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大学教員が求める小学校外国語科の授業の在り方は?

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画を久しぶりに。いただいた質問はずばりタイトルのとおりです。

回答

さて,まず質問いただいてありがとうございます。あまり頻繁に質問をいただけるわけではありませんので,こうした質問をいただけることを嬉しく思っています。また,このことを私に聞いてみようと思われたことに対しても感謝申し上げると同時に,以下の回答が質問者様が今後,同様のサービス(Querie.meや質問箱等)で私や別の方に質問をされることを妨げるようなことがないことを祈っています(ここまで読んで,一部の人には研究者がよく受け取るメールのテンプレっぽいお断りの文章だなと感じられたかもしれません。私も書きながら,あれこれリジェクト通知かなとか思っています)。

前置きが長くなりました。

まず,私は大学教員の代表としてなにかを論じる立場にありませんので,いただいた質問に対する答えは「わかりません」となります。あるいは,外国語教育に関わる大学教員に限って,その総意としてなにかの意見を求められているのだとしても,その「総意」というのはわかりません。したがって,「お答えできません」と表現する方が良いかもしれません。

もし仮に,「(いち)大学教員(としてのあなた)が求める小学校外国語科の授業の在り方は?」という質問の意図だったとしましょう。つまり,私(田村)個人の意見を知りたいと思っているという質問だということですね。しかし,仮にそういう質問の意図であったとしても,答えはほとんど同じで「わかりません」になるかと思います。または,「私(田村個人)は,何かを求めたりすることはありません」ということになるでしょうか。

外国語学部に所属していて,一応外国語教育にも片足は突っ込んでいる大学教員の立場であったとしても,小学校外国語科に,あるいは学校教育に,いや「大学教員が求める○○の在り方は?」の「○○」の部分に何が入っていても,それに対して何かを求めるようなことはないというように思っています。もしも,「(いち)大学教員(としてのあなた)が求める教授会の在り方は?」くらいだったら,まあ一応自分も大学教員として学部の教授会の構成員ではありますので,学部の教授会がどういうものであったらよいかということに対しては自分の意見がないわけではないです。ただ,それでも自分が何かを求めるような立場だろうかということについては考えてしまいますね。よく言えば,抑制的,悪く言えば消極的と言えるでしょうか。

そういうことを考えた上でもとの質問に戻って,「大学教員が求める小学校外国語科の授業の在り方は?」という質問に対して私がなぜ違和感を覚えているのかということを考えてみます。つまりは,この質問に何の疑問も挟まずに答えるというのは,小学校外国語科の授業の在り方に対して,自分自身が何かを言うこと,つまりそこに何らかの影響を与えようとする気があって,なおかつそのことに対して責任を負うことができる,そういうことだと思うわけです。「求める」というのはそういうことですよね。単なる意見ではなく,その意見を述べる対象に対して影響力を与えようとする意図がなければ「求め」ないわけですから。

さらに,「在り方」という言葉にも引っかかっているのだと思います。「在り方」というのは「あるべき姿」ということです。「小学校外国語科の授業のあるべき姿」を問われているわけですね。この「あるべき」というのも,私にとっては畏れ多い言葉です。「大学のあるべき姿」とかを問われたのであれば,大学教員として,大学の運営の末端を担う自分にもそれを考える責務や,そのことを発信する勇気は必要でしょう。しかし,「小学校外国語科の授業のあるべき姿」は私にとっては自分がコミットしている領域であると捉えていないのだと思います。もし仮に,「日本の政治のあるべき姿」を聞かれたとすれば,それに答えないのはどうなんだと自分でも思いますが(とか言って,私は政治の専門家ではないので…なんて答えたりしそうですよね)。

さらに,一応ウェブ上で,私は素性を明かしてブログを書いたりTwitterに投稿したりしています。そして,私はもうブログを始めた当初の無名のどこの馬の骨ともわからぬ若造でもなくなってしまいました。そうなると,そう簡単に,あるいは軽率に,私が「求める」「小学校外国語科の授業の在り方」について語ることはできなくなってしまいました。私がもし仮に小学校外国語科の授業について専門的に研究している研究者であれば,まだ何かを言うことができたかもしれませんが。

深く考えすぎかもしれません。もしかすると質問者様の意図は,「(いち)大学教員(としてのあなた)が求める(考える)小学校外国語科の(理想の)授業の在り方は?」という質問であったのかもしれません。

つまり,「求める」というのは「考える」くらいの意味であって,「あなたは小学校外国語科の授業の在り方についてどう思いますか?」ということを聞きたかっただけなのだと。その可能性もありますよね。しかし,質問の意図を解釈しようとするだけでこれだけのことを私は考えてしまうわけです。

もしも質問者様がこの回答ブログ記事を読んで,「めんどくさ!もう質問なんかしねーわ!」

と思わなかったのであれば,またこの質問の回答のところから関連する質問をしていただければと思います。

以上です。

私に質問されたい方は質問お待ちしています。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ChatGPTで英語授業の教材づくりをしてみる

はじめに

ChatGPTという,OpenAIが公開したチャットができるAIがあり,話題を呼んでいます。私は,教員という立場で,これをなにか授業の準備などに活かせないかなと考えています。

ライティングのフィードバックなんかを考えたり,あるいは学生にライティングさせる際には使い方次第でツールとして利用できるかもしれないなと思います。ただし,他にも教材を作る際には結構労力がかかるもので,それをChatGPTで代替できたら結構楽かもしれないなと思いました。以下,私が試しにやってみたものを紹介します。

  1. 物語の続きを書かせる
  2. 語彙を簡単なものに書き換える
  3. 文章の書き換え
  4. オリジナルのストーリーを書かせる
  5. 文章の要約を書かせる
  6. 内容理解の問題を作らせる
  7. 内容理解問題の選択肢を作らせる

1. 物語の続きを書かせる

プロンプトを入力して,その続きとなる物語を書かせるとどうなるかやってみました。使用したのは,『Getting Things Done: Book1』のUnit13にある”Safe Driving”の冒頭です。

PDFからコピペしたので”This driver isjust”のところ,スペースがないのにあとから気づきましたが,まああまり問題になってなさそうです。

元の文章のほうがもっと面白いですが,まあ面白い物語にしてくれとかお願いするともっと違うんでしょうね。オリジナルのストーリーのcreativityにそれでも勝てるかどうかはわかりませんね。もしかしたらそのあたりはまだ人間が強いのかもしれません。

2. 語彙を簡単なものに書き換える

ChatGPTの大きな特徴として,前の会話の内容を覚えているというものがあります。したがって,一度入力したものは同一スレッド内であれば記憶されているので,”the story”とするだけでいけます。すごいですね。

夫が亡くなったというくだりが無くなっているのは,子ども向け,としたからかもしれません。

ちなみに,どれだけ簡単になったのかを,New Word Level Checkerを使って見てみると次のようになりました。参照するWord ListにはNew JACET 8000を指定しています。まずは元の文章から。

これでもほとんどはL1, L2で,L4までで96%くらいなので,そこまで難しい語彙が使われているわけではありません。では,書き換え後を見てみましょう。

書き換え後の文章はL3までで98.27%です。sawが黄色になっていますが,これはおそらくseeの過去形ではなく「のこぎりで切る」の意味のsawだと認識されているためかと思います。よって,実際にはこのパーセンテージはもっとあがるでしょうね。

3. 文章の書き換え

次は,同じ教科書のUnit20にある不動産広告の文章を書き換えたものを作ってもらいました。

2つの似たような文章を読んで,類似点や相違点を比較するようなタスクを想定しています。これも,自作しようと思えば結構難しい部分もありますが,1つの文章さえあればそれを書き換えるのは割と容易にできるようです。指示の与え方を工夫すれば,条件に沿った書き換えなどもできるかもしれませんね。ただし,仮にそうしたことが可能であったとしても違いがどこにあるのかは自分で見つけないといけなかったり,「教材研究」的な部分が教員に求められるということには変わりないでしょう。また,自分で作ればその過程自体が教材研究を兼ねることにもなりますから,機械にやらせることで自分の教材作成力を磨く機会が損なわれることにもなるかもしれません。

4. オリジナルのストーリーを書かせる

では,お題を与えてオリジナルのストーリーを書かせるというのはどうでしょう。1つ目の文章の続きを書かせるパターンに似ていますが,出だしではなくトピック的なものを与えて書かせるパターンです。

ちなみにこれも,Getting things done: Book1で扱われている話のほうがもっと面白いです。

5. 文章の要約を書かせる

要約というのは教師の英語力が問われる部分というか,そこに英語教師としてのプロフェッショナリティが求められる部分ではあります。ただ,時間がある程度かかるというのは間違いないんですよね。そこをChatGPTなら数秒でこなしてくれます。

もうちょい文構造や単語などを書き換えた上で内容を保持してほしいところはあります。要約する箇所は適切かと思いますが。

6. 内容理解の問題を作らせる

文章を入力して,その文章の内容理解を問う問題を作ったらどうだろうと思ってやってみました。

7. 内容理解問題の選択肢を作らせる

問題を作ってもらったはいいものの,選択肢がなかったので,4つの選択肢も作ってもらいました。

1と2の問題が関連しているどころか,2の正答が3の選択肢に含まれていることなど,テスティング的には全然いい問題だとは言えないですね。また,4も物語のオチを言っちゃっている上に,正答は元の文章に使われている単語そのものです。このあたりは,人間の手で修正を加えなければいけないでしょう。あるいは,人間が作成する問題のほうが(少なくともテスト問題作成に熟知した人であればですが)上だと言えそうです。テスティング・評価関係の授業で,この問題の何がいけないのか,自分ならどのように作り変えるのかなどを学生に考えさせる課題のネタとしては良い教材かもしれません。

おわりに

今回はすべて文章を扱いましたが,もちろん会話文の出力もできます。

ちなみに,ですが,ChagGPTへの指示の入力は命令文でOKです。別にCan you…?とお願いする必要はありません。その部分の書き方の違いで出力が異なることはおそらくないでしょう。ただ,細かい部分では出力されるものに違いが出る可能性はあります。そのあたりは試していくしかないでしょうね。また,もし出力されたものに納得いかなければ,違うものを出してくれます。

アクセスが混み合っているとページが表示しにくかったり,入力を頻繁に入れていると,”slow down”と言われたりします。また,今後もずっとオープンに無料で使えるかどうかはわかりませんよね。ただ,現時点では色々試して活用していけるレベルではあるのかなとは思いました。

ただし,出力されたものを見てプロダクトの質を判断する英語力だったり,授業で扱うときに注意しなければいけないポイントがないかどうかを見極める英語教師の「目」のようなものは求められるのだろうなとは思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

2023.03.01追記

この記事の内容に関連するトークをしたときの投影資料があるので置いておきます。上記のうち,「物語の続きを書かせる」,「オリジナルのストーリーを書かせる」,「文章の要約を書かせる」の3つに絞ってそれぞれを少しずつ丁寧に扱っています。

2023.06.27追記

画像生成AIのMidjourneyを使って視覚教材を作る,教科書本文とタスクの定義を与えて教科書本文に関連したタスクを作る,等の話と,ChatGPTのようなものが登場しても語学教師が廃業しないためには,という話などをしたので投影資料を置いておきます。

文章の断片を並び替えるタスクに現れるもの

はじめに

コミュニケーション・タスクのアイデアとマテリアル』のpp.96-97に,”Put the Story in Order”というタスクがあります。このタスクは,英語力の「ごまかし」がきかない課題だなと実感したというお話。

どんなタスクか

この課題では,学習者は1つの物語を行ごとに切断してバラバラにしたものの片方を受け取ります。そして,ペアの相手の学習者はもう半分の行を持っています。「文」ではなく「行」と表現しているのは,1つの「ピース」は必ずしも完全な文ではないからです。自分の持っている行の束を見せ合うことなく,元の物語の順番にそれぞれの行を並び替えるというのがこの課題のゴールとなります。1行目は片方の学習者に与えられており,2行目以降を考えます。必ず交互にくるように,つまり自分が1行目を持っていたら2行目は必ず相手が持っている,のように課題を構成するかどうか,そしてそれを活動前に学習者に伝えるかどうかによって難易度の調整が可能です(もちろん,交互でさらに学習者にそれを伝えると難易度は下がります)。

この課題は情報合成と呼ばれるタイプの課題で,分割された情報を組み合わせることによって1つのものができあがるという性質を持っています。お互いに与えられた情報の間にギャップがあり,それを埋めることを求められるという意味では間違い探しのような典型的な情報交換タスクと似ている部分もありますが,情報交換タスクではパズルのピースを組み合わせるようなことは求められていません。その意味で,情報合成タスクは情報交換タスクとは異なります。

課題のポイント

この課題では,言語的な知識の側面と,議論をすすめるためのメタ的な会話,の2つの要素が重要となります。この重要性は,例えば同じ情報合成タスクでも複数コママンガの並び替えのような課題で必要とされるものとは比較にならないほど高くなります。例えば,自分の持っている文が”I think that”で終わっていれば,その次に来るのは

  1. 主語+動詞(thatが節のマーカー)
  2. 助動詞+動詞(thatが指示代名詞で節内の主語の場合。I think that would be interesting….のように続く時など)
  3. 現在形の動詞(これもthatは代名詞で主語になる。I think that requires a lot effort….のように続くときなど)
  4. 名詞(thatが「その」の意味の指示形容詞の場合。I think that man you saw was the suspect….のように続くときなど)

などのような可能性が考えられます。ここまで明示的な知識がなかったとしても,どのような単語のつながりは文法的にありえて,どのようなつながりはありえないのかについてを判断する知識を持っていなければ,この課題の達成は非常に困難となります。つまり,意味中心のやりとりで文法的な部分の理解が多少あやふやでも相手とのやりとりを重ねてゴールに近づいていけるようなタスクとは異なるアプローチが必要になってくるということです。

さらに,文法用語,最低でも品詞(動詞,名詞,形容詞,副詞,前置詞くらい)を英語で表現できないと,文法的なルールをヒントにして文の並び替えを行うことは難しくなるでしょう(し,もっといえば文法規則についての明示的な知識がなければ,そもそもこの課題を文法の規則をベースに解決しようという発想にすらいたらないかもしれません)。

また,自分たちがどのような「作戦」を取るのかを話し合う必要も出てくるでしょう。学習者たちのやりとりを見ていると,この「作戦」がタスクの成功の鍵を握っていると感じる場合も多いです。例えば,この課題を進めるにあたって私が教室内で4つのペアを観察した限りは次のようなパターンが有りました。

  1. 次の行を探す際,自分も意思決定に参加できるように,相手が持っている文をすべて読み上げてもらい,どれが自分の持っている行の前あるいは後ろに来そうかを考えるようにする
  2. 1の派生とも言えますが,相手の読んだ文をすべて書き写そうとする(これやると書き写した後は個人で課題の達成ができてしまうので,基本的には非推奨だと思います)
  3. 行の順番を特定する前に,バラバラの状態のお互いの持っている行に任意の記号(アルファベット)を付与する(これによって,記号を使ってやりとりできる)
  4. 1->2->3…と最初から順番に特定していくのではなく,最後の語と最初の語の組み合わせで比較的容易に繋がりそうな行を先に特定し,その上で話しの流れを踏まえて最終的な順番を特定していく
  5. 文法的なことよりもむしろ意味内容に焦点をあて,ストーリー全体の流れを大まかに予測し,それに沿うように行を並べていく(ただ,基本的には文法を考えるほうが圧倒的に短い時間でタスクが達成できると思います)

もちろん,これらは「最初からそうしようと決めて始めた」というケースと,途中で「こうしたほうがよさそうだ」と気づいてそのようなストラテジーをとったケースとがありました。いずれにせよ,こうした「課題の進め方」に関する意思疎通は,ただ情報を交換するよりも難易度が高くなります。

チャレンジングな部分

私が持っているクラスの学生で,例えば複数コママンガの並び替えはこちらの想定したくらいの時間でゴールまでたどり着くような場合でも,文章の並び替えとなるとその2倍から3倍以上の時間を必要としていました。

ちなみに,私がこのブログ記事を書くに至ったきっかけはテストでの学生たちのパフォーマンスを見て,です。学期中に一度この”Put the Story in Order”をやって,別の素材で同じ課題をやったのですが,少し文章が難しいかなとは思っていたのですが,私が思っていた以上に全員が苦戦していて,おそらく私が4月から見てきた中で初めて「難しすぎてモチベーションが急降下した」瞬間を目の当たりにしてしまったのです。学生には本当に申し訳ない気持ちになりました。

苦戦していた学生は,言語的な部分もそうですし,意味的な部分も統合しながら,つまり,文法的にも意味的にも文として成立するか,”That doesn’t make any sense.”とはならないかについての判断を適切に下すことができていないように思いました。ここが,私が「ごまかしが効かない」と冒頭で表現したことにつながります。タスク遂行中は基本的に意味のやり取りに焦点があたります。したがって,consciousness-raising taskのように意図的に学習者の注意を文法的側面に向けさせるような課題でなければ,たとえ文法項目のターゲットを学習者には直接伝えない形で設定したfocused taskであっても,学習者は文法面に注意を向けることが難しくなります。なおかつ,文法的な正確性に欠ける発話であったとしても,相手に自分の言いたいことが伝わっていればタスク達成に著しく支障をきたすようなことはあまりないと思います。ところが,この並べ替えタスクではその「曖昧さ」が許容されないことがしばしばあります。もちろん,行をどこで区切るのかで言語的なつながりの見つけやすさ・見つけにくさを変動させることは可能ですが,基本的には「なんとなく」では最後までたどり着けないことが多いです。絵の並べ替えタスクとの違いはここにあると言えるでしょう。

ただ,これは絵の並べ替えタスクが「なんとなく」でできるというわけではなく,絵の並べ替えタスクも絵の微妙な差異や変化を言語的に表現できなければ順番が特定できないということもあります。しかしながら,絵の情報をどうやって伝えるのかは学習者の工夫次第で乗り越えられる部分がある一方で,行の並び替えはそういった学習者の表現方法の工夫で乗り越えられる要素があまりないのではないかと思います。

おわりに

この課題は,文章という素材があればあとはそれを行ごとに区切って分割するだけなので,どのような素材を用いてもタスクを作成することができます。さらに,文法的な知識も要求される課題ですので,「タスクをやらせると盛り上がるけど,でも文法がおろそかになってしまわないだろうか…」ということを懸念される先生方にとっても取り組みやすいのではないかと思います。

事前に品詞の英単語くらいは与えておくことはやっておくのがよいかと思います。もちろんなくてもできなくはないと思いますが,特に高校段階くらい以上だと品詞の概念を使うほうがいいと思います。また,課題作成時の注意点として,文章のすべてを並び替えるのは難しいので,出だしの部分は全体で共有し,内容理解を済ませた上で,物語の中盤から後半あたりの並び替えをするようにしたほうがよいと思います。

他のタスクに取り組んでいるときとはまた違う学生のパフォーマンスが見れるので,今後もこういう系のタスクを適宜取り入れて授業をやっていきたいなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

学期はじめのスピーキング・ストラテジー指導

はじめに

私は現在4つ教養外国語の英語科目を担当していますが,そのうちの3つはlistening&speakingのクラスです(うちの大学ではreading&writing, listening&speakingでおおまかに科目が分かれています)。その授業の学期の最初のほうでいつも取り入れているストラテジーの指導があるのでその話です(初級クラスでもできると思いますが中級のほうがしっくりくるとおもいます)。2点あって1点目は「ストラテジー」というよりはset expressionを覚えてしまうという話ですが。

学期が始まる前に書けばもっと参考にしてもらえると思うのですが,学期が終わる頃にこの記事を書くというタイミングの悪さはお許しください。

なぜストラテジー指導?

はじめに,なぜストラテジー指導をしておくかという話です。「英語でやりとりを続けさせるため」というのが大きな理由ですが,もう少し細かくわけていくことができると思います。重複するところもありますが,パッと思いつくのは以下の3つです。

  1. 日本語に逃げ(させ)ないため
  2. 意味交渉の機会をたくさん作り出すため
  3. そもそも会話を継続させるためにどんなことが必要かを知らないため

日本語に逃げさせない

日本語という共通言語が通じる相手に対して英語を使うわけですから,英語でやりとりを続けるのが難しくなったら日本語で言ってしまうことはよくあります。ただ,困ったときにどうしたらいいかを教えておけば,なるべく日本語を使わずに,または日本語は最小限に抑えたまま英語でやりとりを続けることができます。

意味交渉の機会をたくさん作り出すため

これは結構大事にしています。言語習得の(または言語習得にとって有用な事象が起こる)機会をとにかく教室の中でたくさん発生させたいと思って授業をしています。と同時に,困難にぶち当たったときにそこをどう乗り越えるかというのは教室外の言語使用場面でも要求されることが多くあると思いますので,そういったときに立ち向かえること,そしてそういう困難があるかもしれないとわかっていてもトライする勇気を身に着けてもらえることを目指しています。そのためにはある程度ストラテジーの指導が有用だと思っています。

そもそも会話を継続させるためにどんなことが必要かを知らないため

日本語だったらできる(または無意識にやっている)ことでも,英語になったらできなくなってしまうということも結構あると思っています。だからこそ,日本語だったらこういうことやるよね?みたいなことも含めながら,別に英語に限らずコミュニケーションをうまくやるためにはこういうことを意識するといいよなんて話をしています。

具体的に教えること

教室内で使える便利表現のリストをネームカードの後ろにつける

もともとはanf先生がブログにあっぷしていた表現のリストがあって,もう少し長いものだったのですが,そこから厳選したものをネームカードの後ろにつけるようにしています。いつも机の上にネームカードを置かせているので,授業中はそれを「チラ見」することができるというわけです。このネームカードの後ろにset expressionを載せるというのは,名大にいたときの私の副指導教官の先生が実践されていたのを真似しています。

ダウンロードはこちら -> ネームカード

これを授業の最初の帯活動でウォームアップ的にペアで練習してもらうということを最初の数週間はやっています。

この中でも私が特に重視して伝えていることは,相手の言ったことがわからなかったときなどに使える表現です。

What does it mean?

Could you say that again?

わからないことがあったときにわからないことを伝えずにわかったふりをしてしまうことは言語を問わずわりとあったりするものですが,勇気を持ってわからないことはわからないと言おうというように指導しています。これが意味交渉の機会を生み出すからですね。わからないと言われた相手は相手にわかるように発音を工夫したり,または別の言い方に言い換えたりする必要が迫られます。また,わからなかった方はわからなかったことがわかるようになる,理解可能なインプットを得る機会が生まれるからです。

3つのストラテジーを教える

いくつかの便利表現をストックとして持たせたあとは,もう少しスキル的な部分の指導をやります。色々教えるべきことはあると思いますが,私がいつも取り上げているのはecho, reaction, follow-up questionの3つです。

1. echo

相手の言ったことを繰り返す練習をします。実際に学生のうちの一人に簡単な質問をして,

Where are you from?

I’m from Nara.

Oh, you’re from Nara.

のように繰り返す見本をみせます。別に全文を言い換えて繰り返す必要はなく,できたらそれにチャレンジしてみて,難しそうならこの場合なら”Nara”のようにキーワードだけでいいから繰り返すようにしてみようと伝えます。

このechoが大事なのは,次のような点であることも伝えます

  • 相手の言っていることを理解していることを示せる
  • 相手の話に興味を持っていることを示せる
  • 相手の言っていることを聞いていますよということを伝えられる
  • 自分の理解を確かめられる

とくに,最後の自分の理解を確かめるという点を強調していて,繰り返したときにそれが間違っていたら自分が聞き間違えていることになり,それを相手が修正してくれるので会話を進める上では大事だと伝えています。

例:

I’m from Tokyo.

Oh, you’re from Kyoto!

No, no. Tokyo. Not Kyoto.

こういう話をしたあとに,出身,専攻,趣味など,3つくらいの簡単な質問をして,echoを使う練習をします。ここでは,特に会話を広げたりはしなくても良いことにしています。

2. reaction

次がreactionで,相手の答えに対してただechoするだけではなく,なにか一つコメントを入れる練習です。ここでもやりとりの例を見せます。

What are you going to eat for lunch?

I’m going to eat ramen.

Ramen. Sounds nice.

正直このreactionについては,なにか決まったフレーズで覚えておけばいいというものがあるという感じでもないですが,一応次のようなものを例として提示しています。

センゲージラーニングの”Free Talking: Basic Strategies for Building Communication ” (p.25)から持ってきてます。echo, reaction, follow-up questionの3つを取り上げているのはこの教科書を使った2年前より以前からなので,そこはたまたまです。

ここでもまた3つくらい質問を作って,さきほどのようにechoを使ったあとに一言reactionを追加するというようにします。echoもした上でreactionするというのがポイントです。

3. follow-up question

次はfollow-up questionです。相手の答えに対してさらなる追加の質問をするということですね。ここでは以下のような質問とそれに対する回答の例を見せます。

What would you eat for your last supper (dinner)?

I would eat sushi.

この回答に対してどんなfollow-up questionsが考えられるかを学生に少し考えてもらって,いくつか回答を出してもらって黒板に書いていきます。

Where would you like to eat it?

Why would you eat sushi?

What kind of sushi would you eat?

Who would you want to eat with?

How much would you spend on it?

など,WHの疑問文がおそらく出てくることが多いと思いますが,

Did you eat sushi recently?

などのYES/NO疑問文もあり得ることも補足します。

その上で,また新たに3つの質問を学生に与えて,それを質問して,相手に対する回答についてecho, reactionとここまでに練習したものも使った上でさらに今度はfollow-up questionも使ってみようということでトライさせます。

とりあえずfollow-up questionは1つのお題につき1つ尋ねることができればいいことにしています。ここでも,「便利表現」を使う機会があれば積極的に使うように促しています。

もし質問に対して答えるのに困ったらI don’t know…と言ってもいいし,英単語がわからなければ”How do you say 豪邸 in English?”のようにパートナーや教師に聞いてもいいわけです。また,聞き取れなかったら”Could you say that again?”と言ってもいいのです。ただし,学生は「意味が理解できない」とおもったら反射的に”One more”と言い出す事が多いですし,それを乗り越えて”Could you say that again?”が言えたとしてもどんなときでもそれを使ってしまいがちです。そのため,WHの疑問詞を埋め込んだ形で文を作って聞き返すこともこのときに教えます。

つまり,ただたんに聞き取れなかったのではなく,聞き取れはしたけどその一部がわからなかったという場合には,その聞き取れなかった部分だけを相手に言ってもらうほうが,相手も何が伝わらなかったのかがわかるのでコミュニケーション・ブレイクダウンを解消しやすいわけです。

I would want to buy a big house.

と言われたときに”a big house”が聞き取れなかったら,

Sorry, you would want to buy what?

と聞くことで,その部分がわからなかったことを相手に伝えることができます。ただ,これは結構高度な能力が必要で,一回練習しただけで身につくものでもないので,普段の授業の中でも繰り返し意識させるようにしています。

授業の中でも毎回意識させる

私はlistening&speakingの授業では毎回英語でのやりとりが必須となるタスクを用意していますので,そのタスクに取り組ませる際には必ず,

  • set expressionはいつでもチラ見できるようにしておくこと
  • echo, reaction, follow-up questionsを使えるときには積極的に使うこと
  • わからないことがあったときは素直にわからないと伝えること
    • 何がわからなかったのか,できるだけ具体的に伝えること
    • 「わからない」と言われたときはパニックにならず,例を挙げる,別の表現で言い換えるなどで伝えてみること
    • 英語でなんて言ったらいいかわからなかったら積極的に手をあげて教師を呼ぶこと

も伝えています。

こういうのも,学期を通して,または年間を通して最終的に身に着けてくれていたらいいと思っていることなので,とくにこれらができていないことで毎回のタスクの評価にいれるとかはしていません(そもそもそういうプロセスの評価は毎回はできないですしね)。

机間巡視しながら,「もっかい言って?」なんていうのが聞こえたら,”You can say ‘could you say that again?'”なんてフィードバックをしたりしていますし,自分の言っていることがなかなか相手に伝わっていなくても諦めずにトライしている学生のことはできるかぎりencourageしてあげて,必要なら私が言葉を補ってあげることもあります。

タスク後は言いたかったけど言えなかったことの指導にあてることが多いですが,気づいたらうまい言い換えをしていた例(e.g., disagreeやbe againstのような表現が出てこず,say noのように言っていたとか)をとりあげたり,相手の意見を自分の言葉で言い換えていた例(e.g., I think that he should…をSo, you think it is better for him to do…のように言ってたりとか)をとりあげたりすることを意識しています。

特に,相手の言っていることを自分が理解できているかを確認する意味でも,ただOKOKとかechoだけにとどまらない形でcomprehension checkを行えるのはとても大事なので,こういうのは積極的にやっていこうねというのは言うようにしています。これもストラテジー指導の一環としてとりあげて教えてもいいかもしれないのですが,実は意味順もちょっとやってるので90分でなかなか収まらないんですよね。結果として,授業の中で取り上げて指導するという形に今はなっています。

おわりに

本記事では,やりとりを要求するタスクに取り組ませる前の段階としてどういうことを指導しているかということを書きました。こうやって記事にしてまとめてみるとちょっと不十分というか穴があるかなと感じるところもあったので,そこは来年度以降もう少し工夫してやっていこうかなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

「英語を使う必然性」の呪縛

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はじめに

もうかれこれ2ヶ月前くらいですが,大阪府の英語コーディネーター連絡会というものでお話する機会をいただきました。その準備をしながら,また関係者の方々とお話をさせていただく中で思ったことをブログ記事にまとめようとして,下書き状態のままずるずるとここまで来てしまいました。

実は学会のようなイベント以外でお話するというのは今回が初めての経験でした。学校英語教員を目指していた私が偉そうにこういうところに呼ばれてお話するようになったのかと思うと,権威性が自分の意図とは関係なくまとわりついてしまうものなのだなとも思いました。そこに自覚的でなくてはいけないなと。

そのお話の中では,タスクの定義というレンズを通して様々な活動を見てみることで,その活動に何が足りないのか,どういう目的でその活動が行われるのかといったメタ的な視点が手に入り,それが授業内の活動を設計するために有用ではないかという話をしました。関連して,真正性(authenticity)という概念をとりあげ,コミュニケーション場面の具体性(その場面を学習者が将来的に経験する可能性があるかどうか)を過度に重視する必要もあまりないということも述べました。

打ち合わせをする中で,「英語を使う必然性」というものが強く求められているような状況があり,そこに苦労されている先生が多いということも伺いました。私の答えは以下に述べるとおり,コミュニケーションの必然性,は大事であっても「英語を使う」必然性に拘る必要はないかなというものです。

英語を使う必然性とはなにか

英語を使う必然性というのは,「なぜ英語でそれをやるのか」ということであるのでしょう。連絡会前の打ち合わせでも「それって英語でやる必要ないよね?日本語でもよくない?」というようなことが話題にあがるという話を聞きました。そもそも,日本のような外国語として英語を学ぶ環境では,「英語を使う必然性」というのは教室外ではないに等しく,教室の中で英語を使う必然性というのは,「英語の授業だから英語を使う」以外に設定できないと思います。そもそも,日本語話者同士で英語でやりとりするわけですので。

必然性の重視は実用性論争にもつながる

それって英語でやる必要ある?は悪手

この問自体が少なくとも日本の学校教育における英語教育ではあまりいい問ではないと思います。英語教育の存在自体を自明視するという文脈であればまた別の議論になると思いますが,教室内の活動の質を高めようという営みにおいては大事なことはそこではないというのが私の考えです。

必然性が実用性につながってしまう

学校教育に対して実用性を求めるような人たち(最近で言えば三角関数の話)への反論で,実社会における実用性の過度な重視に反論するような人たち)でも,英語教育においては実用性を求めているのではというようなケースも見られる気がしています。最近(と言っても書いたのはこの記事を公開するよりもだいぶ前なんですけど)英語教育で道案内とかやるよりはウェブ上で(例えばYouTubeで)自分の手に入れたい情報にたどり着けるかどうかとかそういうほうが実用性高いと思う,というようなTweetが私のタイムラインに流れてきたりもしました。その比較でいえばそうかもしれませんが,だから授業でそれをやればよいかというと,そういうわけにもいかないと思います。

学校教育の内容が実用性という観点のみにおいて構成されることは結構危ういと思うからです。誰がその実用性を決めるのかという問題がありますし,その実用性が学校教育を受ける世代が「社会」に飛び出したときに実用性があるかもわからないからです。教育がもたらす恩恵というのは,変化の激しい社会においても揺らぎができる限り少ないものを対象にすべきであるのではないかと思いますし,変化が激しいからといってそれに合わせて頻繁にコロコロと内容が変わるべきものでもないような気がします。そう考えれば,今の世の中で必要になっているものがこの先も同じ程度に必要であるとは限りませんし,未来にどんなものが必要になるかを私達は予想することはできません。

その観点で言えば,道案内もYouTubeの動画検索も学校教育における英語教育の目標として適切であるというようには私は思いません。私たちが現実にその具体的行動を英語を用いて行うことがあり得るか,そしてそれができるように学校教育における英語授業の活動が構成されるべきか,とは思わないということです。むしろ,一見するとそんなことは私たちの実生活では起こりようがない,というような活動の背後にある,あるいはそこで発生する言語使用を抽象的なレベルで観察したときに,そこに私たちが日常的に行う言語行為に近似したものが含まれているのかどうか,ということを考えるほうが有用だと思うのです。

真正性(authenticity)という考え方

2つの真正性: 状況的真正性(situational authenticity)とやりとりの真正性(interactional authenticity)

やりとりの真正性とは,その行為自体が現実には起こり得ないとしても,そこで発生する情報のやりとりであったり,言語を使用する際に頭の中で起こることが,現実場面のものと同じ(または限りなく近い)ということを意味します。Michael Longは前者を重視する立場で,Rod Ellisは後者の役割も認める立場で,私個人的にも後者の立場です。なぜなら,言語学習の明確な目的を設定できるような場合以外ではsituational authenticityを重視したタスクを中心に授業を計画することの妥当性が疑われるからです。

状況的真正性を過度に重視することの妥当性

なんらかの職業訓練の一環としての言語教育などは,言語の使用場面が非常に限定的であり,学習者が身につけるべき言語能力も基本的にはそうした場面で適切に言語を使用して業務を遂行できるためのものになります。しかしながら,日本のような英語を外国語として学ぶ環境で,なおかつ学校教育において行われる英語教育では学習者全員が身につけるべき具体的な場面における言語使用を定義することがほぼ不可能であるといえます。したがって,そうした場面を考えるよりもむしろ一段階抽象度をあげて,描写する,比較する,説得する,説明する,順位付けをする,取捨選択をする,などの行為が含まれるようなタスクを考えるほうが現実的でしょう。

「必然性」を活かす手はある

ここまで,英語を使う必然性というのはあまり有用ではないというスタンスで述べてきましたが,私が批判的に考察したのは必然性に縛られすぎることで,その英語を使う必然性というのを活かすことはありえると思います。その一つがALTの活用です(人という存在に対して活用というのはあまり良くないかもしれないですが他に表現が思い浮かびませんでした)。ALTは多くの学習者たちにとっておそらく唯一コミュニケーションの際に英語を使う必然性の生まれる存在だと思います。その特性を生かして,ALT相手に何かをプレゼンさせたり質問させたりするような仕組みを作っている方も多くいらっしゃると思います。仮にALTは日本語であったり,あるいは日本語話者が犯しがちな誤りが発話に含まれていても理解できたとしても,”What do you mean?” “What does X mean?”などと聞き返してもらうようにすることも不自然ではありませんから,そこにnegotiation for meaningも生まれるでしょう。下記のanf先生の記事で紹介されているのはそうした活動かと思います。

目的・場面・状況

少し関連するかもしれないのが,学習指導要領のキーワードにもなっている「目的・場面・状況」というワードです。外国語科の目標に入っている文言ですね。個人的には,「目的・場面・状況」というのがセットになっていると活動の構想が難しく,あえてそれらの文言を使うとすればまずは目的を先に設定し,そのあとに場面と状況を考える,というようにすることが多いです。具体的には次のような手順で活動を構想するのがやりやすいと思っています。

  1. タスクタイプ(e.g., 情報伝達,情報合成,問題解決,意思決定,意見交換)を決める
  2. タスクの目的(goal)を決める(e.g., 順位付けする,選択肢の中から選ぶ,アイデアを生み出す)
  3. 場面と状況を決める
  4. 実施形態を決める

1と2は一緒に考えることになる,または2が先に来ることもありうるかと思いますが,私はまず最初に,「教科書の今回のユニットの内容は意思決定タスクでやろう」のように決め打ちしてまうことが多いです。そうすると,必然的に考えなくてはいけないことが狭まるからです。そのタスクで求められることに合わせて場面を構成していくほうが,それらを全部合わせて考えるよりも楽だと思っています。意思決定タスクに決めたら,次はどのような意思決定をさせるのかを考えます。年老いた父親の介護という問題に直面している夫婦の話(私が担当している授業の一つで使っているImpact Issues2のUnit 9にでてきます)であれば,この夫婦に対して何かアドバイスを考えてメールを書く,ということをタスクのゴールに設定したとしましょう。そこが決まったら,場面と状況を考えます。夫婦たちとの関係性はどうなのか(友人,親族,隣人,etc.)とか,教科書には描かれていない夫婦の背景的なところ(e.g., 親との関係性,夫婦の家族の状況,etc.)とかを考えるわけです。仮にその年老いた父親が自分の父親でもあるという設定(これでも自分が長女・長男なのかどうかで随分話は変わりますけど)であれば,親の介護の問題は他人事ではなく自分ごとになります。一方で,いくら仲良しでも友人としてアドバイスを,ということなら,家族の問題は非常にセンシティブな問題ですから,そこに対してのアドバイスは相手から求められていてもかなり慎重さが求められるはずです。

しかし,そのような場面や状況の設定は,あくまで最終的なゴールである「アドバイスをする」という部分を変えるわけではありません。あくまで,どのような内容を伝えるか,それをどのように伝えるか,に変化を与えるいわば「設定」の部分なわけです。前述のように,そしてまた以下のスレッドで亘理先生が指摘しているように,そこが曖昧であればタスクに取り組みにくくなるのは当然です。

設定の部分をタスクに実際に取り組む学習者の想像に委ねてしまうことになるわけで,まずはその想像しないといけない部分をペアやグループですり合わせる作業が必要になるからです。もちろん,そこをプレタスクとしてしまうのも一つの手ではあると思いますが。例えば,うちのペアはこういう関係性の友人としてのアドバイスです,とか,うちのペアは自分が怠け者長男で,妹が介護を引き受けようとしているという設定にしました,とか。そのうえでタスクに取り組ませれば,友人なのでこういうところに気をつけました,とか,怠け者の長男にもこれこれこういう事情があって….というように様々な場面や状況で学習者は言語を使うことになるでしょう。そして,そのバリエーションの差によって生まれる言語使用の差を取り上げて形式面に着目させるのも一つの授業でしょう。

少し脱線しましたが,場面と状況が決まったら実施形態を決めます。ペアでやるのか,グループでやるのかというのもそうですし,準備は何をどのようにどれくらいの時間をかけてやらせるのか,タスク後にはどんなことをさせるのか,というようなことを考えるわけです。タスクを考える,そしてゴールを決める,そのあとに場面と状況を決めるというのが私がいつも授業を考える道筋です。タスクを考えるほうが楽,というのはもちろん私のドメイン知識に依存する部分も大きいとは思いますが,本当にそう思っています。そして,「思考・判断・表現」をどうするかということを考える上では,タスク(タイプ)を考えることから始めるというのは一つのストラテジーでありなんじゃないかな,ということですね。下記のツイートで言いたかったのはそういうことでした。

おわりに

なんだかタイトルからだいぶ脱線してしまいました。記事を書き始めたときから2ヶ月近く経ってしまったからですね。ただ,後半部分の話は先日の学会のときのTwitterでのやりとりをきっかけに考えたことでもあるので,学会をきっかけに思考が刺激されるという体験は結構久しぶりだったな,なんて思ってしまいました。良くないですね。このブログの記事の更新スピードも下がっていますが,まだいくつか下書き状態の記事があるので,また時間をみつけて記事を更新していきたいと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

[R] Collaborative Writing準備時短テク

はじめに

以前,下記のようなブログ記事を書きました。

一言で言えば,教師側で作ったテンプレファイルをフォルダごと学生と共有し,学生は自分の名前のついているWordファイル上で執筆活動を行い,教師側はリアルタイムでその進捗をモニタしつつフィードバックを出していくというようなライティング授業実践です。

今年度からは3年次のライティング授業も持っていて,その授業ではペアでのcollaborative writingも取り入れています。最初はペアはこちらで作ってファイルは学生に作らせてリンクを教師と共有という形でやっていましたが,それだとやっぱり使い勝手が悪い(教師側が自分のローカルからファイル閲覧できないとか他にも色々問題ががが)というのがあって,やっぱり教師が学生のファイルを作るほうがいいだろうという結論に至りました。

超えるべきハードル

1. 学生のペアリング

これは昔知り合いの川口先生がブログ記事に書いていたような気がするなと調べたらすぐ見つかったので,そこの記事で紹介されているものをそのまま使いました。

2. ペアリングした文字列をファイル名に転用できるようにする

上記ブログ記事先のやり方でやると,リスト形式で学生のペアリングリストが手に入ります。ただし,それをファイル名に転用できるようにしようとするとひと手間工夫が必要です。リストのそれぞれの要素に入っているクォーテーションマークでくくられた名前を結合して1つにまとめる必要があるからです。

私がもともとやっていたのは,文字列ベクトルの1つ目から順番にとってきて,それをファイル名にするというものでした。今回はペアですので2人(もし奇数なら3人組もできる)の名前を1つのファイル名にしようということになります。

リスト内の要素を結合するには次のようにします。

sapply(pairing,paste,collapse="&")->pairing2

pairingがリスト形式のグループ分けです。最終的にpairing2という変数には

"TAMURA Yu&KAWAGUCHI Yusaku" "TERAI Masato&FUKUTA Junya"

といったように名前が&でつながれた文字列のベクトルが入っています。あとはテンプレファイル複製のやり方と同じです。

setwd(here("Week9&10"));getwd() #Create a folder before runnning this code
dirnow <-getwd()
list1<-list.files()
print(list1)
original<-file.path(dirnow,list1) #Use the original file name
filename1<-paste(pairing2,list1,sep="_")
print(filename1) #Check all the file names
for (i in 1:length(filename1)){
file.copy(from=original,to=paste(dirnow,filename1[i],sep="/"))
}
list.files()

私は”rename”というフォルダ内にその週の課題ファイルを入れるフォルダを作っています。そのrenameという場所にRStudioがあるので,そこがワーキングディレクトリとなっています。それをその1つ下の階層に移してあげるのが1行目です。”Week9&10″というのがフォルダ名ということですね。そこに, “2022_Spring_AW_Week9&10.docx”という名前のテンプレファイルが1つはいっています。

3,4行目はそのコピー元ファイルがちゃんとあることの確認ですね。6行目でペアリングされた学生の名前が&で結ばれたものと,テンプレファイル名をアンダーバーでくっつけています。こうすることで,filename1という変数内には,

"TAMURA Yu&KAWAGUCHI Yusaku_2022_Spring_AW_Week9&10.docx" "TERAI Masato&FUKUTA Junya_2022_Spring_AW_Week9&10.docx"

のような最終的に変換されるファイル名が入ります。あとはfor関数の中でfile.copy関数を使ってファイルを複製し,そのときのファイル名をさきほど作ったfilename1の1番から最後までにしてあげるということになっています。

最後に元のテンプレファイルをフォルダから削除し,renameフォルダ内から”Week9&10″をひとつ上の階層(私の場合授業のフォルダ)にあげてからフォルダごと共有リンクをLMSに貼ればOKです。学生側はフォルダにアクセスし,自分の名前が入ったファイル上でペアと一緒にライティングをしていくことになります。

補足

もしも,ペアリングは自動ではなく手動でやりたいという場合は,エクセルなんかで2列になったものをコピーして,pairing変数にいれてあげればあとは同じようにできると思います。

おわりに

このRのルーティンを作るのに調べ物とかも含めて1時間くらいかかりました。そこで気づいたのですが,自分の担当しているのクラスは12人という少クラスで6ペアしかできないので,こんなことしなくても手作業複製とファイル名変更したほうが作業効率がよかったのではないか…という。

もっと大人数のクラスでcollaborative writingをやろうと思っていて,でもファイル管理がめんどくさい…という方の助けになれば。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

学生からの質問と回答の蓄積

はじめに

学生からの英(単)語学習についての質問を受けつけるというのを同僚の先生と一緒に担当している授業の学期の最初の方で毎年やっています。昨年度から,個別に返すのではなく学生からの質問とこちらからの回答をセットにしてQ&A集としてまとめ,それを学生と共有して資料にすることにしました。

なんか今年はコメントの質&量が違う?

この科目を担当しだしたのは着任2年目(2019年度)からでした。2019年と2020年は,学生からの質問は個別にLMS上で返すようにしていました。2021年は,質問と回答をまとめてWordファイルにして,そこにどんどん追記していく形にしました。それをクラウド上で学生が見れるようにしていて,今年度は,昨年度作ったQ&A集を見てから学生にコメントを求める形式に変更しました。昨年度以前も鋭いコメントを書いてくる学生はちらほらいましたが,今年度はコメントの質・量ともに昨年度よりあがっているような感覚が個人的にあります。もちろん,全体の中でいうとやっつけっぽいコメントがあったりとか,本当に資料を見てから書いているのかな?と思うコメントもあります。ただそれ以上にびっしりコメントを書いている学生が多いような印象がするのです(LMSからダウンロードして昨年度と今年度の文字数を比較したらどちらが多いかわかりますけどめんどくさいのでそこまではしません)。

1年生のこの時期は非常に真面目なので,同じ課題をもう少し時期をずらしてやったら全然違う結果になるだろうなとは思いますけどね。ただ,鉄は熱いうちに打てじゃないですけど,そうやって一生懸命書いてくれたことにたいして,こちらも全力でぶつかろうじゃないかという気持ちでいます。その中で,私が研究しているようなことだったり,あるいは言語そのものだったりに興味を持つ学生が少しでも増えてくれたらいいなと思います。

自分自身の研鑽にもなる

私は着任5年目ですが,英語科目(と基礎ゼミ)以外の専門科目を教えたことがないので,学生からの質問に対して,自分の持っている専門的な知識で答えるということがあまりありません。専門科目を教えていらっしゃる先生方は日常的に自分の専門に関わる質問を学生から受けているのだろうなと思うと,専門科目を担当すること自体が研究的な意味での自分自身の研鑽になるなと思いました。自分と同年代でそういう(専門科目を担当する)機会があるという話を聞くと単純に羨ましいなと思います。もちろん授業の準備は大変でしょうけど。ただ,専門科目の授業準備は研究とも繋がっているはずなので,英語の授業の準備とはまた全然違いますよね。自分がそういう科目を任されていないのは,それだけの知識があるとみなされていない(研究者としての力量が不足している)ということだと思うので,講義を任せてもらえるように勉強・研究に励みたいと思います。

いつか講義資料になったらいいな(希望的観測)

さて,冒頭で紹介したQ&A集の中には,研究に言及しながら質問に答えている部分もあります。そういう部分を書いていると,昔読んだ論文をまた読み直したり,あるいは関連する新しい論文を探したりして,結構楽しいです。今は私がそうやって時間を費やして回答したものがどれだけの学生に読まれているのかということはわかりませんが,いずれ,今書いているようなものが自分が専門の授業を担当したときの講義資料の一部になったらいいなと思ったりしています。

1年生に向けて書いているということもあって,柔らかめの言葉遣いで文章を書いています。ただ,いつか講義資料になったらいいなということを念頭に置きながら文章を書こうとすると,内容的な部分でそういう講義資料の一部になってもおかしくないようなクオリティの文章を書かないといけないという気持ちになります(気持ちになるだけで実際にクオリティがあがるかどうかというとまた別の話なんですが)。

絶対に読まないといけない資料ではなく,「読んでね☆」くらいで提示しているものなので,まあ興味のある学生しか読まないのだろうとは思いますけれど,それでもなんていうかこういうところでしか自分の研究者としての知識を授業にダイレクトに反映させる機会もないので,なんか気合いが余計に入っちゃうんですよね。正直言ってそこをサボったところで授業の質が落ちるわけでもないと思うのですが,なんか楽しいから頑張っちゃうんですよね。いつか「あーあのとき頑張っててよかったナイス自分」と思える日が来るといいなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

手元に蓄積されることと共有されることのバランス

はじめに

ひと月前くらいからぼんやり考えていて,ブログにまとめようと思っていてなかなか時間が取れなかったことを書きます。

教科書に何かを書き込めるということは,書き込んだことがいつも学習者の手元にあり,それがいつでもその学習者自身にとって閲覧可能な状態であるということです。その一方で,その状態ではクラスメイトと学習の過程や成果を共有することは難しくなります。そんなジレンマの話。ちなみに,語学授業のことを念頭に置いています。

教科書(または配布資料)への書き込み

語学の教科書には,なにかと空欄があって,そこを埋めることが学習となることがよくあります。数学なんかだと問題自体は教科書にあって,その計算の過程なんかはノートに書いていくみたいなことが多いような自分の小中高の記憶がありますが(大学はどうなんでしょう?),語学の教科書はノートというものを学習者が教科書とセットで使うということがたぶんあんまり想定されていないですよね。中高の英語の教科書はいわゆる「本文」の扱いが大きいからか,大学で使われるような教科書よりも書き込みが求められる部分が少ないようなイメージもあります。とはいえ,教科書に書き込む(それが穴埋めだったり選択肢を選ぶものだったりあるいは短文回答だったりする)ことは語学の授業では日常的に観察される光景だと思われます。

教科書に書き込まれた答えを共有するのは口頭で周りの人と話し合ったり,あるいは教員が学習者を指名して発言することで行われることが多いと思います。その「共有」という営みは,教室の授業の時間の中で行われ,(真面目にメモを取ったりしていない限り)その場で流れていってしまうことになります(そして多くの場合,間違っていたら直す程度で他の人のコメントなりをメモする学習者はかなり少ないと想定されます)。多肢選択の答え合わせ程度であれば,それでも特に問題はないと思いますが,答えが一つに定まらないような問いに答えるようなケースであれば,できるだけその共有がどこかに「ストック」されているほうがいいなと思うことがよくあります。

一方で,教科書をベースにしていても,いわゆる「ワークシート」と呼ばれるような配布物を授業中に配布して,そこに何かを書き込ませる形で授業を進めていく先生も多くいらっしゃると思います。教科書をより発展させたスピーキングやライティングの活動だったり,あるいは教科書とはまったく独立したものをワークシートとして提供したりするケースです。この場合も学習者はそのワークシートに何かしらを書き込み,上で述べたのと同じような共有の過程が授業の中で行われるでしょう。

いずれの場合においても,ペアワークやグループワークを通じてクラスメイトとの意見の交換が求められ,それをメモするスペースが確保されているような場合にはクラスメイトの意見と自分の意見が同じ場所に「保存」されることになります。そうでなければ,先述のように共有のプロセス自体は授業中に行われていてもその共有物自体はそこで流れていってしまうでしょう。

LMSやクラウドサービス等を通じての共有

コロナ禍で「オンライン授業」が全国的に広がったことを背景に,学習者が学習に取り組んだその成果物が教科書に書き込まれたままでは以前のように教室内での共有が難しくなりました。そこで,それを補完する目的でLearning Management System(LMS)やDropboxやGoogle Drive等のクラウドサービスを通じて成果物の教員-学習者間,そして学習者同士の間で共有されるようなケースもでてきたと思います。こうしたオンライン上での共有サービス利用のメリットは,(その仕組み構築のやり方によっては)共有されたものが「流れていってしまう」ことを防ぎ,「ストック」されていくことです。

私の勤務先の大学では,2020年度の秋学期,そして一部オンライン授業もありましたが2021年度も基本的には対面授業が行われました。オンライン授業で得られたそうしたLMSやクラウドサービス等を対面授業でも継続して活用し,対面授業の中でも共有のプロセスが流れていってしまわないようにされた先生方もいらっしゃったのではないでしょうか。

このとき,例えばこれまでであれば教科書に書き込んでいたようなものをLMS上に移植することで,各学習者の答えが教室内だけではなくオンライン上で共有され,そしてそれがいつでも学習者にとってアクセス可能な状態にできるというメリットが生まれます。こうした方法を利用することによって,正答・誤答があるような問題であれば,その場で誤りの傾向に対してフィードバックができるというメリットも生まれます。

オンライン上での共有の問題

ところが,いつでも学習者にとって利用可能であるということはメリットである一方で,デメリットもあります。なぜなら,そこ(オンライン上の共有された場所)にアクセスしない限りは利用可能性がないという点です。もちろん,LMS上にログインしてその授業のページを開いて教材をクリックするとか,あるいは教員から送られてきたリンクをクリックすることのハードルがそこまで高いとは言いません。そうは言っても,手元にある教科書を開いて閲覧することに比べると圧倒的にオンライン上へのアクセスを手間だと思う学習者は多いでしょう。そうなると,自分の学習のために共有されたものが教員側の想定のように活用される可能性は,そうした活動を教員側が用意して導かない限りは限りなく低くなってしまうでしょう。

さらに,多くの場合こうした共有物はオンライン上で別々の場所に保存されることがほとんどだと思います。どうやって頑張って工夫をしたとしても,実在物として教科書1冊のなかにまとめられている,あるいはワークシートがファイルにまとめられているというような一覧性を確保することは難しいでしょう。ここに,共有を重視することによってもたらされる弊害が見えてきます。

蓄積と共有のバランス

例えば,過去記事で紹介した『Getting Things Done [Book 1] Tasks for Connecting the Classroom with the Real World』(GTD)のUnit6 “Daily scenes”では,最後の活動で自分の学校の中のある場所を描写するライティングの課題が設けられています。この描写課題は教科書に書き込むスペースが設けられていますので,授業内で他の学習者の書いたものを読む機会を与えたりしない限りは共有ができません。じゃあ,ということで,これは教科書に書かせずにLMS上でタイプして提出させる宿題にすることにしたとします。こうすることで,例えば下の画像のような形で他のクラスメイトの書いたものを一覧で見ることができるようになります。

私の担当した授業の一つで課題として出したエッセイ課題の学生のプロダクトの一部(学生からの見え方)

このような共有の形をとることで,クラスメイトの書いたものと自分の書いたものを様々な観点から比較することができます。特に,ライティングのクラスでは(ちなみに上の画像はライティングのクラスではないです),クラスメイトのプロダクトが閲覧可能な状態であることが自身の学習に役に立ったというコメントを多くもらいました。先ほど例にあげた”Daily scenes”のユニットの最後の課題であれば,読んだ上でどの場所についての描写なのかについて答えさせるリーディングの活動につなげることもできます。

一方で,オンライン上で共有させることで教科書自体にはプロダクトが残りません。もちろん,教科書に書いたものを写真にとってその画像ファイルを提出させるという手段はありますが,やはり画像ファイルはテキストよりも一覧性が落ちます(一つ一つファイルを開いて閲覧しなくてはいけないため)。教科書に学習の成果が蓄積されていくことと,その成果をどのような形で共有し,それによってさらなる学習を生み出していくのか,そのバランスというか良い方法を探っていくというのが,2022年度に意識しようかなと思うところです。結局の所,共有についてもただ共有という状態を作るのではなく,そこから学習を生み出す仕掛けを教員側が用意する必要があるだろうなということは感じています。来年度は新しく担当する科目もあるので,そういった仕掛けをどう組み込んでいくのか,この春休みに少し考えてみようと思っています。

おわりに

この記事では,教科書に書き込むことのメリットとデメリットについて,プロダクトの共有と学習成果の蓄積という観点から考えてみました。教科書を作るという経験をしなければ,そしてコロナ禍が続いてオンライン授業が緊急避難的なものではなくalternativeとして機能するレベルにならなければこうしたことにも考えが及ばなかったかもしれないと思います。2021年は,授業のことについて書こうと思っていたのですが,結果としてほとんど授業に関する記事がアップできない年となってしまいました。2022年は少しはそういう記事も書けたらなと思います(控えめ)。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

[宣伝] タスク・ベースの英語教科書:Getting Things Done Book1

【2022年度新刊】タスクで教室から世界へ[ブック1]

はじめに

このたび,私が編著者として関わる英語の教科書が三修社さんから出ることになりました。その宣伝記事です。以前,三修社さんから『コミュニケーション・タスクのアイデアとマテリアル:教室と世界をつなぐ英語授業のために』というタスク教材集が出ました。この本では,いわゆるメインタスクの部分が中心として紹介されています。そのメリットとしては,「料理」の仕方でどのようにも使えるということがあります。目の前の学習者に合わせて様々な調整を加えて使ってほしいというのが著者陣の願いです。とはいっても,やっぱり準備にも時間がかかるし,どうやって1コマ分の授業を構成するのかというのは悩むところでもあると思います。そこで,その素材を「料理」して「一食分の食事」という形でパッケージングした教科書を作りました。それが,Getting Things Done (GTD)です。この本で言われているタスク(Tasks)というのは,タスク・ベースの言語指導(Task-based Language Teaching)の文脈でのタスクですので,コミュニケーション活動のようなものとほぼ同義で使われるゆるい「タスク」とは違うというのは強調しておきたいです。

ちょっとした背景

もともと,「教師用ブック」と「学生用ブック」という形で先生向けのものと学生向けのものを2つ作るという構想のもとで制作がスタートしました。教師用ブック(『コミュニケーション・タスクのアイデアとマテリアル』)は先生が購入し,必要に応じて素材をコピーするなどして教室で使うことが想定されていました。それに対応させる形で学生用ブックを作ったわけですが,この教科書だけで完結するものがよいのかどうかというのはかなり議論を重ねました。構想段階では,教師用と学生用が合わさってはじめて使えるようなものが考えられていました。つまり,教師用ブックの購入が前提だったわけですね。なぜなら,もしも学生用ブック単体で利用できるのであれば,教師用ブックが売れなくなってしまうのではないかということを懸念したからです。かといって,教師用ブックを別途購入しなければ使えない教科書であったとすれば,すでに教師用ブックを購入されている人にはいいけれども,教師用ブックは買っていない人が学生用ブックを教科書として授業で使おうとするのはハードルが高くなりますよね。

こういった議論を重ねたあとで,あくまで学生用ブック単体で「教科書」という体裁をとりながらも,教師用ブックに掲載されているオリジナリティのある「アイデア」の部分は教師用ブックを参照してもらうという方向性にしました。イメージとしては,教師用ブックのほうは「唐揚げ」みたいな感じで載っていて,付け合せのヒントみたいなのも載っている感じ。学生用ブック(GTD)の方は,唐揚げ定食というユニットになってるというか。唐揚げって書いてあるだけだと,他に何品か作ってあって,「あと一品なにかないかなー」というときに,「あ,冷凍の唐揚げチンして出しちゃおうか」みたいな使い方もできますし,「今日のメインはこの冷凍の唐揚げで酢鶏にしちゃおう」というのもできますよね。素材っていうと唐揚げというよりは「鶏もも肉」と例えるほうが適当だとは思うのですが,それはまあ置いておきましょう。

一方でGTDは前述のとおり,唐揚げ定食です。「今日のご飯は何にしようかな,あ,唐揚げ定食でいいか」,という。献立はもうあるので,何を作るかは考えなくていいわけですね。それが嫌いな人もいるだろうし,楽な方が良いという人もいるでしょう。それはやっぱり万人受けするものを作るのは難しいですからね。アレンジが大好きな人は教科書はなし,教師用ブックに載っている素材で15回分の献立を考えてもらって構いません。ただ,15回分の献立を考えるのは難しいという方はGTDを教科書として採用してもらったらいいですよということです。

中身の話

GTDの中身ですが,なんと三修社さんのGTD紹介ページから期間限定(2022年3月31日まで)で全ページサンプルがダウンロードできます。

https://www.sanshusha.co.jp/text/isbn/9784384335101/

教科書のサンプルってだいたい1つのユニットだけ限定とかが多いと思いますが,三修社さんは全ページのPDFが見れます。この方式は,GTDのような教科書の採用を検討される際にはぴったりだと思います。ぜひこの機会にサンプルPDFを見ていただければと思います(もちろん見本の請求もできます)。なぜ全ページ見れるといいのかというと,ユニットのメインタスクによって,プレタスクやポストタスクでどのようなことをやるのかもまったく異なるからです。

多くの場合,教科書の構成というのはユニット間で統一感があり,ユニットの一番最初にやるのは単語の確認とか,最後はミニプレゼンとか,やることが決まっていることが多いと思います。しかしながら,GTDはセクションタイトルは全ユニット共通(下記参照)ですが,そこで学習者は多種多様な活動に取り組むことになります。

  1. Getting warmed-up: トピックの導入
  2. Getting ready: メインタスクへの準備
  3. Getting into it: メインタスク
  4. Getting better at it: 言語形式に焦点をあてた振り返り
  5. Getting further: タスクの繰り返しや発展
  6. Getting it done: まとめ(多くの場合ライティング)

実はこうした構成になっていることがGTDの特徴である一方で,制作段階では逆にハードルになりました。つまり,活動のアイデアは一度出せば全ユニット共通で使えるものでないわけですから,すべてのユニットでそのユニットのメインタスクを最も引き立てるプレ・ポストタスクを考えなければいけなかったということです。毎回最初はきんぴらごぼうで最後はゆずシャーベット,みたいなわけにはいかないということですね。もちろん全部が全部異なっているわけではないのですが,それでも殆どのユニットで学習者は飽きることなく様々な活動に取り組むことになると思います。こうした教科書を作ることができたのも,合計6人の著者陣がいたからだと思います。1人や2人だと,アイデアもなかなか多く生まれにくいところでしたが,6人いることでそれぞれが自分の特徴を最大限に発揮し,個性豊かなユニットを作り上げることができたと考えています。私は編著者として,そこにゆるやかな統一感をもたらし,教科書としての質を高めることに注力しました。

もう一つのGTDの特徴は,教授用資料(Teacher’s Manual)の充実具合だと思います。当初は,答えが必要になるもの(間違え探しの答えなど)だけを提示した簡素な冊子体を教授用資料とするという方向で進めていました。そうすることで,詳しいことは教師用ブックを買って読んでくださいねという販促が可能だからです。ただ,私はこのGTDはタスク・ベースの考え方に馴染みがない(またはそうした授業展開を経験したことがない)先生方にとっては非常にハードルの高い教科書になってしまわないかということを懸念していました。

前述のとおり,この教科書はユニットごとに各セクションで行われる活動が異なります。つまり,大枠での意図(メインタスクへの準備等)は同じでも,その中で実際に学習者が取り組むことが語彙にフォーカスを当てているのか,あるいは自分の意見を考えるアイデア・ジェネレーションなのか,というのが異なってくるわけです。それはサブタイトルという形で教科書本体に記載されています。しかし,それだけでは不十分ではないかと思ったのです。そこで,そのセクションがどういった意図をもってデザインされているのか,そしてそこで気をつけるべきことはどういったことなのかということを説明することで授業準備の負担を軽減したいと思いました。また,教室内でどのようなことが起こるか,あるいは教員はどう振る舞うべきなのかなどを事前にシミュレーションすることもTMを読むことで可能になると思います。

かといって,TMもついているから教師用ブックは買わなくてもいいね,ということにはならないようにしました。活動のバリエーションや活動条件,タスクを成功させるためのtipsやタスク・ベースの言語指導に関する基本的な知識などについてはやはり教師用ブックを読んでいただかなくてはいけません。ちなみに,GTDを50部以上採用いただいた先生には三修社さんから教師用ブックを献本いただけるということです。詳しくは三修社さんにお問い合わせください。

TM内では,各ユニットの冒頭で授業前に必要な準備というセクションをつけました。これも,各ユニットで毎回同じ準備をすればよいわけではない教科書だからこそ必要になるものです。そこに「とくになし」とあれば,実際に何も準備をせずに「えいやっ」と教科書を持って教室に行くこともできます。そして,印刷物があれば印刷が必要だというのが一瞬でわかります。そうやって,まずはTMの一番最初の部分を見るというクセができたとしたら,おそらくそこに書いてある他のことも見てもらえるでしょうし,見てもらえれば必ず授業がよくなる情報を提供しているという自負があります。もしかすると,TMはあまり読まれないかもしれませんが,著者陣全員が,そして編集担当の方も,教科書本体に向けた情熱と同じかそれ以上の情熱をTMにも注いでいると思います。TMに書いてあることは見る人によっては「そんなこと言われなくてもわかる」というようなことかもしれません。ただ,タスク・ベースの言語指導に馴染みのない先生方にも安心してGTDを使っていただくことを念頭に置いてTMを作ったということはご理解いただければと思います。TMに書かれていることは,必ずしもGTDを使っていただく一人ひとりの先生方の自由な発想を制限するものではありませんので。

最後に

このブログ記事には書いていないGTDのコンセプトについては,見本PDF(https://www.sanshusha.co.jp/text/isbn/9784384335101/に期間限定でリンクがあります)のpp. 1-5に書いてありますので,そちらをお読みいただければと思います。すでにお気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが,Book1というのがタイトルについていまして,Book2も鋭意製作中です。来年度の冬には同じように宣伝ができると思います。もうすでに来年度のシラバスや教科書の採用が決まってしまっているかもしれませんが,ぜひGTDの採用をご検討いただき,また実際に使ってみての感想等もお寄せいただければ幸いです。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

10/30に関西大学外国語教育学会秋季研究会で講演します

http://kufler-s.jp/?action=common_download_main&upload_id=168

下記の要領で,所属に関係する研究会でオンラインの講演をすることになりました。

関西大学外国語教育学会秋季研究会 2021

■日       時           2021 年 10 月 30 日(土) 13:00~15:50

■会       場           オンライン(Zoom)

■参加費              会員・非会員(無料)

■内       容

12:30~ 受付開始

13:00 開会式

13:10~14:00       タスク・ベースの言語指導とはなにか、どうやって実践するか(理論編)

14:00~14:10       休憩

14:10~15:30       タスク・ベースの言語指導とはなにか、どうやって実践するか(実践編)

15:30~15:40       質疑応答

15:40~ 閉会の挨拶

タスク関係では過去にも何回かセミナーだったりワークショップだったりというのをやったことがありますが,講演という形で単独でやるのは初めてなので今から割と緊張しています。依頼があったときに理論と実践両方ということだったので,その両方をやることになり,結構長めのイベントになっています。実践編の方はワークショップ形式でやるつもりです(自分はあまりワークショップ形式が得意な方ではないですがワークショップ的なことをやってほしいという依頼で受けたのでやります)。要旨は以下のとおりです。

本講演は,タスク・ベースの言語指導(Task-based LanguageTeaching, TBLT)について,それがどういった考え方に基づいているかを理解する理論編と,その理解に基づいて実際の授業を構想する実践編から構成されます。後半の実践編では,まずタスクを活用するという観点から,(a)教科書に掲載されている活動をアレンジしてタスクにする,(b)教室で実際にタスクを使う際に教師に求められるであろうスキルを考える,という 2 つを参加者の方と一緒に考えていきたいと思います。

申し込みは下記のURLから可能で,期間は,2021 年 9 月 30 日(木)10:00~10 月 29 日(金)17:00となっています。

https://forms.gle/M1HCjVa4Az91WFzD6

ご興味のある方はぜひご参加ください。資料も後日このページからアクセスできるようにするつもりです。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。


2021.11.01 追記

当日使用した投影資料をspeakerdeckで公開しました。