タグ別アーカイブ: 授業

何の役に立つのかは教員が語らなくてもいいのかも

はじめに

学部の講義科目,「何の役に立つの?」と思われるって自分で思い込んでたけど,その問いは学生が自分たちで自分の日々の経験や他の授業で学んだことと関連付けて答えを出そうとしてくれていることを,毎週のリアクションペーパー(以下,リアぺ)を読んでると感じます。
こちらが,「この話はこういう点で役に立つよ」なんて言わなくてもいいのかもしれないなと。

教員と学生が一緒に作る授業

そのことを,教員の責任を放棄してるとか,学生頼みとか考える人ももしかしたらいるのかもしれませんが,私は授業は教員が一方的に学生に知識を授けるものではなくて,教員と学生が一緒に作っていくものだと思っています。そういう意味では,その理想に近いのかなと。

指示しなくても,学生は自然と

しかも,私は学生に,この授業が何の役に立つか考えなさいとか,自分の経験に照らし合わせて考えなさいとか,そういう指示は出していません。そういう指示は出さなくとも,学生は自然と自分がした経験や考えたことと授業で扱ったことを関連づけようとしています。「私が経験したあの出来事は,もしかして今日の授業のこの説明が当てはまるんじゃなかろうか」とか,自分で思考を深めたり,問いを導き出していったり。
もちろん,そういった書き込みの中に,本当は自分で考えていなくて,生成AIで書いたようなことももしかすると含まれているのかもしれないし,それはもうわからないのでなんとも言えません。でも,そうは思えないコメントがたくさんであることは間違いないと自分では思っています。

「学の実化」は学生がもたらすもの

私はずっと,自分が研究していることは現実世界に直接的に役に立たないとか,現実世界の問題を直接的に解決するようなものではないと思っていました。最近,研究と社会との関わりについて考えさせられるポストも目にしました。


少なくとも授業という文脈では,私の所属先である関西大学が掲げる「学の実化」というものは,教員が学生に与えるようなものではなく(そういう場合もあるのでしょうが),むしろ学生の側が主体的に,「私が今学んでいることは,私の生きている人生や,この社会にどう関係しているのだろうか」ということを考えることによってもたらされるのかなと最近は思います。
私の授業はそうやって受けるものなのだということを明示的に指示しなくても,外国語学部の学生が主体的に,そして自然とそのような姿勢で授業を受けてくれていることに,私は感銘を受けています。そして,その事でとても誇らしい気持ちになると同時に,彼らがきっと,それぞれの場所で今も,そしてこれからも輝きをはなってくれるに違いないという確信めいたような気持ちになります。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

考え方真反対でいいじゃない

はじめに

秋学期がそろそろ始まりますが,春学期の終わり頃に聞いて嬉しかった話。

「考え方が真反対」

大学院の授業で,「別の曜日に受けている実践系の授業の先生と考え方が真反対」みたいなことを言われました。その話を聞いて,私自身も,「あー。その先生とは(理論と実践という対立ではなく実践レベルで)考え方違うだろうな」とは思ったんです。でも,それをその学生さんがネガティブに捉えていなかったのが素晴らしいことだなと思いました。

学部生とかだとまだやっぱり,同じ現象に対して違う意見を持つ人に出会ったら,どっちが正しいの?ってなって,混乱することもあると思うんです。

私はよく,特に研究寄りの授業であればあるほど,Aという説明もあるしBという説明もあるし,Bという説明の中にもB1という見方とB2という見方があって…みたいな感じで,「この現象はAで説明できます」みたいな断定的な言い方をしない(できない)んですよね。そんなに確定的なことが言えることのほうが少ないと思っているというか…。英語授業の話であればそんな回りくどくする必要はないんですよね。「私はAが正しい実践だと信じている(ただし,その「正しさ」は英語熟達度の伸長を確約するという意味ではない)」と言えばいいので。でも,なんか研究に関しては,「自分がこの立場が正しいと思っている」と言えるだけの自信というか,深め方が足りていないんだろうなと。それが授業のわかりにくさの話にもつながると思うんですけど。

ただ,そんな一意に決まるものではないっていう理解が大事だよねという思いも同時にあります(世の中のほとんどの問題には正解がないと思っている)。その中で,大事なのは自分(学生)自身がどういう選択をするか,その価値観をどうやって教員側が育んでいくのかってことなのかなと思います。

正解のパフォーマンスをするのではなく

誰かに教わった正解のパフォーマンスするんじゃなくて,自分で正しいと思ったことをしたらええやないのと。それが周りにどう受け止められるかは別の話というか,それも考えていいけど,一番優先されるべきことではないと思うんです。正解が一つに決まらないからこそなおさら。その,自分が大事にしていることは何で,それはどういう理由で大事なのかっていうのを見つけるのも大学院で学ぶことの意味なのかなと思います。

ちょっと話は違いますが,選挙に行って投票するのだって似たようなところがあると思います。投票に正解とかないですよね。その中でも,自分が考えて,一番納得できる候補者や政党の名前を書くんでしょう。大事なのはそこでしょう。と思うわけです。

そうやって考えると,冒頭の学生さんのように,私の意見を客観視して,別の先生とは言ってることが違うという見方をした上で,自分の考える方法を自分は選ぶ,という選択をできる(実際にそういう趣旨の発言があったと記憶しています),そういう発言は私からしたら素晴らしいというか,「こうであって欲しい」を体現されてるなと思いました。それが自分の所属する研究科の学生さんだったことが嬉しかったです。

おわりに

もちろん,カリキュラム的な一貫性とかを考えたら,いろんな授業で言ってることが違うっていうのはどうなんだっていう見方もあるとは思います。ただ,私はみんながみんな同じことを教科書みたいに伝えるような授業ばっかりだったらそれはそれでつまらないし,逆にそういう授業ばかりだったら考えも凝り固まっていってよくないと思うのです。

そんな関西大学外国語教育学研究科に興味が少しでもお有りのみなさん,10月と11月に進学説明会がありますよ。

2026年度4月入学の入試(12月募集・2月募集)のスケジュールはこんな感じですよ。

https://kansaigradsch.kansai-u.ac.jp/admission/graduate/fl.html

お待ちしております。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

The snoop detective school(献本)

鈴木祐一先生より The snoop detective school を献本いただきました。ありがとうございます。まず,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。

この教科書の大きな特徴は,ユニットを貫くストーリー性と,RPG的な「レベルアップ感」です。学生は簡単なことから徐々に難しいことへ,ストーリーを追いながら自然に挑戦できる仕組みになっています。私が編著で関わった,TBLT型の教科書であるGetting Things Done(GTD)のように,「順番に縛られない」タスク型(どのユニットから取り組むか,どんな順番で取り組むかは自由な教科書)とは異なり,この本は物語の流れに沿って進むことで「次に進んでいる実感」が得られる点が魅力だと感じました。

また,Task first と Practice first の両アプローチを想定しているところも大きな特徴です。つまり,どのセクションを先に取り組むかで,TBLT的にも使えるし,PPP的にも使える教科書になっているというのも,前述のGTDとの大きな違いです。いや~商売がうまいな,と思いました!笑 そういう柔軟性をもたせておけば,タスクやりたい!という先生にも,タスクは無理だけどPPPでコミュニカティブにやりたい!という人にも使ってもらえますからね。

特に活動ベースで学ぶことが好きな学生には親和性が高い印象です。著者の「How to use this textbook」にあるように,ミックスレベルやビギナーにも対応できる構成ですが,しっかり説明を聞いてから取り組みたいタイプの学習者よりも,まず体験から学ぶことを楽しむ学生にフィットするのではないでしょうか。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ノート探しの旅(番外編):Notionでインフォメーションギャップタスクの情報をシェアする

はじめに

ノート関係の記事の派生で,Notionを使いだしてから,「あ,これ,英語の授業でインフォメーション・ギャップタスクやるときに役に立つな」と気づいたお話。

インフォメーション・ギャップタスクの情報分割

英語の授業でインフォメーション・ギャップ型のタスクをやるときって,AとBのワークシートにそれぞれの別の情報を載せたりしますよね。それを相手に見せないようにねみたいな感じで。あるいは,ワークシートとは別に,Aの学生だけ,Bの学生だけに別の参照資料みたいなものを渡すとか。

こういうときに,わざわざ紙に印刷しないで,NotionでAの人が参照するページ,Bの人が参照するページを作って,そのページへのリンクをQRコードにしてAとBのワークシートにそれぞれ載せておけば,「ペアの人に見られないように」みたいな制限をつける必要もないんじゃないかな?という気がしたんですよね。実際に,授業でも試してみましたし,授業準備の手間的にも追加の資料を用意したりする必要がないし,ワークシートのスペースを無駄に圧迫する必要もないのでかなり気に入っています。

向いているタスクと向いていないタスク

このNotionの使い方は,タスク中にその「分割された情報」を見ながらタスクをやることが必須の場合(例:間違い探しや描写課題)にはあまり向いていません。向いていないといいうと語弊があるかもしれませんが,「真価」は発揮できないですね。むしろ,タスク中にはオリジナルの情報をできるだけ参照しないようにしてほしいような課題(例:リーディング素材の間の相違点を見つける課題)のときに力を発揮すると思います。

こういう課題って,印刷したものをそれぞれに配って,それを裏返しにさせたり,あるいは情報を学習者が読み取る時間を確保したあとに教師が回収したりして,オリジナルの情報へのアクセスを制限するわけです。

こういう場合に,その分割された情報がスマホ(あるいはその他のデバイス)上で閲覧する前提になっていれば,紙の資料をわざわざ配って回収みたいなことをしなくてもいいわけです。もちろん,タスク中に資料を見ようと思えば見えてしまうわけですが,それは机間巡視しているときにスマホ画面を見ていたりする学習者がいないかどうかを気をつけて観察すればよいだけです。

もう一つのメリットとして,学習者側のメリットもあります。紙の資料で配られていたら,それを処理するために,辞書でわからない単語を調べたりなどの作業が必要になる場合もありますよね。もちろん辞書を引くという行為自体は大事なのですが,単語の意味を調べるために,印刷された情報をデバイスに入力させる必要はあまりないと思います。資料をオンラインで提供していれば,その情報はデバイス上で資料を読めるわけですから,わからない単語を調べたりその発音をチェックしたりみたいなことも,随分やりやすくなります。

おわりに

別にNotionではなくても,例えばWordファイルをDropboxやOneDriveなどのクラウドストレージサービス上において,それの共有リンクを作ってQRコードにすれば同じことなのですが,インフォメーション・ギャップ型のタスクで使うような情報って,別にWordみたいな印刷を前提にしたフォーマットにする必要がないんですよね。だったらもっとシンプルなmarkdownでいいわけです。となると,こういう用途にNotionは活用がかなりできそうだな,ということで,そういう用途で結構使い倒しています。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

非常勤の話

はじめに

3年目に入った関学と追手門の非常勤,教えてる内容は基本的に同じなので,自分の中であんまり変化がないように感じることがたびたびありました。それが理由で,そろそろ辞めどきかなと思うことが何回かありました。ところが,続けていると毎年毎年新しい学びが自分にもありますし,やっぱり教えてる学生さんが違えば交互作用があって受け止め方だったり,思考の発展していく方向性だったりも違うのでそれが面白いなと思って続けてるところがあるんですよね,というお話。

第二言語習得の授業

追手門の第二言語習得は,フルオンデマンド開講ですので,これまでに一度も学生さんたちに会ったことはありませんし,読むための資料教材ベースで授業を作っています。それでも,学生さんたちも必死に理解しようとしてくれていて,自分のことと引きつけながら色んな内容を咀嚼してくれています。第二言語習得研究の面白さだったり,研究という営みそれ自体に対する理解だったりが伝わっているのが毎回のリアクション・ペーパーから伝わってきます。そらを全部読んで、毎回60ほどのリアクション・ペーパーに全て返事を書いています。フルオンデマンドな分,インタラクティブな要素を唯一もてるのがそこなので。学生さんに刺激をもらって,こちらも毎週頑張ろうと思えています。

もちろん,フルオンデマンドなので,「全然資料を読まずに生成AIにキーワードだけ伝えて文章作ったでしょ」と思ってしまうような,資料に全く関係ないことを書いている人もいます。それ自体は,どういう授業をやっても一定数出てきてしまうものだと思うので諦めているところはあります。

英語科教育法の授業

関学の英語科教育法の非常勤も,当たり前ですが,学生が変われば反応も違うし,どこが「刺さるか」みたいなのも年によって違います。例えば最初の頃は,主にピアフィードバックに対して,「生徒の能力の差があったらうまくいかない」,「できない子は何もフィードバックできなくて,できる子が損する」,みたいな意見が結構あって,そこをときほぐすようにしていました。その次は,「入試があるから」,という入試要因に強く反応する学生が多くいました。そこで,「でも実際には4大進学率自体がそもそも高校生の半分ほどで,さらに大学進学者の中でもいわゆる受験勉強が必要な一般受験が必要な割合はこのくらいで、最近は流れ的に年内入試の割合も増える方向に(主に大学側の都合で)シフトしているよ?それでも入試のために授業はあるべき?」みたいな話をしたり。

この春学期に教えている学生たちは,実践に対する関心が高くて,学習者の立場ではなく,教師の立場でTBLTを体験したいという声が出たので, これまでやったことのなかった模擬授業的なことを取り入れたりもしました。本来は,私の受け持つ科目は理論重視のはずで,実践は他の授業でカバーされていると聞いていたんですけどね。

教師役が学生だと,学習者の立場でタスクをやる学生たちも,タスクそのものに熱中するのはもちろんのこと、同じ学生の立場でありながらも教師役をやる学生たちのパフォーマンスを見ていますし,実際に教師役をやったら気づけたということにもたくさん思考がふくらんでいるように思います。

初めての取り組みだったので,改善のしようはあると思うのですが,今後も継続的にやろうかなという気持ちではいます。実際に教師役を授業の一部でも体験してもらうと,こちら側としても,普段の授業ではみえないような教師としての適性を感じることもあります。

また,実際に教えてみたら自分には無理だと思ったという感想もありました。そういう感想は少し残念ですが,なんていうか,「TBLTは難しい。無理だ」っていう気持ちも理解できます。それはある意味では真理というか,実際に学習者に即興を求めるのであるからこそ,教師の側も即興の能力を求められることは間違いないと思います。ただ,だからTBLT「の方が」難しいみたいに思われてしまうと自分の意図とは違う方に行っているなという気はします。そもそも,授業をやることそれ自体がそんな簡単なはずはないですしね。机間巡視してる中でどうやってフィードバック出すか,どこは説明してどこは説明せずにいくか,早くタスクが終わった学習者を退屈させないためにどうするか,沈黙が続いてるペアにはどんな介入をするか,とかそういうのはTBLT関係なく,英語の授業を成り立たせるために必要なことですからね。方法論に全く関係なく。「そうだとしたら,そもそも英語教師は私には無理だ、こんなことはできない」と思われてしまってもちょっと違うという気もしています。

「英語教師は簡難しくないよ。誰だってなれるよ」なんてことは言いたくないです。専門職ですし,自分の職業にプライドも持ってほしい。でも,なんていうか最初から完璧に何もかもこなせないとやってはいけない仕事でもないわけですよね。むしろ,そういう仕組みにもそもそもなっていないわけですし。私が彼ら・彼女らが教師になってからその成長をサポートできるわけではないので(求められたらそりゃ全力でしますけども),大丈夫だ頑張れっていうのも無責任なんですけどね。

おわりに

最後に脱線しましたけど,今やっている非常勤の授業も,毎授業自分にとって新しい発見があるし,毎学期,その時の受講生にプラスになるような内容を提供できている部分もあるかな思うことができている,というポジティブなお話でした。もちろん,今に満足せずにもっといい授業にしていくための営みは止めることなく続けていきます。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ノート探しの旅①:書き込めない問題

はじめに

「①」とつけましたが,いくつまで続くかはわからないまま書き始めています。先日,Obsidian publishを使ってみた感想という記事を書きました。その記事内で,次のように書きました。

この状況を考えると,授業関連のメモをそもそもObsidian上で集中的に管理し,それをPublish機能で公開するという運用自体が,私の使い方には合っていないのかもしれません。Notionならこういうことができるんですかね。となると,授業関係のメモは全部Notion使ったほうが良いのかもしれません(識者情報求む)。

すぐに,「識者」の方から情報提供が寄せられました。

直面した問題

その後,Notionを実際に使ってみて,Obsidian Publishingではできなかったような,授業ごとに資料を独立させて,その中に個別のノートへのリンクを貼っておくというようなことができるようになりました。しかしながら,授業でそういった使い方をしようしたその瞬間に,あることに気づきました。

これだと,学生は資料に書き込みしたりハイライトしたりできないな?

アカウントがあって,共有の設定を工夫すれば,もしかすると学生が自分でPDFにエキスポートしたりできるのかもしれません。しかしながら,それでは元の資料との「断絶」を生むことになります。教員側が行った更新は,コピーした学生の資料には反映されないわけなので。

これに対して従来のPDF形式の資料には,学生が自由にハイライトを付けたり,メモを書き込んだりできるという利点があります。多くの学生にとって,この機能は学習過程において必要不可欠なものかもしれません。

Notionのいいところ

私がNotionでの共有に魅力を感じた理由の一つは,Markdownでの資料作成との相性の良さでした。Obsidianでは,PDFへのエクスポートには様々な不便さが伴います。例えば,1ページに収めたい内容が微妙に2ページ目にはみ出してしまい,文字サイズの調整が必要になることがあります。さらに、修正のたびにPDFを作り直してLMSにアップロードし直す必要があるという手間も気になっていました(Notionで書いたものをPDFにしようとすれば同じ問題にぶちあたります)。

Notionのページを直接見てもらえれば,こういった手間を省くことができます。修正が必要になったときにさっと修正して,それが学生側の資料にも反映されます。教員側からすれば,自分が見ている資料と同じものを学生と共有できれば効率的です。しかし,これは教員側の視点であって、学生側からすれば、LMSから外部リンクへの遷移が必要になることは余計な手間に感じられるかもしれないということも考える必要があるかもしれません。

適した資料と適さない資料

書き込み問題に対するtentativeな解決策は,書き込みが必要になるであろうというようなそういうタイプの資料はNotionのリンクを共有するというのは避けるということになるかと思います。逆に,参照型資料や,なにかの指示のような「読んでおくだけ」と考えられるようなものは,積極的にNotionに移行していくことがいいのかな,というのをなんとなく考えています。そうなると,授業の「メイン」となる資料はどうしようかな,というところが悩みどころです。

おわりに

ObsidianからNotionへと移行して,いいところはあったので,そこからObsidianに戻るという選択肢はいまのところありません。ただ,資料共有と階層性の問題は解決できた一方で,書き込み可能性という新たな課題が浮上してきました。資料共有の試行錯誤はまだまだ続きそうです。

ブログのアイデアを書き溜めるという用途でのNotionの利用も試行錯誤しているので,それについてもまた別記事で書こうかと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

Obsidian publishを使ってみた感想

はじめに

研究や授業関係のノートはObsidianを使っています。ローカルのnoteをウェブ上に公開できる「Obsidian publish」というサービスがあるので,手元の授業資料をウェブに連携させて見て貰うの楽だなと思うことがたまにあるので,試しに使ってみました。使ってみた感想を書きます。一言でいうと,自分が「こういう使い方をしたい」という用途にはあっていないかなという感じです。手軽に情報を公開できるという期待があった一方で,特にノートを公開した際にそれらが意図せず関連付けられてしまう点(Obsidian上の構造がそのまま反映されてしまう点),そしてすべての情報が一つの場所に集約されてしまう点が,ちょっと自分がやりたいことと違うかなと。。

情報の見せ方・見え方

私が問題視しているのは,個人的なノートが公開されることそのものではありません。公開したいノートと公開したくないノートは選べます。そうではなく,公開されたすべてのノートは同じアドレス直下に位置することになるという点です。つまり,例えばある特定の授業を受講している学生にとって,全く関係のない別の授業の資料まで同じ場所から見えてしまうという状況が,どうもしっくりこないのです。そうやって,複数の場所に別々のノート群を公開しようと思えば,その数だけ料金を支払う必要があります。

理想の共有スタイルとObsidian Publishの特性

理想としては,それぞれのノート(この場合は授業資料)を独立したリンクとして個別にシェアし,必要な情報を必要なオーディエンスだけに見せたいと考えています。しかし,Obsidian Publishでは,基本的にすべてのノートが一つの場所にまとめて公開されるため,関連性の薄いノートを異なるオーディエンスに向けて整理して見せたい,といった私の用途には,残念ながらあまり向いていないように感じました。

授業関連の資料を例に挙げると,ある授業の学生に資料を共有したい場合,その学生とは無関係な別の授業の資料まで同じ場所からアクセスできてしまうのは,情報の整理という観点からも,学生の混乱を招く観点からも避けたいところです。特定のノートだけを選択的に,かつ整理された形で公開したいというニーズには,現状のObsidian Publishの仕組みでは応えにくい面があるようです。

Evernoteでもいいのか?

このような,特定の情報を独立して共有したいというニーズに対しては,Evernoteのリンク共有機能の方が適しているかもしれません。しかし,Obsidianの最大の魅力は,普段書き溜めている手元のMarkdownノートをそのまま手軽に公開できる点です。そのためだけにEvernoteにデータを移行するのは,せっかくのObsidianの利便性を損なってしまうため,避けたいところです。

この状況を考えると,授業関連のメモをそもそもObsidian上で集中的に管理し,それをPublish機能で公開するという運用自体が,私の使い方には合っていないのかもしれません。Notionならこういうことができるんですかね。となると,授業関係のメモは全部Notion使ったほうが良いのかもしれません(識者情報求む)。

代替案の模索:bookdown?OneDriveでいい?

Markdownで書いているという利点を活かすなら,私がRを使ったデータサイエンスの授業資料でやっているように,bookdownなどのツールを使ってオンラインに資料を体系的に蓄積していく方法も有効な選択肢にはなるのだと思います(それでもbookdownしたものをウェブにあげる作業がめんどいんですけどね)。

私がObsidian Publishで実現したかったのは,マイナーチェンジが頻繁にありそうで,かつ個々の資料自体の関連性があまりないケースでのノート公開でした。具体的には,「この授業のこの資料を学生に見ておいてほしい」といったマニュアル的なものを,それぞれの授業ごとに複数作成し,対象となる学生に必要なものだけを見せられるようにしたかったのです。

しかし,前述の通りObsidian Publishでは公開場所を複数に分けることができません。関連性のないノートも全てが一つの場所に公開されてしまうため,この点がネックとなりました。Evernoteはノート単位での共有は得意ですが,ノートブック単位での柔軟な共有はできず,複数の資料をまとめて共有するには手間がかかります。

そうなると,現状ではOneDriveなどのクラウドストレージでフォルダごと共有し,そこに資料を整理して格納していく形が,私のイメージしている使い方に最も近いのかもしれません。そうすると,もはや資料は全部Wordで作るってことになりますよねぇ…。

おわりに

Obsidian Publishは非常に手軽に情報を発信できる強力なツールですが,今回のような特定の用途においては,他の方法を検討する必要がありそうです。LMSに資料を全部載せればいいっていうのはそうなんですけど,やはりそうするとローカル上のものをいちいちアップロードすることになるし,毎年マイナーチェンジを繰り返すようなものは毎年過去のものと新しいものが混在化して,よくわからなくなったりするんですよね。Obsidianは気に入っているので,ツールはできればあまり増やしたくない気持ちもあります。悩ましい。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

iPadで授業するのをやめてMacBookで授業するようになった話

はじめに

私は,授業のときに投影資料などを見せるために用いるデバイスは結構長い間iPadでした。それが,今年度はiPadよりもむしろMacBook Air(非タブレット)担っているというお話です。

iPadの欠点

iPadは基本ミラーリングになるので,何か写しながらこちらの手元で何かすることができません。MacBookならできます。これのおかげで,授業中にさっと気づいたことをメモすることができるようになりました。もちろん,メモを取るという行為自体はiPhoneでやってもいいのですが,なんか授業中にiPhone触って何かを入力するのは憚られるというか,それが学生にどう見られるかが気になってしまいます。

iPadを用いていた理由

iPadの利点はなんと言ってもペンシルでの書き込みです。これはMacBookでは真似ができません。教科書やワークシートをiPadに表示しておいて、机間巡視しながら、学生に書き込みしてもらってそれをスクリーンに写して全体に共有したりすることをよくしていました。その他にも,学生のワークシートを写真に撮ってそれをスクリーンに写して,そこに書き込みしながらフィードバックしたりもしていました(過去記事参照)。そういうのはやっぱりiPadならではですよね。

それが必要になる授業はとりあえずまだ今のところ多くはないので,メインがMacBook Airでも特に問題ありません。どうしても書き込みさせたい授業では,MacBook AirとiPadを2つ持っていっています。

MacBook Airの利点

MacBookで授業をやるようになって感じる一番大きなメリットは,振り返りがその場でできることです。というか,もはや振り返ってすらいません。なぜなら,資料の小さなミスへの気づきから,活動の回し方,時間の使い方,授業の後にやっておくことなど,授業中に気づいたときに10秒以内でメモできるからです。感覚としては,気づいた瞬間にメモしている感じです。それが,めっちゃいいなと。また,2コマ連続の時の休み時間に,次の授業の座席表をスクリーンに投影しながら,前の時間に気づいたことをすぐメモする,みたいなこともできます。授業後に研究室に戻ってそういうのをまとめて思い出そうとしても,そもそも授業後は疲れてて一息つきたいし,一息つくとなかなか全部を振り返るのは難しいので,振り返りはすぐにやりたいわけです、

授業中と授業直後に大きな気づきへのメモがあるおかげで,あとはそれをきっかけに別のことを思い出したりするだけでほぼほぼ振り返りのメモになります。あとは,それを生成AIに投げて,振り返りメモと次年度へのTodoリストとして整理してMarkdownで出力してもらっています。それを,個人的にメモを蓄積しているObsidianに貼り付ければ,授業の振り返りは完成です。

しっくりきていないこと

振り返りはObsidianに残していますが,そのObsidian上でどうやってメモを効果的に残していけるか,ということはまだまだしっくりきていません。メモをその日の授業ごとに独立したノートにしていくのか,はたまた科目ごとに1つのノート作って,そこに15週分の振り返りを蓄積させる形で書いていくのがいいのか。あるいは,科目のノートには独立させた振り返りノートへのリンクだけ貼っておくことにするのか。その辺の構造は最適解がまだ見えてないので,現状ではとりあえず科目ノートに全部振り返りメモを貼り付けています。ただし,Todoリストだけは,タグ付けしておいて,別のTodoリストだけをタグで拾って集めてくれるノートに蓄積されるようにしています。

おわりに

個人的には,授業をやって,色々思うことがあってもその振り返りがうまく残せていなくて次に繋げられていないという感覚がこれまであったので,それを解消するのにデバイスを変える,というのはとてもポジティブな変化だなと思っています。今後は,その蓄積の仕方の工夫で,より未来の自分にとって有益な振り返りを残せるかどうかというところかなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

サマリーライティングの授業

querie.meでいただいた質問です。

質問

英語の授業について、相談させてください。TOEFLなどで英語のリーディングをした後にサマリーを書くといった問題があるなかで、サマリーライティングの授業を実践したいと考えています。一方で、自分がどのような形でサマリーライティングをしているのかについての、メタ的な視点が足りず、どのように指導したらよいのかわかりません。そこで、二つ伺いたいと思います。
①サマリーライティングをpost reading活動として設定する場合の授業手順について
②サマリーライティングの仕方やその指導法について解説している本など
自分のなかでもうまく構成がまとまっておらず、すみません。指導するのは、高校生から大学1・2年生ぐらいのところで、90分授業です。

回答

お返事遅くなりました。指導対象が高校生から大学1,2年ということは,高専の方ですか…?(質問者を特定しにいくスタイル

冗談はさておき,以下,私の回答です。

①TOEFLと最初に書かれているのでテスト対策の授業になるんでしょうか。そうだとしたらガッツリテスト対策だと言ってやるかなと思いますが,そうでなかったら,「なんのために要約するのか」「要約は誰が読むのか」というところを明確にして授業するかなと思います。例えば,自分のリサーチのために読んだ文章を自分があとでレポートを書くために要約しておくのと,他者のために自分の読んだ文章を要約して伝えるのでは要約のベースは同じでもまとめ方とかは変わってくると思うので。ライティングは、読み手の設定を意識したいです。

②研究室にある本をいくつか見てみましたが,サマリーにフォーカスした本はありませんでした。すみません。ただ,要約という行為の参考になるのは、もしかすると日本語のアカデミックスキルを扱った本かもしれないなとなんとなく思いました。私はそういう授業を担当したけ経験があるのですが,日本語だろうが英語だろうが、要約という行為は同じだと思うので,自分がサマリーライティングをやるならそういう教材を参考にするかなと思います。手元にあるものだと『知のナビゲーター』とか『知のステップ』とかでしょうか。

あとは,こういうときこそ,Google Scholar等でサマリーライティングについて調べると多くの実践報告の蓄積があるのではないかとおもったので,大学や学会の紀要に掲載されている実践報告を読むとなにか指導のヒントが得られるのではないかなと思いました。

おわりに

質問来てほしいなとか思いつつ学期始まるとなかなかブログ記事を書くにいたらず遅くなってしまいすみませんでした。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

Wordで作った問題を1問ずつに分割してPDF化する

はじめに

ここ数年,絶対にやらなくちゃいけないわけではないけれども,できたらいいなと思っていて,でもめんどくさくて挫折していたのがタイトルの作業です(実際にはもとはPDFで,それをWordファイルにして扱いやすいフォーマットにしてから…という話なんですが)。PDFで持っている文法の練習問題があって,それをLMSで教材にすると,PDFを1枚貼り付けて,それを別画面で開いてそれを見ながら回答の入力はLMS上で行う,という運用になるわけです。ただ,学生側からすると問題入力する画面で問題も見せてくれよとなりますよね。それをどうにかしないとなぁとずっと思っていたのですが,めんどくさくて放置していて,生成AI(ChatGPT 4o or Claude 3.5)に助けを求めたりもしたのですがうまくいかず,今日「はっ!もしかして!」と今までと違うアプローチを試みたらうまくいったので,その嬉しさのあまりこの記事を書いています。人によっては,そんなこと最初から思いつけよと思うかもしれません。

なぜめんどくさいのか

普通の空欄補充問題とかなら,たぶん生成AIに渡して問題ごとにWordで出力してとか,あるいは選択肢もカラムで整理してcsv形式にしてLMSにそのまま流せるようにとか多分できるんですよ。でも,その文法問題は,空欄補充以外にも下線部のエラー特定問題も含まれています。下記画像のような感じです。

こういうのは,下線の下のアルファベット記号のレイアウトが肝なのでテキスト処理的にはうまく扱えないんですよね。それで,生成AIに頼んでもうまくいかないと。

私がどういうことをやりたいと生成AIに伝えていたかというと,PDFを見せて,これを問題ごとに分割して別のファイルにしたいんだということでした。どうしても下線部問題のレイアウトが崩れてしまったんですよね。それから,画像ファイルとしてLMSに上げることも考えました。画面のスクショを撮るなら正直1問数秒で終わりますから,数十問あってもそこまで時間はかかりませんし,ファイル名を連番に変えるというような作業は機械的にできるので。しかしながら,画像として問題をLMSにあげると,画質が悪くて問題が見づらいという問題にぶちあたってしまいました。これに悩んでいたときはo1のような推論モデルもなく,推論モデルにPDFファイルやWordファイルを見せることもできませんでした。もしかすると,その方法なら(私が思いついたのとは違う)良い解決策を提案できたかもしれません。

解決の糸口

ふと,Claude 3.7 sonnetにWordあるいはPDFでどっちならどうにかできるかと今日相談してみました。すると,WordでVBAを使えばできると言ってきました。なるほどその手があったか!と思いました。私は,Adobe AcrobatでPDFからWordに変換し(レイアウト崩れはゼロに近いクオリティ),VBAは使えないので,提案されたコードをただ貼り付けて,スクリプトを実行しました。すると,数十個のWordファイルが生成されました!あとは,Adobe Acrobatでこれを一括で読み込んでPDFにすればいいだけです(WordのままLMSに読み込ませるとレイアウト崩れがあるため)。ところが,出力されたファイルはやっぱり下線部問題でレイアウト崩れがありました。問題部分を抽出して,コピペするというやり方でしたが,新しいファイルを開いてコピペする際に,元のレイアウトを保持してコピペするというのがなかなか難しいようでした。

そのとき,私はひらめいたのです。

これもしかして,問題を分割することとファイルを分けることを一緒にやろうとしていたから難儀な作業になっていただけで,空行をページ区切りに置換して1ページ1問のWordファイルにすれば,あとはそのままPDF化してそのPDFを1ページごとに別個のPDFファイルに出力するだけいいのでは?

と!いやむしろなんで最初からそういう発想になってなかったのよメチャクチャ簡単やん!となりました。そこで,ClaudeにWordで空行をページ区切りに変換する方法を尋ねると…

  • 検索と置換機能(Ctrl+H)を使用
  • 検索欄で「^p^p」(2つの段落記号)を入力
  • 置換欄で「^m」(手動改ページ記号)を入力
  • 「すべて置換」をクリック

というサジェストがありました。あとはこの通りに置換して,1問が1ページになっていることを確認したらPDF化して,Adobe Acrobatの”organize pages”で1pageずつにsplitすれば,1問1PDFファイルの完成です。あとはLMSの仕様に従ってzipファイルにまとめてアップロードすれば,各問題ページにPDFの問題が配置された設問ができるというわけです。

余談

実は途中で,HTMLで下線部問題できないのか?と思って生成AIに聞いてみたこともありましたが,結果としてはやはりABCDをうまく表示させることができなくて失敗に終わりました。

おわりに

正直,この作業自体は絶対にやらないといけないわけではないし,むしろ何年もやらないままできたのできっとやらなくてもよかったのかもしれません。ただ,私としてはどうしてもいつもなんか引っかかるものがあって,なんとかしたいと思っていたので,今回解決できてよかったです。まだまだもっとこうしたいというのがあるので,そこにもしっかり手が回りますように…。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。