タグ別アーカイブ: 研究アドバイス

どんな研究が必要か

はじめに

私の所属する関西大学外国語教育学研究科には,博士論文研究の計画書を提出し,その計画について口頭試問を行う「研究基礎能力試験」があります。この記事は,その発表を聞いて私自身が考えたことを整理したものです。あらかじめ強調しておきますが,ここで述べるのは特定の方の研究や指導に対する批判ではなく,あくまで一研究者としての私のスタンスです。

当たり前を疑う

私は常々,研究者には「既存の研究を乗り越える視点」を持っていてほしいと思っていますし,自分自身もそうありたいと考えています。本当に面白い研究というのは,多くの人が「当たり前」だと思ってきた前提を揺さぶり,新しい視点を提示するものだと感じています。そうした挑戦がなければ,研究の発展には限界があるでしょう。なぜなら,もし前提に誤りや誤解が含まれていれば,その上に積み上げられる研究も十分な価値を持たなくなってしまうかもしれないからです。

もちろん,先行研究は大切です。しかし「大切である」と「常に正しい」は同義ではありません。すべてを疑ってかかる必要はありませんが,「本当にそうなのか」という視点は,博士論文のような規模の研究プロジェクトでは特に必要だと思います。

既存の枠組みに従って研究を進めるのは比較的容易です。たとえば「先行研究ではA → Bという関係が示されているが,AがCに影響している可能性もある。さらにA → Dの関係は検討されていない。そこで本研究ではA → CやA → Dも扱う」といった展開は典型的です。このように要因の組み合わせを増やしていく研究は確かに進めやすいのですが,それだけを積み重ねても,背後にある本質的な法則や仕組みの理解につながるのかは常に問い直す必要があると思います。

新しい道筋を示す研究の好例

私は常に,「既存の前提を問い直し,そこから新しい道筋を示す」研究には強く惹かれます。実際,最近の研究でその好例と言えるのが,『Revisiting Universal Grammar in L2 acquisition: Weak conformity and linguistic dissonance resolution』という論文です。この研究では,第二言語習得における普遍文法(UG)の役割を見なおし,「UG」が学習者の中間言語(interlanguage)に一時的に現れるUG非整合的なルール(いわゆる “wild grammars”)を検出し,修正へと導く「モニター装置」として機能するという枠組みを提示しています。従来のUGに対する理解を単純に否定するのではなく,より包括的な枠組みとして再定義することで,説明力を拡張しようとするこのアプローチには,非常に示唆を受けました。既存理論の限界を踏まえつつ,新たな理論的視野を開拓する好例だと思います。

研究の成果を社会に直接役立てることは重要ですが,それだけが研究の価値ではありません。研究そのものの営みをより良いものにすること,それ自体が大きな社会的意義を持つはずです。人文学の研究はまさにそうした側面を強く持っています。「SLAは役に立つのか」という議論も,しばしば「役に立つ」という言葉を狭い意味でとらえすぎているのではないかと感じます(関連:英語教育学会に平和を!「教育的示唆」という用語は禁止!)。

おわりに

私が大事にしたいのは,「当たり前」に見える前提を一度立ち止まって問い直す姿勢です。それが回り道に見えても,長い目で見れば研究の厚みや意義を広げていくのだと思います。そういう営みに貢献できる研究者を目指したいですね。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

【新装改訂版】外国語学習に潜む意識と無意識(献本)

私がもっとも敬愛する友人であり尊敬する研究者の福田純也先生(※「もっとも」が修飾するのは友人としての敬愛です)より『【新装改訂版】外国語学習に潜む意識と無意識』(開拓社)を献本いただきました。ありがとうございます。そして,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。

私はこの本(厳密に言うと,新装改訂版の前の本)を,私が3年次ゼミを担当することに決めた年からずっとゼミの教科書に指定しています。数年前に1人ゼミに入ってきた学生と使い始めた当初は,誤字脱字も散見され,難しいことを難しく書いてある印象もありました。私が補足をしながらゼミをする感じで,それはそれで,「読んだら全部わかる」というわけでもなかったので私がいる意味があったという感じではあったのですが。今回の改訂版では版が一回り大きくなりました。また,情報の提示順序が整理され,研究紹介もボックス形式でまとめられていて,初学者にとって格段に読みやすくなったと感じます。福田先生がご自身で書かれているようにかなり力の入った改訂であるなという印象です。

私がこの本をゼミ(参照:ゼミ選びのプロセスでこのページに来た人へ)で使う理由は,言語習得研究や言語研究「そのもの」の面白さを学生に伝えたいという私の目的にぴったり合っているからです。初学者向けの第二言語習得のいわゆる「王道」的入門書は割と内容が似通っていてしばしば退屈です。私個人は,もちろん「王道」第二言語習得研究を通過して,「第二言語習得研究ってすげー!!」ってなってこの道に進んだ者ではあるのですが,その道に入っていくにつれて,「なんか違うぞ?」「本当に知的好奇心をくすぐられるところってそこじゃないよな?」って気持ちになっていったんです。その私にとっては,「そう!面白いのはそこ!」っていうポイントがたくさん詰まってるんですね。

本書では「王道」のインプット仮説やアウトプット仮説といった「有名」仮説にもさらっと触れられています。これらの仮説は正直,私が思っているSLA「研究」にとって大きな情報量を持つわけではありませんが,全く無視するのもどうかと思うところで(いわゆる「教育的示唆」的な受けはいいと思いますが,研究仮説としてはオワコン),本書のようにうまく位置づけて触れている点は,テキストとして非常にバランスがよいと感じています。

既存の「王道」SLAに違和感を覚える方にはもちろん,むしろ王道派の方にこそ「言語習得研究の面白さはここにもある」と知っていただきたい一冊です。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

論文を読むときは、全文読まないのが普通なのでしょうか

querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。

質問

論文を読むときは、全文読まないのが普通なのでしょうか。よくネットなどで論文の読み方を検索すると、効率的な読み方として、①結論を読んで主張が何かを探す、②イントロを読んで論文の問いを探す、ここからは必要に応じて③研究の方法や結果などのデータを扱っているところを見て批判的に検討する、という紹介がなされています。もし、何か論文を読む際に実践されていることがあれば、教えてもらえませんか。

回答

端的にいえば,「目的によるのでは?」ですね。あとは,どれくらいの時間がかけられるかも重要です。

拾い読みのケース

私自身が論文を読む際に実践していることについてお答えすると,「なんの目的のためにその論文を読むか」に大きく依存するのかなと思います。

実証研究の論文で,とりあえず「何をやって何がわかったのか」という核心部分を素早く把握したいのであれば,おっしゃるように,それが書いてある場所を拾い読みすることになるでしょう。私の場合は,まずアブストラクト(要旨)を読みます。そして,「これはもう少し詳しく読んだ方が良さそうだ」と感じたら,多くの場合、結論部分よりもディスカッションの最初のパラグラフを読むことが多いです。なぜなら,ディスカッションの冒頭部分で,著者が研究の目的を改めて述べ,どのような結果が得られたのかを要約してくれていることが多いからです。これは,私自身が論文を書く際にも,読者に分かりやすく伝えるために意識している構成でもあります。

自分があまり馴染みのない研究領域でどんなことがこれまでされているのかをまとめたいとか,そういった目的の場合も,拾い読み的なことをするでしょう。「ざっと領域全体の傾向やこれまでに何が分かっていて何がわかっていないのかをまとめたい」という場合には,論文を通読する必要はないからです。もちろん,時間がたくさんあれば全文読めるでしょうけれど。

全文を読むケース

一方で,そういった「つまみ食い」的な読み方とは異なり、自分の研究テーマ(または今書いている論文)に非常に近い論文を読む場合は,もっと丹念な作業になります。その論文がどのようにして研究課題を導き出しているのかというロジック,採用されている研究方法の妥当性,そして得られた結果の解釈など,細部にわたってじっくりと読み解いていきます。もちろん,全文読むケースでもとりあえずは拾い読みをしたうえで,「これは読んだほうが良さげだ」という判断をするので,拾い読みでふるいにかけられたものを精読するって感じでしょうか。

優れた論文には,やはり一本筋の通ったストーリーがあります。ですので,そういった論文を読む際には,できるだけ頭から順を追って読み進め,そのストーリーを追体験するように意識しているかもしれません。「拾い読み」だけを繰り返していると,確かに情報は効率よく集められるかもしれませんが,いざ自分が論文を書く側になったとき,果たしてストーリー性のある,説得力のある論文が書けるのだろうか,と思ってしまいますね。論文の構成力やロジックの組み立て方というのは,やはり質の高い論文を通読する経験を通じてこそ身についていく部分が大きいのではないでしょうか。

実証研究ではない論文はどうするの?

また,ご質問で触れられていた「結論→イントロ→必要に応じて詳細」という読み方は,主に実証研究の論文には有効な手法だと思います。しかし,例えば特定のテーマに関する既存の研究を幅広くまとめたレビュー論文や,理論的な考察が中心となる論文などには,そのままでは適用しにくいケースもあるでしょう。そういうタイプの論文のときには,別の読み方が必要になると思いますし,レビュー論文こそストーリーが大事なので,小説をつまみ食いしないのと同じように最初から最後まで読むのではないかなと思います。

おわりに

結局のところ,論文の読み方は「目的」と「投入できる時間」の2つの要因で決まるものだと思います。まず要旨(と私の場合だとディスカッションの冒頭)を読み,短い時間でざっくり「何をやって何がわかったか」を把握します。その中で,読む価値が高いと判断した論文は精読しています。精読時には序論から順に論理展開を追い,方法の妥当性だったり結果の解釈だったりを検討します。メモはZoteroなどの文献管理ソフト上でハイライトしたりメモつけたりその訳をしたりとか色々したうえで,自分が研究目的で使っているObsidianに残しています。ローカルにメモを残さないと不安なので(cf. 過去記事)。

私に質問したい方は下記URLからどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915¥

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

研究をしているどの段階でブレストをしますか

querie.meでいただいた質問にお答えするブログ記事です。

質問

研究をしていることが幸せで今後研究を続けていきたいけど論文を書くのが苦手かもしれないと思い始めている4月からの修士2年生です。研究をすすめていく過程には様々なフェーズがあると思われます。たとえば、実施しようとする研究について先行研究を調べていく段階、リサーチ・クエスチョンを立てる段階、検証していく段階、まとめる段階、、、 それらの中のどの段階で、ブレインストーミング(メモ用紙などに、メモったりマインドマップのようなものを作っていく作業)をしますか? 学部生でレポートを書く段階では、ブレインストーミングが有効だと感じていたのですが、大きな論文を書こうとなると、なかなか難しくなってしまい、困っています。何かお考えや、実践されていることなどあれば教えてください。

回答

端的にお答えすると,研究のタネ(ネタ)が思い浮かんだ段階でメモしているかなと思います。ただ,質問者様のような修士課程の院生が論文(学位論文にせよ投稿論文にせよ)を書くプロセスと,私が全く同じような研究のプロセスを辿っているかと言われると,そうではないかもしれないなと思うところがあります。もう少し具体的に色々お聞きできれば,また違った答えになるかもしれません。「ブレインストーミング」をなんの目的で行うのかを私がうまく理解できていないかもしれないので,的はずれな回答になるかもしれません。とりあえず,「考えたことをメモする」と読み替えて書いていきます。

博士課程の時を思い出してみる

修士課程に在籍していたときは,研究をどうやって進めていたかの記憶がほぼないので,博士課程のときのことを思い出してみます。私はEvernoteというメモアプリを使っていて,そこに研究ネタで思いついたことはなんでもメモしていっていました。もちろん,正直そんなにぽんぽんとネタが思いついたことは一度もなくて,特に博士課程に入った1年の最初の頃とかは研究から1年弱離れていたことのブランクもあって,何も思い浮かばなくて悩んでいたことをよく覚えています。とはいえ,なにか論文を読んでいたり,あるいは書籍を読んでいたりしたときに,「こういう研究できないかな?」と思ったら,とにかくそれをはメモしておく,という感じです。今は,こういう用途はObsidianを使っています(参考:過去記事)。

研究を進めていく過程

質問者様は「実施しようとする研究について先行研究を調べていく段階、リサーチ・クエスチョンを立てる段階、検証していく段階、まとめる段階、、、 」と書かれていますが,私の中では一番メモっておきたいのはここに書かれた段階の前段階ですね。そもそも,「実施しようとする研究」というのがある時点で,何かしらのアイデアがあるってことですよね?そのアイデアが浮かんだ段階でもうメモのファイル作っちゃいます。そこにとにかくうわーっと浮かんだことをなぐり書きしていきます。関連する研究を調べるみたいな段階に移ったら,そのアイデアを書いたノートの中に,先行研究を読んでまとめたメモへのリンクを貼っていってます。Aという研究はこんなことやってて,Bという研究はこんなことやってて,みたいなざっくりしたことを大元のノートに書いておくこともあれば,著者名+出版年のノートタイトルのリンクだけを並べておくこともあります。これは結構気まぐれです。あとは,ChatGPTやClaudeなどとアイデアの壁打ちをしたりしたら,やりとりの内容をざっくりまとめてもらい,それもノートの中に貼り付けちゃったりしています(一応元を辿れるようにチャットのURLも貼ってます)。正直,フルタイム院生時代と違って毎日研究のことを考え続けられるような環境でもないので,ちょっと間があくと今まで何を考えていて,次に何をしようとしていたのかとかも忘れちゃうんですよね。それを思い出すハードルがあると,なかなかその研究に戻って来るのも難しくなってしまうと。Obsidianを使う様になってからは,意識的に,その研究ノートに日記的なことも残すようにしています。例えば,「今日はXX(YYYY)の論文を読んで….みたいなことを考えた。AA(BBBB)も多分読んだほうが良さげだから次に読む」とか「実験の要因としてAとBとCを考えたけれど,AとBは一つの実験に落とし込むことはできそうだけどたぶんCは一緒にできないから,とりあえずAとBの2by2のデザインで実験項目を作ってみる」とか。そういう日記を残していると,ある程度期間が空いちゃってから戻ってきても,ああそうだったそんなことを考えていたんだったとかわかるんですよね。実験項目を作るときも生成AIのお世話になることが多いわけですけど,それも作業したその日の終わりに,「今日やったことを研究ノートに残すから,ここまでのやりとりをまとめて」とお願いするようにしています。そして,そのまとめをノートに蓄積させていきます。そうすると,実験項目を作るのにどういう条件でお願いしていたかとか,何がうまくいかなくて躓いたのかとかも全部残せます。

修士課程の院生と違うかなと思うところ

私は,いまから自分がまったく知らない領域の研究をやろうっていうようにはあんまり思っていないんですね。自分がこれまでやってきたことの延長線上かまたはその周辺のことをやろうと思っています。私は能力が高くないので,全然知らない領域の研究に取り組んで成果を出せるというようには思っていないのが理由です。一方で,修士課程の院生さんは比較的,知らないことが多い状態でスタートして,とにかく知らないことを知っている,という状態にするプロセスと研究を構想して実現するプロセスがある種同時並行的に進んでいくのではないかなとなんとなく思っています(もちろん,修士課程に入る段階でかなり明確に研究の方向性が決まっていて,それが全く変わらずに修士論文を書き上げるという方もいるかもしれませんが)。となると,そもそも研究を進めていく過程がもしかすると私と修士課程の院生さんで違うのかもしれません。その結果,ブレインストーミングをする目的やそれが必要になるタイミングも違うかもしれません。

おわりに

学位論文をどう書いていくか,そしてどのようなクオリティのものが求められるのかといったことは,正直指導教員の先生によって全然異なると私は思っています。よって,論文をどうやって書くのか,研究をどうやって進めていくのかについて,私からアドバイスするのは非常に難しいことです。この記事で書いたことは,あくまで私が「メモを取る」という行為をどうやっているのかということで,それが普遍的なわけでも,私の真似をしたら研究が進むわけでも,研究のクオリティがあがるわけでもないこと,どうかご理解ください。こういう質問も,本来なら指導教員の先生とできたらいいのになと思ってしまいます。私には残念ながら学位論文の指導をする院生はいませんが,もしそういう院生が困っていて,その悩みを匿名で誰か別の教員に聞いていたらなんかショックだなって思っちゃいますね。自分に相談してくれたらいいのに!って。なんかこういう話,querie.me関連で前にもしたことがあるような…(それ私に聞かないほうがいいのではみたいなの)。

ちなみに,私自身は,質問される方がどなたでも,こういった質問を受ける事自体は嬉しいし,喜んで答えます。こんなブログ記事で丁寧に答えてるくらいですからね。質問すんなよって思ってたらこんな回答しませんしね。

質問者様が修士論文を無事に提出できることを心から祈っています。頑張ってください。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

研究をして論文にするプロセスについての質問

はじめに

2025年1本目の記事ですが,例によって最近多めのQuerie.meでいただいた質問シリーズ。

質問

あけましておめでとうございます。
文法習得に焦点を当てて研究しているSLAの学生です。何か研究をして、論文にまとめていくという作業をすることに関して、2つ質問します。
【1】研究をして論文にまとめるときに、投稿するジャーナルを決めてから研究をしていきますか。それとも、研究をして、まとめきったところで投稿するジャーナルを選びますか?
↳追加で、研究がどこまでいったら、「投稿する」というレベルだと判断していますか。
【2】投稿するジャーナルを選ぶときに、SLR、SSLA、LA、などなどいろいろな雑誌が国内誌・国際誌にあるなかで、それぞれの採択難易度や、どれに投稿するのが妥当だろうという判断はどのようにされていますか?
以上の2点です、よろしくお願いします。

回答

投稿する前にジャーナルを決めるかどうか

1については,投稿するジャーナルを決めてから研究することは今はほとんどないかなと思います。院生のときは,もう研究をスタートする時点で,これはどこの学会で発表してどこに投稿する,みたいなのを最初から決めていたと思いますね。ただ,それは院生のときはかなりバラエティに富んだ種類の本当に英語教育・応用言語学の幅広い研究に手を出していたから,というのも大きいと思います。

ただ,国内の学会誌に投稿するのでなければ締切がないはずなので,どこに出すかは別に最初に決める必要ってまったくないんじゃないかなと思います。逆に言うと,締切がある場合にはまず研究をスタートするタイミングが重要ですよね。私の経験でいうと,全国英語教育学会の紀要は10月締切だったので(今は会員ではないのでもう知らないですが),構想は前年度の春休みから練っておき,新学期スタートと同時にデータ収集,分析,そして8月にある全国大会の発表申し込みが確か5月頃だったのでそこまでになんとかざっとアブスト書ける位の状態にはする->夏に発表したら10月の投稿に向けて執筆,みたいな流れがあったと思います。

私のときは院生で国際雑誌に投稿するというのはまだまだ一般的とはとても言えない時代だったので,締切のある国内誌(=結果が基本的にはすぐに出る)である程度業績を稼ぎつつ,自信がまああるやつは国際誌にトライする,という感じだったと記憶しています。その点でいえば,これは国際誌いけるぞ,みたいなのはネタの時点(あるいは結果が出た時点)で決まっていたのかもしれません。私は院生のときに国際誌に載せたことは結局なかったのですが,就職してから出版になった研究の元は院生時代のもの,というのもいくつかあります。何回か国際誌の投稿を経験して思うことは,別に国内誌よりも国際誌のほうが難しいみたいなのはないということですね。なぜかというと,国際誌もピンキリだからです。自信がなくても,あるいは国内誌に落ちても,低めの国際誌に出したら通ることもあるので。

追加の質問の,「投稿する」レベルにあるというのをどう判断するか,ですが,それも「どこに出したいか」によるんじゃないかなと思います。例えば,心理言語学系のジャーナルだと実験1つでは基本的に載らないというところもあると聞いたことがあります。あとは,もっと内容的なことでいうと,「一本の論文として一応のストーリーはできるか」が大事かなと思います。仮に結果が自分の予測していたとおりにならかなったとしても(私の場合はほとんど予測通りになったことがない),それを解釈して一応のストーリーになっていれば論文にはなるし,論文になる=投稿するレベルにある,ということだと私は思っています。

ジャーナル選びの採択難易度など

この質問者さんがもし仮に名大の方だったら,門外不出の通称「ソルジャー・マニュアル」という文章があるので,先輩に聞いてファイルもらってください。その中に「国内の主な論文投稿先リスト」というのがあって,そこに作成者の独断と偏見で判定した難しさランキングがあります。

投稿先を選ぶときに気にするのは,難易度もそうですけど,そのジャーナルのスコープじゃないでしょうか。例えば,教育に関係があるなら言語教育系の学会誌や教育系の雑誌に出すというようなことです。例えば,国内の学会でいえば,テストが関係するなら日本言語テスト学会のJLTA Journalに出すとか,コーパスが関係するなら英語コーパス学会のEnglish Corpus Linguisticsに出すとか。

横ではなく縦でみると,まずは学会誌の中でも外国語教育メディア学会(LET)や全国英語教育学会(JASELE),大学英語教育学会(JACET)は支部や地区学会の学会誌もありますよね。全国誌よりも地方誌のほうが「基本的には通す」という編集方針でやっていると思うので,よっぽどひどいものでなければ採択はされるはずです。こういう学会に所属しているなら,学部生・院生で手始めに出してみる,というのはありだと思います。研究成果をコミュニティに広く受け入れてもらいたいと思うと,地方誌に出しても…っていうところはあると思いますが,今はほとんどの地方誌がオンラインで公開されていると思うし,昔のように紙媒体だけで出版されていたときよりは引っかかりやすくなっているんじゃないでしょうか。あとは,単に自分の名前を宣伝する意味でも,もし仮に国内で大学に就職することを最終的に目指すのなら学会活動に積極的に貢献して名前覚えてもらって悪いことは一個もないとも思います。別にそれが主目的で論文書くことを推奨しているわけではないですが,学会ってそういうところもあると思うので。ちょっと脱線ですけど,名前覚えてもらうってことでいうととにかく自分のwebsite作る,researchmap登録するとかして,名前で検索されたときにその人がどんな人かがわかるようにするというのが超絶大事だっていうのは言っておきたいです。私も院生時代から自分のウェブサイト作ってました。

国際誌はもう純粋に教育系かそうじゃないかで結構分かれるような気がします。言語学系の研究ならLTRとかSystem出すのはちょっと違うかなみたいな。たぶん一般的によく言われることですが,「自分の研究と似たような研究がよく載っているところを選ぶ」と言い換えられるかもしれません。SLR,SSLA,LA(と略される雑誌はLanguage AwarenessとLanguage Acquisitionがありますが,この並びてきに後者ですかね)と並んだら,そりゃやっぱりSSLAから出すんじゃないでしょうか(私は何回か出してますが落ちたことしかないです)。そういうこと言えるのも,私が任期のない職についていて,業績競争の渦中にいないからかもしれませんけど,基本的には上からどんどん出していって,どっかで引っかかれば,っていう感じで私はやりますかね。とはいえ,例えばLLからスタートするような研究だと,「まあ通りはしないだろうけどフィードバックは仮にdesk rejectでもエディターからでももらえるし無料だしいっか」くらいの感じでやってます。SLRに通ったやつは,BLC(desk reject) -> LL (desk reject) -> SLR (major -> major -> minor -> accept)って感じでした。いやLLから出してないやんけってなりそうですが,私は初めて投稿した国際誌がBLCだったので,なんか思い入れがあってBLCに出したのですが,ダメで,「ほんならもうLLいっとけー!」ってなってLL出してダメだったって感じです。

私も国際雑誌投稿の経験がそこまであるわけではないですが,レベルが高くない雑誌のほうが通りやすいかというとそうでもないということは多分あって,そういうことを言われたこともあります。実際に,2019年にApplied Psycholinguisticsに出版された論文はそこよりもSJRのランキングでいうと下のところに出してリジェクトされたあとにApplied Psycholinguisticsに出して採択されました(最初に出したのはBLC)。

あとは原稿のタイプや語数なども考慮する要因に入るかなと思います。実験研究ならどのジャーナルでも基本的には受け付けていると思いますが,Opinion Paperみたいなやつは,その原稿の種類を受け付けているジャーナルとそうではないジャーナルがあると思います。今だと追試研究というセクションがあるかどうかというのもあるかもしれません。例えば,SSLAにはCtirical Commentaryというセクションがあり,語数はマックスで6000語です。

Critical Commentary. These manuscripts are shorter essays (i.e., non-empirical) motivated by current theory and issues in second and subsequent language acquisition or heritage language acquisition, including methodological issues in research design and issues related to the context of learning. Maximum length is 6,000 words all-inclusive (i.e., abstract, text, tables, figures, references, notes, and appendices intended for publication).

https://www.cambridge.org/core/journals/studies-in-second-language-acquisition/information/author-instructions/preparing-your-materials

SSLAのCritical Commentaryに相当するSLRの原稿タイプはResearch Notesだと思いますが,こちらは語数は4000語とかなり短めです。SSLAでいうResearch ReportsやReplication StudyもSLRだとこのResearch Notesに含まれると思います(下記引用)。

(b) Research Notes (4,000 words) 

Research notes are short reports and discussion papers of interest to the Second Language Research community. Research notes also include original research and follow the same outline as above but should be highly focused on one specific question related to SLA. Research notes may include replications of previously published studies.

https://journals.sagepub.com/author-instructions/SLR

Language Acquisitionにはこれらに相当する原稿タイプがあるかというと,Brief articlesになるのかもしれませんが,SSLAのCritical Commentaryのようなところに出して落ちたやつをLAのBrief Notesに出して受け入れられるかっていうとどうかなというところでしょうね。

*Brief articles must report original empirical findings, major theoretical advances, or crucial developments that warrant rapid communication to the developmental linguistics community. As in the main section of the journal, manuscripts on all areas of language acquisition are welcome and will be selected on the basis of sound argumentation, theoretical evidence, and methodological rigor. A submission to the Brief Articles section should conform to the same requirements as an article with the following exceptions: The manuscript should not exceed 15 double-spaced pages, including footnotes and references. Inclusion of experimental materials is not required in the manuscript, but it is recommended that published articles make their materials available for review on the world wide web.

https://www.tandfonline.com/action/authorSubmission?show=instructions&journalCode=hlac20#article-types

おわりに

こういう話も私がどうやって学んだかっていうと,身近なところで情報収集して(主に福田さんから聞いてた)ような気がしますね。本当なら,指導教官の先生とか,院生仲間(先輩含む)からこういう話聞ける環境だといいんでしょうね。あとは,たまに学会で会う国際誌投稿が豊富な方々からも国際誌の投稿・査読の経験の話なんかはよく聞いていたかもしれませんね。ぜひ,学会でそういう「国際誌でよく名前を見る人達」を捕まえて投稿経験を聞きましょう。もしも,いやそういう人たちに話しかけるのは恐れ多い,ということなら,誰にでもニコニコ対応してくれる福田さんに聞いてみましょう。あ,でも福田さんは英語教育系の学会にはいないからな…。そうだ,福田さんに会えるかもしれない学会が…!(子どもがいるから行けないかもしれないけど)

おあとがよろしいようで。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

専門書についても通読した方がよいですか

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。

質問

修論をやっていて、論文はともかく専門書については、関係するチャプターだけ読むとか、関係するところをindexからさかのぼって読む、ということは多くやっています。他方で、専門書についても通読した方がよいのかな、と思うことも多くあります。何をうかがいたいかというと、①通読はどれぐらいするべきか、②通読する機会はどうやって確保しているか、③最後まで読むためのノウハウ的なものを教えていただければ幸いです。

回答

これ,矢野さんにも全く同じ質問されてましたよね…?矢野さんの回答でご自身の満足する回答を得られなかったために私にも質問されていると思いますが,さすがに質問丸コピはわざわざ答えてくださった矢野さんにも失礼ではないかと思いました(もちろん,丸コピの質問を横流しされた私もいい気はしないです)。

よって,この質問には答えるかどうかめちゃくちゃ迷ったのですが,ブログで答えることにします。普段こんなこと絶対言わないですが,この手間をかけて質問に答えることに色々思いを馳せてくださいね。

「専門書」の認識が一致しているか

まず,専門書って言ったときに,何を想像するのかっていうのは一義的に決まらない気もするので,そこから。論文との対比なので,論文以外の書物が専門書に含まれるのかな,と最初に解釈しました。そうなると,いわゆる分野をざっくり概観するような書籍,例えば私の分野であれば,Second Langauge Acquisitionがタイトルに含まれていて,大学の授業のテキストにも採用されそうな第二言語習得をある程度網羅的にさらっているような書物も含まれそうだなと思ったのです。もちろん,そういった書籍の中にもかなり入門向けのものなから,割と歯ごたえのあるものまで多少の幅はあると思います。

もし仮に,そういう分野を概観するようなものも質問者の方の「専門書」に含まれるとしたら,次のセクションをお読みください。そうではなくて,もっとトピックを限定して,そのトピックだけをかなり掘り下げて書いているような書物のことを「専門書」と呼んで質問しているなら次のセクションはスキップしてもらって構いません。

概論書は何冊でも読んでいい

ガチガチの専門書ではなく,ある程度ライト層(大学院生や学部生)も読者層として考えられているような,いわゆる入門書レベルの本(とは言っても新書とか一般書ではなく)であれば何冊でも読んだ方がいいと思います。

というのは,論文何本読んでもその分野の全体像が見えて来ないので,自分のやってる研究が全体のどこに位置していて,全体で解決すべき問題のうちのどの部分を扱っているのは論文を読んでいるだけでは把握できません。学術論文であれば,そんな広いところがイントロのスタート地点にはならないでしょうけど,学位論文になったらある程度広いところからスタートすると思うんですよね。その方がディスカッションも広がると思うし(ここは議論分かれそうですが)。なんでその研究が大事なの?とか,その研究の意義とかっていうのは,私は俯瞰的な視点からも考えられるべきだと思っています。よって,特に研究を始めて間もない頃ほど入門書読み漁るのがいいと思います。

専門書を読むかどうか

いや,入門書じゃなくて,もっと扱ってるトピックが狭い専門書のことです,ということであれば,その専門書がどんなものなのかとか,なんの目的でその本を読むのか,みたいなところも関係するかなと思います。どの分野の修士課程やられているかわからないので,例えにしっかりきてもらえるかわからないのですが、私の例でいいますね。

私は修士論文が意識高揚タスクと呼ばれる類のタスクを行うことにより、目標言語項目への「気づき」が促されるのかというものでした。このとき、意識高揚タスクが自分のフォーカスだからといって、例えばもっと大きな枠組みのTask-based Language Teachingの専門書を通読したことがない、というのはちょっと心許ない感じがしますよね。Ellis (2003)くらい読んでるだろう普通みたいな。この領域の研究をするなら,これは誰しもが読んでいるだろうみたいな専門書って割とある気がするんですよね。スピーキングの研究やってるならLeveltは絶対に読んでいるはずとか,Lingua Franceの研究やっているならJenkinsは読んでいるはずとか。とくに,複数著者がチャプターを書いているcollectionぽいものではなくて,単著または共著で一冊の本を書いているタイプのやつです。チャプターごとに著者が異なるやつだと,割とチャプターごとに話が変わるので,チャプターつまみ食い的な読み方でもいいのかなとは思うのですが。自分の領域の論文を読んでいて,多くの論文で引用されるような文献が書籍であったら,それは読んだほうがいい専門書だという気がしています。

②通読する機会はどうやって確保しているか

私自身を振り返ると,やっぱり授業のテキストとして指定されているから読むとか,研究会で輪読するから読む,が多かったかもしれません。修士課程のときは読むことしかやることがなかったというかとにかく暇さえあれば図書館に行って読むという日々だったので自分のど真ん中ではない本も読んでいたと思いますが(それこそ言語政策の本とか)。D1の時でもM生の人たちと一緒に授業とってテキストに指定された本を通読していましたし,同じSLAの授業でも別の先生が担当している授業を複数取ったりしていました(今考えると,そんな贅沢な環境にいた,とも言えますね)。

あとは矢野さんもおっしゃっていたように,仲間を誘って読書会開くのもありだし,すでに開催されている読書会に参加するのもありでしょう。指導教員の先生にそういった会の開催を相談してみるのもありなんじゃないかと思います。私がもし自分のゼミ生にそういう相談をされたら自分が忙しくてもやろうやろうってなると思います(ゼミ生を持つことが今後あればの話ですが)。

③最後まで読むためのノウハウ

これを聞くということは,ノウハウがなければ通読はできないっていうことなんでしょうかね。正直,それは知的体力みたいなものかなと思うのでなかなか難しいですね。研究者を目指していなかったとしても,本を通読する知的体力がない人よりは絶対にある人のほうが今後の人生にその力が活かせるでしょうし,それを養うのも大学院という場所かなという気もしています。

通読できないのはなんでその本を読むのかという目的がはっきりしないという可能性もありますので,その本を読むのはなぜなのか,どういうことを理解するために必要なのかを最初に明確にしてから読み始めることも有効かもしれません。

あとは,私はブログ書くというアウトプットを目指して論文や本を読んでいた時期もありました(今はちゃうんかい)。レビューのようなレベルまで行ってたわけではなくて,単なる読書感想文止まりの拙い文章でしたけど。アウトプットするために読もうとなると,自分の理解も必然的に深まりますしね。これは単なるアウトプットではなくて,誰かに見られる文章を書くというのがポイントです。自分しか見ないのであれば適当になってしまいますから。それに,業績にはならなくても自分が何からの本を読んでその概要や考えたことをまとめたものというのは,公開したら絶対に誰かに読まれてどこかで誰かの役に立つことがあると私は思っています。

おわりに

質問者の方の知りたいことにストレートに答えられているかはわかりませんが,私からの回答は以上です。修論頑張ってください。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

乳幼児3人子育てしていてなかなか研究が進められないというご相談

はじめに

Querie.meでいただいた質問への回答シリーズです。長文の回答ではないですが,なんとなくブログに残しておきたいなと思ったのでこちらに書きます。

質問

はじめまして。私は4年前に英語教育の修士号を取得し現在4コマの大学非常勤をしている30代です。乳幼児3人子育てをしており、なかなか研究を進められません。今後、任期付きの仕事か博士後期に進むのか将来分かりませんが、いずれにせよどのように研究を続ければよいかアドバイスいただきたいです。今は大学紀要論文をなんとか書き進めてるところです。

回答

質問ありがとうございます。乳幼児3人の子育てに加えて非常勤4コマ担当されているなんて,それだけで尊敬に値します。私は育児休暇を取得して,仕事量を大幅にセーブしたうえで(継続している研究プロジェクトや学会業務はほそぼそとやっていたのでゼロにはなっていませんでしたが)子ども一人育てるのだけで精一杯ですから。

質問者の方は子育てと非常勤に加えてさらに論文も書かれているなんて,それだけで研究やってる人だと私は思いますよ。国際ジャーナル,学会紀要,大学紀要など媒体は関係なく,亀の歩みでもやり続けること,書き続けること,それ以外に研究を続ける方法はないかなと私は思っています。私も就職してから常に研究ができていないという悩みを抱えながらここまでやってきています。自分は超人ではないし,人と比べて何かに優れているわけでもないし,それでもやっていくためには,とにかく「やめないこと」それしかないなという気持ちでいます。大学院博士後期課程時代に,私の先輩はこんなことを言っていました。

研究者は自分で自分を「書けないタイプ」とみなしたら終わり

せいぜい「たくさんは書けないタイプなだけ」とか「今はまだ書けないだけ」と思うこと

このことは折に触れて思い出すようにしています。

書く,ということに関していうと,書きかけのなにかがあるならとにかく毎日そのファイルを開いて目にいれる,ということを意識しています。あとは,文献を読んでいなかったら論文を書くどころか研究のアイデアすらも浮かばないと私は感じているので,やばいなぁと思ったらとにかく読むことですよね。また,学会に行くのも自分の思考が刺激されてアイデアが浮かぶことがよくあります。そうやって,ほそぼそとでも続けていくしかないなというのが今私自身が思っていることです。子育てしながらだと,自分の時間もなかなか取れないし,決まった時間に何かをしようとしてもそれが継続して習慣的にできるようにはなかなかならないですもんね。この部分に関しては私もまだ自分の中で最適解のようなものは見つけられていません。むしろ,私のほうが3人のお子さんを育てながらどうやって論文書く時間を作っていますか?とお伺いしたいくらいです。

最後に,もし博士後期への進学を検討されているのなら、ぜひ関西大学外国語教育学研究科も候補にしていただけたら嬉しいです(宣伝)。事前の申請は必要ですが,リモート履修制度というのもありますので,遠隔地から授業を履修して課程を修了できます。

https://www.kansai-u.ac.jp/fl/graduate/

おわりに

一緒に頑張りましょう。

質問したい方はどうぞ。Xのフォロワーが1000人超えたので有料質問も受け付けられるようになったのでその選択肢も出してますが,無料でも全然答えます。有料になったら気合いがもっと入ると思いますけど。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

リサーチ・クエスチョンの見つけ方

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。

質問

文法習得にフォーカスするSLAの研究で、自分のリサーチクエスチョンに至るには、先行研究を読んでまとめることを繰り返して、そのまとめたものから、リサーチ・ギャップを見つけるというかたちで進めればよいのでしょうか。 4月から進学する学生なのですが、「これまでに何がわかっていて、何が課題なのか」という部分をまとめるのがすごく苦手な気がしていて、お尋ねする次第です。アドバイスをよろしくお願いします。

回答

おっしゃられている方法(「先行研究を読んでまとめることを繰り返して,そのまとめたものから,リサーチ・ギャップを見つける」)は,文法習得とかSLAとか関係なく大事なことなのかなと思います。リサーチ・ギャップを見つけてそれを埋めるより,既存のリサーチの前提を問い直す研究の方が本当は大事なことなんですけどね(参照:『面白くて刺激的な論文のためのリサーチ・クエスチョンの作り方と育て方』)。「進学」が修士課程への進学だとしたら,そういう研究をするのはかなりハードルが高いので,個人的には目指さなくてもいいと思います(もしできるのならそれは素晴らしいこと)。もし博士課程に進学されるのなら,単なるギャップを埋める研究ではなくもっと野心的な研究に挑戦してみてください。

あとは,個々の論文だけ読んでいても、いわゆるbig pictureというか,それがより大きな領域・分野のどういうところに貢献するのか,みたいなことがわからないままになってしまうと思います。だからこそ,いわゆる教科書的な本は何冊でも読んだら読んだだけ得るものがあると私は思っています。

「これまでに何がわかっていて,何が課題なのか」というのは,たいていの場合論文のイントロに書いてあると思います(私は少なくともそういう意識でイントロを書くようにしています)。イントロがなく,いきなりliterature reviewから入る論文でも,本研究に入る前のところで,研究の意義とか目的みたいなものを書いているパラグラフがあると思います。それが,「これまでに何がわかっていて,何が課題なのか」に関係していますよね。

また,「何が課題なのか」については,論文の最後の方,”future directions”てきなのが書いてあるパラグラフがあると思います。あるいは,limitationsの部分に,今回の研究の限界が書かれていると思います。その限界というのは,今後の課題につながる部分でもあるはずですよね。例えば,今回の結果Xの効果が見られたが,実際にはこういう実験をしてみないとYの影響がある可能性もある,というような話があれば,「こういう実験」というのが次にその領域でやるべきこと,でしょう。そういうののなかで,自分がやってみたい,と思うことがリサーチクエスチョンになるんじゃないでしょうか。

私の場合は,修士論文も博士論文も,「なんかこれおかしくない?」みたいなのが動機というかスタート地点でした。修士論文のときは,読解中に線引いたらそれすなわち”noticing”みたいになってるけど線引いたときに何考えてたかわからなくない? -> 刺激再生法でインタビューしてみよう,みたいな感じでした。博士論文は,複数形形態素の習得ではよく数の一致現象が取り上げられるけど,数の一致は処理が複雑だから,それができない=複数形形態素の習得ができないとかそういうことじゃないんじゃないの? -> もっとダイレクトに複数形形態素とその意味のマッピングを「習得」と定義して,そのマッピングを調べる実験をやってみよう,みたいな感じでした(参照:Tamura, 2023)。

所属する研究科や指導教員の先生のやり方等もあると思うので,そういうのを入ってから学びながら,という側面も結構あると思います。こうやってリサーチ・クエスチョンを立てなさい,というような具体的な指導があるかもしれませんしね。上で書いたことはあくまで「私はこう考えている」ということなので,大学院に入ったら実際には私が書いたこととは全然違ったみたいなこともあるかもしれません。そこはご理解ください。

ちょっとした昔話

最後に,ゼミや授業その他でいろんな論文や研究について色々ディスカッションする中で研究のアイデアが生まれることもあると思います。私が大学院(博士課程)のときは,喫煙所でいくつものアイデアが生まれたような記憶があります。

今でもすごく自分の記憶に残っているのは次の研究です。

Nishimura, Y., Tamura, Y., & Hara, K. (2017). How do Japanese EFL learners elaborate sentences complexly in L2 writing? Focusing on clause types. Annual Review of English Language Education in Japan, 28, 209–224.

2017に出た論文ですが,2016年にやった研究だと思います。草薙さんや福田さんという私がすごくお世話になった先輩が名大からいなくなって,自分が引っ張る立場になりました。そんなとき,後輩の西村くんと帰り道に理系の方の喫煙所に寄って,研究の話をしました。彼は当時から統語的複雑さというものに興味を持っていました。そこで,統語的複雑さの指標(節の数とか従属節の割合とか)があがったさがったとか,そういうのよりも,「どうやって統語的に複雑な文を書くのか」に注目したらどうかという話になりました。普通にライティングをさせてもそこまで複雑な文は出てきませんし,明示的に複雑な文を書いてください,と指示しても,その指示の中に複雑な文の具体例を出さなければならず,実験としては成り立ちません。そこで,6コマ漫画の描写課題で書ける文の数を制限させるという条件を課すことで,限られた文の中に多くの情報を詰め込まなければいけない状況を生み出しました。「一番複雑な文を書く大会」というプロジェクト名で,もう一人の後輩(原くん)も誘って3人で研究をしました。中部地区英語教育学会で発表して,全国英語教育学会紀要に投稿し,無事採択されたというわけです(引用されたことないんですけどね….)。

こんな風に,誰かと話している中からアイデアが生まれて,それが研究になる,ということもあると思います。もちろん,こうやって形になった研究なんてほんの一部で,考えていった結果としてこれじゃ研究にならないな,といわゆるボツになったものも数え切れないくらいあると思います。進学される大学院にフルタイムの学生がたくさんいて,毎日毎日研究の議論をたくさんする,というような環境ではないかもしれません。そんなときは,研究会や読書会に参加したり,学会に参加したりしてみると,そういう議論の機会も得られると思います。

おわりに

4月からの大学院生活,楽しんでくださいね。応援しています。

質問したい方はどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

先行研究のレビューや良い批判の仕方は、どうすれば学べますか?

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。質問は以下です。

先行研究のレビューや良い批判の仕方は、どうすれば学べますか? 参考になる本や、ご自身がどうやっているか教えてほしいです。

これまた私に聞くの?ってやつですね。私に「良い批判の仕方」を聞くのはちょっと良くないですね。私,「良い批判」ができないことで有名ですから…(ウッ

回答

とにかく大量のインプット

人から学ぶ

自分がどうやって学んだかっていうことを考えると,誰かと一緒に論文や本をたくさん読む経験をしたっていうことが一番大きいような気がします。「誰かと一緒に」がポイントです。自分一人で論文や本を読みまくって,鋭い視点でコメントができるようになる人もいるとは思いますが,そういう人は一部だと私は思っています。私のような凡人は,誰かから学んでいくしかありません。授業でもゼミでも,学外の研究会や勉強会でも,ときにはお酒の席でも,とにかく自分より研究キャリアの長い人がどうやって論文や本を読んで,どういうところに着目しているのか,そういうことを学びながら,だんだん自分もそういう読み方ができるようになっていったのではないかなと思います。

私が博士課程を過ごしたときの環境は,別に自分から求めなくても毎日延々と研究のことを喋り続ける人がいたので,夏の暑い日も,冬の寒い日も,雨の日も風の日も,雪の日も,そういう人たちの話を一生懸命聞いて,その話になんとか自分もついていくということに必死だった記憶があります。

私が博士後期課程1年目の春だったか夏前くらいだったか,先輩が「例えばな,この男と付き合いたいと思うか思わないかっていうのを0/1で考えるロジスティク回帰をするとするだろ。こういう曲線だな」みたいなことを言ったとき,頭の中で「ロジスティック回帰ってなに???」って思ってわけがわからなかったの,今でも鮮明に覚えています。そのあと必死に勉強して,その2年後くらいにRでロジスティック回帰をやるテクニカルレポートを書くことになったわけですけど。

学会でも,発表を理解することとともにどのような質問があがるのかということにすごく意識を集中させて聞いていました。すべての質問が良い質問ではもちろんないわけなのですが,そういうところでも,学びの機会はあります。オンラインの学会だとなかなか「会場の雰囲気」みたいなものを感じることもないですし,そもそも質問も出てきづらいことも多いので難しいかもしれません。ただ,2023年度からは対面開催の学会もまた戻ってくるでしょうし,行くのはめんどくさいですけど行ったら絶対に学び(と出会い)があると思って学会に行きましょう(自分にも言い聞かせる)。

学会のような大きなイベントではなくても,小規模の勉強会や読書会のようなものがあれば,勇気を出して飛び込んでみることをおすすめします。知り合いからそういう話を聞いたら,とりあえず行ってみる,若いうちはとくに誘われたら基本は参加,でいいと思います。英語教育系の院生さんや若手の研究者の方で(いや別に若手である必要もまったくないですが),私が毎月参加している研究会(輪読+アルファ)に興味がある方がいたら,ご連絡いただければ詳細お伝えします。たしか3月の開催日は28日だったかなと思います。

概説書を読む

大量のインプットというのは,自分の知識量を増やすという意味もあります。結局,その分野の枠組みみたいなものを理解していないと,個別の研究をそこに位置づけることもできませんし,それができなければその研究の価値も評価できないわけです。そういう状態では,「良い批判」はおそらくできないのではと思います。そのためには,個別の論文を読むことよりもむしろ概説書を何冊も何冊も読むことが大事なのではないかと,これは博士課程終わる頃くらいに思うようになりました。

後か不幸か,英語教育とか第二言語習得という分野は入門とか概論とかIntroductionというのがつく本が大量にあります(cf. 英語科教育法 「僕・私のこの一冊」 懐かしい思い出と未来への展望と)。中には同じ話をしていることもありますが,同じ話でもどういう文脈でその話が出てくるのかというのは著者のスタイルというか分野の眺め方によって違うわけで,同じ事象を別の角度から眺めることを繰り返すことで知識が深まっていくし,そのベースがあるからこそ個別の研究を批判的に読むことができるようになるのではないかと思います。

むかし,ある人が,「俺が学部生のとき,指導教員だった○○先生は論文より本を読みなさいってずっと言ってて,でも俺は論文を読みたかったんだ…!」って言ってたのを覚えています。彼がいま,このことをどう思っているのかはわかりませんが。私は,その先生の指導があってこそのいまの彼なんじゃないかなと思っています。概説書に書いてあるものは全部知ってることなんだから,新しい知識を得られないじゃないかって思いがちですし,概説書だけ読んでればいいってことはないわけですが,論文読むのと同じくらいそれは大事なことでは?って思うようになりました。

最初からうまくはいかない

誰かと一緒に論文を読むとか,学会に参加するとか,そういう場所では最初はなかなかコメントできずに周りの話に圧倒されるかもしれませんが,それでも声には出さなくても頭はフル回転させて「何を言ったらいいか」を考え続ける事が大事かなと思います。もちろん黙っているだけよりは何か言ったほうがいいわけですが,最初のうちは私も全然議論に参加できていなかったこともありましたから。場数を踏めばそのうち何かコメントできるようになるはずです。それが「良い批判」かどうかはわかりませんが,最初からなにかクオリティの高いものが出せると考えているほうが間違いです。どんなに有名な研究者でもoutput -> feedback -> revisionというプロセスを経て良いものを作り上げていくはずです。そういうことを繰り返していくうちに最初のoutputの質もあがっていくのだと考えたら良いでしょう。私もまだまだ修行の身です。

私は,自分が日々考えていることを文章としてウェブ上に残すという作業を10年以上続けてきました。そのことは,思考->言語化の部分の訓練にはなったと思います。その中には,読んだ本や論文などのレビューも含まれていたと思います。決してうまくまとめられていたとは思いませんが。それでも,ただ読んで考えて終わり,だけではなく,メモ書きで残して終わりでもなく,ある程度まとまった文章にするという作業をすることは,先行研究のレビューにもつながる練習ではあるかなと思います。

もしも,身近に誰かから学びをえるような環境がなかったり,ブログ書くとかそういうのはちょっとハードルが高い…と思うようであれば,書評だったり論文のレビューなんかをウェブ上で発信している人の記事を読むのも有意義だと思います。今はブログで発信している人の数も私の周りでは減ってきてしまっていますけれど。それでも,とにかく色んな人の色んな意見を読むというのは大事ですから。

また,「先行研究のレビュー」というのが,自分の研究に関連する先行研究に関するレビューを書くということを指しているのだとすれば,自分の先行研究のレビューが一番参考になるように思います。もちろん,自分の領域とは違う論文でも,論文を出しまくっている人はレビューが上手なことが多いですから,この人のパブリケーションすごいな,と思う人の論文を読んで,その人がどうやってレビューをしているのかを分析してみるのも良いのではないでしょうか。

このときに,論文のレビューセクションがどういう構造になっているのかを読み解く必要があるわけですが,その際の基礎的な知識として,下記の本は参考になるかと思います。

論文の書き方指南書ですが,「ムーヴ」(Move)という概念を獲得することにより,レビューの構造を把握しやすくなると思います。

それから,分野は違いますが,こんな本もあります。

文学の批評は論文や研究に対して批判的なコメントをすることとはまた異なるものですが,文章の読み方や書き方に関するヒントはたくさんあると思います。

おわりに

あとなにかまだ書こうと思っていたことがあったような気がするのですが,忘れてしまったのでこのへんでおしまいにします。

https://querie.me/user/tam07pb915

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

論文執筆環境を教えてもえらえますか?特に論文執筆中に活用しているアプリやツールなど

はじめに

Querie.meでいただいた質問シリーズ。このサービスを始めた当初は別に質問をいただいたらブログ記事を書こうなどとは微塵も思っていなかったのですが,気づいたらブログに書くのがルーティンみたいになってきました。いつの日か,質問に答えるのもめんどくさくなる日が来るのかもわかりませんが,そういう日が来るまでは今のスタイルで行きます。質問はズバリタイトルのとおりです。

回答

まず質問を見て思ったのは,「それ聞く人あってる?」です。こういう質問が来る人って,すごくproductiveでめちゃくちゃ論文書きまくってる人なんじゃないかっていう勝手なイメージがあるんですよね。こういう質問をする方っておそらくですが自分のproductivityをあげたいと思っていて,そのために便利なツールやアプリを知りたいっていう動機なのではないかと思うわけです。それを質問するのが全然論文出していない私っていうのはもうなんというか私以外のもっとproductiveな皆さん質問箱でもマシュマロでもQuerie.meでもやってくださいって思います。それか,私だったらなんでも答えてもらえるからまあ聞いておくかみたいな感じなのかもしれないですね…。

長文はScrivener一択

おそらくですが2016年くらいから,論文や本のチャプターなどの長文を書くのはScrivenerというアプリを使っています(MacもWindowsもありますし後発でiOSアプリもできました)。安いものではないので院生さんのような方におすすめするというのはちょっと躊躇します。また,今値段見たら私が買ったときよりももっと高くなっていて,円安か…と思ったりしています。ただ,サブスクのようなシステムではなく一度買ったらずっと使えるという感じなので,その価値はあるかなと個人的には思っています。無料のトライアルもあるので,それで30日間使ってみるというのもありでしょうね。

Scrivenerを一度使い始めたら他のアプリでは論文を書けなくなりました。最後の最後の段階までScrivenerで書いて,最終的にはWordファイルに出力して整えるって感じの使い方をしています。

機能を色々使いこなせているかというとたぶんそういうわけでもないのですが,一番いいのはセクションごとにターゲットの語数を決められることと,全体のターゲットの語数を決められることですね。自分がそのセクションでどれだけ書いているのか,全体の目標語数までどれくらいなのかがわかって,執筆のモチベーションになります。執筆のデッドラインの目標とかも作れます。執筆日は週何日で,いつまでに何語書かないといけないのかとかを入力すると,執筆日に何語書かないといけないのかを計算してくれます。サボったらその分だけ1日のノルマが増えるとかもやってくれるのです。そういう設定を利用しなくてもその日に何語書いたのかとかもわかるので,「今日は100語だけしか書いていないけど,でも何もしていないよりよっぽどマシじゃないか。ビール飲もう」とか,「今日はディスカッションのうちの1節のターゲット語数をクリアできたぞよしよしビール飲もう」とか,そうやってお酒を飲むきっかけ作りにもなります(すな

もちろん構成を考えたりとか,文章の別の箇所や全体像を参照しながら書くとかもすごくやりすいと個人的には思います。やっぱり論文は頭から書くものじゃなくて,書けるところから書いていき,同時に各パートの一貫性も整えながら,最終的に一本に仕上げるっていう感じだと思うんですよね(もちろん人によりますけど)。そういう書き方で進める文章にとって,パーツを自分の好きなように作れるということと,それを好きなように積み上げられること,そしてそのパーツに書く本文とメモ的なものを分けられるっていうのはすごくメリットがあることだと個人的には思っています。

『考えながら書く人のためのScrivener 入門』(https://amzn.asia/d/eNtvvSN)という本も買って読みました。使いながら慣れるっていう感じだと時間がかかる人もいると思うので,Scrivenerを買ってた人にとってはこの本は買って損はないと思います。ウェブ検索するとScrivenerについて書いている記事も結構見つかるのでそれらを読んでみてからScrivenerの購入を検討するのもありでしょうね。以下,検索して上位に出てきた記事3本です。

高機能アウトラインプロセッサ『Scrivener』のメリット・デメリット

Scrivener3徹底レビュー:小説・論文作成のベストアプリ【使い方も解説】

文章執筆統合ソフト「Scrivener3」を使ってみた

3つ目の記事でもあるように,合う人と合わない人がいると思います。機能はモリモリですが,直感的に使いやすいというわけではありませんので。ただ,基本的な機能を一通りマスターしたら全然Wordで書くよりいいので私は気に入っています。プロジェクトをDropboxのようなクラウドサービスと連携させておけば異なるデバイスでも執筆できますしね。

メモ的なものはObsidian

私がメインで使っている,それこそなんでもかんでも放り込む的なものはEvernoteです。パーソナルプラン(年8,100円)で使っていて,これはもう10年以上とにかくなんでもかんでも放り込んでます。特にウェブの記事をクリップできるのがめちゃくちゃ気に入っていますね。読んだもの,あとから読むもの,とにかくなんでもかんでもEvernoteに入れています。

ただ,研究に関してのメモはObsidianにするように1年前くらいですかね?なりました。きっかけは確かanf先生が様々なツールを試していた際に言及していたことだと思います。

Obsidianという刺客が現れた→どうする?→roam researchから乗り換えた

考えるための名前のない技術(2)

思い浮かんだことはとりあえずDraftsに入れて、使いみちを考えるのはその後

私はマークダウン記法信者でもあるので,マークダウン記法が使えるエディタがいいなと思っていて,様々なノートをある程度自動的に結びつけることができる機能があるObsidianに興味が出て使い始めました。

私がScrivenerを使い始めるのは,「この論文を書く」っていうのが決まったときなんですよね。その手前のアイデア段階のものは,Scrivenerで作業し始めるほどのレベルに達していないと個人的には感じます。そうは言ってもアイデアが浮かんだらメモくらいはしておきたいなというときにObsidianを使っています。また,論文を読んだときのメモもObsidianに書くようになりました。

論文のメモは昔はMendeleyという論文管理ツールを使っていたのですが,あるとき急に同期の不具合があってそれまで自分がMendeleyを使ってとっていたメモも含めて全て消失したんですよね。復元もできなくなって。Mendeley死ねクソがと思ってそれ以来,文献管理ソフト上でメモを取るのをやめました(今はZoteroを使っています)。あまりにもリスクが大きいので。外部のソフトウェアを使えば,そのファイル自体は自分のデバイスに保存されますからね,例えばObsidianなら”.md”というマークダウンファイルで保存されますし,その保存先をDropboxやOneDriveなどのクラウドサービスにしておけば,まず間違いなくメモが消えることはありません。

表現的なものはAcademic Phrasebank

論文を書いているときに,表現のvarietyを持たせたかったり,こういうときに便利な表現ないかなーと思ったときにはAcademic Phrasebankにお世話になってます。結構有名なのでご存じの方も多いとは思いますが。

イントロ,バックグラウンド,メソッド,ディスカッション,コンクルージョンとセクションごとによく使われる表現がまとめられている上に,機能(”Being critical”, “Compare and contrast, etc.)ごとにも表現が見つけられるので便利です。ライティングの授業でも学生に紹介しているウェブサイトです。

NTCとNRCは大好きなアプリ

最後に,論文執筆と直接関係はないんですがお気に入りのアプリを2つ。

Nike Training ClubNike Running Clubです。NTCはワークアウトアプリで,ヨガからストレッチから結構ハードな筋トレまで,めちゃくちゃたくさんのメニューがあります。短いものだと5分くらいで終わりますし,自重だけでできるワークアウトも豊富なのでわざわざジムに通う必要もなく家でもできます。トレーナーの人が一緒に同じワークアウトをしている動画を見ながらできるので,パーソナルトレーナーのついた筋トレのような雰囲気を味わえるのを気に入っています。

NRCはランニングアプリで,距離や時間などに応じて多様なメニューが用意されています。今日は走りたくないけど…というときには10分程度で終わるものがあったり,距離別だと1キロ,1マイル,5キロなどもありますし,コーチが音声ガイダンスで指示してくれます。インターバルトレーニングや,マインドフルネスに特化したプログラムもあり,ただ走るだけではなく音声コンテンツを楽しみながらランニングができます。私自身は2020年は月100キロとか走っていたときもあったのですが,もともとヘルニア持ちで腰からくる股関節痛を発症してからは日常的に走ることはなくなってしまいました。ただ,NRCは本当にランニングのお供としてめちゃくちゃお世話になりました。

もともとNikeが好きということもあり,バッシュ(もう全然最近バスケしてないですが),スニーカー,アパレル(普段着も運動着も),ほぼほぼNikeという影響もあってNikeのアプリに親近感をもったこともあるとは思いますが, NTCとNRCなしでは私の運動習慣は継続していないと思います。論文執筆に直接的に関わるわけではないですが,運動することによって心も身体もリフレッシュできます。さらに,運動しているときって,自分の身体のことだけに自分の意識を集中することになるので,仕事やプライベートの雑念を頭の中から追い出すことができるんですよね。そういった「デトックス」的な時間が日常の中に埋め込まれていると,creativeな仕事も捗るんじゃないかなと勝手に思っています(※因果関係は定かではありません為念)。

おわりに

この記事は,王将で生中×3のあとに帰宅してハイボール×3をしながら書いています。

私に質問したい方は下記URLからどうぞ。

https://querie.me/user/tam07pb915

今のところは割と質問に答えるのを楽しんでいます。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。