本格的にこの業界でやっていくにあたってとても大事だと思ったのでメモ代わりに。スライド13枚目の「学生は兵隊ではない」に笑った。”研究室リテラシー”と書いてあるけれど、社会人のリテラシーというくらいいろんな人に当てはまることだと思う。時々読み返して自分の生活を振り返る機会を持ちたい。
作成者別アーカイブ: Yu Tamura
今学期に授業で読む予定の文献
やらなければいけないことを放置してメモ。
今学期は自分の研究科とお隣の研究科で第二言語習得という名のつく授業を2つ履修する予定です。そのうちの1つで教科書として使用されるのがこれ。
Second Language Acquisition: An Introductory Course Susan M. Gass
定番ということですが僕はまだ読んだことがないので。これをテキストにして毎週1チャプターずつ進むようです。
もう一つの授業は特にテキストの指定はなくブックチャプターやら学術論文やらを読んでいくもの。以下読む予定の文献を羅列します。
- Ortega, L. (2009). Understanding second language acquisition. London: Hodder Education. (pp.1-11)
- Doughty, C. J., & Long, M. H. (2003). The Scope of Inquiry and Goals of SLA. In Doughty, C. J., & Long, M. H. (Eds.). The Handbook of Second Language Acquisition, Malden, MA. Blackwell. (pp.3-16)
- Krashen, S. (1982). Principles and Practice in Second Language Acquisition. London. Pergamon. (pp.9-37)
- Ellis, R. (2008). The Study of Second Language Acquisition (2nd ed.). Oxford: Oxford University Press. (pp.417-434)とCh.13
- Sonbul, S., & Schmitt, N. (2013). Explicit and implicit lexical knowledge: Acquisition of collocations under different input conditions. Language Learning,63(1), 121-159.
- Jarvis, S., & Pavlenko, A. (2008). Crosslinguistic Influence in Language and Cognition. New York and London: Routledge.
- Jeon, E. H., & Yamashita, J. (2014). L2 Reading Comprehension and Its Correlates: A Meta‐Analysis. Language Learning, 64(1), 160-212.
- Wolter, B., & Gyllstad, H. (2013). Frequency of input and L2 collocational processing. Studies in Second Language Acquisition, 35(03), 451-482.
- Godfroid, A., Boers, F., & Housen, A. (2013). AN EYE FOR WORDS. Studies in Second Language Acquisition, 35(03), 483-517.
- Baba, K., & Nitta, R. (2014). Phase Transitions in Development of Writing Fluency From a Complex Dynamic Systems Perspective. Language Learning. 64(1), 1-35.
- Sparks, R. L., & Patton, J. (2013). Relationship of L1 Skills and L2 Aptitude to L2 Anxiety on the Foreign Language Classroom Anxiety Scale. Language Learning, 63(4), 870-895.
- Lim, J. H., & Christianson, K. (2013). Integrating meaning and structure in L1–L2 and L2–L1 translations. Second Language Research, 29(3), 233-256.
- Bell, N., Skalicky, S., & Salsbury, T. (2014). Multicompetence in L2 Language Play: A Longitudinal Case Study. Language Learning. 64(1), 72-102
一応こんな感じです。後半の論文はレビューできたら…でき…たら…
なにをゆう たむらゆう
おしまい
2013年の振り返り
どうもみなさんこんにちは。久しぶりの更新です。本当は書きたいネタが2本ほどあって下書き状態になっているのですが、忙殺されてアップに至らずさらにブログの記事よりまず書かなくちゃいけないもんあんだろうっていう後ろめたさがあって置いておいたらまあそのままっていう。こういうところで書いている以上誰かに見られるという前提でやっているわけですが、自分のライフログ的な意味もあるだろうということでつらつらと。
僕にとっての2013年は、何年後かに振り返ってもきっと重要な意味をもっているだろうなと思うような年でした。やはり一番大きかったのは、日本に帰ってきたことです。実は、新しくこちらのブログにうつったのは日本に帰ってきて夏くらいからなんです。考えてみると、2013年の半分はアメリカで過ごしたのでした。日本に帰ってきてからの日々が濃密すぎて、半年しか経っていないのにすっかり日本に慣れてしまいました。
アメリカでの最後の半年間を振り返ってみると、思い出すことは修論のことしかありません。本格的に動き出したのが本当に年明けくらいで、そこから実験を組んで、データを取って、分析して、論文にまとめる。卒論を書かなかった僕にとってはどれも初めての作業で、手探り状態でした。つねに「これでいいのかな?」という不安を抱えながらの毎日で、修論の出来は決して良いものとは言えませんでしたが、それでもあそこで僕ができることは全てやったという気持ちで提出しました。先生とはいろいろとやりあったし、納得いかないこともたくさんありました。それも今となっては良い経験でした。そして、この経験がなければ、もう一度研究に没頭したいと思うこともなかったように思います。
日本に帰ってきてからの半年間は、大きなことが2つありました。1つは教員採用試験です。もう1つは臨時的任用教員として、中学校で勤務を始めたことです。
1つ目。教員採用試験は、帰国して2週間後に1次試験を受けるという状態で、なかなか対策もできないままに、そして「教員になりたいという気持ちはあるのに身が入らない」というもやもやした気持ちを抱えながらでした。結果として、1次試験は無事に通過したのですが、2次の面接試験で不合格となってしまいました。「ダメ元」で受けたつもりが、1次試験を通過してしまったことで変な期待をもってしまい、2次試験に落ちたときは本当に落ち込みました。臨任として働き始めて1ヶ月半ほどのときの発表で、日頃の業務に支障をきたさないように必死でした。ずっとずっと憧れてきた教壇に立ったはいいものの、なかなか思うようにいかずに苦しむ毎日のなかで自信も失っていました。そこにきての「不合格」という通知。泣きましたね。泣きながら帰って、頂いたDMだったりメールだったりを見てまた泣き。あんなに泣いたのはいつぶりだろうというくらい泣きました。僕は、今年教採に受からなければ学校教員になるのはあきらめると決めていました。そうは言いつつも、土日は疲れ果てて研究の方にはまったく時間を割けずにずるずるとここまできてしまったという感じです。
2つ目。今の仕事について。夏休みあたりに某市に産休代替教員として採用していただけることになり、中学校で働き出しました。非常勤ではなくフルタイムで、授業は週に20コマ教えることになりました。実習以外での経験もなく、しかも2学期から入るという難しい状況でした。しかし、それを言い訳にはしたくないと思い、とにかく必死に毎日の授業をこなしていきました。授業の記録などはこのブログでも何回か綴っていますので、授業タグのついている記事をお読みいただければと思います。前任の先生との比較をされるのがすごくつらくて、自分の不甲斐なさを毎時間感じながら、それでもまた授業をしなくてはいけない毎日。いやーつらかった。いや、まだ終わってはいないのですが。英語を教えるっていう以前に、「教育者」には自分はなれないなぁという思いが強いです。とくに中学校では、授業の時間が一番長いにも関わらず、それ以外のものがしめるウェイトがかなり大きいんですね。ほんと「人を育てる」というところ。そのためにいろんな取り組みがなされるわけですし、生徒指導や生活指導や教育相談なんかの重要性も僕が思っていた以上に高かったです。そういうのが好きな先生もいるのでしょうが、僕はなんかあれもだめこれもだめとか縛り付けたり、それ意味あるの?って思うようなことをやらせる「学校」っていうシステムに自分が適応できないと思ってしまったんです。あれこれ大人の理屈を子どもに押し付けて型にはめるようなのが、どうしても自分にはできないなと。そういうことやらないと収集付かないことになるっていうのもわかるんですが…とにかく教員ていう仕事に関してネガティブな気持ちしか持てなくなってしまいました。
そして、僕は博士後期課程への出願を決めました。落ちたらこれまた4月からどうするかを考えなくてはならないわけですが、とりあえず今は名古屋大学大学院への進学を目指して、研究計画sy(ry
はいやりますやります
なにをゆう たむらゆう
おしまい。
iPadを使って英作文を「発表」させる
いやはや先日のブログ企画の記事を書いて以来の更新になりますね。日々感じたことなんかはツイッターに流しているっていうのと、ゆっくりパソコンの前に座ってブログを書く時間がないというのがあってなかなか更新できませんでした。あいかわらず日々授業には悪戦苦闘しています。そんななかで、先日の記事の最後にもお伝えしたようにビデオ授業研では大変貴重なご意見をたくさんいただき、自分の授業の改善点がたくさん見つかりました。本当に勉強になりました。
さて、今日はITCを使った授業のお話。別に画期的な方法を思いつきました!とかではなくて、同じようなことやっている人もいるかと思いますがこんなことやっています程度の話です。まあICTって実は使うのが難しくて、「あったらいいけどなくても同じことができる」レベルの話だと正直使いづらいんですよね。なので、どうしたらその特性を活かして授業ができるかなというのはよく考えます。僕がいつも教室に持ち込むICT機器としては、テレビ、iPad、iPhone、それからBluetoothスピーカーです。教科書の音源なんかも全部iPhoneにいれて、スピーカーに飛ばしています。これは結構やっている人も多いかと思いますが、教室の前にいなくても音源を操作できるのがいいです。iPadはHDMIケーブルでテレビにつないでいます。Keynoteを使うときにはiPhoneのKeynote Remoteというアプリを使ってiPadのスライドを操作するのですが、Bluetoothでつなぐと接続が不安定で認識されたりされなかったりして、一回接続が途切れるともう一度再登録してやらないといけないのでそれがめんどくさいなとは思っています。また、iPhoneからBluetoothにつなぐ機器が2つっていうのもたまにあれれとかなったりします。こういう設定とか準備に貴重な授業の時間を割きたくはないんですよね。だったらそういうの使わないほうがいいわけですし。それでその準備をしっかりしておくためにも僕はいつも教室にはできるだけ早く行くようにしていて、授業が続くときは前の授業終わったらそのまま次の教室に移動するようにしました。音楽を流してテレビとかをセッティングして、Today’s Menuと本日の目標を黒板の両端に書くところまでやって授業のチャイムが鳴るのを待っていたいんですよね。このくらいの余裕を確保するのは特に1時間目とかは掃除のあとで難しいのですが…
それで、最近僕がiPadを使ってやりだしたのは、英作文の添削です。僕はよく文法の定着活動として、文法項目を明示しないライティングをやらせるのですが(定着と明示しないというのは一見矛盾しているようですが)、それをiPadのカメラで撮って、テレビに映して全員で見ながらその場で赤を入れるということをやっています。そのためにこの前スタイラスペンも書いました。もちろんこれは生徒に黒板に書いてもらってそれを添削していくのとやっていることは同じですが、前に書いてもらうことって時間もかかるし、ハードルの高い作業なので、一部の英語が得意な子にしかやってもらえない可能性が高いんです。特に僕はまだ授業の雰囲気作りで発言しやすい雰囲気を造っているような段階ですし。その場でちょっとカメラで何人かの生徒のを撮ってテレビに映して添削していくと、それを見ただけでは本人とよくてその周りの数人以外は誰の書いたものかはわからないので、文を書いた本人が「直されている」という感覚があるだけで、それはクラスでは共有しづらくなると思うんです。そうすればできてるのに自信がないという子も自分の書いたものを「発表」できる。もちろん「この字はきっと○○だー」とか「字きれいだから女子だな」とか言ってる生徒がいるわけですが「誰が書いたかじゃなくて何が書いてあるかが大事」といつも言っています(現実には実は誰が書いたかの方が大事なことも多いっていうのはツイッターでもよく思うことなのですが)。こうやって犯しやすい間違いとか、よくできているところ、あるいはある程度長めの課題だと文の構成なんかも共有した上で、少し手直しする時間を取ってから回収して、僕が個別にまた見て返すようにしています。
それで、PDFだとGoodReaderを使えば手書き文字を入れることは簡単なのですが(GoodReader最近よく落ちますけど)、写真に手書き文字いれられるアプリでなかなかいいのがなくて、iPadに入れてあったNotebook+というので写真を貼り付けてやるということをやってたのですが、僕の持っている第二世代のiPadのカメラは画質が悪いのにさらにこのアプリで表示して拡大すると画質が落ちてすっごく見づらかったんです。で、いいのないかなあとぐぐったらSkitchというのを見つけました。もともと、iPadに手書きで入力するという使い方をしたことがなかったのでそれに使えるアプリを全然知らなかったんですが、これって結構有名なやつですかね…?Evenoteが出しているアプリのようです。これを使えばまあ手書きはとりあえずOKそう。他にもいろいろ記号とか入れられるみたいだけどそっちはちょっと今のところうまい使い方は思い浮かばないかなあ。
授業中に全員で共有するような時間がなかったときは、回収してスキャンして、次の授業でそれを提示しながら添削しています。こういうときにScanSnapがあればな…とまたScanSnap欲しい熱が再燃しています。授業で使用するプリント類もなるべくスキャンして提示しながら進めていきたいですし。教科書も裁断して全部PDFにしたいです(まあ僕の立場じゃたぶん無理でしょうけど)。まあ僕がこういうことをできる(考える)のも、フロアに3台テレビがあるっていう環境があるからなんだよなとは思います。ICTに関してはいろいろめんどくさいことが多い環境ではありますが、機器がかなり自由に使えるというのは恵まれていることですもんね。
同じようなことはテレビやスクリーンと書画カメラがあればできますが、「デジタル」で添削することの良さはそこでもう一度自分で書き直しができるっていうことだと僕は思っています。書画カメラで生徒のプリントを映しながら実際に添削するのを見せることもできますが、その場合その生徒の手元にはもう赤が入っているものが戻ってきてしまうし、なにより添削を見ながら自分で手直しすることができないんですよね。その点でiPadは便利だなと思います。一方的に提示するだけじゃない、そんなICTの使い方をこれからも考えて実践していきたいです。
さて、来週には期末テストがあるので、時間に余裕のあるこの土日で作ってしまいたいと思います。それでは。
なにをゆう たむらゆう
おしまい。
「なんで英語なんか勉強するの?」と訊かれたら
anfieldroad先生の
に参加しています。
というわけでこの企画はいつも楽しみにしていて自分も記事を書いていますので、今回も(この企画であとだしは結構ずるいので、他の人のはちらっと読みましたがそれはできるだけ読まなかったことにして書きます)。
既にたくさんの方がこの企画にブログ記事を寄せていらっしゃいます。そのリンクのまとめは随時こちらにアップされるということです。
タイトルにもあるとおり今回のテーマは
生徒に、「なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?」と訊かれたら、なんと答えますか?
というものです。
このブログに初めてお越しになる方もいらっしゃると思いますので簡単に自己紹介させていただきますと、僕はいま某市の中学校で臨時的任用教員として勤務しています。その前は今年の6月までアメリカの大学院にいました。なので教員歴はまだ2ヶ月です。
さてそんな僕がこの質問にどう答えるかということですが、実はこれにかなり似た内容の記事を以前のブログに書いていました。
上記リンクのTask 2が、「なんで英語なんか~」の答えかと思います。それで、中学校ならこういうかなあということでこんなことが書いてあります。
「義務教育だからやってください卒業したら英語が必要ない道を自分の好きなように選んでいただいて構いませんから。」
この記事を書いたのは今年の4月で、これを書いたことは覚えていましたがどんなこと書いたかは正直忘れていたんですね。それで、このブログ企画用に文章を書くにあたって読み返してみてびっくり!僕がこの前教室でした話とまったく一緒!w
僕はちょうど一ヶ月前くらいにこんな記事を書いていて、ちょうどこの記事のクラスで、なんで英語を勉強するのかっていうのを話した時がありました。コメントで、なんで英語やらなきゃいけないのという質問があったからです。
そのときに話したことはまさに上記のような話で、「そもそも勉強したことが役に立つかどうかなんて勉強しているときにはわからないものだし、14歳の時点でその選択ができるわけないんですね。だから全国の中学生はまったく同じ内容と量の勉強を全員がやるわけですよね。中学校でやる勉強は本当に自分のベースになるものだから、それもできてないうちにその先には進めないし、どんなことやるにしても基礎練はあるじゃないそれと一緒だし基礎練はたいてい楽しくないでしょ」という話をしました。続けて「ただし中学校を卒業したら、その先の人生の選択は自分でしていいんです。本当に本当に英語なんか絶対にやりたくないと、そういうことでしたら、英語を勉強しなくてもいい道を選んでください。」と言いました。
正直これを言うのは英語教師としては不合格だろうと(まあだから教採もダメだったんだろう←自虐)と思います。ただし授業中の様々な活動やテストを使って「できるじゃん!」「少し頑張ってみようかな」とちょっとでも思わせるようにやっているつもりですし、残りの限られた時間の中でこれからもそうやってencourageしていこうと思っています。
全体に話すときにはやはりある程度話を抽象化する必要もあるしそうなると制度的なものを持ち出すんですけどまあ個別に対応するとしたらもっとその原因にあたるものを突き詰めていって対応するのかなとは思います。
昨日すごく印象に残ったのは「人生は楽しいんだぜ」「生まれてきてよかったな」「これからの人生は自分で決めていいんだぞ」この3つをとにかく伝えることが教員の仕事なんだっていう言葉。
— 好青年ムラタくん (@tam07pb915) August 26, 2013
これは僕の恩師の高校の先生がおっしゃっていたことばなんですが、僕が中学校の先は自分で決めていいんだよっていうのはこれの3つ目のことを意識してのことです。高校に進学する生徒がほとんどだとしても、高校も普通科だけではないですし、高校に進学しないということだって尊重されるべきだと思うんです。僕の中学の同級生だって高校に進学しないという道を選択した人と、僕みたいに親に養ってもらいながら好きなことばっかりをやってもう20の半ばまで来た人と、もう10年も前からずっと働いている人と、どっちが「えらい」とか「成功」とか「幸せ」とかそんなことは比べられませんし比べる必要もないと思うんです。
で、その中で英語を勉強するよりも大事なことがあるならそれを一生懸命頑張ればいいじゃないと思うんですよ。
勉強しろとは僕も毎日言ってるんですがそれはこっちで「ちょっと頑張ったことで自分が伸びたことがわかるように準備して待ってるから」なんですよね。そこに乗ってほしいだけなんです。
なので、「英語は勉強しなくてもいいよ」と言っても生徒が英語を勉強するっていうのが究極的な理想ですかね。「できた」→「楽しい」→「もっと頑張ろう」っていうこのスパイラルに引っ張っていければそんな英語はなんで勉強するのなんて小難しい話とかいらないんですよ。
なので一応の答えとしてはさっき書いたとおりで、それよりも大事なのはできるとか楽しいとか思わせて頑張らせるということですかねえ。
あ、そういえば
なんか僕の授業をメッタ斬りにするイベントが来週末に開催されるようです。みなさまぜひぜひ僕をいじめに来てください。
[SETC&ASTEK][サークル] 2013年11月例会のご案内
それでは。
なにをゆう たむらゆう
おしまい。
2次対策の面接練習で気づいたこと
学校は組織なんだから。自分の授業だけよくなったってしょうがないんだよ。学校全体のレベルがあがらないといけない。大事なのは、教科としてどうやってレベルアップをはかるのかということ。
先週一週間を振り返ろう
※前半はただの日記です
8/6 LET前日の飲み会 (当たり前ですが)初めてお会いする方がほとんどでしたがとても楽しかったです
8/7 配属先の中学校へ。引き続きとか。その後遅刻してLETのワークショップへ。Excelの関数とかの最初の話ちゃんと聞きたかったなと後悔。効果量についての話は、この話を聞いていたのでJASELEのワークショップの話もすんなり入ってきました。
8/8 7:25羽田発の飛行機で函館へ。前日午前0時を回ってから帰宅し初電の4:59の電車に乗るというタスクを遂行。朝市→赤レンガ倉庫→五稜郭タワー→函館山と1日観光。美味しいものもたくさん食べました。
夜に行った居酒屋さんは根ぼっけを売りにしているこちらのお店↓
http://tabelog.com/hokkaido/A0105/A010501/1004944/
ほっけの刺し身がどうしても食べたいと思っていたので満足でした。値段設定はやや高めだと思いますがコスパはいいと思います。
8/9 函館は大雨。もちろん傘なんて持っていない僕はホテルから目の前の函館駅まで土砂降りの雨に打たれながら走りました。大雨の影響で電車は運休で人が溢れかえっていました。幸い僕は高速バスを予約していたのでセーフ。5時間ほどバスに揺られて札幌入り。
札幌は美人が多い!しかも想像以上に都会!こんなに栄えてるんだなあと。モントリオール、ボストンについで僕の住みたい街ランキングの3位に入りました。しかし3日間いても縦と横がこんがらがって自分がどっちに向かって歩いているのかよくわかりませんでした。前夜祭では集金係ということで社会人基礎力が試されたわけですが2次会は僕も酔ってたのでこうなんかはいすいませんでしたやっぱり早いうちに集めるのが吉なんだなと思いました。
そんなわけで2日間の学会(http://www.heles-web.com/jasele_hokkaido/)が始まったわけなんですが、主に特別講演とシンポジウムを聞いて思ったことを(ここからが本番という意味でのBold)。
白井先生のお話を生で聞くのは初めてのことでしたが、まあ一応言語習得の勉強はしてきたつもりなので内容に特に目新しいことがあるわけではなく、さらに白井先生も「俺はこれが正しいと思っている」というような自分の信念を前面に出すような語りではなかったのが印象的でした(そういう意味ですごいうまいなと思いました)。あくまでも、言語習得研究でわかっていること、まだわかっていないことをしっかりと提示しつつ、これからどうしていくべきなのかというのをわかりやすくまとめられていました。
特別講演での白井先生の話は下記ブログ記事にまとめられているので(ほんとよくこんなことできるなと思いますw)そちらをどうぞ。
僕は別に今は教員をやっているわけでもなく、かといって研究者(の卵)としてゴリゴリ研究やってるわけでもないというなんとも宙ぶらりんな立場でこの学会に参加したわけですが、それでもこれから公立の中学校で臨採やることになっているので、そのことを考えながら聞いていたんです。インプットの大事さっていうのはそうなんですよね、でも基本的に中学校って、毎レッスンごとに新しい語彙、新しい文法があって、それを導入して、本文の音読なりやって、まあそのあとにアクティビティ的なものがあるわけなんです。だから、「わかる英語を大量に」っていうのが普段の授業ではなかなか難しい。リスニングとかも、結局選択問題を解くためのリスニングになりがちで(もちろん理解の補助のためにそういう問題があるわけなんですが)、その先がない場合が多いんじゃないかと。
で、実際の教室で、30とか40人の生徒がいる中でSLA研究の知見からわかる正しいことをやればいいんだっていうのもちょっと強引なところはあるわけで、それを「こんな素晴らしい実践やってる先生だっています(だからできる)」とかって成功例だけ見せれられても、「はいはいその先生だから(できることでしょ)」とか「その学校だから(できるだけでしょ)」ってなっちゃうんですよ(たぶん)。「困難校でも素晴らしい実践」とかも、指導法とか技術云々の前によくわかんないけど「その先生がフツーにすごい」みたいなとこあるんじゃないかと思うんです。でそういう「その先生のなにが良い実践を生み出しているのか」がしっかり質的に記述されていくことはすごく大事だと思うんですが、それよりもむしろ「うまくいきませんでした」という事例研究のほうが大事なんじゃないかなと思ったりします。どう考えても成功事例の方が少ないわけですから(もし成功事例が多かったら今こんなことになってないはず)、成功事例の分析って成功した先生とその周りの研究者くらいにしかできないんですよ。例えば書籍やDVDなんかでその成功例がシェアされたとしても、そんなことはずっとずっと前からいろんな先生がやってるはずなのに、それを読んだ先生が自分の実践でもうまくいきました万々歳だったらもっと成功例増えているわけじゃないですかでも現実はそうなってない。本に書いてあるようにやってみたけどできないとかそもそも本に書いてあることをどうやっても自分の現場ではできそうもないってなってるわけじゃないですか。そこで、「なんでできなかったのか」のシェアですよ。「なにがうまくいかなかったのか」は全国の教員がだれでもできる。だから、なんかいろんな勉強会とかもカリスマ教師とか良い実践をやっている先生とかが呼ばれて「私はこうやってうまくやってます」とか言うのじゃなくて、自分の失敗をしっかり考察して、それを持ち寄る会とかにしたほうが有意義なんじゃないのかとか思うんですよ。で、そういうのを引き取って原因を分析したり分類したりする研究者がいて、それをフィードバックして、っていうことができれば。そのためには、例えば授業動画の公開という話がシンポジウムでありましたがそれも1つの方法だと思います。ただ現実問題、広く授業動画をシェアしようとなると生徒の顔が写っていたらダメだという問題があります。そう考えると、だれでもウェブで授業動画を公開できるということでもなく、やはり既存のプラットフォーム以外の形が必要になってくるような気もします。また、ただただ授業動画アップするだけじゃなくて、やっぱりある程度までは自分での考察が必要だと思うんですよ。前の記事にも書きましたが、切り取られた1つの授業だけを見て言えることなんてほとんどないに等しい。そこに考察があれば、見る方もポイントを絞って見れるしアドバイスもできるかもしれない。そういったプラットフォームができたらすごくいいな(誰かはよ
これから自分が本当に授業して、あろうことかこんな経験ゼロの若輩者があろうことが本採用の先生と同じ額の給料までいただいてしまうわけですから、そこをよく考えて自分の仕事を全うしたいと思います。このブログもできる限り授業でやったことうまくいかなかったことを書いていけるといいなと思います。
なにをゆう たむらゆう
おしまい。
P.S. 自分の発表は知り合いの方を含め10人くらいの方に来ていただいてありがとうございました。久しぶりに英語を喋ったのですっごいダメでしたし(発音でaccuracyとfluencyをごまかす芸風です)、発表の内容的にもさしてツッコミがなかったのであまり伝わってなかったんだなということとそれだけ面白くなかったんだなと思いましたすいませんでももし博士にすすむことになったら発表の内容のような問題意識で研究がやっていければなとは思っております。資料はこちらにあります。
JASELE2013で発表します。
発表スライドと予稿集の訂正版PDFそれから修論のPDFもdropboxのリンクで置いておきますのでどうぞ。
予稿集PDF
https://www.dropbox.com/s/eed0skfi2bgsnqm/YuTamuraJASELE2013.pdf
PPT
https://drive.google.com/file/d/0BzA9X1kZX185M1R0cVVrZ3VvYzQ/view?usp=sharing
ぐるぐるは誰のためにやるのか
さきほど投稿した記事の最後の方にも書いたんですがぐるぐるの話。
今回、ぐるぐるを含めた発音指導を授業の半分くらいの割合でやったんですね。一日中勉強させるので、長文読解とか文法とかやらせて解説してっていうのをひたすらやるのはつらいだろうと思いましたし、居眠りするような生徒も出てもおかしくない雰囲気でしたので。それに短期間で達成感を得て合宿を終えてもらうとなると、発音ていいターゲットじゃないかと思ったというのもあります。全6回の授業で、長文が劇的にスラスラ読めるようになったり文法問題の正解率がぐんとあがるようなことってなかなか難しいと思いますが、発音は意識改革と集中的な訓練で割りと効果が出るような気がするんです(もちろん継続的な指導がないとそのうち効果が消えていくでしょうけど)。
それで、ぐるぐるをやってみて、いつも家元のブログで見ているような、OKを出した時に「よっしゃー!」と言って飛び上がって喜んだり、ずっとつっかかっていた箇所を今度こそとチャレンジしてまた失敗した時に「ああああああああ!」と言って床に倒れこんで悔しがるような場面を目にして、ああこれがぐるぐるの効果なのかなあと思う場面が何度もあったんですね。
でちょっと考えてみたんですけど、あのぐるぐるっていうのはその活動の本質である「圧倒的否定の連続からの承認」というものがすべてを決めているのであって、誰がやってもぐるぐるやれば上述のような「イキイキしている」あるいは「輝いている」みたいな状況って作り出せると思うんですね。発音指導をあまりされたことがなければ、最初からマルがもらえるわけはなく、最初はバツがずっと続くわけです。ひたすらに否定され続けるわけですね。そのあと否定され続けて、頑張ってできたときに承認されたらそれは嬉しい訳です。でもそれってぐるぐるというシステムが作り出してるんであって、教員の力ではないと思うんですね。でも実際にぐるぐるやっていると、自分が生徒を輝かせているような感覚になるんです。だから結構危ないなあとやりながら自分で思っていました。
それと、発音指導やっているとちょっと気持ちよくなるような感覚もあって。それっていうのも教員自身がその指導中の絶対的な知になれるんですね。教員以外に正解をもっていない。という支配感といいますか。で生徒はそれに従順に従っていくような構図になるわけです。それって、たまに批判的に言及される「知識をひけらかすために自慢げに文法問題の説明をする教員」と重なる部分があるようにも思ったんです。どちらの場合でも「教員が絶対」「教員だけしか正解を持っていない」という状況が教員を気分よくさせるんじゃないかなあって。
そうやって考えた時に、ぐるぐるってやってる教員のセルフエスティーム補給てきな面もあるんじゃないかと思ったんです。もちろんぐるぐるやるためには自分がモデルを示せるくらいの発音ができることや、生徒の間違いに瞬時にフィードバックが出せて、どうすればできるようになるのかアドバイスをするというスキルも必要になってくるわけですが、それさえあれば比較的簡単に「俺が教えてやってる」感に浸れて、「俺が生徒の目を輝かせている」感にも浸れるんですよね。
そう考えると、生徒の発音をよくしてやりたいという思いの裏には、そういう教員の教員としての威厳を保ちたいとか指導している感を得たいみたいな感情が無意識に入り込んでいるように思ったんです(誰が考えた指導法かを考えるとまあ納得がいくんですけどね)。もちろんこれは僕が実際にやってみてそうなんじゃないかなと思っただけですので実際にぐるぐるを指導に取り入れている先生批判というわけではないです。僕だって合宿中ずっとやってたわけですから(家元門下生の先生に授業見ていただいたときにもやってて脇汗やばかった)。
逆に考えるとこれやらせると教育実習生とか新米教師みたいな経験のあまりない人は自信をつけられるという側面もあると言えるわけなのですが。兎にも角にも、このぐるぐるというやつはもし使うのだとしたら慎重に使っていかなければいけないなと思ったのでした。
なにをゆう たむらゆう
おしまい。






































