カテゴリー別アーカイブ: Querie.me

サッカーをやっている息子さんについての相談

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。子どもがいない私がこの質問にどう答えたらいいのか,かなり難しいのですが,頑張って回答を書いてみます。

質問

小2の息子についてですが、夏から強豪チームに移籍して週5練習です。前は息子だけが上手くて井の中の蛙状態で、舐めプばかりしていましたが、今のチームでは上手い子ばかりで、息子は弱腰です。親としてどうやってかかわっていったらよいでしょうか。チームメイトはみんな上手いし毎日サッカーをしているので彼らに追いつく方法もわかりません。自信をもってプレーしてほしいです。

回答

私の経験

まず,少しだけ私の話を書かせてください。私はサッカーが好きというのは知られていることかと思いますが,サッカーをプレーしていたのは幼稚園の年長から小学校の6年生までの7年間です。中高の部活はバスケ,大学でもバスケサークルに所属していました。サッカーは体育でやったり,あるいは大学に入ってからはフットサルをやったり程度でした。

この質問を読んで最初に思い浮かんだのは自分が中学から高校に進学したときのことです。中学のときは,自分自身,バスケがそれなりにうまいと思っていました。中学は人数が少なかったので井の中の蛙状態で,チームは別に強くなくていつも3回戦くらいで地域の強い中学校と当たったら負ける,という程度でした。でも,バスケが強い学校でやりたいと強く思っていたので,バスケの強い高校(二個上はIH,WC両予選で東京優勝,自分たちの代はIH予選東京4位)に進学しました。人数も1学年20人くらいました。東京中から,中学時代はキャプテンだったツワモノ達が集まってきていて,それこそ「弱腰」でしたね。それでも,自分なりに勉強して,自主練はしていました。全体練習のあとにトレーニング・ルームに行って,帰れと言われるまで筋トレしたり,朝早く来て坂道ダッシュしたり,昼にシュート練習をしたり。自分なりにはその時にできる精一杯をやったつもりでいましたが,今考えればがむしゃらさが足りなかったな,気持ちが弱かったな,と思います。

結果的に,公式戦の試合は一度しか出たことがありません。それも,3年生の時の最後の夏の予選の一回戦とかで何十点も差がついた第4ピリオドの残り1分くらいです。一度だけボールに触って,スリーポイントシュートを打って,無様に外れました。それが私が高校三年間で出た最初で最後の公式戦の思い出です。それでも,レベルの高い高校でやったことで自分自身,バスケがうまくなったのは間違いありません。大学はサークルに入っていました。普段の活動はバスケ初心者もいたし,まあ「ぬるい」と1年生のときは思っていました。それでも,夏はサークルの中でも「ガチ」の人たちで集まって,大会合宿に出ていましたし,市民大会に出れば本気の大人たちとの真剣勝負でした。勝ったり負けたりで,別にチームもそんなに強くはなかったし,自分自身もその中で特別うまいわけではありませんでしたが,程よい緊張感の中でバスケができたことは本当に楽しかったという記憶があります。

なぜサッカーをやっているのか

いただいた質問だけでは,なぜサッカーをやっているのかはわかりませんが,当然,「サッカーが楽しいから」という理由があると思います。また,夏から強豪チームに移籍したとのことですので,もっとサッカーがうまくなりたい,そのためにサッカーが強いチームでやりたい,という気持ちがあったのではないかと推察します。

となると,「サッカーがうまくなる」のが目的なのであって,「他のチームメイトに追いつく」,ことが目的ではないように思います。周りに仮に追いつけるかどうかよりも,どうやったらサッカーがうまくなるのかを息子さんと一緒に考えてみてはどうでしょうか(と子どものいない私がアドバイスをするのも失礼な話ですが)。もちろん,小学校2年生の子どもに,「周りと比べないで,自分の成長にフォーカスしよう」って声かけたところでそれがうまくいくとも限りません。大人でも周りと比べずに自分に矢印を向けるのは難しいことですから。

自信を持ってプレーするためには,自分の得意なことを伸ばす,というのも一つの方法かもしれません。私は普段Jリーグをよく見ていますが,やっぱりサッカー選手って何かこれっていう特徴がありますよね。ダワン選手だったら跳躍力がすごくてヘディング強い,食野選手なら両足で強烈なシュートが打てる,山本選手は相手を剥がしたり決定的なパスを通すのがうまい,黒川選手はドリブル突破,みたいな。

本人がどうしたいか

夏の移籍が自分の意志によるものだったとすると,移籍したいと自分の希望でしてはみたものの,うまくいっていないことに本人もどうしたらいいのかわからなくなっているのかもしれません。自分に矢印を向けて,その(より厳しい)環境で頑張れるのであれば,それを応援したいですよね。

ただ,もしかすると,移籍が失敗だったと思っている可能性もあります。そうはいっても自分で移籍したいと言いだしたのだし,ここで,「やっぱりここは嫌だ」といってしまったらそれが「逃げ」とか,「弱虫」だとか思われてしまうかもしれない。あるいは,せっかく親に移籍を実現してもらったからこそ,また環境を変えるということに二の足を踏んでいる可能性もあります(迷惑をかけたくないとか)。私は地域のサッカー・クラブのことはよくわかりませんが,もしも,他にもっと息子さんのレベルにあった場所で楽しくサッカーができる場所があるのなら,そういう場所に移ってもいいのかもしれません。私は,スポーツは自分のレベルにあった場所で楽しく取り組めることが一番だと思っていますし,やっぱり試合に出てなんぼだよなとも思っています。

おわりに

自分にもし子どもができて,こういう状況になったら自分はどう考えるのだろうなと色々思いながら書きました。相談者の方が,お一人で息子さんを育てているのではなく,パートナーの方がいるのであれば(そういうのもわからないので言い方が難しいです),パートナーの方ともこのことを話し合ってみてはいかがでしょうか(もう話し合った上で質問いただいているのかもしれませんが)。また,いちばん大事なのは息子さん本人の正直な気持ちだと思いますので,まずは親が子どもを全力でサポートするという姿勢を見せた上で,本音を聞いてあげてください。息子さんが楽しくサッカーを続けていくことができるよう願っています。

あまり有益なことは書けませんでしたが,私からは以上です。

質問したい方はどうぞ。

なにをゆう

たむらゆう。

https://querie.me/user/tam07pb915

おしまい。

この数年で博士号をとったり、大学教員になった先生方に望むものはなんですか?

はじめに

久しぶりにブログ記事で回答します。

質問

ヤットさんに憧れ、宇佐美選手と同年代です。 次節、勝ちましょう!!!! (中村俊輔選手の引退試合も熱いです!!!) ここ数年に権力がある世代は、英語教育を研究として成立させるために尽力していただいた世代(学会の偉い先生方など)。次の世代は、ネットを駆使して英語教育を一般化した世代だと思っています(発信力が強い先生方)。そこで、この数年で博士号をとったり、大学教員になった先生方に望むものはなんですか?

回答

ヤットさんは代表でずっと見ていて好きな選手でした。ガンバを好きになったのもヤットさんを生で見れるというのも大きな理由としてありましたね。実際に,初めて買ったユニはヤットさんのでしたし。宇佐美選手と同年代ということはプラチナ世代ですか。私は倉田選手・藤春選手と同い年です。

私は味スタの近くが地元なので,中学生のとき,鹿島,浦和,横浜FM,ガンバなど,強豪チームが来るときにはによく500円でアウェイ・ゴール裏席に行っていました(当時はFC東京もヴェルディも強くなかった)。横浜FM戦に行って,眼の前で中村俊輔選手の直接FKを見たこと,今でも覚えています(ゴールは決まらなかったんですが)。ちなみに,一番怖いなと思ったのはガンバ大阪のゴール裏でしたね笑 今はそこに自分もいつも座っている(立っている)わけですが。

さて,急に英語教育の話になったのでサッカー界隈の人ではなく英語教育界隈の方ですかね。私個人が他人になにかを「望む」ようなことはないですね。以前,querie.meで「大学教員が求める小学校外国語科の授業の在り方は?」と聞かれたときに,「求めたりしない」とブログに書きました。

自分自身に求めて行かないといけないと思っているのはこれまでの英語教育研究を顧みて反省することでしょうか。私自身は英語教育研究のど真ん中にいるとは思っていないですが。英語教育研究とはやや異なりますが,この前出た本は一つ,そういう仕事かなと思ったりしています。

第二言語研究の思考法:認知システムの研究には何が必要か

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ChatGPTの英文校正の質

質問に答えるブログです。以下の質問です。

質問


英文(学生が授業提出用のエッセイを書いたとして、または、教員が研究論文を書いたとして)を例えばChatGPTに校正してもらった場合と、いわゆるネイティブに校正してもらった場合との「質」の差はどうなんでしょうか。

回答

英文校正業者に頼んだ場合でも校正者によって結構ばらつきはありますし,ChatGPTでも毎回同じように校正してくるわけではない(ように感じるときがある)ので,比較するのが難しいですが,個人的な印象だけでいえば,差はとくにないように思います(つまり英文校正業者に頼むほうが良いとはあまり思わない)。ジャーナルごとに異なるフォーマットの調整をうまくやってくれるのかは試したことないですが,そういうのは業者に頼むほうが安心感あるかなとなんとなく思っています。あとは,ChatGPTは校正目的で使うとなるとどうしても分量を分割する必要が出てきますよね。全体の構成(例えばバックグラウンドの書いてあることとディスカッションに書いてあることのつながりがどうかとか)に関係するような部分のフィードバックや用語の統一感に関わる部分などは限界があるかもしれません。もしかすると,プラグイン使ってPDFを読ませたらに関連することをうまく読み取ってアドバイスしてくれるのかもしれませんが。

また,論文を書くための校正と授業でエッセイを書いたものを校正するのは目的が全然異なることなので,一緒くたに語れないなとも思います。ライティングの授業でエッセイを書かせるとすれば,少なくとも私は自分自身のかなり強い「こだわり」があるので,そういう部分はChatGPTが(私が満足できる程度に)指摘してくれるわけではありません。文法的な部分というよりも,情報の並べ方とか,結束性や一貫性の部分ですね。

つまり,学生の提出したものを校正するという点では私は「構成」の部分については少なくとも私の好みを反映させるのはなかなか難しいなぁと思っています。

あとは,ご自身で使ってみるのが1番かと思いますので,ご自身の目的に合わせてどの程度使えるのか試してみてはいかがでしょうか。

質問したい方はどうぞ。

なにをゆう

たむらゆう。

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おしまい。

大学院進学セミナーの開催責任者になったら?

はじめに

久しぶりの,質問に答えるブログです。以下の質問です。

学部の3,4年生を対象に大学院進学に関するセミナーを実施する際の開催責任者になったとして。セミナーにはどのような項目をスケジュールされますか?また、各項目に望み通りのスピーカーをお願いできるとしたら、誰に依頼されますか?

回答

研究科の構成員になったのが今年からなので,なかなか難しい質問ですね。うちの研究科って学部生向けに進学セミナーとかやってたかな?というのもあります。あとは,このイベントが任意参加なのかとか,対象が自分のところの学部だけなのか,あるいは広く学部や大学を問わずに学部3,4年生対象なのかとか。

という前置きをした上で,自分のところの学部生対象で,任意参加(ただし結構な人数集まってくれるという希望的観測),という想定で以下考えました。また,スピーカー依頼の個人名を挙げるのはちょっと憚られるのでしてません。うちうちに話すならまだしも,こういうところで名前をあげられた人にもあげられなかった人にもあまり良くないかなと思いますので。質問者の方的にはその人選にも興味がおありかもしれませんが,申し訳ありません。

  1. 大学院とはどういうところか
  2. うちの研究科で学べる事
  3. 奨学金制度等の紹介
  4. 現役学生の声(M, D)
  5. 現役院生のポスター発表会

みたいな感じですかね。セミナー参加学部生の人数にもよりますが,4はグループ分けして各グループに院生を1人割り振って,学部生からの質問に答えてもらうみたいな方式にしてもいいかもしれないなと思いました。参加する院生は大変かもですし,院生によって言ってることが違うとかそういうことがあって誤解が生まれてしまうとそれはそれで良くないということもありますけど。ただ,院生のリアルな声を学部生に聞いてもらうことは,すごく効果的だと思いますし,全体に対して話すような形式よりもグループでやった方がフランクになるんじゃないかなと思いますね。

1, 2, 3のそれぞれにスピーカーをお願いするとしたら,というのは難しいですねぇ。3については誰が適任というのを決めにくいですが,1と2で検討するべき要因としては,(a)男性と女性が半々になること,(b)言語教育,異文化コミュニケーション,通訳翻訳の3つの領域の多様性が確保されていること,(c)言語の多様性が確保されていること,があるかなと思っています。

3を入れている理由は,やっぱり大学院進学を決断するにあたって,経済的な要因が影響するかなと思っているからです。いろんな制度を利用することができて,負担ゼロとはいかなくても負担を減らせることがわかれば,それなら進学しようかなと思ってもらえる人もいるかもしれません。

5のポスター発表は,大学院生って結局なにしてるの?っていうところを学部生に身近に感じてもらうために,やってみたら面白そうだなというところです。これは,研究がまだまだ固まっていてもいなくてもよいと思っています。こんなことを考えているよとか,最近こんな論文を読んだよとか,そういうのでもいいなと。ただ,聴衆が学部生であるということを念頭に,院の授業やゼミで発表するのとは違う,伝える難しさを院生に経験してもらうことは,その院生にとってもメリットがあることだと思います。また,ポスター発表がきっかけで関連した内容に興味を持った学部生がゼミでそのことについて調べたりなど,学部生と院生の学術的交流が生まれる可能性も期待できます。院生からしても,自分が発表したことで興味を持って大学院に行こうと思う人が1人でもいたら,めちゃくちゃ嬉しいですよね。もちろん,それが出なかったら失敗だとかいうことでは全くないということは伝えておかないといけませんが。

個人的なポイントは,院生の皆さんにも協力を(もちろん有償で)お願いするということです。そして,院生さんたちがこういう進学セミナーに携わることを「めんどくさいこと」とか「やらされること」ではなく,自分たちが研究科(の現在と未来)に貢献しているという気持ちを持ってやってくれることが大事かなと思います。また,その取り組み事態が自分の学位論文や大学院で学んでいることとも直接的・間接的につながっているということを感じでもらえたらいいですね。

というわけで,以上が私が考えた企画です。実現可能性等々は全然考えていませんし,実際に実現しようと思ったら色々なハードルがあると思いますが,たたき台くらいにはなるのでは…と思って考えました。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

研究だけができるか授業だけができるかを選ぶとすれば、どちらを選びますか?

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。質問はタイトルのとおりです。「もしも」の話だというのは当然理解した上で以下の回答は書いていますが,真面目に考えすぎたかもしれません。

回答

私は自分が担当する授業の中に,語学,講義科目,ゼミ,という3つの種類があります。よって,語学の担当がない大学教員の方と私では,大学の授業に対する考え方や,あるいはどのように大学教員の仕事を捉えているか,自分の大学教員としての今後のキャリアに対する考え方も違うのかなと思います。

何が言いたいかというと,「授業だけ」といったときに,それが語学の授業だけなのか,講義科目だけなのか,ゼミだけなのか,またはいずれかの組み合わせなのか,色々なパターンが考えられますよね。よって,「授業だけ」と言ったときのイメージって人によって違いそうだなということです。また,「だけができる」というのを私は「それしかできない」と読みましたので,授業だけしかできない(研究はやりたくてもできない),研究だけができる(授業はやりたくてもできない),という環境は,大学教員という職業を前提に考えたときには前者はあっても後者は少なくとも私の分野ではないのではと思います。

さらに,前者の場合でもその場合の「授業」というのは語学の授業のみを指すことがおそらくほとんどで,講義科目やゼミだけしかできないというのはありえないのではないかと思います。もしそういうのがあるとしたら,それは授業だけしかできないのではなく,「研究はできるけれども授業だけしかやっていない」ということでしょう。そして,私はそうなっちゃいけない,なりたくないと思っています。もちろん,勉強と研究は違いますから,めちゃくちゃ勉強すれば良い講義はできると思いますが,それをする意欲や時間はあっても研究をする意欲や時間はないっていうのはあまり想像できません。さらに,ゼミとか研究の指導とかをするのであれば,研究をやっていないのに研究の指導をすることはできないのではと思います。

したがって,私は英語教員としてのアイデンティティはありますが,英語の授業だけをやっていればいい環境があったとしても,そちらは選ばないと思います。英語だけ教えるのでいいのであれば,この職業を選んでいないというか。最初の動機というか,学校教員にならなかった理由の一つとしては,自分には授業以外の部分の教育活動が向いていないと思った(つまり,授業を中心にやっていたかった)という部分が大きいです。しかしだからといって,英語を教えることだけをやりたいがために博士課程までわざわざ行きませんよね。

それはやはり,自分には研究者としてのアイデンティティも備わっているということだと思います。また,研究者というのは研究コミュニティの維持と発展というのも仕事の一部だと思っています。そのためには,研究コミュニティに参画する人を増やしたり,そのコミュニティに属する人たちの知識やスキルを上げていくことにコミットすることも必要になると思います。そして,教育というのはまさにそこに繋がる仕事だと思っています。したがって,教育はできないけど研究だけはできる,という状況は,研究者としての仕事の一部を奪われているとも言えるのではないかと私は思います。

(私の分野の)世界的に有名な研究者をどれだけ思い浮かべてみても,その人達って絶対にそこで学生を指導して,そしてその人達がまた活躍していく,そういうところに絶対いるように思います。派閥的なことになっていくとそれが良いか悪いかみたいな議論も出てくるかと思いますし,そんなことあんのかよっていう話を聞いたこともないわけではないですが,ようするに研究だけじゃなくて教育活動もやってるよね,ということです。分野の特性ももちろんあるでしょうけれども。

さらに,自分に研究者としてのアイデンティティがあると言っても,それだけで今と同じ待遇を得られるほど研究者としての才が秀でているというようにも思えません。となると,やはりそれ以外の部分での自分のスキルも生かすことのできる仕事だからこそ(裏を返せば授業をやらなければいけない仕事でもあるからこそ),今の待遇で仕事をできているのだろうなと思います。

ということで,一言でまとめると,どっちも選びたくない,選べない,ということですかね。どちらかを選ばないといけないとしたら,相当な覚悟を持っていずれかを選択することになるだろうなと思います。

なんだか回答しているようで全然回答になっていないかもしれませんが。とりあえずこんなところで。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

先行研究のレビューや良い批判の仕方は、どうすれば学べますか?

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。質問は以下です。

先行研究のレビューや良い批判の仕方は、どうすれば学べますか? 参考になる本や、ご自身がどうやっているか教えてほしいです。

これまた私に聞くの?ってやつですね。私に「良い批判の仕方」を聞くのはちょっと良くないですね。私,「良い批判」ができないことで有名ですから…(ウッ

回答

とにかく大量のインプット

人から学ぶ

自分がどうやって学んだかっていうことを考えると,誰かと一緒に論文や本をたくさん読む経験をしたっていうことが一番大きいような気がします。「誰かと一緒に」がポイントです。自分一人で論文や本を読みまくって,鋭い視点でコメントができるようになる人もいるとは思いますが,そういう人は一部だと私は思っています。私のような凡人は,誰かから学んでいくしかありません。授業でもゼミでも,学外の研究会や勉強会でも,ときにはお酒の席でも,とにかく自分より研究キャリアの長い人がどうやって論文や本を読んで,どういうところに着目しているのか,そういうことを学びながら,だんだん自分もそういう読み方ができるようになっていったのではないかなと思います。

私が博士課程を過ごしたときの環境は,別に自分から求めなくても毎日延々と研究のことを喋り続ける人がいたので,夏の暑い日も,冬の寒い日も,雨の日も風の日も,雪の日も,そういう人たちの話を一生懸命聞いて,その話になんとか自分もついていくということに必死だった記憶があります。

私が博士後期課程1年目の春だったか夏前くらいだったか,先輩が「例えばな,この男と付き合いたいと思うか思わないかっていうのを0/1で考えるロジスティク回帰をするとするだろ。こういう曲線だな」みたいなことを言ったとき,頭の中で「ロジスティック回帰ってなに???」って思ってわけがわからなかったの,今でも鮮明に覚えています。そのあと必死に勉強して,その2年後くらいにRでロジスティック回帰をやるテクニカルレポートを書くことになったわけですけど。

学会でも,発表を理解することとともにどのような質問があがるのかということにすごく意識を集中させて聞いていました。すべての質問が良い質問ではもちろんないわけなのですが,そういうところでも,学びの機会はあります。オンラインの学会だとなかなか「会場の雰囲気」みたいなものを感じることもないですし,そもそも質問も出てきづらいことも多いので難しいかもしれません。ただ,2023年度からは対面開催の学会もまた戻ってくるでしょうし,行くのはめんどくさいですけど行ったら絶対に学び(と出会い)があると思って学会に行きましょう(自分にも言い聞かせる)。

学会のような大きなイベントではなくても,小規模の勉強会や読書会のようなものがあれば,勇気を出して飛び込んでみることをおすすめします。知り合いからそういう話を聞いたら,とりあえず行ってみる,若いうちはとくに誘われたら基本は参加,でいいと思います。英語教育系の院生さんや若手の研究者の方で(いや別に若手である必要もまったくないですが),私が毎月参加している研究会(輪読+アルファ)に興味がある方がいたら,ご連絡いただければ詳細お伝えします。たしか3月の開催日は28日だったかなと思います。

概説書を読む

大量のインプットというのは,自分の知識量を増やすという意味もあります。結局,その分野の枠組みみたいなものを理解していないと,個別の研究をそこに位置づけることもできませんし,それができなければその研究の価値も評価できないわけです。そういう状態では,「良い批判」はおそらくできないのではと思います。そのためには,個別の論文を読むことよりもむしろ概説書を何冊も何冊も読むことが大事なのではないかと,これは博士課程終わる頃くらいに思うようになりました。

後か不幸か,英語教育とか第二言語習得という分野は入門とか概論とかIntroductionというのがつく本が大量にあります(cf. 英語科教育法 「僕・私のこの一冊」 懐かしい思い出と未来への展望と)。中には同じ話をしていることもありますが,同じ話でもどういう文脈でその話が出てくるのかというのは著者のスタイルというか分野の眺め方によって違うわけで,同じ事象を別の角度から眺めることを繰り返すことで知識が深まっていくし,そのベースがあるからこそ個別の研究を批判的に読むことができるようになるのではないかと思います。

むかし,ある人が,「俺が学部生のとき,指導教員だった○○先生は論文より本を読みなさいってずっと言ってて,でも俺は論文を読みたかったんだ…!」って言ってたのを覚えています。彼がいま,このことをどう思っているのかはわかりませんが。私は,その先生の指導があってこそのいまの彼なんじゃないかなと思っています。概説書に書いてあるものは全部知ってることなんだから,新しい知識を得られないじゃないかって思いがちですし,概説書だけ読んでればいいってことはないわけですが,論文読むのと同じくらいそれは大事なことでは?って思うようになりました。

最初からうまくはいかない

誰かと一緒に論文を読むとか,学会に参加するとか,そういう場所では最初はなかなかコメントできずに周りの話に圧倒されるかもしれませんが,それでも声には出さなくても頭はフル回転させて「何を言ったらいいか」を考え続ける事が大事かなと思います。もちろん黙っているだけよりは何か言ったほうがいいわけですが,最初のうちは私も全然議論に参加できていなかったこともありましたから。場数を踏めばそのうち何かコメントできるようになるはずです。それが「良い批判」かどうかはわかりませんが,最初からなにかクオリティの高いものが出せると考えているほうが間違いです。どんなに有名な研究者でもoutput -> feedback -> revisionというプロセスを経て良いものを作り上げていくはずです。そういうことを繰り返していくうちに最初のoutputの質もあがっていくのだと考えたら良いでしょう。私もまだまだ修行の身です。

私は,自分が日々考えていることを文章としてウェブ上に残すという作業を10年以上続けてきました。そのことは,思考->言語化の部分の訓練にはなったと思います。その中には,読んだ本や論文などのレビューも含まれていたと思います。決してうまくまとめられていたとは思いませんが。それでも,ただ読んで考えて終わり,だけではなく,メモ書きで残して終わりでもなく,ある程度まとまった文章にするという作業をすることは,先行研究のレビューにもつながる練習ではあるかなと思います。

もしも,身近に誰かから学びをえるような環境がなかったり,ブログ書くとかそういうのはちょっとハードルが高い…と思うようであれば,書評だったり論文のレビューなんかをウェブ上で発信している人の記事を読むのも有意義だと思います。今はブログで発信している人の数も私の周りでは減ってきてしまっていますけれど。それでも,とにかく色んな人の色んな意見を読むというのは大事ですから。

また,「先行研究のレビュー」というのが,自分の研究に関連する先行研究に関するレビューを書くということを指しているのだとすれば,自分の先行研究のレビューが一番参考になるように思います。もちろん,自分の領域とは違う論文でも,論文を出しまくっている人はレビューが上手なことが多いですから,この人のパブリケーションすごいな,と思う人の論文を読んで,その人がどうやってレビューをしているのかを分析してみるのも良いのではないでしょうか。

このときに,論文のレビューセクションがどういう構造になっているのかを読み解く必要があるわけですが,その際の基礎的な知識として,下記の本は参考になるかと思います。

論文の書き方指南書ですが,「ムーヴ」(Move)という概念を獲得することにより,レビューの構造を把握しやすくなると思います。

それから,分野は違いますが,こんな本もあります。

文学の批評は論文や研究に対して批判的なコメントをすることとはまた異なるものですが,文章の読み方や書き方に関するヒントはたくさんあると思います。

おわりに

あとなにかまだ書こうと思っていたことがあったような気がするのですが,忘れてしまったのでこのへんでおしまいにします。

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なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

論文執筆環境を教えてもえらえますか?特に論文執筆中に活用しているアプリやツールなど

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。このサービスを始めた当初は別に質問をいただいたらブログ記事を書こうなどとは微塵も思っていなかったのですが,気づいたらブログに書くのがルーティンみたいになってきました。いつの日か,質問に答えるのもめんどくさくなる日が来るのかもわかりませんが,そういう日が来るまでは今のスタイルで行きます。質問はズバリタイトルのとおりです。

回答

まず質問を見て思ったのは,「それ聞く人あってる?」です。こういう質問が来る人って,すごくproductiveでめちゃくちゃ論文書きまくってる人なんじゃないかっていう勝手なイメージがあるんですよね。こういう質問をする方っておそらくですが自分のproductivityをあげたいと思っていて,そのために便利なツールやアプリを知りたいっていう動機なのではないかと思うわけです。それを質問するのが全然論文出していない私っていうのはもうなんというか私以外のもっとproductiveな皆さん質問箱でもマシュマロでもQuerie.meでもやってくださいって思います。それか,私だったらなんでも答えてもらえるからまあ聞いておくかみたいな感じなのかもしれないですね…。

長文はScrivener一択

おそらくですが2016年くらいから,論文や本のチャプターなどの長文を書くのはScrivenerというアプリを使っています(MacもWindowsもありますし後発でiOSアプリもできました)。安いものではないので院生さんのような方におすすめするというのはちょっと躊躇します。また,今値段見たら私が買ったときよりももっと高くなっていて,円安か…と思ったりしています。ただ,サブスクのようなシステムではなく一度買ったらずっと使えるという感じなので,その価値はあるかなと個人的には思っています。無料のトライアルもあるので,それで30日間使ってみるというのもありでしょうね。

Scrivenerを一度使い始めたら他のアプリでは論文を書けなくなりました。最後の最後の段階までScrivenerで書いて,最終的にはWordファイルに出力して整えるって感じの使い方をしています。

機能を色々使いこなせているかというとたぶんそういうわけでもないのですが,一番いいのはセクションごとにターゲットの語数を決められることと,全体のターゲットの語数を決められることですね。自分がそのセクションでどれだけ書いているのか,全体の目標語数までどれくらいなのかがわかって,執筆のモチベーションになります。執筆のデッドラインの目標とかも作れます。執筆日は週何日で,いつまでに何語書かないといけないのかとかを入力すると,執筆日に何語書かないといけないのかを計算してくれます。サボったらその分だけ1日のノルマが増えるとかもやってくれるのです。そういう設定を利用しなくてもその日に何語書いたのかとかもわかるので,「今日は100語だけしか書いていないけど,でも何もしていないよりよっぽどマシじゃないか。ビール飲もう」とか,「今日はディスカッションのうちの1節のターゲット語数をクリアできたぞよしよしビール飲もう」とか,そうやってお酒を飲むきっかけ作りにもなります(すな

もちろん構成を考えたりとか,文章の別の箇所や全体像を参照しながら書くとかもすごくやりすいと個人的には思います。やっぱり論文は頭から書くものじゃなくて,書けるところから書いていき,同時に各パートの一貫性も整えながら,最終的に一本に仕上げるっていう感じだと思うんですよね(もちろん人によりますけど)。そういう書き方で進める文章にとって,パーツを自分の好きなように作れるということと,それを好きなように積み上げられること,そしてそのパーツに書く本文とメモ的なものを分けられるっていうのはすごくメリットがあることだと個人的には思っています。

『考えながら書く人のためのScrivener 入門』(https://amzn.asia/d/eNtvvSN)という本も買って読みました。使いながら慣れるっていう感じだと時間がかかる人もいると思うので,Scrivenerを買ってた人にとってはこの本は買って損はないと思います。ウェブ検索するとScrivenerについて書いている記事も結構見つかるのでそれらを読んでみてからScrivenerの購入を検討するのもありでしょうね。以下,検索して上位に出てきた記事3本です。

高機能アウトラインプロセッサ『Scrivener』のメリット・デメリット

Scrivener3徹底レビュー:小説・論文作成のベストアプリ【使い方も解説】

文章執筆統合ソフト「Scrivener3」を使ってみた

3つ目の記事でもあるように,合う人と合わない人がいると思います。機能はモリモリですが,直感的に使いやすいというわけではありませんので。ただ,基本的な機能を一通りマスターしたら全然Wordで書くよりいいので私は気に入っています。プロジェクトをDropboxのようなクラウドサービスと連携させておけば異なるデバイスでも執筆できますしね。

メモ的なものはObsidian

私がメインで使っている,それこそなんでもかんでも放り込む的なものはEvernoteです。パーソナルプラン(年8,100円)で使っていて,これはもう10年以上とにかくなんでもかんでも放り込んでます。特にウェブの記事をクリップできるのがめちゃくちゃ気に入っていますね。読んだもの,あとから読むもの,とにかくなんでもかんでもEvernoteに入れています。

ただ,研究に関してのメモはObsidianにするように1年前くらいですかね?なりました。きっかけは確かanf先生が様々なツールを試していた際に言及していたことだと思います。

Obsidianという刺客が現れた→どうする?→roam researchから乗り換えた

考えるための名前のない技術(2)

思い浮かんだことはとりあえずDraftsに入れて、使いみちを考えるのはその後

私はマークダウン記法信者でもあるので,マークダウン記法が使えるエディタがいいなと思っていて,様々なノートをある程度自動的に結びつけることができる機能があるObsidianに興味が出て使い始めました。

私がScrivenerを使い始めるのは,「この論文を書く」っていうのが決まったときなんですよね。その手前のアイデア段階のものは,Scrivenerで作業し始めるほどのレベルに達していないと個人的には感じます。そうは言ってもアイデアが浮かんだらメモくらいはしておきたいなというときにObsidianを使っています。また,論文を読んだときのメモもObsidianに書くようになりました。

論文のメモは昔はMendeleyという論文管理ツールを使っていたのですが,あるとき急に同期の不具合があってそれまで自分がMendeleyを使ってとっていたメモも含めて全て消失したんですよね。復元もできなくなって。Mendeley死ねクソがと思ってそれ以来,文献管理ソフト上でメモを取るのをやめました(今はZoteroを使っています)。あまりにもリスクが大きいので。外部のソフトウェアを使えば,そのファイル自体は自分のデバイスに保存されますからね,例えばObsidianなら”.md”というマークダウンファイルで保存されますし,その保存先をDropboxやOneDriveなどのクラウドサービスにしておけば,まず間違いなくメモが消えることはありません。

表現的なものはAcademic Phrasebank

論文を書いているときに,表現のvarietyを持たせたかったり,こういうときに便利な表現ないかなーと思ったときにはAcademic Phrasebankにお世話になってます。結構有名なのでご存じの方も多いとは思いますが。

イントロ,バックグラウンド,メソッド,ディスカッション,コンクルージョンとセクションごとによく使われる表現がまとめられている上に,機能(”Being critical”, “Compare and contrast, etc.)ごとにも表現が見つけられるので便利です。ライティングの授業でも学生に紹介しているウェブサイトです。

NTCとNRCは大好きなアプリ

最後に,論文執筆と直接関係はないんですがお気に入りのアプリを2つ。

Nike Training ClubとNike Running Clubです。NTCはワークアウトアプリで,ヨガからストレッチから結構ハードな筋トレまで,めちゃくちゃたくさんのメニューがあります。短いものだと5分くらいで終わりますし,自重だけでできるワークアウトも豊富なのでわざわざジムに通う必要もなく家でもできます。トレーナーの人が一緒に同じワークアウトをしている動画を見ながらできるので,パーソナルトレーナーのついた筋トレのような雰囲気を味わえるのを気に入っています。

NRCはランニングアプリで,距離や時間などに応じて多様なメニューが用意されています。今日は走りたくないけど…というときには10分程度で終わるものがあったり,距離別だと1キロ,1マイル,5キロなどもありますし,コーチが音声ガイダンスで指示してくれます。インターバルトレーニングや,マインドフルネスに特化したプログラムもあり,ただ走るだけではなく音声コンテンツを楽しみながらランニングができます。私自身は2020年は月100キロとか走っていたときもあったのですが,もともとヘルニア持ちで腰からくる股関節痛を発症してからは日常的に走ることはなくなってしまいました。ただ,NRCは本当にランニングのお供としてめちゃくちゃお世話になりました。

もともとNikeが好きということもあり,バッシュ(もう全然最近バスケしてないですが),スニーカー,アパレル(普段着も運動着も),ほぼほぼNikeという影響もあってNikeのアプリに親近感をもったこともあるとは思いますが, NTCとNRCなしでは私の運動習慣は継続していないと思います。論文執筆に直接的に関わるわけではないですが,運動することによって心も身体もリフレッシュできます。さらに,運動しているときって,自分の身体のことだけに自分の意識を集中することになるので,仕事やプライベートの雑念を頭の中から追い出すことができるんですよね。そういった「デトックス」的な時間が日常の中に埋め込まれていると,creativeな仕事も捗るんじゃないかなと勝手に思っています(※因果関係は定かではありません為念)。

おわりに

この記事は,王将で生中×3のあとに帰宅してハイボール×3をしながら書いています。

私に質問したい方は下記URLからどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

今のところは割と質問に答えるのを楽しんでいます。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

お世話になります。私は大学生であり、ChatGPTの使用に関するラインについて分からない点があり…

Querie.meの回答をブログに書くシリーズ。最近これでしかブログを更新していない気がしてきています。質問は以下のとおり。

質問

お世話になります。私は大学生であり、ChatGPTの使用に関するラインについて分からない点があり、Tamさんに大学教員として今現在のchatgptの使用についてどの程度まで学生に認められると考えられているかご意見をいただきたいと思っています。

一つの具体例として、エッセイ課題(どの言語でも、例はライティングスキルをみる課題)を書く際にどのくらいChatGPTを使用するとチートと見なされると現在お考えでしょうか。

①単語について質問する。e.g. 今まで、例文を確認して”noxious”という単語が自分のエッセイの文脈に合っているか判断していたが、ChatGPTに聞く。代替え案があれば、その英単語を使う。

②文法や構成の質問をする。e.g. 自分が書いたエッセイをChatGPTに改善(redundantなところはないかを聞くなど)の提案を聞き、その改善された文章をそのまま使用する。

③内容の指示をする。e.g. 自分で考えたthesis statementをサポートする内容の提案を聞く。(具体例の提案など)その内容を参考にする。(あるいは使用する)

Tamさんはなんでも活用できるなら時場合に応じて活用すべきだとお考えだと思いますし、ChatGPTの機能を目的によっては活用することができる点もたくさんあると思います。しかし、現在大学においてChatGPTの使用に関するガイドラインがなく、これから課題のエッセイ、レポート、またプレゼンの制作などにおいてChatGPTをどの程度使用していいかわからず、tamさんのご意見をいただきたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

回答

非常に良い質問だとは思いますが,授業を担当される先生に聞くのが一番良いと思います。私の意見も質問者様に理解いただいているようですし。もし万が一私の授業を取っている学生であれば,匿名でこういう場所で聞くのではなく直接メールやLMSのメッセージ機能を利用して連絡してください。

剽窃とはまた違うレベルの話なので,認めるか認めないかや,どの程度認めるのかの線引きを教員側が仮に決めたとしても,学生がそれを守っているかどうかを確かめることは教員側からは不可能でしょう。レポート提出課題などは,教室で実際にレポートを書かせて提出させないのであれば,実際に本人が書いているかを確かめようがないというのと同じような話ではないでしょうか。剽窃検出ソフトウェアは,ウェブ上にあるものに引っかかるかどうかしか検出できないので,例えばですが親や兄弟や友達が代わりに書いたものを自分のものだと偽って提出してきた学生がいたとして,そのプロダクトについての質疑応答のようなテストが無い限りはそのプロダクトの本当の著者が誰かは教員が採点するときにはわかりません。ChatGPTを使ったのかどうかも,教員がコントロールできるものではないと私は思います。だからこそ,実際に授業をしている教員に確認するのが最も重要だということです。

というのが回答です。例として挙げていただいたライティング課題の話だと,どれも「チート」と私は思いません。テストや課題のcheatingはもっと悪質性があるものだと考えています。質問者様の「チート」の使い方や意味と,私がその単語をどう解釈しているのかにズレがあると,そもそもやりとりが噛み合わなくなります。したがって,以下では挙げていただいたライティング課題の例で,1から3の行為をしても良いかと学生に聞かれた時に私はどう答えるのか,という点で書きます。

したがって,「Tamさんはなんでも活用できるなら時場合に応じて活用すべきだとお考えだと思いますし、ChatGPTの機能を目的によっては活用することができる点もたくさんあると思います。しかし、現在大学においてChatGPTの使用に関するガイドラインがなく、これから課題のエッセイ、レポート、またプレゼンの制作などにおいてChatGPTをどの程度使用していいかわからず、tamさんのご意見をいただきたい」という部分については,以下をお読みいただいても回答はありません。

どんな力を身につけるための課題なのか

まず大事なことは,その課題を通してどのような力を身につけることが意図されているのかということかと思います。ツールを利用することも含めて能力であるとみなすのか,その個人が持つものだけをその人の能力であるとみなすのかによって,ツールの利用に対する考え方も変わってくるでしょう。私はツールが使えることも,ツールを使わなくてもできることも,どちらも大事だと思っています。よって,ツールを使うことを認める場合や,積極的に推奨する場合でも,それなしでも同じようなパフォーマンスができることを目指してもらいたいと学生には伝えています(目指すだけでそうなれとは言ってないところがポイント)。

アカデミック・ライティングに限って言えば,その「頂上タスク」と呼べるような目標は,エッセイやターム・ペーパーを書くことであったり,あるいは学術論文を書くことであると思います。そのような課題に実際に英語学習者が取り組む際に,実際には一切のツールの利用が制限されるわけでもありませんし,むしろ使えるリソースは何でも動員して言語面のクオリティを上げることが良いとされているはずです。ライティング・センターのような場所でアドバイスを受けたり,学術論文であれば専門の業者に校閲を依頼することも一般的です。そこを目指していると考えれば,ツールを利用することを制限するよりはむしろ,どうやってうまく使いこなせるようになるのかを教えることも目標に近づくための手段としては何も不自然なことではないでしょう。

ただし,そうしたツールがない状態ではエッセイを書くこともままならないのであれば,質の向上の見込める最大値はリソースを総動員しても低いままだと思います。結局は,どういうものがいいエッセイ,いいターム・ペーパー,いい学術論文であるということがわかっていなければいいものが書けませんし,そういうことがわかるために,そしてそれが自分でも一定程度の水準でできるようにするために必要な(リソースなしでの)英語力は身につける必要があるだろうなと思います。

カリキュラムにもよりますが,ツールなしでのライティングも継続的にやっていくことは,ツールがある場合とない場合の差に自分自身が常に自覚的になれるのでやってほしいところですね。英語力とかどうでもいいし,別に単位だけもらえればそれでいいんですという人は,そもそも大学の授業でもらえる単位がなんらかの知識や技能を習得したことにより得られるものであるという感覚もないと思いますので,何でもやっていいんじゃないかと思います。質問者様はおそらくそういう方ではないからこそこうして長文の質問を送ってくださっているのだと思いますが。

形式面の質向上のための利用

1や2はGrammarlyやQuillbotなどのライティング支援ツールを使うのとあまり変わらないと思います。私はこれらのツールをライティングの授業で使うことを推奨しているので,ChatGPTを言語の形式面の質を上げるために使用することを認めないということはないでしょうね。

ただし,私が今年度秋学期に担当していた1年生向けのアカデミック・ライティングのクラスでは,14週目にそうしたツールなしで制限時間付きのエッセイライティング課題を授業内で行いました。ほとんど全ての学生は,その際にツールがないと自分の語彙や文法の知識が圧倒的に不足していてライティングを満足に行えないということを強く感じていたようで,テストの振り返りや学期末のポートフォリオでもそのようなコメントが多くみられました。

ツールを使いこなせばそれなりのものが作れるというのも私は能力であると思っていますが,standardized testなどで測定されるようなproficiencyはそういうものではないので,そこを伸ばしたいと思えばツールを使わないようにしてみるというのも一つの方法なのかもしれません。

内容面のサポート

3についても,Googleで検索して見つけた記事の内容を用いるのとやっていることはあまり変わらないと思います。ウェブ検索を禁じる人はいないと思いますので,3の意味での使用も認めないというのは難しいかなと思います。ただし、ウェブ検索の場合は検索の過程で情報を探し出す,たどり着いた情報を吟味する,得られた情報を取捨選択する,などのような能力が必要となります。こうした能力を重視するのであれば,それはChatGPTではなくウェブ検索でやってもらいたいという意見もありうるかなと思います。

もちろん,ChatGPTの場合も,提示されたものが本当に自分のエッセイにフィットするかどうかを吟味し,提示されたのが複数あればその中から選ぶ必要は出てくるでしょう。しかしながら,ChatGPTに聞く時点で情報はかなり絞り込まれていますので,ウェブ検索で自分の得たい情報を探し出すスキルはChatGPTを使う際には必要ないでしょう。さらに,ChatGPTは平気でそれっぽい話をでっち上げることもあるので,存在しないデータや調査を提示してくるなんてこともあるかもしれません。そうしたことが起こったとしても,それをまたウェブ検索で確かめれば良いという見方もありえますが,それなら最初からウェブ検索で良いのでは?と思います。

辞書は使って欲しい

話を1に戻しますね。1については,辞書は使って欲しいなと私は思います。辞書の例文で確認した上で,自分の判断についてChatGPTの意見を求めるという使い方はいいのではないでしょうか。ChatGPTにどのようなプロンプトを入力するのかによって答え方も変わってきますが,辞書は意味や例文以外にもコーパスのような頻度の情報であったり,文法的な補足が書かれていることもあります。そういった情報に触れる意味でも,辞書は使わない,もうChatGPTでOKというようにはなってほしくないかなと思いますね。少なくとも今の時点では。

理由は理解した上で修正や提案を受け入れる

2の中で文法はともかく構成については,教員が求めるものとChatGPTが出してきたものが必ずしも一致しているとも限らないので,そこは理解しておく必要はあるかなと思います。使用している教科書や題材,エッセイであればエッセイのスタイルなどによって,構成が変化する部分もあるでしょうし,教員が独自に重要視している部分もあるかもしれません。例えば,私は典型的なfour/five paragraph essayにおいて,イントロのthesis statementにボディで言及する内容が含まれているかどうかを重視しています。理由を述べる際に, I believe that this change is necessary because of the following three reasons. のように書くよりは,その3つの理由を簡潔にまとめて,because of A, B, and Cのようにするほうがボディとのつながりが強くなり,結果として読み手にとって内容が理解しやすい文章になるからです。そういうことまで考慮した上で,提示された修正や提案を受け入れるかどうかを判断できるのであれば良いと思います。

また,文法(というか文レベルの話)についても,例えば,「こちらのほうが読みやすいのでこうしたほうが良いです」という理由で修正がなされたときに,その読みやすさは何によってもたらされているものなのかを考える必要があると思います。あるいは,「確かにこっちのほうが読みやすいな」という感覚のようなものを持てているかどうか。そういう判断ができないなら,「使いこなしている」とは言えないでしょう。

おわりに

これは結構いろんな意見の人がいそうですよね。大学がガイドラインを作るっていうようなものでもないかなと個人的には思ったりします。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

大学教員だと仕事とプライベートな時間との分けかたが難しそうな印象がありますが…

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画。質問は以下です。

大学教員だと仕事とプライベートな時間との分けかたが難しそうな印象がありますが、授業準備、研究、趣味、家族など、職場以外での時間の割り振りはどうされていますか?

回答

まず質問を読んで最初に思ったことは,何を聞かれているんだろう??です。仕事とプライベートの時間の使い分けを聞かれているのだと前半部分を読んで思ったのですが,後半部分は「授業準備、研究、趣味、家族など、職場以外での時間の割り振り」です。「授業準備,研究,趣味,家族など」の「など」は授業準備と研究と趣味と家族が等位接続されているという理解で間違ってないですよね?そして,それが「職場以外での時間」の例として挙げられているということですよね?授業準備も研究も職場以外でやるってこと???と。あるいは,「授業準備,研究,趣味,家族など職場以外の時間」,ということで読点の位置が不自然に入ってしまったのでしょうか?だとしても,趣味も職場以外の時間ですしね…。「授業準備や研究と,趣味や家族などの職場以外の時間」と書かれていたら,すんなり理解できるのですが。こういうところで引っかかるのって私だけなんでしょうか…。

さて,前置きが長くなってしまいましたが仕事とプライベートの時間の使い分け,ということだという前提での回答です。大学教員といっても勤め先の大学によって,また学部によっても全然働き方が違うと思いますので,あくまで私のケース,ということで以下お読みください。

プライベートの時間

私は就職して1年目は仕事とプライベートの境目とかなかったです。土日も仕事するのが普通で,プライベートよりもとにかく仕事仕事って感じでしたね。というか,授業準備とか,学内の様々な仕組みに慣れるのに精一杯でした。2019年度からは,ガンバ大阪のサポーターデビューをして,サッカー観戦という趣味を作ることによって,強制的に仕事をシャットアウトするようにしました。そうでもしないと常に仕事のことを考えてしまうし,それは健全ではないとわかっていたので。

その後,2020年度はコロナになって,在宅ワークの時間の時間が圧倒的に増えましたよね。おそらく多くの人にとってそうだったのだと思います。それ以降は,また仕事とプライベートの垣根がなくなったってしまった感じがします。1年前に引っ越してリビングに仕事スペースがある今の環境だと余計にそう思いますね。私は結構環境を変えることで自分のマインドを切り替える性格なので,2020年度の完全オンライン授業の時期などは,通勤時間がかかったとしても研究室に行ってそこからオンライン授業をしたり他の仕事をしたりしていました。

大学院生のときも,アメリカにいたときは結構自宅でやってたような気もしますが,それは勉強机を部屋に置いていたからです。名古屋に住んだ4年間のうちのほとんどはローテーブルしか置いていなかったので,家で作業した時間はほとんどなかったですね。大学受験のときも,わざわざ1時間くらいかけて河合塾の自習室に通っていたと思います。

研究の時間

あとは,研究とかプロダクティブな仕事をどういう時間でやるのか,これは研究者で悩んでいない人はいないのではと思います。結局,時間に余裕ががあるときにやる,とか,そういうのは絶対にうまくいかないっていうのは人の話や本を読んでも,自分の経験としても理解できています。時間に余裕があるときってほとんどないからですし,その時点ですでに後回しになってしまってるんですよね。

やっぱり,時間を決めてやるしかないですよね。幸い,平日のうちの1日は研究日として授業や会議のない日があるので,その日に研究をする,という人が多いのではと思います(大学教員で研究日の設定がないのだとしたら,そういう場所をいい職場だと思うことは絶対にないので研究日がある環境に移ったほうが絶対にいいと思います)。ただ,その日に溜まった家事をやったりとか,そういう風になってしまうこともありますよね…。

私は2023年度からは自分の研究日に非常勤に行くことになったので,研究日を活かす,というのとは別の方法が必要になります。実際に年度がスタートして,生活のリズムがつかめないと,どういう時間の使い方がいいのかわかりませんよねおそらく。手探りでやっていくしかないのかなと思っています。というか,5年間同じ職場に努めていても研究日が変わったり担当の科目が変わったり,時間割も変わったり,所属している委員会も変わったりと色々な変化が毎年あったので,正直に言って未だに固定された自分のやり方みたいなのは見つけられていないかもしれません。おそらくですが,そういった変化に影響されないような方法を見つけないといけないのだろうなと思い始めています(気づくのが遅い)。

そんな中でも,私が割と気に入っているというか,自分にとってあっているかなと思っているのは,授業の前の時間を使う,です。これも1限の授業が多くあると,かなり早起きしなければいけないので朝にそこまで強くはない私はなかなか難しかったのですが,例えば,2限から授業の日は1限の時間を研究に使う,というような感じです。私は基本的に授業の日は授業開始時刻の1時間前に職場に着くのを目安にしています。関西大学は1限が9時からなので,8時くらいにオフィスに着くイメージです。よって,2限の日に8時に研究室に着けば,2時間は集中して作業ができます。これが,例えば,1, 2限は授業で午後が丸々空いている,みたいな日だと,午前で結構疲れ切ってしまって午後に頭を使う仕事がなかなか捗らないんですよね。また,2, 4限とか1, 4, 5限のようにのように空いたコマがあるときも,その空いたコマに研究のことを考えるというのは私はあまりうまくできません。

来年度は,久しぶりに午前に授業がない曜日,つまり自分の授業がすべて午後にある曜日があるので,午前を研究に活用するようなスケジュールを組めるといいのかなと思っています。あとは,念願の自分の書斎(1.5畳)を手に入れることができるので,家にいても「仕事モード」に切り替えやすくもなるのかなと思っています。

「割り振り」という観点

最後にですが,時間をどう作るかではなく,「割り振り」つまり配分という観点で考えてみます。着任してから3年間は,授業準備にものすごく時間をかけていたと思います。最初の1, 2年はたとえ同じ授業であったとしてもまだまだ1年目でそこまで授業のスタイルが確立できていたわけではありませんでしたので,2年間終わってようやくこれである程度授業準備が楽になるかなと思っていました。そこにコロナがやってきて,今までやってきたこととはまったく違う授業をしなければならなくなりました。2021年度もまだまだコロナ前と同じように授業はできていませんでした。今年度になってようやくほとんどコロナ前変わらない授業ができているかなと感じ始めています。ただ,来年度からは非常勤含めて新しい授業(すべて語学以外の授業)が5つあるので,また授業準備に多くの時間が必要になる時期になるだろうなと思います。

あとは,質問者様のあげてくださったものの中には入っていませんが,委員会業務も地味に大変ですね。大学教員の仕事には所属組織の運営というものもありますから,外からは見えにくいですが色々仕事があります。また,私のこれまで経験してきた業務は仕事の波があることが多く,ある特定の時期に多くの仕事をこなす必要が出てくることが多かったので,その時期は本当に大変な思いをしました。そして,今年度からは所属組織のみならず学会運営の仕事(LET関西支部の事務局の仕事)も入ってきててんやわんやです。

体感ではここまでで40~50%くらいですかねぇ。あとは研究,趣味,家族が10~20%ずつくらいっていう感じかもしれないです。ただ,数ヶ月前に同棲をし始めて,二人の時間は増えたと思います。もちろん忙しさの波があるので難しいこともありますが,できるだけ二人で料理をして食事をする時間を作ることを意識しています。義務感というよりも,その時間が幸せなので,その時間を大事にしたいという気持ちです。あとは,今はJリーグがオフシーズンなので,サッカーに費やす時間が減っているというのもあるかもしれません。

研究の時間もっと増やしたいよなぁという気持ちはあります。ただし,私より遥かに多くの仕事をこなしていて,なおかつ研究もやっていて,という私より年上の先生方も見ています。そうすると,自分の頑張りは足りないなと思うこともあります。1年前くらいは,そのことに対して,つまり,周りと比べて自分に対してネガティブな思考に陥ってしまっていました。カウンセリングに通い続けて,そういう思考からは少し解放されたんじゃないかなと思います。自分は自分のペースで成長はしていっているはずだし,目の前に立ち現れる壁を少しずつ乗り越えていくことだけに集中して,それを繰り返していけばいい,と今は思っています。

具体的な目標とか,数字とか,そういうのはあえて設定せずに,とにかくやり続けること,やめないこと,そういうのを色んなところで設定しています。運動もそうですね。何キロ痩せるとか,体脂肪率をどれくらい落とすとか,週何回運動するとか,どれくらいの強度の運動ができるようになるとか,そういうことを考えるのはやめました。運動をやめない,運動を続けること,それだけです。そうやってしている方が,結局は自分は長く続けることができるなと思うので,研究についてもそうなんじゃないかなとなんとなく思っているという感じですね。

おわりに

なんだが質問に答えるうちに内省がどんどん活性化されて色々と書いてしまいました。私に質問されたい方はお気軽にどうぞ。質問への回答で,さらに気になることがでてきたら「関連する質問を送る」ということもできます。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

修士課程でやっておけばよかったと後悔していることはありますか?

はじめに

Querie.meで頂いた質問に回答を書いていたら少し長くなってしまったのでブログ記事にしてしまおう企画。いただいた質問はずばりタイトルです。

回答

たくさんありすぎます。学部のときにやっておけばと思ったことも,博士後期のときにやっておけばよかったと思ったことも,どれもたくさんあります。

たぶん,そのときにどれだけ一生懸命何かに取り組んでも,あとあと,「あれやっておけば」っていうことって絶対出てくると思います。逆に,「あれやっておいてよかった」と思うことも同じかそれ以上にあるんだと思います。
大事なことは,何歳になっても自分が知らないことを知ろうと努力することで,今,自分の与えられた環境で,がむしゃらに学び続けることなんじゃないかなと思います。それができる人のことを私は尊敬していますし,私の理想もそういう人間です。

修士課程に在籍している方が質問者の方だったとしたら,「今わたしは何をやっておくべきでしょうか?」という質問なのかもしれませんね。あまり答えになっていないかもしれませんが,とにかくできることは何でもやっておいたほうがいい,というのが私の答えかなと思います。これさえやっておけばいいというのもないでしょうし,これはやっておかなくてもいいというのもないと思います。やっておいたほうがいいこと,なんていうのは,わかりません。何がどう未来に役に立つかなんてわからないので。

ちょっと昔話

このブログでも何回か書いているような気もしますが,少し昔ばなしを。

学部時代

学部時代は,正直あまり真面目に勉学に取り組んでいた方ではなかったです。自分の興味あることについては一生懸命に取り組んだ思い出もありますが,日本の大学の修士課程に進学する人たちが入試のために勉強するようなことは私は恥ずかしながらほとんどせずに修士課程に入りました。そのくらいの時期にTwitterを始めて,たくさんの人たちと交流するようになり,私は恐ろしいほどに知らないことがたくさんあると感じました。修士課程のときはとにかく本も論文もたくさん読もうと努力していましたが,じゃあどれだけ読んだら後に後悔しなかったのかと思うと,たぶんどれだけ読んでいても後悔しないことはなかったんじゃないかなと思います。

いま振り返って,学部の1年に”A Student’s Introduction to English Grammar“と格闘していたこと,3・4年次のゼミで”Thinking Syntactically“を読んだこと,学部の先輩にそそのかされて,4年次に別の学部の統語論の授業を受けに行っていたりしていたことなどは,やっていてよかったなぁと思うことですが,それよりもたくさん,もっと学部のときに勉強しておけばよかったと思うことはあります。一方で,学部のときにはなの舞でバイトしまくったことは確実に私の調理スキルを向上させましたし,そこで何度も二日酔いになったことでお酒との付き合い方も学びました。また,たくさん遊んだからこそ,学部卒業後はもっと勉強しようと思えるようになりました。その意味で,どんな経験も今の自分には必要だったのだと思います。

修士課程時代

特に,私は修士課程は実践よりのところでしたから,研究というところについては授業の課題だけでは不十分で,自分でたくさん読まなければいけないことも多かったです(当たり前ですけどね)。もちろん,demo lessonやteaching practicumなど,研究ベースの修士課程では経験できなかった多くのことが自分の英語教師としてのベースになっていることは間違いありません。また,私が修士課程への進学を決めたのも研究者を目指していたからではなく学校の英語教員を目指していたからだったわけで,その選択も後悔してはいません。もっというと,そういうバックグランドが逆に大学教員としての自分の強みにもなっている部分はあるかと思っています。

ちなみに,私の修士論文はタスク系の研究だったのですが,そのためにTBLT関係の論文や本をそれなりに読みました。ただ,それは自分がそこに興味があったからそうしていただけで,それが松村さんとの勉強会につながり,本の分担執筆をすることになり,教材集や教科書を作ることにつながるなんて思ってもいませんでした。

博士後期課程時代

そこから,学校の英語教員になることを諦めて博士後期課程に進学しました。その時は,D1でしたが1年弱研究から離れていたこともあって,修士課程の学生と一緒に授業を取りながら,自分の研究のことも考えながら,非常勤もやりながら,というような感じでした。自分がすごく夢中になってやったことといえば,Rくらいかなと思います。そのときは,ただただRで何かやるのがかっこよくて,Rを使って分析が色々できるようになりたくてやっていただけで,Rがこの先に必要になるからとかそんなこと思っていたわけではありませんでした。Nagoya.RというイベントでRのネタを発表するためにRのことを勉強したり,tidyrやdplyrなんかも出始め当初くらいから触っていました。そうしたら,Rのできる人というような見方をされるようになっていました。テクニカル・レポートなんかを書くようになり,先生から分析を頼まれるようになり,また勉強をして,そうこうしていたら学部で「データサイエンス」と名のつく授業を来年度から担当することになりました。名古屋大学という環境がそういうところだったのでしょうし,周りにいた人たちの影響はもちろんあります。

ただし,それは「Rやっていてよかったな」と思うだけで,もしタイムマシンで過去に戻れるとしても別に自分にあえて「Rやっといたほうがいいぞ」とか「LMEは絶対勉強しろよ」とか言わないと思います。他にも,自分が今知らなくて,もっと時間がある院生時代に勉強しておいたほうがよかったことなんて山程ありますが,そういうことも,その当時,それを勉強しなかったのではなくきっと他のことを勉強していたから知らなかったということだと思うようにしています。そして,そのときに勉強していたことは今の自分に絶対につながっているはずで,もし仮にそれをしていなかったらそれはそれで今のようなキャリアになっていたとも限りません。

だからこそ,「やっておけばよかった」と思ったときに,”It’s never too late to learn”という言葉を思い出して本を買い,そして積ん読になるんですね。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。