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不明 のアバター

Yu Tamura について

第二言語習得の研究者。博士(学術)。英語教育のことや統計・データ分析に関わること、趣味のサッカーのことなどについて書いています。

Task 1 & 2

ワタリ先生がご自身のHPで、英語学習法Ⅰという授業の資料を公開してくださっています。

https://sites.google.com/site/doeyowata/classes/2013/mel1

slideshareで投影資料を見ていたら、こんなTaskがありました。

  1. 生徒に「何で英語の先生になったの?」と聞かれたらどう答えるか。
  2. 授業中「英語なんて使わない。別に将来英語を使わない職業に就くからから関係ないし」と言って、学習活動に参加しない生徒にどういう話をするか

というものです。まあよく聞かれそうな質問ですし、僕も一応英語教員志望者としてこの質問の答えは用意しておくべきだよなと思ったのでこの機会にここに書いておこうと思います。

まず1の英語の先生になった理由ですが、僕の答えは

「それ以外に生業にするほど面白いと思えることがないから。教員以外の仕事をしたいと今まで思ったことがない。」です。小学校のときから教員になりたいと思っていましたし、本当にそればっかり夢見てここまで生きてきたので。

なぜ教科が英語なのかという点については、大学受験のときに、教員養成系学部を受けるには教科を選ばなくてはいけなくて、自分の好きな(得意だった)社会科か英語科で迷って、「まあ英語科ならその後もし気が変わってもつぶしきくかな」くらいの理由でした。当時は、「英語の勉強面白いのになんで英語嫌いな人多いんだろうなあ。自分が教員になってそういう生徒が一人でも減ればいいなあ」ということを思っていてそれが英語教員になりたい理由でしたが、今はなんというかもうあまりそういうことは思っていなくて、今でもやんややんや言われる日本の英語教育が、少しはそういう風に言われなくなればいいなあみたいなもっと漠然としたことを考えていたりします。歳を追うごとに目標がぼやけるっていうのもよくわかりませんが。それで「英語嫌いをなくしたい」願望がなくなったのは、実は靜先生の影響だったりしています。靜先生が埼大にいらっしゃったときは、なんだかすごい人が来たようだくらいにしか思っていなかったのですが、まあちょっと読んでみるかなくらいの気持ちで読んだ本で(多分心技体かな?)、英語が好きとか楽しいとかが目標じゃなくて、英語が上達することが目標であってそれを履き違えてる奴が多すぎるんだみたいなこと書いてあったんですねそれでまあグサッと来たわけなんです。まあそうだよなあと。できるようにさせるというところから楽しいとか好きになるということになるわけで、「英語が好き」は結果でしかないっていうのはそうだよなと。まあただそういうことを考えて、「学校英語教育の目標は英語力をあげること」っていう風になっていくと、「学校教育としての英語」の目的論的にそれってどうなのみたいになるんですね。やっぱり。僕は今でも「なぜ学校で【全員が】英語を強制的に勉強させられているのか。本当に全員英語力の上達(「使える英語」とかいう曖昧な目標)を目指して努力しなくてはいけないのはなぜなのか」というのがわかりません。それでこの点はタスクの2に関わってくることなんですが、これは英語に限らず学校での学習一般に関して「こんなことしてなんの役に立つの」系の言説としてよくあがりそうなことです。で、これに対するまあ無難というか妥当でありがちな答えは

「使うか使わないか今はわからないから、必要になったときに、自分で勉強ができるように、将来の可能性を狭めないために今勉強しなさい。今やっているのはそのための勉強です。」

僕はもしかしたら、

中学校なら

「義務教育だからやってください卒業したら英語が必要ない道を自分の好きなように選んでいただいて構いませんから。」

高校なら

「じゃあ英語勉強しなくてもいい人生選べばよかったじゃないなんでそうしなかったの?」と聞いてみます。

あるいは、

「なんだってできないよりできるほうがいいんだし俺ができるようにさせてやるから黙ってついてこい」

とか言うか。

でもやっぱり、中高生の段階で自分に何が必要で何が必要じゃないかなんてのを判断できるとは思えないですよね。だから学校っていうものがあってある程度パッケージ化されたものを教えているわけで。でもたいていは「あとで困るからやっといたほうがいいよ」的なアドバイスって正直そんな役に立たないんですよだってその程度じゃ「へーそっか」くらいにしかならないし「よしやらなきゃ!」と思っても結局長続きしない。それに、「英語ができないことによるデメリット」を提示して「やらねば」と思わせるよりは、「英語ができることのメリット」を提示して「できるようになりたい」と思わせたいですよね。ただしこの方向性で注意しないといけないのが僕が以前にも書いた、「英語が話せれば世界中の人とコミュニケーションができる」系の言説ですね。これってまあ確かに日本語しか喋れない人と英語も話せる人を比べたらそりゃあコミュニケーションが可能になる人数はぐっと増えると思いますけど、僕はやっぱりこのことによって排除される人たちのことも考えるべきだと思うんですね。

それはその通りなのですが、どれだけ英語が流暢になっても英語でコミュニケーション取れない人がいるっていう事実は忘れちゃいけないと思います。RT @gachawo: 最近よく思うんだけど、全然違う人種の人と普通にコミニュケーションとれるから英語ってすごいよな。

— Yu Tamuraさん (@tam07pb915) 2013年4月14日

 

こういうことはちゃんと教えたいです。もしも生徒が自分の英語に自身が持てるようになった時に、例えば他の英語圏の人たちと英語でコミュニケーションを図ろうとして「なんだよ英語もできないのかよ」みたいなことは絶対に思ってほしくないんです。

だから本当に学校教育って難しいんですよね。やっぱりどっかで理屈じゃなくて「やらなきゃだめなもんはだめ」っていうところがないと成り立たない気がするんです。前のブログでもこんな記事を書きました。

【授業】教育について考えた

教育ってそういう営みなんだろうなと思います。なのでできれば授業中にタスク2のような状況が起こらないように全力で頑張るしかないんですが、もしもそういうことが起こってしまった場合には

「10年後にもし本当に英語が一切必要なくて田村の授業は全て無駄だったなんだったんだあの時間はって本気で思ってたらその時は全力で謝って回らない寿司でも食わしてやるからとりあえずやっとけ」

とか言ってごまかしますかね…(今までの話なんだったんだっていうツッコミありがとうございます

まとまりませんがこのへんで。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

FonFとnoticing(とCR)

どうもみなさんこんにちは。なんだかあれれ?と思うことがあったのでメモしておきます。

題名の通りなんですが、Focus on Form (FonF)とnoticingはなにが違うのかって言うこととあとじゃあそれとConsciousness Raisingはなにが違うんだろうっていうことです。

FonFっていうのはまあ以前にも関連した記事を書いたんですが、

overtly draws students’ attention to linguistic elements as they arise incidentally in lessons whose overriding focus is on meaning or communication (Long, 2001, p.184)

とあって(これがあのTwitterでつぶやいてた1991論文の再録のやつです。元のページは他の論文で見てるから知ってるんですが一応2001の方で)、まあやっぱり意味理解中心の中で、あるいはコミュニケーション中、つまり学習者の意識が意味理解に向いているときに言語形式に注意を向けることなんですよね。

で、noticingっていうのも、それが言語習得の枠組みの中で使われる場合は、そのnoticeするものっていうのは基本的にはmorpho-syntactic featuresですよねというか僕は音声系のnoticing研究は知らないんですけどでも研究の材料としては形態素や文法構造に対して、意識が向いているかっていうのが多いと思います。それで、これはnoticingの曖昧さでもあるのかもしれませんが、このnoticingっていうのはFonFがいうような意味理解中心の中でのnoticingなのか、あるいはそれはあまり関係ないのかっていうのが気になってるんですね。僕が参考にしている先行研究を見ている限り、noticingをオンライン(underliningやnote-takingなど)で測る場合、例えばFotos(1993)ではリスニングとcomprehension questionのあと、あるいはディクテーションさせたあとにテキストを渡して読ませて下線引かせてるんですね。でこれってそうやることで意味への注意を減らして形式に注意が向きやすいように仕向けてると思うんですね。でもこの論文のタイトルは超絶すごくて、”Consciousness Raising and Noticing through Focus on Form”なんですよ。この記事のタイトルが3つ全て詰まっているわけなんです。アウトプットがnoticingにどう影響するかというのを調べたUggen (2012)でも、形式の違い(仮定法現在と仮定法過去)で形式への気づきの量に差が出ていて(後者の方がターゲット項目含め形式への気づきが多かった)、でも全体的には統語的要素よりも語彙に多く下線が引かれているという結果になっています。でまあ読ませる中で同時に線を引かせるってなると、意味と形式に同時に意識が向くわけですしそうなってくると形式への注意を喚起しないがきりは意味へ向かってしまうよなと思います。まあ形式への注意を見たいのだからできるだけそれを阻害する可能性のある要素(ここでは意味理解)をなるべく排除して観察するっていうのはそうじゃなきゃわからんじゃんということになってしまうんですがそうなるとこのnoticingってのは意味理解とは関係なしに(あるいはそれが主目的ではない)インプットを受けている中で形式へ気づきが起こればいいのか?ってことになってそれどうなんだろうってなってたんですね。

そんで、VanPatten (1990)では、形式への注意が意味理解を妨げるということが述べられていて(ここで注意が必要なのはこの実験における「形式」は意味理解への比重の少ない”meaningless” formであったということ)、それでFonFなんてちっと現実的じゃないんじゃないんみたいなことが書いてあったりするんですけどその文脈でSchmidtのnoticingの批判とかがちらっとあるんですね。おやそうするってーとこれはFonFもnoticingも意味理解中の形式への注意っていうことになるんか?とかなってしまってまあ大変。もしもそういうことであったとしたら、noticingを測る際に最初に意味理解を済ませてから取り組むとそれはFonFがいうところの形式への注意ということではなくなるし、でも意味理解のないところで形式に注意したところでそれがどうやって習得につながっていくかっていうところはありますよね。まあもちろんFonFというのは指導する側が、学習者の注意を~という文脈であって、noticingというのは学習者の認知プロセスの話ですから土俵がちょっと違うわけなんですけど、これに加えてRutherford & Smith (1985)のCR

“the deliberate attempt to draw the learner’s attention specifically to the formal properties of the target language” (p.274).

とかが入るとじゃあこれはFonFとはどういうふうに違うんだろうなあとか思っちゃうんですよ。先述のFotos先生の論文だと、FonFとCRっていうのがなんかどうも重なっているように見えてしまうというか。というわけで難しいです。

ではまた。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

参考文献

Fotos, S. S. (1993). Consciousness Raising and Noticing through Focus on Form: Grammar Task Performance versus Formal Instruction. Applied Linguistics14(4), 385-407.

Long, M. H. (2001). Focus on Form: A Design Feature in Language Teaching Methodology. In C. Candlin, N. Mercer (Eds.) , English Language Teaching in Its Social Context (pp. 180-190). London, England: Routledge, with Macquarie University and Open University.

Rutherford, W. E., & Smith, M. (1985). Consciousness-Raising and Universal Grammar. Applied Linguistics6(3), 274-282.

VanPatten, B. (1990). Attending to Form and Content in the Input: An Experiment in Consciousness. Studies In Second Language Acquisition,12(3), 287-301.

 

実習終わりました

どうもみなさんこんにちは。しばらく実習のことについてのブログを書けていなかったのですが、火曜日に最後の授業を終えて、今日ポートフォリオを提出して実習を終えました。これで僕は全てのコースを終えたので、あとは修論の提出のみということになりました。残り日数は少ないですが、他になにも心配することがなくなったので集中して取り組みたいと思います。

さて、実習のことについてブログは書いていなかったのですが、毎授業ごとにreflectionは書いていました。それらのreflection paperとlesson planの他にresumeとかが入ってるportfolioのリンクを貼っておきます(※123ページありますのでご注意を)。resumeに僕の今住んでる住所と電話番号が書いてあるので、それは黒塗りしておきました。

https://drive.google.com/file/d/0BzA9X1kZX185UVJvZWRoVS1tZXM/view?usp=sharing&resourcekey=0-pjcFqBTQnkuCJwmFUdot0g

portfolioがどんな構成になっているのか目次だけ紹介しておくと、

  • Introduction
  • Resume
  • Philosophy of Teaching Second Languages
  • Description of Teaching Site
  • Goals for This Practicum
  • Personal Needs Assessments
  • Personal Goals and Objectives
  • Reflections on Observations
  • Lesson Plans
  • Reflection on Teaching

という感じになってます。これは一応先生のrubricに沿ってこういう構成になってまして、何をportfolioに含めるかも僕が決めたわけじゃないということころがちょっとトリッキーです。各lesson planの後に、その授業で使った教材のDropboxのリンクを貼り付けています。また、全部読むのだるいしって言う方がほとんどだと思いますので、目次というものを作ってみました。初めてやったのでなんか試行錯誤しながら初めてWordが俺の言うこと聞かないとはこういうことかとか思ったりしましたが、目次をクリックしていただくとその章にジャンプするようになってます。このportfolioには僕が授業でなにやったか、その授業やってなにがうまくいって何がうまくいかなかったのか、なんでうまくいかなかったのかといったことが書かれていまして、lesson planとその授業のreflectionを読んでいただくとそれがわかるかと思います。

そんなわけで、まあ色々あったんですがやっとこさ終わりました。実習が始まった頃は、終わるときの自分が想像できませんでしたし、日々の授業も本当に手探りでした。カリキュラムがないので、自分で生徒さん達が今必要としていることはなんなのかというのを毎回の授業の中で探して、あるいは提出してもらったワークシートの丸付けをする中で見つけて、それを授業に取り入れながら、また自分が大切だと思うことも織り込みつつやって来ました。なので、毎回毎回授業を考えるのに本当に苦労しましたしかなり時間がかかりました。授業の時間は一回に3時間ですが、実際にその中でやる活動というのは1つかあるいは2つほどだったのですが、それでも正直指導案を書くのが本当につらいなと思うほどでした。

一番最後の授業では、最後にも関わらず新しいことにチャレンジしてみたりもしました。詳しくはportfolioの中のreflectionを読んでもらえばと思うのですが、カレンダーを見て、ひとりずつ僕と話をしてappointmentを取付けるというtaskでした。モデルを示したり、こういうphraseやsentenceを使おうという指導を一切せずに、今ある自分のもてる全てを使ってとにかくtaskを遂行するというのを目標にしました。もちろん僕は一話し相手に徹して、コミュニケーションを断絶させないような支援以外、つまり教員的目線での支援は一切しませんでした。それをPCのボイスレコーダーで録音し、あとでみんなで聞きながらフィードバックをしていくという授業でした。実はその前の週の授業で、Can I make an appointment?という文をターゲットとして扱っていました。また、授業のイントロでそのセンテンスをもう一度復習はしたのですが、結果的にそれを会話中で使った人は一人もいませんでした。もちろん僕が担当しているのは本当に下のクラスで、センテンスレベルで産出出来る人が数名いるかくらいであとは単語をどうにかつなぎあわせてコミュニケーションするという感じです。ですがそれでも、「アポをとる」というのは彼らにとってできなくてはいけないtaskです。なのでその彼らが必要としているtaskにまず挑戦させて、自分の現在のレベルと目標の差を確認してから、じゃあそこを埋めるためにはどういうことが必要なのか、例えばまずは曜日を先に、曜日が決まったら時間を決めて、ということや、”appointment”という単語だけや”I have appointment.”と言うと、特に後者はミスコミュニケーションが起きやすいこと、そこでCan I make an appointment? まずこれを最初に言おうという流れでもっていきました。

そのあとのフォローアップ、口頭練習と、同じタスクにもう一度チャレンジさせるという段階まではいかなかったのですが、担当の先生にその部分は後日やっていただくようにお願いしました。

導入→練習→活動

という流れを僕の中では初めて無視した授業でした。

task→支援→task

といった感じでしょうか。録音した会話を聞きながらフィードバックを行う中で、「あーそうか!!」とか「そうだった!!」みたいなのが見られたので、ある程度は狙った通りの「気づき」を引き出せたのかなとは思いますが、問題はこれで気づけなかったところをどうやって埋めていくのかというところ。松井先生がおっしゃっていたことですね。

全体を通しての感想は、本当にこれはここにいるからできた体験なんだなということです。自分が初めてアメリカに来た時や、TEFLのプログラムを始めたときには、英語がほとんどわからない喋れないという人たちに自分が英語を教えることになるだなんて思っていませんでしたから。「英語を教える」ということに関して、僕が実習をやった場所が必ずしも良い環境だったとは思いません。カリキュラムもありませんし、評価もありません。学校に来て勉強する生徒よりもはるかに勉強以外に割かざるをえないリソースの方が大きい人たちでした。衣食住に困っていないというまず生活の根本のところに不安を抱えている人たちですから、それは当然理解出来ます。そのような中でも、とにかく少しでもいいから英語力を伸ばしたいと頑張ってやってきました。僕がやってきた授業は日本に帰って教員になったときに直接的に役に立つものだとは言えないのですが、それでも、初学者中の初学者に英語だけで英語の授業をやったということは、日本の中学生や高校生にもやれと言われれば英語で授業ができるということかもしれません。もちろん僕はこの実習の中でも母語でコミュニケーションが取れればどんなに楽だろうとかどんなに時間が短縮できるだろうと思う場面に何回もぶち当たりましたし、日本で教えるときには日本語は大いに授業に活用して行きたいと思っています。それは指示面やクラスマネジメントでもそうですし、日英の比較対象の視点という意味でもあります。

もちろん課題もありました。portfolioのchapter 5と6あたりで触れられていますが、日々の授業の中で生徒のニーズに合わせた授業を臨機応変に展開しつつ、一つ一つの授業を有機的に関連付けることです。これは教科書があり、指導要領があり、といった日本の中高ではあまり心配する必要がないのかもしれませんが(教科書や指導要領に縛られるという別の問題はありますが)、自分で授業を考えつつやっていくなかで、あっちにいったりこっちにいったり一貫性を失ってたと反省しています。また、授業の一部を生徒とのインタラクションで組み立てようとしたときに、どうやって自分が考えているストーリラインに(自然に)の生徒たちを乗せていくのかという難しさも感じました。授業は指導案をのとおりには進みませんし、生徒とのインタラクションは予想はできても完璧な準備はできません。いつでも予想外の反応や答えが返ってきます。それにうまく対処しつつ、「なんで?」「どうして?」といったモヤモヤをできるだけゼロに近い状態にして授業を進められるかが難しいなと感じました。とっさにいい例文やコンテクストが思い浮かばなかったり、シンプルな英語で文法を説明したりというのに苦労しました。これは自分の英語力の問題でもあると思います。

こういった課題をどうやって克服していくかが、教師の卵としての僕の次のステップなんだと思います。

そんなわけで、修論頑張ります。

P.S. 僕が7回目(最終回の前)にやった授業を先生が見に来る予定だったのですが、日程の変更によってそれができなくなってしまったために、ビデオカメラで撮影してそれをYouTubeにアップしました。公開にするのはちょっとよくないと思うので、リンクをシェアした方だけが見れる限定公開の設定にしてあります。もし興味がおありの方がいらっしゃいましたらリンクをシェアさせていただきますのでTwitter等でご連絡ください。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

2013-03-26 14.44.21

「大学受験資格にTOEFL」だそうで

Twitterを離れてから2週間以上が経ったんですが、まあFacebookはちょこちょこ見てたりして、タイトルのニュースを目にしたのでありゃまあと。

 

大学受験資格にTOEFL 国内全大学対象 自民教育再生本部、1次報告へ

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130321/edc13032101310000-n1.htm

僕も実はこっちに来た頃とか、あるいは学部の4年次あたりではとりあえず入試TOEFLにしとけばいいんじゃんみたいなそういう荒っぽいこと言ってたのですが、まあそういう問題ではないんですよねということはTwitterで勉強しましたいやこれは本当に。試しにTwitterで「自民党 TOEFL」で検索してみるとこんな感じ→https://twitter.com/search/realtime?q=%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%E3%80%80TOEFL&src=typd

Togetterのまとめはあるかなと検索してみると一件だけヒット。あまり閲覧数は多くないですね。

自民党の入学資格にTOEFL推進への各種コメント

そんでまあ同じ日本人の留学生の方がこのニュースの記事をシェアなさっていて、しかも割りと前向きなコメントだったのでちょいちょい待ってくださいと思って

日本の大学生にですら難易度の高いTOEFLでどの程度を求めるのかは気になります。そもそもTOEFLで日本の大学生活に必要な能力を図っているかという点も。TOEFL導入すれば万事解決みたいなTOEFL信仰の人多すぎですね。

僕はそもそも「日本全体」に求める英語力のレベルがTOEFLでスコア出せるレベルであるべきかというのも懐疑的ですし、受験に必要となってくれば対策するのは学校教育機関になりますよね。TOEFL(「スピーキング力向上」が目的ならiBTですよね)がそこで対策できるレベルの試験だとは思いませんし、だとしたら生徒は自学で対策するか、TOEFL対策の学校に通うという選択肢を取ることになるでしょう。そういうことが可能なのは、そこに投じることができるリソース(主にお金)がある家庭の生徒だけになります。またTOEFLはそもそも受験にかかる金額がかなり高額ですので、何回も受験というわけにはいきません。多くに開かれているべき受験の機会が制限されてしまうことになりますよね。入試が日本の英語教育に及ぼす影響は多大だとは思いますしそこが変わると日本の英語教育も変わるかもしれませんが、そもそも大学入試というのはその大学が求める生徒を弁別するためのテストであって、それに英語教育を任せるというのもどうかなとは思います。というのは、日本の高校生の半分は大学入試を受けないからです。そういった複雑な要因が絡み合った問題なんですね入試とTOEFLの話は。国は計画だけぶちあげといて教育にはほとんどお金出しませんしね…

ってコメント残したらその方のご友人の方からなんか飛んで来まして

この記事に関しては自分も最初おおってなりましたけど、実際あまり期待はできないですね。。。日本は理由は何であれ、国際化を倦厭して、このご時世いつまで経っても英語教育に力が入りません。小渕さんの英語第二公用語化提唱あたり、英語教育改革が激しく議論されるようになってからもう既に10年以上経っていますが、反対の声も強く、思うようには進んでいません。閉鎖的で既得権益が様々に絡み合う日本では改革は進みづらいですね。東大秋入学の話が出た時も少し期待しましたが、結局教育者の不足や社会制度の問題等で実現困難との見通しのようで、やはりそれが日本かと少しがっかりしました。TOEFLを用いることに関しては、確かに$200の受験料はネックではありますが、かずやさんの言うとおりこれが実現すれば進学先の視野は広がるかもしれません。現行の日本の教育制度は大学受験のための高校、高校受験のための中学といった形であり、大学入試を変えるということは、それに応じて小中高のカリキュラムの変更等につながるでしょう。受験機会の格差は、高校教育がTOEFL出題範囲をカバーする限りさほどではないと思います。現在でも予備校に行ける人と行けない人で格差は十分ありますが、それでもなお、予備校に通っても早慶MARCHに受からない人もいれば、独学で東大に入る人もいます。やはり最終的に問題は教育者不足をどう扱うかと、保守派、反対派をどう退けるか、または妥協させるかという点に帰するのではないでしょうか。

ということなんですが、高校教育でTOEFLの出題範囲をカバーなんてそんなことどうやったら実現できるかもちょっとよくわからないですね。指導者不足というのもそれはそうなのかもしれませんが、学校教育で大学に進学するという目的のTOEFL対策をなんでやることができるのかと思います。しかもそれを元にして義務教育のカリキュラムいじるなんて意味不明すぎます。なんでTOEFLを目指したカリキュラムにしなきゃらないのかもわかりませんし、こういうこという人達がきっとオラオラグローバル思考でこれからの日本を背負おうとかしているんだったらほんと残念すぎてなりませんね。学生が海外に出ると無駄にマッチョなグローバル思考になるだけで本当に危ない気しかしません。

それからこの方は独学でも東大に行ってる人もいるとかおっしゃってますがなんでそんなマイノリティケースを出しただけで格差を是認できるのかはちょっとよくわからないですね。TOEFLの受験は万人に開かれてるとはとても言い難いのが現状ですしそれが日本の全大学受験生が必須になるような規模で実施できるようになるまでどんくらいかかるのかと思いますしね。たぶん、「リソースのない」っていうことに対する想像力が働かないんでしょうね。残念です。
進学先の視野がどうたらなんていうのはまさに、「学校で英語ができるようにならないことで将来ががが」論で、それこそ、現在でも、別にTOEFLが受験に必須にならなくったって海外の大学に進学するような生徒「も」いるでしょう。そうやってなんでもかんでも海外の方がいい(というかTOEFLのこと言ってるのだから英語圏の大学がいい)というような英語圏ワッショイ信仰は本当にやめたほうがいいですね。ほんとこれだから(ry
というわけでストレス発散したので勉強に戻ります。
では。
アメリカ New Hampshireより。
おしまい。

メタ言語能力の有無で文法の習得図るん?

どうもみなさんこんにちは。暖かくなってきて春らしい陽気だなと思ってたらまさかのsnow storm発動です。今朝も実習がある予定だったのですが、明日に振り替えということになりました。さてさて今回は授業で先生と話した話。僕は今curriculum developmentの授業を取っているのですがもうほんと先生が適当すぎて話にならなくて発狂しそうです。正直言って1番学びのない授業です。1ヶ月授業キャンセルして振替もなしとかちょっとよくわからないですね。それでまあ昨日先生と話したことについてです。

先生がモデルに示した受動態のユニットプランに、受動態の機能、それがなぜ使われるのか、どういった場面で使用されるのかを理解するというのがobjectivesに書いてあったんですね。
Students will be able to show why the passive voice is used:
  1. when the agent is unknown or important
  2. when we want to avoid mentinoing the agent
(以下略
 
と言った感じで。もちろん、文法項目の機能的側面は重要ですし指導されるべきだと思うんです。そこは同意です。でもそれを理解しているということと、それをL2である英語で説明できるかどうかには産出のスキルが要求されるので、理解したかどうかをL2で説明できるかどうかで測定するのってどうなのっていうかそれを目標に設定するのってどういうことなのって思ったんです。最終目標はその文法項目、ここでいえば受動態が適切に使えるかどうか、理解できるかどうか、が目標なのであって、文法知識をL2で説明できるかどうかはまた違う話なんじゃないのと思ったわけです。それでこの先生のよくわからないところは、機能を重要だと言うわりには能動態と受動態の書き換えをやらせてるってことなんですよね。まあ書き換えそれ自体はbe動詞+過去分詞っていう構造を覚える練習としてはアリなのかもしれませんけど。目標にも、
The student will know
  1. A sentence in the passive voice has a corresponding sentence in the active voice.
とかあったりして。
そういうことを、質問として先生にぶつけてみたんですね。そしたら、
「私は英語で説明できるなければいけないと思っているし、私の経験では、文法知識を言語化できる生徒の方がその文法項目の使用においても熟達度が高い。大事なのはmasterしてるかどうかでしょ?」みたいなことを言われたので、「masterってどういう意味で使ってるんですか?」って聞いたら、「orallyにミスせず使えること」と言われたので、「じゃあなんで口頭産出できるかどうかをテストしないで文法知識をL2で言語化することで見てるんですか?それができれば口頭産出でも誤りなく使えるんですか?例えばライティングで使えるようになったかをみたいなら受動態を実際に使わせて文章書かせて適切に使えてるかどうか見ればいいだけですよね?」と言ったところ、また「私は文法知識が身についているかをarticulateできることを生徒に求めるしそれができる生徒の方がよくできる」みたいな同じようなことを言われました。ほんとよくわかりません。
そのあとに、先生が、文法はword/phraseレベル→sentenceレベル→discourseレベルの順で指導していくそういうプランになっているべきとおっしゃったので、「僕たちは関係詞節のユニットプランを考えてるんですが、関係詞節を扱うときにおけるword/phraseレベルって例えばどういうことですか?」と聞いたところ、「例えばfill-in-the-blank exerciseで適切に関係代名詞を挿入できるかどうか」とのお答えをいただいたので、「でもそれって文を提示しているのだからsentenceレベルですよね?dependent clauseはそもそもそれだけでは成り立たないのだから文の中での働きを示さないことには意味ないですよね?」と聞きました。すると、「それでもまず、who, that, whichなどを提示して、whoは人に、thatとwhichはモノに使うと教えてから文を提示する」と言われたんです。「でも、whoもthatもwhichも、例えばwhoなどは疑問詞としての使用には生徒は慣れてるはずですよね?そこでいきなり文を提示せずにrelative pronounはこれですとかこれは人にとか説明されても、文を提示されるまではなんの話か意味わからないんじゃないですか?」と言いました。すると、「別に一つの授業でword/phraseレベル→sentenceレベルを扱うこともあり得る」とかなんとかいやまあ質問の答えになってないというか。そのあとに、例えば関係代名詞の使い分けを指導する場面では、whoが含まれる例文を幾つかと、whichが使用されている例文を幾つか提示して、それをグループ分けさせたり、また分けて提示して規則性を見つけ出させるような指導法は考えられないですか?」と聞いたところ、「私の生徒はルールをまず与えないとそのやり方でやってもなにも答えられないし、私はまあそれは使いません。まああなたたちの想定している生徒は優秀でなんでもできるのかもしれないけれど。」みたいなことを言われてもうなんなのって思いました。好きなようにやっていいとか言うわりには自分の中に答えがあって、しかもそれが自分が指導している現場ではこうだからというだけの理由っていう1番最悪なタイプ。今までずっとこの先生は本当にきらいだと思っていましたけど今回の件でより一層嫌いになりました。
このやりとりはほんと録音しておけばよかったなと思うくらいです。今まで不満がすごい溜まっててそれをうわーっとぶつけた格好になったわけですが。とりあえず書いてすっきりしたのでこのへんで。失礼しました。
では。
アメリカ New Hampshireより。
おしまい

「気づき」

どうもお久しぶりです。なんだか気づいたら3月になっていて、気づいたら3月11日になっていて、日本の方を向いて黙祷して、色々なことが頭を巡りました。今日はそのことについては書きませんが、いつか時間ができたら文章にしておきたいとは思っています(時間は作るものっていうツッコミありがとうございますgkbr

さて題名に「気づき」とだけ記したんですが、なぜブログ書く気になったかというと「気づき」(この括弧付きというところがミソかもしれませんが)ということについての記述があるブログの連続投稿を見たからです。こちら。

英語の学び方再考(6)学習は「気づき」に始まる

英語の学び方再考(7)様々なレベルの「気づき」

英語の学び方再考(8)使徒パウロの気づき

英語の学び方再考(9)直観による「気づき」

英語の学び方再考(11)直感と分析

英語の学び方再考(11)「気づき」に気づく

(11)が2つありますけど1つめは(10)の間違いだそうです。まあそんなことはどうでもよくて、このブログ記事の連投はまだ完結してないんですが、一言でいうとちょっとなに言いたいのかよくわからないという感じですね(※ケンカは売っていません)。タイトルからもわかるように、「英語の学び方再考」ということを綴っていて、(6)で「気づき」という言葉がでてきたのでそこからのリンクしか貼っていませんがその前にも話しはあります。僕は言語習得におけるnoticingというものに興味があって、その関係でこの記事にふと目がとまったわけですね。まあそれがこの括弧付きの「気づき」と同じ意味なのかはわかりませんが。読んでみると(6)の記事では「気づき」の訳をawarenessとしています。noticingという言葉は使われていません。というかSLA研究においても、The Noticing Hypothesisというのはすごい有名でSchmidt (1990)とかGoogle Scholarで検索すると2427本とか引用されてるんですけれど(ググるとPDF落っこちてます)でも実際noticingってなんなのよとかそのnoticingの定義が曖昧すぎるんだっていう批判とかは結構色々あって、さらに、そのnoticingってのが「言語習得に必須」なのか「習得を促進する」のかっていうのもあって、はたまた「何に」気づくのかっていうのとかわーわーしてる界隈のところではあるんですよね。そういえば某ふくたさんもnoticingという言葉はあまり使いたくないとおっしゃってました。ということでconscious awarenessとかが使われるんですかね。language awarenessなんて言葉もあったりしてややこしいですね。とどめはconsciousness-raisingですもんね。何が違うの?って思ってググったら日本語の文献がヒットしたりして→「Consciousness Raising とLanguage Awareness――その定義と言語教育における意義――」僕が図書館から借りてるこの本も、Language Awarenessってなんやねんとか定義甘すぎやろみたいなところを掘ってあったりしております。でもどっちかっていうとCRの方がより言語習得におけるプロセスの部分に焦点があって、LAはもっと広義に使われているようです。

それで脱線したんですけど、「気づき」とか「直感」とかそういうのが大事なんだということをおっしゃっていらっしゃるようで、

しかし「アウェアネス」という概念は、もっと学習の基本的な概念に関わる重要なキーワードであると筆者は認識しています。そのことを筆者はカレブ・ガテーニョ(Caleb Gattegno 1911-88)のセミナーに参加して知りました彼は1980年代に毎年来日してセミナーを開催していましたがあるとき講義の中でこう言いました。「教育可能なものは、アウェアネスだけである。」(What is educable is only awareness.)と。この言葉を聞いて大きな衝撃を受けたことを、今でもはっきりと覚えています。

という一節が(6)にあったりして、教育可能なものがawarenessってすごいなとか個人的には思っちゃうわけなんですよね。「気づき」って観察するのが難しいわけじゃないですか。教育の現場でということならなおさらですよね。「気づいた」かどうかどうやって確かめるのかってことなんですよ。どういうことをもって何に「気づいた」と判断するのかもかなり難しいことですよね。それがもしも「無意識」なものなのだとしたら余計に端から見て「気づき」の有無を判断なんかできませんよね。熟年の教師の観察眼によって判断するとか言われたらまあはいそうですかとしか言いようがないわけですけども。

筆者が英語を習い始めたのはちょうど太平洋戦争が始まった時期でしたから英語に初めて接するのは中学校に入った時でした。それまで英語らしい英語を耳にすることもありませんでした。英語のアルファベットの文字は多少知っていて、それは左から右に横書きにされるくらいの知識はあったと思いますしかしそれぞれの文字が、基本的に一つの音を表わしていることは知らなかったので、そのことを知って驚いたことを思い出します。先生はそんなことは当たり前のことと思われていたのでしょう説明もありませんでした。ただ、それぞれの音が日本語の音とどう違うかを熱心に説明し、反復練習をしてくださいました。 (強調は引用者による)

とか書いてあったりして、「基本的に」とかありますがそれって本当に「基本的に」なの?とかそもそも英語って綴り字と発音が一致しないから難しいんじゃないの?とか思ったりもして(※ケンカは売っていません)。だから先生もそんなことは言わなかったのだろうとか思っちゃいますよね。

話しは戻って、僕は、その「気づき」っていうのをもう少し調べてみたいなということがあって、consciousness-raising taskと気づきの関係についてFotos (1993)のreplicationみたいなことを修論でやってみようと思っています。気づきの観察をに関してもしかしたら何か面白いものが見えるんじゃないかなということで。

2013-03-11 20.57.42

そんなわけで僕も何言いたいのかはよくわからないブログになってしまいましたけれどまあそれはいつも通りあいも変わらずということで。ひっそりブログ更新してみました。

ではまた。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

 

嬉しい訪問者

どうも。実習の授業のことも書いておきたいのですがその前に昨日ことを。英語教育とは関係ない日記のようなものです。

昨日、僕の学部時代の後輩がボストンに来てくれました。彼らはSFからシカゴ→ナイアガラの滝→ボストンとアメリカを旅していて、今日NYにバスで発ちました。アメリカにはいろいろなところがありますが、その中でもボストンを行き先の一つとして選んでもらったことがなんだか嬉しいです(僕はボストンに住んでるわけではないのですがw

僕がアメリカに来てから、日本の知り合いと会ったのが初めてだったので、本当に嬉しかったです。ほんの数週間前に、Twitterで彼らがボストンに来ると知って、「いやいや早く言ってよそれwww」って思ったのは事実なのですが、会いましょうと連絡をして、ボストンで一緒に夜ご飯を食べることにしました。待ち合わせ場所に着くと、僕を見ての彼らの第一声は「たむさんwwwwwwwwwww全然違う人じゃないですかwwwwwwwwww 変わりすぎですwwwwwwwwwwwっw」 Twitterやfbで写真を晒しているのでご存知の方も多いかと思いますが今の僕は「金髪ヒゲ」ですしね。

やはりボストンはシーフードという後輩の要望にお応えして、yelpでいろいろ検索してBack Bayにある、Atlantic Fish Co.というレストランを予約しました。とても雰囲気の良いお店だったのですが、確かにちょっと敷居が高すぎやしないかと思わないこともなかったです。クラムチャウダーと生ガキ、それからメインを一人一皿オーダーして結構お腹いっぱいになりました。「毎日お菓子かハンバーガーしか食べてなかったんでほんと初めて食事らしい食事しましたよ…」ということでしたので、彼らのアメリカ旅行の良い思い出になっていれば幸いです。

ボストンまで車で行ったので僕はお酒が飲めませんでしたから、ご飯を食べた後は僕のアパートでお酒を飲むことにしました。車でManchesterまでは1時間ほど。昨日は相方もいて、帰ったらちょうど彼がご飯を食べようとお肉を焼いているところでした。相方も交えて4人で喋って、相方は先に寝たのでその後は日本語で色々な話をしました。後輩二人は4月から教員ということで、英語教育に関する話もチラホラと。いつもはあまり自分の分野の話を日本語ですることがないので、なんだかたくさん喋りすぎてしまった気もします(あまり先輩面はしたくなかったんですけど…

色々な話をしていて思ったことは、もう僕の中ではただの日常でしかないいろんなことが彼らの中ではキラキラした「非日常」なんだよなあということでした。左ハンドルの車しかりスーパーの広さしかり。別にこれは悪い意味では全然なくて、そういう感受性の豊かさというか鋭さみたいなのって大事だよなあと思ったのでした。旅行を通して、そうやって心動かされた瞬間に撮られた何百枚、あるいは千枚あるかもしれない写真たちが、未来の教材としていつか使われるのかもなと思うと少しワクワクしたりしました。

僕の相方はコンゴ出身ですが、彼と話す後輩を見て、「ああそうだよなあ今はなにも思わないけれど最初にコイツに会ったときはなに言ってるか全然わかんなかったよなあ」なんて思ったりもしました。彼らの「非日常」と僕の「日常」が同じ空間にある不思議な感じ。

本当にたくさんたくさん喋りました。僕から見たら彼らはまだまだかわいい後輩って感じなのは変わらないんですが、それでも僕らが幹事学年だった3年次に迎え入れた当時の1年生が、今や学科の最高学年になり、教採に合格して4月から教員になると思うと本当に感慨深いです。そして4月には僕が4年次に1年生だった子たちが4年生になるわけですからね。時の流れは早いです。

僕が学部時代大変お世話になったO先生には「田村はTwitterばっかやってなにやってんだ」と言われているそうなので、なんとか修論をしっかり書き上げて読んでいただけるように頑張ろうと思います。

後輩二人がNYでトラブルなく過ごして無事に日本に帰れることを祈りつつ、また1年半以上アメリカにいるのに僕の英語が全然うまくないことに失望されていないことを願いつつ、僕はしこしこと実習のreflectionでも書こうと思います。またその記事は後日アップすると思います。

本当に楽しい時間が過ごせました。わざわざボストンまで足を運んでくれてありがとうございました。

それでは。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

 

2回目の授業を終えて

どうもみなさんこんにちはお元気ですか。僕は元気じゃありません。なんだか授業のことだったり修論のことだったりでもやもやしてたり体調があまりよくなかったりで、先週授業をやったのですがそのことについてブログを書けていませんでした。今日はそのことについて。といっても、先日W先生に、「日本語より英語のほうが断然読みやすい」ということを言われましたので、詳しいことは僕のreflection paperを見ていただければと思いますw

こちらが先日の授業のレッスンプランのリンクです↓

https://docs.google.com/document/d/0BzA9X1kZX185RzB6d3dwR09uckU/edit?usp=sharing&ouid=114432753347870053945&resourcekey=0-vX2pHpQFXto6Qkyf8Cak-g&rtpof=true&sd=true

Twitterでもつぶやいたんですが正直な感想をいうと、僕自身この授業は結構「やっちまった」感が強くて、あまりいい授業とはいえませんでした。復習に力を入れて、主語+Be動詞の短縮形や否定の形が言えることを確認したあとに、それらを使って否定文や疑問文を書かせてみるということをやりました。前回は口頭産出をかなり徹底したんですが、今回は「書く」ということにより重点をおきました。もちろん、僕が相手にしている生徒さんたちのことを考えると、oralのスキルの方が大事になってくるとは思いますが、普段の様子を見ていると熱心にノートに書き写す姿をよく見かけるので、「書く」ことに対する抵抗や不安はあまりない、というかむしろ書きたいという欲を満たしてあげられるのではないかなという思いもありました。

文の書き換えの問題をいくつか載せたワークシートを見ていると、スペリングミスや文頭が大文字で始まってなかったりクエスチョンマークがなかったりというミスや、疑問文生成の際の主語助動詞転倒が理解できてなかったりというようなミスが目立ちました。ちなみに今回も現在進行を扱ったのですが、これの疑問文は既習済でした。ただしこれで躓いている人がかなりいたので、疑問文を時間をかけて復習(あるいは再導入といったほうがいいのかも)するのが先にあるべきだったと反省。

最後の活動は、導入済みの語句をスロットにあてはめてのペアでのguessing gameでした。ペアの片方が9枚の中から写真を選び、その写真を”Are you ~ing?”と質問していくという感じ(レッスンプランにはIs she/heと書いてありますがなぜAre youでやったかはpaperに言及があります)。one way information gap taskともいえるかもしれません。authenticityの問題はあるかもしれませんが、pedagogical taskとしてはまあ機能していたと思います。思っていたよりは食いつきがよくて結構意欲的に取り組んでくれました。

僕の書いたreflectionのリンクを貼っておきます。

https://docs.google.com/document/d/0BzA9X1kZX185R29VWUg0ME5ZZUk/edit?usp=sharing&ouid=114432753347870053945&resourcekey=0-K_CGGnzCSZUtF9gfho1Tgg&rtpof=true&sd=true

以下先生からのfeedbackで僕が「ああそうだなあ」と思ったところを抜粋して載せます。

一つ目は質問の仕方に関して。

Your original question, “What is s/he doing?” resulted in many possibilities. In order to differentiate instruction, you could have accepted the many partial answers you received on the way soliciting the sentence you had in mind. For example: The “Taking a break” picture resulted in “getting water” and “holding a glass” both of which are correct answers. Further questioning might have yielded the desired response: “Where is she?” (at work; in the office) “Why is she drinking water? “She’s thirsty; she’s taking a break from work).

二つ目はworksheetに関して。

Since the sheets were 2-sided, for the sake of giving directions, you could label each exercise or side of the paper as A or B so that when you referred to them you could cay, “Look at exercise (side) A….” Saying “the other side” doesn’t identify which side you actually want.

最後は全体に関して。

I would like to see a little more direct instruction. Just telling or showing a student something once is not teaching. It needs to connect to previous learning and all teaching should begin there then lead the student to the new information.

他にも自分が教えてるときは気づけなかった点に言及されていて勉強になります。ここまで詳細にfeedbackをもらえる機会はなかなかありませんしね。そんなわけで明日も授業があるのでその準備もしなくては。読まなくてはいけないものがどんどん溜まっているのでそちらにも目を配りつつ。図書館に本が結構届いているようなのでそれも引き取ってきます。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

実習先での初授業

どうもどうも。ここ最近のニューハンプシャーはなんだか寒暖差が激しくて、先週は最高気温が摂氏10度くらいになる日もあってなんだか身体がおかしくなりそうでした。最高気温が氷点下なんてこともあるので、最近はマイナス6度くらいまでならあまり寒くないと思うようになっています。

さてさて毎週火曜日に実習先で授業を見ていて、オブザベーションというよりはアシスタントみたいな感じで授業に入ってやってる感じでした。今日は、初めて自分が考えたレッスンプランに基づいて、僕が前で授業するという感じ。レッスンプランのリンクです↓

https://docs.google.com/document/d/0BzA9X1kZX185ZmJST2poOUZ1ME0/edit?usp=sharing&ouid=114432753347870053945&resourcekey=0-dcqSMdK1dnj9m84jAW4Qag&rtpof=true&sd=true

タイトルがLESSON PLAN FORMATになってるんですが、これはうちのFORMATをコピペして作ってたらタイトルだけ変え忘れてしまっただけでして、あのこれは僕が書きましたw

過去のエントリー(初めて感じた「褒める」ことの必要性「英語は世界中で話されているから勉強しよう」)あたりで、僕の実習先の様子などを書いているので、参考までにどうぞ。というかむしろバックグラウンド的なことはここでは省かせていただきますご了承ください。レッスンプランにざっと流れは書いてるわけですが、なにやったかっていうと、simple presentとpresent progressiveの比較と口頭練習ですね。時間は90分となってまして、全体で3時間のうちの前半を僕がやったという感じですね。学校教育ではないので、割りと時間とかに緩くて、そういうところ僕はとにかく隙間なく無駄な時間を極力なくしてっていうマインドなのでガツガツやりすぎてしまったかなという感もややあるんですが。

流れに沿って振り返ると、導入では写真を見せながら現在形の導入。ここ数週間は、基本的に現在進行形で日常生活のアクティビティに関する語彙を使って練習するという感じでやっていて、人称とbe動詞の一致や疑問文への変換など割りと機械的操作が多かったんですね。僕がなぜ現在形との比較をやったかというと、なぜbe動詞とV-ingという形式が使われて、それがどういう意味を表すのかというのを理解して練習に取り組んでいるのかという点にすごく疑問があったからです。主語がIならamでとか、動詞のうしろにingをつけて(例えばスペリングでいうとmakeにingをつけるとeが落ちるなんていうこと)は知っているんですね。でもそれの意味わかっているのかなあって。現在形は既習で、先生曰く現在進行形との比較をしたことはなかったということだったので、じゃあそこを扱おうと決めました。まずは復習として、テキストに出ている写真を見せて、それぞれの写真でなにをやっているかを確認。例えば、clean the roomとかmake dinnerとかdo the laundryとか。生徒さんたちは、この写真を見たらingをつけて言うように訓練されているので、cleaning the roomとかって答えてきます。そうやって動詞句を確認した後で現在形を提示。

これは僕が提示したスライドです。まず初めに曜日の確認をして、「はい今日は何曜日ー?」「火曜日だねー。明日はー?」「水曜日ー。」「明後日は?」「木曜日」その次は?」「金曜日」(以下略)みたいな感じでひと通り曜日がわかってることを確かめたあとで、このスライドの1枚目を出して、これだとアニメーションがわからないんですが、Mondayだけがスライドに出ている状態で、”Guess what I do on Monday?”みたいなことを聞いてみます。最初は「???」って感じなので、写真を見せて、”I do my laundry on Monday.”と何回か聞かせた後に文を提示。なんかもう機械的にリピートするクセがついているのか、僕がただ聞いているだけでいいからねと言ってもリピートする人も結構いました。真面目な生徒さんは僕の提示した文を一生懸命ノートに写していたり。さて、次のスライド。同じ要領で、曜日だけ見せておいて、なにが出てくるかを考えさせます。ちょうど今日が火曜日だったこともあって、”teaching!”なんて答えもでてきたりとかw 写真を見せて、ターゲット文を言って、文を提示。水曜日までいくと、なんとなく要領がつかめてきたのか、テキストの例を見て、”washing the car!”とかそういうのがいろいろ出てきます。こんな感じで、月から金までやって、そのあとはevery morningとかevery nightなんていうのを出したり。最後にはevery dayです。こんな感じで、現在形のもっている「習慣」の意味に焦点をあてました。別にGoogleで画像検索してもいいんですが、僕自身の写真を使うことで興味をひけると思いましたし、主語を一人称だけで文を作れるのでそうしました。習っているとはいて、現在形で主語がかわると三人称の-sがでてきてしまい、また現在進行形でもbe動詞の形がかわっていろいろ複雑になるので、極力シンプルにという狙いです。もう少し上のレベルだったら、例えば他の先生の写真だったりとか、あるいは生徒の写真を撮ったり、有名人の写真とかを探してみて使うのも練習にはなるかもしれません。とりあえず今回は一人称のみです。

現在形をいれたあとに、現在進行形との比較。まあありがちですけど実際にその場でやるってやつですね。教室内でその場で自然に表現できるものの方がわかりやすいと思ったので、

I drink water every morning.とI am drinking water nowの比較。前者を何回か言った後に、実際に水を飲むところを見せてI am drinking water now. といいます。そうやって、現在形と現在進行形の違いを示したあとで、I drink water. という文を提示して、アニメーションでamとingをくっつける様子を見せて視覚でも認識させます。

そのあとは、スライドで写真とともに提示した文を1つずつ見ながら、現在形と現在進行形の文をリピートさせました。リズムや発音にも特に気をつけながら長い文は後ろからon Wednesday→on the phone on Wednesday→talk to my friend on the phone on Wednesday→I talk to my friend on the phone on Wednesday.という感じでやってみたり。この文では主語のIがなくても同じリズムで読めるようにっていうのを指導しました。丸いテーブルが3つあるという配置だったので、うまく言えてないところはテーブルごとに指導したり、発音が間違っているときは僕の口をよく見るように言って、少し大げさにやってみせたりするようなこともテーブルごとにやりました。何回かやってると、ぱっと誰かが綺麗な発音をしていたりしていて、そこはすかさず「それ!今の!」とかって拾ってあげたり。

文が8種類のそれぞれ現在と現在進行形ということで最後の方ちょっとだれちゃっていたきもするのでもう少し読ませ方のバリエーションとかがあったらよかったと思います。

その後には、ペアを作って、ペアで1枚の紙を渡し、片面にはさきほど練習した文の現在形、もう片面には対応する現在進行形の文を印刷したものを配って、向い合って紙を持ち、現在形の方を見ている人は対応する現在進行形を、現在進行形を見ている人は対応する現在形の文を言わせるという活動をしました。説明したあとに、1組ペアを前に呼んで、デモをやらせたんですが、わかってると思いきやこれがなかなか伝わらなくて、結局とりあえずやってみようということでやらせたんですがほぼ全員書いてある文をただ読むだけという活動になってしまい、僕の授業を見に来ていた大学の先生と僕の実習先の先生も総出で教えることになる始末。これは大失敗でした。確かに少し複雑かなとは思いましたが…どうやったらもっとわかりやすく説明できたのかなあということは終わった今でも答えは出てません。

まあそんなわけで、途中で裏に書いてある文を言うんだということを理解した生徒さんが何人か出てきて、母語の通じる人同士では母語で説明しあっていたりしたのですが、それでもなかなか理解するのが難しかったようでした。そのあとにやったのはグルグルです。

https://docs.google.com/document/d/0BzA9X1kZX185Nzk3WlhZd19wd2M/edit?usp=sharing&ouid=114432753347870053945&resourcekey=0-4opmfnhJefj7g6ATTLl6FQ&rtpof=true&sd=true

こんな感じで、現在進行形の文を長さと難しそうな発音があるかないかっていう観点で僕の独断で並べました。まずざっとclearningとかroomなどのLとRや、laundryやdrinkにあるdrの発音あたりを全体で確認したあとに、テーブルを脇に寄せて、教室の真ん中で輪を作って、僕にとっては本格的にこれだけの人数(20人くらい)でグルグルをやるのは初めてでした。なるべく厳しくするように心がけたのですが、やってるうちに自分の基準がぶれたりしてないかとかいろいろ考えたり、あまりにも同じ所でつっかえすぎてるとその場で何回かリピートさせたりとかしてちょっと1人にかける時間が長かったよなあ絶対とは思いました。それでも、授業を通じて同じ英文を素材として使っていたので、「読まないで目を見て」という指示をださなくてもしっかり文を言えている人も結構いて、僕自身もチェックする際の距離感をやっているうちにどんどん縮めていけたと思います。やはりlaundryで止まる人が多くて、drinking waterまでいけた人はいませんでした。途中で、OK出たのにまた同じ文を言ってる人が何人かいたので一回止めて、一度OKもらったら次の文にいくようにと指示を出したら、できてないのに次の文にいく人とかもいてあれれと思ったのですが、そういう人が次の文、例えばroomでつまってたけど次のhomeworkはちゃんと言えるみたいな例もありました。そう考えると、なにも順番通りにしなくても、自分が言えそうなやつからチャレンジするっていう方法をとっても良かったかもしれませんが、そうやって指示したときに、どれからでもチャレンジしてよくてそれは自分で決めてもいいよということが理解してもらえたかどうか、というより自分がそれを理解させられたかを考えるとちょっと自信がありません。

文法的なことをいうと、導入時に形式を明示したいがために使ったam V-ingという形式のまま口頭練習させていたことがどうかという点はあると思います。I’mのほうが普通ですし、それは既習事項でもあるので、どこかでさらっとI am→I’mに変えて練習はそちらを使ったほうがよかったかもしれません。また、同じ文を最初から最後まで一貫して使うということにこだわったおかげで、その文を正しい発音で言えるというところまではいけましたが、結局使った文はI amといっておいてまったくpersonalizeされたものでもないですし、対面練習のときにも、曜日が固定されているということははっきり言ってどうでもいいことではあったと思います。別にcleaningが月曜でも、taking out the garbageが水曜でもなんでもいいわけで。ただし、じゃあここで、自分で1週間の予定を作ってみよう的な活動をしたとして、それがうまく機能していたかどうか、あるいはそれを伝えあうようなinformation-gap系の活動をしたとして、それがうまくいったのかどうか。僕はそれは結局ぐだぐだになってしまっただけだと思うんです。もちろん、実際にどういうところでやっているかレベルがどれくらいなのかは僕が一番わかっているわけでしてこういうこと言うのフェアではないんですが、僕は、このレベルではとにかくたくさん聞いて、たくさん練習する、僕はそれこそこれが「英語に慣れ親しむ」ってことなんじゃないのかなと思うんですね。それに、僕が授業に入って、発音に注意を向けるようにって指導しているために、自分から口に出して練習していたり、僕にそれを聞かせようとしてきたりということがあったりして、下地みたいなものはできているような気がします。そういう練習をさせるにも、意味は理解させた上でというところはしっかりしていかないと思います。そこが足りないとずっと感じていたので、それをやれたことはよかったんじゃないかと思います。まあそうはいっても、対面練習は初めてだったということもあって機能しなかったのでちょっと改善が必要なんですが…まああまり焦りすぎずというか、授業時間が90分あるといっても、あまり多くをつめ込まず、ゆっくり一歩ずつ、着実に、というのを忘れずにやっていきます。これからもっともっと授業やりますし。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

追記:2/14/2013

先生からのfeedbackと僕のreflectionのファイルのリンクを貼っておきます。もし興味おありの方いましたらどうぞ。

feedback

https://drive.google.com/file/d/0BzA9X1kZX185eHIxZFNDM3piZU0/view?usp=sharing&resourcekey=0-l8suJ-hZ9D-L7pyKNN_svw

reflection

https://docs.google.com/document/d/0BzA9X1kZX185YlRKYUdQcHBsemM/edit?usp=sharing&ouid=114432753347870053945&resourcekey=0-KulIpzylNPPd-WVIEd-tbw&rtpof=true&sd=true

Google Scholarと図書館アクセス

今まで知らなかったのでメモ。

僕はだいたい文献検索するときって、大学の図書館にログインして、そこで図書館なりEBSCOHOSTなりのデータベースで検索するということをやっていました。それ以外にもGoogle Scholarでも文献は探せますよね。検索も早いし、たまにタダでネットに落ちていたり、Google Booksでたまたま読みたいところが読めたりとかそういう「ラッキー感」みたいなものがありました。しかし、海外のジャーナルのリンクなんかは、そこからはPDFは有料でしかアクセスできないので、結局大学のアカウントでログインしてデータベースで探さないとっていうことをやっていました。ですが、Google Scholarには「図書館アクセス」という機能があることを知りました(下記画像参照)

http://scholar.google.com/scholar_settings?hl=ja&as_sdt=0,30

Google Scholar 設定 via kwout

これで、僕の大学の名前を検索すると、図書館とそれからProQuestにもつなぐことができました。これでつなぐとどういうことが起きるかというと、検索結果の右側に、もともとネット上にあるPDFへのリンクの他に、大学の図書館にあるフルテキストへのリンクが表示されるようになります(下記画像参照)

Fotos- Integrating Grammar Instruction and Communicative... - Google Scholar

別タブで一度大学のアカウントにログインしていれば、このリンクをクリックすればその文献のページに飛ぶことができるわけですね。

Shapiro Library Article Linker

 

あとはPDFをダウンロードするなりRefWorks等の文献管理ソフトにエクスポートするなりすればいいわけですね。文献の引用元なんかをたどるには、Google Scholarのほうが便利かなあという気がしてるので、これからはこっちをメインに使っていこうかなと思います。ていうかいまさら気づいたの結構遅かったなとか思ってるんですが…

そんなわけで雪が降ってますが頑張ります。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。