MicrosoftのSwayっていうアプリがなんかいいぞ

はじめに

ようやく自分の授業準備も少しずつ進められるようになってきました。気晴らしにメモがてらの記事を更新します。LMSの使い方をLMSで説明しちゃだめよなぁということを考えていて,なんかそういうときに簡単に資料作れないかなと考えていたら,Swayが良さそうという事がわかったという話です。Apple派の人はここでおさらばのようですね(嘘)。

LMSにLMSの使い方を載せるのはなぜだめ?

LMSにログインしてからの設定の説明等をLMSの内部に資料としてアップするっていうのは,LMSに資料ページがあるとやってしまいがちだったりするんです。ただ,実際に資料を見る側になると不便だよねという話です。

特に,多くの学生はスマホでLMSを開くことが多いでしょう。そのとき,スマホでLMSの資料を見ながらスマホで作業するってどうやるの?っていうことになりがちですよね。特に,LMSを複数タブで開いて作業するとエラーが発生する原因にもなるので回避しなくてはいけません。ということで,そういったマニュアルとか,参照するための資料はLMSの中にリンクを張って,外に飛ばすようにしたほうが健全だなと思います。

簡単なのは,Word等で文書ファイルを作り,それをPDFにしてクラウドサービスにアップロードし,その共有リンクをLMSに貼る方法です。これなら,リンクを開いたらLMSの外に一旦出ますので,マニュアルや参照資料を見ながらもとのLMSで作業することができます。

Swayがよさげ

ただ,マニュアル的なものってスクショの貼り付けがどうしても多くなるので,パワポだったりワードだったりで作るのって結構めんどくさいんですよね。そんなとき,勤務先の大学が契約しているOffice365のアプリの1つであるSwayというものを見つけました。

ブラウザベースのプレゼンアプリで,機能が限定されている分だけシンプルに作業できるなというイメージでした。実際に,Swayを使って作ってみた資料がこちら

インタラクティブな資料になるので,資料を見る側で,表示方法を変えることができるのがいいですね。歯車アイコンをクリックすると,縦スクロール,横スクロール,プレゼン資料という3つのレイアウトが選べます。プレゼン資料にすると,自動で勝手にアニメーションつけることもできます。デザインの種類はテンプレになっているものがいくつかあって,作るときに選ぶことになります。

新規作成時の最初は下記画像のような画面です。左上を見るとわかるように,プレゼンの内容をいじるタブとデザインをいじるタブに分かれてるのがいいですね。内容を考えるときは内容に集中でき,あとでデザインを考えればいいわけです。

最初にタイトルを入力したら,内容部分に入っていきます。見出し,テキスト,画像,のようなものが選べます。上記のマニュアル的なものを作ったときは,「PCでのやり方」と「スマホでのやり方」という見出しをつけて,その下にどんどん画像を貼り付けてキャプションをつけただけでした。

画像はCCで使えるものを検索してくれたり,YouTubeの動画を検索して挿入することもできます。ウェブベースなので共有して共同作業も楽にできますし,もちろん編集権限は与えずにリンクを共有すれば学生に見てもらう資料としても活用できます。

簡単な機能しか使ってみてないのですが,デバイスで閲覧すること前提の資料はもうこれで良いのではないかという気はしています。一応印刷もできますし,MS WordやPDF形式でのエクスポートもできるので,紙媒体で印刷して配布という場合にも対応はできそうです。ただ,もし最初から印刷前提であれば,履歴書,ニュースレター等のテンプレもありますのでそちらを使ったほうが印刷したときの見栄えがよくなるかもしれませんね。

おわりに

今回の記事では,MicrosoftのSwayというアプリを紹介しました。今の状況って,次から次へと新しいツールの紹介が流れてきて,結構食傷気味になったりすることもあるんですが,少なくとも僕がちょっとSwayを触ってみた感じだと,かなり直感的に資料を作れたので,WordやPPTよりよっぽど簡単にできるなと思いました。もちろん,細かいところ,かゆいところに手が届かないというのは凝ったことしようとしたら出てくるでしょうけれども,シンプルでいいという場合にはSwayで十分なんじゃないかなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

オンライン授業と対面授業の差分から見えるもの

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はじめに

こんな忙しいときにのんきに個人ブログなんか更新してる場合かと怒られるかもしれないですが,今このタイミングだからこそ更新したいと思った記事なので書きます。あるいは,「あれこの人躁状態かな」と思われるかもしれませんが,それでも書きます。

新型コロナウィルスの影響で,多くの大学が教室での対面式授業をやめて,オンラインで行う授業形態に移行することを表明してきています。その中で,大学教員も試行錯誤をしながらどうやって授業するか日々奮闘しています。この状況は,普段以上に自分の授業(スタイル)を見直すいい機会なのではないかという話です。

オンラインにできるものとできないもの

対面をオンラインに移行するとき,うまく移行できるものと移行できないものがあると思います。もちろん,実現できるツールの存在を知らなかったり,あるいはツールを知っていてもその使い方がわからないので,実はオンラインでも教室と同じようにできるという可能性もあります(注)。そうはいっても,どうしても教室の中でやっているようなことをオンラインではできないという場合もあるでしょう。そうした課題や活動は,対面だからこそできるものだと言えます。

オンラインでもできたらなぜ教室で?

授業の移行を考えたとき,わりと簡単にオンライン上でも同様の活動ができるということであれば,それって本当に教室の中でやる必要あるの?と問い直したいですよね。今までは教室で授業することが当たり前だったので疑う必要もなくやっていたけれど,これって教室に学生全員が揃っていて,前に教師がいて,リアルタイムで,という条件でやらないといけないことなのだろうか,と。

もちろん,例えばただの答え合わせ的な活動であっても,教室の中でやれば教師と学生のインタラクティブなやりとりから学びが生まれたり,あるいは他の学生の発言から学びが生まれることもあると思います。そうやって,何かしら学びの機会を確保しようという意図があるなら教室でやることにも意味があるでしょう。というより,教室の中で行うことに意味をもたせることができると考えたほうがいいかもしれません。

逆に,なんとなく当たり前のように教室でやっていた活動も,実はオンラインで同じような学びに置き換えられるのであれば,これからは対面授業であっても積極的にそのような活動は予習や復習としてオンラインでの授業外課題にしてしまっていいのかもしれません。

私個人としても,大学で教え始めてからは常にそういう意識でやっています。教科書に問題があり,それに学生が答える,というような活動はほとんどLMSに移行し,答えが必ずしもひとつに決まらない問題をベアやグループで考えたり,あるいは教科書の内容は理解した前提で発展的なタスクに取り組ませたりしています。

一方で,オンライン授業ではなかなかそうしたインタラクティブなペア・グループ活動をすることが難しくなります。しかしながら,発想を転換すれば,オンライン授業への移行が難しいなと感じる状況というのは,もしかすると自分の技術不足でもなんでもなく,教室という場に学生が集められ、そこで授業が行われるという環境を生かした授業を普段できているということを意味しているかもしれません。

そのことについては自信を持ちつつ,かといって「私はオンライン授業は無理です」と諦めてしまっては仕方がないので,教室での学びをどうオンラインで表現するかを考える日々になります。全く同じことをオンラインでやることは無理ですし,それは教員にとっても学生にとっても大きな負担を強いることになります。そこで大事になってくるのは具体的な課題や活動の移行ではなく,そこで学生はいったい何を学んでいるのかということなのでしょう。そうやって,具体的な活動を少し抽象的なレベルで捉えることができれば,実は一見まったく違う課題のようにみえるオンライン上での課題が対面授業の課題と同じような学びを誘発できるかもしれません。

おわりに

このように考えてみると,オンライン授業を考えるというのは,普段の課題や活動によって学生は一体なにを学んでいるのか,を問い直すいい機会にもなるなと思っています。実際は,こんなことを書きながら授業準備は一向に進まず先の見えない日々が続いているんですが。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

注:ただ,何でもかんでもツールでどうにかすればよいという状況でもありません。教員側が使うツールが多様化すればするほど,学生がそのツールの習熟に費やす労力が負担になるからです。

オンラインで語学の授業をする際に取り入れたい「やりとり」のためのSlack活用

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はじめに

新型コロナウィルスの影響で,オンライン授業を模索する動きがどんどんと広がっていて,ウェブ上でも様々な情報がシェアされています。この記事では,わりと多くの方が情報を共有してくださっていると思う講義型やゼミ形式の授業ではなく,(大学における)語学の授業を前提としています。その中でも対面授業では積極的に学習者同士のやりとりを取り入れていたのに,オンラインでそれをどうしたらいいのかわからない…という方のための参考になればと思い,こうした授業をオンラインに移行する際のSlackの活用法を,私の経験をもとにかなり具体的なレベルまで踏み込んで紹介してみようと思います(結構長いです)。

先に言っておきますと,所属先のLMS等で学習者同士のやりとりをさせやすいものが整っているという場合は以下お読みいただかずにそちらを利用される方がいいと思います。私の所属先のLMSではかゆいところに手が届かないと感じているので,Slackのほうが私のニーズに合っていると現時点では感じているというわけです。

前提

同期型の授業を考えれば,Zoomでグループごとに活動させる方法などもありますが,同期型の授業や動画配信型の授業では,通信量の負担という点での懸念が各所であがっています。そこで,非同期型(もちろんリアルタイムチャットのように使えば同期型とも言えるかもしれませんが)で学生同士のやりとりを授業の中に取り入れようというのが出発点です。

想定としては,授業のすべてをSlackで行うことは考えていません。課題の提出&管理,Q&A形式の課題(リスニング・リーディング素材の内容理解確認問題や単語テスト等)についてはLMS等を活用し,やり取りの部分についてはslackで行うというように考えています。学生側からすれば,複数の媒体に分散された課題を行うことや,他の授業と互換性のないアプリケーション(slackを他の授業でも使っていれば別ですが,そうではないだろうと想定)の使い方に習熟するというのは,とくに1年次の学生にとっては負担が大きいかもしれません。後述するその他の懸念事項も考慮に入れて,それでも学生のやりとりを授業に取り入れることのメリットのほうが上回ると考えられる場合にはSlackの導入を検討するのがよいと思います。

Slackとは

Slackとは簡単にいうとワークチャットアプリで,ワークスペースという単位で運用していきます。そのワークスペースの中に,トピックごとにチャンネルを作っていくという仕様です。チャンネルは,全員が参加可能なものと特定の人だけが参加できるチャンネルの両方が設定できます。また,チャンネル内ではスレッド形式での対話が可能です。この点が,LINEなどとは異なります。LINEでは,返信機能もありますが,基本的にはメインのタイムラインにすべてのメッセージが流れます。一方で,Slackのスレッド機能は,メインのタイムラインに流すか否かを選択できます。よって,メインのタイムラインにも投稿しないようにすれば(これがデフォルト),ペアまたはグループごとのやりとりでタイムラインが埋まることはありません。

チャンネル内でのやりとり以外に,メンバーは個別またはグループのDMもできます。DMでのやりとりは,基本的にDMをやりとりする人以外は見れないようになっています。

Slackの利点

ペアリングやグルーピングが簡単

ペアやグループでやりとりをさせるためには,まずはペアやグループを作る必要があります。私の所属する関西大学では,webclassというLMSが導入されています。このLMSにも,チャット機能や掲示板機能が実装されているので,それを利用することでLMS上でやりとりさせることもできます。ただ,チャット機能を使う場合にはペアやグループごとにチャットルームを作る必要があるので,教員側は手間がかかります。また掲示板機能は全員参加で個別に返信機能を使っていけば,ツリーができていくので個別のやりとりも可能ですが,表示されるのはメインのタイムラインなので少しみづらさがあります(少なくとも弊学のシステムはそうというだけで,LMSでやりとりさせる便利な機能があるならSlack導入の必要はないと思います)。

Slackには,様々なbotがあり,その中にはdonutというものがあります。これをワークスペース内に入れることで,ランダムなペアやグループを自動で作成する事が可能です。もともとは社内コミュニケーション促進のためのボットで,ペアになる人にDMを送信して,「あなたのペアはXXXです。コーヒーでも行ったらどうですか?」とか送ります(英語です)。デフォルトではチャンネル内のすべてのユーザーが含まれるため,監理者(教員自身)も含まれてしまいます。設定で自分がペアリングから外れるようにしないと「え。なんで私先生とペアなの」となってしまうので注意が必要です。ペアリングの人数は2人,3人,4人と設定ができ,2人で割り切れない場合は3人のグループも自動で作ってくれます。ペアリングをアナウンスする日時の設定と繰り返しの設定もできます。私の場合,毎週決まった日時(授業開始の30分前)にアナウンスするようにしています。あまり前もって(例えば数日前とかに)アナウンスするようにしてしまうと,誰とペアかを忘れてしまったりということがありえるので直前にしています。

donutでペアリングする際の注意点

これまでは,Slackを対面授業と合わせて私は使っていました。つまり,donutでペアリング->授業内でペア活動->授業外課題として同じ相手とSlack上でペア活動という流れです。そのため,学生によっては自分でDMをチェックせずに教室に来てから「俺の相手のひと〜?」と言ってペアを見つけたりするので,未開封DMが溜まって「先生,今週のペアがわかりません」とかなるケースも多くありました。これについては,DMは毎週開くように指示することが必要です。また,Slackのスマートフォンアプリでは,DMはぱっと見では時間しか表示されません。よって,複数のDMが未開封の状態だと最新のものがわかりづらくなります。このため,日付を確認するには一度タップしないといけないことは指示が必要になります。この点は,対面授業と合わせて使う際の注意点にはなるので,すべてオンラインの場合はそこまで気にする必要はないかもしれません。

もう一点注意が必要なのは,教員は誰と誰がペアリングされたかがわからないところです。そのため,学生が「自分の相手が誰かわからない」というときに,教員が調べることができません。質問してきた学生に対して,DMを確認させる(DMの見方を指示する)ことしかできないので,基本的なSlackの使い方については別途資料を用意するなどの指導が必要になります。

さらに,対面授業でやるようにペアやグループをダイナミックに組み替えるようなことはできないという点にも注意が必要です。対面授業では,ペアとペアをくっつけてグループにしたり,ペアを組み替えてやりとりさせるようなこともありますが,donutでやろうとすると(仕組み上できなくはないですが)逆に混乱を招く可能性が大きいと思います。これはオンラインでテキストチャット形式のやり取りをする際にはどんな場合でも起こると思いますので,割り切って1回分の授業では相手を固定するのがいいかと思います。

具体的なペア・グループ活動のさせ方

donutでペアリングができていて,学生は誰とやりとりすればわかっているという状態だとします。この状態で,チャンネルにディスカッションクエスチョンのようなものを教員が投稿します。学生はそれを見て,そのお題を自分のペアとthread形式でやりとりしてもらいます。こうすることで,教員はトークテーマをポストするだけであとは学生にテキストチャットのやりとりをしてもらい,場合によっては教員も介入してフィードバックを出したりしていきます。

“/remind”のコマンドを使えば,日時指定の予約投稿も可能なので,時間があるときにまとめて予約投稿しておくこともできます。これは非常に便利で,決まった時間にslackに手動で投稿する必要がなくなります。基本的なコマンドの使い方は,

/remind [@人] or [#チャンネル名] [what] [when]

です。例えば,#Pair-talkというチャンネルに,4月20日(月)午前10時に課題のアナウンスをするとします。その場合,

/remind #Pair-talk “Based on the listening section on page 8, please talk about what Mike should do. The deadline is at 9AM, Monday, April 27th. Note that you should tap “start a thread” and then talk to your partner” at 10AM Monday, April 20

のようにすると,指定された日時にチャンネルに投稿されます。日時の指定をして,いつまでに終わらせないといけないのかも一緒に投稿しておくといいでしょう。コマンド名からわかるように,もともとはリマインダーを出すためのコマンドですので,締切日の朝や前日夜等に課題やってない人はやるようにといったリマインダーを流すこともできます。

上記のように,ただ話してねだけの指示だと,経験上1ターンとかで会話が終わってしまい,「やりとり」にならないことがたくさんあります。そこで,「最低でも10ターンはやりとりして,それで参加点○点,それより続いたらその分は加点する」,等の仕組みにしたほうがいいかもしれません。普通教室内では,時間で区切ることができますが,授業のようにリアルタイムでやりとりすることを必須としない非同期型であれば,そのような区切りはできません。この点は,もっと具体的に,「質問されたら必ず答える,答えたら追加で1つ質問をする」,というようなルールを設けることも考えられます。また,”You mean….”, “You’re saying that…”のように相手の意見をまとめたり,相手の応答に必ず自分も反応することなども指導することも考えられます。

また,会話を始める際にはペアの相手に必ず@でメンションをつけるようにすると,相手に通知がいくので問いかけに気づかないということを未然に防ぐこともできます。

ペアのどちらが先に書き込みするかについても,決めておかないと投稿が重複したり,あるいはお見合い状態になってしまう可能性もあります。私が導入していたのは少人数クラスだったので,この問題はあまり起こりませんでしたが,人数が多いとこの問題が発生する可能性もあります。後述のように自己紹介をマストにさせ,その中に誕生日を必ず書くように指示して誕生日の早いほうが必ずやりとりを始める,のようにルール化したり,あるいはDMでまず個人的にやりとりして,「じゃあ俺が先に書くね」と学生に決めさせるというのも可能かもしれません。

チャンネルの分け方

これは授業の形態や,あるいは教科書がどのような仕様になっているかにかなり依存してくるかと思います。同じチャンネルで複数のタイプのペア活動を投稿させるのであれば,ワークスペースは1つで,1クラスにつき1つのチャンネルでもいいかもしれません。たとえば,”Tamura’s Class”のようなワークスペースの中に,#Monday3 #Wednesday1のようなチャンネルを作るという発想です。この際に注意が必要なのは,Slackはデフォルトで#generalと#randomというワークスペース内全員が参加するチャンネルがあるということです。前述の例でいう#Monday3と#Wednesday1が同じ科目であれば,授業の内容も同じであることが想定されるので同じ連絡を流すのに便利ですが,もしも違う科目を受講している学生が同じ#generalというチャンネルにいる状態だと,全員が参加しているチャンネルの存在は混乱を招くかもしれません。

また,活動の種類ごとにチャンネルを分けたいという場合には,1つのクラスで複数のチャンネルができることになるので,この場合にはクラスごとにワークスペースを作るほうがいいのかもしれません。pre-task段階におけるペアワークは#pre-task,post-task段階におけるペアワークは#post-taskというチャンネルに投稿させるというイメージです。このように,活動ごとにチャンネルを設定しておけば,チャンネル内での指定期間内での投稿回数や投稿語数で評価もできると思います。

Slackのチャンネルに書き込まれたものをエクスポートする方法については,以前書いた記事を御覧ください。

上記3つのブログ記事では語数のカウントをしていますが,投稿回数を数える場合にはユーザー名が何回出てくるかを数え上げるようにすれば可能です。

懸案事項

slackの使い方

これについては,チュートリアル動画を作る,詳細なハンドアウトを用意するなどして対応する必要があります(注1)。私が授業で導入した際には,対面でも対応できたので以下のように簡単なものしか提示しませんでした。

Slackに参加する方法
 先にslackアプリをDLしておく(おすすめ)
http://bit.ly/XXXXXXX
 またはQRコードからアクセス
 メールアドレスを入力(関大メールまたは自分がよくチェックするもの)
 メールを確認し,”Confirm Email”をクリックまたはタップ
 英語で実名フルネームを入力(例:Yu Tamura)
 パスワードを作成(6文字以上)
 Privacy Policy と Cookie Policy に同意(I Agree をクリックまたはタップ)
 Preview画面が出てくるので,Joinする
 注意点
 上記の招待リンクは今月末で期限切れとなります
 忘れないようにこの授業中に必ず参加をするようにしてください
 通知設定は,モバイルでは任意のチャンネルを開き,右上の…が縦になったところをタップ→一番下のsettings→Notifications で変えられます(または,チャンネルごとに設定するときはそのチャンネル表示画面 でチャンネルをタップ→Notifications にいくと,そのチャンネルだけの Notifications を設定できます)

Slackの招待方法は様々なもの(メール送信,リンクのシェア等)がありますが,私はリンクを共有する方法を使っていました。同じワークスペース内に2つのクラスのチャンネルを作っていましたが,招待する単位はワークスペース単位なので,金曜1限の学生は金曜1限のチャンネルに,金曜2限の学生は金曜2限のチャンネルに入る必要がありました。これを管理するためには,デフォルトで参加するチャンネルの設定を変更する必要があります(PCから操作します)。

このときは,対面授業でしたので,金曜1限の授業の前には,デフォルトを#general, #random, #Friday1にしておき,金曜1限の学生は授業内に参加手続きを終わらせるようにしました。その後,金曜2限の前にデフォルト設定を#general, #random, #Friday2に変更することで,金曜2限の学生と金曜1限の学生が混ざらないようにしました。もちろん,授業を欠席した学生もいたので,その場合には個別対応でチャンネルを移動させたりしました。こうした手間を考えると,ワークスペースを分けるほうがいいかもしれませんね。ただ,担当しているコマ数が多くなればそれだけで膨大な数のワークスペースの管理をしなくてはいけないので,そういった状況ではそもそもslackの利用はあまり推奨できないかもしれません。難しいところですが,slackの利用を最小限にして,ワークスペースは1つだけにする(1クラス1チャンネル制)のも選択肢としてありでしょう。その場合,学生がslackに参加する時間を科目毎に分けるように工夫して,前述のようにデフォルトの参加チャンネルをこちらで変更するのがいいでしょう。

ここまでで結構手間がかかりそうな感じもしますが,これ以外にも,チャンネルの利用方法,投稿時の注意事項などのルールは明確にしておく必要があります。私は,書き込みは基本英語(目標言語)のみにしていて,個別に相談事項や連絡事項がある場合には教員宛のDMで日本語はOKということにしていました。また,指定されたことについて書くのではなく,自由な書き込みをしていく授業外課題にしていたので,誹謗中傷や不適切な発言は厳禁というルールは明確に示していました。授業内の課題として扱う場合には,このあたりはあまり気にする必要はないかもしれません。

知らん人と顔を見ずにやりとり

懸案事項の2つ目は,現在の状況特有の問題です。本来であれば,毎週の授業で顔を合わせ,毎週のペアor グループの活動を通して徐々に学生同士の信頼関係を構築していくというか,仲良くなってもらうようにしています。ところが,対面授業を避けるあるいは一切禁止するというような流れになってきている現在では,学生が顔を合わせる機会がないことの影響はかなり大きいと思われます。とくに1年生の場合は,大学に入ってきて,右も左もわからない,知っている人もほぼいないという状況で,いきなりオンラインでランダムに割り当てられた人とのやりとりを強制させられることになります。これは,対面よりもむしろ心理的負担が大きいかもしれません。対処法として今のところは3つ考えています。

1.自己紹介

解決策になるかはわかりませんが,少しでも負担を軽減するために,全員が自己紹介するチャンネルを用意して自己紹介を投稿させる(そしてさらに3人にコメントすることを求めるようにする)ような課題を授業の最初の段階で出すことも考えられます。また,毎回ペアになる人の自己紹介は必ず読んで,「今週はよろしくね!」的な一言コメントを残すように指示してもいいかもしれません。習熟度によっては,このようなやりとりはすべて日本語にしてしまってもいいと思います。英語使用というよりも学生同士のつながりを作ることが優先事項ですので。

2.オリジナルアイコン画像の設定

2つ目は,できれば顔出しのアイコン画像の設定を推奨するようにすることです。SNSで自分の顔画像出している人はかなり少数派ですし,それがはばかられる理由も十分に理解できるのですが,デフォルトアイコンの人とはちょっと距離を感じてしまいますよね。自分の顔出し画像である必要はないのかもしれませんが,アイコンを工夫して話しかけられやすいように工夫することはコミュニケーションのハードルを下げることにつながると思います。

3.雑談チャンネルの設定

3つ目は,授業とは関係ない雑談チャンネルを用意することです。英語での書き込みに限定して,そこに書き込んだものは授業参加点に準ずる加点として扱うようにするなどの工夫もできるかもしれません。もちろん,日本語での書き込みで良いことにして,英語授業以外のことについて気軽に相談できる場所にするのもありでしょう。このような状況で大学に行けないとなれば,他の専門科目や教養科目の授業についてなどなど情報交換したいのにできないことはたくさんあると思います。それをみんなで共有できるようにする場所を作ることで,授業での活動のハードルが下がるかもしれません。このチャンネルは,教員も参加して教員-学生同士の交流を兼ねてもいいでしょうし,教員はチャンネルから外れて教員の目を気にせず学生に使ってもらうようにしてもいいでしょう。後者の選択をする場合にはより厳密に雑談チャンネルの使い方を示しておかないと,教員が予測していないような不適切な利用がされる可能性もあるので注意が必要です。

おわりに

本記事では,講義型ではなく語学の授業を想定し,その中でも対面授業で学生同士のやりとりを行うような授業スタイルをオンライン授業で行う際にSlackを活用できるのではないかということを書きました。もちろん,リアルタイムチャットとはいえ,教室でのやりとりとは全く異なるやりとりの形です。対面授業と全く同じものをオンラインでも再現しようと思うと,それは土台無理な話です。よって,対面授業とは異なるけれども,その中でも学習者同士がやりとりできる場を確保するにはどうしたら良いのか,という観点で授業の設計を考えることが大事だと思います。その際に,特に使い慣れていない方にはかなりハードルが高いかもしれませんが,Slackは一つの選択肢として語学の授業に活用できるのではないかと思います。私が見ている限り,現在ウェブ上にたくさん公開されているオンライン授業のやり方やツールの利用については講義型や少人数ゼミ形式の授業が念頭に置かれていて,語学の授業についてはあまり情報がないように感じたので,この記事が語学の授業を担当する方々の参考になれば幸いです。

他にもSlackを使われている方のご意見や,こんな使い方もあるのではという情報があればコメント欄にどしどしお願いします。私も実際に授業に実装することになれば,学生に配布するSlackの使い方を説明した資料等をこのブログにアップして共有できるようにしようと思っています。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

注1. Slackの使い方説明については,オンラインで同期型のチュートリアル的なことをやることも考えましたが,おそらく学生はスマホでそれを視聴することになります。そうすると,同じデバイスでSlackの操作をするので煩雑でしょう。全員がパソコンの画面を見ながらスマホ操作できるのであればまだしも,そうではない可能性を考えたらせいぜいが動画を挙げて見てもらうので良いのではと思っています。オンラインでのチュートリアルはわからなかった時にその場で聞けることだと思いますが,人数が多ければ一人一人への対応も難しくなります。資料は各自見てね,ということにしておいて,時間帯を決めてこの時間はリアルタイムでトラブル対応しますので連絡くださいってことでいい気がします。

2020/04/12 追記

donutは1つのチャンネルに24名以下でないと全員のペアリングがされないことがわかりました(今まで24名以下のクラスでしか使っていなかったので気づいていませんでした)。そこで,他にも同じようなことをしてくれるbotを探して,以下のようなものがあることがわかりました。

基本的な仕様は同じみたいですが,donutほど設定の融通が効かないですね。上記3つだとShufflが使いやすそうだなと思いました。

2020/05/06 追記

実際に授業でやってみての課題とかを書きました。こちらの記事もご参照ください。

Slackを授業で使ってみてわかった課題

祝100,000PV

気づいたらこのブログのpage viewが100,000を超えていました。2013年にこのブログを始めてから,100,000というのは1つ目標にしていた数字だったので嬉しいです。このブログをどんな形であれ読んでくださっている方々に感謝するとともに,これからも頑張ろうと思います。

私のブログ名は英語教育0.2で,「本家」英語教育2.0の1/10程度の認知度&影響力しかないんですが,細々とでもブログ記事を書き続けていてよかったなと思います。正直言って,ブログのアクセス数は年々伸び続けているわけではありませんので,そもそもブログというメディアの位置づけも5年前とは変わってきて,プラットフォームも移り変わっているのだなという気はします。でも個人的にはこのブログに愛着があって,そこに自分の考えを定期的に投稿していくことも自分のライフスタイルの一部になりつつあるので,簡単にやめたりはしづらいです。

ブログを書くことは自分のためにやっているところもありますが,だったらパーソナルな日記帳でいいわけで,やっぱりインターネット上で公開するということは人に見られたいと思ってやっているわけです。その意味では,訪問者数とかPVとかいうのは気にしたりしますよね。まだまだたくさんの人に読まれるようなクオリティの文章が書けるようにはなっていないので,私自身の文章力を磨くことも沢山の人に読まれるようになるためには必要だと感じています。

この機会に,私のブログ名等について簡単に。「英語教育0.2」は,英語教育2.0という先駆的ブログタイトルをもじっています。捉えようによっては揶揄しているように思われてしまうかもしれませんが,そういう意図はありません。2.0というのはweb 2.0からきていると思いますが,0.2ってもはやweb 1.0より時代遅れじゃないかと。そういうことです。単に時代遅れとか昔に戻すとかそういうことじゃなく,私はまだまだweb1.0にも遠く力及ばない未熟な存在であるという意味があります。というのはあとづけで,単にブログ名をTwitterで募ったときに出てきた候補の一つが英語教育0.2で,なんか面白い名前だからそれにしたというだけです。ちなみに,”Tamn it!”はもちろん”Damn it!”をもじっていますが,”Tamn it!”自体には特に意味はありません。ブログ名の候補に”Tamn it!”があったけど,ブログ名にするのはちょっとなと思ったのでサブタイトル的なところにつけているだけです。”なにをゆう たむらゆう”も同様で,ブログ名にするのはちょっと違うけど,なんかいつも使う締めの言葉としてちょっといいかなと思ったので,毎回記事の最後につけています。匿名でやっているブログではないので,名前を覚えてもらうのにもいいかなというのもありますしね。

というわけで,死ぬ前に1,000,000PV目指して今後も頑張りたいと思います。よろしくお願いします。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

ライティングにおいて文の数を制限するとどうなるか

はじめに

下記のanf先生のブログ読んで考えたことを書きます。今まであまり深く考えたことがなかったんですが,以前に自分が関わった研究と,高校ライティングの入試問題の形式って,直接的ではありませんが,つながるところがあるかもしれないなという話です。

2020年度埼玉県公立高校入試問題のライティング問題から読み取るメッセージ

ライティング問題における文の数の指定

上の記事中の中では埼玉県公立高校入試でのライティング問題で文の数の指定が近年では5文以上となっていたものが,今年度は3文以上という指定になったという話があります(それだけがメインじゃないんですけど)。一見すると,書かなければいけない文の数が減るというのは要するに求められる分量が減ったと捉えられると思います。ちょっと別の角度から文の数の指定を考えてみたら面白いかもしれないということを以下で考察してみたいと思います。

文の数の上限をつくるという発想

あくまで,入試問題での指定は,「◯文以上で」という最低ラインを示しているものです。つまり,3文はいいけど2文ではいけないと。これも「制限」ですが,文の数の制限は別のやり方もあります。それは,上限を設けるということです。文の数の下限を設けるというのは,ある一定以上の流暢さ(ここでは入試という限られた時間内である程度の分量が書けること)を求めているというメッセージになると思います。

一方で,同じ内容を表現するにあたって文の数の上限をつけるとどのようなメッセージになるでしょうか。これは1文の中にどれだけ節(または句)を埋め込めるのか,つまり,どれだけ複雑な文が書けるのかを見ますよというメッセージになるでしょう。もちろん,意識的に節を増やそうと考えることを求めているわけではありません。ただ,伝える内容が同じ時,文の数が減るというのは1文の統語的複雑さ(簡単に言うと1文に含まれる節の数が多いことや1文に含まれる語数が多いこと)が必然的に(そして意識するかは別として)あがることが見込まれます。

本当に節は増えるのか?

以前,大学生・大学院生を対象に以下のような研究をしたことがあります。

How Do Japanese EFL Learners Elaborate Sentences Complexly in L2 Writing? Focusing on Clause Types

論文の概要は以下のとおりです。

ライティングによる絵描写タスクを日本語を母語とする英語学習者に課し,その際に用いる文の数に制限をかけることで統語的に複雑な文の産出を誘発し,学習者がどのような節を用いて文を複雑に書こうとするのかを明らかにしようとした論文です。別途行ったエッセイライティング課題をライティングの熟達度として操作的に定義し,熟達度によって用いられる節の数が異なるのかも検討しました。結果として, 文の数が制限されることにより等位節,関係節,非定型節の産出が増え,これらの節は文を複雑にするために学習者がよく用いることが明らかになりました。また,非定型節は熟達度が高くなるほど多く用いられる傾向にありました。これらの結果に基づき,節の数や節の長さなどの指標を用いるのだけではなく,節の種類にも着目することで,学習者のライティングをより詳細に捉えられる可能性について論じました。

https://tamurayu.wordpress.com/2017/02/27/nishimura-et-al-2017/

この研究では,上限を決めるというより,6コマの絵描写を6文で書くよう指示した場合と,そのような制限をつけなかった場合を比較しています。したがって「◯文以内」という上限をつけたわけではありません。よって,上限をつけた場合も同じようなことが期待できるとは限らないという点には注意が必要です。

入試問題へそのまま応用できるというわけではないが…

文数の下限ではない指定という方法が,入試問題の形式として応用可能かというとあまりそうは思っていません。ただ,文数の制限という操作は必ずしも流暢さを引き出す目的ではなく,複雑さを引き出すことにも応用できるのではないかという示唆が上記の研究にはあると思っています。

課題として,それなりに内容的な分量を求めるように工夫すれば,5文以内という制限よりも短い文数で書くことを難しくすることはできそうです。それを例えば2文とかで書いていた場合には,内容的な点でのタスクのゴールを満たしていないということで減点することができます。そして,同じ文数でも…and…but…のように等位接続詞で文をつないでいるのか,Even though…,…のような従属節を使っているのか,the places where the students can learn…のように関係節を使っているのかで,文法知識の発達段階をみることができそうです。もちろん,節だけではなく,節を句で表すことができるかどうかというのも複雑さを上げるという意味ではポイントになります。ただし,特に主語位置でのnominalizationは文理解がしづらくなるので要注意と言われることもあります(https://owl.purdue.edu/owl/english_as_a_second_language/esl_students/nominalizations_and_subject_position.html)。

また,埼玉県入試問題のように,最低ラインがあるような場合でも,うまく比較できれば有益な知見を生み出すこともできるかもしれません。

例えば,3文という最低ラインの作文と,5文という最低ラインの作文を比較することを考えます。この時,もし産出される文数が減るのであれば,そのときに1文の統語的複雑さはどうなるのか,また,そのときにどのような手段で複雑さをあげるのか,というのは面白い観点になり得ます。もちろん,作文で求められる課題があまりにも異なっていると比較としての意味はなしませんが。

おわりに

この記事では,文の数を制限する(下限or上限)を設けるという操作と,それがどのような言語産出を誘発するのかということについて考えてみました。私はこの記事で,「複雑さ」とか「統語的複雑さ」といった用語を割とゆるく使いましたが,それが一体何なのか,そしてどういった指標でそれを捉えるのかといった問題は,それだけで本1冊が書けるくらいの研究領域になっています。よって,あまり安易にこの分野に足を踏み入れると危険ではあるのですが,文数の制限と言語産出というのは,教育的示唆にも繋げやすいかなと思うので,ライティングに興味のある院生さんがいたらぜひ掘り下げていってもらいたいなと思ったりもします。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

後輩の原稿を読んであげてほしい

はじめに

この記事は,主に現在大学院に在学していて,そして同じ大学院に(大きなくくりでの分野が同じ)先輩・後輩の関係があるような人(主に私の後輩なんですがそれ以外の人にも)向けで書いています。ただし,私が博士後期課程時代を過ごした環境はかなり特殊な環境だったので,どんなところでも実践可能なわけではないかもしれないという点だけご留意ください。

最近,発表や論文投稿などを意欲的に行っている後輩の話を聞いて,先輩が後輩の成果物が他の人の目に触れる前に見てあげるというようなことが私がいたときのようには行われていないのかなと感じることがありました。それはもったいないなと思うと同時に,きっといろんな要因があるかなと思うので,いくつか論点をあげてみたいと思います。

自分がどういう経験をしてきたか

私が所属していた大学院では,いわゆる講座制のような形で,ある研究室(ゼミ)に所属して,そのゼミのトップである教授のもとで研究を行っていくというスタイルではありませんでした。主の指導教官は決まっていても,その先生以外のゼミに出ることは当たり前に行われていて,縦と横の相互交流が非常に活発な環境でした。また,学生の自主性を尊重する土壌があったので,学生同士で縦に横につながって共同研究をすることもたくさんありました。一方で,先生主導で研究をやるということは私はほとんど経験しませんでした(別にこのことにまったく不満はないです念の為)。そうした環境だったからか,先輩が後輩の面倒を丁寧に見てあげるということも,明文化されないルールのようなものとしてありました。ゼミ発表前のレジュメチェックから,口頭発表申し込み前のアブストラクトのチェック,投稿論文のチェックなど,後輩は先輩にチェックをしてもらっていました。それだけにとどまらず,同期同士で見せあったり,ときには先輩(n=1)から読んでほしいと頼まれることもまれにありました。余談ですが,私が見聞きする範囲では,現所属先の研究科(厳密に言うと私は大学院の担当になっていないので私の所属は学部ですが)は人数もそこまで多くないのと,フルタイムの院生が多くないのでそういったことがあまり行われていないのかなと思いました。

後輩からしたら先輩にお願いはしづらい

普通に考えて,ただでさえ忙しそうに見える先輩ですし,自分の論文を読んでもらおうと思うのは躊躇して当然です。投稿論文はどこに投稿するかで長さは変わってきますが,それなりの量の論文をまず読んで理解しなければいけませんし,その問題点を指摘したり,質をあげるためのコメントをすることはそれなりに労力がかかることです。学年が近かったり,いつも行動をともにするような親密度があればハードルはいくらか下がるかもしれませんが,それでも後輩からは頼みづらいでしょう。

後輩の立場にある人に言いたいのは,先輩は忙しそうに見えるかもしれませんが,先輩だって後輩に頼られることは嬉しいことなので,勇気を出してお願いしてみてほしいということです。もちろん,締め切り直前に送るとか,「明日までにお願いします」みたいな無理なお願いはNGです。余裕を持って仕上げて,そしてある程度時間の猶予をもって「○○日が投稿の締め切りですので,○○日までにコメントいただければと思います」みたいな感じで依頼するのがいいでしょう。こうしたやりとりは1度ではなく,何度も繰り返せるのが理想的です。

先輩の立場にある人は,そういう後輩からの声のかけづらさを考慮して,積極的に後輩に声をかけてあげてほしいなと思います。「最近論文書いてる?」「今度の○○は投稿するの?」とか,そういう日常的な会話の中で後輩の事情を聞いてあげていれば,「実は今○○に投稿する論文を書いてるんです」みたいなことをもあるはずです。そうなったら,「投稿する前に送ってもらえたら読むよ~」とかって言ってあげれば,後輩が感じるハードルはぐっと下がるでしょう。

後輩の指導をするというのは自分のためになる

正直,自分が論文を書いていなかったら人の論文にコメントするなんてできませんよね。だからこそ,先輩は自分が論文を書いている姿を積極的に後輩に示してあげるとともに,自分が経験したことを少しでも後輩に還元できるようにしてほしいなと思います。もちろん,自分のことに使える時間を人のために費やすわけですから,めんどくさいと思ったりするかもしれません。ただ,私はこうしたことも次にあげる3点で研究者としての自分の成長に必ずつながると思っています。

1. 自分のこの先のキャリアで役に立つ

あまり将来の利益という観点で語るのは好きではありませんが,そういうことも2つあるかなと思います。1つは,大学教員で指導生を持ったとき。もう1つは,査読者になったときです。

普通,誰かの論文を見てコメントをするというのは指導生をもつ大学教員しかやらないような仕事だと思います。それを大学院時代に経験できるというのは,大学教員としてそのようなポジションについたときに間違いなく役に立つでしょう。また,論文をそれなりに書いていて,それなりに研究者として認知されるようになれば国内の学会誌であったり国際誌であったりの査読を頼まれることがあります。これも研究者の重要な責務の1つです。出版前の論文を読んで,論文の問題点,評価できるポイント,どうしたらもっと良くなるかを指摘するというのは,まさに査読者が行うことだと思います。研究者を目指すのであれば研究コミュニティへの貢献という観点でも良い査読者になったほうがいいに決まっていますので,人の論文を読んでコメントすることは査読者になるための練習でもあると思います。

2. 自分の論文を読む目線が変わる

1つ目のポイントは長期的な視点で役に立つという話でしたが,もちろん短期的にも人の論文を読むことの意味はあります。それは,人の論文を読むとより客観的に自分の論文も読めるようになるということです。議論の流れがちぐはぐなことに気づいたり,結果の解釈の問題に気づいたり,本当にいろいろなところに「論文を書く」ということに対しての学習のポイントが転がっています。そういったことは,出版された論文を読むだけ,あるいは自分で書いた論文を読み直すだけではなかなか経験できません。後輩の論文を良くするためには何が必要なのか,ということを考えることは,必ずや自分の論文を良くすることにもつながってきます。そしてこれは,いままさに自分が書いている論文であったり,直近の未来に論文を書く際にも生きてくることなのです。

3. 自分の幅を広げる

自分の研究に関わる論文だけを読んでいたりすると,なかなか他の領域の話を読む機会に出会うことはできません。同じ分野の後輩といえど,自分とそこまで近い領域の研究ではない研究をしている後輩の論文を読めば,その領域のことを勉強する機会にもなります。そうすれば,自分の視野も広がりますし,少しメタ的な目線で複数の研究領域の関連性を考える機会にもなります。

これは私も院生時代に経験したことがあるのですが,ある程度研究テーマが決まってくるとどんどん細部にのめり込んでしまって,そこから派生的に別の研究テーマを生み出そうとしがちになってしまいます。そうすると,なんでその研究やっているのだろうとか,その研究が分野にどう貢献できるのだろうという視点を取ることが難しくなってきます。こういうときに,少し離れた分野の研究を読むと,その視点を1つ抽象的なレベルにもっていくことができると感じています。自分の専門と言える領域で一流を目指すのはもちろんですが,私が見ていて一流だなと感じる人は,その領域外についても豊富な知識を持っていて,やろうと思えばその領域で質の高い研究ができるだろうなという人です。これは私の個人的な意見ですが,そういう研究者って憧れませんか?

時間はかかるかもしれないが誰でも経験できることでもない

繰り返しになりますが,いくら自分にメリットがあるといっても時間はかかります。それは間違いありません。ただ,先輩と後輩の交流が活発に行われているという環境でなければ,そもそも後輩の研究論文を読むという機会はないわけです。そう考えると,どこの大学院でも,そして誰でもが経験できることではありません。自分を成長させてくれる機会が周りにあるのであれば,それは積極的に活かしてほしいなと思います。

ただ後輩の論文を読むだけではなく,一緒に共同研究をやるというのも非常に有効な手段でしょう。この話はまた別の機会にできれば書きたいなと思います。

おわりに

私はまだまだペーペーなので,こんな偉そうなことを言う立場でもないのは重々承知の上ですが,投稿前に論文を読み合う文化というのはそのコミュニティの研究力を上げるということを私は信じて疑わないので,こういう記事を書きました。研究ってやっぱり一人じゃできないというか。願わくば,私のところの研究科もそうやって活発になってほしいなぁと思っているのですが,私はまだまだそちらの運営に関わるほど偉くないので,いつかそういう仕事をするようなときが来たら,頑張りたいなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

顕在的「脱落者」と潜在的「脱落者」

adolescent adult beauty blur

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はじめに

タスクみたいなことだったり,あるいはもっと広くペアワークさせたとき,うまくいかないことはしょっちゅうあると思います。その原因を1つに決めることは不可能なことですが,それが「タスク」そのものだったり「ペアワーク」そのものだったりに帰せられるときの問題点についてです。話を単純化するために,この記事でいう「タスク」や「ペアワーク」は理想的なもの(ある目的をもった教室内活動として行われるもの)であることとします。一方で,教師は言葉は悪いですが「平均的」な教師を想定していて,どんな状態でも完璧な授業をする理想的な教師は想定していません。教師の力量を出すとすべてがそれで解決するという議論が可能になるためです。そしてこれは教師個人の資質の問題(つまり問題を解決できない教師が悪い論)にもすり替えられてしまいます。これは私が望んでいることではありませんので,そういった意味でも教師の力量はここでは問わないことにします。

基本的に言いたいことは,福田さんが過去に言っていたことと重なる部分が多いかなと思います(『タスク・ベースの言語指導:TBLTの理解と実践』の第3章の中に書いてあったはずですので本をお持ちでしたらご参照ください。実は過去にブログ記事にも書いてあったような気がしたので探したのですが見つけられませんでした)。こうやって言っておくのは,アイデア自体が私のオリジナルではないということを言っておくためです。ただし,この記事自体は私が書いていますので,以下で述べられることについての文責はもちろん私にあります。

「脱落者」

カギカッコつきです。「脱落者」という言葉がぴったり当てはまっているとは思っていませんが,ここでの意味としては「授業についていけなくなってしまった学習者」くらいの意味で捉えてもらえればと思います。顕在的と潜在的は文字どおりで,教師にとって明らかにそれと分かる状態かどうかの違いと言えます。つまり顕在的「脱落者」は「教室の中で授業についていけなくなってしまったということが教師の観察などに基づいて判断ができる状態の学習者」をここでは指します。一方で潜在的「脱落者」とは,「実際には授業についていけなくなってしまってはいるけれども,教師がそのことに気づけていない状態の学習者」です。なお,「授業についていけない」というのは,求められている課題が学習者の能力を上回っていて,課題の遂行が困難である状態であることとします。よって,そもそも課題に取り組まない,などは含まないということです。

可視化されただけ

この記事で一番言いたいことはこれ以上でもこれ以下でもありません。何らかの言語産出や,協同作業が求められるような授業を行った時に,授業についていけていない状態が明らかになった学習者がいたとき,それはその教室の中に教師が目標としていることを遂行できない学習者がいることが可視化されただけであり,そのことだけをもって「タスク」であったり「ペアワーク」であったりという方法が問題であるということにはならないということです。

「脱落者」をどうするか?

教師がリソースを割いて考えるべきはむしろ,できない学習者が授業内の目標を達成できるようにするにはどのような手立てが必要なのかということでしょう。このことは,どのような指導方法にもついてまわる問題です。どんなやり方であっても授業についていけない学習者が出てくることは起こりえます。そのことが目に見えてわかりやすいのが「実際に言語を使わせる」であるとか,「自分の考えをペアで話し合う」のような活動であるだけです。使わせようとして使えないことが明らかになったら,どうやったら使えるようにしてあげられるのか(=同じタスクをもう一度やらせたときにできるようになるのか)を考えてそれを次の授業(または活動の直後)ですれば良いだけではないでしょうか。「自分で考えないからペアでの意見交換もできない」と考えたのであれば,じゃあどんな仕掛けをすれば自分で考えるようになるだろう,という発想で授業を構成していくということです。もちろん,「言語を使ってなにかできるようになってほしい」とか,「自分で考えて意見を表明できるようになってほしい」ということを教師が願っていて,それを目標として授業をやっているということが前提ですが。「言語を使って何かできる必要はないし(どうせできないだろう)」とか,「自分で考えて意見を述べる必要はない(しどうせできないだろう)」と思っているのであれば話は別です。そういう人がもし仮にいるとすれば,「何を教えているんですか?」と聞いてみたいです。

聞いている=できている?

ペアワークとかではうまくいかないので,教師主導で講義型スタイルでないと授業が成り立たない,と考えている教師がいたとします。これが一般的かどうか,どれだけ多いのか,というのは置いておくとして,このときに私が問いたいのは,

講義型スタイルで授業が成り立っているというとき,そのクラスの中に「潜在的脱落者」はいないと思いますか?また,ペアワークのときに顕在化する「脱落者」の数と比べて少ないと思いますか?

ということです。別にペアワークをやらせないといけないというわけではありません。大事なことは,脱落していないかどうかを確認する手立てがどれだけ授業の中に仕込んであるかどうかではないかと思います。教師-学習者のやりとりでもいいです。「脱落者」がゼロの授業というのができればそれに越したことはありませんが,学習者の数が多くなればなるほどそれはかなり難しくなるでしょう(人数が1人でも課題の難易度設定を誤れば容易に「脱落者」は発生しますしね)。つまり,潜在的であれ顕在的であれ「脱落者」が出てしまうことを避けるのは非常に難しいことなのです。そのうえで教師に求められることは,いかに「脱落者」の存在を把握し,その学習者に対して何らかの手助けを提供することでしょう。文字通り潜在的な「脱落者」は教師の目からは見えにくいので,それを把握することも難しくなります。そうなれば,おのずと手助けを講じることも難しくなるでしょう。一方で,「顕在的脱落者」は教師が見て躓いていることが把握できるわけですから,その躓き具合に応じて指導を行うことが可能なわけです。「脱落者」が出ることよりも,「脱落者」を見逃して放置してしまうことのほうが私は重要な問題だと考えていますので,そうならないように授業を構成しようとします。そうすると,多かれ少なかれ学習者に何らかの反応(言語的やりとりだけに限りませんが)を求める授業スタイルに変化していくのではないかと思います。そして,そのようなことが可能なスタイルの1つとしてタスクだったりペアワークだったりというものも位置づけられるのではないでしょうか。

脱落してもよい

脱落というと諦めてしまうという意味も入ってくるような気がしてしまうので,言葉が良くはないかもしれません。ただ,教室の中ではすべてが完璧にできなくてはいけないということを教師自身や学習者自身が思っていれば,躓いていることが明るみに出るようなことは避けたいと思うのは当然でしょう。周りの学習者よりも自分が劣っていると感じるのは誰だって嫌なことなはずです。そうならないように,つまり見せしめになったりしないように気を使いながら,学習者の状態を観察して適切な指導を行える人こそが良い教師だと思います。

ありきたりな言葉になってしまいますが,教室では躓いてもいいのです。もちろん,あまりにも躓く頻度が高くなれば学習への意欲そのものが削がれていってしまうわけですが,躓いて転んでも起き上がり,一歩でも半歩でも前に進んでいることを実感できる,そんな教室環境が私は理想だと思っています。教師が適切な介入を行うことで意欲を削がずに躓く頻度を減らし,そして成長した部分にはポジティブなフィードバックを行い,教室でともに学ぶ学習者集団としてその過程を肯定的にとらえてみんなで切磋琢磨できるような環境づくりこそが教師には求められるのではないかと思っています。

おわりに

私は別にタスクがすべてとかペアワークは絶対などと思っているわけではありません。ただ,どのような指導の形態であろうとも,教師がすべきことは学習者の状態を観察して,把握し,適切な手立てを施すことだと思っています。大事なのはその部分なのに,タスクやペアワークというのはその言葉だけで批判の対象にされてしまうことも多いので,今回の記事を書きました。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

Wunderlistがついに終了する

むかしむかし,大学院生のときに,タスク管理のためにTo doリストを使い始めました。使い始めたときには,使用感をまた記事に書きますねとか言ってたんですが,その記事が書かれないままついにWunderlistがサービスを終了してしまうことになりました。

過去記事:遠くからライフルで撃つか,接近戦でナイフで仕留めるか。

終了するという話は随分前からされていたのですが,まだ別に先の話(実際に5月までは使えますしね)だということで全然乗り換えとかも考えていませんでした。それが,Wunderlistにブラウザ上でログインするとトップ画面に常に早くMicrosoft To Do(MTD)に移行してねっていうメッセージが表示されるようになり,いよいよ本格的に移行を検討しないといけなくなりました。この話題についてGoogleで探してみてヒットした記事は例えば以下のようなもの。

Microsoftが新しいToDoアプリ「To Do」を発表、Wunderlistからの乗り換えを促す

Wunderlist の移行先の検討と移行

Wunderlistがいよいよ終了することに…

Wunderlistの使い方としては昔とそんなに変わっていません。ただ,今のWunderlistは5年前に記事を書いたときと仕様が変わって,フォルダという階層ができました。これが一番上にあって,その下にリストがあって,そのリストの中に個々のタスクを入れていくというようになっています。この階層性を個人的には気に入っています。今は,

  • 研究
  • 仕事
  • プライベート

のようなフォルダを作っていて,研究というフォルダの中に個々の研究プロジェクトのリストがあり,仕事の中に,「授業」,「学内業務」,「学会業務」,「査読」,みたいなリストを入れています。プライベートの中には自分にだけ関わるリスト(G大阪のチケット先行発売日の情報とか)と,妻と共有している買い物リストがあります。

リストの中にいれる個々のタスクには期限日の設定,リマインダの設定,繰り返しの設定,サブタスクの追加ができます。繰り返しの設定があることで,例えば授業の準備のように毎週発生するタスクは一度入れておけば毎週リストに入ります。また,いらない人もいるかと思いますが個人的にはサブタスクが追加できるというのも気に入っている点です。例えば授業準備の中で,リスニングの小テストを作るというタスクがあったとしますよね。そうすると,(a)リスニングの音源を準備する,(b)解答用紙の準備をする,(c)解答用紙を印刷する,のようなサブタスクに分割できるわけです。1度の作業で(a)~(c)の3つすべてを完了できればサブタスクの設定も必要ありませんが,細切れの時間で作業しなくてはいけないことも多いので,サブタスクが設定されていることで,完了までに必要な作業がなにかを瞬時に把握することができます。また,サブタスクを考えるようにすることで,タスク完了までのステップを言語化する必要が生じ,そのことが実際の作業を明確にしてくれるためにタスクを完了するハードルが下がるという効果もあると思っています。こういったサブタスクを普通のタスクとして登録してしまうと,タスクが増えすぎる上に個々のタスクのつながりも見えなくなってしまいますし,リストの数をかなり増やさないといけなくなってしまうので逆に不便です(授業科目ごとにリストを作るとかは別にしたくないし必要性を感じていません)。

今のところ,このように私が必要としているto doリストの機能はMTDにもあるようですし,UIもWunderlistと同じように作られているので,MTDに乗り換えても特に問題は生じないかなと考えています。WunderlistのデータをそのままMTDにインポートすることも可能なようですし。ただ,1つだけ問題があるのは,Googleカレンダーへの同期ができないことです。WunderlistではできるけどMTDではできないことの中で,これはかなり問題が大きくて,実際にMTDのフォーラムでも多くの人がこの機能を熱望していることがわかります。

https://todo.uservoice.com/forums/597175-feature-suggestions/suggestions/32976505-make-microsoft-to-do-with-google-calendar-s-tasks

この連携がないとそこまで困るかというと,タスクの管理に関わる根本的な機能の中では個人的にはサブタスクの設定だったりフォルダ分け(MTDではグループ分け)みたいなものよりは重要度は低いのですが,やっぱりカレンダー見たときにタスクの期限日が一覧で見れるというのは欲しい機能ですよね。

あともう一つの問題は,妻と共有しているリストもあるので私が移行するタイミングで妻にもMTDへ移行してもらわないといけないというところですね。これもちょっと移行をためらう理由ではあります。使えなくなるからしょうがないとはいえ,私は人に何かを頼むという行為のハードルが人より異常に高くて非常に苦手なもので…

というわけで,今日はタスク管理のWunderlistを結構気に入ってたけど,MTDに移行しなければいけなくなってしまいましたというお話でした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

インプット仮説とアウトプット仮説ってそういうことか?

はじめに

Twitterに流れてきた下記の記事を読みました。

4技能の英語民間試験を大学入試に導入」の根拠とされる学習指導要領改訂のポイントとは?

入試にスピーキングだったりライティングだったりの産出技能を取り入れることに関連して,第二言語習得研究におけるインプット仮説とアウトプット仮説が紹介されています。そして,そこからアウトプットの重要性が導き出されます。この2つの紹介の仕方に語弊があるというか,当該記事の筆者と同様に第二言語習得研究を専門としている者として納得がいきませんでした。この記事でどこに語弊があって,なぜ納得がいっていないのかを書いておきたいと思います。私がここで取り上げる事自体は,上記記事の中心的話題というわけでは必ずしもないですが,理論的な援用がされていると考えられる部分に問題があるのではという意味で指摘する必要があると考えた次第です。

インプット・ファースト?

この記事ではインプット仮説はインプットの重要性を主張したもの,そしてそれに対比されるようにアウトプットの重要性を説いたのがアウトプット仮説だと紹介されています。それについては異論ありません。ただし,インプット仮説=「インプット ・ファースト」と表現することは語弊があると思います。つまり,インプット仮説とアウトプット仮説の対立は,

なぜ英語学習の早い時期からアウトプットが必要なのでしょう?最初はインプット(リスニング・リーディング)だけでは駄目なのでしょうか?

という問いに対する答えを与えてくれるようなものではないし,研究者たちもそのような主張をしているわけではないということです。

この2つの仮説の対立は,必ずしも「先にインプットがあってからアウトプット」ということではありません。言語習得にはまずはインプットというのは大前提の話なのでそこは否定しようがないはずで,アウトプット仮説を提唱したSwainもそのように主張したわけではありません。

インプット仮説はインプットのみ(正確にいうと理解可能なインプット)で習得がされるとした(注1)のに対して,アウトプット仮説は,インプット理解のみでは言語の形式面に注意を向けなくても意味の理解が可能な場合が多く,インプットのみでは限界があるということを指摘したわけです。この主張の背景にはカナダのイマージョン環境でフランス語を学ぶ学習者たちの存在がありました。イマージョン環境でフランス語を学び,フランス語を理解すること,そしてフランス語を使って対話相手に理解されることができるようにはなっても,産出技能ではまだ母語話者とは差があり,非母語話者としての痕跡が残ってしまったのです。この状態からさらに上のレベルに到達するためにはアウプットを通して言語の形式面に注意した処理が必要になるのではないかというのがSwainの考えでした。

初期段階からアウトプットも大事だという主張には同意

私も,学習の初期段階でアウトプットをさせるべきではないとは思っていませんし,インプットだけで良いとは思っていません。インプット・ファーストの原則は守りながらも,アウトプットもさせれば良いだけです。このことを,学校の授業展開を例に取って考えてみましょう。

マクロな視点で見た時に,例えば最初の3年間はインプットしかやらず、その後3年間でアウトプットだけやるというのが「インプット・ファースト」であれば,私は反対です。また,これの方がいいという研究者もあまりいないのではないでしょうか。

大事なことは,インプットの方が簡単だから先でアウトプットの方が難しいから後なのではないということです。インプットにも,アウトプットにも,難易度の差はあるわけです。つまり,簡単なインプットがあれば難しいインプットもあり,簡単なアウトプットもあれば,難しいアウトプットもあるということです。私が大事だと考えるのは,簡単なインプット→簡単なアウトプットという難易度の順番です。つまり,インプット→アウトプットということだけではなく,まずは難易度の低いものから徐々に難しいものへという大きな流れも考える必要があるのです。この点において,私は学習の初期段階でもアウトプットさせることは可能だし,むしろ学習者のレベルにあっているのであればどんどんさせていいと思っています。

ミクロなレベルでの授業の構成では,インプット->アウトプットになることは十分にありえますし,むしろアウトプットを取り入れている授業のほとんどはこうした形態になっているのではないでしょうか。例えば最初の1時間目はインプット,2時間目はアウトプットというように「インプット・ファースト」になっていることは当然あるでしょう。あるいは1時間の中で最初の30分はインプットでその後の30分でアウトプットということもあるかもしれません。そして,このことを私は何ら間違っているとは思っていません。むしろ,「インプット・ファースト」は大原則であるとさえ思っています。

「インプット・ファースト」とPPPは違う

ただしここで注意したいのは,このインプットからアウトプットという流れは,必ずしも直前に受けたインプットがその場で習得されてその直後のアウトプットで完璧な形で表出すると想定しているわけではないということです。Presentation, Practice, Production (PPP)の授業構成のように,その日に教えた文法をその日のうちに正しく産出させるような考え方を私は採用しません。むしろ,第二言語の発達はある側面を1回または数回の授業で完璧にして,完璧である側面を増やしていくのではなく,不完全ではあるけれども総体としての形を作っていくという過程を辿るからです。このような考え方でいくと,次の記述にも同意できません。

「インプット・ファースト派は「まずはしっかりと文法を理解してから、アウトプットの練習をしよう」と考えます。

前述のように,ミクロな視点でインプットは先にすべしという考え方を「インプット・ファースト派」と呼ぶのであれば,私は間違いなく「インプット・ファースト派」だと思います。しかしながら,私は「まずはしっかりと文法を理解してからアウトプットの練習をしよう」などとは考えません。これは過去に書いたいくつかのブログ記事であったり,下記の本に収録されている拙稿を読んでいただければわかるかと思います。

タスク・ベースの英語指導―TBLTの理解と実践 

まとめ

ここまでの議論から明らかなように,上記記事中のインプット仮説・アウトプット仮説の説明の仕方は,学術的に不適切であると言えます。一般向けに書かれた記事ですので,ある程度噛み砕いて説明する必要があったことは十分に理解できますが,それでも上記記事は読者にインプット仮説を誤った形で伝えています(注2)。

「インプット・ファースト」はインプット仮説の主張のことを指しているのではなく,私の主張は誤読に基づいているという反論もあり得るかもしれません。しかしながら,それはかなり無理筋でしょう。インプット仮説を紹介する節の最後に、「この『インプット・ファースト』の法則」と書いてあるにもかかわらず,「この『インプット・ファースト』の法則」がインプット仮説を指しているわけではないと読むほうが困難です。だとすれば,「この『インプット・ファースト』の法則」の「この」が指しているのはなんでしょうか。

おわりに

「第二言語習得研究者のコミュニティはあまり身内の批判をしないけれど,誤ったものを誤っていると指摘することも研究者の大事な責務である」,というような話を寺沢さんとポッドキャスト収録で話したので,今回はこういった記事を書きました(注3)。それ以上でもそれ以下でもありません。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

 

注1.英語ではcomprehensible inputと言いますが、これも抽象的な概念なので、実際に何が学習者にとってのcomprehensible inputとなるのかとかを操作的に定義するのは結構難しいという問題があります。ここではこの問題には触れません。また,インプット仮説の意義はこれだけではなくて,習得(acquisition)と学習(learning)を分けたというところにもあると個人的には思っています。詳しくはまた別の機会に論じたいと思いますが,このような考え方自体は形を変えて今でも受け継がれているといえると思います。例えば,明示的・暗示的知識もこの流れでしょう。

注2.アウトプット仮説の説明自体(気づきと文法の意識化の話など)は問題ないかと思いますが,インプット仮説との対比の仕方は語弊があると思います。

注3.英語教育2.2CAST2月号ではこの話にはなっていませんが,寺沢さんとの対談の最終回にこの話をしています。

 

2019シーズンに観戦したG大阪の試合

いよいよ2020年シーズンのJリーグの日程が発表になりました(ガンバ大阪の試合日程)。

開幕戦はアウェイで横浜Fマリノスですね。昨年はホームでマリノスと対戦して,逆転負けしたのは今でも覚えています。Googleカレンダーに予定を入れながら,学会の日程とかぶっていたら落ち込むみたいなことを休憩がてらにしているのですが,自分が毎年どれくらい試合を観に行っているかを記録しておこうと思い,ここに2019シーズンに観戦した試合をまとめておきます。完全に自分用のメモですw

  1. 2/23 vs横浜FM (Home) ●2-3
  2. 3/30 vs神戸 (Home) ●3-4
  3. 4/14 vs浦和 (Home) ●0-1
  4. 4/28 vs仙台 (Away) ●1-2
  5. 5/4 vsFC東京 (Home) △1-1
  6. 5/11 vs鳥栖 (Away) ●1-3
  7. 5/18 vsC大阪 (Home) ○1-0
  8. 5/25 vs札幌 (Away) △0-0
  9. 7/13 vs清水 (Home) ○1-0
  10. 7/20 vs名古屋 (Away) △2-2
  11. 8/2 vs神戸 (Away) △2-2
  12. 8/31 vs横浜FM (Away) ●1-3
  13. 9/14 vs鳥栖 (Home) ○1-0
  14. 10/4 vs札幌 (Home) ○5-0
  15. 10/19 vs川崎 (Home) △2-2
  16. 11/23 vs仙台 (Home) ○2-0
  17. 11/30 vs松本 (Home) ○4-1

ホームとアウェイ合わせて17試合ですね。開幕してから観に行った4試合は全敗で,むしろ観に行ってない試合は勝っていたみたいなところがありましたw そしてその後初めてのアウェイ遠征で仙台に行って負けるという。なんと,2019年は仙台,鳥栖,札幌,名古屋,神戸,横浜と6試合のアウェイゲームを観戦し,一度も勝てなかったという非常に悔しいシーズンでもありました。JALのステータス獲得のために仙台,鳥栖,札幌という遠方への日帰り遠征もしましたが,地方の美味しいものを堪能することでなんとか敗戦の悔しさを紛らわしたという感じもあります。今年は近場のアウェイゲーム以外は行かない予定ですw

この17試合以外にも,YBCルヴァンカップも行きました。年間チケット会員は,グループステージのホームゲームも観戦できるので,グループステージの3試合を観ました。また,グループステージを突破してプレーオフステージ,プライムステージ準々決勝,準決勝まで勝ち上がったので,それもホーム戦はすべて観に行きました。

  1. 3/13 vs松本 ○2-1
  2. 4/24 vs磐田 ○4-1
  3. 5/8 vs清水 ○3-1
  4. 6/26 vs長崎 ●0-2
  5. 9/4 vsFC東京 ○1-0
  6. 10/9 vs札幌 ○2-1

ルヴァンカップは決勝まで行ってほしかったのですが,準決勝の第2戦に敗れてしまい,残念ながら準決勝敗退でした。ただ,決勝にあがった札幌が川崎Fと歴史的名勝負を繰り広げました。あれは本当に感動的な試合だったなと思います。当時の様子を振り返る選手たちや監督,審判のインタビューとともに構成された下記の動画は非常に見応えがありました。

ちょっと長いですが,サッカーファンの方は一見の価値ありです。

あと観に行った試合は,7月3日に行われた天皇杯2回戦のカマタマーレ讃岐戦でした。これは7-1と力の差を見せつけて圧勝したのですが,つぎの3回戦で法政大学にジャイアントキリングをされてしまったんですよね。この試合は見に行けなかったんですが,7月から8月はチームとしてもほとんど勝てていなかったので,この結果になってしまったのかなと。

年間チケット保有者として初めて過ごした1年間でしたが,リーグ戦17試合,天皇杯とルヴァンカップで合計7試合の計24試合をスタジアムで現地観戦したということだったようです。

この1年間で記憶に残っているのは海外移籍した中村敬斗選手と食野亮太郎選手の2人の活躍ですね。特に,アウェイ鳥栖戦で決めた食野選手のスーパーゴールは鮮明に焼き付いています。

負け試合だったのが残念でしたね。食野選手はルヴァンカップでは活躍していましたが,リーグ戦ではあそこから試合に絡むようになった気がします。

試合全体でいうと,C大阪とのダービーマッチだったり,雨の中の清水戦の矢島選手の決勝ゴールだったりが印象に残っていますが,個人的にものすごいこみ上げるものがあったというか泣きそうになったのは9/14鳥栖戦ですね。

なかなか結果を出せていなかった渡邉千真選手が後半に出てきて値千金の決勝弾をヘディングで叩き込むという胸アツ展開でした。ちょうどゴール裏で観ていたのもありましたし,ものすごい盛り上がったのを覚えています。

さて,あと1ヶ月ほどでJリーグも開幕ですが,待ちきれなくて振り返り記事を書いてみました。今後は試合の感想なんかも毎回書いてみましょうかね。2019年と同じペースで試合を観に行ったとすると,その毎試合について感想を記事にしたら年間の投稿数が2倍近くになる計算ですが。

というわけで,今日はガンバ大阪のお話でした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。