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先行研究のレビューや良い批判の仕方は、どうすれば学べますか?

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。質問は以下です。

先行研究のレビューや良い批判の仕方は、どうすれば学べますか? 参考になる本や、ご自身がどうやっているか教えてほしいです。

これまた私に聞くの?ってやつですね。私に「良い批判の仕方」を聞くのはちょっと良くないですね。私,「良い批判」ができないことで有名ですから…(ウッ

回答

とにかく大量のインプット

人から学ぶ

自分がどうやって学んだかっていうことを考えると,誰かと一緒に論文や本をたくさん読む経験をしたっていうことが一番大きいような気がします。「誰かと一緒に」がポイントです。自分一人で論文や本を読みまくって,鋭い視点でコメントができるようになる人もいるとは思いますが,そういう人は一部だと私は思っています。私のような凡人は,誰かから学んでいくしかありません。授業でもゼミでも,学外の研究会や勉強会でも,ときにはお酒の席でも,とにかく自分より研究キャリアの長い人がどうやって論文や本を読んで,どういうところに着目しているのか,そういうことを学びながら,だんだん自分もそういう読み方ができるようになっていったのではないかなと思います。

私が博士課程を過ごしたときの環境は,別に自分から求めなくても毎日延々と研究のことを喋り続ける人がいたので,夏の暑い日も,冬の寒い日も,雨の日も風の日も,雪の日も,そういう人たちの話を一生懸命聞いて,その話になんとか自分もついていくということに必死だった記憶があります。

私が博士後期課程1年目の春だったか夏前くらいだったか,先輩が「例えばな,この男と付き合いたいと思うか思わないかっていうのを0/1で考えるロジスティク回帰をするとするだろ。こういう曲線だな」みたいなことを言ったとき,頭の中で「ロジスティック回帰ってなに???」って思ってわけがわからなかったの,今でも鮮明に覚えています。そのあと必死に勉強して,その2年後くらいにRでロジスティック回帰をやるテクニカルレポートを書くことになったわけですけど。

学会でも,発表を理解することとともにどのような質問があがるのかということにすごく意識を集中させて聞いていました。すべての質問が良い質問ではもちろんないわけなのですが,そういうところでも,学びの機会はあります。オンラインの学会だとなかなか「会場の雰囲気」みたいなものを感じることもないですし,そもそも質問も出てきづらいことも多いので難しいかもしれません。ただ,2023年度からは対面開催の学会もまた戻ってくるでしょうし,行くのはめんどくさいですけど行ったら絶対に学び(と出会い)があると思って学会に行きましょう(自分にも言い聞かせる)。

学会のような大きなイベントではなくても,小規模の勉強会や読書会のようなものがあれば,勇気を出して飛び込んでみることをおすすめします。知り合いからそういう話を聞いたら,とりあえず行ってみる,若いうちはとくに誘われたら基本は参加,でいいと思います。英語教育系の院生さんや若手の研究者の方で(いや別に若手である必要もまったくないですが),私が毎月参加している研究会(輪読+アルファ)に興味がある方がいたら,ご連絡いただければ詳細お伝えします。たしか3月の開催日は28日だったかなと思います。

概説書を読む

大量のインプットというのは,自分の知識量を増やすという意味もあります。結局,その分野の枠組みみたいなものを理解していないと,個別の研究をそこに位置づけることもできませんし,それができなければその研究の価値も評価できないわけです。そういう状態では,「良い批判」はおそらくできないのではと思います。そのためには,個別の論文を読むことよりもむしろ概説書を何冊も何冊も読むことが大事なのではないかと,これは博士課程終わる頃くらいに思うようになりました。

後か不幸か,英語教育とか第二言語習得という分野は入門とか概論とかIntroductionというのがつく本が大量にあります(cf. 英語科教育法 「僕・私のこの一冊」 懐かしい思い出と未来への展望と)。中には同じ話をしていることもありますが,同じ話でもどういう文脈でその話が出てくるのかというのは著者のスタイルというか分野の眺め方によって違うわけで,同じ事象を別の角度から眺めることを繰り返すことで知識が深まっていくし,そのベースがあるからこそ個別の研究を批判的に読むことができるようになるのではないかと思います。

むかし,ある人が,「俺が学部生のとき,指導教員だった○○先生は論文より本を読みなさいってずっと言ってて,でも俺は論文を読みたかったんだ…!」って言ってたのを覚えています。彼がいま,このことをどう思っているのかはわかりませんが。私は,その先生の指導があってこそのいまの彼なんじゃないかなと思っています。概説書に書いてあるものは全部知ってることなんだから,新しい知識を得られないじゃないかって思いがちですし,概説書だけ読んでればいいってことはないわけですが,論文読むのと同じくらいそれは大事なことでは?って思うようになりました。

最初からうまくはいかない

誰かと一緒に論文を読むとか,学会に参加するとか,そういう場所では最初はなかなかコメントできずに周りの話に圧倒されるかもしれませんが,それでも声には出さなくても頭はフル回転させて「何を言ったらいいか」を考え続ける事が大事かなと思います。もちろん黙っているだけよりは何か言ったほうがいいわけですが,最初のうちは私も全然議論に参加できていなかったこともありましたから。場数を踏めばそのうち何かコメントできるようになるはずです。それが「良い批判」かどうかはわかりませんが,最初からなにかクオリティの高いものが出せると考えているほうが間違いです。どんなに有名な研究者でもoutput -> feedback -> revisionというプロセスを経て良いものを作り上げていくはずです。そういうことを繰り返していくうちに最初のoutputの質もあがっていくのだと考えたら良いでしょう。私もまだまだ修行の身です。

私は,自分が日々考えていることを文章としてウェブ上に残すという作業を10年以上続けてきました。そのことは,思考->言語化の部分の訓練にはなったと思います。その中には,読んだ本や論文などのレビューも含まれていたと思います。決してうまくまとめられていたとは思いませんが。それでも,ただ読んで考えて終わり,だけではなく,メモ書きで残して終わりでもなく,ある程度まとまった文章にするという作業をすることは,先行研究のレビューにもつながる練習ではあるかなと思います。

もしも,身近に誰かから学びをえるような環境がなかったり,ブログ書くとかそういうのはちょっとハードルが高い…と思うようであれば,書評だったり論文のレビューなんかをウェブ上で発信している人の記事を読むのも有意義だと思います。今はブログで発信している人の数も私の周りでは減ってきてしまっていますけれど。それでも,とにかく色んな人の色んな意見を読むというのは大事ですから。

また,「先行研究のレビュー」というのが,自分の研究に関連する先行研究に関するレビューを書くということを指しているのだとすれば,自分の先行研究のレビューが一番参考になるように思います。もちろん,自分の領域とは違う論文でも,論文を出しまくっている人はレビューが上手なことが多いですから,この人のパブリケーションすごいな,と思う人の論文を読んで,その人がどうやってレビューをしているのかを分析してみるのも良いのではないでしょうか。

このときに,論文のレビューセクションがどういう構造になっているのかを読み解く必要があるわけですが,その際の基礎的な知識として,下記の本は参考になるかと思います。

論文の書き方指南書ですが,「ムーヴ」(Move)という概念を獲得することにより,レビューの構造を把握しやすくなると思います。

それから,分野は違いますが,こんな本もあります。

文学の批評は論文や研究に対して批判的なコメントをすることとはまた異なるものですが,文章の読み方や書き方に関するヒントはたくさんあると思います。

おわりに

あとなにかまだ書こうと思っていたことがあったような気がするのですが,忘れてしまったのでこのへんでおしまいにします。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

論文執筆環境を教えてもえらえますか?特に論文執筆中に活用しているアプリやツールなど

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。このサービスを始めた当初は別に質問をいただいたらブログ記事を書こうなどとは微塵も思っていなかったのですが,気づいたらブログに書くのがルーティンみたいになってきました。いつの日か,質問に答えるのもめんどくさくなる日が来るのかもわかりませんが,そういう日が来るまでは今のスタイルで行きます。質問はズバリタイトルのとおりです。

回答

まず質問を見て思ったのは,「それ聞く人あってる?」です。こういう質問が来る人って,すごくproductiveでめちゃくちゃ論文書きまくってる人なんじゃないかっていう勝手なイメージがあるんですよね。こういう質問をする方っておそらくですが自分のproductivityをあげたいと思っていて,そのために便利なツールやアプリを知りたいっていう動機なのではないかと思うわけです。それを質問するのが全然論文出していない私っていうのはもうなんというか私以外のもっとproductiveな皆さん質問箱でもマシュマロでもQuerie.meでもやってくださいって思います。それか,私だったらなんでも答えてもらえるからまあ聞いておくかみたいな感じなのかもしれないですね…。

長文はScrivener一択

おそらくですが2016年くらいから,論文や本のチャプターなどの長文を書くのはScrivenerというアプリを使っています(MacもWindowsもありますし後発でiOSアプリもできました)。安いものではないので院生さんのような方におすすめするというのはちょっと躊躇します。また,今値段見たら私が買ったときよりももっと高くなっていて,円安か…と思ったりしています。ただ,サブスクのようなシステムではなく一度買ったらずっと使えるという感じなので,その価値はあるかなと個人的には思っています。無料のトライアルもあるので,それで30日間使ってみるというのもありでしょうね。

Scrivenerを一度使い始めたら他のアプリでは論文を書けなくなりました。最後の最後の段階までScrivenerで書いて,最終的にはWordファイルに出力して整えるって感じの使い方をしています。

機能を色々使いこなせているかというとたぶんそういうわけでもないのですが,一番いいのはセクションごとにターゲットの語数を決められることと,全体のターゲットの語数を決められることですね。自分がそのセクションでどれだけ書いているのか,全体の目標語数までどれくらいなのかがわかって,執筆のモチベーションになります。執筆のデッドラインの目標とかも作れます。執筆日は週何日で,いつまでに何語書かないといけないのかとかを入力すると,執筆日に何語書かないといけないのかを計算してくれます。サボったらその分だけ1日のノルマが増えるとかもやってくれるのです。そういう設定を利用しなくてもその日に何語書いたのかとかもわかるので,「今日は100語だけしか書いていないけど,でも何もしていないよりよっぽどマシじゃないか。ビール飲もう」とか,「今日はディスカッションのうちの1節のターゲット語数をクリアできたぞよしよしビール飲もう」とか,そうやってお酒を飲むきっかけ作りにもなります(すな

もちろん構成を考えたりとか,文章の別の箇所や全体像を参照しながら書くとかもすごくやりすいと個人的には思います。やっぱり論文は頭から書くものじゃなくて,書けるところから書いていき,同時に各パートの一貫性も整えながら,最終的に一本に仕上げるっていう感じだと思うんですよね(もちろん人によりますけど)。そういう書き方で進める文章にとって,パーツを自分の好きなように作れるということと,それを好きなように積み上げられること,そしてそのパーツに書く本文とメモ的なものを分けられるっていうのはすごくメリットがあることだと個人的には思っています。

『考えながら書く人のためのScrivener 入門』(https://amzn.asia/d/eNtvvSN)という本も買って読みました。使いながら慣れるっていう感じだと時間がかかる人もいると思うので,Scrivenerを買ってた人にとってはこの本は買って損はないと思います。ウェブ検索するとScrivenerについて書いている記事も結構見つかるのでそれらを読んでみてからScrivenerの購入を検討するのもありでしょうね。以下,検索して上位に出てきた記事3本です。

高機能アウトラインプロセッサ『Scrivener』のメリット・デメリット

Scrivener3徹底レビュー:小説・論文作成のベストアプリ【使い方も解説】

文章執筆統合ソフト「Scrivener3」を使ってみた

3つ目の記事でもあるように,合う人と合わない人がいると思います。機能はモリモリですが,直感的に使いやすいというわけではありませんので。ただ,基本的な機能を一通りマスターしたら全然Wordで書くよりいいので私は気に入っています。プロジェクトをDropboxのようなクラウドサービスと連携させておけば異なるデバイスでも執筆できますしね。

メモ的なものはObsidian

私がメインで使っている,それこそなんでもかんでも放り込む的なものはEvernoteです。パーソナルプラン(年8,100円)で使っていて,これはもう10年以上とにかくなんでもかんでも放り込んでます。特にウェブの記事をクリップできるのがめちゃくちゃ気に入っていますね。読んだもの,あとから読むもの,とにかくなんでもかんでもEvernoteに入れています。

ただ,研究に関してのメモはObsidianにするように1年前くらいですかね?なりました。きっかけは確かanf先生が様々なツールを試していた際に言及していたことだと思います。

Obsidianという刺客が現れた→どうする?→roam researchから乗り換えた

考えるための名前のない技術(2)

思い浮かんだことはとりあえずDraftsに入れて、使いみちを考えるのはその後

私はマークダウン記法信者でもあるので,マークダウン記法が使えるエディタがいいなと思っていて,様々なノートをある程度自動的に結びつけることができる機能があるObsidianに興味が出て使い始めました。

私がScrivenerを使い始めるのは,「この論文を書く」っていうのが決まったときなんですよね。その手前のアイデア段階のものは,Scrivenerで作業し始めるほどのレベルに達していないと個人的には感じます。そうは言ってもアイデアが浮かんだらメモくらいはしておきたいなというときにObsidianを使っています。また,論文を読んだときのメモもObsidianに書くようになりました。

論文のメモは昔はMendeleyという論文管理ツールを使っていたのですが,あるとき急に同期の不具合があってそれまで自分がMendeleyを使ってとっていたメモも含めて全て消失したんですよね。復元もできなくなって。Mendeley死ねクソがと思ってそれ以来,文献管理ソフト上でメモを取るのをやめました(今はZoteroを使っています)。あまりにもリスクが大きいので。外部のソフトウェアを使えば,そのファイル自体は自分のデバイスに保存されますからね,例えばObsidianなら”.md”というマークダウンファイルで保存されますし,その保存先をDropboxやOneDriveなどのクラウドサービスにしておけば,まず間違いなくメモが消えることはありません。

表現的なものはAcademic Phrasebank

論文を書いているときに,表現のvarietyを持たせたかったり,こういうときに便利な表現ないかなーと思ったときにはAcademic Phrasebankにお世話になってます。結構有名なのでご存じの方も多いとは思いますが。

イントロ,バックグラウンド,メソッド,ディスカッション,コンクルージョンとセクションごとによく使われる表現がまとめられている上に,機能(”Being critical”, “Compare and contrast, etc.)ごとにも表現が見つけられるので便利です。ライティングの授業でも学生に紹介しているウェブサイトです。

NTCとNRCは大好きなアプリ

最後に,論文執筆と直接関係はないんですがお気に入りのアプリを2つ。

Nike Training ClubとNike Running Clubです。NTCはワークアウトアプリで,ヨガからストレッチから結構ハードな筋トレまで,めちゃくちゃたくさんのメニューがあります。短いものだと5分くらいで終わりますし,自重だけでできるワークアウトも豊富なのでわざわざジムに通う必要もなく家でもできます。トレーナーの人が一緒に同じワークアウトをしている動画を見ながらできるので,パーソナルトレーナーのついた筋トレのような雰囲気を味わえるのを気に入っています。

NRCはランニングアプリで,距離や時間などに応じて多様なメニューが用意されています。今日は走りたくないけど…というときには10分程度で終わるものがあったり,距離別だと1キロ,1マイル,5キロなどもありますし,コーチが音声ガイダンスで指示してくれます。インターバルトレーニングや,マインドフルネスに特化したプログラムもあり,ただ走るだけではなく音声コンテンツを楽しみながらランニングができます。私自身は2020年は月100キロとか走っていたときもあったのですが,もともとヘルニア持ちで腰からくる股関節痛を発症してからは日常的に走ることはなくなってしまいました。ただ,NRCは本当にランニングのお供としてめちゃくちゃお世話になりました。

もともとNikeが好きということもあり,バッシュ(もう全然最近バスケしてないですが),スニーカー,アパレル(普段着も運動着も),ほぼほぼNikeという影響もあってNikeのアプリに親近感をもったこともあるとは思いますが, NTCとNRCなしでは私の運動習慣は継続していないと思います。論文執筆に直接的に関わるわけではないですが,運動することによって心も身体もリフレッシュできます。さらに,運動しているときって,自分の身体のことだけに自分の意識を集中することになるので,仕事やプライベートの雑念を頭の中から追い出すことができるんですよね。そういった「デトックス」的な時間が日常の中に埋め込まれていると,creativeな仕事も捗るんじゃないかなと勝手に思っています(※因果関係は定かではありません為念)。

おわりに

この記事は,王将で生中×3のあとに帰宅してハイボール×3をしながら書いています。

私に質問したい方は下記URLからどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

今のところは割と質問に答えるのを楽しんでいます。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

修士課程でやっておけばよかったと後悔していることはありますか?

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画。いただいた質問はずばりタイトルです。

回答

たくさんありすぎます。学部のときにやっておけばと思ったことも,博士後期のときにやっておけばよかったと思ったことも,どれもたくさんあります。

たぶん,そのときにどれだけ一生懸命何かに取り組んでも,あとあと,「あれやっておけば」っていうことって絶対出てくると思います。逆に,「あれやっておいてよかった」と思うことも同じかそれ以上にあるんだと思います。
大事なことは,何歳になっても自分が知らないことを知ろうと努力することで,今,自分の与えられた環境で,がむしゃらに学び続けることなんじゃないかなと思います。それができる人のことを私は尊敬していますし,私の理想もそういう人間です。

修士課程に在籍している方が質問者の方だったとしたら,「今わたしは何をやっておくべきでしょうか?」という質問なのかもしれませんね。あまり答えになっていないかもしれませんが,とにかくできることは何でもやっておいたほうがいい,というのが私の答えかなと思います。これさえやっておけばいいというのもないでしょうし,これはやっておかなくてもいいというのもないと思います。やっておいたほうがいいこと,なんていうのは,わかりません。何がどう未来に役に立つかなんてわからないので。

ちょっと昔話

このブログでも何回か書いているような気もしますが,少し昔ばなしを。

学部時代

学部時代は,正直あまり真面目に勉学に取り組んでいた方ではなかったです。自分の興味あることについては一生懸命に取り組んだ思い出もありますが,日本の大学の修士課程に進学する人たちが入試のために勉強するようなことは私は恥ずかしながらほとんどせずに修士課程に入りました。そのくらいの時期にTwitterを始めて,たくさんの人たちと交流するようになり,私は恐ろしいほどに知らないことがたくさんあると感じました。修士課程のときはとにかく本も論文もたくさん読もうと努力していましたが,じゃあどれだけ読んだら後に後悔しなかったのかと思うと,たぶんどれだけ読んでいても後悔しないことはなかったんじゃないかなと思います。

いま振り返って,学部の1年に”A Student’s Introduction to English Grammar“と格闘していたこと,3・4年次のゼミで”Thinking Syntactically“を読んだこと,学部の先輩にそそのかされて,4年次に別の学部の統語論の授業を受けに行っていたりしていたことなどは,やっていてよかったなぁと思うことですが,それよりもたくさん,もっと学部のときに勉強しておけばよかったと思うことはあります。一方で,学部のときにはなの舞でバイトしまくったことは確実に私の調理スキルを向上させましたし,そこで何度も二日酔いになったことでお酒との付き合い方も学びました。また,たくさん遊んだからこそ,学部卒業後はもっと勉強しようと思えるようになりました。その意味で,どんな経験も今の自分には必要だったのだと思います。

修士課程時代

特に,私は修士課程は実践よりのところでしたから,研究というところについては授業の課題だけでは不十分で,自分でたくさん読まなければいけないことも多かったです(当たり前ですけどね)。もちろん,demo lessonやteaching practicumなど,研究ベースの修士課程では経験できなかった多くのことが自分の英語教師としてのベースになっていることは間違いありません。また,私が修士課程への進学を決めたのも研究者を目指していたからではなく学校の英語教員を目指していたからだったわけで,その選択も後悔してはいません。もっというと,そういうバックグランドが逆に大学教員としての自分の強みにもなっている部分はあるかと思っています。

ちなみに,私の修士論文はタスク系の研究だったのですが,そのためにTBLT関係の論文や本をそれなりに読みました。ただ,それは自分がそこに興味があったからそうしていただけで,それが松村さんとの勉強会につながり,本の分担執筆をすることになり,教材集や教科書を作ることにつながるなんて思ってもいませんでした。

博士後期課程時代

そこから,学校の英語教員になることを諦めて博士後期課程に進学しました。その時は,D1でしたが1年弱研究から離れていたこともあって,修士課程の学生と一緒に授業を取りながら,自分の研究のことも考えながら,非常勤もやりながら,というような感じでした。自分がすごく夢中になってやったことといえば,Rくらいかなと思います。そのときは,ただただRで何かやるのがかっこよくて,Rを使って分析が色々できるようになりたくてやっていただけで,Rがこの先に必要になるからとかそんなこと思っていたわけではありませんでした。Nagoya.RというイベントでRのネタを発表するためにRのことを勉強したり,tidyrやdplyrなんかも出始め当初くらいから触っていました。そうしたら,Rのできる人というような見方をされるようになっていました。テクニカル・レポートなんかを書くようになり,先生から分析を頼まれるようになり,また勉強をして,そうこうしていたら学部で「データサイエンス」と名のつく授業を来年度から担当することになりました。名古屋大学という環境がそういうところだったのでしょうし,周りにいた人たちの影響はもちろんあります。

ただし,それは「Rやっていてよかったな」と思うだけで,もしタイムマシンで過去に戻れるとしても別に自分にあえて「Rやっといたほうがいいぞ」とか「LMEは絶対勉強しろよ」とか言わないと思います。他にも,自分が今知らなくて,もっと時間がある院生時代に勉強しておいたほうがよかったことなんて山程ありますが,そういうことも,その当時,それを勉強しなかったのではなくきっと他のことを勉強していたから知らなかったということだと思うようにしています。そして,そのときに勉強していたことは今の自分に絶対につながっているはずで,もし仮にそれをしていなかったらそれはそれで今のようなキャリアになっていたとも限りません。

だからこそ,「やっておけばよかった」と思ったときに,”It’s never too late to learn”という言葉を思い出して本を買い,そして積ん読になるんですね。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。