お世話になります。私は大学生であり、ChatGPTの使用に関するラインについて分からない点があり…

Querie.meの回答をブログに書くシリーズ。最近これでしかブログを更新していない気がしてきています。質問は以下のとおり。

質問

お世話になります。私は大学生であり、ChatGPTの使用に関するラインについて分からない点があり、Tamさんに大学教員として今現在のchatgptの使用についてどの程度まで学生に認められると考えられているかご意見をいただきたいと思っています。

一つの具体例として、エッセイ課題(どの言語でも、例はライティングスキルをみる課題)を書く際にどのくらいChatGPTを使用するとチートと見なされると現在お考えでしょうか。

①単語について質問する。e.g. 今まで、例文を確認して”noxious”という単語が自分のエッセイの文脈に合っているか判断していたが、ChatGPTに聞く。代替え案があれば、その英単語を使う。

②文法や構成の質問をする。e.g. 自分が書いたエッセイをChatGPTに改善(redundantなところはないかを聞くなど)の提案を聞き、その改善された文章をそのまま使用する。

③内容の指示をする。e.g. 自分で考えたthesis statementをサポートする内容の提案を聞く。(具体例の提案など)その内容を参考にする。(あるいは使用する)

Tamさんはなんでも活用できるなら時場合に応じて活用すべきだとお考えだと思いますし、ChatGPTの機能を目的によっては活用することができる点もたくさんあると思います。しかし、現在大学においてChatGPTの使用に関するガイドラインがなく、これから課題のエッセイ、レポート、またプレゼンの制作などにおいてChatGPTをどの程度使用していいかわからず、tamさんのご意見をいただきたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

回答

非常に良い質問だとは思いますが,授業を担当される先生に聞くのが一番良いと思います。私の意見も質問者様に理解いただいているようですし。もし万が一私の授業を取っている学生であれば,匿名でこういう場所で聞くのではなく直接メールやLMSのメッセージ機能を利用して連絡してください。

剽窃とはまた違うレベルの話なので,認めるか認めないかや,どの程度認めるのかの線引きを教員側が仮に決めたとしても,学生がそれを守っているかどうかを確かめることは教員側からは不可能でしょう。レポート提出課題などは,教室で実際にレポートを書かせて提出させないのであれば,実際に本人が書いているかを確かめようがないというのと同じような話ではないでしょうか。剽窃検出ソフトウェアは,ウェブ上にあるものに引っかかるかどうかしか検出できないので,例えばですが親や兄弟や友達が代わりに書いたものを自分のものだと偽って提出してきた学生がいたとして,そのプロダクトについての質疑応答のようなテストが無い限りはそのプロダクトの本当の著者が誰かは教員が採点するときにはわかりません。ChatGPTを使ったのかどうかも,教員がコントロールできるものではないと私は思います。だからこそ,実際に授業をしている教員に確認するのが最も重要だということです。

というのが回答です。例として挙げていただいたライティング課題の話だと,どれも「チート」と私は思いません。テストや課題のcheatingはもっと悪質性があるものだと考えています。質問者様の「チート」の使い方や意味と,私がその単語をどう解釈しているのかにズレがあると,そもそもやりとりが噛み合わなくなります。したがって,以下では挙げていただいたライティング課題の例で,1から3の行為をしても良いかと学生に聞かれた時に私はどう答えるのか,という点で書きます。

したがって,「Tamさんはなんでも活用できるなら時場合に応じて活用すべきだとお考えだと思いますし、ChatGPTの機能を目的によっては活用することができる点もたくさんあると思います。しかし、現在大学においてChatGPTの使用に関するガイドラインがなく、これから課題のエッセイ、レポート、またプレゼンの制作などにおいてChatGPTをどの程度使用していいかわからず、tamさんのご意見をいただきたい」という部分については,以下をお読みいただいても回答はありません。

どんな力を身につけるための課題なのか

まず大事なことは,その課題を通してどのような力を身につけることが意図されているのかということかと思います。ツールを利用することも含めて能力であるとみなすのか,その個人が持つものだけをその人の能力であるとみなすのかによって,ツールの利用に対する考え方も変わってくるでしょう。私はツールが使えることも,ツールを使わなくてもできることも,どちらも大事だと思っています。よって,ツールを使うことを認める場合や,積極的に推奨する場合でも,それなしでも同じようなパフォーマンスができることを目指してもらいたいと学生には伝えています(目指すだけでそうなれとは言ってないところがポイント)。

アカデミック・ライティングに限って言えば,その「頂上タスク」と呼べるような目標は,エッセイやターム・ペーパーを書くことであったり,あるいは学術論文を書くことであると思います。そのような課題に実際に英語学習者が取り組む際に,実際には一切のツールの利用が制限されるわけでもありませんし,むしろ使えるリソースは何でも動員して言語面のクオリティを上げることが良いとされているはずです。ライティング・センターのような場所でアドバイスを受けたり,学術論文であれば専門の業者に校閲を依頼することも一般的です。そこを目指していると考えれば,ツールを利用することを制限するよりはむしろ,どうやってうまく使いこなせるようになるのかを教えることも目標に近づくための手段としては何も不自然なことではないでしょう。

ただし,そうしたツールがない状態ではエッセイを書くこともままならないのであれば,質の向上の見込める最大値はリソースを総動員しても低いままだと思います。結局は,どういうものがいいエッセイ,いいターム・ペーパー,いい学術論文であるということがわかっていなければいいものが書けませんし,そういうことがわかるために,そしてそれが自分でも一定程度の水準でできるようにするために必要な(リソースなしでの)英語力は身につける必要があるだろうなと思います。

カリキュラムにもよりますが,ツールなしでのライティングも継続的にやっていくことは,ツールがある場合とない場合の差に自分自身が常に自覚的になれるのでやってほしいところですね。英語力とかどうでもいいし,別に単位だけもらえればそれでいいんですという人は,そもそも大学の授業でもらえる単位がなんらかの知識や技能を習得したことにより得られるものであるという感覚もないと思いますので,何でもやっていいんじゃないかと思います。質問者様はおそらくそういう方ではないからこそこうして長文の質問を送ってくださっているのだと思いますが。

形式面の質向上のための利用

1や2はGrammarlyQuillbotなどのライティング支援ツールを使うのとあまり変わらないと思います。私はこれらのツールをライティングの授業で使うことを推奨しているので,ChatGPTを言語の形式面の質を上げるために使用することを認めないということはないでしょうね。

ただし,私が今年度秋学期に担当していた1年生向けのアカデミック・ライティングのクラスでは,14週目にそうしたツールなしで制限時間付きのエッセイライティング課題を授業内で行いました。ほとんど全ての学生は,その際にツールがないと自分の語彙や文法の知識が圧倒的に不足していてライティングを満足に行えないということを強く感じていたようで,テストの振り返りや学期末のポートフォリオでもそのようなコメントが多くみられました。

ツールを使いこなせばそれなりのものが作れるというのも私は能力であると思っていますが,standardized testなどで測定されるようなproficiencyはそういうものではないので,そこを伸ばしたいと思えばツールを使わないようにしてみるというのも一つの方法なのかもしれません。

内容面のサポート

3についても,Googleで検索して見つけた記事の内容を用いるのとやっていることはあまり変わらないと思います。ウェブ検索を禁じる人はいないと思いますので,3の意味での使用も認めないというのは難しいかなと思います。ただし、ウェブ検索の場合は検索の過程で情報を探し出す,たどり着いた情報を吟味する,得られた情報を取捨選択する,などのような能力が必要となります。こうした能力を重視するのであれば,それはChatGPTではなくウェブ検索でやってもらいたいという意見もありうるかなと思います。

もちろん,ChatGPTの場合も,提示されたものが本当に自分のエッセイにフィットするかどうかを吟味し,提示されたのが複数あればその中から選ぶ必要は出てくるでしょう。しかしながら,ChatGPTに聞く時点で情報はかなり絞り込まれていますので,ウェブ検索で自分の得たい情報を探し出すスキルはChatGPTを使う際には必要ないでしょう。さらに,ChatGPTは平気でそれっぽい話をでっち上げることもあるので,存在しないデータや調査を提示してくるなんてこともあるかもしれません。そうしたことが起こったとしても,それをまたウェブ検索で確かめれば良いという見方もありえますが,それなら最初からウェブ検索で良いのでは?と思います。

辞書は使って欲しい

話を1に戻しますね。1については,辞書は使って欲しいなと私は思います。辞書の例文で確認した上で,自分の判断についてChatGPTの意見を求めるという使い方はいいのではないでしょうか。ChatGPTにどのようなプロンプトを入力するのかによって答え方も変わってきますが,辞書は意味や例文以外にもコーパスのような頻度の情報であったり,文法的な補足が書かれていることもあります。そういった情報に触れる意味でも,辞書は使わない,もうChatGPTでOKというようにはなってほしくないかなと思いますね。少なくとも今の時点では。

理由は理解した上で修正や提案を受け入れる

2の中で文法はともかく構成については,教員が求めるものとChatGPTが出してきたものが必ずしも一致しているとも限らないので,そこは理解しておく必要はあるかなと思います。使用している教科書や題材,エッセイであればエッセイのスタイルなどによって,構成が変化する部分もあるでしょうし,教員が独自に重要視している部分もあるかもしれません。例えば,私は典型的なfour/five paragraph essayにおいて,イントロのthesis statementにボディで言及する内容が含まれているかどうかを重視しています。理由を述べる際に, I believe that this change is necessary because of the following three reasons. のように書くよりは,その3つの理由を簡潔にまとめて,because of A, B, and Cのようにするほうがボディとのつながりが強くなり,結果として読み手にとって内容が理解しやすい文章になるからです。そういうことまで考慮した上で,提示された修正や提案を受け入れるかどうかを判断できるのであれば良いと思います。

また,文法(というか文レベルの話)についても,例えば,「こちらのほうが読みやすいのでこうしたほうが良いです」という理由で修正がなされたときに,その読みやすさは何によってもたらされているものなのかを考える必要があると思います。あるいは,「確かにこっちのほうが読みやすいな」という感覚のようなものを持てているかどうか。そういう判断ができないなら,「使いこなしている」とは言えないでしょう。

おわりに

これは結構いろんな意見の人がいそうですよね。大学がガイドラインを作るっていうようなものでもないかなと個人的には思ったりします。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

三笘選手の英語

はじめに

しばらく前に書いてずっと下書きになっていた記事をようやく公開します。

SNSなどの発達でスポーツ選手が外国語でインタビューを受ける場面をよく見るようになった気がします。昔もYouTubeにあったような気がしますが,今はTwitterやInstagramにもっとたくさん溢れている気がして。私は特にサッカーが好きなので,サッカー選手のインタビュー映像をよく見ます。つい昨日のこと,世界最高峰のサッカーリーグと呼ばれているイングランド・プレミアリーグのFAカップ4回戦で,日本代表の三笘薫選手が劇的な決勝ゴールをあげて強豪リバプールを破ったことが私のTLでは話題になりました。そんな三笘選手の英語でのインタビューについて思ったことを。

彼の英語力をどう見るか

DAZNのハイライトでは試合後のインタビュー映像も最後にありました。それを見ての私の印象は,質問は理解して答えているけど、応答は主にフレーズ単位の表現と使用頻度の高い文(e.g., I think, we won)を並べて答える感じで、日本代表キャプテンの吉田麻也選手のような複雑さ(一文の長さや,従属節の使用など)はあまりない,というものです。ただ,これはまったく否定的な評価をしているわけではありません。むしろ,まず目指すのはこのレベルで機能できる学習者というのが英語教育の目標になって良いのでは,というものです。にもかかわらず,なんなら三笘薫選手どころか吉田麻也選手よりも高いレベルを多くの英語教師は求めていないだろうか,という気がしてしまうのです。ちなみに,吉田麻也選手の英語でのインタビュー例として,カタールW杯の決勝トーナメント1回戦でクロアチアに敗れたあとのインタビューを御覧ください。

We did everything what we can do, we could do.

We are very proud of what we have done.

など,上の例は”everything (that) we can do…”とwhatを使った名詞節ではなく関係節のthatを用いるべきところだったとは思いますが,それでもこうした主節の中に従属節を埋め込むような発言がありますし,一文の長さも長く,流暢さもあります。ちなみに,”everything”と”what we can do”を並列しているという可能性もあり,それなら文法的には問題ありません。We did everything, (we did) what we can doということですね。what we can doのあとにwe could doと言っているのは,おそらく時制の一致をしないといけないとあとから気づいてcouldに言い直したのではないかと推察されます。

では,三笘選手のインタビューです。

吉田麻也選手と比較すると,沈黙やつなぎ言葉(ときにtheに聞こえるようなものも)が多く,フレーズをつなぎ合わせるように発話している印象が強いと思います。

Interviewer: Congratulations on today’s result and your goal was that the best moment for you since you came to Brighton
Mitoma: Yeah. I think the best moment so far because uh yeah uh great yeah at the end of the game, yeah great goal and we won because of the goal yeah so I’m very happy.
Interviewer: Tell me about the goal from your perspective because there was a lot of skill involved.
Mitoma: Yeah this free kick is we prepared so and uh the great ball from the Parvis and good gets the block of the Denis so yeah everyone played well so yeah uh the first touch is good and the kick motion so yeah unbelievable yeah
Interviewer: What is the mood of the team? You must be feeling very very confident as a group now. You’ve beaten Liverpool twice in two weeks
Mitoma: yeah yeah now we have the confidence to play against every opponent so yeah we had prepared well and we we played the tactical well so yeah we keep going and we have to stay humble.
Interviewer: What do you hope Brighton can achieve between now and the end of the season?
Mitoma: It’s not easy to speak because we have to the importance every match so and the next game we focus next game we focus yeah no not the aiming so yeah we we have to keep this tension and uh yeah keep going yeah

YouTubeの書き起こしをもとに一部筆者が修正しています

三笘選手の発話を,「カトコト」とか,「ブロークン」のような形容詞で,不完全なものだと判断するでしょうか。むしろ,インタビューという場面では、あれでインタビュワーと視聴者(ファン・サポーターを含めて)に彼の伝えたいことは伝わっていたのではないかと思います。このレベルで通訳なしでインタビューのやり取りができるようになって初めて,その先の言語のクオリティを上げることに焦点を当ててはどうでしょうか。と私は思ってしまいます。別にサッカー選手に限らず,です。

上の三笘選手の発話の中で私が一つ「おっ」となったのは,最後から2つ目の発言の最後にある,”we have to stay humble”です。humbleは「謙遜した」という意味の形容詞ですが,JACET8000ではLevel7の単語です(一応大辞林にも「ハンブル」というカタカナ語の見出し語はありますが,あまり日本語としてハンブルというのを見聞きする機会は私個人的には多くありません)。それ以外の単語はインタビュアーの方が使っているものも含めてほとんどが高頻度の単語です。おそらく,サッカー選手の発話や監督・コーチの発話にこの単語のインプットが多く含まれているのかなと推察します。だからこそ,こういう場面でもhumbleのような単語が出てくるのだろうなと。

New Word Level ChekcerでJACET8000を指定して調べた結果
ほとんどがLevel1, Level2ですよね。

ちなみに,gorotaku先生も指摘なさっているように,これはインタビュアーも結構ゆっくりはっきり話してくれていますね。

おまけ

最後に,横浜F・マリノスからMLSのバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍した高岳選手インタビューもたまたま見つけたのでどうぞ。

Interviewer: Can you tell us how you felt about your first MLS game?

Takaoka: Yeah, I think this is a 1st step for me, but the result is not good. I, I’m disappointed. So, uh, about next game is coming. So I have to analyze and um, keep, keep head up and focus on the next game.

Interviewer: Was it what you expected? Was it? Um, because it was two very different halves. Were you kind of expecting that or were you expecting something different?

Takaoka: Yeah, first half we played well. Um, second half, a little bit change. Um, we have to be be patient. It’s too easy, uh, to, to consider goal in the row. We have to be patient and yeah, sometimes, uh, happen, but to, to go in a row it’s, we can, we can, we can, we can change.

Interviewer: Hi, um, you were very calm and cool and collected on the ball today. How important is that part of your game? Just being cool and really helping your team build out of the back the way it did.

Takaoka: Yeah, I’m trying to stay calm and uh, I want to make the, uh, environment, everyone, um, play comfortable. I want to make, I want to make them comfortable. And that’s why I’m, I’m stay calm and um, sometimes, uh, make angry but uh, depends on the situation. I, I’m always control myself

Interviewer: With your 1st 90 minutes, uh, under your belt. Now in the MLS, how do you compare it to the J league, hmm,

Takaoka: Well, yeah, the LMS is more, uh, hmm, more go to attack the goal and more open open games and uh, the Japanese J-league is more compact and the possession is a lot of games, um, played that kind of style and I think that is uh, the difference,

Interviewer: Hi Yohei Vanney has talked about you as being one of probably the best goalkeepers in MLS, with your feet, with you saying just how open MLS is, is that a strength that you think you’re going to really be able to use going forward?

Takaoka: Yeah, I think my, my feet is my strength, but uh, I’m not sure about everything about MLS. And I don’t know about other goalkeeper and uh, but I can play well with my feet and I can make the difference uh, to from, from other goalkeeper.

三笘選手よりは流暢性が高くて,チャンクの引き出しも多いのかなという印象でした。ただ,一般的には,「通訳なしで英語のインタビューの受け答えをしていてすばらしい!」と思う人が多いのではないでしょうか。一方で,これが学校で行われるインタビュー・テストでのパフォーマンスだとしたら,英語教師の皆さんはどういう評価をされるでしょうか?もちろん,どんなルーブリックで評価するのかというところによるとは思いますが,これを「英語ができる方」と判断する人がどれくらいいるのかなと。ここにギャップがあるような気がしてしまうのです。

おわりに

こうやってサッカー選手のインタビューを見ていると,サッカー選手がどうやって語学をやっているのかも気になったりしますね。もしインストラクターのような人がついているのだとしたら,どういうカリキュラムでやっているのかなとか。例えばJクラブなんかが海外移籍を視野に入れている選手向けの語学教室とかやったりしていないのかなとか。サッカー選手がある言語を必要とする場面は結構ニーズ分析すると明確にタスクを抽出できそうですよね。インタビューの受け答えはおそらく頂上タスクの1つになるでしょう。あとは監督やコーチの言っていることを理解する,チームメイトとコミュニケーションを取るとかですかね。私はサッカー場面での英語使用には全然詳しくないので,どういう語彙や表現で選手同士,選手と監督・コーチがコミュニケーション取るのかはわかりませんが,そういうのさえわかればタスク・ベースのサッカー選手向けカリュキュラム構築とかできそう。そういうのコーディネートする仕事とかもしあったらめっちゃやりたい笑

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

大学教員だと仕事とプライベートな時間との分けかたが難しそうな印象がありますが…

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画。質問は以下です。

大学教員だと仕事とプライベートな時間との分けかたが難しそうな印象がありますが、授業準備、研究、趣味、家族など、職場以外での時間の割り振りはどうされていますか?

回答

まず質問を読んで最初に思ったことは,何を聞かれているんだろう??です。仕事とプライベートの時間の使い分けを聞かれているのだと前半部分を読んで思ったのですが,後半部分は「授業準備、研究、趣味、家族など、職場以外での時間の割り振り」です。「授業準備,研究,趣味,家族など」の「など」は授業準備と研究と趣味と家族が等位接続されているという理解で間違ってないですよね?そして,それが「職場以外での時間」の例として挙げられているということですよね?授業準備も研究も職場以外でやるってこと???と。あるいは,「授業準備,研究,趣味,家族など職場以外の時間」,ということで読点の位置が不自然に入ってしまったのでしょうか?だとしても,趣味も職場以外の時間ですしね…。「授業準備や研究と,趣味や家族などの職場以外の時間」と書かれていたら,すんなり理解できるのですが。こういうところで引っかかるのって私だけなんでしょうか…。

さて,前置きが長くなってしまいましたが仕事とプライベートの時間の使い分け,ということだという前提での回答です。大学教員といっても勤め先の大学によって,また学部によっても全然働き方が違うと思いますので,あくまで私のケース,ということで以下お読みください。

プライベートの時間

私は就職して1年目は仕事とプライベートの境目とかなかったです。土日も仕事するのが普通で,プライベートよりもとにかく仕事仕事って感じでしたね。というか,授業準備とか,学内の様々な仕組みに慣れるのに精一杯でした。2019年度からは,ガンバ大阪のサポーターデビューをして,サッカー観戦という趣味を作ることによって,強制的に仕事をシャットアウトするようにしました。そうでもしないと常に仕事のことを考えてしまうし,それは健全ではないとわかっていたので。

その後,2020年度はコロナになって,在宅ワークの時間の時間が圧倒的に増えましたよね。おそらく多くの人にとってそうだったのだと思います。それ以降は,また仕事とプライベートの垣根がなくなったってしまった感じがします。1年前に引っ越してリビングに仕事スペースがある今の環境だと余計にそう思いますね。私は結構環境を変えることで自分のマインドを切り替える性格なので,2020年度の完全オンライン授業の時期などは,通勤時間がかかったとしても研究室に行ってそこからオンライン授業をしたり他の仕事をしたりしていました。

大学院生のときも,アメリカにいたときは結構自宅でやってたような気もしますが,それは勉強机を部屋に置いていたからです。名古屋に住んだ4年間のうちのほとんどはローテーブルしか置いていなかったので,家で作業した時間はほとんどなかったですね。大学受験のときも,わざわざ1時間くらいかけて河合塾の自習室に通っていたと思います。

研究の時間

あとは,研究とかプロダクティブな仕事をどういう時間でやるのか,これは研究者で悩んでいない人はいないのではと思います。結局,時間に余裕ががあるときにやる,とか,そういうのは絶対にうまくいかないっていうのは人の話や本を読んでも,自分の経験としても理解できています。時間に余裕があるときってほとんどないからですし,その時点ですでに後回しになってしまってるんですよね。

やっぱり,時間を決めてやるしかないですよね。幸い,平日のうちの1日は研究日として授業や会議のない日があるので,その日に研究をする,という人が多いのではと思います(大学教員で研究日の設定がないのだとしたら,そういう場所をいい職場だと思うことは絶対にないので研究日がある環境に移ったほうが絶対にいいと思います)。ただ,その日に溜まった家事をやったりとか,そういう風になってしまうこともありますよね…。

私は2023年度からは自分の研究日に非常勤に行くことになったので,研究日を活かす,というのとは別の方法が必要になります。実際に年度がスタートして,生活のリズムがつかめないと,どういう時間の使い方がいいのかわかりませんよねおそらく。手探りでやっていくしかないのかなと思っています。というか,5年間同じ職場に努めていても研究日が変わったり担当の科目が変わったり,時間割も変わったり,所属している委員会も変わったりと色々な変化が毎年あったので,正直に言って未だに固定された自分のやり方みたいなのは見つけられていないかもしれません。おそらくですが,そういった変化に影響されないような方法を見つけないといけないのだろうなと思い始めています(気づくのが遅い)。

そんな中でも,私が割と気に入っているというか,自分にとってあっているかなと思っているのは,授業の前の時間を使う,です。これも1限の授業が多くあると,かなり早起きしなければいけないので朝にそこまで強くはない私はなかなか難しかったのですが,例えば,2限から授業の日は1限の時間を研究に使う,というような感じです。私は基本的に授業の日は授業開始時刻の1時間前に職場に着くのを目安にしています。関西大学は1限が9時からなので,8時くらいにオフィスに着くイメージです。よって,2限の日に8時に研究室に着けば,2時間は集中して作業ができます。これが,例えば,1, 2限は授業で午後が丸々空いている,みたいな日だと,午前で結構疲れ切ってしまって午後に頭を使う仕事がなかなか捗らないんですよね。また,2, 4限とか1, 4, 5限のようにのように空いたコマがあるときも,その空いたコマに研究のことを考えるというのは私はあまりうまくできません。

来年度は,久しぶりに午前に授業がない曜日,つまり自分の授業がすべて午後にある曜日があるので,午前を研究に活用するようなスケジュールを組めるといいのかなと思っています。あとは,念願の自分の書斎(1.5畳)を手に入れることができるので,家にいても「仕事モード」に切り替えやすくもなるのかなと思っています。

「割り振り」という観点

最後にですが,時間をどう作るかではなく,「割り振り」つまり配分という観点で考えてみます。着任してから3年間は,授業準備にものすごく時間をかけていたと思います。最初の1, 2年はたとえ同じ授業であったとしてもまだまだ1年目でそこまで授業のスタイルが確立できていたわけではありませんでしたので,2年間終わってようやくこれである程度授業準備が楽になるかなと思っていました。そこにコロナがやってきて,今までやってきたこととはまったく違う授業をしなければならなくなりました。2021年度もまだまだコロナ前と同じように授業はできていませんでした。今年度になってようやくほとんどコロナ前変わらない授業ができているかなと感じ始めています。ただ,来年度からは非常勤含めて新しい授業(すべて語学以外の授業)が5つあるので,また授業準備に多くの時間が必要になる時期になるだろうなと思います。

あとは,質問者様のあげてくださったものの中には入っていませんが,委員会業務も地味に大変ですね。大学教員の仕事には所属組織の運営というものもありますから,外からは見えにくいですが色々仕事があります。また,私のこれまで経験してきた業務は仕事の波があることが多く,ある特定の時期に多くの仕事をこなす必要が出てくることが多かったので,その時期は本当に大変な思いをしました。そして,今年度からは所属組織のみならず学会運営の仕事(LET関西支部の事務局の仕事)も入ってきててんやわんやです。

体感ではここまでで40~50%くらいですかねぇ。あとは研究,趣味,家族が10~20%ずつくらいっていう感じかもしれないです。ただ,数ヶ月前に同棲をし始めて,二人の時間は増えたと思います。もちろん忙しさの波があるので難しいこともありますが,できるだけ二人で料理をして食事をする時間を作ることを意識しています。義務感というよりも,その時間が幸せなので,その時間を大事にしたいという気持ちです。あとは,今はJリーグがオフシーズンなので,サッカーに費やす時間が減っているというのもあるかもしれません。

研究の時間もっと増やしたいよなぁという気持ちはあります。ただし,私より遥かに多くの仕事をこなしていて,なおかつ研究もやっていて,という私より年上の先生方も見ています。そうすると,自分の頑張りは足りないなと思うこともあります。1年前くらいは,そのことに対して,つまり,周りと比べて自分に対してネガティブな思考に陥ってしまっていました。カウンセリングに通い続けて,そういう思考からは少し解放されたんじゃないかなと思います。自分は自分のペースで成長はしていっているはずだし,目の前に立ち現れる壁を少しずつ乗り越えていくことだけに集中して,それを繰り返していけばいい,と今は思っています。

具体的な目標とか,数字とか,そういうのはあえて設定せずに,とにかくやり続けること,やめないこと,そういうのを色んなところで設定しています。運動もそうですね。何キロ痩せるとか,体脂肪率をどれくらい落とすとか,週何回運動するとか,どれくらいの強度の運動ができるようになるとか,そういうことを考えるのはやめました。運動をやめない,運動を続けること,それだけです。そうやってしている方が,結局は自分は長く続けることができるなと思うので,研究についてもそうなんじゃないかなとなんとなく思っているという感じですね。

おわりに

なんだが質問に答えるうちに内省がどんどん活性化されて色々と書いてしまいました。私に質問されたい方はお気軽にどうぞ。質問への回答で,さらに気になることがでてきたら「関連する質問を送る」ということもできます。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

修士課程でやっておけばよかったと後悔していることはありますか?

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画。いただいた質問はずばりタイトルです。

回答

たくさんありすぎます。学部のときにやっておけばと思ったことも,博士後期のときにやっておけばよかったと思ったことも,どれもたくさんあります。

たぶん,そのときにどれだけ一生懸命何かに取り組んでも,あとあと,「あれやっておけば」っていうことって絶対出てくると思います。逆に,「あれやっておいてよかった」と思うことも同じかそれ以上にあるんだと思います。
大事なことは,何歳になっても自分が知らないことを知ろうと努力することで,今,自分の与えられた環境で,がむしゃらに学び続けることなんじゃないかなと思います。それができる人のことを私は尊敬していますし,私の理想もそういう人間です。

修士課程に在籍している方が質問者の方だったとしたら,「今わたしは何をやっておくべきでしょうか?」という質問なのかもしれませんね。あまり答えになっていないかもしれませんが,とにかくできることは何でもやっておいたほうがいい,というのが私の答えかなと思います。これさえやっておけばいいというのもないでしょうし,これはやっておかなくてもいいというのもないと思います。やっておいたほうがいいこと,なんていうのは,わかりません。何がどう未来に役に立つかなんてわからないので。

ちょっと昔話

このブログでも何回か書いているような気もしますが,少し昔ばなしを。

学部時代

学部時代は,正直あまり真面目に勉学に取り組んでいた方ではなかったです。自分の興味あることについては一生懸命に取り組んだ思い出もありますが,日本の大学の修士課程に進学する人たちが入試のために勉強するようなことは私は恥ずかしながらほとんどせずに修士課程に入りました。そのくらいの時期にTwitterを始めて,たくさんの人たちと交流するようになり,私は恐ろしいほどに知らないことがたくさんあると感じました。修士課程のときはとにかく本も論文もたくさん読もうと努力していましたが,じゃあどれだけ読んだら後に後悔しなかったのかと思うと,たぶんどれだけ読んでいても後悔しないことはなかったんじゃないかなと思います。

いま振り返って,学部の1年に”A Student’s Introduction to English Grammar“と格闘していたこと,3・4年次のゼミで”Thinking Syntactically“を読んだこと,学部の先輩にそそのかされて,4年次に別の学部の統語論の授業を受けに行っていたりしていたことなどは,やっていてよかったなぁと思うことですが,それよりもたくさん,もっと学部のときに勉強しておけばよかったと思うことはあります。一方で,学部のときにはなの舞でバイトしまくったことは確実に私の調理スキルを向上させましたし,そこで何度も二日酔いになったことでお酒との付き合い方も学びました。また,たくさん遊んだからこそ,学部卒業後はもっと勉強しようと思えるようになりました。その意味で,どんな経験も今の自分には必要だったのだと思います。

修士課程時代

特に,私は修士課程は実践よりのところでしたから,研究というところについては授業の課題だけでは不十分で,自分でたくさん読まなければいけないことも多かったです(当たり前ですけどね)。もちろん,demo lessonやteaching practicumなど,研究ベースの修士課程では経験できなかった多くのことが自分の英語教師としてのベースになっていることは間違いありません。また,私が修士課程への進学を決めたのも研究者を目指していたからではなく学校の英語教員を目指していたからだったわけで,その選択も後悔してはいません。もっというと,そういうバックグランドが逆に大学教員としての自分の強みにもなっている部分はあるかと思っています。

ちなみに,私の修士論文はタスク系の研究だったのですが,そのためにTBLT関係の論文や本をそれなりに読みました。ただ,それは自分がそこに興味があったからそうしていただけで,それが松村さんとの勉強会につながり,本の分担執筆をすることになり,教材集や教科書を作ることにつながるなんて思ってもいませんでした。

博士後期課程時代

そこから,学校の英語教員になることを諦めて博士後期課程に進学しました。その時は,D1でしたが1年弱研究から離れていたこともあって,修士課程の学生と一緒に授業を取りながら,自分の研究のことも考えながら,非常勤もやりながら,というような感じでした。自分がすごく夢中になってやったことといえば,Rくらいかなと思います。そのときは,ただただRで何かやるのがかっこよくて,Rを使って分析が色々できるようになりたくてやっていただけで,Rがこの先に必要になるからとかそんなこと思っていたわけではありませんでした。Nagoya.RというイベントでRのネタを発表するためにRのことを勉強したり,tidyrやdplyrなんかも出始め当初くらいから触っていました。そうしたら,Rのできる人というような見方をされるようになっていました。テクニカル・レポートなんかを書くようになり,先生から分析を頼まれるようになり,また勉強をして,そうこうしていたら学部で「データサイエンス」と名のつく授業を来年度から担当することになりました。名古屋大学という環境がそういうところだったのでしょうし,周りにいた人たちの影響はもちろんあります。

ただし,それは「Rやっていてよかったな」と思うだけで,もしタイムマシンで過去に戻れるとしても別に自分にあえて「Rやっといたほうがいいぞ」とか「LMEは絶対勉強しろよ」とか言わないと思います。他にも,自分が今知らなくて,もっと時間がある院生時代に勉強しておいたほうがよかったことなんて山程ありますが,そういうことも,その当時,それを勉強しなかったのではなくきっと他のことを勉強していたから知らなかったということだと思うようにしています。そして,そのときに勉強していたことは今の自分に絶対につながっているはずで,もし仮にそれをしていなかったらそれはそれで今のようなキャリアになっていたとも限りません。

だからこそ,「やっておけばよかった」と思ったときに,”It’s never too late to learn”という言葉を思い出して本を買い,そして積ん読になるんですね。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

2022年の振り返り

毎年恒例の振り返り記事です。これまでの振り返り記事も興味がお有りの方はどうぞ。

過去の振り返り記事

ブログのこと

この記事を書いている2022年12月30日時点でのこのブログのpage viewは161,591です。年間のアクセス数は2021年よりもさらに減少して,執筆時点で2022年は17,628となりました。18,000を切ったのは2016年以来でした。今年は投稿数が近年のうちでも少なくここ5年間だと以下のようになっています。

  • 2018: 23本
  • 2019: 25本
  • 2020: 26本
  • 2021: 29本
  • 2022: 22本

昨年は結構一本の記事あたりの分量もかなり多かったのですが,それも少し減っているような感じです。

今年の記事で閲覧数が多かったのは以下のような記事でした。

1番目の話は,いわゆる学内紀要的なものに論文を書く意味があるのかっていう話です。自分の所属先に関わる話ですが,今後もっと色々考えないといけないんじゃないのかなとは思っています。ChatGPTの記事は割と最近ですが,Twitterでも結構反響が大きかったです。英語教師の方々がチラホラとどんなことができるのだろうと色々試しているのが最近よくTwitterにも流れてきています。二番目の記事も英語授業に関係する話ですね。4つ目のタイトルが長いものは,Querie.meという質問を募集するサービスでいただいた質問に対して,答えが長くなったのでブログ記事にしたというものです。Querie.meというタグでいくつか記事を書いていますのでもしご興味がおありでしたらお読みいただければ。めんどくさい回答の仕方とかもしていますが,基本的には質問はいただけたら嬉しいので喜んで回答しています。

仕事のこと

2022年度が5年目で,大学教員としていろいろなことが見えるようになってきたなと感じるようになりました。そんな中で,とても大きな変化として学会の事務局長というお仕事を任されるようになったことがあります。今までは運営委員の末席にいたのが,急にそれを仕切る役目を任されることになり,いろんな先生に助けられながらなんとかもうすぐ1年目を終えようとしています。そういう仕事をしている中でも,こういうところは変えたほうがいいとか,このやり方はあまり効率的じゃないとか,そうやって気づいたことは逐一メモするようにしていて,事務局業務に関するメモやメールのテンプレなんかはEvernoteにどんどん蓄積されていっています。

来年度は,また学内で今とは違う役割になることや,授業の担当で大学院の科目をもつようになることなど,今から不安なくらいたくさんのことが待ち受けているので,チャレンジングな2023年になるだろうなと思います。自分の中でも,そこが一つの分岐点というか,一皮むけるために必要な,色々耐える年になるだろうと思っているので,そういうのを楽しみつつ,それらを乗り越えた先に自分が成長したと思えるようになっていたいと思います。

2022年は,それまでなかなか出版までたどり着かせることができていなかったものがいくつか出版になったので少しホッとしています。とはいえ,全然足りないので,もっとやらないといけません。仕事に慣れたら…なんて思っていたらどんどんと新しい仕事が回ってくるので,そういうスタンスじゃこの先研究者として生きていくのは無理なんだということを改めて突きつけられている思いです。

運動習慣

2022年も自転車と筋トレの2本柱をある程度継続してやっていくことができました。ただ,夏にぎっくり腰をやらかしてしまってしばらくお休みしたのと,先日も腰の調子がかなり悪くて運動ができなくなってしまったことなどがあり,あまり強度の高い運動を年の後半にはできていません。20-30分くらいの軽いランニングであれば,腰のサポーターを巻かずに走れるくらいにはなってきていたところだったので,少しショックではあります。

今も継続して整骨院には通っているのですが,そういう体のメンテナンスもしつつ,無理のないように今後も筋トレは続けていきたいなと思います。

プライベートのこと

今年は,実家がなくなったというのが結構自分の中でも大きなことでした。なくなったといっても家を取り壊したとかそういうことではなく,実家を貸家にするために荷物をすべて引き払ったということなのですが。祖母の面倒を見るために,父が祖母と同居することになり,そのために誰も住む人がいなくなった一軒家を貸しているという状況です。私の人生の大部分を過ごしていた場所で,たくさんの思い出の品がありましたが,それもすべてはとっておけないのでほとんど処分することになりました。それはある意味で,自分にとって東京という場所との決別のような感覚もありました。私は東京出身ですが,もはや東京は「帰る」場所ではなくなったという感じです。今後東京に行くことがあったとしても,東京で「ゆっくりする」みたいなことはきっとないんだろうなと思います。

私は別に実家大好きマンとか地元大好きマンというわけでもないので,これからは大阪という場所が自分の街という感覚になっていくのでしょう。また春には同じ市内の中で引っ越しをして,そこが私の家になります。色々大変なことも多いのですが,そういう決断をしたという意味では,2022年は人生の大きな節目になるのかもしれません。春が待ち遠しいですね。

おわりに

2021年の終わりは,とにかく本当にこれまでの人生の中でもっとも落ち込んで,すべてに絶望していましたが,あれから1年経って,その時から比べると2022年の大半は本当に幸せな毎日を送っていると思います。公私ともに,たくさんの方にお世話になりました。直接お会いできた方も,できなかった方も,本当にありがとうございました。このブログを読んでいただいている方も,そうでいない方にも,私に関わるすべての方に感謝申し上げます。

今年も1年お世話になりました。来年もよろしくお願いします。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

大学教員が求める小学校外国語科の授業の在り方は?

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画を久しぶりに。いただいた質問はずばりタイトルのとおりです。

回答

さて,まず質問いただいてありがとうございます。あまり頻繁に質問をいただけるわけではありませんので,こうした質問をいただけることを嬉しく思っています。また,このことを私に聞いてみようと思われたことに対しても感謝申し上げると同時に,以下の回答が質問者様が今後,同様のサービス(Querie.meや質問箱等)で私や別の方に質問をされることを妨げるようなことがないことを祈っています(ここまで読んで,一部の人には研究者がよく受け取るメールのテンプレっぽいお断りの文章だなと感じられたかもしれません。私も書きながら,あれこれリジェクト通知かなとか思っています)。

前置きが長くなりました。

まず,私は大学教員の代表としてなにかを論じる立場にありませんので,いただいた質問に対する答えは「わかりません」となります。あるいは,外国語教育に関わる大学教員に限って,その総意としてなにかの意見を求められているのだとしても,その「総意」というのはわかりません。したがって,「お答えできません」と表現する方が良いかもしれません。

もし仮に,「(いち)大学教員(としてのあなた)が求める小学校外国語科の授業の在り方は?」という質問の意図だったとしましょう。つまり,私(田村)個人の意見を知りたいと思っているという質問だということですね。しかし,仮にそういう質問の意図であったとしても,答えはほとんど同じで「わかりません」になるかと思います。または,「私(田村個人)は,何かを求めたりすることはありません」ということになるでしょうか。

外国語学部に所属していて,一応外国語教育にも片足は突っ込んでいる大学教員の立場であったとしても,小学校外国語科に,あるいは学校教育に,いや「大学教員が求める○○の在り方は?」の「○○」の部分に何が入っていても,それに対して何かを求めるようなことはないというように思っています。もしも,「(いち)大学教員(としてのあなた)が求める教授会の在り方は?」くらいだったら,まあ一応自分も大学教員として学部の教授会の構成員ではありますので,学部の教授会がどういうものであったらよいかということに対しては自分の意見がないわけではないです。ただ,それでも自分が何かを求めるような立場だろうかということについては考えてしまいますね。よく言えば,抑制的,悪く言えば消極的と言えるでしょうか。

そういうことを考えた上でもとの質問に戻って,「大学教員が求める小学校外国語科の授業の在り方は?」という質問に対して私がなぜ違和感を覚えているのかということを考えてみます。つまりは,この質問に何の疑問も挟まずに答えるというのは,小学校外国語科の授業の在り方に対して,自分自身が何かを言うこと,つまりそこに何らかの影響を与えようとする気があって,なおかつそのことに対して責任を負うことができる,そういうことだと思うわけです。「求める」というのはそういうことですよね。単なる意見ではなく,その意見を述べる対象に対して影響力を与えようとする意図がなければ「求め」ないわけですから。

さらに,「在り方」という言葉にも引っかかっているのだと思います。「在り方」というのは「あるべき姿」ということです。「小学校外国語科の授業のあるべき姿」を問われているわけですね。この「あるべき」というのも,私にとっては畏れ多い言葉です。「大学のあるべき姿」とかを問われたのであれば,大学教員として,大学の運営の末端を担う自分にもそれを考える責務や,そのことを発信する勇気は必要でしょう。しかし,「小学校外国語科の授業のあるべき姿」は私にとっては自分がコミットしている領域であると捉えていないのだと思います。もし仮に,「日本の政治のあるべき姿」を聞かれたとすれば,それに答えないのはどうなんだと自分でも思いますが(とか言って,私は政治の専門家ではないので…なんて答えたりしそうですよね)。

さらに,一応ウェブ上で,私は素性を明かしてブログを書いたりTwitterに投稿したりしています。そして,私はもうブログを始めた当初の無名のどこの馬の骨ともわからぬ若造でもなくなってしまいました。そうなると,そう簡単に,あるいは軽率に,私が「求める」「小学校外国語科の授業の在り方」について語ることはできなくなってしまいました。私がもし仮に小学校外国語科の授業について専門的に研究している研究者であれば,まだ何かを言うことができたかもしれませんが。

深く考えすぎかもしれません。もしかすると質問者様の意図は,「(いち)大学教員(としてのあなた)が求める(考える)小学校外国語科の(理想の)授業の在り方は?」という質問であったのかもしれません。

つまり,「求める」というのは「考える」くらいの意味であって,「あなたは小学校外国語科の授業の在り方についてどう思いますか?」ということを聞きたかっただけなのだと。その可能性もありますよね。しかし,質問の意図を解釈しようとするだけでこれだけのことを私は考えてしまうわけです。

もしも質問者様がこの回答ブログ記事を読んで,「めんどくさ!もう質問なんかしねーわ!」

と思わなかったのであれば,またこの質問の回答のところから関連する質問をしていただければと思います。

以上です。

私に質問されたい方は質問お待ちしています。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ChatGPTで英語授業の教材づくりをしてみる

はじめに

ChatGPTという,OpenAIが公開したチャットができるAIがあり,話題を呼んでいます。私は,教員という立場で,これをなにか授業の準備などに活かせないかなと考えています。

ライティングのフィードバックなんかを考えたり,あるいは学生にライティングさせる際には使い方次第でツールとして利用できるかもしれないなと思います。ただし,他にも教材を作る際には結構労力がかかるもので,それをChatGPTで代替できたら結構楽かもしれないなと思いました。以下,私が試しにやってみたものを紹介します。

  1. 物語の続きを書かせる
  2. 語彙を簡単なものに書き換える
  3. 文章の書き換え
  4. オリジナルのストーリーを書かせる
  5. 文章の要約を書かせる
  6. 内容理解の問題を作らせる
  7. 内容理解問題の選択肢を作らせる

1. 物語の続きを書かせる

プロンプトを入力して,その続きとなる物語を書かせるとどうなるかやってみました。使用したのは,『Getting Things Done: Book1』のUnit13にある”Safe Driving”の冒頭です。

PDFからコピペしたので”This driver isjust”のところ,スペースがないのにあとから気づきましたが,まああまり問題になってなさそうです。

元の文章のほうがもっと面白いですが,まあ面白い物語にしてくれとかお願いするともっと違うんでしょうね。オリジナルのストーリーのcreativityにそれでも勝てるかどうかはわかりませんね。もしかしたらそのあたりはまだ人間が強いのかもしれません。

2. 語彙を簡単なものに書き換える

ChatGPTの大きな特徴として,前の会話の内容を覚えているというものがあります。したがって,一度入力したものは同一スレッド内であれば記憶されているので,”the story”とするだけでいけます。すごいですね。

夫が亡くなったというくだりが無くなっているのは,子ども向け,としたからかもしれません。

ちなみに,どれだけ簡単になったのかを,New Word Level Checkerを使って見てみると次のようになりました。参照するWord ListにはNew JACET 8000を指定しています。まずは元の文章から。

これでもほとんどはL1, L2で,L4までで96%くらいなので,そこまで難しい語彙が使われているわけではありません。では,書き換え後を見てみましょう。

書き換え後の文章はL3までで98.27%です。sawが黄色になっていますが,これはおそらくseeの過去形ではなく「のこぎりで切る」の意味のsawだと認識されているためかと思います。よって,実際にはこのパーセンテージはもっとあがるでしょうね。

3. 文章の書き換え

次は,同じ教科書のUnit20にある不動産広告の文章を書き換えたものを作ってもらいました。

2つの似たような文章を読んで,類似点や相違点を比較するようなタスクを想定しています。これも,自作しようと思えば結構難しい部分もありますが,1つの文章さえあればそれを書き換えるのは割と容易にできるようです。指示の与え方を工夫すれば,条件に沿った書き換えなどもできるかもしれませんね。ただし,仮にそうしたことが可能であったとしても違いがどこにあるのかは自分で見つけないといけなかったり,「教材研究」的な部分が教員に求められるということには変わりないでしょう。また,自分で作ればその過程自体が教材研究を兼ねることにもなりますから,機械にやらせることで自分の教材作成力を磨く機会が損なわれることにもなるかもしれません。

4. オリジナルのストーリーを書かせる

では,お題を与えてオリジナルのストーリーを書かせるというのはどうでしょう。1つ目の文章の続きを書かせるパターンに似ていますが,出だしではなくトピック的なものを与えて書かせるパターンです。

ちなみにこれも,Getting things done: Book1で扱われている話のほうがもっと面白いです。

5. 文章の要約を書かせる

要約というのは教師の英語力が問われる部分というか,そこに英語教師としてのプロフェッショナリティが求められる部分ではあります。ただ,時間がある程度かかるというのは間違いないんですよね。そこをChatGPTなら数秒でこなしてくれます。

もうちょい文構造や単語などを書き換えた上で内容を保持してほしいところはあります。要約する箇所は適切かと思いますが。

6. 内容理解の問題を作らせる

文章を入力して,その文章の内容理解を問う問題を作ったらどうだろうと思ってやってみました。

7. 内容理解問題の選択肢を作らせる

問題を作ってもらったはいいものの,選択肢がなかったので,4つの選択肢も作ってもらいました。

1と2の問題が関連しているどころか,2の正答が3の選択肢に含まれていることなど,テスティング的には全然いい問題だとは言えないですね。また,4も物語のオチを言っちゃっている上に,正答は元の文章に使われている単語そのものです。このあたりは,人間の手で修正を加えなければいけないでしょう。あるいは,人間が作成する問題のほうが(少なくともテスト問題作成に熟知した人であればですが)上だと言えそうです。テスティング・評価関係の授業で,この問題の何がいけないのか,自分ならどのように作り変えるのかなどを学生に考えさせる課題のネタとしては良い教材かもしれません。

おわりに

今回はすべて文章を扱いましたが,もちろん会話文の出力もできます。

ちなみに,ですが,ChagGPTへの指示の入力は命令文でOKです。別にCan you…?とお願いする必要はありません。その部分の書き方の違いで出力が異なることはおそらくないでしょう。ただ,細かい部分では出力されるものに違いが出る可能性はあります。そのあたりは試していくしかないでしょうね。また,もし出力されたものに納得いかなければ,違うものを出してくれます。

アクセスが混み合っているとページが表示しにくかったり,入力を頻繁に入れていると,”slow down”と言われたりします。また,今後もずっとオープンに無料で使えるかどうかはわかりませんよね。ただ,現時点では色々試して活用していけるレベルではあるのかなとは思いました。

ただし,出力されたものを見てプロダクトの質を判断する英語力だったり,授業で扱うときに注意しなければいけないポイントがないかどうかを見極める英語教師の「目」のようなものは求められるのだろうなとは思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

2023.03.01追記

この記事の内容に関連するトークをしたときの投影資料があるので置いておきます。上記のうち,「物語の続きを書かせる」,「オリジナルのストーリーを書かせる」,「文章の要約を書かせる」の3つに絞ってそれぞれを少しずつ丁寧に扱っています。

2023.06.27追記

画像生成AIのMidjourneyを使って視覚教材を作る,教科書本文とタスクの定義を与えて教科書本文に関連したタスクを作る,等の話と,ChatGPTのようなものが登場しても語学教師が廃業しないためには,という話などをしたので投影資料を置いておきます。

文章の断片を並び替えるタスクに現れるもの

はじめに

コミュニケーション・タスクのアイデアとマテリアル』のpp.96-97に,”Put the Story in Order”というタスクがあります。このタスクは,英語力の「ごまかし」がきかない課題だなと実感したというお話。

どんなタスクか

この課題では,学習者は1つの物語を行ごとに切断してバラバラにしたものの片方を受け取ります。そして,ペアの相手の学習者はもう半分の行を持っています。「文」ではなく「行」と表現しているのは,1つの「ピース」は必ずしも完全な文ではないからです。自分の持っている行の束を見せ合うことなく,元の物語の順番にそれぞれの行を並び替えるというのがこの課題のゴールとなります。1行目は片方の学習者に与えられており,2行目以降を考えます。必ず交互にくるように,つまり自分が1行目を持っていたら2行目は必ず相手が持っている,のように課題を構成するかどうか,そしてそれを活動前に学習者に伝えるかどうかによって難易度の調整が可能です(もちろん,交互でさらに学習者にそれを伝えると難易度は下がります)。

この課題は情報合成と呼ばれるタイプの課題で,分割された情報を組み合わせることによって1つのものができあがるという性質を持っています。お互いに与えられた情報の間にギャップがあり,それを埋めることを求められるという意味では間違い探しのような典型的な情報交換タスクと似ている部分もありますが,情報交換タスクではパズルのピースを組み合わせるようなことは求められていません。その意味で,情報合成タスクは情報交換タスクとは異なります。

課題のポイント

この課題では,言語的な知識の側面と,議論をすすめるためのメタ的な会話,の2つの要素が重要となります。この重要性は,例えば同じ情報合成タスクでも複数コママンガの並び替えのような課題で必要とされるものとは比較にならないほど高くなります。例えば,自分の持っている文が”I think that”で終わっていれば,その次に来るのは

  1. 主語+動詞(thatが節のマーカー)
  2. 助動詞+動詞(thatが指示代名詞で節内の主語の場合。I think that would be interesting….のように続く時など)
  3. 現在形の動詞(これもthatは代名詞で主語になる。I think that requires a lot effort….のように続くときなど)
  4. 名詞(thatが「その」の意味の指示形容詞の場合。I think that man you saw was the suspect….のように続くときなど)

などのような可能性が考えられます。ここまで明示的な知識がなかったとしても,どのような単語のつながりは文法的にありえて,どのようなつながりはありえないのかについてを判断する知識を持っていなければ,この課題の達成は非常に困難となります。つまり,意味中心のやりとりで文法的な部分の理解が多少あやふやでも相手とのやりとりを重ねてゴールに近づいていけるようなタスクとは異なるアプローチが必要になってくるということです。

さらに,文法用語,最低でも品詞(動詞,名詞,形容詞,副詞,前置詞くらい)を英語で表現できないと,文法的なルールをヒントにして文の並び替えを行うことは難しくなるでしょう(し,もっといえば文法規則についての明示的な知識がなければ,そもそもこの課題を文法の規則をベースに解決しようという発想にすらいたらないかもしれません)。

また,自分たちがどのような「作戦」を取るのかを話し合う必要も出てくるでしょう。学習者たちのやりとりを見ていると,この「作戦」がタスクの成功の鍵を握っていると感じる場合も多いです。例えば,この課題を進めるにあたって私が教室内で4つのペアを観察した限りは次のようなパターンが有りました。

  1. 次の行を探す際,自分も意思決定に参加できるように,相手が持っている文をすべて読み上げてもらい,どれが自分の持っている行の前あるいは後ろに来そうかを考えるようにする
  2. 1の派生とも言えますが,相手の読んだ文をすべて書き写そうとする(これやると書き写した後は個人で課題の達成ができてしまうので,基本的には非推奨だと思います)
  3. 行の順番を特定する前に,バラバラの状態のお互いの持っている行に任意の記号(アルファベット)を付与する(これによって,記号を使ってやりとりできる)
  4. 1->2->3…と最初から順番に特定していくのではなく,最後の語と最初の語の組み合わせで比較的容易に繋がりそうな行を先に特定し,その上で話しの流れを踏まえて最終的な順番を特定していく
  5. 文法的なことよりもむしろ意味内容に焦点をあて,ストーリー全体の流れを大まかに予測し,それに沿うように行を並べていく(ただ,基本的には文法を考えるほうが圧倒的に短い時間でタスクが達成できると思います)

もちろん,これらは「最初からそうしようと決めて始めた」というケースと,途中で「こうしたほうがよさそうだ」と気づいてそのようなストラテジーをとったケースとがありました。いずれにせよ,こうした「課題の進め方」に関する意思疎通は,ただ情報を交換するよりも難易度が高くなります。

チャレンジングな部分

私が持っているクラスの学生で,例えば複数コママンガの並び替えはこちらの想定したくらいの時間でゴールまでたどり着くような場合でも,文章の並び替えとなるとその2倍から3倍以上の時間を必要としていました。

ちなみに,私がこのブログ記事を書くに至ったきっかけはテストでの学生たちのパフォーマンスを見て,です。学期中に一度この”Put the Story in Order”をやって,別の素材で同じ課題をやったのですが,少し文章が難しいかなとは思っていたのですが,私が思っていた以上に全員が苦戦していて,おそらく私が4月から見てきた中で初めて「難しすぎてモチベーションが急降下した」瞬間を目の当たりにしてしまったのです。学生には本当に申し訳ない気持ちになりました。

苦戦していた学生は,言語的な部分もそうですし,意味的な部分も統合しながら,つまり,文法的にも意味的にも文として成立するか,”That doesn’t make any sense.”とはならないかについての判断を適切に下すことができていないように思いました。ここが,私が「ごまかしが効かない」と冒頭で表現したことにつながります。タスク遂行中は基本的に意味のやり取りに焦点があたります。したがって,consciousness-raising taskのように意図的に学習者の注意を文法的側面に向けさせるような課題でなければ,たとえ文法項目のターゲットを学習者には直接伝えない形で設定したfocused taskであっても,学習者は文法面に注意を向けることが難しくなります。なおかつ,文法的な正確性に欠ける発話であったとしても,相手に自分の言いたいことが伝わっていればタスク達成に著しく支障をきたすようなことはあまりないと思います。ところが,この並べ替えタスクではその「曖昧さ」が許容されないことがしばしばあります。もちろん,行をどこで区切るのかで言語的なつながりの見つけやすさ・見つけにくさを変動させることは可能ですが,基本的には「なんとなく」では最後までたどり着けないことが多いです。絵の並べ替えタスクとの違いはここにあると言えるでしょう。

ただ,これは絵の並べ替えタスクが「なんとなく」でできるというわけではなく,絵の並べ替えタスクも絵の微妙な差異や変化を言語的に表現できなければ順番が特定できないということもあります。しかしながら,絵の情報をどうやって伝えるのかは学習者の工夫次第で乗り越えられる部分がある一方で,行の並び替えはそういった学習者の表現方法の工夫で乗り越えられる要素があまりないのではないかと思います。

おわりに

この課題は,文章という素材があればあとはそれを行ごとに区切って分割するだけなので,どのような素材を用いてもタスクを作成することができます。さらに,文法的な知識も要求される課題ですので,「タスクをやらせると盛り上がるけど,でも文法がおろそかになってしまわないだろうか…」ということを懸念される先生方にとっても取り組みやすいのではないかと思います。

事前に品詞の英単語くらいは与えておくことはやっておくのがよいかと思います。もちろんなくてもできなくはないと思いますが,特に高校段階くらい以上だと品詞の概念を使うほうがいいと思います。また,課題作成時の注意点として,文章のすべてを並び替えるのは難しいので,出だしの部分は全体で共有し,内容理解を済ませた上で,物語の中盤から後半あたりの並び替えをするようにしたほうがよいと思います。

他のタスクに取り組んでいるときとはまた違う学生のパフォーマンスが見れるので,今後もこういう系のタスクを適宜取り入れて授業をやっていきたいなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

基礎研論集2015の論文に修正を加えました

むかしむかし,D2のときに,下記のテクニカルレポートを出しました。

田村祐(2016)「外国語教育研究における二値データの分析-ロジスティック回帰を例に-」『外国語教育メディア学会中部支部外国語教育基礎研究部会2015年度報告論集』29–82.

外国語教育研究って,二値データを扱うことが結構多いのにそれを全部割合だったりに変換して線形モデル使ってるけど,ロジスティック回帰したほうがよくないですか?という話を,Rのコードとサンプルデータとともに分析の流れを紹介したものです。

当時はまだまだコードとデータを共有するというのが一般的ではなく,researchmapの「資料公開」という場所にデータとコードを置いて,そのリンクをbit.lyをかませて論文中の附録としてつけて,読者が実際にコードを走らせながら分析を学べるようにしていました。とはいっても,私は統計の専門家ではないので,当時自分が学んだことをまとめたかったことと,分析の相談を受けた際に「これ読めばできます」と言って済ませたかったのでした。

最近,知り合いから,リンクが死んでるんだけど,どっかに移した?みたいな連絡を受けて,そんなはずはないけどなと思って確かめてみると,確かに論文中のリンクからはアクセスできなくなってしまいました。おそらくですが,researchmapの仕様変更でURLが変わってしまったためかと思われます。それはちょっとまずいなと思い,コードとデータをOSFに移行し,そちらのリンクを論文中に貼り付けたものを訂正版として,編集委員長にお願いして訂正版のPDFを公開してもらいました(bit.lyのリンク修正は有料でないとできなかったので断念。またOSFのほうが利便性高そうなので)。一応もとのPDFにもアクセス可能です。編集委員長様,迅速な対応ありがとうございました。

7年も前のコードで(D2が7年前という衝撃),当時学びたてだったdplyrなんかは今と書き方が異なる部分も多いので,おそらく今の環境では動かなくなってしまっているコードも結構あるのではと思いますが,それも全部書き直すだけの余裕はちょっとなかったので,それはしていません。ただ,読み直していたら表番号の参照がずれているのに気づき,それは直した上で後ろに正誤表をつけました。

何年ぶりかにファイルを開いたら,Word上での見た目がなぜか公開されているPDFファイルの見た目と異なり,ページの設定は同じはずなのに行送りが微妙にずれていたりして若干もとの論文とページ数が異なる箇所がありますが,内容は変わっていません。researchmapを見ると,コードは300件以上,論文中のサンプルスタディ1は600件以上のダウンロードがあり(この差はなんで?),LET中部のサイト上にある論文PDF自体も400件近くダウンロードされています。

おそらくですが,附録のリンクが機能せず,「なんやねん!しばくぞボケ!」ってなった方も100人くらいはいらっしゃるのではないかと思います。申し訳ありません。データとコードは私のresearchmapの「資料公開」にあります。また,OSFは以下のURLです(余談ですが,researchmapはURLに日本語が含まれているのでそれまじでやめてほしい)。

https://doi.org/10.17605/OSF.IO/2FS9B

別に引用はされないですけれども(そもそもこの論文が引用されていても通知も来ないしわからないと思います),今でも閲覧しようと思う人(まあ知り合いなんですが)がいるというのは,あのとき頑張ってよかったなぁとなんとなく思います。時間があったからできたことではあるのですけれど。

最近はRT(not retweet but reaction time)使う分析しかしていないので,ロジスティック回帰はやっていませんが(…とまで書いて,共著でロジスティック回帰使っている研究が先日リジェクトされたことを思い出したんですが),この論文のRコードのアップデートはなかなか難しそうなので,ロジスティック回帰やってる論文が出たらそのときはおそらくRのコードとデータも当然公開すると思いますので,そちらでご勘弁ください。

余談

LET中部支部は新しいウェブサイト(https://letchubu.org/)が動いているので,いずれ今の基礎研論集のページのURLも変わったりするのかなと思いつつ,これ全部移行するの業務委託とかじゃなく誰かがやるのだとしたら100万くらいもらっていいのではと思ったり(LET関西支部もウェブサイト再構築検討中ですが委託です)。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

最近出た論文

2022年度にいくつか論文が出たので,ちょっとした宣伝です。

International Review of Applied Linguistics in Language Teachingの論文

この論文は最近といっても実際には春頃に出版されたものです。 概要は自分のウェブサイトに書いたのでそちらを引用します。

L2英語学習者が英語母語話者のように効率性を重視した数の一致処理を行っているかどうかについてを検討した論文で,Tamura et al. (2021)の追研究の位置づけです。Tamura et al. (2021)では,L2英語学習者は母語話者と違って,there | is/are | a | cat | and | とandを読んだ際に,複数一致の文(e.g., there are a cat and….)の読みが早くなる傾向が見られることを明らかにしました。そして,それは”A and B”のような等位接続名詞句は常に複数であるという明示的な知識の影響である可能性を指摘しました。今回は1つ目の実験で,there is/are |a cat and a dog| behind the sofa.のようにフレーズ単位での自己ペース読み課題を行い,単語単位の呈示ではなくフレーズ全体として等位接続名詞句をどう処理しているかを調査しました。結果として,やはりL2学習者は複数の読みが早くなることが明らかになり,there構文内の等位接続詞を複数として処理していることがわかりました。2つ目の実験ではTamura et al. (2021)同様に再度単語単位呈示での自己ペース読み課題を行いました。Tamura et al. (2021)では呈示順の影響が考慮されていなかったためです。例えば,andの後ろも名詞句が後続するとは限りません(e.g., there is a pen and it is broken)し,理論的にも,数の一致を再解釈する可能性があるとすれば2つ目の名詞句を処理した際であると仮定されています。したがって,Tamura et al. (2021)でandの時点で複数の読みが早くなった原因は,実験中にthere構文内に等位接続名詞句が生起する刺激文に晒されたことで複数一致の読みを予測するようになったからかもしれないからです。2つ目の実験の結果,there | is/are | a | catの段階では複数一致で遅れがみられ,直近の一致は単数で行う効率優先の処理が行われている可能性が示唆されました。ところが,この影響は実験が進むにつれて薄れていき,逆に実験が進むにつれて2つ目の名詞の領域で複数読み条件の読解時間が早くなる傾向があることが明らかになりました。これらの結果から,直近の動詞と名詞で数の一致を完結させる効率駆動型処理はL2英語学習者にも利用可能であることが示唆されました。しかしながら,2つ目の名詞句で一致を再解釈し直す現象はL2英語学習者に特有の現象であり,この原因として実験中に等位接続名詞句が埋め込まれたthere構文のインプットを受けることによって学習者の持つ等位接続名詞句は常に複数であるという明示的な知識が活性化され,それが言語処理に影響している可能性を指摘しました。

https://tamurayu.wordpress.com/2022/04/05/tamura-et-al-2022/

この論文は,もともと明示的知識・暗示的知識の枠組みで行っていた研究でしたが,研究を進めていくにしたがってそのフレームワークを使うよりも,第二言語の文処理研究として論文にするほうが話がスッキリすると考え直し,ほぼすべて書き直しました。第一言語話者と異なり,第二言語話者が持つ知識が文処理中にユニークな形で用いられているのではないかということを示唆したというところが面白いポイントかなと思っています。

オープンアクセスにはなっていませんが,著者原稿は上記の概要のページからダウンロードできますのでご興味がおありのかたはどうぞ。また,英語ですが,論文をできるだけ専門用語を使わずに説明したOASIS Summaryがありますので,そちらもお読みいただければと思います。

Journal of Psycholinguistic Researchの論文

この論文はつい最近出た論文で,私の博士論文研究の後続研究的な位置づけです(その博士論文の実験の研究はまだ査読中で,こっちが先に出ることになってしまったのですが…)。

関西大学に着任して,若手研究者育成研究費という学内研究費をいただいたので,それで行った研究です。関西大学に来てから始めたもので,また単著は久しぶりでした。内容としては,名詞の有生性階層というものを参照し,日本語と英語で名詞の複数形の許容される部分が異なるという点に着目してその複数形の習得について調査した研究です。

日本語には「たち」や「ら」といった複数形の標識がありますが,これらは主に有生名詞に付与するという特徴があり,無生名詞につく例はあまり多くありません(実際に日本語のコーパスを見てみると用例がないわけではありませんが非常に限定的です)。一方で,英語は有生名詞でも無生名詞でも複数形形態素が付与します。そこで,無生名詞の複数形の処理は有生名詞の複数形の処理よりも難しいのではないかという予測を立てました。この予測は,私の博士論文研究の結果の考察に一部依拠しています。

この研究で行った実験は,第二言語習得研究ではほとんど用いられていない特殊なものでした。参加者は,画面に表示された単語が1語が2語かをすばやく判断することが求められるというものです。母語話者を対象とした先行研究では複数形名詞を1語と判断するほうが,単数形名詞を1語と判断するよりも遅れることが明らかになっています。これは,複数形に付与される意味が1語という語数の判断に干渉するためだという解釈です。いわゆるストループ効果です。伝統的なストループ課題では,参加者は書かれている文字の色を答えるように指示されます。実験では,色を表す文字がその文字が示す色と異なる色で提示されたりします。

,のような感じですね。このように提示されると,のように,文字の色と文字が表す色が一致している場合よりも反応が遅れたり,あるいは判断を間違えてしまったりするというのがストループ効果の代表例です。これを数に応用したのが語数判断課題ということになります。

結果はどうだったかというと,有生名詞でも無生名詞でも複数形の判断は単数形の判断よりも遅れるという結果になりました。つまり,有生性は関係なかったということです(ズッコケ)。ちなみに,有生性の影響が見られなかったことについては,上述のように日本語でも無生名詞に複数形を表す「たち」や「ら」などが用いられるケースがあることに言及しています。

ただし,それはつまり複数形名詞が持つ意味を,言語処理中に第二言語学習者が用いている可能性が高いということでもありますので,少なくとも複数形の形態素を無視して単数形と同じように処理しているという可能性はないだろうということは言えるかなと思っています。数の一致処理は第二言語学習者にとって難しいとされていますが,その原因が複数形形態素の処理である可能性が低いのではないかということも論文の中では議論しています。ただし,今回の実験参加者に対して数の一致処理が求められる課題は行っていませんので,あくまで推測です。

ちょっとした裏話

実は,このJournal of Psycholinguistic Researchに載った論文は,国内の学会紀要で不採択となったものです。国内の査読のほうが厳しいのだなと勉強になりました。院生時代に,「落ちたら国際誌」というブログ記事を書いたことがあり,まさか自分がそういうことをする日がくるとは当時は思っていませんでした。普通,まずはチャレンジとして国際誌に論文を投稿し,不採択であったら,国際誌よりも通りやすいであろうとおそらく多くの人が思うであろう国内の学会紀要に出すと思います。その逆(国内落ちたら国際誌)は私の敬愛する福田パイセンくらいしか例を知りません(経験者の方いたらQuerie.meで教えて下さい)。ちなみに,私がブログ記事を書くきっかけになったのはある後輩の発言なのですが,その時は普通に国内誌に通ったので結果として「落ちたら国際誌」にはなりませんでした。

査読で不採択となるというのはそれ相応の理由があり,今回のケースも通らなかったことについては自分自身でも納得しています。査読のプロセスでいただいたコメントを元に加筆した部分も多くありますが,決定的な理由を改善する事はできなかったのでそこについては「ママ」で再投稿しました。Journal of Psycholinguistic Researchはそんなに査読が厳しくないので,それで通ってしまったという感じです。個人的にも,この論文がそこまで面白いとも自信があるとも思っていないですが(そういうのは一生かかっても書けないと思っています),とりあえず,出版されたこと自体についてはホッとしています。2019年にとった研究費の研究で,「成果」を必ず出さなければならず,論文がなかなか出ずに事務の方に毎年催促されていたので…。

この論文もオープンアクセスにはしていませんが,Springerはオンライン上であれば無料で論文が読めるシステムになっていますので,ダウンロードはできませんが,完成版の原稿は以下のURLから無料で読むことができます。

https://rdcu.be/cYGjZ

採択後の校正からオンライン公開までのプロセスがめちゃくちゃ早くてびっくりしたのですが,Journal of Psycholinguistic Researchの論文はしょっちゅうCorrectionが出ているイメージなので,ちょっと不安もありつつ,ツイッターで共有してくださっている方も何人かいらっしゃってありがたい気持ちです。

おわりに

私が第一著者ではないですが,私の敬愛する福田パイセン(2回目)が第一著者の論文も3月に出ました。

こちらはオープンアクセスになっていますので,どなたでも無料でお読みいただけます。Journal of Second Language Studiesは割と新しいジャーナルですが,このジャーナルで現在の”Most Read This Month”の論文となっています。個人的にはこれはめちゃくちゃ尖っていて多くの人に読まれてほしいやつですので,上の2つの論文よりはこちらをお読みください(余談ですが偶然にも”Most Cited”は私と福田パイセンの博士課程時代の指導教官である山下先生の論文です)。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。