カテゴリー別アーカイブ: 英語教育

SLA批判のXポストを読んで考えたこと

はじめに

SNSで「SLAの知見で授業が刷新されるなら,学習者の熟達度はもっと上がっているはずだ」という投稿を見ました。もっともに聞こえます。ただ,読み終えたあと,批判の照準が少しズレているのではないかと感じました。この記事では,その自分が感じた違和感を整理し,誰にどの問いを投げるべきかを書いてみます。

何が問われているのか(論点の整理)

この投稿から私が感じたことは次のとおりです。

  • 授業内の言語活動をいくら精密に記述しても,短期には熟達度上昇につながらないのではという疑問
  • 「適切に研究してその成果が適応されていれば能力は上がるはずだ」という短絡的な因果推論への違和感
  • SLAはそもそも授業の即効性を直接示す分野なのか,という素朴な問い

SLAとISLAの役割の仕分け

(私が思う)SLAはメカニズムの説明に重心があり,ISLAは教室(または指導環境)という条件での因果検証に重心があります。SLAの役割は,第二言語がどのように習得されるかという仕組みを記述・説明することです。これにより,介入の設計図に相当する理論的コンパスを提供することもできますが,それは第一義的な目標ではないでしょう。

一方で,ISLAの役割は,教室(指導場面)という条件のもとで,タスクやフィードバックなど,教育的介入や学習方法の違いがどの程度効くかを検証することでしょう。よって,件のポストに対しての一次的な応答責任はここにあります。

ポスト主の方がおっしゃるディスコース研究の価値もあるでしょう。それは,学習の過程を可視化する「街灯」です。どんな学習環境なのか、そこで実際にどんな指導・学習が起こっているのかを記述することは,そこを明らかにできるでしょう。街灯そのものは目的地ではないですが,道を安全に歩かせることができます。こういう研究には,即効性のあるなんらかの処方箋的なものは期待できません。

要するに,「SLAの知見では英語教育は変わらない」という問いを投げるなら,まずISLAの設計と測定に向けて問うのが筋であって,SLA研究に向けられる批判なのかなという気がしてしまいました。

効果検証の設計(ISLAが明示すべきこと)

言語の熟達度というのは,そんなに即効性をもって観察できるようなものでは本来ないはずです。発達は,遅いんです。よくある実証研究であるような短期的な観察で効果を断じるなら,観測設計に対する説明責任が生じますよね。そうなると,ISLAが明示すべき最小セットはこんな感じではないでしょうか。

  • 成果指標は何か(テストスコア,パフォーマンス,転移など)
  • どの時間幅で測るか(短期,中期,追跡)
  • どの比較を置くか(統制群,対照群,事前事後)
  • 効果量と不確実性の示し方をどうするか
  • 測定が中間過程の所見(ディスコース)とどのように結び付くか

これらを明示すれば,「役に立つ/立たない」という印象論から,検証可能な議論へと移行できるのではないかなと思います。それはISLA研究者だけの問題ではなく,その研究の成果を受け取る側も,こういった視点で研究を読むことで,研究の成果に対して過度な期待を抱くことも抑制できるのではないかなと思います。

研究の成果が能力が大きく向上させることはそもそもない

そもそも,私はなんらかの言語教育研究の成果が,何かの能力を大きく向上させる結果を生み出すということはないと思っています。そんな単純なことではない。一般化可能なレベルの知見なんて誰でもわかるような「そりゃそうだろう」クラスのことだと思いますし,新しい発見!なんてものはおそらく別の要因でかき消されてしまうような小さな効果しか生み出さないでしょう。件のポスト主の方も,だからこそ教室ディスコースの大事さを訴えているのかもしれませんが。

おわりに

SLAは仕組みを語り,ISLAは効果を測るのだ,というような役割分担がある気がしています。「SLA」というおおざっぱな括りでの批判の照明を当て直し,誰の主張にだれがどう答えるべきかを私は整理したいのです。SLA一般への不信ではなく,授業の有効性に一次的に答えるのはISLAであって,SLA=メカニズムの説明,ISLA=指導環境での因果検証という前提は,言語教育に関わる人,SLA研究をやっている人,そして得にISLA研究をやっている人,それを広めようとしている人には自覚的であってほしいです。そしてもう一つ大事なこと。言語教育研究が熟達度の大きな向上という結果を教育現場に広く行き渡らせることはないのだ(それは相当に実現可能性の低いことだ)という自覚も同時に必要なのだと思います。SLAだろうがISLAだろうが,研究はそんなに単純なものではないし,それが社会に適応される過程だってそんなに単純なものではないのですから。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

【新装改訂版】外国語学習に潜む意識と無意識(献本)

私がもっとも敬愛する友人であり尊敬する研究者の福田純也先生(※「もっとも」が修飾するのは友人としての敬愛です)より『【新装改訂版】外国語学習に潜む意識と無意識』(開拓社)を献本いただきました。ありがとうございます。そして,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。

私はこの本(厳密に言うと,新装改訂版の前の本)を,私が3年次ゼミを担当することに決めた年からずっとゼミの教科書に指定しています。数年前に1人ゼミに入ってきた学生と使い始めた当初は,誤字脱字も散見され,難しいことを難しく書いてある印象もありました。私が補足をしながらゼミをする感じで,それはそれで,「読んだら全部わかる」というわけでもなかったので私がいる意味があったという感じではあったのですが。今回の改訂版では版が一回り大きくなりました。また,情報の提示順序が整理され,研究紹介もボックス形式でまとめられていて,初学者にとって格段に読みやすくなったと感じます。福田先生がご自身で書かれているようにかなり力の入った改訂であるなという印象です。

私がこの本をゼミ(参照:ゼミ選びのプロセスでこのページに来た人へ)で使う理由は,言語習得研究や言語研究「そのもの」の面白さを学生に伝えたいという私の目的にぴったり合っているからです。初学者向けの第二言語習得のいわゆる「王道」的入門書は割と内容が似通っていてしばしば退屈です。私個人は,もちろん「王道」第二言語習得研究を通過して,「第二言語習得研究ってすげー!!」ってなってこの道に進んだ者ではあるのですが,その道に入っていくにつれて,「なんか違うぞ?」「本当に知的好奇心をくすぐられるところってそこじゃないよな?」って気持ちになっていったんです。その私にとっては,「そう!面白いのはそこ!」っていうポイントがたくさん詰まってるんですね。

本書では「王道」のインプット仮説やアウトプット仮説といった「有名」仮説にもさらっと触れられています。これらの仮説は正直,私が思っているSLA「研究」にとって大きな情報量を持つわけではありませんが,全く無視するのもどうかと思うところで(いわゆる「教育的示唆」的な受けはいいと思いますが,研究仮説としてはオワコン),本書のようにうまく位置づけて触れている点は,テキストとして非常にバランスがよいと感じています。

既存の「王道」SLAに違和感を覚える方にはもちろん,むしろ王道派の方にこそ「言語習得研究の面白さはここにもある」と知っていただきたい一冊です。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

AIで言語教育は終わるのか?(献本)

同僚の水本先生より,『AIで言語教育は終わるのか?:深まる外国語の教え方と学び方』を献本いただきました。ありがとうございます。まず,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。

水本先生の「AIとライティング教育」の章は,ライティングの授業で生成AIの利用を促している自分にとって「必読」の内容でした。同じ授業(ライティングの授業ではなく,学部1年生向けの文法と語彙の力を伸ばす目的の授業)を水本先生と分担している関係で知っていた話もありましたが,それ以上に新たな気づきが多く,自分の授業実践を振り返るきっかけになりました。特に「学生に使わせる仕掛けや練習の不足」が,自分が授業で感じていた“いまひとつ感”の原因だったのではないかと実感しました。ガイダンスや説明だけでなく,実際にAIを使う練習を組み込むことの重要性を改めて認識しました。

また,長谷部陽一郎先生の第2章(AIと言語研究)第4節の「記号接地問題」に関する議論も大変興味深く拝読しました。生成AIの登場以降,(おそらくですが個人的な印象では)今井むつみ先生の影響で身体化の観点から語られることが多い「記号接地問題」というテーマですが,本書ではラネカーの認知文法を参照しながら,身体化に依拠しない定義を提示し,身体的な「記号接地」ができないAIも記号接地しているのではないかという視点が展開されています。この多角的な切り口は,自分にとって新鮮な学びとなりました。

言語教育に携わる人は,ぜひ一度手に取ってみる価値があると思います。興味のある章だけでも読んでみてほしい一冊です。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

The snoop detective school(献本)

鈴木祐一先生より The snoop detective school を献本いただきました。ありがとうございます。まず,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。

この教科書の大きな特徴は,ユニットを貫くストーリー性と,RPG的な「レベルアップ感」です。学生は簡単なことから徐々に難しいことへ,ストーリーを追いながら自然に挑戦できる仕組みになっています。私が編著で関わった,TBLT型の教科書であるGetting Things Done(GTD)のように,「順番に縛られない」タスク型(どのユニットから取り組むか,どんな順番で取り組むかは自由な教科書)とは異なり,この本は物語の流れに沿って進むことで「次に進んでいる実感」が得られる点が魅力だと感じました。

また,Task first と Practice first の両アプローチを想定しているところも大きな特徴です。つまり,どのセクションを先に取り組むかで,TBLT的にも使えるし,PPP的にも使える教科書になっているというのも,前述のGTDとの大きな違いです。いや~商売がうまいな,と思いました!笑 そういう柔軟性をもたせておけば,タスクやりたい!という先生にも,タスクは無理だけどPPPでコミュニカティブにやりたい!という人にも使ってもらえますからね。

特に活動ベースで学ぶことが好きな学生には親和性が高い印象です。著者の「How to use this textbook」にあるように,ミックスレベルやビギナーにも対応できる構成ですが,しっかり説明を聞いてから取り組みたいタイプの学習者よりも,まず体験から学ぶことを楽しむ学生にフィットするのではないでしょうか。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ノート探しの旅(番外編):Notionでインフォメーションギャップタスクの情報をシェアする

はじめに

ノート関係の記事の派生で,Notionを使いだしてから,「あ,これ,英語の授業でインフォメーション・ギャップタスクやるときに役に立つな」と気づいたお話。

インフォメーション・ギャップタスクの情報分割

英語の授業でインフォメーション・ギャップ型のタスクをやるときって,AとBのワークシートにそれぞれの別の情報を載せたりしますよね。それを相手に見せないようにねみたいな感じで。あるいは,ワークシートとは別に,Aの学生だけ,Bの学生だけに別の参照資料みたいなものを渡すとか。

こういうときに,わざわざ紙に印刷しないで,NotionでAの人が参照するページ,Bの人が参照するページを作って,そのページへのリンクをQRコードにしてAとBのワークシートにそれぞれ載せておけば,「ペアの人に見られないように」みたいな制限をつける必要もないんじゃないかな?という気がしたんですよね。実際に,授業でも試してみましたし,授業準備の手間的にも追加の資料を用意したりする必要がないし,ワークシートのスペースを無駄に圧迫する必要もないのでかなり気に入っています。

向いているタスクと向いていないタスク

このNotionの使い方は,タスク中にその「分割された情報」を見ながらタスクをやることが必須の場合(例:間違い探しや描写課題)にはあまり向いていません。向いていないといいうと語弊があるかもしれませんが,「真価」は発揮できないですね。むしろ,タスク中にはオリジナルの情報をできるだけ参照しないようにしてほしいような課題(例:リーディング素材の間の相違点を見つける課題)のときに力を発揮すると思います。

こういう課題って,印刷したものをそれぞれに配って,それを裏返しにさせたり,あるいは情報を学習者が読み取る時間を確保したあとに教師が回収したりして,オリジナルの情報へのアクセスを制限するわけです。

こういう場合に,その分割された情報がスマホ(あるいはその他のデバイス)上で閲覧する前提になっていれば,紙の資料をわざわざ配って回収みたいなことをしなくてもいいわけです。もちろん,タスク中に資料を見ようと思えば見えてしまうわけですが,それは机間巡視しているときにスマホ画面を見ていたりする学習者がいないかどうかを気をつけて観察すればよいだけです。

もう一つのメリットとして,学習者側のメリットもあります。紙の資料で配られていたら,それを処理するために,辞書でわからない単語を調べたりなどの作業が必要になる場合もありますよね。もちろん辞書を引くという行為自体は大事なのですが,単語の意味を調べるために,印刷された情報をデバイスに入力させる必要はあまりないと思います。資料をオンラインで提供していれば,その情報はデバイス上で資料を読めるわけですから,わからない単語を調べたりその発音をチェックしたりみたいなことも,随分やりやすくなります。

おわりに

別にNotionではなくても,例えばWordファイルをDropboxやOneDriveなどのクラウドストレージサービス上において,それの共有リンクを作ってQRコードにすれば同じことなのですが,インフォメーション・ギャップ型のタスクで使うような情報って,別にWordみたいな印刷を前提にしたフォーマットにする必要がないんですよね。だったらもっとシンプルなmarkdownでいいわけです。となると,こういう用途にNotionは活用がかなりできそうだな,ということで,そういう用途で結構使い倒しています。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

サマリーライティングの授業

querie.meでいただいた質問です。

質問

英語の授業について、相談させてください。TOEFLなどで英語のリーディングをした後にサマリーを書くといった問題があるなかで、サマリーライティングの授業を実践したいと考えています。一方で、自分がどのような形でサマリーライティングをしているのかについての、メタ的な視点が足りず、どのように指導したらよいのかわかりません。そこで、二つ伺いたいと思います。
①サマリーライティングをpost reading活動として設定する場合の授業手順について
②サマリーライティングの仕方やその指導法について解説している本など
自分のなかでもうまく構成がまとまっておらず、すみません。指導するのは、高校生から大学1・2年生ぐらいのところで、90分授業です。

回答

お返事遅くなりました。指導対象が高校生から大学1,2年ということは,高専の方ですか…?(質問者を特定しにいくスタイル

冗談はさておき,以下,私の回答です。

①TOEFLと最初に書かれているのでテスト対策の授業になるんでしょうか。そうだとしたらガッツリテスト対策だと言ってやるかなと思いますが,そうでなかったら,「なんのために要約するのか」「要約は誰が読むのか」というところを明確にして授業するかなと思います。例えば,自分のリサーチのために読んだ文章を自分があとでレポートを書くために要約しておくのと,他者のために自分の読んだ文章を要約して伝えるのでは要約のベースは同じでもまとめ方とかは変わってくると思うので。ライティングは、読み手の設定を意識したいです。

②研究室にある本をいくつか見てみましたが,サマリーにフォーカスした本はありませんでした。すみません。ただ,要約という行為の参考になるのは、もしかすると日本語のアカデミックスキルを扱った本かもしれないなとなんとなく思いました。私はそういう授業を担当したけ経験があるのですが,日本語だろうが英語だろうが、要約という行為は同じだと思うので,自分がサマリーライティングをやるならそういう教材を参考にするかなと思います。手元にあるものだと『知のナビゲーター』とか『知のステップ』とかでしょうか。

あとは,こういうときこそ,Google Scholar等でサマリーライティングについて調べると多くの実践報告の蓄積があるのではないかとおもったので,大学や学会の紀要に掲載されている実践報告を読むとなにか指導のヒントが得られるのではないかなと思いました。

おわりに

質問来てほしいなとか思いつつ学期始まるとなかなかブログ記事を書くにいたらず遅くなってしまいすみませんでした。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

Wordで作った問題を1問ずつに分割してPDF化する

はじめに

ここ数年,絶対にやらなくちゃいけないわけではないけれども,できたらいいなと思っていて,でもめんどくさくて挫折していたのがタイトルの作業です(実際にはもとはPDFで,それをWordファイルにして扱いやすいフォーマットにしてから…という話なんですが)。PDFで持っている文法の練習問題があって,それをLMSで教材にすると,PDFを1枚貼り付けて,それを別画面で開いてそれを見ながら回答の入力はLMS上で行う,という運用になるわけです。ただ,学生側からすると問題入力する画面で問題も見せてくれよとなりますよね。それをどうにかしないとなぁとずっと思っていたのですが,めんどくさくて放置していて,生成AI(ChatGPT 4o or Claude 3.5)に助けを求めたりもしたのですがうまくいかず,今日「はっ!もしかして!」と今までと違うアプローチを試みたらうまくいったので,その嬉しさのあまりこの記事を書いています。人によっては,そんなこと最初から思いつけよと思うかもしれません。

なぜめんどくさいのか

普通の空欄補充問題とかなら,たぶん生成AIに渡して問題ごとにWordで出力してとか,あるいは選択肢もカラムで整理してcsv形式にしてLMSにそのまま流せるようにとか多分できるんですよ。でも,その文法問題は,空欄補充以外にも下線部のエラー特定問題も含まれています。下記画像のような感じです。

こういうのは,下線の下のアルファベット記号のレイアウトが肝なのでテキスト処理的にはうまく扱えないんですよね。それで,生成AIに頼んでもうまくいかないと。

私がどういうことをやりたいと生成AIに伝えていたかというと,PDFを見せて,これを問題ごとに分割して別のファイルにしたいんだということでした。どうしても下線部問題のレイアウトが崩れてしまったんですよね。それから,画像ファイルとしてLMSに上げることも考えました。画面のスクショを撮るなら正直1問数秒で終わりますから,数十問あってもそこまで時間はかかりませんし,ファイル名を連番に変えるというような作業は機械的にできるので。しかしながら,画像として問題をLMSにあげると,画質が悪くて問題が見づらいという問題にぶちあたってしまいました。これに悩んでいたときはo1のような推論モデルもなく,推論モデルにPDFファイルやWordファイルを見せることもできませんでした。もしかすると,その方法なら(私が思いついたのとは違う)良い解決策を提案できたかもしれません。

解決の糸口

ふと,Claude 3.7 sonnetにWordあるいはPDFでどっちならどうにかできるかと今日相談してみました。すると,WordでVBAを使えばできると言ってきました。なるほどその手があったか!と思いました。私は,Adobe AcrobatでPDFからWordに変換し(レイアウト崩れはゼロに近いクオリティ),VBAは使えないので,提案されたコードをただ貼り付けて,スクリプトを実行しました。すると,数十個のWordファイルが生成されました!あとは,Adobe Acrobatでこれを一括で読み込んでPDFにすればいいだけです(WordのままLMSに読み込ませるとレイアウト崩れがあるため)。ところが,出力されたファイルはやっぱり下線部問題でレイアウト崩れがありました。問題部分を抽出して,コピペするというやり方でしたが,新しいファイルを開いてコピペする際に,元のレイアウトを保持してコピペするというのがなかなか難しいようでした。

そのとき,私はひらめいたのです。

これもしかして,問題を分割することとファイルを分けることを一緒にやろうとしていたから難儀な作業になっていただけで,空行をページ区切りに置換して1ページ1問のWordファイルにすれば,あとはそのままPDF化してそのPDFを1ページごとに別個のPDFファイルに出力するだけいいのでは?

と!いやむしろなんで最初からそういう発想になってなかったのよメチャクチャ簡単やん!となりました。そこで,ClaudeにWordで空行をページ区切りに変換する方法を尋ねると…

  • 検索と置換機能(Ctrl+H)を使用
  • 検索欄で「^p^p」(2つの段落記号)を入力
  • 置換欄で「^m」(手動改ページ記号)を入力
  • 「すべて置換」をクリック

というサジェストがありました。あとはこの通りに置換して,1問が1ページになっていることを確認したらPDF化して,Adobe Acrobatの”organize pages”で1pageずつにsplitすれば,1問1PDFファイルの完成です。あとはLMSの仕様に従ってzipファイルにまとめてアップロードすれば,各問題ページにPDFの問題が配置された設問ができるというわけです。

余談

実は途中で,HTMLで下線部問題できないのか?と思って生成AIに聞いてみたこともありましたが,結果としてはやはりABCDをうまく表示させることができなくて失敗に終わりました。

おわりに

正直,この作業自体は絶対にやらないといけないわけではないし,むしろ何年もやらないままできたのできっとやらなくてもよかったのかもしれません。ただ,私としてはどうしてもいつもなんか引っかかるものがあって,なんとかしたいと思っていたので,今回解決できてよかったです。まだまだもっとこうしたいというのがあるので,そこにもしっかり手が回りますように…。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

文法項目別に配列されたインフォメーションギャップ活動が載っている本知りませんかという質問(回答:知りません)

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。回答遅くなってすみません。

質問

中学校・高校の英文法指導で、インフォメーションギャップのある活動を行いたいのですが、文法項目別にそういったアクティビティが配列されているものはご存じでしょうか? 日本語で書かれたもの、英語で書かれたものどちらもご存じでしたら教えてください。 先生が執筆されたテキストも熟読のうえ使わせていただいているのですが、タスク型(文法対応にはなっていない)ところ、まだ私は使いこなすことができていません、、、。 お手数ですが、ご回答いただければ幸いです。

回答

一言でいうと,知らないです。本屋さんに行くのが一番いいと思います。

ただ,それだけだとすごく冷たい感じになるのでもう少し。

まず,そのインフォメーションギャップのある活動をなんの目的でやろうとしてるのか考えてみてほしいです。インフォメーション・ギャップがあることをなぜ求めているのか,という点も含めて。文法指導の一貫なのはそう書かれていらっしゃるので自明として,文法知識のどの側面を学習者に学んでもらいたいのか,あるいはどういうスキルを伸ばしたいのか,というか。どの文法項目についても一律に同じようにインフォメーション・ギャップ活動を仕掛けて,特定の項目を学習者の口から頻発させたいという欲望が感じられると(質問者の方がそうだとは断言しませんが),私としてはめちゃくちゃ違和感あるんですよね。文法ってそういうものだったっけ?というか。どういうシチュエーションでどの文法を使うのか,ということを考えさせること(その逆も然り)だって,何回も口から出すことと同じかあるいはターゲットの文法によってはそれ以上に大事なはずなんですけどね。とか言っていると,亘理先生がやってきそうです。そうだ,亘理先生の文法(指導)関係の記事もぜひ読んでみてもらいたいです(最近はあんまり文法指導だけをテーマにした記事はないかもですが)。私なんかよりも圧倒的に文法指導に見識があると思います(もしかすると御本人はそういう英語教育寄りのところから今後の研究者としてのキャリアの軸足を移そうとなさっているところもあるかもしれませんが)。

文法の練習させる活動って,その文法自体の何を練習させたいのか,意味・形式・機能のどこにフォーカスさせるかも関係している話ですし,正確さに焦点をあてたいのか,あるいは流暢さに焦点を当てたいのか,という選択肢も活動の選択には関係してくるでしょう。そういう意味では,文法それ自体への理解を深める意味も込めて、The Grammar Bookを読んで、章末のアクティビティから着想を得て(そのままやるということではなく,そこをヒントにするということです),活動を設計する,というのもありかもしれません。

私自身は,もちろん環境もありますけど,なんらかの文法をターゲットにして活動しようというニーズがないので,文法項目別に並んでいる本のことはわからないです(教材集めが趣味でもないし,最近は特に英語指導に関する実践的な興味は昔より薄いです)。昔は高島先生の本とかありましたけどね(あそこに掲載されてるやつが全部面白いかは別ですが)。私が持っているいわゆるアクティビティ集(Activities for Task-Based Learning, Discussions and more, New ways in teaching speaking)を見てみても,文法項目別になっているものはありませんでした。『コミュニケーション・タスクのアイデアとマテリアル』がそうしているように,targetになりうる文法項目が書いてある,という例はありましたけど。『コミュニケーション・タスクのアイデアとマテリアル』は,書名やまえがき(本書の背景と構成,活用方法),第1部から明らかなように,「タスク」を提供しているわけで,文法指導のアクティビティ集ではありません。ただ,それぞれのタスクに「言語表現」というセクションがあり,このタスクをやるとこういう言語表現の表出が見込まれる,という記述はしてあります。その部分をp.258以降で逆引きできるようにもしています。ただし,その言語表現を使わないと絶対に課題が達成できないというものではありません。そういう課題をやることは,コミュニケーション活動を通して文法学習(指導)をすることにはならないのか,というところは意見が分かれるところかとは思いますが,私は,そういう課題を通してでも文法の学習・指導は可能だし,何ならコミュニケーション活動と文法指導を完全に分離してモジュール型のカリキュラムにしたっていいとすら思っています。

私としては,ある特定の文法(そして多くの場合その特定の文法項目は一つ)が頻出するような課題は実際のコミュニケーションとは乖離が生じる可能性が高いと考えています。というか,そのパターンで全部の文法項目の指導ができると思わないほうがいいというか,そういう発想の転換が求められるというのは間違いないと思います。

あとは,anfieldroad先生のブログを調べて探してそこからアイデアを得るというのもありうると思います。個人的には,anfieldroad先生のNewsletterに登録して文法指導関係のコンテンツを片っ端からインプットすることもおすすめしたいです。文法ターゲットにした活動って基本つまらなくなりがちなイメージがあって,変にコミュニケーション活動「らしさ」求めると特にそうなりがちなんですが,anf先生の活動は面白いなぁというのがやっぱり多いですよね。なにより,anf先生自身が「文法の練習」を面白くしたい,という狙いで構想しているのが良いです。

おわりに

あまり有益な回答できなくてすみません。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

どういうスタンスで学会と向き合うか

はじめに

たまたまTLに流れてきた下記のポストについて思ったことを書きます。この投稿をされた方に何か言いたいというよりも,この投稿を見て,学会に参加することとか学会で発表することについて考えたことを書く,というスタンスです。

私はフォローしていない(けど向こうから私はフォローはされている,という方)のポストです。私がフォローしている方が引用ポストされていたので目にしました。

上のポスト中の「外国語教育学会の大会」というのは,外国語教育メディア学会(LET)関西支部2024年度春季研究大会を指しているというのはこの方の下記のポストから明らかです。

率直に思ったこと

まあ,気持ちはわからなくないというか,自分が若い時(博士課程の院生時代とか)には,同じようなことを思っていたとしても不思議じゃないなと思います。学会に参加して,不満を持つということが自分自身なかったことが過去を振り返ってみて一度もなかったわけじゃないので,まあそういうこともあるよね〜というのが率直に思ったことです。

もう少し見方を変えてみる

とはいえ,私は2018年度からLET関西支部の運営委員に入っていて,2022年度からは事務局長をやっています。ということで,まあ「中の人」なわけですね。そういう立場からすると,最初の投稿のような評され方というのは,少し残念な気持ちになりました。ちなみに,私は現在育児休業中のため,事務局長という立場であるにもかかわらず,今回の支部研究大会には参加しませんでした(実際できなかったし,無理して参加しようともしなかった)。というわけで,実際に大会の雰囲気を自分自身がこの目で見て肌で感じて,というわけではありません。

以下,気になった点についていくつか個別に取り上げますが,通底するのは,学会にもっと主体的に参画してほしいな,ということです。学会に参加することはもちろん参加する人にとって利益があることが大前提というか,そういう場所でなければならないのはそうなんです。ただ,参加する人が自分の利益だけを考えて,学会全体として良い大会にしていこうよという主体性がまったくなかったら,それは学界(学会ではなく)としていい方向にはいかないんじゃないかなと思います。学会を運営する側,登壇する側からなにかしら知識だったり情報だったり,そうしたものを提供されることをサービスとして受け取る,そういう受け手の意識だけではなくて,一緒に学会を盛り上げる,そういうスタンスでいる人が増えてくれたら,と私は常々思っています。

気になったこと

最初に示したポストの中で,私が気になったことがいくつかあります。

「誰も質問しない講演」

質問が出ない,というのは,講演の内容の要因(難しすぎて理解されていないとか,逆に質問する隙がなさすぎて質問が出ないとか),聴衆の要因(そもそもちゃんと聞いていないとか,自分の関心領域とは離れていて背景知識に乏しいので質問ができないとか),両者の交互作用,その他にもたくさんの要因が絡まっていると思います。さらに,どの要因で「質問が出ない」という事象が発生するかを事前に予測して対策をすることは難しいでしょう。どういう人が参加するかもわからないし(基本的には会員がほとんどだとしても,会員の興味関心は多種多様です),講演者がどういう講演をどういう流れでするかは,タイトルと要旨レベルでしかわかりません。

また,個人的には誰も質問しない,ということが絶対に悪かどうかというと,そうでもなくて,大事なのはその後に何が起こるのか,だと思っています。講演者の立場の人が,自分のトークのなにかに問題があって議論を喚起できなかったのかと振り返ることも大事ですし,聴衆側は,「質問が出ないということはこの講演って簡単に質問が出るようなものでもないのか」というメッセージが暗に共有されることにもなると思います。いずれにせよ,大事なのは全員が当事者意識を持っているかどうかだと思います。全員が,自分が質問しようと思って聞いているかということですね。このポストをされた方が質問をされたかどうかわからないですけど,もしされていなかったとしたら,この方が指導を受けた先生(と私が思っている人)が日頃口癖のように言ってるように,「自戒を込めて」って付記しないと自分は「外野だ」という認識が現れてしまっているのではと思います。

「最新でもないアプリの紹介」

外国語教育メディア学会(LET)という名前のついた学会だからこそこういうコメントが出てくるのかもしれないし,私は当日の発表を見ていないので本当に何もわからないのですが,最新のツールでなければ発表してはいけないわけではないし,さらに自分にとってそれが既知の情報だったら参加したすべての人にとってもその発表は意味がないのか,っていうとそうとも限らないのではないか,とも思います。また,この方が「自分たちの発表のため」とおっしゃっていますが,その観点でいえば発表すること自体は発表者にとっての利益ともなるわけです。そういう視点にたてば,「最新でもないアプリの紹介」であったとしても,この発表者の方が発表してくれたことに対して,その人にとって発表したことが有益な経験となりうるように関わるのが聴衆としての役割なのではないかなと思います。

「今回の参加は自分達の発表のため」

発表する人のほとんどは,発表するのは自分たちのため(業績づくりのためだったり発表してコメントをもらうためだったり)と思っているとは思います。でも,この視点で臨むことが許容されるとなると,一つ前の,自分にとって得るものがないとも取れるような捉え方をしている発表(「最新でもないアプリの紹介」)も許容しないと矛盾してしまうような気がします。だって,それを聞いてくれる人たちになにかを届けたいと思うのではなく,あくまで自分たちが発表したいと思ってるだけで,発表者の利益しか考えないというわけですから。もちろん実際にはそういう意識でやってるわけではないと思いますし,これは「先輩の発言」であって投稿者がそう思っているというわけではないのでしょうけど(ただ,そういう誰かの発言を引用して「大会としてあれでよかったのか」と揶揄するのは個人的にはうーん,て感じですね)。

今回の大会は結構特殊だった

今回の大会は,Classroom tipsという他の学会ではあまりない発表枠での発表が多く,そのことがもしかすると他の学会の大会のイメージと異なるイベントになった可能性は十分にあるかなと思います。以下関連するポストをいくつか。

おわりに

正直,運営委員だけで学会を「回す」のも結構限界に来てるところあると思っています。発表してくれる人がいるだけでありがたいみたいなところもありますし,そういう人たちをdemotivateするようなスタンスよりは,そういう人たちに発表してよかったと思ってもらえるようにするには,どうしたらいいかを一緒に考えてほしいです。そして,発表してみようかなとか,学会に参加してみようかなと思う人が増えるにはどうしたらいいのか,そして,学会に参加する人たちがもっとメタ的な視点で主体的に「盛り上げよう」と思ってもらえるようにするためにはどうすればいいのか,そういったことをぜひ学会に参加する方々といっしょに考えていきたいと思っています。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ChatGPTにフィードバックを「外注」する

はじめに

ずっと下書き状態だったんですが,もうこのままサクッと公開しようと思って公開します。授業の中で,今まで自分(教員)が学生の書いた英文(基本的には単文)にフィードバックしていたのですが,それを学生がChatGPTにフィードバックを求める課題にした,というお話です。

どんな授業か

2回生向けの,Listening&Speakingの授業です(教養外国語のクラスで学部は理系)。クラスサイズは35名くらいで,教科書を使いつつ,半分くらいの時間はペアでのインタラクション・タスクをやっていました。そして,post-taskとして,ワークシートに「言いたかったけど言えなかったこと」という欄に自分がタスク中に言いたかったけどうまく言えなかったことを日本語と英語で書くということを学生には求めています。この部分は授業中に終わらなかったら宿題ね,という感じで,ワークシートは写真に撮ってPDFにして毎回LMS上で提出してもらっていました。このpost-task部分の英文をLMS上に提出されたPDFを見て,私からコメントが必要な場合はコメントを返す,というようにしていました。単文とはいえ,この言い方はどうなんだろう,と思うことは結構あって(もちろん自分の感覚が間違ってることもありました),それをChatGPTにやってもらおうと思ったという。最初は自分がChatGPTに学生の書いた英文を見てもらうようにしていたのですが,なにせLMS上でタイピングしているわけではないので,手書き文字をいちいち打ち直さないといけないと。どっちにしろめちゃくちゃ時間かかるじゃん,ということで,それなら学生がChatGPTで事前に添削してもらったものを教員がチェックするほうがいいかなということで,学生に使わせることにしました。

具体的な方法

学生には,ChatGPTのアカウント作成方法などを書いた資料を配っていました(今はログインなしでも使えるのでこれは不要ですね)。ChatGPT3.5(無料版)だと,英文の添削と理由の説明をお願いしても,理由も英語で説明してくる場合があります(今はわからないです)。そういうときに,日本語で説明して,とやりとりをして日本語の説明を出してもらう,そういう部分も含めてスレッドを全部画像として提出するように学生にはお願いしていました。つまり,最初にどういう入力をして,どういう出力が返ってきたのかのやりとりを提出させる,ということです。こうすることで,一応ChatGPTが全部書く,ということを抑制しようという狙いがありました。

また,私はそこは直接的には狙っていなかったのですが,こういう方式をとることで,結構学生の学習になっている部分があるな,学習につながるやりとりができているな,と感じる部分もありました。一応こちらでテンプレのプロンプトは提示していますが,自分で考えて,「XXXXXXXXXXXXをYYYYYYYYYYと訳しました。あってますか」(Xには和文,Yには英文が入ります)と聞いてる学生もいました。その他にも,自分で色々気になったことを聞いてる様子がみられました(すべての学生からではないですが)。以下はその例です。

  • separeteとdivideの意味の違い
  • 冠詞のaとtheの使い分け,訂正された英文に冠詞を入れる必要がないかどうか
  • be動詞と動詞の接続(may be likeはあってるか,とか)※このlikeは動詞
  • severeとseriousの違い
  • thinkとconsiderの違い

また,ただ添削するだけではなく,語彙や文法について,私が指示していなくてもChatGPTに聞いている様子もありました。さらに,次のようなことをChatGPTとやりとりしている学生もいました。

  • 英語にしてもらったものをさらに日本語に訳させて自分が伝えたい意味になっているかを確認する
  • 提案された表現が自分にとって新規のものであった場合に,どのようなケースで使用するのか
  • 修正の提案が間違っている場合に,間違っていることを指摘する
  • 英文を読み,自分の意図と違っている場合には自分の意図を伝えて再度英文を作ってもらう

最初は使い方へのフィードバックがいる

最初からうまくできるわけではないので,最初の何回かは明示的にうまく英文添削をしてもらえている例とうまくできていない例(例えば,自分で英文を作らずに日本語を英訳してもらうことをお願いしている,英文を添削してほしいというプロンプトなしで英文をChatGPTに投げるので,ChatGPTは普通にその英文に応答して会話をしているなど)を提示していました。そのうち,私が別に教えなくても学生自らが様々な方法でChatGPTとやりとりを繰り広げる様子が見られるようになったという感じです。

授業中に学生に声を掛けることに対する迷い

こうやって文法指導的な部分をChatGPTに外注していると,それまで授業の内外で自分が担っていた指導が必要なくなることになります。もちろん,ChatGPTの出力と学生の言いたいことをモニターして,うまく英文を作れていなかったら,あるいは文法解説が間違っていればこちらからフィードバックを出すことはあります。ただ,授業中に例えば学生の書いている英文に誤りを見つけたときに,迷うことが増えました。その場でフィードバックもできるのですが,結局あとでChatGPTに自分でフィードバックをもらいにいくことになるわけで,そこで誤りが見つかるほうが学生にとって良い経験になる可能性もあるのではないかと考えるようになったのです。

個人的な感覚ですけど,間違いを指摘される際にその場で,なんなら周りにそのことがもしかしたら聞かれているかもしれない,という状況でフィードバックをもらうよりは,自分の自学の時間で感情のないAIからフィードバックを受けるほうが精神的にいいのかなみたいな。

このあたりは,まだまだ試行錯誤という感じです。

学生の反応

ちなみに,学期末の授業評価アンケートで,このChatGPTに英文を添削してもらうという課題は意味がないからやめたほうがいいというコメントもありました。私から見ると有効活用している例が結構あったのでそれはいい英語学習になっているなと感じたのですが,私の意図が伝わっていない学習者にとってはこの課題自体を自分の英語学習に有用だという認識を得られなかったということになります。匿名のアンケートなので詳しくどういう印象だったかを聞くことはできなかったのですが,結構気にはなっています。

おわりに

最近は研究でもどんどん生成AIの利用について様々な観点の研究が出てきていますね。実践するうえではそういう研究も参照しないとなーと思ったりはします(するだけ)。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。