き直しになってはいないだろうか」ということでした。私が書くからには,「自分にしかできない仕事」をしないと意味がありません。そうでないと,私が書く意味がなくなってしまうからです。そうした思いから,特に第7章の方では,具体例や実践者としての自分のビリーフのようなものを織り交ぜながら書くようにしました。

昨日の中部地区英語教育学会でいろいろな方とお話させていただいて,本に書いた内容でもまだ不十分というか,「十分に消化しきれない。もやもやが残る」というような部分もお読みいただきながらきっと出てくるだろうなと今になっては思います。ただ,それでも執筆当時は私の全力で書いた文章だったのです。この点については,今後の研究の課題として引き受けて,乗り越えていけるようにしようと思っています。

長くなりましたが,最後に。

私はアメリカの修士課程に在籍していたころからブログで文章を書くようになりました。今でも2011, 2012年あたりの記事を見ていると,本当に恥ずかしいような文章を(それも結構な頻度)で書いていたのだなと思います。WordPressに移行し,日本に帰ってきてからはこの「英語教育0.2」というブログをスタートさせましたが,アメリカにいた頃は「田村の日本語はめちゃくちゃだ」「アメリカにいるから日本語の文章の書き方を知らないんじゃないか」といったような「お叱り」を受けるようなこともしばしばありました。そんな私が,主にTwitterを通じてたくさんの方にお世話になり,あれから5年ほどの月日を経て,商業媒体に日本語の文章を載せることになったなんて,なんだか不思議なこともあるものですね。

いただいたチャンスを無駄にせず,今後につなげていけるよう,これからも一層頑張っていきたいと思います。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

CELES2017英語教育実践セミナー

以前このブログでも紹介させて頂きましたが(https://tam07pb915.wordpress.com/2017/03/28/seminar-celes2017-nagano/),明日6月24日に信州大学で行われる第47回中部地区英語教育学会の英語教育実践セミナー1で,「タスクを用いたスピーキングの指導と評価」と題した発表をさせていただきます。

投影資料についてはまだ細かいところで修正をするかもしれませんが,配布資料を印刷し終えたので,配布資料をGithubページにアップロードしました。

https://github.com/tam07pb915/CELES2017-Seminar

Githubでスライドを公開する方法がいまいちよくわからず,何度か調べたりしながらトライしたのですが結局うまくいかなかったです(github.ioを作ればよいことまではわかったのですが,HTMLファイルはそこで公開できても,Rmarkdownからreveal.jsを経由して作ったHTMLファイルをスライドとして公開するやり方がわかりませんでした…

配布資料は,pdfのものについてはRmdファイルからMS-Wordに出力したあとにPDFにしたものです。Wordファイルにした後で,フォーマットをいじったり一部穴抜きにしたりしてあります。Rmdファイルのものは穴抜きになっていません。

また,当日は私が担当したクラスの学生の発話を音声で流しますが,その部分については公開した資料からは削除してあります。

基本的には,『タスク・ベースの言語指導ーTBLTの理解と実践』で私が担当した部分で書いたタスク・ベースの指導における評価の考え方のような話をする予定です。先月に広島で私が話したこととも一部重複する話も少しだけあります。

この本のこともブログできちんと紹介しなければいけないので(順番が前後してしまいました),書きかけの記事をなるべく早く公開できるようにしたいと思います。

それでは,みなさん,長野でお会いしましょう!

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

 

 

RStudio 1.0.143

MacのRStudioを新しいversion(1.0.143)にアップデートしました。

何が変わっているのかなと思ったら,Rmdでコードを実行した時に,もはやコードの実行結果がコンソール上に表示されなくなっていてびっくり。これはこれで便利なのかもしれないけど,慣れていなさすぎて逆に戸惑っています…

もちろん,コンソール上に直接打ち込んでいたり,R Script上で打ち込んでいれば結果はコンソールに出るのですが,RmdファイルのRチャンクをつかっている場合,そのチャンクの下に結果が表示されるようになっていて,大きいデータはGUIでポチポチするようになっています。

別ウィンドウに出せるようにもなっていて,Notebook Outputと呼ばれているようです。

多分出力の結果によってこのアウトプットのされ方も色々変わってくるのでしょうね。細かいことはまだよくわかってませんが,ちょっと使ってびっくりしたのはこの仕様でした。

個人的にはRStudioは好きで今まで使ってきていたのですが,これはなんかちょっと違うような…

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

※追記

プロットも右下のペインではなくRチャンクの下に表示されるようになっているようです。

「コーパスやりたいです」の意味わからなさ

主にMの学生向けです。新入生も入ってきたりする時期で,どんな研究をしたいかという話をする機会が最近多いですが,なんかそれよくわからないなと思うので少しだけ。

タイトルだけだとコーパスに関わる研究をしている人を批判しているように誤解されてしまうかもしれないのですが,「コーパス」の部分には他にも色々入ります。それは後ほど。

「コーパスやりたいです」が意味わからないと思うのは,コーパスは,少なくとも私の中では道具や手段だからです。もちろん,コーパスが研究の対象となることも当然あって,「コーパス言語学」という分野もあるにはあるのでそれはもちろんいいです(「んなもんはない」という人もいるかもしれないですがその戦いにはコミットしませんとりあえず)。ただ,コーパスを研究対象にするにしても,一体なんのためにコーパスを研究の対象にしていて,そのゴールは何なのかということだけは考えてほしいなと思うのです。

何か見たいものがあって,それを見るためにコーパスを用いるのがベストな選択肢であるならば,コーパスを使うべきであると思います。ただ,研究課題に対して必ずしもコーパスを用いることが適切でない場合もたくさんあります。先にコーパスから入ってしまえば,コーパスを使って研究できることしかできないわけで,最初に決めるべきは研究の対象であって使う道具ではないでしょう。これは,第二言語習得研究で使われる測定具を「◯◯やりたいです」に当てはめて考えてみればわかります。

  • 文法性判断課題をやりたいです
  • 視線計測をやりたいです
  • 自己ペース読みをやりたいです
  • 語彙性判断課題をやりたいです
  • ERPをやりたいです

もちろん,測定具の妥当性を検証することという意味では,上記のやりたいことも研究になりえます。文法性判断ていうけど,一体それは何を測っているのか,測りたいものを測れるようにするためにはどんな工夫が必要なのかということは,それこそ第二言語習得研究の最初の頃から今まで続けられていますよね。これはいわゆる「テスト」も同じです。

  • スピーキングテストやりたいです
  • 語彙テストやりたいです
  • リーディングテストやりたいです

テスト自体も研究の対象になります。スピーキングテストっていうけどそれは一体何を測定しているのか,測定しようとしているものが測れているのか,そういったことを研究課題にするのがテスティング研究者なわけです。

ですから,「測定」に興味があるのはとても良いことですし,ぜひそういう研究やってほしいなと思うのですが,「コーパスやりたいです」と言われると,「コーパス使って何をやりたいの?」と聞いてしまいます。言語教育にコーパスを応用したいということなのか(だとすればどんなことに応用したくて,それがなぜコーパスという手段なのか),言語発達をコーパスで調べたいということなのか,言語使用の特徴をコーパスで調べたいということなのか。コーパス自体が研究の目的になることって,少なくとも言語学の講座ではない場合にはそんなに多くないのではと思います。

ですから,道具立てそれ自体にこだわるよりも大事なのは,研究したいこと,明らかにしたいことを明確にすることと,それに応じて適切な道具を使いこなせるようになることです。

私は文法の習得や文処理に関心があり,そうした研究をこれまで多くやってきましたが,例えば「どんな研究をされていますか?」というような質問を受けたときに「自己ペース読み課題です」と答えることはありません。「第二言語の文法習得や文処理を心理言語学的なアプローチで研究しています。例えば,自己ペース読みなどです」と答えるでしょうおそらく。

ただし,それだけが手法ではありません。常に自分の見たいものを一番見れる方法を考えていますし,新しい実験の手法があればそれを取り入れて研究をやっていきます。興味があることもたくさんありますから,自分の興味があることに合わせて手法も選択することになります。手法が先に来てしまうと,その手法で見れることしか見ないことになり,視野が狭まってしまいます。「コーパス」という手法にとらわれて,実は自分が見ようとしていたものがコーパス以外の方法でより確実に見れることに気づくことができないかもしれません。

その意味で,道具立ての妥当性や信頼性を検証するという目的があり,そしてそれが分野にどういった貢献をするのかを理解していて,なおかつそれが自分の本当にやりたいことなのだと思えるようでなければ,手法よりも先に「見たいもの」について考え抜いて悩み抜いたほうがいいのではないのかというのが結論です。

久しぶりの更新でした。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

英語教育実践セミナー@CELES2017長野大会

2017年6月24-25日に長野県の信州大学で開催される第47回中部地区英語教育学会長野大会の,英語教育実践セミナーでお話させていただく機会をいただきました。この企画は,中部地区英語教育学会長野支部の特別企画だそうで,なんと私の出るセミナーのタイトルは,「スピーキングの指導と評価」です。

ファッ!?いやいやスピーキングの研究とかメインでやってないし評価の研究もメインでやってないよ!?なぜこの話が僕のところに!?

というのがこのお話をいただいた際に思ったことですが,「はい」か「YES」しか選択肢がないのでお引き受けしました。原稿はとっくにあがってるのになかなか校正に入っていない「タスク本」(出版社がとてもお忙しいようです)に書いた内容とも関連させて,タスクを用いたスピーキングの指導と評価についてをお話しようかなと考えているところです。

時間は大会初日24日の10時からということで,ここ数年の中部地区英語教育学会では「恒例」というほどになってきた「英語教育研究法セミナー」の「裏番組」です。参加者として毎年英語教育研究法セミナーに出るのを楽しみにしていたので,そちらに出られないのは残念ですし,昨年度はかなりオーディエンスも多かったセミナーと同じ時間帯ということで,参加いただける方がどれだけいるのかとか不安はあります。そこは実践セミナーの司会を務められる浦野研先生(北海学園大学)にお力添えをいただこうと思います。

私がお話する内容は,「これがいい!」とか「この方法でやればスピーキング力が伸びる!」とかそういったことではなく,「こんな感じでスピーキングの評価を考えてみるってどうですかね?」というような「提案」になると思います(「提案者」としてお話するので)。フロアの皆さんとのやりとりを通して,スピーキングの指導と評価について考えを深められればと思いますので,ぜひ,CELES長野大会にお越しいただければと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

 

中部地区卒修論発表会2016の感想など

土曜日に,中部地区卒業論文・修士論文発表会2016に参加しました。去年までは基礎研として運営に携わっていたのですが,今年からは色々とオトナの事情とか私らの事情によりLET中部支部と中部地区英語教育学会の共催という形になり,「参加者」として楽しく勉強させていただきました。

他大学の学部生さんや院生さんの発表をこんなにたくさん聞く機会はなかなかありませんし,ゼミで後輩の発表にコメントするのとはまた違うので,主に「どうやってコメントしたら発表者の人に有益になるだろう」ということをずっと考えながら発表を聞いていました。酒井先生のコメントを聞くといつも自分のコメントの下手さに気づかされて凹むという恒例行事もありました。私はいつもの名大のゼミのノリでガンガン突っ込んだら発表者の方がちょっと機嫌悪そうな感じになってしまって「これはちょっとまずったかな…」と思っていたら,近くに座っていた知り合いの先生とも,

「知り合い?」

「あ,いえ全然知りません」

「あ,そうか,いや,結構ガンガンいくなーと思って」

みたいな話をしたので反省をしていたのですが,発表の後に「さっきは緊張してうまく質問に答えられなかったのでもう一度教えてください」と聞きに来てくれてホッとしました。私が言いたかったことは伝わったみたいでよかったです。発表者の指導教官の先生がいらっしゃっている場合などは,その先生とも話ができて個人的にはそれもよかったです。

私が一番いいなと思ったのは,「コメントシート」というシステムでした。プログラムと一緒に小さな紙が6枚(1人の人が聞くことのできる最大発表数分)用意されていて,そこに発表者の名前を書いてコメントを書くというものでした。学会の発表って質疑が盛り上がったり,くだらない質問やスピーチで時間が無駄になったりすると「質問したかったけどできなかった」みたいなこともあったりしますよね。

もちろん発表の後に個人的に伝えるという手段もあるのですが,発表の間の時間が短くて部屋移動とか考えると自分が移動しなくちゃいけなかったり気づいたら発表者の人がいなくなっていたりすることもしばしばあります。そんなときに,紙に書いて発表者本人に渡せるというのはいいなと思いました。発表者本人からしても,あとでその紙を見ながら落ち着いて見直すこともできますし,指導教官とシェアして相談したりということもできます。指導教官の先生からしても,自分の指導生の研究がどんなコメントをもらったのかは興味があると思いますし(たぶん),発表の場にいられないということもあるでしょうから,指導生がコメントシートを見せてくれたらそれは学生の研究指導に(直接的にではなかったとしても)役に立つのではないかと思います。

また,私も最初はそうでしたが学会発表のときに手を挙げて質問するのは特に若い人は躊躇したり勇気がなくて手を挙げて言えないこともありますから,そういう人たちにとっても紙に書いて渡せるのはメリットがありそうです。一応名前や所属を書くことが想定されているのだろうというスペースもありましたが,それを書かなければ匿名で質問することもできますし。

私は海外の学会に行ったことはないので雰囲気はわかりませんが,国内の学会だと質問が出なくて質疑応答の時間を早めに切り上げる(あるいは司会者の先生がアイスブレイキング的な質問をしたり)ということもしばしばあるので,コメントシートを作ったところで誰も書かないということもあるのかもしれませんが,書いて渡す(実際には司会者・コメンテーターの先生が回収して発表者に渡す)のならコメントしようという層もいるんでしょうかね。どうなんでしょう。講演やシンポジウムだとコメントシートを集めて回収というのはよくあるパターンですが,自由研究発表だとなかなかないですよね。あったらいいなと思います。

1つだけ残念だったことは,時間の都合などもあるでしょうが最後の講演まで残っている発表者や学生の方が少なかったことです。「発表しなきゃいけないから来た」という人もいたのでしょうし,それはそれであまり責める気にはならないです。ただ,自分が発表して終わりというのはもったいなくて,他の人の発表を聞くことでも自分の発表を相対化できる貴重な機会なのに,それを逃してしまうのはもったいないなぁと。最後の阪上先生の講演も,「これから教師になる人たちへ」っていう講演だったのに,本当にあの話を聞くべき人たちはあそこまで残っていたのかなと少し残念な気持ちになりました。「中部地区」というのは広いので,新潟や長野から来ている学生さんもいましたし,愛三岐以外からの発表者には新幹線の片道×1.5倍の交通費の補助が出たとはいえ,泊まりは厳しいので早く帰らなくてはいけないという事情もあったのかもしれません。プログラム作成が悩ましいですね。朝早くにすればそれはそれで前泊しないと間に合わなくなってしまいますし,かといって18時終了のプログラムだと帰りが間に合わないとなってしまったり。じゃあ,といって時間を圧縮するためにパラレルで1枠の発表数を増やせば(5部屋同時とか),人がばらけてしまってオーディエンスが少なくなってしまいます(そして部屋数が増えればお金もそれだけかかってしまったり)。難しいですね。講演を最初にやるとそれはそれで人が来ないかもしれないので,研究発表の間に講演を挟むっていうのもありかもしれません。

あとは懇親会ですね。発表者の人で懇親会に参加したのは3人(うち2名は名大の後輩)で,発表者の交流の場になったのかはちょっと疑問です。これも時間の問題があったと思うので,懇親会的なものをやるのだったらランチ(軽食)ビュッフェ的なものをやって,発表者の人たちが縦にも横にもつながりを作れるようなチャンスを作れたらいいのではないかなと思いました。この時間どうするかみたいなあたりは,それぞれの県が密集していて交通アクセスもそれなりにいい関西とかとの事情の違いですよね。

とまぁ色々言いましたけど,「じゃあ誰がそれやるの?」って言われると色々アレなんですが,全体的にはとてもおもしろかったですし,行ってよかったなと思ったので,持続可能なイベントになってくれればいいなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。