カテゴリー別アーカイブ: Querie.me

乳幼児3人子育てしていてなかなか研究が進められないというご相談

はじめに

Querie.meでいただいた質問への回答シリーズです。長文の回答ではないですが,なんとなくブログに残しておきたいなと思ったのでこちらに書きます。

質問

はじめまして。私は4年前に英語教育の修士号を取得し現在4コマの大学非常勤をしている30代です。乳幼児3人子育てをしており、なかなか研究を進められません。今後、任期付きの仕事か博士後期に進むのか将来分かりませんが、いずれにせよどのように研究を続ければよいかアドバイスいただきたいです。今は大学紀要論文をなんとか書き進めてるところです。

回答

質問ありがとうございます。乳幼児3人の子育てに加えて非常勤4コマ担当されているなんて,それだけで尊敬に値します。私は育児休暇を取得して,仕事量を大幅にセーブしたうえで(継続している研究プロジェクトや学会業務はほそぼそとやっていたのでゼロにはなっていませんでしたが)子ども一人育てるのだけで精一杯ですから。

質問者の方は子育てと非常勤に加えてさらに論文も書かれているなんて,それだけで研究やってる人だと私は思いますよ。国際ジャーナル,学会紀要,大学紀要など媒体は関係なく,亀の歩みでもやり続けること,書き続けること,それ以外に研究を続ける方法はないかなと私は思っています。私も就職してから常に研究ができていないという悩みを抱えながらここまでやってきています。自分は超人ではないし,人と比べて何かに優れているわけでもないし,それでもやっていくためには,とにかく「やめないこと」それしかないなという気持ちでいます。大学院博士後期課程時代に,私の先輩はこんなことを言っていました。

研究者は自分で自分を「書けないタイプ」とみなしたら終わり

せいぜい「たくさんは書けないタイプなだけ」とか「今はまだ書けないだけ」と思うこと

このことは折に触れて思い出すようにしています。

書く,ということに関していうと,書きかけのなにかがあるならとにかく毎日そのファイルを開いて目にいれる,ということを意識しています。あとは,文献を読んでいなかったら論文を書くどころか研究のアイデアすらも浮かばないと私は感じているので,やばいなぁと思ったらとにかく読むことですよね。また,学会に行くのも自分の思考が刺激されてアイデアが浮かぶことがよくあります。そうやって,ほそぼそとでも続けていくしかないなというのが今私自身が思っていることです。子育てしながらだと,自分の時間もなかなか取れないし,決まった時間に何かをしようとしてもそれが継続して習慣的にできるようにはなかなかならないですもんね。この部分に関しては私もまだ自分の中で最適解のようなものは見つけられていません。むしろ,私のほうが3人のお子さんを育てながらどうやって論文書く時間を作っていますか?とお伺いしたいくらいです。

最後に,もし博士後期への進学を検討されているのなら、ぜひ関西大学外国語教育学研究科も候補にしていただけたら嬉しいです(宣伝)。事前の申請は必要ですが,リモート履修制度というのもありますので,遠隔地から授業を履修して課程を修了できます。

https://www.kansai-u.ac.jp/fl/graduate/

おわりに

一緒に頑張りましょう。

質問したい方はどうぞ。Xのフォロワーが1000人超えたので有料質問も受け付けられるようになったのでその選択肢も出してますが,無料でも全然答えます。有料になったら気合いがもっと入ると思いますけど。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

高校教員から大学教員へのキャリアアップ

はじめに

Querie.meでいただいた質問への回答シリーズです。

背景は以下のツイート御覧ください。

質問

先程のtamさんの「高校教員から大学教員へのキャリアアップ」に関連するツイートを閲覧しました。

実際に大学教員と接していると高校や中学校の先生を下に見る教員が一定数いることも否めないのかなと思います。勿論、給与、専門性、働き方の面では下に見られても致し方ないこともあるのかと存じます。ですが、多くの現場の先生は目の前の生徒を思って本気で向き合っており、あえて大学教員と比べることによって中高の先生を下に見るような発言は非常に不快でした。

Tamさんの考えに本当に共感したため、送信させて頂きました。

回答

あーそういう使い方もあるのか,とまずは思いました。匿名で共感を示すために質問する,ということですよね。リプライで共感しましたって言うのもはばかられるし…みたいなこともあるかもしれませんしね。私は特に自分がフォローしている人以外からのリプライやいいね・RP等が表示されない設定にしているので(これは精神衛生上の工夫です),これまでにもそうやってリプライもらっててスルーしていることがあるかもしれません(まあフォローしている人からのリプライにスルーすることもあるんですが)。そういうわけで,こうやって伝えていただければ確実に私にメッセージは届くので,ありがとうございます。

大学教員を講師として招いて研修とか「指導」をお願いすることもあるでしょうし,小中高の教員が大学教員を上に見ているからこそ,という側面ももしかするとあるのかもしれません。それが悪いという話ではなく,どちらの立場の人にもそういう構造が無意識に内面化されているのかもしれないなと思いました。私のツイートは感情的になってしまいましたが,下記の寺沢さんのツイートは冷静な指摘だと思いました。

ちなみにですが,質問者の方がおっしゃる「給与」の部分については,平均的には大学教員のほうが上かもしれませんが,個別のケースを見れば学校教員よりも給与の低い大学教員はいると思いますし,小中高->大学で「キャリアアップ」にならず給与が下がることもありうると思います。専門性についても,どちらも異なる専門性があるので比較はできませんよね。寺沢さんが書かれているように,「研究と実践」というのはどちらに優劣があるものでもないという理念が,教育に関わっている人になら当然あるはずですから。

働き方も大学教員はみな時間にゆとりがあってということもなく,大学教員でも仕事に忙殺されている人はいると思います。「大学教員になる方法」なんて煽られて大学教員になってみたけど実際には給料も下がるし仕事量も膨大でやりたい授業もできず,みたいな大学にしか就職できないっていう可能性だって全然あると思うんですよね。そうなっても,煽った人は何も責任取ってくれませんからねぇ。とはいえ,私も教員養成課程の学部生だったときには無邪気に大学教員にあこがれていて,『大学教授になる方法』という本をゼミの先生に紹介されて読んだ記憶もあります。

実務経験は大事な一側面ではあるでしょうし,学生によってはそれが説得力を持つものだと認識する側面というのはあるでしょう(最近そんなような話を聞いたばかり)。ただ,自分の経験も話すだけの授業じゃ大学の授業じゃないでしょう,っていうツッコミもありうると思いますし,大学で教えたいとか教員養成に携わりたいみたいな気持ちだけで「良い」大学教員になれるかというと,必ずしもそういうわけではないかなという気持ちもあります。英語の授業をする,ということについてはもちろんどこでやろうが一定程度共通する基盤の能力みたいなもあるでしょうけどね。

おわりに

本題と関係ない話をつらつらとしてしまいましたけど,もうちょい自分の中でも考えを整理したいなと思う話題だっていうことがブログに書こうとして初めてわかりました。こういう機会を与えてくださった質問者の方に感謝しています。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

業務量が多くて自分自身の求める授業ができないので教員辞めたいですというご相談

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。今回は,質問というより相談という感じですね。

質問

4月から高校の教員になりました。もう辞めたくなるくらい業務量が多いです。自分自身の求める授業が校務分掌、クラブ活動、事務作業によってできていないです。もう辞めたいです。。。

回答

まずは,4月から教員になることができたこと,おめでとうございます。「自分自身の求める授業」をお持ちだというところから,きっと教員になりたいと思ってなられたのだろうと推察します。最初は何もかもが初めてのことだらけなので,力の入れどころ,抜きどころ,もわからないのでアップアップになっちゃいますよね。

理想も大事だけど続けられることのほうが大事

理想を追い求めることは重要だとは思いますが,持続可能性の方がもっと大事だと私は思っています。授業準備の時間が少ないということはそれはそれで学校教員の労働問題として大事なことではあります。そうではあっても授業以外の仕事も教員の仕事ではありますよね。授業以外の時間を効率化して授業準備にあてる時間を最大化することを考えると同時に,自分のQOLを維持しながらどういった授業が可能だろうかと考えることも大事になってくるのではないでしょうか。

自分をすり減らして数年間だけ理想の授業をやってやめてしまうよりも,自分の環境の中でできることを退職まで数十年続けるほうが,結果的にはより多くの生徒にポジティブなインパクトを与えることができると思います(もちろん,自分の授業が必ずポジティブなインパクトを与えるとは限らないわけですけど)。

こだわるポイントを絞る

質問者の方がどのような環境で働かれているのか等はわからないので具体的なことをアドバイスしたりはできませんが,目の前の生徒に向きあうことだけはやめないとか,何かこれだけは…という部分を自分の中で決めてみてはいかがでしょうか。授業でも,例えば何か一つここだけはこだわってやろう,と決めてみるとか。全部が全部完璧に,というのはなかなか難しいですし,仮に他の業務に忙殺されていなかったとしても,理想の授業ができるとも限りません。また,理想の授業というのも経験を重ねるうちに変化していくものだと思いますし。

自分に課すハードルが高すぎることが自分を苦しめてしまうということもあると思うので,それを下げてあげることで楽になる部分もきっとあります。それは自分を甘やかすこととは違うことです。これは個人によって考え方も違ってくるのでそれが正しいとかではなく私はこうしているっていうことなんですが,先のこととか大きいこととか,そういうのではなく,目の前の,小さなことをクリアしていくことを意識してみてはいかがでしょうか。「理想の授業」がどんなものかはわからないですけど,きっといろんなことがその中には詰まっていると思います。それを一旦バラバラにしてあげて,その小さなことを意識してみるというんでしょうかね。そういうのを続けていく中で,自分のパフォーマンスもあがっていくし,自分自身も成長できると考えています。

そんな要素還元主義的な考えで授業が成り立つわけないと思っていらっしゃるとしたら,うーんまあそういうこともあるだろうけどね〜って感じなんですけど。仮に真の現実が要素還元できないような複雑なものであったとしても,人間が理解して,そして生きやすいように要素に分けてあげることは全然アリだと私は思っています。

周りに頼る

これは私自身も超絶苦手なことなので,誰かに言えるようなことでもないのですけどね。力を抜いて周りにも頼りながらやってみてはどうでしょうか。学校は組織ですから,授業も,校務分掌も,クラブ活動も,事務作業も,周りとつながりながらやっていくとバランスが取れるんじゃないでしょうか。それができたらわざわざ匿名で私のところに質問を送ったりしないとは思いますけど。同じ学校の中で悩みを共有できる人がいなかったとしても,一歩外に出れば,それこそSNSでもいいですし,学会とか研究会みたいなものでもいいですし,学校の外に出ればいろんなところで自分を支えてくれる小さなコミュニティに出会うことができると思います。その一つの手段として私に質問を送っていただけたのなら,それはとてもありがたいことです。もしまた何かあったら質問していただければと思います。

おわりに

質問者の方と同じようなことを感じている人も他にもいるかもしれないなと思うので,そういう人たちにも届いてほしいなと思います。

なにをゆう

たむらゆう。

おしまい。

リサーチ・クエスチョンの見つけ方

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。

質問

文法習得にフォーカスするSLAの研究で、自分のリサーチクエスチョンに至るには、先行研究を読んでまとめることを繰り返して、そのまとめたものから、リサーチ・ギャップを見つけるというかたちで進めればよいのでしょうか。 4月から進学する学生なのですが、「これまでに何がわかっていて、何が課題なのか」という部分をまとめるのがすごく苦手な気がしていて、お尋ねする次第です。アドバイスをよろしくお願いします。

回答

おっしゃられている方法(「先行研究を読んでまとめることを繰り返して,そのまとめたものから,リサーチ・ギャップを見つける」)は,文法習得とかSLAとか関係なく大事なことなのかなと思います。リサーチ・ギャップを見つけてそれを埋めるより,既存のリサーチの前提を問い直す研究の方が本当は大事なことなんですけどね(参照:『面白くて刺激的な論文のためのリサーチ・クエスチョンの作り方と育て方』)。「進学」が修士課程への進学だとしたら,そういう研究をするのはかなりハードルが高いので,個人的には目指さなくてもいいと思います(もしできるのならそれは素晴らしいこと)。もし博士課程に進学されるのなら,単なるギャップを埋める研究ではなくもっと野心的な研究に挑戦してみてください。

あとは,個々の論文だけ読んでいても、いわゆるbig pictureというか,それがより大きな領域・分野のどういうところに貢献するのか,みたいなことがわからないままになってしまうと思います。だからこそ,いわゆる教科書的な本は何冊でも読んだら読んだだけ得るものがあると私は思っています。

「これまでに何がわかっていて,何が課題なのか」というのは,たいていの場合論文のイントロに書いてあると思います(私は少なくともそういう意識でイントロを書くようにしています)。イントロがなく,いきなりliterature reviewから入る論文でも,本研究に入る前のところで,研究の意義とか目的みたいなものを書いているパラグラフがあると思います。それが,「これまでに何がわかっていて,何が課題なのか」に関係していますよね。

また,「何が課題なのか」については,論文の最後の方,”future directions”てきなのが書いてあるパラグラフがあると思います。あるいは,limitationsの部分に,今回の研究の限界が書かれていると思います。その限界というのは,今後の課題につながる部分でもあるはずですよね。例えば,今回の結果Xの効果が見られたが,実際にはこういう実験をしてみないとYの影響がある可能性もある,というような話があれば,「こういう実験」というのが次にその領域でやるべきこと,でしょう。そういうののなかで,自分がやってみたい,と思うことがリサーチクエスチョンになるんじゃないでしょうか。

私の場合は,修士論文も博士論文も,「なんかこれおかしくない?」みたいなのが動機というかスタート地点でした。修士論文のときは,読解中に線引いたらそれすなわち”noticing”みたいになってるけど線引いたときに何考えてたかわからなくない? -> 刺激再生法でインタビューしてみよう,みたいな感じでした。博士論文は,複数形形態素の習得ではよく数の一致現象が取り上げられるけど,数の一致は処理が複雑だから,それができない=複数形形態素の習得ができないとかそういうことじゃないんじゃないの? -> もっとダイレクトに複数形形態素とその意味のマッピングを「習得」と定義して,そのマッピングを調べる実験をやってみよう,みたいな感じでした(参照:Tamura, 2023)。

所属する研究科や指導教員の先生のやり方等もあると思うので,そういうのを入ってから学びながら,という側面も結構あると思います。こうやってリサーチ・クエスチョンを立てなさい,というような具体的な指導があるかもしれませんしね。上で書いたことはあくまで「私はこう考えている」ということなので,大学院に入ったら実際には私が書いたこととは全然違ったみたいなこともあるかもしれません。そこはご理解ください。

ちょっとした昔話

最後に,ゼミや授業その他でいろんな論文や研究について色々ディスカッションする中で研究のアイデアが生まれることもあると思います。私が大学院(博士課程)のときは,喫煙所でいくつものアイデアが生まれたような記憶があります。

今でもすごく自分の記憶に残っているのは次の研究です。

Nishimura, Y., Tamura, Y., & Hara, K. (2017). How do Japanese EFL learners elaborate sentences complexly in L2 writing? Focusing on clause types. Annual Review of English Language Education in Japan, 28, 209–224.

2017に出た論文ですが,2016年にやった研究だと思います。草薙さんや福田さんという私がすごくお世話になった先輩が名大からいなくなって,自分が引っ張る立場になりました。そんなとき,後輩の西村くんと帰り道に理系の方の喫煙所に寄って,研究の話をしました。彼は当時から統語的複雑さというものに興味を持っていました。そこで,統語的複雑さの指標(節の数とか従属節の割合とか)があがったさがったとか,そういうのよりも,「どうやって統語的に複雑な文を書くのか」に注目したらどうかという話になりました。普通にライティングをさせてもそこまで複雑な文は出てきませんし,明示的に複雑な文を書いてください,と指示しても,その指示の中に複雑な文の具体例を出さなければならず,実験としては成り立ちません。そこで,6コマ漫画の描写課題で書ける文の数を制限させるという条件を課すことで,限られた文の中に多くの情報を詰め込まなければいけない状況を生み出しました。「一番複雑な文を書く大会」というプロジェクト名で,もう一人の後輩(原くん)も誘って3人で研究をしました。中部地区英語教育学会で発表して,全国英語教育学会紀要に投稿し,無事採択されたというわけです(引用されたことないんですけどね….)。

こんな風に,誰かと話している中からアイデアが生まれて,それが研究になる,ということもあると思います。もちろん,こうやって形になった研究なんてほんの一部で,考えていった結果としてこれじゃ研究にならないな,といわゆるボツになったものも数え切れないくらいあると思います。進学される大学院にフルタイムの学生がたくさんいて,毎日毎日研究の議論をたくさんする,というような環境ではないかもしれません。そんなときは,研究会や読書会に参加したり,学会に参加したりしてみると,そういう議論の機会も得られると思います。

おわりに

4月からの大学院生活,楽しんでくださいね。応援しています。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

「教師の職権濫用では?」というご相談

はじめに

最近なんか連投してますね。質問コーナー。

先生たちが職権を濫用し、講義を好きなようにすることができる事に腹立たしく思ってしまいます。教員が職権を濫用している例として)休講の場合、必ず補講を入れるべきであると思いますし、それができないのであれば、一講義の授業分のお金を返金することが普通であると思ってしまいます。学生がレポートを書く時間や最終プレゼンの練習に一講義の授業を全て費やす先生もいらっしゃいますが、それもどうなのかなとも思ってしまいます。この考え方っておかしいでしょうか?

回答

おかしいとは思いません。すでにそのようにされているかもしれませんが,補講の問題を解決したいと考えているのであれば,ご自身の大学のしかるべき部署に連絡した方が問題が解決される可能性が高いと思います。後者の授業形態の話は担当者に直接伝えるのが良いかと思います。実際に直接伝える機会がなくとも(あるいはそれが難しいと感じられるようであれば),授業評価アンケートなどで学生から意見を送ることはできると思いますので。

休講に対する補講

さて,休講に対する補講ですが,これが職権濫用と言えるかはともかく,休講の補講をしないのは良くないですね。私が関大に着任して学務委員をやっていたときには,休講の場合に補講してるかチェックした資料が会議に出ていたような記憶があるので,組織によってはそこを徹底していると思います。お金を返せという気持ちはわかりますが,授業料を返すというのは難しいでしょうね。1講義いくら,という形で授業料を払っているわけではないので,1コマ分がいくらという計算ができないでしょう。

授業中にレポート書いたりプレゼン準備したり

学生がレポートを書く時間やプレゼンの練習というのは休講の補講とまた違うレベルの話かなと思います。授業形態の話なので,こちらはより教員個人の裁量が大きいと思います。授業の中で書いたり準備をする時間を取ることに意味があるならともかく,質問者さんがこういうことを私に問うということは,受講者の中にそのように感じられていない人がいるということですね。教員の説明不足か,活動の組み方が有効ではないのでしょう。

私は,英語ライティングの授業で,授業内に書く時間を取っていました。それは,その授業の中で書いている途中に即時フィードバックをするためでしたね。書いているその場でフィードバックがもらえる,ということに学生側のメリットがあるということでそのようにしていました。
個人的には,授業形態は学生も関与できる部分だしどんどんしていいと思っています。教員が全べてを決めるのではなく,学生とともにいい授業を作っていく,つまりある程度の教員側の権威を手放す勇気が求められていると思っています。学生側の要求がすべて認められるべきとかそういうことではなく,学生の要求を教員が検討し,妥当であれば授業にそれを反映させる,ということをしてもいいと思うし(逆に言えば妥当ではないと考えるのであればそう説明すればよい),それは学生側の権利でもあるよな,ということですね。

おわりに

個別具体的な事情が色々あると思うので,質問者の方からの断片的な情報だけでそれぞれのケースについてなにか言うことはできないと思っています。したがって,上に書いたことはあくまで一般論として,休講したら補講すべきだし(そういう運用になってる大学がほとんどではないかと),授業形態や授業の活動に対して学生が不満に思う現象があるのであればそれはうまくいっていないので何らかの形で改善が必要だろうと思う,という話でした。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう

たむらゆう。

サッカーをやっている息子さんについての相談

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。子どもがいない私がこの質問にどう答えたらいいのか,かなり難しいのですが,頑張って回答を書いてみます。

質問

小2の息子についてですが、夏から強豪チームに移籍して週5練習です。前は息子だけが上手くて井の中の蛙状態で、舐めプばかりしていましたが、今のチームでは上手い子ばかりで、息子は弱腰です。親としてどうやってかかわっていったらよいでしょうか。チームメイトはみんな上手いし毎日サッカーをしているので彼らに追いつく方法もわかりません。自信をもってプレーしてほしいです。

回答

私の経験

まず,少しだけ私の話を書かせてください。私はサッカーが好きというのは知られていることかと思いますが,サッカーをプレーしていたのは幼稚園の年長から小学校の6年生までの7年間です。中高の部活はバスケ,大学でもバスケサークルに所属していました。サッカーは体育でやったり,あるいは大学に入ってからはフットサルをやったり程度でした。

この質問を読んで最初に思い浮かんだのは自分が中学から高校に進学したときのことです。中学のときは,自分自身,バスケがそれなりにうまいと思っていました。中学は人数が少なかったので井の中の蛙状態で,チームは別に強くなくていつも3回戦くらいで地域の強い中学校と当たったら負ける,という程度でした。でも,バスケが強い学校でやりたいと強く思っていたので,バスケの強い高校(二個上はIH,WC両予選で東京優勝,自分たちの代はIH予選東京4位)に進学しました。人数も1学年20人くらいました。東京中から,中学時代はキャプテンだったツワモノ達が集まってきていて,それこそ「弱腰」でしたね。それでも,自分なりに勉強して,自主練はしていました。全体練習のあとにトレーニング・ルームに行って,帰れと言われるまで筋トレしたり,朝早く来て坂道ダッシュしたり,昼にシュート練習をしたり。自分なりにはその時にできる精一杯をやったつもりでいましたが,今考えればがむしゃらさが足りなかったな,気持ちが弱かったな,と思います。

結果的に,公式戦の試合は一度しか出たことがありません。それも,3年生の時の最後の夏の予選の一回戦とかで何十点も差がついた第4ピリオドの残り1分くらいです。一度だけボールに触って,スリーポイントシュートを打って,無様に外れました。それが私が高校三年間で出た最初で最後の公式戦の思い出です。それでも,レベルの高い高校でやったことで自分自身,バスケがうまくなったのは間違いありません。大学はサークルに入っていました。普段の活動はバスケ初心者もいたし,まあ「ぬるい」と1年生のときは思っていました。それでも,夏はサークルの中でも「ガチ」の人たちで集まって,大会合宿に出ていましたし,市民大会に出れば本気の大人たちとの真剣勝負でした。勝ったり負けたりで,別にチームもそんなに強くはなかったし,自分自身もその中で特別うまいわけではありませんでしたが,程よい緊張感の中でバスケができたことは本当に楽しかったという記憶があります。

なぜサッカーをやっているのか

いただいた質問だけでは,なぜサッカーをやっているのかはわかりませんが,当然,「サッカーが楽しいから」という理由があると思います。また,夏から強豪チームに移籍したとのことですので,もっとサッカーがうまくなりたい,そのためにサッカーが強いチームでやりたい,という気持ちがあったのではないかと推察します。

となると,「サッカーがうまくなる」のが目的なのであって,「他のチームメイトに追いつく」,ことが目的ではないように思います。周りに仮に追いつけるかどうかよりも,どうやったらサッカーがうまくなるのかを息子さんと一緒に考えてみてはどうでしょうか(と子どものいない私がアドバイスをするのも失礼な話ですが)。もちろん,小学校2年生の子どもに,「周りと比べないで,自分の成長にフォーカスしよう」って声かけたところでそれがうまくいくとも限りません。大人でも周りと比べずに自分に矢印を向けるのは難しいことですから。

自信を持ってプレーするためには,自分の得意なことを伸ばす,というのも一つの方法かもしれません。私は普段Jリーグをよく見ていますが,やっぱりサッカー選手って何かこれっていう特徴がありますよね。ダワン選手だったら跳躍力がすごくてヘディング強い,食野選手なら両足で強烈なシュートが打てる,山本選手は相手を剥がしたり決定的なパスを通すのがうまい,黒川選手はドリブル突破,みたいな。

本人がどうしたいか

夏の移籍が自分の意志によるものだったとすると,移籍したいと自分の希望でしてはみたものの,うまくいっていないことに本人もどうしたらいいのかわからなくなっているのかもしれません。自分に矢印を向けて,その(より厳しい)環境で頑張れるのであれば,それを応援したいですよね。

ただ,もしかすると,移籍が失敗だったと思っている可能性もあります。そうはいっても自分で移籍したいと言いだしたのだし,ここで,「やっぱりここは嫌だ」といってしまったらそれが「逃げ」とか,「弱虫」だとか思われてしまうかもしれない。あるいは,せっかく親に移籍を実現してもらったからこそ,また環境を変えるということに二の足を踏んでいる可能性もあります(迷惑をかけたくないとか)。私は地域のサッカー・クラブのことはよくわかりませんが,もしも,他にもっと息子さんのレベルにあった場所で楽しくサッカーができる場所があるのなら,そういう場所に移ってもいいのかもしれません。私は,スポーツは自分のレベルにあった場所で楽しく取り組めることが一番だと思っていますし,やっぱり試合に出てなんぼだよなとも思っています。

おわりに

自分にもし子どもができて,こういう状況になったら自分はどう考えるのだろうなと色々思いながら書きました。相談者の方が,お一人で息子さんを育てているのではなく,パートナーの方がいるのであれば(そういうのもわからないので言い方が難しいです),パートナーの方ともこのことを話し合ってみてはいかがでしょうか(もう話し合った上で質問いただいているのかもしれませんが)。また,いちばん大事なのは息子さん本人の正直な気持ちだと思いますので,まずは親が子どもを全力でサポートするという姿勢を見せた上で,本音を聞いてあげてください。息子さんが楽しくサッカーを続けていくことができるよう願っています。

あまり有益なことは書けませんでしたが,私からは以上です。

質問したい方はどうぞ。

なにをゆう

たむらゆう。

https://querie.me/user/tam07pb915

おしまい。

この数年で博士号をとったり、大学教員になった先生方に望むものはなんですか?

はじめに

久しぶりにブログ記事で回答します。

質問

ヤットさんに憧れ、宇佐美選手と同年代です。 次節、勝ちましょう!!!! (中村俊輔選手の引退試合も熱いです!!!) ここ数年に権力がある世代は、英語教育を研究として成立させるために尽力していただいた世代(学会の偉い先生方など)。次の世代は、ネットを駆使して英語教育を一般化した世代だと思っています(発信力が強い先生方)。そこで、この数年で博士号をとったり、大学教員になった先生方に望むものはなんですか?

回答

ヤットさんは代表でずっと見ていて好きな選手でした。ガンバを好きになったのもヤットさんを生で見れるというのも大きな理由としてありましたね。実際に,初めて買ったユニはヤットさんのでしたし。宇佐美選手と同年代ということはプラチナ世代ですか。私は倉田選手・藤春選手と同い年です。

私は味スタの近くが地元なので,中学生のとき,鹿島,浦和,横浜FM,ガンバなど,強豪チームが来るときにはによく500円でアウェイ・ゴール裏席に行っていました(当時はFC東京もヴェルディも強くなかった)。横浜FM戦に行って,眼の前で中村俊輔選手の直接FKを見たこと,今でも覚えています(ゴールは決まらなかったんですが)。ちなみに,一番怖いなと思ったのはガンバ大阪のゴール裏でしたね笑 今はそこに自分もいつも座っている(立っている)わけですが。

さて,急に英語教育の話になったのでサッカー界隈の人ではなく英語教育界隈の方ですかね。私個人が他人になにかを「望む」ようなことはないですね。以前,querie.meで「大学教員が求める小学校外国語科の授業の在り方は?」と聞かれたときに,「求めたりしない」とブログに書きました。

自分自身に求めて行かないといけないと思っているのはこれまでの英語教育研究を顧みて反省することでしょうか。私自身は英語教育研究のど真ん中にいるとは思っていないですが。英語教育研究とはやや異なりますが,この前出た本は一つ,そういう仕事かなと思ったりしています。

第二言語研究の思考法:認知システムの研究には何が必要か

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ChatGPTの英文校正の質

質問に答えるブログです。以下の質問です。

質問


英文(学生が授業提出用のエッセイを書いたとして、または、教員が研究論文を書いたとして)を例えばChatGPTに校正してもらった場合と、いわゆるネイティブに校正してもらった場合との「質」の差はどうなんでしょうか。

回答

英文校正業者に頼んだ場合でも校正者によって結構ばらつきはありますし,ChatGPTでも毎回同じように校正してくるわけではない(ように感じるときがある)ので,比較するのが難しいですが,個人的な印象だけでいえば,差はとくにないように思います(つまり英文校正業者に頼むほうが良いとはあまり思わない)。ジャーナルごとに異なるフォーマットの調整をうまくやってくれるのかは試したことないですが,そういうのは業者に頼むほうが安心感あるかなとなんとなく思っています。あとは,ChatGPTは校正目的で使うとなるとどうしても分量を分割する必要が出てきますよね。全体の構成(例えばバックグラウンドの書いてあることとディスカッションに書いてあることのつながりがどうかとか)に関係するような部分のフィードバックや用語の統一感に関わる部分などは限界があるかもしれません。もしかすると,プラグイン使ってPDFを読ませたらに関連することをうまく読み取ってアドバイスしてくれるのかもしれませんが。

また,論文を書くための校正と授業でエッセイを書いたものを校正するのは目的が全然異なることなので,一緒くたに語れないなとも思います。ライティングの授業でエッセイを書かせるとすれば,少なくとも私は自分自身のかなり強い「こだわり」があるので,そういう部分はChatGPTが(私が満足できる程度に)指摘してくれるわけではありません。文法的な部分というよりも,情報の並べ方とか,結束性や一貫性の部分ですね。

つまり,学生の提出したものを校正するという点では私は「構成」の部分については少なくとも私の好みを反映させるのはなかなか難しいなぁと思っています。

あとは,ご自身で使ってみるのが1番かと思いますので,ご自身の目的に合わせてどの程度使えるのか試してみてはいかがでしょうか。

質問したい方はどうぞ。

なにをゆう

たむらゆう。

https://querie.me/user/tam07pb915

おしまい。

大学院進学セミナーの開催責任者になったら?

はじめに

久しぶりの,質問に答えるブログです。以下の質問です。

学部の3,4年生を対象に大学院進学に関するセミナーを実施する際の開催責任者になったとして。セミナーにはどのような項目をスケジュールされますか?また、各項目に望み通りのスピーカーをお願いできるとしたら、誰に依頼されますか?

回答

研究科の構成員になったのが今年からなので,なかなか難しい質問ですね。うちの研究科って学部生向けに進学セミナーとかやってたかな?というのもあります。あとは,このイベントが任意参加なのかとか,対象が自分のところの学部だけなのか,あるいは広く学部や大学を問わずに学部3,4年生対象なのかとか。

という前置きをした上で,自分のところの学部生対象で,任意参加(ただし結構な人数集まってくれるという希望的観測),という想定で以下考えました。また,スピーカー依頼の個人名を挙げるのはちょっと憚られるのでしてません。うちうちに話すならまだしも,こういうところで名前をあげられた人にもあげられなかった人にもあまり良くないかなと思いますので。質問者の方的にはその人選にも興味がおありかもしれませんが,申し訳ありません。

  1. 大学院とはどういうところか
  2. うちの研究科で学べる事
  3. 奨学金制度等の紹介
  4. 現役学生の声(M, D)
  5. 現役院生のポスター発表会

みたいな感じですかね。セミナー参加学部生の人数にもよりますが,4はグループ分けして各グループに院生を1人割り振って,学部生からの質問に答えてもらうみたいな方式にしてもいいかもしれないなと思いました。参加する院生は大変かもですし,院生によって言ってることが違うとかそういうことがあって誤解が生まれてしまうとそれはそれで良くないということもありますけど。ただ,院生のリアルな声を学部生に聞いてもらうことは,すごく効果的だと思いますし,全体に対して話すような形式よりもグループでやった方がフランクになるんじゃないかなと思いますね。

1, 2, 3のそれぞれにスピーカーをお願いするとしたら,というのは難しいですねぇ。3については誰が適任というのを決めにくいですが,1と2で検討するべき要因としては,(a)男性と女性が半々になること,(b)言語教育,異文化コミュニケーション,通訳翻訳の3つの領域の多様性が確保されていること,(c)言語の多様性が確保されていること,があるかなと思っています。

3を入れている理由は,やっぱり大学院進学を決断するにあたって,経済的な要因が影響するかなと思っているからです。いろんな制度を利用することができて,負担ゼロとはいかなくても負担を減らせることがわかれば,それなら進学しようかなと思ってもらえる人もいるかもしれません。

5のポスター発表は,大学院生って結局なにしてるの?っていうところを学部生に身近に感じてもらうために,やってみたら面白そうだなというところです。これは,研究がまだまだ固まっていてもいなくてもよいと思っています。こんなことを考えているよとか,最近こんな論文を読んだよとか,そういうのでもいいなと。ただ,聴衆が学部生であるということを念頭に,院の授業やゼミで発表するのとは違う,伝える難しさを院生に経験してもらうことは,その院生にとってもメリットがあることだと思います。また,ポスター発表がきっかけで関連した内容に興味を持った学部生がゼミでそのことについて調べたりなど,学部生と院生の学術的交流が生まれる可能性も期待できます。院生からしても,自分が発表したことで興味を持って大学院に行こうと思う人が1人でもいたら,めちゃくちゃ嬉しいですよね。もちろん,それが出なかったら失敗だとかいうことでは全くないということは伝えておかないといけませんが。

個人的なポイントは,院生の皆さんにも協力を(もちろん有償で)お願いするということです。そして,院生さんたちがこういう進学セミナーに携わることを「めんどくさいこと」とか「やらされること」ではなく,自分たちが研究科(の現在と未来)に貢献しているという気持ちを持ってやってくれることが大事かなと思います。また,その取り組み事態が自分の学位論文や大学院で学んでいることとも直接的・間接的につながっているということを感じでもらえたらいいですね。

というわけで,以上が私が考えた企画です。実現可能性等々は全然考えていませんし,実際に実現しようと思ったら色々なハードルがあると思いますが,たたき台くらいにはなるのでは…と思って考えました。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

研究だけができるか授業だけができるかを選ぶとすれば、どちらを選びますか?

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。質問はタイトルのとおりです。「もしも」の話だというのは当然理解した上で以下の回答は書いていますが,真面目に考えすぎたかもしれません。

回答

私は自分が担当する授業の中に,語学,講義科目,ゼミ,という3つの種類があります。よって,語学の担当がない大学教員の方と私では,大学の授業に対する考え方や,あるいはどのように大学教員の仕事を捉えているか,自分の大学教員としての今後のキャリアに対する考え方も違うのかなと思います。

何が言いたいかというと,「授業だけ」といったときに,それが語学の授業だけなのか,講義科目だけなのか,ゼミだけなのか,またはいずれかの組み合わせなのか,色々なパターンが考えられますよね。よって,「授業だけ」と言ったときのイメージって人によって違いそうだなということです。また,「だけができる」というのを私は「それしかできない」と読みましたので,授業だけしかできない(研究はやりたくてもできない),研究だけができる(授業はやりたくてもできない),という環境は,大学教員という職業を前提に考えたときには前者はあっても後者は少なくとも私の分野ではないのではと思います。

さらに,前者の場合でもその場合の「授業」というのは語学の授業のみを指すことがおそらくほとんどで,講義科目やゼミだけしかできないというのはありえないのではないかと思います。もしそういうのがあるとしたら,それは授業だけしかできないのではなく,「研究はできるけれども授業だけしかやっていない」ということでしょう。そして,私はそうなっちゃいけない,なりたくないと思っています。もちろん,勉強と研究は違いますから,めちゃくちゃ勉強すれば良い講義はできると思いますが,それをする意欲や時間はあっても研究をする意欲や時間はないっていうのはあまり想像できません。さらに,ゼミとか研究の指導とかをするのであれば,研究をやっていないのに研究の指導をすることはできないのではと思います。

したがって,私は英語教員としてのアイデンティティはありますが,英語の授業だけをやっていればいい環境があったとしても,そちらは選ばないと思います。英語だけ教えるのでいいのであれば,この職業を選んでいないというか。最初の動機というか,学校教員にならなかった理由の一つとしては,自分には授業以外の部分の教育活動が向いていないと思った(つまり,授業を中心にやっていたかった)という部分が大きいです。しかしだからといって,英語を教えることだけをやりたいがために博士課程までわざわざ行きませんよね。

それはやはり,自分には研究者としてのアイデンティティも備わっているということだと思います。また,研究者というのは研究コミュニティの維持と発展というのも仕事の一部だと思っています。そのためには,研究コミュニティに参画する人を増やしたり,そのコミュニティに属する人たちの知識やスキルを上げていくことにコミットすることも必要になると思います。そして,教育というのはまさにそこに繋がる仕事だと思っています。したがって,教育はできないけど研究だけはできる,という状況は,研究者としての仕事の一部を奪われているとも言えるのではないかと私は思います。

(私の分野の)世界的に有名な研究者をどれだけ思い浮かべてみても,その人達って絶対にそこで学生を指導して,そしてその人達がまた活躍していく,そういうところに絶対いるように思います。派閥的なことになっていくとそれが良いか悪いかみたいな議論も出てくるかと思いますし,そんなことあんのかよっていう話を聞いたこともないわけではないですが,ようするに研究だけじゃなくて教育活動もやってるよね,ということです。分野の特性ももちろんあるでしょうけれども。

さらに,自分に研究者としてのアイデンティティがあると言っても,それだけで今と同じ待遇を得られるほど研究者としての才が秀でているというようにも思えません。となると,やはりそれ以外の部分での自分のスキルも生かすことのできる仕事だからこそ(裏を返せば授業をやらなければいけない仕事でもあるからこそ),今の待遇で仕事をできているのだろうなと思います。

ということで,一言でまとめると,どっちも選びたくない,選べない,ということですかね。どちらかを選ばないといけないとしたら,相当な覚悟を持っていずれかを選択することになるだろうなと思います。

なんだか回答しているようで全然回答になっていないかもしれませんが。とりあえずこんなところで。

質問したい方はどうぞ。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。